宮城谷昌光 『天空の舟 小説・伊尹伝』 文藝春秋 上下巻 1993

玄米は美味しいと思う、らぶナベです。

さて、『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光著(文春文庫上下巻)1993年初版。
夏王朝から商(殷)王朝へと変わる時代に料理人から宰相まで登りつめて、
歴史上重要な役割を果たした伊尹の小説。
同じ著者が書いた『太公望』も伝説に彩られた時代だったけれど、
この小説の舞台は『太公望』よりもさらに六百年ほど前の話になる。
文字(甲骨文字)さえ発明されていなかった時代なので、本当に伝説の時代だ。

未知の時代ということもあって期待して読んだけど、いまいちだった。
もうちょっと想像力が膨らむように時代背景を再現してくれれば
没頭できたのになぁっと思ってとちょっと残念。

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2003 1/23
小説、歴史
まろまろヒット率2

ケンタロウ 『ケンタロウのめし汁おかず』 主婦の友社 1999

今回からは料理本も通読すれば読書日記をつけようと思う、
らぶナベ@一人暮らしはじめる準備も兼ねてます(^^)

さて、『ケンタロウのめし汁おかず』ケンタロウ著(主婦の友社)1999年初版。
家にあったので通読してみた料理本。
著者は料理研究家・小林カツ代の息子。
(最近は親子でテレビとかにも出ていますね)
ありあわせの材料で手軽にぱぱっとできる料理を中心に紹介している。
実際に何品か作ってみると確かに便利さを感じたけれど
紹介されている料理がどれも油っこいのがちょっと気になった。

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2003 1/18
料理本
まろまろヒット率2

宮城谷昌光 『王家の風日』 文藝春秋 1994

近頃TIPNESSに出没する、らぶナベ@見かけたら声かけてくださいな(^^)

さて、『王家の風日』宮城谷昌光著(文春文庫)1994年初版。
商(殷)から周に王朝が変わる紀元前11世紀の古代中国を舞台にした小説。
商を支えようとした箕子を中心に商王朝の滅亡をえがいている。
前に読んだ同じ著者の『太公望』が商を倒す周側の視点だったので、
この『王家の風日』と『太公望』はちょうど舞台の裏表の関係になる。
(こちらの方が先に出版されている)
この本の主役的な存在である箕子は太公望にもっとも警戒された人物なので、
太公望の頭脳戦がもっと読みたいと思った僕は思わず手にとってしまった。
何しろこの本の主役的な存在である箕子は、
太公望にもっとも警戒された人物だからだ。
期待して読んでみると太公望の出番自体はそれほど多くないけれど、
冷酷非情なまでの合理主義は存在感抜群だった。
できれば『太公望』ではも彼のそういう非情な面も織り込んでほしかった。

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2003 1/15
小説、歴史
まろまろヒット率2

佐々木正人 『アフォーダンス―新しい認知の理論』 岩波書店 1994

セブンイレブンで売っている「牛乳シャーベット」は
何気に美味しいと思う、らぶナベです。

さて、『アフォーダンス-新しい認知の理論』佐々木正人著
(岩波科学ライブラリー12)1994年初版。
初めて読んだアフォーダンス(生態心理学の基本概念)の本。
情報は環境から受ける刺激を脳で処理して意味のあるものへと作られるのではなく、
情報はその人をとりまく環境そのものの中にあるという考えを提唱した
ギブソンの研究過程を追いながらアフォーダンスの考え方を紹介している。
この本では視覚と触覚についての記述がメインになっているが、
著者も後半で述べているようにアフォーダンスは
言語や芸術などの他の分野へも応用されるものなので興味深かった。

特に知覚について「五感」のように個々の感覚器官に注目するのではなく
複数の知覚システムの束とみなす考えは新鮮だった。
確かにこれだと盲目の人が自由に歩けることが不思議じゃない。

また、変化の中にある不変を知覚することを重視する考え方(不変項)も面白かった。
なんだかよくわからない非現実的な芸術作品を観て、
なんだかうまく説明できないけどそこに現実的なものを感じたとき、
その作品の中に不変項があるのだという視点はちょっと楽しい(^^)
この不変項という考え方は前に読んだ『日本人と日本文化』で
ドナルド・キーンが「矛盾を見ればその人が何を考えているのかわかる」と
言っていたことと何か通じるような気がする。

さらにこれは前提として述べられたことだけど、
「人は記憶を語るときに記憶と過去を表現するメディア(映像や文字)と混同しがち。
思い出されることはビデオに映っているような文字通りの過去じゃないし、
会話は文字に書き写された言葉とは違う」
という趣旨のことがエピローグに書かれてあった。
これは僕自身ときどき完全に忘れていることなのでハッとさせられた。

