34日間にわたる東京滞在

エニックスでお世話になった歩仁内さんや樋口などの元同期に
一年以上懸念だったモンゴル土産を渡す&進路報告と休暇を目的に東京に行った。
基地としては西小山の伊藤の家と若松河田の安藤の家に
泊めさせてもらった。実に様々な場所を歩いた。
沢辺かおりとばったり出会った代官山、青山アパートやパティスリーがうまかった表参道、
4年ぶりに行った原宿と裏原宿、中大の大学院がある市ヶ谷では
ロッカーとノートパソコンを貸し出してくれて情報基地となった。
代々木のオリンピックセンターには2年前にエニックス辞退を決心して以来の訪問だったし
森永留美子がインターンシップ店長をつとめる渋谷と新宿にあるネットカフェを利用させてもらった。
東大駒場前の民芸館、下北沢、銀座、たいめいけんのカレーのためだけに行った日本橋、
上野のアメ横、神田神保町では念願の天丼を食べ古本街にどっぷりと浸かった。
歌舞伎も見に行ったし(松本幸四郎と板東玉三郎の両方を見れた)、
10数年ぶりに行ったTDLではハニーハントを見れた。
恵比寿の裏にある日仏会館にも行った。安藤の実家から箱根に温泉も入りに行った。
実に動いた、そして心の休息をした。
思い起こせば中大の南さんの家にちょうど四年前1997年のこの時期に
長期滞在したがそこでの休暇や東京での経験がその年から始まった
吉本興業インターンシップや就職活動での原動力の一つとなった。
この長期滞在もきっと僕にとって大きな意味を持つことになるだろう。
    ↑
この時期の滞在が2002/9/6の東京大学大学院学際情報学府合格につながる

2001 2/22~3/27
出来事メモ

中坊公平 『中坊公平・私の事件簿』 集英社 2000

34日間にわたる東京滞在から帰ってきた、
らぶナベ@ネコのホームズが他人行儀でさびしんぼ倶楽部(T_T)

さて、『中坊公平・私の事件簿』中坊公平著(集英社新書)2000年初版。
東京在住中に市ヶ谷の中大大学院の中で読み終えた、法学関係で50冊目の本。
弁護士・中坊公平がこれまで関わった事件の中から
印象深い14の事件を取り上げて書いている自伝的な一冊。
掲載している事件数自体は14と少なく感じるが
「この本が私の墓標」と言い切っているだけあって
森永ヒ素ミルク事件、豊田商事事件、豊島事件、住専事件などの
戦後史に残る大きな事件だけでなく小さな市場の立ち退き補償事件まで
彼の弁護士人生に影響を与えた事件を紹介している。

様々な読み方ができる本だろうが僕は彼の人間や物事に対する
本質的な希望感や明るさやというものを強く感じた。
特に豊田商事事件や豊島事件などの大きな事件ほど
この考えが貫かれているように感じられる。
森永ヒ素ミルク事件で彼が読み上げた冒頭陳述が掲載されているが
彼が「遅れてきた青春」と呼ぶように僕自身も強い感動を感じた。
人に対して明るさを持つ人間が活躍するというのは先行きが明るいだろう(^^)

以下は印象に残った彼の言葉・・・
現場さえ知っていれば裁判も勝つし客も来る(中略)私にはツテもコネもない。
ましてや不勉強で特に法律に強いわけでもない。
そんな私がこの世界で生きていくためには、
誰より現場をしりぬくしかないんだ。
<H鉄工和議申立て事件>

依頼者が自分の事務所に来る時にはすでに仮面をかぶって入ってきています。
だから依頼者のほんとの素顔というのは依頼者が生活しているところへ
行ってこそ初めてわかるものなのです。
<M市場立ち退き補償事件>

この事件の被害者は誰や。赤ちゃんやないか。
赤ちゃんに対する犯罪に右も左もない。
<森永ヒ素ミルク中毒事件>

当事者の代理人がそもそも事件をどのように考え、どのように進行させ、
どのように終結させるのかということについて、
今のように裁判所任せであってはならない(中略)
弁護は迫力をもっていないとだめ。
<小説のモデル名誉毀損事件>

どうやって被害者の費用負担を最小限に抑え、
かつ正しい調査・鑑定結果を得られるのかということを見出す。
そういうことも弁護士の仕事の中に入ってくる。
<自転車空気入れの欠陥による失明事件>

