佐藤俊明 『心にのこる禅の名話』 大法輪閣 2004

お風呂好きなので温泉銭湯をめぐっている、らぶナベ@調べてみると東京には温泉銭湯が多くてびっくりです。

さて、『心にのこる禅の名話』佐藤俊明著(大法輪閣)2004。

禅の有名な公案や法話を紹介している一冊。
著者は曹洞宗の僧侶なので、曹洞宗のエピソードが多い。

中でも面白かったのが「貞鈞と夫婦喧嘩」という話しだ。
ある駄菓子屋の夫婦が「殺す」、「じゃあ殺せ」などの大喧嘩で一触即発になっていた。
通りかかった貞鈞和尚はその夫婦の店の駄菓子を店先にぶちまけて「お菓子のつかみ取りだ!」と子供達に呼びかけた。
慌てる夫婦に対して「女房は殺されるし人殺しの亭主は処刑される、
この世の別れに菓子をふるまって功徳を積むからありがたいと思え」と言い放って夫婦喧嘩を止めさせたという。
建前の衝突を本音の部分を突くことによって解消したエピソードとして印象に残った。

ただ、「禅問答」というくらいだから、全体的に理屈っぽく感じるものもあった。
禅の話は言葉や理論の空虚さを指摘するものが多いけど、それを言葉で伝えるというのは不可思議な感じもした。
思うに、言葉や文字にすれば何だって理屈になるのかもしれない。

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2006 4/7
宗教、仏教、禅(曹洞宗)
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落合務 『イタリア食堂「ラ・ベットラ」のシークレットレシピ』 講談社 1999

暖かくなったのでそろそろキッチンに立とうと思う、
らぶナベ@パスタのレパートリーを増やすのが目標です(^_^)v

さて、『イタリア食堂「ラ・ベットラ」のシークレットレシピ』落合務著(講談社)1999。

料理好きの友達が紹介してくれたイタリアンの名店”LA BETTOLA”のレシピ集。
レシピの行間に注目して書かれている一冊。

たとえば水を重視して「スープやリゾット、煮込みにブイヨンは使わない」ことや、
パスタを茹でるときは「お澄ましより濃いめの塩加減」とすること、
さらには肉や魚のソテーには「オリーブ油でなくサラダ油を使う」など見落としがちになることが書かれてある。
こうしうたコツの他にも落合シェフのイタリア修業時代のエピソードも書かれてあって人柄が伝わる一冊でもある。

ちなみにこの本はわかりやすいように重要な箇所には最初からマーカーが引かれてある。
図書館(本郷の真砂中央)で借りたものなので、誰かが引いたものと勘違いしてしまった(^^;

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2006 4/6
料理本、イタリア料理
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追記:ラ・ベットラには約3年後に初訪問

江頭進 『進化経済学のすすめ―「知識」から経済現象を読む』 講談社 2002

せっかく言問通りの近くに引越したんだからと「谷根千」を開拓しようと思っている、
らぶナベ@おススメスポットやお店情報あれば教えてくださいな。

さて、『進化経済学のすすめ―「知識」から経済現象を読む』江頭進著(講談社現代新書)2002。

タイトル通り進化経済学の概要書だろうと思って手に取った一冊。
確かにスペンサーやハイエクの紹介などはされているけど、進化経済学の定義や概要が曖昧で、
その上に後半部分はタイトルとあまり関連しない内容のような気がした。

通し読みした中で目にとまったのは「ラマルク、マルサス、ダーウィン、メンデルなどの近代進化論の源流を作った人々は、
みなキリスト教関係者だった」(第1章:進化する社会)というところだ。
単なる歴史の皮肉なのか、それとも何か理由があるのかに興味を感じた。

以下、チェックした箇所(一部要約)・・・

○制度=人々の行動をルーチン化することによって近未来の不確実性を現象させるもの
企業家精神=近未来の不確実性に対して直接向かい合うもの」
<プロローグ>

○進化論とは事後的な視点から、淘汰された理由を考える学説であることはしばしば見過ごさている
→ただしくダーウィン的進化論を理解すれば、生き残ったものが合理的か否かは語ることができず、
生き残ったものが単に環境変化に対して中立的であったということが言えるだけ
<第1章 進化する社会>

