F.John Odling-Smee、佐倉統訳 『ニッチ構築―忘れられていた進化過程』 共立出版 2007

「VOCALOID 初音ミク」はまさに革新的なソフトウェアだと思う、まろまろです。

さて、『ニッチ構築―忘れられていた進化過程』F.John Odling-Smee著、佐倉統訳(共立出版)2007。

生物は受動的に環境に適応するだけでなく、積極的にニッチ(生態的地位)を創る側面がある。
そんなニッチ構築(niche construction、ニッチコンストラクション)について体系的に書かれた本。
これまでのニッチ構築の理論的変遷や実例を紹介するだけでなく、人間科学への応用や進化論の拡張も言及している。

たとえば人間科学(人文・社会科学)の分野で進化理論があまり使われてこなかった理由は・・・
1:進化理論が提供するものが少なすぎる
2:適応主義の説明が単純過ぎる
・・・という2点だが、ニッチ構築はこれらを補うことができるので、自然科学と人間科学との間のかけ橋になる理論であると提唱している。
(第6章:人間のニッチ構築、学習、文化プロセス)

また、ニッチ構築は単なる進化の結果というだけにとどまらず、自然選択に次ぐ第2の主要な進化関与者だとして進化理論の拡張を提言している。
(第10章:進化理論の拡張)

このように単なる解説だけでなく、積極的な提言まで言及しているのでボリューミーな一冊になっている。

ちなみに、この本はたまたま一時上京した際に訳者からプレゼントされたので読んでみたものだけど、
ごく単純に「環境に適応しつつ環境を変えていく」という側面が柔術や合気道っぽくて気に入った(^_^)v
(よく考えたらHPやblogなんてニッチ構築みたいなものかも)

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○ニッチ構築の結果
・生態系エンジニアリング
・選択的環境を変化させて、重要な進化上の結果をもたらす可能性のあるフィードバックを生じさせる
・変更された選択圧という生態的継承を、子孫の集団に対して創出する
・生物と環境との動的な適応的適合に寄与できる第2のプロセスをもたらす
<第1章 はじめに>

○ニッチ構築
=生物体が現在の空間的、時間的位置において環境の因子を物理的に攪乱することにより、
あるいは別の時空的アドレスに移住し、したがって自らを別の因子にさらすことにより、
環境の1つまたは複数の因子を能動的に変化させ、それによって自らの特徴を環境因子との関係に変更を加える時に生じるもの
→ニッチ関数:N(t)=h(O,E)
<第2章 ニッチ構築の証拠>

○生物がニッチの環境因子や自身に作用する選択圧を変化させる方法
=攪乱(perturbation)と移住(relocation)の2種類
<第2章 ニッチ構築の証拠>

○ニッチ構築=個々の生物に生存と生殖のためのエネルギーと物質資源を十分に環境から獲得する機会を与える個体発生上のプロセス
<第4章 ニッチ構築の全般的な定性的特徴>

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2007 10/18
進化論、自然科学
まろまろヒット率3

織田作之助 『夫婦善哉』 講談社 1999

まろまろ@再び大阪に戻っています。

さて、『夫婦善哉』織田作之助著(講談社)1999。

貧乏な天ぷら屋の娘、蝶子は芸者になる。
美声で売れっ子になった蝶子は、妻子ある客の柳吉と恋に落ちる。
柳吉は妻も子供も捨てて蝶子と一緒になるが、新しい生活は多難の連続だった・・・

戦前の大阪を舞台にした1939年初版の織田作之助作品。
ちょうど、この題名の元になった法善寺横丁のぜんざい屋さんにいったことがあったので手に取った一冊。
(関西ごはんの記事)

読んでみると、けっこう悲惨な話なのにどこかユーモラスさが感じられる作品。
何をやっても柳吉のせいで失敗していくのに、それでも愛想をつかさない蝶子の姿が際だっている。
よくこんなダメンズ・ウォーカーとつきあうなと思うけど、それが人情ものの所以かもしれない。
近くにもある話だけに印象深かった。

大正から昭和初期にかけての大阪の人々の暮らしぶりがかいま見える一冊でもある。

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2007 10/9
小説
まろまろヒット率3

ウィトゲンシュタイン、野矢茂樹訳 『論理哲学論考』 岩波書店 2003

この本で読書日記500冊目になった、まろまろ@数の追求はしていないとはいえ一つの区切りを感じてます(^^)v

さて、『論理哲学論考』ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳(岩波書店)2003。

20世紀を代表する哲学者、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(ヴィトゲンシュタイン)の代表的著作。
原題は”Tractatus Logico – Philosophicus” (Ludwig Josef Johann Wittgenstein, 1922)。
前期ウィトゲンシュタインの考えをまとめたものだけど、そもそも著者の生涯で完成された著作はこの一冊のみ。

