エピクロス、出隆・岩崎允胤訳 『エピクロス―教説と手紙』 岩波書店 2002

まろまろ@気がつけば最近はジョミニといいエピクロスといい、主流派にならなかった人たちの本をよく読んでいます。

さて、『エピクロス―教説と手紙』エピクロス著、出隆・岩崎允胤訳(岩波書店)2002。

ストア派のゼノンと共にヘレニズム時代を代表する哲学者として知られる、
エピクロス派を立てたエピクロス(エピキュロス)の手紙と教説を集めたもの。

もともとエピクロスの書いたもので現存するものは少なくて、
この本も三つの手紙:「ヘロドトス宛」、「ピュトクレス宛」、「メノイケウス宛」と、
「主要教説」、「断片」に、解説「エピクロスの生涯とその教説」を加えたものから構成されている。

内容は、エピクロスがもっとも重視した”快”について・・・
「快とは祝福ある始めであり、終わりである(中略)快を出発点としてすべての選択と忌避を始め、
またこの快を基準としてすべての善を判断することによって立ち帰る」(メノイケウス宛の手紙)
・・・と述べているように快がすべての基準になることを強調している。

ただし、快といっても一時的な快楽のことではなくて・・・
「快とは苦しみが全く除き去られることである」(主要教説)
「正義の最大の果実は、心境の平成である」(断片)
・・・という風に、苦しみや悩み、煩わしさが取り除かれた状態のことを指している。

また、その達成のためには・・・
「思慮深く美しく正しく生きることなしには快く生きることもできず、
快く生きることなしには思慮深く美しく正しく生きるということもできない」(主要教説)
・・・として、思慮・高潔さ・公正の大切さを強調している。

ただ、今でもエピキュリアン(epicurian)とは享楽主義を指すように、
エピクロスは快楽主義者で、酒池肉林の享楽の中で死んだという誤解がある。
享楽主義的な哲学者という俗説もそれはそれで格好良くはあるけれど、
実際の彼の哲学はあくまでも、苦痛がない状態、平安な状態を求めることにある。

たとえば・・・
「他の人々からの賞賛は、招かずして、おのずから来るべきものであって、
われわれとしては、われわれ自身の癒されることにこそ専念すべきである」(断片)
「わずかなもので十分と思わない人には十分なものは存在しない」(断片)
「人は恐怖のために、あるいは際限のない欲望のために不幸になる
だが、もしこれらに手綱をつけるならば、祝福された思考を自分自身に勝ち取ることができる」(断片)
・・・などは彼の哲学を表現しているものとして印象深かった。

ちなみに・・・
「多くの人間にとって、休息は気抜けにより、活動は気違いによる」(主要教説)
・・・という部分には思わず笑ってしまった(w

この本をamazonで見ちゃう

2007 9/25
哲学書
まろまろヒット率3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です