ちなみに著者とは院の説明会と二次試験の口頭試問で
少しだけ言葉を交わしたことがある。(単に試験官だっただけだけどラッキー)
そのときは個性的だけど温和な印象を受けて好感が持てたのを覚えている。
この本の最後で「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
お前が発見するのをいつまでも待っている」(あとがき)という
著者自身に向けられた言葉を発見したときに会った時の印象が思い返された。
これも不変項か?(^^)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○「フレーム問題」=ある行為に関連することとしないことを
 効率的に見分けるにはどのようにすればよいのかという問題(主にAI領域)
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○デカルトの「こころ」とは、感覚刺激を統合し、判断し、推論し、
 意味をつくりだすメカニズム(略)いわゆる「中枢」
 →環境からの入力が「点運動」のようなものであるという仮定が、
  知覚理論への「有能なこころ」の概念の導入を招いた
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○「ゲシュタルト」=「感覚要素の総和以上のもの、総和とはことなったもの」
 (エーレンフェルス)
<1 ギブソンの歩み>

☆知覚者が対象の変化から見ているのは「形(form)」ではなく、
 対象そのもの、それのリアルな「姿(shape)」
 →姿は、形からではなく、それ自体は形をもたない「変形」から知覚される(略)
  知覚ににとっては「変化という次元」こそが問題
  (「変化」のなかに埋め込まれている「不変」の知覚)
<1 ギブソンの歩み>

☆ギブソンが捜し求めた「知覚の刺激」の本質=環境の中で、動き回って、
 何かを見ようとしている観察者がその全身の動きとともに発見するもの
<1 ギブソンの歩み>

☆「生態光学(エコロジカル・オプティックス)」=環境に充満している光=包囲光
 (ambient light)を視覚の基礎にすべきであるという考え
 →包囲光の「異質性」=「包囲光配列(ambient array)」」
<2 情報は光の中にある>

☆「不変項(インバリアント)」=変形から明らかになる不変なもの
 →見るということで観察者が行っていることは、
  包囲光配列から不変項をピックアップすることである
<2 情報は光の中にある>

○不変項=
 1:構造不変項→恒常的に保たれている性質を知覚すること
 2:変形不変項→生じている変化がどのような変化であるか特定すること
 →動くものが何であるか特定するのが構造不変項、
  その動きがどういうものであるのか特定するのが変形不変項
<2 情報は光の中にある>

☆環境に満ちているのは、「持続と変化」である
 →生態光学はそこが「情報に満ちた海」であることを示した
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える
 →私たちが認識のためにしていることは、
  自身を包囲している環境に情報を「探索」すること
<3 エコロジカル・リアリズム>

○「生態学的測定法(エコ・メトリクス)」=物理的絶対値ではなく
 生き物を基準にして表した値
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆アフォーダンス=「動物との関係として定義される環境の性質」(ギブソン)
 =環境が動物に提供する「価値」
 =物理的な性質ではなく「動物にとっての環境の性質」
  →アフォーダンスが環境の中に実存することを強調するギブソンの理論
  =「エコロジカル・リアリズム(生態学的実存論)」
<3 エコロジカル・リアリズム>

○感覚器官をもとにした古典的分類「五感」は多様な知覚体験を説明できない(略)
 五は感覚器官の種類の数ではなく「環境への注意のモード」の種類と考えるべき
 =「基礎的定位づけシステム」「聴くシステム」、「触るシステム」、
  「味わいー嗅ぐシステム」、「視るシステム」
<4 知覚するシステム>

☆知覚システムの特徴
1:”複数の知覚システムの獲得する情報は
 「等価」であるので「冗長」であることが多い”
  →盲目の人が自由に移動できるのは神秘的なことではなく
  「視るシステム」以外でもピックアップ可能な情報を知覚しているから
2:”動きが固定されていない”
  →知覚システムの動作を洗練し、分化していくことが学習
  →「わざ」を可能にするのは知覚システムの束
<4 知覚するシステム>

☆ギブソニアン(ギブソンの後継者たち)の主張
 =「運動研究の単位を変えよう」
 →関節などの要素でなくマクロな「結合」を単位に
<5 共鳴・同調の原理>

○運動系は、身体の内部に閉じて組織化しているのではなく、
 環境の中の情報とも協応の関係を結び、
 知覚情報をもそのシステムの一部としている
<5 共鳴・同調の原理>

○「タウ(τ)」=行為の制御に利用されている視覚情報
 =「衝突・接触」のアフォーダンス
<5 共鳴・同調の原理>

○知覚と行為の協応を、ギブソニアンは「知覚と行為のカップリング」と呼ぶ
<5 共鳴・同調の原理>

☆画家が遠近法で描いた絵も、抽象画も、もしそれが私たちに
 何らかのリアリティーを伝えることができるならば、
 そこには知覚された不変項が記録されていると考えるべき
<エピローグ リアリティーのデザイン>

