京極夏彦 『魍魎の匣』 講談社 1999

週末に長野県に行くことになった、らぶナベ@白馬岩岳っていう場所っす。
土地感のある人はおしえてくださいです(^^)

さてさて、『魍魎の匣』京極夏彦(講談社文庫)1999年初版。
『姑獲鳥の夏』がすごく良かったのでその読後感を愉しんでいたけど、
シリーズものとしても読みたくなったので購入した『姑獲鳥の夏』の次作。
『姑獲鳥の夏』を超える分量の厚さと表紙のおどろおどろしさに案の定ちょっと引いたが、
電車の中でブックカヴァーなしに読んでしまうほどハマってしまった。

京極夏彦の作品はある瞬間から読むことがやめられなくなる。
“欠けている気持ち悪さ”をどうしようもなく感じさせられて、
それこそ”憑かれた”ように読んでしまう。
(トイレも我慢してしまうほどの活字体ってめずらしい)
これがまさに”憑きもの”なのだろう。
“憑きもの”の手法を小説自体にも使われているのがわかっているのに、
それにはまる自分がちょっと悔しい。

この作品では間にはさまれている小説やアンケートを関連付けさせていく快感があった。
特に”詫び状”の意味を知ったときの衝撃はすごかった。
ただ読み終えて振返ると『姑獲鳥の夏』よりもう一つイムパクトが足りなく感じている。
理屈っぽい京極堂の前置きが前作のように終結部分で完全に合わさってくれないからだろうか。
だから読み終えて振返る印象は端々で感じたグロテスクなものが多い。
それをちょっと残念に思う僕は彼の作品に美しさを求めているのだろうか?

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2002 2/3
小説、文学
まろまろヒット率4

京極夏彦 『姑獲鳥の夏』 講談社 1998

今月19日でようやく立ち上げて半年になるのに
既にまろまろさん2万人突破してくれて嬉しいらぶナベっす。

さて、2002年最初に読んだ本をば・・・
『姑獲鳥の夏』京極夏彦著(講談社文庫)1998年初版。

参りました。年初から心地よいほどの敗北感です。
京極堂シリーズはかなり前からその存在や話題性も知っていたけど

魑魅魍魎を題材にした推理小説ってなんか薄っぺらそうで読む気がしなかった。
ただ読書禄を読みなおすと去年は年初からデカルト(『方法序説』)を読み、
その後も法律書などを読みつづけた一年だったので
たまには違った感性と触れようかと思っていた。
そんなときにタイミングよく論理的で冷静な友人が薦めてくれたこと、
どの巻の巻末にも参考文献が充実しているのに好感が持てたことなどのきっかけで
「ものは試し」とシリーズ第一作となるこの本を購入してみた。
購入してからも文庫版の表紙がオドロオドロしくて
「ちょっとなぁ」っと読書を躊躇していたけれど、読んでみると・・・

・・・参りました。
まず精神病理学、民俗学、薬学、量子力学などの科学理論を道具に
超常現象(と言われている物事)を解明していく爽快感にひきつけられた。
この点はウンベルト=エーコの『薔薇の名前』に通じる。
(演出の道具が馴染み深い分『薔薇の名前』よりも共感できるかな)

しかしこの作品最大の特徴は何を置いても「文字の美しさ」だろう。
映像化を強く反対するファンたちがいると聞いたが、
それは配役のイメイジが合わないからだとかいう理由じゃなくて
この作品最大の魅力が文字に込められた美しさにあるからなんだろう。
かつてまだメディアが口伝と書伝しなかった頃、
つまり”言葉”が全てのメディアだった頃の”文字”や”言葉”が持つ
魅力、魔力を現代に生きる僕たちの前にかつてと同じように再現してくれる。

推理小説としてのプロット自体は江戸川乱歩や横溝正史の出涸らしのようなものだけど
この本に出てくる文字と文字から構成される言葉に魅了されて
そんな後から突っ込める部分はお構いなしに引きこまれてしまった。
著者がもっとも表現したかったのは推理でもミステリイでもなく、
“言葉”の持つ美しさなんじゃないだろうかとまで思えてしまう。
推理小説という演出を使って言葉の魅力を語ろうとしているのではないか、と。

気がつけば物語最中に感じる昂揚と終わって感じる哀しさ。
これは日本の伝承物語(メディア)に共通した基本形だ。
いまにいきる僕らにもその日本美を感じさせてくれる物語がここにはある。