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2006 4/5
進化経済学
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おかだの「唐揚げ定食」

唐揚定食・・・っと言っても鶏肉ではなく豚ロース肉を使っているのが特徴的な唐揚げ。
衣も独特な食感がする一品。
後楽園・春日町交差点(東京都文京区小石川1-1-1)の「こんかつ おかだ」にて。

マイケル・ギボンズ、小林信一監訳 『現代社会と知の創造―モード論とは何か』 丸善 1997

ごはん日記にコロッケそばコンテンツをアップしたら、「揚げたてではダメなのです!」などの熱いメールが複数寄せられた、
らぶナベ@立喰師列伝にはまだまだ入れないようです(^^;

さて、『現代社会と知の創造―モード論とは何か』マイケル・ギボンズ編著、小林信一監訳(丸善出版)1997。
原題は“The New Production of Knowledge: The Dynamics of Science and Research in Contemporary Societies”(1994)。

前からペラペラと飛ばし読みしたことはあったけど、最近になってWeb2.0などのネット進化の議論で
引用されてるのを見かけることが増えたので通し読みしてみた一冊。

現在、知的生産の方法が大きく変化している。
この本では、その科学技術活動のモード(様式)についての議論をしている。
ディシプリンの内的論理で研究するこれまでの知識生産様式をモード1、
社会に開放された新しい様式をモード2と分類して、その背景や意義を述べている。

解説に書かれてあるように、やっつけ仕事を感じるところや無理やり感がある部分もあるけど、
初版から10年以上たったいまでもこの本が提言したモード2の動きは変わっていない。
たとえばネット上での動きはまさにモード2のものだし、「お行儀の悪い」様式がますます存在感を増してきている。
そんな僕もお行儀の悪い方に分類されているんだろうなと思いながら読み終えた。

ちなみにかなり長い序章(30ページ)を読めばそれで十分内容がわかるようになっている。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○クーンのパラダイム論では個々のディシプリンの内部の研究活動を規定するパラダイムの存在を考えた
→ギボンズのモード論では、個別のディシプリンを超えて、あるいは科学技術の研究活動を超えて、
知的な生産活動全体を規定するモードが存在していると考える
<転機に立つ「科学技術と社会」―日本語版の解説にかえて―>

☆トランスディシプリナリティの四つの側面・・・
1:明確な、しかし進化する問題解決の枠組を発展させる
2:解は経験的要素と理論的要素の両方を含み、それはまぎれもなく知識への貢献
3:モード1では制度的な経路を通じて成果が伝達されるが、モード2では成果は参加者が参加している最中に伝えられる
4:ダイナミックであり、流動的な問題解決能力
<序章>

☆本書の核心は、供給サイドにおける潜在的な知識生産者の拡大と、
需要サイドの専門知識に対する要求の拡大が同時並行的に起こっていることが、
知的生産の新しいモードの出現の条件を生み出しているということ
<序章>

○モード2はコミュニケーションが決定的に重要
→知識を利用するためには知識生産に参加しなければならない
<序章>

☆科学は動的にいつも複雑で変化に富んだプロセスで社会を形成したり、また社会によって逆に科学が形作られたりしている
→科学が取り組む可能性のある問題の幅は際限なく大きく、それゆえ研究課題は純粋に知的な言葉では理解しえない
<第一章 知識生産の進化>

○科学は、技術的な規範と社会規範との緊密な相互作用を含む高度に構造化された一連の活動
<第一章 知識生産の進化>

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2006 3/6
科学哲学、技術社会論、研究様式論
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ジョナサン・スペンス、小泉朝子訳 『毛沢東』 岩波書店 2002

ネット上のどM男の集いでは荒川静香選手が大人気と聞いた、らぶナベ@あの顔でなじられたいそうですな(-_-)

さて、『毛沢東』ジョナサン・スペンス著、小泉朝子訳(岩波書店)2002。

中国近現代史研究の第一人者が書いた毛沢東の伝記(ペンギン評伝双書)。
毛沢東の評伝は極端すぎるものが多い。
もともと評価が難しいというのもあるし、まだ彼の影響が残っているというのもあるんだろう。
たとえば単なる恨み辛みだけで書かれてあるような評伝もある。
そこで欧米人で歴史研究者という、少し冷静になれる立場の著者が書いたこの本を手に取ってみた。