○「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
 お前が発見するのをいつまでも待っている」
 (略)研究だって知覚行為の一種なんだから
<あとがき>

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2003 1/12
アフォーダンス、心理学、認知科学、情報関連
まろまろヒット率4

司馬遼太郎・ドナルド・キーン 『日本人と日本文化』 中央公論新社 1984

“まろじぇくとX”の参加者からの声が掲示板にアップされた(ここ)、
らぶナベ@二人きりでも楽しんでもらったようでちょっと嬉しいっす(^^)

さて、『日本人と日本文化』司馬遼太郎&ドナルド・キーン談(中央公論新社)1984年初版。
司馬遼太郎(小説家)とドナルド・キーン(日本文化研究家)との日本文化談義の本。
出身地の影響もあってか(司馬=大阪、キーン=ニューヨーク)、
どちらも教養を明るさや洒落っ気で包む人なので、、
日本文化を語るときについてまわりがちな陰険さがなく
楽しそうな対談の様子が文章に落とし込んでも現れている。
「それは言い過ぎやろ」と突っ込んでしまうところもあるけれど、
キーン氏が”あとがき”で書いていたように
面白いおっちゃんの会話を横で立ち聞きするような気分にさせてくれた。

特に「第5章:日本人のモラル」、「第7章:続日本人のモラル」では
日本がどれだけ儒教の影響を受けたのかということについて、
二人の相違点が明確に出てきてその対立が面白かった。
また、最後には「日本的なものとしてがんばりすぎると、
変なものになってしまう(もっと自然でいこう)」
・・・っと同意して終わるのも二人の対談らしくて思わず笑ってしまった。
手軽だけど侮れない本。

ちなみにWEBサイト英語化プロジェクト(まろぷろ)で何かとお世話になっている、
ニューヨーク在住の市川文緒さんはキーン氏のお弟子さん。
そんな遠い人とお話できるなんてネットってすごい(いまさら(^^;)。

以下は、チェックした箇所(気になった順)・・・

・人間というのは、矛盾があればあるほどおもしろいですね。
 矛盾があれば、その人間が何かを考えているということがわかります(キーン)

・徳川時代は鎖国だったから、当時の日本人がみんないっしょに
 秘密を言い合って楽しんでいたというような気がします(略)
 江戸文学には普遍性がなかったと言えます(キーン)
→2ちゃんねるで盛り上がるスレッドもそんな感じだ(ナベ感想)

・日本の歴史を眺めておりますと、あらゆる面に外国文化に対する愛と憎、
 受容と抵抗の関係があるように思われます(キーン)

・日本人は原理というものには鈍感(司馬)

・もしも日本的な趣味を一つだけに絞ろうと思ったら、
 私は東山時代の文化じゃないかと思います(キーン)←司馬も同意

・南宋の文化は、日本にいちばん影響を与えたと思います。
 そのあたりの詩歌は、日本人の趣味にぴったり合っていた。
 感情的であって、あまり雄大なテーマはとり上げない(キーン)

・古い伝統を作るには、十年くらいかかる(略)
 逆に言えば、十年ぐらいかけると伝統を創りだすことができる(キーン)

・日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する(略)
 意識して特徴を出そうと思ったら、むしろ本居宣長のような、
 なにか不自然なものになるんじゃないか(キーン)
→大賛成です(略)あまり日本的なものとしてがんばりすぎると、
 いやらしいものになる(司馬)

・恥ずかしいことはできないということだけで社会の安寧秩序が保てる。
 その程度のことだけで保てる社会というのは、不思議な国で、
 ぼくがいつも日本を不思議だと思うのは、この点なんです(司馬)

・日本はひじょうに不思議な国になります。英雄のいない国です(キーン)

・政治というものはひじょうに男性的なものですけれども、
 ぼくら日本人というのは、
 政治を男性的にとらえにくい感覚をもっているのじゃないか(司馬)

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2003 1/10
文化論、対談
まろまろヒット率4

宮城谷昌光 『太公望』 文藝春秋 上中下巻 2001

年末年始は小説、特に歴史小説を読みたくなる、
らぶナベ@自分を重ね合わせて振り返りたいからかな?
(特に去年は考えることや岐路に立つことが多かったからか)

さて、そんなわけで2003年第1弾『太公望』宮城谷昌光著(文春文庫)2001年初版。
知り合いのJACKから「陰謀マニアだったらオススメ」と言われて(ここ)
手に取った中国古代を舞台にした歴史小説。
中学か高校の時に読んだ『夏姫春秋』以来、久々の宮城谷作品。
(当時は思春期の少年にとってはきわどいシーンもあってどきどきした)