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2002 1/8
小説、文学
まろまろヒット率5

鷲田小彌太 『Eureka! 哲学がわかった!』 日本実業出版社 2001

これが2001年最後に読み終えた本になる、
らぶナベ@今年最初に読んだ本がデカルトの『方法序説』だったので
21世紀最初の年は哲学書に始まり哲学書に終わった年になった。
総数は18冊、予備校の課題や院の研究でほとんど通読はできなかった(^^;

さて本題・・・
『Eureka! 哲学がわかった!』鷲田小彌太著(日本実業出版社)2001年初版。
哲学史の流れや主な議論を一通り知りたかったので購入した一冊。
これ系の本はいろいろあって書店で迷ったが、
脳死や情報化といういま現在のテーマに積極的に取り組んでいる
著者が書いた本だという点と索引が充実している点でこの本を選んだ。

哲学や論理(思考法)を誇る人間は自分が一番正しいと思う癖があるからか、
自分の思考の射程を自覚しない幼稚さや見苦しさを感じることがある。
中学の時に一人はいた嫌な教師を見るようで
「こんな風にはなりたくないな」と思ったりすることも多々あるが
この著者はその点をかなり自省していて彼の視点の説得力と好感を感じる。
(本当の思考&論理とはこうではなくてはと思う)

著者は自分の処女作が世に受け入れられなかったことについて
他人のバカさ加減を嘆くでもなく萎縮するでもなく、
「考えは間違ってなくても表現が悪かった」と素直に捉えて
ベストセラーライターになり結果として処女作が哲学の古典となった
ヒュームにかなり好感を持っているようだがその姿勢が伝わってくる。

そのためか現代的なテーマである情報化やネットについては・・・
・考える前の作業(哲学以前)をコンピュータがやってくれるのが情報化社会
 →広く、深く考えられる時代が万人に開かれている

・ネットなどの情報化社会は言葉が飛翔可能な世界
 (言葉だけで解決ができる社会)
 →言葉の生産者になって=哲学者になって
 この社会を真正面からいききと生き抜いてみようではないか
・・・と積極的に捉えようとしている。
この点は今年の夏にHPを立ち上げて僕自身が実感していたことでもあったので
この実感に言葉を与えてくれたのには嬉しかった。
これだけで僕にとっては評価★★★★(^^)

そして哲学の定義については・・・
・哲学とは考えることを考えること(thinking of thinking)

・諸科学はその分野に特有の見方(パラダイム)を持っていて
 科学者たちはそのパラダイムを当然の前提にする
 ←哲学はそのパラダイムのあり方それ自体考察対象にする

・哲学者は言葉のアーティスト、哲学は思考の技術

・哲学(philosophy)の語源はピタゴラスが
 「私はsophos(知ある者)でなくphilosophos(知を愛する者)だ」
 と答えた伝説にある←西周も当初は「希哲学」と翻訳していた

・哲学の最高で根本的課題とは真の存在は何かを問うこと
 +それをどのように知ることができるかを明らかにすること

・哲学することはどんな困難な問題を考えるときも
 考える快楽を持ち続けることである
・・・という風な表現を使って端々で触れている。

また、コラムで『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)の話があったのにも
興味を引かれたが特に本文で紹介した哲学者たちそれぞれの死に様を
巻末付録として掲載していたのは”哲学者”だけに興味深かった。
なかなかツボを押さえた一冊と言える(^^)

以下はその他にチェックした箇所・・・
・どんな鋭利なものも一部の人間の間でしか通用しなければ意味がない
 →哲学は流行を嫌うが流行した哲学が生き残った

・驚きは哲学の始まりと言ったのはソクラテス

・近代西洋は血縁的には無縁に近いギリシア文化を
 自分たちの先祖として自分のものにした
 (エジプト・メソポタミアが当時イスラム圏だっため)

・近代哲学が合理主義と言われるのは人間の理性を正しく発揮できれば
 真理の認識に到達できるという姿勢から→合理主義≒人間主義

・ヒュームは苦労して出版した処女作『人間本性論』が全く売れなかった
 →普通は世のバカさを呪ったりするが自分の考えは間違っていなくても
 その表現が悪かったと考えて広く読まれるような形に書き直して出した
 →ベストセラーになりその結果処女作が哲学の古典とされるようになった

・共に「無意識」に注目しそれを「コントロール」しようとする姿勢を持った
 マルクスとフロイトの共通点を挙げて・・・
 マルクス主義が猛威を振るった時代が「戦争と革命」の時代
 →フロイトの精神分析が猛威を振るう時代が
 「神経症と心のケアの時代」と言われるのは何とも皮肉