弁護士が扱う「商品」というのは「人の不幸」というものから出発している
わけです。しかし「人の不幸」というものをどう処理するかというのは
限りなく難しい(中略)要するに人を見て法を説かないといけないのであり、
たえず万人に対して同じ答え、態度で接するという方がむしろ間違っている
<看護学校生の呉服類購入契約事件>

結局、事件を手がける時に弁護士にとって一番大事なのは、
同じ目線でものがみられるかということなのです。
これはどんな事件を手がけるにしても一番必要なことなんです
(中略)人間、粘りとひたむきさが大切です。
<金のペーパー商法・豊田商事事件>

われわれは単に豊島にいて、そしてそれがテレビや新聞に載せられて、
そして公害調停委員会に届くというだけでは目的は達成できない。
香川県の知事が謝罪しないということは香川県の皆さまが
やっぱり承知されていないからだ(中略)それには自分たちが
まず小豆島の土庄町から、そして小豆島から、
われわれの願いというものを本当にわかってもらわなければならない。
<産業廃棄物の不法投棄・豊島事件>

世の中は理屈や筋書きだけでは動きません。
情熱、エネルギーというものが必要です。
住管機構の仕事も見通しがないのに出発してはいけないというのではなく、
見通しがなくとも出発すべきだと考えました。
なんの見通しもないまま出発したのに(中略)何千億も回収できるなんて
奇跡だと言う人もいますが、人間、退路を断って懸命にやれば
世の中は動くものなのです。
<不良債権・住専処理事件>

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2001 3/25
法学一般、ドキュメンタリー
まろまろヒット率4

小野昌延 『知的所有権Q&A100のポイント』 有斐閣 2000(第5版)

週末から東京入りする僕としてはやはり目黒の寄生虫博物館は欠かせないと
思っている、らぶナベ@まだTシャツ売ってるのかな?

さて、『知的所有権Q&A100のポイント』[第5版]小野昌延著
(有斐閣ビジネス) 2000年第5版。
これまでの人生をふと振り返りつつ今後のことをマロマロ妄想してみると
そのうち知的所有権関係のお仕事がやって来る可能性が妙に高いので
今のうちにざっとでも押さえておこうと手軽に読める本を購入してみた。
内容は無理矢理ポイントを100に絞り込んでいるので用語説明が前後したり
前提の話がずっと後に書かれていたりと実に読みにくい!
でも包装箱に「ハイミー」と印刷してパチンコで当てたハイミーを詰め、
販売目的で所持した行為でも商標権侵害と認めた微妙な事件(最決昭46.7.20)
などはその議論のバカバカしさと深刻さを想像するとかなり笑えた。
それに知的所有権についての主要文献も紹介されているのでよしとしよう。
とにもかくにも始めて読んだ知的所有権関係の一冊。

☆著作権=「著作財産権」(著作物利用で収益をあげる)&
「著作者人格権」(内容を勝手に変えないことや氏名表示など)
→著作者人格権は他人に譲渡できない一身専属権(著作権法50条)
=美術品と譲渡と美術著作権の譲渡を混同して問題になることが多い

☆商標の要件である「特別顕著性」の中心は識別力
→判例は「菊正宗」と「菊焼酎」の類似性を認めた(最決昭36.6.27)
・・・判例が認めた類似性・・・
・外観類似=「テイオン」と「ライオン」(最決昭28.9.1)
・呼称類似=「シンガー」と「SINKA」(最決昭35.10.4)
・観念類似=「キング」と「王」(大審昭9.3.23)
→判例はこれに加えて取引の実情を加味する方向にある
(商標権侵害の本質は商標の機能を害すること)

☆「○+C」マーク&「発行年」&「氏名」を適当な場所に書いておくと
万国著作権条約上に著作権の保護が受けられる

☆保護が難しかった「trade secret」(営業秘密やノウハウ)には
不正競争防止法3条によって差止請求もできるようになった
(ただし事実を知った時から3年で時効&行為の開始時から10年で時効)

☆特許の要件=発明・新規制・進歩性
(実用新案要件は特許の発明が考案に代わるだけ)

☆工業上利用できるものの「機能」を保護するのが特許&実用新案、
「美感」を保護するのが意匠(デザイン)
→著作権は「模倣」のみが禁止されるが意匠権は偶然一致した類似物も禁止