内容は商(殷)末から周はじめにかけて活躍した太公望の人生をえがいている。
紀元前11世紀という今となっては神話と伝説が錯綜する時代の物語なので
(孔子などの諸子百家のさらに600年以上前の時代)
著者の様々な解釈が織り込まれていて読んでいる方としても想像力が膨らむ。
特にこの時代は文字が占いの道具(甲骨文字)からコミュニケーション手段に
移りつつある時代でもあるので文字というものの重たさを感じさせてくれた。
太公望は後の中国で兵法の祖とされるほどの合理主義者だったけれど、
その合理主義的な思考は文字による教育を受けなかったからだとする
著者の解釈は興味深かった。(ちょっと逆説的な匂いがあるのが味噌)
遠い時代だからこそのそんな解釈は面白いけれど、
太公望を武術の達人にするのはちょっとやりすぎのような気もしたし、
商との戦いや斉の建国などは太公望の本領発揮の部分なのに、
前半部分に比べて妙に記述が薄い気がしたのがちょっと残念。
もっと太公望の頭脳戦が読みたかった。

以下は、思わずチェックした箇所・・・

・まっすぐなものがみえない人は、どこかで成長がとまるような気がする。
 (略)大木をみればよい。

・この世に生まれた者は、かならず死ぬ。
 だが、死は人生の到達点でありながら、それは願望でも目的でもない。
 生きるということは、すべて途中である。その途中こそがたいせつではないのか。

・大事を成すには、小事をつみかさねてゆくしかない。
 しかし小利を求めてはならない。
 小成は大成のためには、つまずきにすぎない。

・危難というのは両刃の剣である。
 危難に殺されるか、危難を新生面にかえるか、である。

・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、
 すでに失敗しているといってよい。
 -まず、自分の目と耳とを信ずることだ。

・素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。
 それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わせれば、
 うまさを引きだすことができる。

・卑賤の者をあなどるのは小人の癖

・めざめつづけている男がなした偉業を、夢をみる者たちは、奇蹟と呼ぶ。
 呂望は夢のむこう側かこちら側にしかいない。

・大きくなりたかったら、自分より大きな人にぶつかったゆかねばなりません。
 (略)形をもったままぶつかってゆけば、その形は毀れましょう。
 が、形のない者は、毀れるものがないのですから、
 恐れることはありますまい。

・時代の狂気を否定しようとする者に、時代の常識に慣れた人が狂気みるのは、
 古往今来、かならずあることであり、それは革命者の奕々たる宿命である。

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2003 1/8
小説、歴史
まろまろヒット率3

町田健 『言語学が好きになる本』 研究社 1999

この本を読むきっかけを考えるとネットで公開するってすごいなぁっと思う、
らぶナベ@くわしくは以下のメモにて(^^)

さて、その『言語学が好きになる本』町田健著(研究社)1999年初版。
はじめて読んだ言語学関係の本。
言語学の入門書を探していたところまろまろ掲示板にも遊びに来てくれることがある
ちづさんがたまたまた大学院で言語学を研究していて(生成文法)
「読みやすいけど基本も押さえられてる」と薦めてくれた一冊。
ちなみにちづさんは研究科は違っても僕が入る学校と同じだったのでびっくり。
(こんなこともあるんすねぇ)

内容の方はQ&A方式で書かれているのでとても読みやすい。
言語学って、ものすごく難しかったり読みにくい先入観があったけれど
確かにこれなら僕でも慣れることができそうだ。
特に面白かったのは「Q6チンパンジーやイルカもコトバを使うの?」で、
人間の言葉と動物の言葉との決定的な違いを分節性に求めた点や
「Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?」で、
言語能力という動物学的には特異な能力を人間は本来的に持っているのかという議論、
そして「Q18英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?」で、
定冠詞と不定冠詞を聞き手が文脈の中で特定するのかどうか、
部分と全体という視点で説明している点だ。
特に定冠詞と不定冠詞は日本人なら誰でも一度は苦しめられたことがあるものなので
こういう風な説明をされると「なるほど!」っと素直に感動してしまった。
(掲示板での補足説明ももらいました→ここ)

また、巻末にはもう少し上のレベルでの入門書が紹介されてあるが、
それぞれの一長一短をちゃんと書いてくれてあった。
入門書は読んでからある程度時間がたたないとその良し悪しがわからないものだけど、
(本人がその分野をどう活用するかどうかにもよるし)
こういう基本的な丁寧さには好感が持てた。