・レヴィ・ストロースによれば科学には二種類がある
 =野生の思考(神話的思考)といわゆる科学
 →さらに加えるならコンピュータは科学の産物だが
 その思考法は任意の組み合わせと並べ替えという神話的思考の典型

・歴史は事実の集積ではなく書かれたもの
 →自分を考えるとは自分の物語りを持つこと

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2001 12/24
哲学
まろまろヒット率4

手塚治虫 『ブラックジャック』 秋田書店 全16巻 2000(最終巻初版)

らぶナベ@すばらしい作品っ(*o*)

『ブラックジャック』全16巻・手塚治虫著(秋田文庫)2000年最終巻初版。
中学の頃から手塚作品は『火の鳥』『ブッダ』など好んで読んできたが
なぜかこの作品はつい最近までちゃんと読もうという気持ちにならなかった。
映像化されたものを何度か観ることがあっても今回通して読んでみて
この作品が短編集だということを始めて知ったくらいに手つかずだった。
なぜこの本を通して読んでみようと思ったのか、
自分自身の気持ちに興味があるくらいだ。

読んでみると映像化ではマイルド化されている
この作品の暗い面ばかりが印象に残って仕方ない。
ブラックジャックの天才的な技術を持ってしてもバタバタと死んでいく人々、
たとえ助かったとしても決して救われることのない人々・・・
中には読むに耐えないくらい後味の悪い結末もある。
死亡率絶対100%である生命の寿命を一時延ばすことへの空しさ、
救われない心への哀しさという抽象的なテーマを外科手術という
具体的な演出でえがく手塚氏の手法に完全にはまってしまった。
インパクトのある場面場面で「もし自分が患者だとしたら」、
「もし自分がブラックジャックだったら」と振り返って
全巻読み通すのにずいぶん時間とエネルギーを使った。

そうした読むに耐えないほどの生々しいシーンには同時に
生命としての限界に立ち向かうことへの無力感に悩まされながらも
それでも立ち向かっていくブラックジャックの姿が常にある。
その彼の姿に言い知れない感動をおぼえる、
この感動こそがこの作品の最大の特徴なのではないだろうか?
よく医師(科学)、法律家(規範)、宗教家(真理)としての役割が
世の中のすべての役割の基本だということを聞くことがあるが
この作品が与えてくれる感動はその意味を直接考えるきっかけになった。
また、それは法外な報酬を要求して安易な正義感を振りかざさない
屈折した主人公を通してこその感動なのかもしれないとも思う。

解説の中に「ブラックジャックは手塚氏自身の姿じゃないのか?」
という興味深い問いかけがあった。
手塚氏がブラックジャックを無免許のままにしていたのは
『火の鳥』や『ブッダ』など人間の本質をえぐる作品を創りだしても
「しょせんは漫画じゃないか」と言って片づけられてしまう
中身の伴わない権威主義・先入観に苦しめられて来られたことへの
皮肉だという解釈があるようだ。
確かに医学博士の肩書きがあった彼自身がこの作品を世に出す際には
医学博士(高い評価)の書いた漫画(低い評価)という先入観のギャップが
起こるだろうと予想してそれに対する無言の批判を主人公に投影させた
という考えは面白い見方だなぁっと思った。

そして皮肉ではなく僕の読書録ではこの作品を「文学」カテゴリに置こう(^^)

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2001 11/21
文学、マンガ、自然科学全般
まろまろヒット率5

イェーリング、村上淳一訳 『権利のための闘争』 岩波書店 1982(原本1894)

横浜中華街と神戸中華街(南京町)との肉まんの大きさの違いを
いつも不思議に思う、らぶナベっす。

さて、『権利のための闘争』イェーリング著・村上淳一訳
(岩波書店)1982年初版(原本1894初版)。
国家主義&教条主義の匂いがしたので読むのを躊躇していたが
昔の法学では必読書だったらしくいろいろなところで眼にするので
一度は読んでみようと購入した一冊。
やはり19世紀のドイツで書かれたという時代背景を考慮して読まないと
本質を見失うだろう。これは古典的な学術書すべてに言えることだけど。