ウィトゲンシュタインと言えば、数々の伝説的なエピソードで知られている哲学者だけど、
実際に読んでみると確かにまずウィトゲンシュタインの孤高ぶりがよく伝わってきた。
「私がいっさい典拠を示さなかったのも、私の考えたことがすでに他のひとによって考えられていたかどうかなど、
私には関心がないからにほかならない」(序)
・・・と言い切っているところなどは彼の唯我独尊ぶりがある意味でまぶしい。

ウィトゲンシュタインはこの本を書いた頃(前期)の考えの誤りを後に修正するけれど、この本がすべて否定された訳ではない。
たとえば・・・
「哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままでいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。」(4.112)
・・・という部分などは、ウィトゲンシュタインの哲学に対する変わらないスタンスとして印象深い。

また、この『論理哲学論考』には初版からバートランド・ラッセルの解説がついていて、それが議論になったことでも知られるけれど、
日本語版は訳注が用語集としても書かれているので読む際の参考として役立った。

ちなみにこの本は、後にウィトゲンシュタインが博士号を取得するための博士論文として提出されている。
口頭試問の後に、試験官だったラッセルとムーア)の肩を叩いて、
「心配しなくていい、君たち理解できないことは分かっている」と言ったという伝説も含めて、
哲学書としてだけでなく一つの生き様を表現した本としても読める一冊。

以下はその他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・・

○およそ語られうることは明晰に語られうる
→論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない
<序>

○命題の意味を特徴づける命題の各部分を、私は表現(シンボル)と呼ぶ
→表現は形式と内容を特徴づける
<3.31>

○値の確定がシンボルの記述にすぎず、それが何を表しているかには触れないということ、
値の確定にとって本質的なのはこのことだけである
<3.317>

○定義とは、ある言語から他の言語への翻訳規則である
<3.343>

○確率とは一般化にほかならない
<5.156>

○世界の意義は世界の外になければならない
→世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる
→世界の中には価値は存在しない
<6.41>

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2007 10/8
哲学、論理学、言語学、記号論
まろまろヒット率4

栗原はるみ 『もう一度ごちそうさまがききたくて。―ちかごろ人気の、うちのごはん140選』 文化出版局 1994

久しぶりに弊社のコンテンツ創造に顔を出すと、「一万年と二千年前から愛してる♪」と口ずさんでいる人が多かった、
まろまろ@「あなたと合体したい」というやつですな(^^)

さて、『もう一度ごちそうさまがききたくて。―ちかごろ人気の、うちのごはん140選』栗原はるみ著(文化出版局)1994。

ベストセラー・レシピ集『ごちそうさまが、ききたくて。―家族の好きないつものごはん140選』の第二弾。
前作と同じく140種類のレシピが紹介されている。
著者らしさを感じたのは、たれ・ソースの種類が豊富に紹介されている点、
著者の母親のレシピも取り上げている点、食器についても丁寧に取り上げている点などだろうか。

具体的なレシピとしても・・・
・チリソースに卵を入れる
・バジルスパゲティには昆布茶を入れる
・・・などはやってみると確かに美味しかった(^^)v

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2007 10/7
料理本
まろまろヒット率3

大場つぐみ・小畑健 『DEATH NOTE(デスノート)』 集英社 全12巻 2004

ふと数えてみたらもうすぐ読書日記がキリのいい数になる、まろまろです。

さて、『DEATH NOTE(デスノート)』大場つぐみ・小畑健著(集英社)全12巻2004。

ある日、名前を書くとその人が死ぬというDEATH NOTEを死神が人間界に落とした。
そのノートを拾った主人公、夜神月は犯罪の無い世界を創るため、KIRA(キラ)と名乗り犯罪者たちを裁いていく。
そこに突如、謎の探偵L(エル)が立ちふさがる。
DEATH NOTEを使って新世界の構築を目指すKIRAと、KIRAの正体をつきとめて止めようとするLの頭脳戦がはじまる・・・