以下は、チェックした箇所の抜粋&一部要約・・・

○ソシュールは言語の音の方を「能記」(シニフィアン)、
 意味の方を「所記」(シニフィエ)と呼んだ
 (ただし訳語は研究者の間ではあまり人気がないらしい)
<Q1世界一の言語学者はだれ?>

○記号の「体系性」=記号の意味や動きは他の記号との関係で決まる
 とソシュールが主張
<Q1世界一の言語学者はだれ?>

○比較言語学の目的=複数の言語を比べてそれらのもとの言語(祖語)は
 どうなっていたのかを推測すること
 =言葉の歴史を研究する分野のひとつ
 →もとの言語を復元する「祖語の再建」もおこなわれる
<Q2文字で書かれていない言語の歴史は分かるの?>

○「音韻変化の規則性」=ある言語で使われている音が時とともに変化すれば、
 どんな場合でも一律に同じように変化をするという性質のこと
<Q2文字で書かれていない言語の歴史は分かるの?>

○イタリアの諺には「翻訳者は裏切り者」(traduttore,traditore)というのがある
<Q5完全なる自動翻訳機は実現する?>

☆人間の言葉と動物の言葉との一番の違いは、「分節性」があるかないか
 「分節性」=文という記号がより下位の記号単位である単語から
  構成されている性質(平たく言えば文が単語にわかれていること)
  →分節をもたない言葉を使って作り出せる文は
   最大でもたった三十個にしかならないという研究がある
注:ただし人間の言葉も動物の言葉もどちらも「記号」であり、
  「恣意性」もある点では同じ
<Q6チンパンジーやイルカもコトバを使うの?>

○生成文法の目標=普遍文法を見つけ出すこと
 「普遍文法」=人が生まれながらにして脳の中に組み込まれている言語の本質
  (チョムスキーが存在すると主張)
 →初めから文法規則の根本原理が頭の中に入っているから
  少しぐらい間違った情報が混ざっていても
  幼児は短期間のうちに正しい文法規則をおぼえていけると考える
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>

○単語の意味が抽象的=言葉の一番大切な性質のひとつ
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>

☆モノや事柄を個別的ではなく共通の特徴をもった集合としてとらえる能力こそが
 人間に先天的に備わった言葉を覚えるための能力で、
 文法的規則などは言葉を覚えていく段階で身につけていくものではないか
 と著者は現在考えている
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>

☆言葉がいつどのように生まれたか=「言語起源論」
 →言葉も一種の社会規範なので社会全体に広げるためには、
  何らかの権威が関わったのだろうと著者は予想
<Q8コトバはいつどうやって生まれたの?>

○「ピジン」=異なった言語を話す人々が通商などの目的で
 自分たちの母語ではない言語をもとにして、
 自分たちの母語の単語などを入れてつくった言語
 →ピジンが発展してその人たちの母語となったものは「クレオル」
<Q11日本語はどこから来たの?>

☆定冠詞と不定冠詞の違い
・「定」=文脈で与えられた範囲の中で、他のモノとは違う
     どれか特定のモノを示すことが「聞き手」にも分かること
・「不定」=文脈で与えられた範囲の中で、名詞が指しているものが
     「聞き手」にとってはどれでもよいこと
→重要なのは名詞の指すものを聞き手が具体的に知っているかどうかではなく、
 聞き手がそれについて同じ名詞が指すことができる他のモノとは
 質的に違うのだということを、文脈から判定することができるかどうか
 また、定と不定という性質は文中の名詞の指すモノが、
 ある範囲のモノの中の「全体」なのか「部分」なのかを表すものでもある
<Q18英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?>

○言語学は本質的にいい加減な「言葉」という対象の中にある規則性を、
 できる限り客観的な方法を用いて発見していこうとする学問
<本格的に言語学に挑戦したい人のために>

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2002 12/21
言語学
まろまろヒット率3

Paul Thagard、松原仁監訳 『マインド―認知科学入門』 共立出版 1999

新しい分野の本を読む時はいつも最初は戸惑うけど読み終えると嬉しい、
らぶナベ@旅行をしたときに近い感じです(^^)

さて、その『マインド-認知科学入門』Paul Thagard著&松原仁監訳(共立出版)1999年初版。
初めて読み終えた認知科学本。
院進学を決めたので入学前のこの準備期間(~2003年4月)に今まで触れたことがなかった
認知科学、言語学、社会心理学などの基本入門書を読むことにした。
まずは認知科学の入門書を読もうと思っていたところ、
東大院情報学環の植田一博助教授が入学パンフレットで
この本を薦めていたので買って読んでみた。

