らぶナベ@すばらしい作品っ(*o*)
『ブラックジャック』全16巻・手塚治虫著(秋田文庫)2000年最終巻初版。
中学の頃から手塚作品は『火の鳥』や『ブッダ』など好んで読んできたが
なぜかこの作品はつい最近までちゃんと読もうという気持ちにならなかった。
映像化されたものを何度か観ることがあっても今回通して読んでみて
この作品が短編集だということを始めて知ったくらいに手つかずだった。
なぜこの本を通して読んでみようと思ったのか、
自分自身の気持ちに興味があるくらいだ。
読んでみると映像化ではマイルド化されている
この作品の暗い面ばかりが印象に残って仕方ない。
ブラックジャックの天才的な技術を持ってしてもバタバタと死んでいく人々、
たとえ助かったとしても決して救われることのない人々・・・
中には読むに耐えないくらい後味の悪い結末もある。
死亡率絶対100%である生命の寿命を一時延ばすことへの空しさ、
救われない心への哀しさという抽象的なテーマを外科手術という
具体的な演出でえがく手塚氏の手法に完全にはまってしまった。
インパクトのある場面場面で「もし自分が患者だとしたら」、
「もし自分がブラックジャックだったら」と振り返って
全巻読み通すのにずいぶん時間とエネルギーを使った。
そうした読むに耐えないほどの生々しいシーンには同時に
生命としての限界に立ち向かうことへの無力感に悩まされながらも
それでも立ち向かっていくブラックジャックの姿が常にある。
その彼の姿に言い知れない感動をおぼえる、
この感動こそがこの作品の最大の特徴なのではないだろうか?
よく医師(科学)、法律家(規範)、宗教家(真理)としての役割が
世の中のすべての役割の基本だということを聞くことがあるが
この作品が与えてくれる感動はその意味を直接考えるきっかけになった。
また、それは法外な報酬を要求して安易な正義感を振りかざさない
屈折した主人公を通してこその感動なのかもしれないとも思う。
解説の中に「ブラックジャックは手塚氏自身の姿じゃないのか?」
という興味深い問いかけがあった。
手塚氏がブラックジャックを無免許のままにしていたのは
『火の鳥』や『ブッダ』など人間の本質をえぐる作品を創りだしても
「しょせんは漫画じゃないか」と言って片づけられてしまう
中身の伴わない権威主義・先入観に苦しめられて来られたことへの
皮肉だという解釈があるようだ。
確かに医学博士の肩書きがあった彼自身がこの作品を世に出す際には
医学博士(高い評価)の書いた漫画(低い評価)という先入観のギャップが
起こるだろうと予想してそれに対する無言の批判を主人公に投影させた
という考えは面白い見方だなぁっと思った。
そして皮肉ではなく僕の読書録ではこの作品を「文学」カテゴリに置こう(^^)
2001 11/21
文学、マンガ、自然科学全般
まろまろヒット率5