週刊少年ジャンプ連載とは思えない骨太な演出とトリックが特徴的な人気漫画。
読んでみると、頭脳戦の緊張感があったのは前半までで、中盤以降は妙に退屈だった。
結末自体は何となくしっくり来たけれど、それに至るまでのトリックは「なんじゃそりゃ」という感じで白けてしまった。

ただ、前半は確かにおもしろくて、特に月とLとがテニスのラリーをしながらお互いの出方を予想し合う場面(第3巻)が一番印象深い。

ちなみにこの本を読む前に「まろまろさんって頭の良くないLっぽいですよね」と言われたことがある。
読み終えた今、それって存在価値がないということが判明(涙

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2007 9/29
マンガ
まろまろヒット率3

イケダケイ 『全力ウサギ』 メディアファクトリー 2006

まろまろ@まろみあんでミスインターナショナルの日本代表ファイナルに残っている人がいるので、よかったらネット投票してあげてくださいな。

さて、『全力ウサギ』イケダケイ著(メディアファクトリー)2006。

ある工事現場で働くウサギたちの中に、ミナライと呼ばれるウサギがいた。
すべてのことに全力で取り組むミナライは、かつては癒し系のウサギだった過去があった。
自分で眉毛を描くことで脱力系ウサギは全力ウサギとして現場に出る・・・

「何かとうさぎに縁がある」とサイトで言うと、まろみあんから薦められた本の一つ。
何をするにも全力投球なウサギたちの絵本。
それぞれが抱えている人生模様をかいま見せながら、全力で生きるウサギたちが活き活きとえがかれている。
キャラクターも可愛いので人気なのもうなずける一冊。

ただし、最後は妙に説教くさいのが玉に瑕かも。

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2007 9/28
絵本
まろまろヒット率3

エピクロス、出隆・岩崎允胤訳 『エピクロス―教説と手紙』 岩波書店 2002

まろまろ@気がつけば最近はジョミニといいエピクロスといい、主流派にならなかった人たちの本をよく読んでいます。

さて、『エピクロス―教説と手紙』エピクロス著、出隆・岩崎允胤訳(岩波書店)2002。

ストア派のゼノンと共にヘレニズム時代を代表する哲学者として知られる、
エピクロス派を立てたエピクロス(エピキュロス)の手紙と教説を集めたもの。

もともとエピクロスの書いたもので現存するものは少なくて、
この本も三つの手紙:「ヘロドトス宛」、「ピュトクレス宛」、「メノイケウス宛」と、
「主要教説」、「断片」に、解説「エピクロスの生涯とその教説」を加えたものから構成されている。

内容は、エピクロスがもっとも重視した”快”について・・・
「快とは祝福ある始めであり、終わりである(中略)快を出発点としてすべての選択と忌避を始め、
またこの快を基準としてすべての善を判断することによって立ち帰る」(メノイケウス宛の手紙)
・・・と述べているように快がすべての基準になることを強調している。

ただし、快といっても一時的な快楽のことではなくて・・・
「快とは苦しみが全く除き去られることである」(主要教説)
「正義の最大の果実は、心境の平成である」(断片)
・・・という風に、苦しみや悩み、煩わしさが取り除かれた状態のことを指している。

また、その達成のためには・・・
「思慮深く美しく正しく生きることなしには快く生きることもできず、
快く生きることなしには思慮深く美しく正しく生きるということもできない」(主要教説)
・・・として、思慮・高潔さ・公正の大切さを強調している。

ただ、今でもエピキュリアン(epicurian)とは享楽主義を指すように、
エピクロスは快楽主義者で、酒池肉林の享楽の中で死んだという誤解がある。
享楽主義的な哲学者という俗説もそれはそれで格好良くはあるけれど、
実際の彼の哲学はあくまでも、苦痛がない状態、平安な状態を求めることにある。

たとえば・・・
「他の人々からの賞賛は、招かずして、おのずから来るべきものであって、
われわれとしては、われわれ自身の癒されることにこそ専念すべきである」(断片)
「わずかなもので十分と思わない人には十分なものは存在しない」(断片)
「人は恐怖のために、あるいは際限のない欲望のために不幸になる
だが、もしこれらに手綱をつけるならば、祝福された思考を自分自身に勝ち取ることができる」(断片)
・・・などは彼の哲学を表現しているものとして印象深かった。