内容は「思考は、心の表象とその構造を操作する計算手続きによって最も良く理解される」
っという現在の認知科学の中心的仮説を
「CRUM(Computational-Representational Understanding of Mind)
=心の計算-表象的理解」と名付けて、
この考えを軸に認知科学の代表的なアプローチ=「論理」、「ルール」、
「概念」、「類推」、「イメージ」、「コネクション」を検証する第1部と、
他の分野から寄せられた認知科学への疑問に反論して、
さらにCRUM自体も修正(補足&拡張)する第2部から構成されている。

この本の中で一番興味深かったのは、
一般的に感情と思考は別のものと考えられていて、
感情は冷静な思考にとっては邪魔なものだとする考えについて・・・
そもそも「人間の問題解決はかなり複雑であり、
急速に変化する環境、および多くの社会相互作用の中で、
互いに矛盾する多数の目標を達成しなければならない」
だから「感情はこうした問題解決場面に手短に”評価”(appraisal)を下し、
その後の思考に対して二つの重要な貢献をなす」
「”焦点化”(focus)させ、あなたの限られた認知リソースをその事柄に集中させる」
そして「”行動”(action)の準備となるものを与える」
つまり「感情は人間の思考にとって、単なる付随的で迷惑なものであるわけではなく、
評価や焦点化や行動にかかわる認知的機能を持つものである」
<第9章:感情と意識-CRUMの拡張>
・・・っと批判している点だ。

ただ、読んでみてあらためて感じたことは、
認知科学はまだ生まれたばかりの領域なので
統一的見解が少なくて入門者にとっては少し煩雑な感じがする。
議論の中身も脳神経科学の発展によってかなり変わってくるんじゃないのだろうか。
著者も「認知科学はロックンロールとほぼ同じ年齢である。
両者とも1950年代中頃からいろいろな場所で起こり始めた」
そのために「現時点では認知科学はまだ初期段階にあり、
理論的な多様性は欠点というよりむしろ望まれる特徴である」
だから「統合的で、分野をまたぐ努力が
心の特徴を理解するうえで本質的であり続ける」と述べている。
<第8章:総論と評価-認知科学の功績>
また、科学書だから仕方ないとはいえ、ベタベタな直訳が多いのもどうかと思った。

読み終えてから学部生の頃、認知科学が好きな後輩がいたのを思い出した。
当時はコンピュータオタクっぽくて嫌煙していたが、
こんなことならちゃんと話を聞いて本を紹介してもらうんだった(^^;

以下、その他にチェックした箇所の抽出&要約・・・

○多くの認知科学者は、心における知識は心的表象
 (mental representation)を形成していることに同意する。
 <第1章:表象と計算-あなたは何を知っている?>

○認知科学では、人間が思考し行動するのに心的表象を操作するための
 心的手続き(mental procedure)を持っていると考える.
 <第1章:表象と計算-あなたは何を知っている?>

○プラトンはもっとも重要な知識は感覚経験とは関係ない
 人間の生まれ持った徳(virtue)のような概念からくると考えた。
 デカルトやライプニッツといった他の哲学者は、
 知識はただ考え推論(reasoning)することによって得られるとする
 合理主義(rationalism)の立場をとった。
 これに対してアリストテレスは「すべての人は死すべき運命にある」
 (All human are mortal)といった経験から学ばれるルールによって知識を議論し、
 ロックやヒュームが支持して経験主義(empiricism)の立場ができた。
 カントは人間の知識は感覚経験と心の生得的能力の両方に依存するとして、
 合理主義と経験主義両者の統合を試みた。
 <第1章:表象と計算-はじまり>

○実験なしの理論は無であるが、理論なしの実験は盲目である。
 <第1章:表象と計算-認知科学の方法>

☆認知科学のモデルを理解するためには、理論、モデル、プログラム、
 プラットフォームの役割を理解する必要がある。
・認知的「理論」=表象構造の集合とそれらの構造を操作する手続き集合
・計算「モデル」=理論の構造とプロセスをデータ構造とアルゴリズムで構成される
 コンピュータプログラムの類推として解釈することで具体的にしたもの
・ソフトウェア「プログラム」=このモデルをテストするためのもの
・ハードウェア「プラットフォーム」=プログラムを走らせる土台
 <第1章:表象と計算-理論、モデル、プログラム>

○命題論理と述語論理は、真であるか偽であるかを記述する
 表明(assertion)を扱う場合はうまくいが不確実性は扱えない。
 <第2章:論理-表象能力>

○確率を扱う計算機システムの開発は難しい。
 なぜなら、確率の利用は計算論的な爆発
 (モデルの変数や命題の数が増えるにつれて必要とする確率の数が
 指数関数的に増加すること)を引き起こすからである。
 <第2章:論理-計算能力>

☆論理に基づくシステムにおいては、思考の基本的操作は論理的演繹であるが、
 ルールに基づくシステムでは、思考の基本的操作は探索(search)である。
 <第3章:ルール-計算能力>