☆特許権の許諾=「専用実施権」&「通常実施権」
=権利者(licenser)が利用者(licensee)に独占使用を認めるかどうかの差

☆特許などの実施料(royalty)の例・・・
・一括金だけを払う「lump sum payment」
・一個単科を分割金として算出して払う「running royalty」
・頭金&分割金で払う「initial payment&running royalty」などが主流

○グーテンベルクの印刷技術によって発生した
聖書出版業者からの保護要求が著作権が出現する原動力となった

○1642年の英専売条令が「特許の母」と呼ばれる
(パテントという言葉も特許状”letters patent”から来ている)

○知的所有権重視の流れは技術的国際競争力の低下が顕著になった
レーガン政権下のアメリカで急速に広がった

○データベース作成に使用する原文献の著作物性の問題と
データベース自体の著作物性の問題とは別

○WIPO(世界知的所有権機関)、AIPPI(世界知的所有権保護協会)、
WTO(世界貿易機関)の三つが知的所有権をめぐる主要国際機関

○”PAT.P”=”Patent pending”(特許出願中)

○著作権は50年だが商標権は更新さえすれば半永久

○商標侵害による差止請求は現実に混同していなくても
そのおそれさえあれば請求できる(最決昭49.11.18)

○著作権法が世界的に注目されるのは
知的所有権保護の欠落した部分を補う役割があるため

○著作権侵害の例外・・・
・私的利用する場合は著作物を自由に複製&上映できる(著作権法30条)
・引用部分があくまでその内容の中で「従」である場合(著作権法32条)
・使用許諾を受けた者は差止請求ができない
・著作権者が反対しても文化庁長官の裁定で使用可能など

○特許&実用新案が出願されるより前にすでに実施or準備していた発明は
自由に利用できる=「先特許」&「先実用新案」
→「先商標」では中断せずに善意で使用され続けられている事実が必要

○実用新案と著作権をめぐる裁判では特許に認められる「過失の推定」はない
(無審査で申請が許可されるため)

○著作権は文化庁に登録することができるが登録なしでも差止&損害賠償請求が可能
(ただし刑事事件の場合は親告罪・告訴期間は侵害を知ってから6ヶ月)

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2001 2/19
法学一般、知的財産
まろまろヒット率3

加藤晋介 『弁護士 加藤晋介のゴト師の事件簿』 KKベストセラーズ 1999

2月の頭くらいに東京に行こうかと思っている、
らぶナベ@遠慮の塊なので懐かしの関東周辺の人は連絡下さい(^^)

さて、『弁護士 加藤晋介のゴト師の事件簿』
加藤晋介著(KKベストセラーズ)1999年初版。
前に読んだ同じ著者の『ゼニの事件簿』が妙に面白かったので
続編的なこの本も買って読んでみた。
ただし60以上のケースを紹介した”裏稼業図鑑”とでも言うべき前作と違い、
著者が直接関わった12の印象深い事件を記述しているこの本はいわば”物語”。

コロンビアから来た窃盗団の国選弁護人を引き受け意思疎通に苦労した話や
暴力団に監禁された話、ひき逃げ犯の執行猶予をめぐって法廷で涙した話など
前回同様なかなかスリリングな話が展開されている。
中には「受けた依頼は最後まできっちりやったれよ」と思うところもあったが
もめ事処理の仕事って精神的に疲れるんだろう。(だからこそやりがいがある)
好きじゃないとやってられない仕事は趣味にするのが一番の解決策だね。

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2001 1/26
法学一般
まろまろヒット率3

西村健一郎・西井正弘・初宿正典 『判例法学』 有斐閣 1998(第3版追補)

この前の“プロジェクトX”で生きた心臓の一部を切り落とす手術
(バチスタ手術)を成功させたプロジェクトチームが取り上げられていて
その中で天才外科医と紹介されていた主治医の姿を見て妙に感動した、
らぶナベ@なぜなら僕も天才弁護士として紹介されたいから(^_^)

