小此木啓吾 『秘密の心理』 講談社 1986

懸賞で当てた図書券を『バガボンド』(講談社モーニングKC)購入に使った、
らぶナベ@先入観を捨てて読んでみると意外に面白いっすよ(^_^)

さて、『秘密の心理』小此木啓吾著(講談社現代新書)1986年初版。
精神科医が書いた秘密がもたらす作用をテーマにした本。
これは文句なしに面白い!(^o^)
精神医学のアプローチから秘密が与える人間関係への影響や
さらには社会構造までを視野に含めて書かれている。
症例による具体例だけでなく有名な映画や物語の中に潜む秘密の効果を
心理的作用の視点から分析しているので読んでいて楽しかったりする。
例えばこの著者によると『忠臣蔵』の面白さはどうやって秘密を全うしたかの
苦労話にあるし『勧進帳』は秘密を見逃すところが感動を与えてくれる。
松本清張の『天城越え』は思春期に誰もが体験する親や憧れの人に対する
原光景体験(幻滅や失望)と自律がテーマだとしている。
何となく納得(^^)
さらにこれ系の本によくあるような単なる分析に終わらずに、
現代を原光景(親や尊敬するものに対する幻滅)社会と定義して、
その病理性を騒ぎ立てるのではなく積極的な歴史的過程と捉えなおして、
不可知に耐える自我能力の必要性を提起している点は
単なる医学者の書いた心理本を越えている。
主張の善し悪しを別にしてもその挑戦的な姿勢はすばらしい。
薄い本だけど単純に面白さだけでいえば今年読んだ本の中で
1,2をあらそうくらいの本じゃないかな?

以下は重要だと思ったところから書き出したチェックポイント・・・
☆アンネ・フランクはキティさんという架空の人物を造りあげ、
この対象と対話するという形式で『アンネの日記』を書いた
→子供は親以外に秘密や親密さを共有する対象と出会い、
心の中でそれらとの関わりを通して親から自立した心の構造を形成する
→一歩誤ると親からも離れ、しかも新しい対象も発見できず、
人との関わりのよりどころを失って心の真空状態に落ち込むおそれがある
→親以外の親密な対象を持つことができるかどうかが発達心理上重要

☆恥の心理はその人物が心の中でどんな自己像を持とうとしているか
によって決まる面がある→本質的には自分に向けられた怒り

☆相手に誉めてもらうなどの形で自己愛を満たしたいという
受け身的な自己愛の満たし方が日本的な甘えの心理
→相手にどう思われるか、自分の自己像を受け入れてもらえるかどうかが
日本的な人間関係では最も重要なテーマとなる

☆人みしりは日本的な甘えや依存の心理と深く関わっている
→日本人が世間に対して自分のことを恥ずかしいと思うときの、
その世間とは全くの他人を意味しているわけではなく
むしろそれは顔みしりの集まった自分と一体の世間のことである
→こちらが優しい相手を期待するからこそ人みしりも起こる

☆公式な課題集団の情報伝達構造に十分な信頼をおかず、
非公式な憶測集団に自分を置いて情報を得ようとするのが日本的組織の特徴
→職場からすぐに帰らなかったり仕事の後にみんなで
飲んだりしなければならなくなるのはこのため
→米国の精神科医による日本人は同性愛的な気持ちが強いとの指摘

☆原光景体験を通して親に幻滅した子供はその幻滅と失意の克服を通して
やがては親との間に同等な人間同士としての対話的構造を作り上げていく、
現在の原光景社会はそのような社会的自我の発達と真の対話的構造を持った
情報交流可能なより成熟した社会への過渡的な一段階とみなすことができる、
このような積極的な歴史的意義を見失って現代の様々な原光景反応を
ただいたずらに病的な徴候とみなすことは集団幻想時代へ逆コースを
引き起こすおそれがある、それはタブーと抑圧の支配する隠蔽社会への逆戻り
→いま我々が身につけなければならないのは不可知に耐える自我能力である

・”secret”はラテン語”scereta”(分泌物)から来ている
→自分の分泌物を触れさせない距離感が他人との境界

・一杯飲みたくなる気持ちの中には秘密(分泌物)を共有する
一体感への渇望がある

・それまでタブー視していた家族についての不満や批判を
家族以外の人間に打ち明ける経験が自我の目覚めを体験するきっかけとなる
→精神分析やカウンセリングが発展したのは核家族化が進んで
個々の家族メンバーに対する家族の支配権が弱まったため

・子供の心の健全な発展には親は親、子供は子供という
世代境界の確立された秩序感覚が大切
→この世代境界はあらゆる組織にも存在する

・乳幼児期から子供は親に対して大便処理に関する嘘をつく
→フロイトによると自分の大便に対する執着が自己感覚の形成と
自律的な意思の成立につながっていくとされる

・サディズムとは相手の見せかけの強さ、尊厳、美しさなどの社会的、
人格的価値の背後にひそむ、弱さ、汚れ、醜さを暴く心理のこと
(その心理は強迫告白の心理と深層で深く関わっている)
→いじめ、家庭内暴力を引き起こす衝動がこれ