○概念に基づくシステムにおいて非常に効果的に適用できるプロセスは、
 継承(inheritance)である
 <第4章:概念-計算能力>

☆初心者と熟練者の違いは熟練者がルールを持っているという点にあるが、
 教育研究によれば、熟練者は概念やスキーマとして
 記述可能な高度に組織化された知識を持っているとされる。
 <第4章:概念-応用可能性>

○潜在的に認知科学の教育に対する関係は生物学と医学との関係と同じである。
 つまり実際的な治療のための理論的バイアスである。
 <第8章:総論と評価-比較評価>

○カオスシステム(chaotic system)では多くの変数における
 非常に小さな変化に依存して急激な変化(相転移)を示すため、
 系の振る舞いを予測することが大変困難である。
 天気を、2、3日より前に予測するのが困難な理由は、
 気象学者が2、3日後の天気に影響を及ぼす全ての変数の小さな変化を
 すべて観測することができないからである
 <第11章:ダイナミックシステムと数学的知識-ダイナミックシステムからの挑戦>

ちなみに著者のHPはこちら→http://cogsci.uwaterloo.ca/

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2002 11/21
認知科学
まろまろヒット率3

井上真花 『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』 ソシム 2002

そろそろ読書日記をDateBase管理&HP更新できるようにしたい、らぶナベです(T_T)

さて、『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』井上真花著(ソシム)2002年初版。
人気HomePageの運営者に対するインタビュー本。
ネットというメディアを考える上で、また一人のHP運営者として、
いろいろと考えるきっかけになるのでこの手の本は最近いくつか読んでるけど、
レイアウトも含めてこの本が一番読みやすいと思う。
各インタビューごとにそのHPの開設時期や維持費が紹介されているのも興味深い。
どうせなら「アクセス数が急に伸びたきっかけ」や、
「HPが軌道に乗ったと思った時期」なんて項目も入れてほしかった。

中でも驚いたのが東京トップレスの運営者へのインタビューだ。
実は僕がインターネットをはじめた時期、1995年に、
大学から買わされたモノクロノートパソコン(PowerBook520)で
テレホーダイになる11時過ぎに14Kbps(遅っ!)で
一生懸命見ていたHPがこの東京トップレスだったからだ(^^;
もう長いこと訪れていなかったのでまだあったんだということもびっくりしたが、
今でも無料で続けているというのにかなり驚いた。
「ここで有料サイトにしたらただの商品になってしまう。
これだけのメディアをただの商品にまで格下げするのは、あまりにもったいない」
・・・っという運営者の言葉にはある意味で清清しい姿勢さえ覚えた。

この本に限らずHP運営者へのインタビュー本はどれも
インターネットというメディアを考える上で格好の素材だとあらためて感じた。
「メディアとしてのインターネット」については
さまざまな場所でさまざまな角度から議論がなされているけど、
その議論の説得性はこうした当事者の生の声を
いかに把握&昇華できるかで決まるような気がする。

以下は、チェックした箇所・・・
○(モデルに風俗嬢が多いことについて)
 雑誌はお店にスポットをあてて記事にするけど(略)
 お店の女の子として紹介されたって、
 あんまり彼女たちにメリットないんですね。
 東京トップレス(http://tokyotopless.com/)

○メールマガジンを発行する人は、人を集められる人だと思ったんです。
 そういう人を集めれば、人の集まるサイトになるのではないかと。
 ゴザンス(http://www.gozans.com/)

○なにを集めるか、そのアンテナこそが、自己表現になっているのだと思います。
 TECHSIDE(http://www.iris.dti.ne.jp/~spec/news2/bbsf.html)

○しょせん、クラスの中で2人か3人が「おもしろい」と思うようなものしか、
 やっていないんです。でも、クラスの中の2人って場合をインターネットで考えると、
 それなりにかなりの人数に、なってしまう訳です。
 Webやぎの目(http://www.kt.rim.or.jp/~yhayashi/)

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2002 11/19
情報関連、メディア論
まろまろヒット率4

野中郁次郎 『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』 中央公論新社 1995

まろまろ用語集「がんばりすぎるな」を見た人から
「価値があるからしんどいことをするんであって、
しんどいからといって価値があるとは限らないですよね」というメールをもらった、
らぶナベ@深いので用例に修正追加しておきました(^^)

さて、『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』野中郁次郎著(中公新書)1995年初版。
アメリカ海兵隊(US.Marine)という世界でも類を見ない独特の組織を題材に、
非営利型組織での自己革新とはどういうことかをテーマにした本。
組織論研究の第一人者が書いた本だけに一見堅そうだけど、
中には「単なる趣味じゃん」と思えるような記述もあったりして
普通の読み物として読んでも楽しい。