この本でイェーリングが言いたいことは序文でカントの言葉を引用した・・・
「自ら虫けらになる者は、後で踏みつけられても文句が言えない」
・・・の一言につきる。

メインの主張だけでなく著者は古代ローマ法の専門家だったみたいで
歴史的な視点として刑法における刑罰の重さの違いに注目することで
その国の生存原理が何かをひもとくヒントになるとしている点や、
政治外交でその国がどういう行動を取るかを知るには
私法の分野でその国の構成員がどういう風に権利主張するのかを
見れば良いとしている点にはかなり興味を持った。
歴史マニアなので歴史を見る視点が一つ増えたことが一番嬉しい(^_^)

ちなみに最初の日本語版は西周が訳して出版している。
そりゃあいろんな法学者に影響を与えていたはずだね(笑)
以下はその他の抜粋&要約・・・
・権利=法(Recht)の目標は平和であり、そのための手段は闘争である

・刑罰の重さの驚くほどの差違がその国家が何によって
成り立っているのかを見る参考→自国に固有の生存原理を脅かす犯罪を
最も厳しく処罰し、その他の犯罪は対照的に極めて軽い処罰にゆだねている
(神聖国家の冒涜罪、商業国家の偽造罪、絶対王制国家は大逆罪など)

・所有権とは物の上に拡大された私の人格の外縁に他ならない(中略)
理解力ではなく感覚がだけが権利の何たるかを知るために役立つ

・倫理社会秩序の偉大で崇高な所以は、その命令を理解していない者をも
無意識のうちに協力させてゆくための効果的な手段を有していることに存する

・諸国民の政治的教育の本当の学校は憲法ではなく私法である
→ある国民が政治的権利や国際法上の地位をいかに防衛するかを
知りたいならその構成員一人一人が私的生活において
自分の権利を主張するやり方を見ればよい
(古代ローマが動じに最も完成された私法を有していたのは偶然ではない)

・美学にとって最高の主題は常に人間が理念のために立ち上がること
→ただし何が権利=法(Recht)の本質で何が反しているのかを
明らかにしなければならないのは美学ではなく倫理学

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2001 9/30
法学一般
まろまろヒット率3
法務 キャリア

松本都 『一週間でマスターするホームページの作り方 for Macintosh』 毎日コミュニケーションズ 2000改訂

ヨーグルトにヤクルトをかけて食べるとなかなかに美味しいことに気がついた、
らぶナベ@お腹の中が健康さんです(^^)

さて、『一週間でマスターするホームページの作り方 for Macintosh』松本都著
(毎日コミュニケーションズ)2000年改訂。
これまでネット活動、特に情報発信はもっぱらE-mailに頼ってきたが
HomePageによる情報発信の必要性を感じて購入した一冊。
ちゃんと終わりまで読んだ情報関連の本としては実に数年ぶりの読書になる。
これは自分でも驚きだったけど読書録という事実が現しているので仕方ない。
すぐ戦略とか口にするクセに戦略で重要になる情報関連への対応が
怠惰だったことをすごく反省(^^;
まぁ、こうやって軌道修正できるのも読書録のおかげか?(負け惜しみ)
とりあえず乗り遅れを感じていたのでわざわざHTMLでなく
HomePage作成ソフトを前提にした本を読んでも良かったのだけど、
テクニック的なものよりもHTMLの概念や構造自体を
ちゃんと学ぶことに徹しようと思って、
HTMLを手書きで書くことを前提にするこの本を選んでみた。
内容は読むというよりこういう本のご多分に漏れず作業にエネルギーを費やしたが
コラムも充実していて構造や由来なども理解できる良いきっかけになった。
法学の本を読み始めた時もそうだったが不慣れな分野に取りかかる際には
本質的な構造や仕組みをざっと学べるものの方が良いみたいだ。

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2001 9/7
情報関連
まろまろヒット率3

照屋華子・岡田恵子 『ロジカル・シンキング-論理的な思考と構成のスキル』 東洋経済新報社 2001

これが“まろまろ読書会”メールマガジン初発行になります。
みなさんよろしくです(^^)

さて、第一回目は『ロジカル・シンキング-論理的な思考と構成のスキル-』
照屋華子&岡田恵子著(東洋経済新報社)2001年初版っす。

「論理的な伝え手」になることを目的として書かれた本。
最近、法律を勉強している僕は論理性について
正面から考える必要性を感じたので購入したビジネス書。
才能や経験ではなく努力でコミュニケーション能力を鍛えようという姿勢は
すごく共感できるし演習問題も多くて
論理性というものを考えるきっかけとしては良い本だと思う。

ただ、MECEやSo What?/Why So?などのマッキンゼーのやり方を
そのまま紹介しているだけなのはちょっとオリジナリティが足りない気がした。
この本で得られるものは『問題解決プロフェッショナル』(斉藤嘉則)で
十分得られるのだと思う。
良いネタを扱っているだけにこういうマイナスが目立つのが残念。