・原光景反応(幻滅など)が進むと自分自身が直接触れることのできる
狭い世界に退行したり現実を超えた神秘的な世界を頼りにするようになる

・人みしりは人に笑いものにされることを恐れる心理であり、
ユーモアは自分から笑いものになって結果として
他の人から笑いものにされることを防ぐ心理的技術

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2000 11/18
心理学、教育学、社会学
まろまろヒット率5

折橋徹彦・杉田正樹 『うその自己分析―虚感の時代を生きる』 日本評論書 1999

NHK総合でいま一番あつい番組、『プロジェクトX』
マニアのマニアによるマニアのための番組だと思えてならない、
らぶナベ@あの痛さが最高っす!

さて、『うその自己分析~虚感の時代を生きる~』
折橋徹彦・杉田正樹著(日本評論書)1999年初版。
社会心理学者(第1部)と哲学者(第2部)による嘘に関する共著。
嘘が良いとか悪いとかいう倫理観ではなくどうして嘘をついたのか、
その背景には何があるのかという科学的アプローチを持って
嘘と接する必要がある仕事をする予定なので読んでみた。
これは以前読んだ『人はなぜウソをつくのか』渋谷昌三著(河出書房新社)
1996初版を読んだ時と同じ動機からだが精神医学的な視点で書かれた
『人はなぜウソをつくのか』と違って、この本はエッセイ風になっている。
(自然科学と社会・人文科学との本質的な差でもあるのだろうけど)

特に哲学者が書いた第2部は純粋な読み物としてもとても面白く感じた。
例えば「世界一の美女はいたのか、それともいなかったのか」
というエピソードはドイツの捕虜収容所でフランス兵が
「この独房に世界一の美女がいることにしよう」というルールを決めて
活き活きと生活しているのに対して
捕虜収容所の所長がその世界一の美女を連行しようとし、
またフランス兵たちがそれに抵抗するというものだ。
世界一の美女なんていなかったに決まっているが、かといって
彼らを動かしていたのが世界一の美女であるのことも事実だ。
そしてこれこそが宗教や神や真理、社会原理だと言っている。
「意味は、意味であるが故に無意味である、と言える。なぜか。
ゲームがルールによって支えられているように、
意味が成り立つのは、それを支える広い意味での文法があるからだ・・・
意味は、最終的な文法がない以上、宙づりになっている、ということだ」
という風に結論づけているが妙に印象に残っている。
身近なエピソードだけでなく各哲学者の嘘に対する接し方を紹介するなど
哲学入門としてもすごく良い本ではないだろうかとも思った。
社会心理学の視点で書かれた第1部も面白かったがどうせ非科学的ならば
割り切って人文科学的なアプローチに徹したこの第2部の方が説得的だった。

基本的に僕は社会・人文科学的な心理学のアプローチには
どうも説得力が欠けると感じる傾向があるけれど
この本は読み物としても面白かったし、倫理的ではなく事実的として
嘘を考えるきっかけとして良い本だった。
けっこうお薦めかもしれない。

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2000 10/31
心理学、教育学、社会学、哲学
まろまろヒット率4

『行政書士「2000年合格」実戦模試』 東京法経学院出版 2000

10月22日に実施される行政書士試験のために購入してみた一冊。
3回分しかないのに2000円は高いな、誤植も多かったし。
二回まわしたが一回目は65%くらいしか取れずちょっと不安になったが
(二回目は確実に90%以上にもっていった)
『行政書士マスターDX』も二回まわしたので何とかなるかな?
あとは天命にゆだねよう。

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2000 10/20
法学一般、資格
まろまろヒット率2

弥永真生 『リーガルマインド商法総則・商行為法』 有斐閣 1998

この本で弥永真生のリーガルマインドシリーズはすべて読破、
商法の体系書はすべて押さえたことになる。
そしてこれで憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法の
いわゆる六法はそれぞれの分野で第一級と言われる体系書を
すべて一通り読み終えたことになる。
思い返せば去年の11月にゼロの状態から勉強を始めて
約1年(11カ月)で法学の基礎を完全制覇することができた。
入門書も含めてこの一年で読んだ法学関係の本は41冊。
これで自信を持って次の展開に進んでいける。
とにもかくにもグランドスラム達成(^o^)

『リーガルマインド商法総則・商行為法』弥永真生著(有斐閣)1998年初版。
タイトル的には商法的な視点やものの考えについて書かれているのかな
と思ったがこれは『リーガルマインド会社法』の方に強調して書かれていた。
この本はリーガルマインドシリーズの最後に書かれたものだからだろう。
前に読んだ手形法・小切手法と同じく商法総則・商行為法は必要だけど
それほど重要ではなく概念的なことを理解しておけば良いだけな上に
このシリーズは図解を多用して理解させることを目的としているので
あえてチェックした項目は少なかった。
これ系の体系書では分量も抜群に少なかったのもちょっとありがたかった、
何しろ伊藤眞の『民事訴訟法』や数冊に及ぶ内田貴の『民法』などは
泣きそうになるくらい分量があったので(^^;