さて、『判例法学』[第三版]西村健一郎・西井正弘・初宿正典著
有斐閣(1998年第3版追補)。
日本は判例法を採用していないので判例を専門に扱った本自体が少なく、
学術的にもあまり重視されていないけどその重要性は感じているので
一度は判例というものについてちゃんと書かれた専門書を
読んでみようと本屋で発見したこの本を読んでみた。
判例法学という題名からして体系的な判例の読み方や考え方について
書かれているのかなと期待したけれど単に判例で事例を紹介しているだなので
ちょっと残念。もっと”判例”自体に突っ込んで欲しかった。
(わざわざ”学”とつける意味は無いね)
ただ、内容の方は一冊の中で憲法、民法、刑法、社会法、国際法と
幅広く網羅されていて聞いたこともないような事件や
その判決について知ることができたのでけっこう楽しめた(^^)
特に国際法は単なる事例の紹介だけでも十分に面白さを感じられた。

この本を読んで一番気になったことは、普段は判例に逆らわないように
色々な判断を下していくものだけど判例自体変わることも多いので
“判例変更”の挑戦をすることも決して不可能ではないということだ。
それをするかどうかの判断はかなりの決意が必要となるけど
(民事事件で最高裁まで行くのって何かギスギスしすぎてる感じがする)
その分やりがいがありそうだなっと思った。
そう思ってしまう自分はやっぱり”プロジェクトX”に出れそうだ(^_^)

以下、チャック項目・・・
・判決の先例になる部分「レシオ・デシデンダイ(ratio decidendi)」、
傍論の部分「オビタ・ディクタ(obiter dictum)」

・最高裁判決の結論を補充するのが「補足意見」、
結論は同じだが異なる理由を述べるのが「意見」
「原審」と呼ばれているのは高裁判決

・明確な「家族」の定義を持たないままに個別の夫婦や親子に関する法律関係
だけを定めた結果が家族観について国民に十分な認識が伴わない状況を
生みだし、また個人の意思にもとづく人間の結合関係を容認しながら
それに対応する法制度の整備が十分に対応できていないのが家族法の現状

☆試験管ベイビーや精子&卵子の冷凍保存代理母などの人工生殖について
対処できるだけの準備が日本の現行法はできていないので
今後これらが家族法を含めた大きな問題になる可能性が高い

・権利濫用の法理は害意を持ってする権利行使を禁止する
「シカーネの法理」から利益の調整を許容する法理に移行してきている
→権利の行使が濫用になるかどうかは主観的評価基準だけでなく
客観的評価基準によっても判断すべき(宇奈月温泉事件:大判昭10.10.5)

・利息制限法が定める15%or20%の上限とサラ金規制法の定める40.004%
との間(裁判によって請求できないが処罰もされない利息の幅)が
「グレーゾーン」として問題になる

・条文は作為だけ規定しているように見えるが不作為でも処罰される場合
=「不真正不作為犯」(刑法199条は不作為でも成立するなど)

・緊急避難(カルネアデスの板)が実際に問題となったのが
イギリスのミニョネット号難破事件(1884年)

・「誤想防衛」は犯罪事実の認識が欠けているので故意犯は認められず、
過失があれば過失犯が成立するだけで「過剰防衛」は故意犯が成立するが
刑の減軽又は免除が可能→両者が合わさったものを「誤想過剰防衛」
(ヘルプミー事件:最決昭62.3.26)

・過失について結果回避措置を取る前提となる結果の予見可能性については
漠然とした危惧感があれば結果回避措置を取らなければならない
(それを取らない場合は過失が成立する)とするのが「危惧感説」
新過失論から進展した考え(千日デパートビル事件:最決平2.11.29)

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2001 1/18
法学一般
まろまろヒット率3

加藤晋介 『弁護士 加藤晋介のゼニの事件簿』 KKベストセラーズ 1998

21世紀になったので一番好きなカクテルがマリブミルクというのは
(ココモミルクでも可)そろそろ卒業しようかと思っている、
らぶナベ@小ましなバーでも頼むのはさすがに恥ずかしくなってきたっす(^^;

さてさて、『弁護士 加藤晋介のゼニの事件簿』加藤晋介著(KKベストセラーズ)1998年初版。
街金、整理屋、総会屋、霊感商法などメジャーどころ(?)から
紹介屋、サルベージ屋、倒産整理屋などのマイナーどころまで
彼が弁護士として実際に対処した裏稼業を60ケース以上紹介している。
一連の流れの中のどの点で儲けているのか、
そのからくりまでも詳しく書かれている。
ご丁寧に索引まであって意外に読み応えがあるが、
日常の中に潜むスリリングさを感じられて読書がどんどん進んだ。
「世の中っていろんなお仕事があるんだね」と大人の社会見学をした気分(^^)