内容は有利な出自でもなく、特別才能に恵まれていたわけでもない毛沢東が、なぜ最高指導者になり、長期間地位を維持できたのか?
この疑問を軸にして毛沢東の人生を追いかけている。
その理由を著者は中世ヨーロッパの「無秩序の王様」を引き合いに出して・・・
「(毛沢東は)本来ならば期間限定の概念(無秩序の王様)を激動期の中国にあてはめ、耐用期間を引き延ばし、
長く退屈な冒険に仕立てあげることに成功した。これが毛沢東の恐ろしさである」としている。

ただ、この本でもまだ「なぜ毛沢東が?」という疑問の答えは得られなかったような気がする。
歴史の「なぜ?」の答えなんて永遠に得られないかもしれないけど、
これからも新しい資料が出てくると思うので研究が進むことを期待したい。

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2006 2/28
歴史
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FPN・徳力基彦・渡辺聡・佐藤匡彦・上原仁 『アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから』 翔泳社 2005

決して一見さんお断りでも秘密主義でもないのに、ありえない入り口で分かっていないと絶対に入れない神楽坂のBarに行く機会が多い、
らぶナベ@でも飲むのはマリブ・ミルクだす。

さて、『アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから』FPNほか著(翔泳社)2005。

影響力あるブロガーという意味のアルファブロガー11人に対するインタビュー集。
僕はWEBマスターやブロガーたちへのインタビュー本を読むのが好きだ。
ネットで起こっていることを考えたり自分の活動を振り返るには、よくまとまった理論を聞くより、
まとまっていなくても生々しい熱を持った表現者たちの感想や意見を聞く方が参考になることが多いからだ。

この本は副題が仰々しすぎる気もするけど、情報発信者たちの生の声には迫力があった。
たとえば「裏がわかっているメディアの情報は役に立つけど、裏がどこにあるかわからないメディアの情報っていうのはあんまり意味がない」
(R30「R30」http://shinta.tea-nifty.com/nikki/)というのは、自分で情報を発信してみて初めて実感できることだけに説得力があった。

ちなみにこの本は企画段階から、アルファブロガーを選び出すアンケート項目がいまいちだったとか、
組織票があったのではないかとか、そもそもアルファブロガーの定義が曖昧だなどが問題点として取り立たされた。
まず出すことの意味があるんだろうし、僕としてはあまり興味がない話題なのに巻き込まれそうになってこまっちんぐな事もあったけど、
でも、それはブログというものが普及した証拠なんだろう。
これまでのWEB表現者たちへのインタビュー本、たとえば『個人ホームページのカリスマ』『テキストサイト大全』などが出た頃よりも
情報発信者が広範囲に増えたからこそ問題視されるんだと感じた。

WEBマスター、サイト管理人、そしていま流行のブロガーと、呼び名は変わっても、
WEB上で表現をしている人たちの苦心と楽しみがありありと伝わってくる一冊。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○負のエネルギーを出してそれに自分が巻き込まれるのは嫌 (だから悪いことは書かない)
コグレマサト「ネタフル」http://netafull.net/

○表立った対話でなくても、なんとなく関心を寄せ合うようなブログだと、この人は今こう考えているなどというのはわかる
→この感じはブログ特有のもので、一種の連帯感
finalvent「極東ブログ」http://finalvent.cocolog-nifty.com/

○思いっきり主観が入ったコンテンツにものすごくアクセスが多くて、
逆に雑誌のまんまのスタイル(略)ファクトだけを積み上げたコンテンツというのが、がっかりするほど読まれない
R30「R30」http://shinta.tea-nifty.com/nikki/

○「僕はこう思うんだけど」というところで止まるのが既存のメディアなんだけど、
その後の「みんなどう思う?」っていうフィードバックにつなげられるのがブログの面白いところ
R30「R30」http://shinta.tea-nifty.com/nikki/