以下は特に重要だと思う箇所の要約・・・
☆「メッセージ」=”課題”+”その答え”+”相手に期待する反応”
の三つが揃っていること

☆コミュニケーションに入る前の確認・・・
1:”課題(テーマ)を確認する”
・いくら自分が重要だと力んでも相手がいま検討すべき課題と
 認識できなければ議論の土俵にすら登れない

2:”相手に期待する反応を確認する”
・コミュニケーションの後に相手からどのような反応を引き出せば
 そのコミュニケーションは成功と言えるのか予め答えを用意しておく
・反応の中身→理解、フィードバック、行動

☆「答え」=”結論”+”根拠”+”方法”のどれが欠けてもいけない

○どのような時も課題と答えが整合しているのがロジカルコミュニケーション

○結論に付帯条件を付けるのは注意→定量化&定性的具体化で明確にすべき

☆書いたり話したりしている時に具体的でないと感じたら
問題が具体的に解けていないと考えるべき
→具体的とは「そういうならお前が自分でやれ」と言われたときに
 答えを用意していること

○文書が回ってきたら読む前にその文書の目的と
自分に期待されている反応を把握する癖をつけるべき

☆「MECE」=”Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive”
=「ある事柄を重複も漏れもない部分集合に分けて捉える集合の概念」
→話の細部に入る前に伝え手側の答えの全体像とその構成部分を伝えられる

○二つのMECE・・・
・全体集合を完全に要素分解できるMECE
 →年齢、性別、地域など
・大きな重複と漏れがないという約束事のMECE
 →3C(Customer,Competitor,Company)、
  4P(Product,Price,Place,Promotion)など

○「グルーピング」=「言いたいことやネタをいったん洗い出して
結論に対するMECEな根拠、方法になるようタイトルづけし
全体の構造を見やすくする方法」

☆”So What?””Why So?”
・「So What?」=課題に照らした時に言えることのエキスを抽出したもの
・「Why So?」=So What?した要素の妥当性が要素によって
         証明されていることを検証する作業
・概念図・・・
    「課題」
↑So What? ↓Why So?
    「要素」

☆「論理」=結論と根拠、結論と方法が結論を頂点に縦方向には
So What?&Why So?の関係に横方向にはMECEの関係になっているもの

○論理パターンの留意点
・”並列型”→根拠や方法がMECEであること、MECEな切り口が相手を
      説得する上で妥当なもの
・”解説型”→事実が正しいこと、判断基準が明示され妥当な内容であること、
      事実・判断基準・判断内容の流れが一貫していること

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2001 8/31
問題対処法、作文指南、経営学
まろまろヒット率4

北川善太郎 『近未来の法モデル-近未来から現代を考えるー』 国際高等研究所選書 1999

NHK朝の連ドラ『ちゅらさん』を見て不覚にも感動している、
らぶナベ@でもほとんどの人には通じないので哀しいっす(T_T)

さて、『近未来の法モデル-近未来から現代を考えるー』北川善太郎著
国際高等研究所選書(1999年初版)。
そもそも法は社会的なトラブルに直接的に対処するための道具だけど、
システム契約やコピーマート、大量被害発生事件、DNA治療などのような
問題は今までの法概念では対処しきれていないと言われている。
それらをどう捉えるのかについて学際的に研究している
民法出身の研究者が書いたブックレット。

まだ研究途中だし分量の薄いブックレットということで
あまり突っ込んだ研究成果というのはなかったが、
まず近未来の法システムを考えて、
それを現代の問題に当てはめてみるという、
意欲的&科学的な手法を使っている点に興味を持った。

以下は興味をもった点の引用・・・
・重要なのははじめから法律問題が法律問題として取り上げられるのではなく
問題の発見と確定から始まり、その問題の解決を模索する過程で、
次第に法モデルに焦点が絞られることである。

・損害とは異なり被害はもともと法律概念では必ずしもなかった。
(中略)被害は、一定の利益について人の行為、物、自然現象に起因する、
期待と現実の不一致状態ということができる。

・事後救済では公式の解決方法と非公式の解決方法間に深い相関関係がある。
(中略)これを私は両者の共鳴現象といっている。

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2001 7/6
法学一般
まろまろヒット率3
法務 キャリア