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2001 1/8
法学一般
まろまろヒット率4

デカルト、谷川多佳子訳 『方法序説』 岩波書店 1997(原本1637)

これが21世紀に最初に読んだ本になる、
らぶナベ@この本を読み終えてから感じたことだけど
21世紀の始めに読んだ本が17世紀の本っていうのもちょっと不思議(^^)

さて、『方法序説』デカルト著・谷川多佳子訳(岩波書店)
1997年初版(原本1637年初版)。
「我思う、故に我あり」の人が書いた本。
(我ながらおおざっぱな説明だなぁ(^^;)
現在の哲学や思想学は彼に対する批判から発展していったらしく、
なにかとよく眼にする人なので一度は読んでみようと思って買った一冊。
読んでみるとちょっと嫌味なやつだなって思うような記述がちらほら。
謙遜しながらも自分ほど勉強したやつはいないとそこら中で公言したり、
論文を公表しない言い訳に多くの記述を使っているのにはちょっとうんざり。
(「公開」を否定的に捉える点は21世紀には向いていない考えだね(^^))

肝心の内容の方はというと結局のところデカルトの言う「方法論」とは、
三つの規則から成る「方法」とそれを達成するための四つの格率から成る
「道徳」が合わさってできたものだということにつきる。
まず「方法」・・・
・第一は、私が明証的に真であると認めるのでなければ、
どんなことも真として受け入れないこと(明証性の規則)。
・第二は、私が検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、
しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること
(分析の規則)。
・第3は、私の思考を順序にしたがって導くこと(総合の規則)。
・最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、
なにも見落とさなかったと確信すること(枚挙の規則)。
・・・(この方法のおかげで)どれから始めるべきかを探すのに、
私は大して苦労はしなかった。
もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだと、
すでに知っていたからだ。

・・・それを支える「道徳」・・・
理性が私に判断の非決定を命じている間も、
行為においては非決定のままで止まることのないよう、
そしてその時からもやはりできるかぎり幸福に生きられるように、
当座に備えて、一つの道徳を定める。
(中略)それは三つ四つの格率から成る・・・
・第一の格率は、私の国の法律と習慣に従うこと。
(その中で一番穏健なものを選ぶ)
・第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、
どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、
きわめて確実な意見であるときに劣らず、一環して従うこと。
(一度決めたあとはその意見を、実践に関わるかぎり、
もはや疑わしいものとしてでなく、
きわめて真実度の高い確かなものとみなさなければならない)
・第三の格率は、運命よりもむしろ自分に打ち克つように、
世界の秩序よりも自分の欲望を変えるようにつねに務めること。
・最後にこの道徳の結論として、この世の人々が携わっている
さまざまな仕事を一通り見直して、最善のものを選び出すこと。

・・・以上がこの本の根幹&デカルト哲学の基本。
ううん、確かに突っ込まれやすい方法論だけど
そこに明確な真実性は感じることができる。
数世紀を超えて読み継がれる価値のある一冊であることは確かだろう。

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2001 1/2
哲学
まろまろヒット率5

春日武彦 『不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望』 文藝春秋 2000

これが今年38冊目に読み終えた本&20世紀最後に読んだ本になる、
らぶナベ@さぁ来い俺の世紀!(^_^)

さてさて、『不幸になりたがる人たち~自虐指向と破滅願望~』
春日武彦著(文芸春秋)2000年初版。
産婦人科医から精神科医に転向した著者によって書かれた
ちょっと奇妙に思える人々や不可解な事件についてのコレクション的な本。
思わず扇風機に指を入れてしまうとか運には限りがあると思いこんで
落ちている小銭を拾わなかったり幸運があっても不安に感じる人たちから
悲惨さの中に呆気なさや滑稽さを感じてしまう事件などについて
紹介しながら精神科医としての意見や感想を書いている。
人間が抱ちがきな不合理な思考や奇異なこだわりについて
正面から書かれているでの読んでいて楽しい。