☆裏がわかっているメディアの情報は役に立つけど、裏がどこにあるかわからないメディアの情報っていうのはあんまり意味がない
R30「R30」http://shinta.tea-nifty.com/nikki/

☆独り言のつもりで書いていたら、多く読まれるようになった→トラフィックの多いブロガーは、みなさん、そんなスタイルですね
磯崎哲也「isologue」http://tez.com/blog/に対するイタンビュワー発言

○ブログは得たいの知れない複雑なことを説明する最高の媒体
磯崎哲也「isologue」http://tez.com/blog/

☆(ブログを続けることとミームとの関係で)自分の意識を残す技術が発明されるまではおそらく生きられない私が、
私の何かを残したいっていうか、自分の持っている考えを散らばせたいという欲求の発露かもしれない
磯崎哲也「isologue」http://tez.com/blog/

○情報をパーツ化すれば崩れにくい
橋本大也「情報考学 Passion For The Future」http://www.ringolab.com/note/daiya/

○伸びているサービスに共通して言えるのが、ホームグラウンドで連帯意識を持っているということ
山本一郎「切込隊長BLOG」http://kiri.jblog.org/

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2006 2/20
情報・メディア、HP・ブログ本
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野中郁次郎・戸部良一・鎌田伸一・寺本義也・杉之尾宜生・村井友秀 『戦略の本質―戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』 日本経済新聞社 2005

今ある資源を最大限活用するのは戦略の基本だと思って、ごはん日記コンテンツを再編して文京ごはんを新たに展開した、
らぶナベ@ぷち情報戦略論です(^_-)→http://maromaro.com/archive/gohan/bunkyo/

さて、『戦略の本質―戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』野中郁次郎、戸部良一、鎌田伸一ほか著(日本経済新聞社)2005。

名著『失敗の本質』と同じスタッフによる戦略本。
太平洋戦争での旧日本軍の失敗を研究した『失敗の本質』では、旧日本軍の失敗の本質は進化論的な過剰適応にあるという結論だった。
では、逆に「成功した戦略の本質は何だろうか?」というテーマで出されたのがこの『戦略の本質』。

内容は、まず解釈的アプローチ(クラウゼビッツなど)と分析的アプローチ(ジョミニなど)の対比を通しながら、これまでの戦略論の系譜をひもといている(第1章)。
次に、戦略の本質が明確化するのは逆転の場面だとして、毛沢東の反「包囲討伐」戦(第2章)、バトル・オブ・ブリテン(第3章)、
スターリングラードの戦い(第4章)、朝鮮戦争(第5章)、第四次中東戦争(第6章)、ベトナム戦争(第7章)を事例研究して、
逆転を可能にした戦略の共通点をあらいだし(第8章)、10の命題を結論づけている(終章)。

読んでみて、確かに20世紀の戦史上の逆転劇を振り返ってみれば、
そこには不利な状況をくつがえした戦略のきらめきが垣間見られる。
そうした逆転の戦略はどれも、自分の不利な点を逆に利用し、いわば「出汁」に使って有利な状況を導き出している。
そのためには大きな視野での逆転の発想が必要だし、何よりも大きな決断が必要になる。
そこで戦略の本質である逆転の場面には決断を下したリーダーたちのリーダーシップが際立つ。
だから戦略の本質をリーダーシップ、いわば政治的判断&決断に置いたこの本の視点には納得できた。

ただ、前作の『失敗の本質』と比べると、事例研究の深さ、結論の明確さ、全体の説得力などに不満を覚えてしまった。
『失敗の本質』があまりに良すぎたからそう感じるのか、もしかしたら「失敗には理由があるが、成功には理由がない」ということなのか・・・
とにもかくにもとても興味深いテーマなので同じスタッフによる続編に期待したい。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○戦いの原則は、戦略の本質そのものではなくて、その本質から派生し特定の状況に適応された、戦略の具体的応用
<第1章 戦略論の系譜>