司馬遼太郎 『歴史と視点―私の雑記』 新潮社 1980

らぶナベ@今回も我ながら暇人のような読書っす(^^;
さて、『歴史と視点-私の雑記-』司馬遼太郎著(新潮文庫)1980年初版。
僕は時々司馬さんの文章が無性に読みたくなることがある。
その物事の見方とか人物評や罪のない決めつけとかが好きなのだろう。
そんないつもの発作が起こった時に本屋で見つけたので 迷わず購入した歴史エッセイ。
そのもののタイトルから彼の視点についての考察を期待したが、
完全に歴史随筆であって「歴史と視点」ということなら、
前に読んだ『手掘り日本史』の方がはるかにこの点に重点がおかれていた。
ちょっとがっかりしたが、太平洋戦争当時に北関東守備の戦車部隊に
配属されていた彼自身のエピソードはすごく興味深かった。
東京湾から連合軍が上陸した際の南下迎撃作戦の説明を受けた時、
東京や横浜という人口集中地域を通るのに道路が空っぽという前提で
作戦の説明が終始したのに疑問を感じた司馬さんが、
「戦車が通る道路に人が溢れているのではないか?」と質問した。
将校はこんな質問については考えもしなかったらしく、
しばらく間があってから「轢っ殺してゆけ」と言ったというそうだ。
(「何のための迎撃作戦?」とはこの場合愚問のようだ)
この経験から沖縄戦で日本軍がおこなった住民への虐殺を、
一説で言われている沖縄だけの特殊な事情だったとは思えないらしい。
思想や権力を「善悪は別にして白昼のオバケ」と呼ぶ彼のスタンスの原点が
このエピソードに集約されているだろう。

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2001 7/1
エッセイ、歴史
まろまろヒット率3

我妻栄 『法律における理屈と人情』 日本評論社 1955

『レオン』ではゲーリー・オールドマンが一番カッコ良いと思っている僕は
とても少数派だということに気がついてショックを隠しきれない、
らぶナベ@ジャン・レノなんかよりずっと良い演技していたのでは??

さて、『法律における理屈と人情』我妻栄著(日本評論社)1955年初版。
以前、カメラマンから弁護士になった人が薦めていたのを思い出して
書店で見つけたときに思わず購入した一冊。
民法の世界ではとぉっても有名な学者さんが、
戦後まもなくおこなわれた新憲法&新民法啓蒙の公演をもとに書いた本。

内容は「法律における理屈と人情」(立命館大学で公演したもの)と、
「家庭生活の民主化」(税務庁で公演したもの)の二部構成になっている。
「法律における理屈と人情」の方は”理屈”=”一般的確実性”(法的安定性)と
“人情”=”具体的妥当性”とが法律解釈ではどのような関係になるのか、
どのように調整すべきなのかについて語っている。
以下は第一部の中にあったもののピックアップ&要約・・・
・法律論は理屈の筋を通して論理の枠を守り、
しかもその筋にそって人情と調和させることに務めなければならない。
(人情だけを前面に出して理屈を壊せばもはや法律論ではない)

・法律における理屈と人情を調和させる第一の手段は擬制(フィクション)。
法律の規定を大前提とし、事実を小前提として、結論を引き出すのだから、
大前提を動かすことができなければ、小前提を動かす。
結論の違ってくることは、いずれを動かした場合でも同じ。

・一般的確実性を崩さないで、しかも具体的妥当性について
できるだけ人情に適した結論を導きうるような解釈をすること。
その場合もっとも重要なことは、法律規定の存在理由、
立法理由にさかのぼってその規定を吟味すること。

☆(形式的解釈の重要性)現代社会は大きな精密機械のように個々の役割が
分化、絡み合っている。この個々の歯車が全体の構造も知らないで
一人で力んだところで機械を動かすことはできない。
まず複雑な機構を全部理解して形式的に判断すればどうなるかを理解する。
そうすれば全体の動きを止めないでしかも妥当な結論を出せるようになる。

・・・第二部の「家庭生活の民主化」の方はさすがに50年ちかく前に
書かれたものなので議論の前提である家族状況がかなり変化していて
しっくりとこない面が多いのだけど、最後のところで・・・
・家庭内の役割を夫だから妻だから子供だからということで、
かつての民法のように一概に法が分けるのはおかしい。
各自がそれぞれの才能と能力に応じて違う楽器を手にしながら、
しかも調和のとれた交響楽をかなでだす家庭が理想だ。
・・・としているところは役割分担という法の役割について、
彼なりに語っているところなので興味深かった。

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2001 6/26
法学一般
まろまろヒット率3
法務 キャリア