確かに不幸だと思うことや絶望を感じることには独特の甘さがあり、
その快楽が忘れられずに中毒のようになってしまうことや
単なる不満や妬みなだけなのに自己正当化のために
責任を転化させることの快感は、ちゃんと「楽しみ」として認識しにくい。
この本はその認識しにくい快楽について書かれている点が興味深い。
さらに一歩踏み込んで自らのトラウマや人格形成状況さえも
自己正当化の言い訳に使う人々を紹介しているのも面白い。
ただし事例の紹介が伝聞推定に基づくものがほとんどなのは気になった。
(これは精神科医としての守秘義務から仕方ないかもしれないけど)
さらに妙に攻撃的というか冷ややかさを気取るところが鼻につく。
個人的にはあまりお友達にはなりたくない(^^;
また、人格障害と精神病とはまったく違うと主張しているがどうなのだろう?
その人そのものである人格障害と本来その人ではない精神病とは違うという
意見だったけれどちょっと納得できなかった。
(人格障害と精神病は重複することがあるので誤解を生むとも書いているけど)

以下、ちょっと面白いと思ったところ・・・
☆精神のアキレス腱は「こだわり・プライド・被害者意識」の三つだけ
→その中でも被害者意識は単なる不平や妬みをぶつける「敵」と
自分は優遇されるべきだという「特権」を求める点でたちが悪い
→被害者意識はアル中にとってのアルコールのように依存性がある・・・
つつましい幸せを得るよりもあえて被害者意識を堪能することを選ぶ人間は
世の中にはいくらでもいることを我々はしっておくべき

☆自分の気持ちを表現するぴったりくる言葉はないので近似値として言葉を
選んで我慢する→いつも我慢するのは耐えられないので既成の言葉に
感じ方や思考の方を微妙に迎合させていく←これが様々な不合理の原因

☆人間の価値観や物事の優先順位は「面倒」というキーワードによって
簡単に入れ替わっていく→面倒だからという理由で現状の不幸
に甘んじることはいくらでもある=億劫という心性こそが人間の行為を
不可解にしたり人生を不幸にする大きな要素のひとつ

☆(特異な事件と幼児体験や特殊な環境などとの因果関係について)
表面的な因果関係に拘ってしまい実際とはまったく別の物語が
周囲の人間によって勝手に作り上げられてしまうことが精神科領域の周辺では
しばしば起こる・・あたかも原因として映る出来事は実は契機でしかなく
潜在していた病状がそれによって顕在化したに過ぎないことが多い

☆催眠術は患者と医療者が共同作品としての物語を語ることが少なくない
→多重人格や記憶喪失、憑依といったものは確かに劇的だがこうした症状には
周囲へのアピールやブラフといった性格が強く付与されている
←本態は未熟な人格構造だからこそ示せる大胆な自己主張といった趣であり
心の深淵を覗き込むような根拠的な感触はない
(結局のところドラマティックなものがもたらす分かりやすさが
往々にして当事者同士の馴れ合いでしかないことが多い)

☆たとえ悲惨であったり不幸であろうとそれが具体的であればかえって
安心感につながる場合がある→曖昧であったり不確定であることは何よりも
人の心を不安に駆り立てるので何らかの具体的な事象に直面するほうが
心の負担が少ないと考える人は少なくない
→新興宗教などへの不可解な服従はこれが原因になることが多い

○神経症の人たちと話には運命に対して妙に理屈っぽいところと
呆れるばかりに詰めの甘いところが入り混じっていて
そのバランスの悪さこそが不幸を招いている原因のように感じられる
→心のバランスを失った人たちはある種の現実感を喪失しているので
奇矯なロジックがあたかも神託のように当人の行動を律する。
えてして精神の止んだ人々の言動は支離滅裂ではなく異様に論理的なだけ

○同じ偶然は繰り返さないという考えはいったん起きたことは
すぐには起きない→不幸を先取りして起こしてしまえば
もはや危険はなくなるといった奇想につながる

○(精神科にかかってくる自殺予告電話の対応について
ベテランとビギナーの差)=ベテランは特別な対応法など無いことを
最初から分かっているがビギナーはひょっとしたら何か特別なコツがあって
それを自分の不勉強や経験不足のために知らないのではないかと不安になる
→マスターしているべきところに空白が残っていると懸念している限りは
実力など発揮できない、勉強とは実際に使用する知識だけでなく
自信や覚悟やその根拠とおぼしきものを獲得するために行うのである