○戦略とは(略)二つの対立する意志の弁証法のアート(術)である(アンドレ・ボーフル)
<第1章 戦略論の系譜>

○戦略の本質は対立したものを合一し、時には転倒させる逆説的論理(エドワード・ルトワク)
<第1章 戦略論の系譜>

○戦略の本質を考えるにあたって重要なのは、各位相関に埋め合わせ(compensation)が成り立つこと(コリン・グレー)
<第1章 戦略論の系譜>

☆戦略は、何らかの政治目的を達成するための力の行使であるので、対立する意志を持つ敵との相互作用がダイナミックに展開される
→それゆえ戦略の各レベルでは逆説的論理が水平的かつ垂直的に作用する
→さらに戦略はいくつかの位相から成る複雑系の性質を有し、その位相間の相互関係の変化に応じて具体的な表れ方が異なってくる
<第1章 戦略論の系譜>

○毛沢東は戦争という現象を「対立統一」という弁証法の原理でとらえ、戦争の基本的な矛盾は敵と我との矛盾であるとした
→この矛盾は戦争の過程の始めから終わりまで存在するので、双方の主観指導の正しさまたは誤りによって、強から弱へ、弱から強へと変化する
→このような強弱の相互転化は戦争の一般原理なのであり、したがってこのような矛盾関係を創造的に解消しなければならないとした
<第2章 毛沢東の反「包囲討伐」戦―矛盾のマネイジメント>

○毛沢東の考える根拠地は空間的限界を突き破ってダイナミックに動く存在であって、それゆえに潜在的な増幅力をもつ
<第2章 毛沢東の反「包囲討伐」戦―矛盾のマネイジメント>

○メタファーは直感的・象徴的言語であるから、人々に生き生きとしたイメージを喚起し、理解を促進させ、
そして動機づけると同時に現実との対比からの類似性のみならず、ずれやギャップを克服するための思考も活性化させる
→メタファーの活用は、組織における価値の共有と創造性開発のリーダーシップ要件とも考えられる
<第2章 毛沢東の反「包囲討伐」戦―矛盾のマネイジメント>

○毛沢東にとっては直接的な実践は創造の源泉であって、実践-認識-再実践の無限の環境のなかで知識が獲得されていくのである
<第2章 毛沢東の反「包囲討伐」戦―矛盾のマネイジメント>

○戦いの原則・・・
目標の原則 (The Objective)
主導の原則 (The Offensive)
集中の原則 (Mass/Concentration)
経済の減速 (Economy of Force)
統一の原則 (Unity of Command)
機動の原則 (Maneuver/Flexibility)
奇襲の原則 (Surprise)
簡明の原則 (Simplicity)
保全の原則 (Security)
<第8章 逆転を可能にした戦略>

○直接アプローチは量的な大きさが質的な差を吸収しうるということを前提にしているが、
間接アプローチは死す的な差が量的な大きさを超越することができるということを前提にしている
→直接アプローチは規模の経済の論理が決定的な意味を持ち、
間接アプローチは的確な情報見積もりや状況判断、創造的な作戦計画、練度の高い軍事組織と作戦行動が重要
<第8章 逆転を可能にした戦略>

☆戦略は、各々独立した意図を持つ主体間の相互作用である
→作用-反作用の因果連鎖が逆説的であり、非線形的であるがゆえに主体間の相互作用はダイナミックなものとなる
<第8章 逆転を可能にした戦略>

☆戦略論の分析的アプローチと解釈的アプローチは相互補完の関係にあって、主観と客観の往環運動を通じて複眼的に真実に迫ることが基本なのである
<終章 戦略の本質とは何か―10の命題>

☆戦略の10の命題
1:戦略は「弁証法」である
2:戦略は真の「目的」の明確化である
3:戦略は時間・空間・パワーの「場」の創造である
4:戦略は「人」である
5:戦略は「信頼」である
6:戦略は「言葉」(レトリック)である
7:戦略は「本質洞察」である
8:戦略は「社会的に」創造される
9:戦略は「義」(ジャスティス)である
10:戦略は「賢慮」である
<終章 戦略の本質とは何か―10の命題>

☆あらゆる戦略は真空で生起するのではなく、一定の歴史的時間と地理的空間の制約のなかでパワーを
有効かつ効率的に発揮するというダイナミックな関係性として具現化される
→時間、空間、パワーの関係性をコンテクストと言う
<終章 戦略の本質とは何か―10の命題>