ちなみに・・・
「多くの人間にとって、休息は気抜けにより、活動は気違いによる」(主要教説)
・・・という部分には思わず笑ってしまった(w

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2007 9/25
哲学書
まろまろヒット率3

アントワーヌ=アンリ・ジョミニ、佐藤徳太郎訳 『戦争概論』 中央公論新社 2001

家族の関係もあって大阪にいるけれど、再び復興支援オフ会の依頼が来たので一時上京の際に主催することになった、
まろまろ@遠隔地からオフ会準備というのも情報通信の発達のおかげですな(今さらだけど^^;)

さて、『戦争概論』アントワーヌ=アンリ・ジョミニ著、佐藤徳太郎訳(中央公論新社)2001。

19世紀、ナポレオン戦争の時代を生きた著者による兵学書。
同時代人であるクラウゼビッツの『戦争論』と同じく戦略論の古典として読み継がれている本だけど、
原著はフランス語、さらにこれまで日本語訳も無かったので、今回はじめて読むことになった一冊。
(この点でも日本ではポピュラーなクラウゼビッツとは対照的)

読んでみると、本文よりもやはり著者のジョミニの経歴の方に興味を持った。
スイスに生まれ、フランスに渡ってナポレオンの幕僚になり、次にロシアに転向してナポレオンと戦う立場となって、
後にロシア士官学校の設立に尽力、最後は90歳で大往生をとげているというまさに波乱の人生。
特にナポレオン戦争の期間中、前半はナポレオン陣営として、後半は敵陣営として両方の立場を経験しているのは興味深い。

そんな著者だけど、読んでみると本論で展開されいている「内戦作戦」・「外線作戦」などは、
ナポレオンよりもフリードリッヒ大王の影響を強く受けているのが伝わってくる。
加えて、クラウゼビッツへの批判がよく出てくるのだけど、
その度に皮肉的な表現になっているところが著者の性格がかいま見えて微笑ましかった(w

また、彼の理論が幾何学的すぎるという批判に対しては・・・
「戦争はこれを全体として見た場合は科学(science)では無くて術(art)である」
「理論が、あらゆる場合に人のなすべきことを数学的正確さで教えてくれるものではないにしても、
避けられるかもしれない過誤を絶えず指摘してくれるもであることは確か」
・・・などと反論している(第8章)のも印象深い。

最後に付録「ジョミニについて」がついているので、この本を取り巻く戦略理論の系譜も書かれてある点は理解に役立った。
特にジョミニの理論のアメリカ軍への影響(マハンなど)はなるほどと納得。
ただし、和訳はかなり読みにくかった。

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2007 9/24
戦略論
まろまろヒット率3

司馬遼太郎 『新選組血風録』 角川書店 2003(新装)

大阪の交通事情は激しいので、自転車で思わず千の風になりそうになった、まろまろです。

さて、『新選組血風録』司馬遼太郎著(角川書店)2003(新装) 。

新選組の隊士たちのエピソード15編を集めた短編集。
同じ著書の『燃えよ剣』は読んだことがあるけれど、
この本はまだ読んだことが無かったので手に取った歴史小説。

読んでみると、新選組ものらしく内部粛正を中心とした陰惨な話が多い。
そんな中でも長坂小十郎を主役にした「海仙寺党異聞」は救いのある話として印象に残った。

また、観察役の山崎蒸は、彼を主役にした「池田屋異聞」だけでなく、
全編を通して登場回数が多くてて著者が気に入っているのが伝わった。

著者なりの脚色があることで知られている本だけど、その分、文章に迫力を感じる一冊。

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2007 9/18
歴史小説
まろまろヒット率3

ガース・ウイリアムズ、まつおかきょうこ訳 『しろいうさぎとくろいうさぎ』 福音館書店 1965

うさぎには何かと縁が深い、まろまろ@顔もうさぎ顔と言われます(^_^)v

さて、『しろいうさぎとくろいうさぎ』ガース・ウイリアムズ文・絵、まつおかきょうこ訳(福音館書店)1965。

白うさぎと黒うさぎの二匹のうさぎは、森で仲良く暮らしていた。
ある日、黒うさぎは何をしても哀しそうな顔をして考え込むようになった。
心配した白うさぎの問いかけに、黒うさぎはその理由を応える・・・

『ピーターラビットのおはなし』を読むと、「この本もぜひ読んでください!」とまろみあんからすすめられたうさぎ本。
読んでみると、一切のひねりがない実に直球勝負なラブストーリーだった(w
精密なタッチで毛の一本一本まで描かれている絵も見所の一つ。

ちなみに原題はこれまた実にストレートに“The Rabbits’ Wedding”だったりする。

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2007 9/17
絵本
まろまろヒット率3