○過酷な人生を乗り切るために無意識のうちにいくつかの方策がある
=一つは運命などのように人間にとって不可解で不可抗力なものを受け入れて
納得するロジック、もう一つはひたすら現状維持を図り不幸を
慣れ親しんだものにして悩みや苦しみの輪郭を曖昧にすること、
さらにもう一つはこれ以上危険や不安と対立しないですむように
手っ取り早く小さな不幸を具体化させて
大きな不幸をやり過ごしてしまおうといった心の働き
→だから人間は気持ち悪いと思うか、それとも面白いと思うか
その捉え方の違いによって世の中のつらさは大きく違ってくるだろう

○説明が困難でしかも関心をそそってやまない事象に対する
アプローチの一つはコレクションの対象にすることである
←説明はできないけれどとにかく真実は手元にあるとして相対化を図る

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2000 12/29
心理学、教育学
まろまろヒット率4

山本祐司 『最高裁物語』 講談社 上下巻 1997

これがネットを使い始めた大学入学以来1万5千通目の送信メールになる、
らぶナベ@やっぱり読み書きが主流の仕事に向いているんだと自己分析(^^)

さて、『最高裁物語』山本祐司著(講談社+α文庫)1997年初版上下巻。
軽そうなタイトルからは想像できないほどの大著、でもかなり面白い(^^)
法廷の内外を問わず最高裁を中心に繰り広げられた人間模様、事件、
そうしたものの結果としての判決を最高裁誕生期の終戦前後から
現在までにわたって書かれている本格的なドキュメンタリー。
暗躍めいた裁判官たちの対立、歴代長官や重要人物のキャラクター、
官僚機構としての裁判所の裏事情などについて
とにかく「よく調べたなぁ」と関心するほど詳細に書かれている。
(戦前の事件でもかなり詳しく書かれているし付録の年表もやたらと充実)

分厚いし上下巻もあるので読み始めるまで少し躊躇があったが
実際に読み始めると面白くてとまらなかった。
戦後の有名な事件や社会問題の”顛末書”として最高裁判決を見ていくと
日本の社会情勢の変転が垣間見れてかなり楽しい。
ちょっと風変わりな現代史という表現が一番良いだろうか。

ただ難点を言えばこの本はすべての事柄について保守対リベラルという視点で
追っているのだがこれでは本質がぼやけてしまうこともあるだろうと感じた。
確かに終戦直後から安保くらいまではこの視点抜きにしては語れないけど
あまり二元論にこだわると原理原則論にがんじがらめになってしまうだろう。
現に70年代後半以降の記述は論理の統一性や説得力の迫力が
いまいちパワーダウンしている。
著者が長年ジャーナリストだったことを考えると
この年代の人が持つ匂いなのかなとも思うが
すごく良い本なだけに恣意性があまりに目立つ箇所にはちょっと残念。
でも総じて良い本だと言える一冊だろう。

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2000 12/20
法学一般、歴史、ドキュメンタリー
まろまろヒット率4

キース・エヴァンス、高野隆訳 『弁護のゴールデンルール』 現代人文社 2000

親が中島みゆきの「地上の星」を買ってきていたのを発見した、
らぶナベ@彼女も秘かにプロジェクトXにはまっていたんだね(^^;
ちなみに歌詞にある「地上の星」の英訳は”UNSUNG HEROES”でした、納得。

さて、『弁護のゴールデンルール』キース=エヴァンス著・高野隆訳(現代人文社)2000年初版。
英法廷弁護士&米カリフォルニア州弁護士として弁護技術の指導を行っている
著者による弁護術指南書(日本語訳者も日本の弁護士)。
僕は時々無性にB級なものに惹かれることがあるんだけれど、
本屋の端っこの方に追いやられていた痛い存在感に惹かれて
思わず購入して読んでみた一冊。でも読んでみると意外とまともだった。
弁護というよりも広い意味での交渉技術書と言った方が良いかもしれない、
人の生死がかかった交渉の場面での技術論なので広く応用も可能だろう。

“INTRODUCTIONS”
☆良い弁護術とはほとんど常識に関する問題
(多くの場合この常識を法廷に行く時に捨ててしまう)

“THE DIMENSIONS”
○伝えることを意図していない視覚的情報は決して伝えるな
(驚いているように、悩んでいるように、必死であるように、
人を操っているように見られてはいけない)
→相手が貴方のことを知らない利点を捨ててはいけない