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2006 2/18
戦略論、戦史研究、リーダーシップ論、政治学、組織論、経営学
まろまろヒット率4

シュテファン・ツヴァイク、片山敏彦訳 『人類の星の時間』 みすず書房 1996(原著1943)

温泉&銭湯好きなので新コンテンツとして「ぷかぷかお風呂(仮)」をつくろうかと思っている、
らぶナベ@どういったものがいいかご意見募集中です。

さて、『人類の星の時間』シュテファン・ツヴァイク著、片山敏彦訳(みすず書房)1996(原著1943)。

『ジョゼフ・フーシェ』などの伝記小説の名作を残している著者が書いた歴史的瞬間のエピソード集。
「人類の星の時間」の意味は「時間を超えてつづく決定が、或る一定の日附の中に、或るひとときの中に、しばしばただ一分間の中に圧縮される」、
「そんな時間は星のように光を放ってそして不易に、無常変転の闇の上に照る」(序)ということからタイトルになっている。

そんな人類史の中で輝く、濃縮された瞬間として「不滅の中への逃亡」(太平洋の発見:1513年9月25日)、
「ウォーターロー(ワーテルロー)の世界的瞬間」(1815年6月18日のナポレオン)」、
「エルドラード(黄金郷)の発見」(J.A.ズーター、カリフォルニア:1848年1月)などの12の歴史的瞬間をえがいている。

読んでみると瞬間をとらえた詩的な表現が印象に残ることが多かった。
たとえば後にフランス国家になるラ・マルセイエーズの誕生を取り上げた章
「一と晩だけの天才」(ラ・マルセイエーズの作曲:1792年4月25日)では、
「もしも一つの作品がただ一人の人をほんとうに感動させたならば、それだけで十分である」
なぜなら「どの感動も、それ自身創造的なものだから」と述べているのが印象深い。

また、「封印列車」(レーニン:1917年4月9日)の章で、「あのときスイスの国境からドイツ全土を超えてペテルスブルグに着き、
それから時代の秩序を破壊するに到った(略)革命家たちを乗せていたあの列車ほど長い射程と運命決定の力とを、
戦争中のどの砲撃も持ってはいなかった」という表現はまさに歴史的意味を言い得て妙だと思った。

他にも、脳溢血で倒れながらも復活したヘンデルを取り上げた「ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルの復活」(1741年8月21日)の章では、
ヘンデルの死を述べる最後の一行を「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルと呼ばれた存在のうちの、滅ぶべき部分だけが滅びたのである」
として終わっているのがWEBで遺書を公開している僕の気持ちに響くものがあった。

振り返ってみると一人の人生の中でも、瞬間的な出来事や決定がその先の数十年を決めることがある。
その濃縮された瞬間がその先も星のように光輝くように、僕も決断と行動をしたいものだと思った(^_-)

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2006 2/6
歴史
まろまろヒット率4

多島斗志之 『海賊モア船長の憂鬱』 集英社 2005

海洋深層水のお風呂に入れる三浦半島の観音崎にある「スパッソ」にいってきた、
らぶナベ@お肌ツルツルさんいなりました(^_-)

さて、『海賊モア船長の憂鬱』多島斗志之著(集英社)2005。
以前読んだ『海賊モア船長の遍歴』の続編。

ロンドンの東インド会社本社に勤務するマイケル・クレイは、失踪事件を調査するためにインドのマドラスに向かう。
失踪の謎にはジェームズ・モア率いる海賊団、マドラス長官トマス・ピット、オランダ東インド会社、フランスなどが複雑に絡んでいた・・・

失踪事件の捜査を物語の主軸に、18世紀初頭のインド洋をめぐる列強のパワーバランス、海軍の洋上生活、そして海戦をえがいている。
続編といっても主軸になる人物が違うし、前作は純粋に海洋小説だったけど今回は捜査や陰謀などのミステリー部分が大きい。
前作に比べるとハラハラが少なくなっていたのが少し残念。
何年後かに出るこのまた続編へのつなぎか?

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2006 2/1
小説、海賊もの、歴史
まろまろヒット率3