何しろ著者が他の分野の研究者と共同執筆した『失敗の本質』(中央公論新社)の中で、
太平洋戦争のターニングポイントになったガダルカナルの戦いを分析しているときに
海兵隊の独自の戦い方に興味を持ったのが執筆のきっかけになっていて、
本人も「ほとんど趣味的に・・・」っと前書きで書いているくらいだ。
その『失敗の本質』は僕も心のベスト本のひとつだし、
読者の立場でも同じようにガダルカナルの戦いのところで
強襲揚陸という海兵隊の独自のスタイルに興味を持った。
さらに『歴史群像 朝鮮戦争』(学研)を読んだときも、
中国軍介入で連合軍が崩壊する中で重厚な包囲を突破して
長津湖からハガル里まで退却した海兵隊の記録に強い印象を受けたことがある。
(凍結しないようにアンプルを加えながら走ったという衛生兵が象徴的だった)
そんな独特の組織がどう形成され、
変化する環境に対してどう自己革新していったかを書いている。
扱っているテーマの大きさの割にはちょっと分量が足りない気もしたが、
自己革新という視点以外でも物資を常に海上展開していて有事の際には
人を空輸して合流させるという即応部隊(Force in Readiness)としての
現在の海兵隊のスタイルはWEB活動にも応用できそうな気がした。
いろんな読み方ができる興味深い一冊。

以下は、本書のテーマ自己革新組織についての要旨&抜粋要約・・・

<自己革新組織>

“定義”
絶えず自ら不安定性を生み出し、
そのプロセスの中で新たな自己創造を行ない、
飛躍的な大進化としての再創造と連続的で漸次的な小進化を、
逐次あるいは同時に行なうダイナミックな組織

“要件”
(1)「存在理由」への問いかけと生存領域(domain)の進化
(2)独自能力ー「有機的集中」を可能にする機能配置
(3)「分化」と「統合」の極大化の組織
(4)中核技能の学習と共有
(5)人間=機械系によるインテリジェンス・システム
(6)存在価値の大化

(注)自己革新組織の要件には、概念としては矛盾するが
実は相互に補完し合って共存関係にあるものが多い。
→行動がそれらの突破口
→ゆえに自己革新は機動力が必要
 (上記の要件は機動力の要件でもある)

☆変わらないもの(不易)と変わるもの(流行)は、
それぞれが単に独立してあるのではなく両者は相互に作用し合うのである。
存在価値は、機能価値を触発し方向づけるが、
機能価値は、存在価値を環境の変化に順応した形で実現する。

(1)について
ドメイン(domain)とは、組織がどのような領域で環境と
相互作用したいかを決める独自の生存領域のことである(略)
生存領域は、論理的な分析だけで出てくるものではない。
環境と相互に作用しながら思索反省と経験反復とを通じて
次第に分かってくるのであり、
ある時点でリーダーがそれを明確に概念化するのである。

(1)について
小進化としての洗練は経験的であることが多いが、
大進化としての再創造は経験を越える概念で始まることが多い。

(1)について
市場競争による淘汰を受けない非営利の公的組織に
革新を促す刺激はその生存に対する危機(略)
したがって公的組織の革新へのモティヴェーションは存在本能に近い。

(2)について
戦略は、言い換えれば、資源配分のデザイン(略)
戦略は状況に依存するので唯一絶対のものではないが、
普遍的な原理といえるのは「集中」。
 (海兵隊の場合、中心的機能は歩兵)

(3)について
分化と統合の同時極大化は論理的には不可能
(略)現実における行動が必要。
→対抗する二つの力のバランスを取るのではない、
 時と場所によって異なる力関係を感じ取り、
 組織のリーダーがその強いほうを選んで推進する。

(4)について
情報の本質は何らかの「差異」をもたらすこと。
したがって敵が何をやろうとしているかということは、
我々が何をやろうとしているかということと関連させて初めて意味を持つ。

(6)について
組織の持つ価値=
組織が果たすドメインや使命などから構成される「機能価値」
    +
組織の成員から全人的関与を引き出す、何のために生きるかという「存在価値」

(6)について
自己革新組織は、主体的に新たな知識を創造しながら、
既存の知識を部分的に棄却あるいは再構築して自らの知識体系を革新してゆく。
→知識創造こそが組織の自己革新の本質

(6)について
知識には言語化、ドキュメント化が可能な形式知(言語知、分析的知、客観的知)と
言語化、ドキュメント化が困難な暗黙知(経験知、直感的知、主観的知)があり
知識創造は両タイプの知が相互に作用しながら循環するダイナミックなプロセス

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2002 10/28
組織論、経営学、戦略論
まろまろヒット率4