○あくまで真実にこだわれ
(いかなる場合でも完全に誠実に弁護をする方法はある)

○繰り返すな(両手にしっかりと勇気を握り締めて)

“THE MANDATORY RULES”
○弁護士が法廷で自分の意見を述べることは許されない
(弁護士は一方の当事者を援助するために存在するのである)

○最終弁論では証拠に基づく事柄しか述べることができない
(指摘したいものは証拠調べの中で触れておかなくてはいけない)

“ADVOCACY AS THEATRE”
☆法廷を目指すことはプロの舞台を目指すことと同じ
→弁護士の仕事は法廷をアマチュアの学芸会ではなく
プロの演劇作品にすることである
→舞台俳優に憧れる気持ちがないならば法廷弁護士は辞めるべき
(勇気と想像力が要求され泣き出したくなる?????%その時に立ち上がり
前進する力が求められる、それによって自分の心が打ち砕かれないように)

☆全力をつくせ、手抜きするな
(全身全霊を捧げられないならば転職せよ)

☆事前準備こそが最良の投資
(これこそが法廷弁護にとって最も重要なこと)

○事実認定者を楽しませよ
(彼らに物語を伝えよ、始まりと中間そして結末を考えよ、流れを持続せよ)

☆削れるところはすべて削れ

○事実認定者をこれからの展開に備えさせよ
(正しく地ならしをしておけば法廷で何でもすることができる)

☆自分の声の音量を知れ、話すスピードと音質を変化させよ、
タイミングと中断の力を知れ、音量を上げる時は細心の注意をせよ
(自分自身を検査することに臆病になってはいけない、
他の人々は法廷で貴方を一日中検査するのだから)

“THE PSYCHOLOGY OF ADVOCACY”
☆法廷援護の素材は壊れやすい

○好人物であれ

☆共感を与えよ、事実認定者と同化せよ
(自分が判事席に座っていることを想像すれば共感できる)

☆要求する代わりに招待せよ、教える代わりに提案せよ

○事件の弱点を最初に語る人物は自分自身でなくてはならない

☆まず自己の最終弁論を書け
(そこで気づいた足りない部分を埋めることが準備)
→相手方の最終弁論を書き自分の最終弁論を仕上げよ

“THE EXAMINATION OF WITNESSES”
○予め自分のほしい答えを考えてその答えだけを得られる質問を組立よ
(多くの弁護士が証人尋問を恐れるのはこの青写真が無いため)

○事実そのものを扱っているのではなく証人が事実であると
信じているものを扱っていることを忘れてはいけない
(決して証人に助けを求めるな)

○”Yes or No”で答えを要求する際には注意せよ
(取調べの雰囲気を取り除くため慎重に)

“EXAMINATION IN CHIEF”
☆How?→What?との間を行き来する習慣を身につければ
尋問はその往復のリズムに乗ってきてより明確でわかりやすいものになる

○基礎づくりをしてからか事実を引き出せ

“CROSS-EXAMINATION”
☆欲しいものが手に入ったら止めよ
(反対尋問に成功することは快感だが決して夢中になるな)

○衝撃をやり過ごせ(狼狽を隠せ)

○公判は情報を発見する場ではなく
反対尋問は獲得できそうなものを探し回る時ではない、
事実認定者に予め計画した証拠を提供する時である

☆ゲームのこの段階において我々は事実を探求しているのではない、
我々は事実認定者に対するプレゼンテーションを行っているのだ

○決して証人と論争してはならない

“FINAL SPEECH”
☆感情は事実に続く、その逆ではない
(問題なのは事実認定者の感情であって貴方の感情ではない)
→最後の最後にのみ感情を発露する機会を与えることができる

○人生において自分が最もエネルギッシュだった時のことを振り返り、
その時の自分を目盛りの最上端におき、自分が最も怠惰で
打ちひしがれた時を思い起こしてこれを目盛り最下端におけ
→考えるまでもなく現在の自分がどの状況にあるかを正確に知ることができる

○かつて無かったほどの相互に結び合ったいまの世界くらい
聡明で巧みな法廷弁護士が弁論し説明し説得する
必要性と機会が求められる時代は無かった

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2000 11/24
法学一般
まろまろヒット率3