以下、チェックした箇所・・・
<第1章 商法の意義・適用範囲と商法総則・商行為法の視点>
☆実質的意義の商法=企業に関係する経済主体の私的利益の調整を目的とする
法規制の総体=「企業法説」

☆商事に関しては商事制定法→商習慣法→民法の順で適用される
(慣習法が民法よりも優先する)

☆商法総則では取引の安全は「外観主義」と「公示主義」から図られる

<第4章 商号>
☆紛らわしい名前の会社が近くにできて損害を被る場合には(商号権の保護)
第1に21条で使用差止&損害賠償請求が可能
第2に不正競争法2条で侵害の停止or予防を請求できる
(4条で損害賠償請求も可能)
第3に商号が登記がされていれば20条でも使用差止&損害賠償が可能

<第6章 商業帳簿>
○商法計算規定の目的=第1に株主・会社債権者間の利害調整のため、
第2に株主と会社債権者に意思決定の資料を与えるため

<第7章 商業使用人と代理商>
○表見支配人(42条)の要件となる本店または支店とは
営業所の実体を備えていなければならないとするのが判例・通説

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2000 9/24
法学、商法
まろまろヒット率3

弥永真生 『リーガルマインド手形法・小切手法』 有斐閣 1999(補訂)

気がつけば自分のオリンピックが閉会されていた、らぶナベっす。

さて、『リーガルマインド手形法・小切手法』[補訂版]
弥永真生著(有斐閣)1999年補訂。
先に読んだ『リーガルマインド会社法』に続いて読んだ
手形法&小切手法の基本書。
手形法の基礎的な問題点を民法とのつながりを重視して書かれている。
手形法&小切手法はそれを学ぶ必要性は一応あることにはあるけれど
(試験にも出るので)いまいち学ぶことへの意欲がわかない分野だ。
手形も小切手も普段接することが少ない上に抽象的な議論が多いので
妄想溢れる僕のイマジン力をもってしても
実体的なイメージがわきにくくかなり理解に苦労した。

以下、チェック項目・・・
<Part1 約束手形の意義と手形法の視点>
☆信用取引は買主にとっては資金繰りを楽にし、
売主にとっては資金繰りを苦しくするという財務的効果をもつので
「債務者は信用を受けること(支払期限を先に延ばすこと)を望んでいる」
という仮定に立てば債権者は自分の資金繰りが苦しくなるのをいやがるで
そのための対策を考えなければならない
→その対策の一つは債権の譲渡を容易かつ確実にすること
→技術的には有価証券化すること、より本質的には抗弁の主張制限、
譲渡を容易にするための担保責任を譲渡人が負担するなど

○手形が「担保のために」授受され債務者が原因関係の履行期を
徒過している場合には、債権者から手形の返還を受けなくても
債務者は履行遅滞になる(最判昭40.8.24)

○原因関係の無効・不存在・消滅は、
手形関係の無効・不存在・消滅をもたらさない=「手形の無因性」

<Part2 約束手形>
○「一覧払」=支払呈示があった日を満期とするもの(手形法77条1項)

○手形交付をめぐる学説の対立に関しては二段階構成説ではなく手形行為も
手形の授受という方式によって行われる契約と考える「交付契約説」が通説

○手形行為における意思表示の瑕疵や無権代理などの問題は
手形法に明記がないので民法を適用

○「変造」=手形債務の内容を決する手形上の記載に
他人が無権限で変更を加えること(抹消を含む)
「偽造」=行為者の署名を変更すること

○法律行為としての裏書きの効力=「権利移転的効力」、「担保的効力」

○裏書きの連続を欠く場合でも手形所持人が自己の実質的権利を証明すれば
権利行使が可能とするのが判例・通説
→手形法16条1項は単なる権利推定を定めているだけであって
裏書きの連続を権利行使の要件とはしていないから

○善意者介在(手形法17条)をめぐっては善意者の下で抗弁が切断されるとする
「切断説」が通説

☆判例では裏書不連続手形の呈示であっても遡求できる
「遡求権保全効」が認められている(大阪高判昭55.2.29)←学説は否定的
=裏書不連続手形の所持人もその実質的権利を客観的に裏書の不連続を
補完して裏書の連続のもつ形式的資格と同等の地位を所持人に
肯定しうるような証明をして呈示した場合、
あるいは裏書の連続以外を理由に支払拒絶をした場合に認められる

☆「支払呈示」→支払呈示期間内になされる呈示
(遡求権保全効あり・時効中断効あり)
「請求呈示」→支払呈示期間が経過しても手形上の権利が時効によって
消滅しない限り手形所持人は主たる手形債務者およびその手形保証人に対して
手形金の支払を請求できるのでこのような支払呈示期間経過後に
手形を呈示して手形金の支払を請求すること
(遡求権保全効なし・時効中断効あり)

☆「利得償還請求権」=手形上の権利が手続の欠缺または時効により
消滅した場合に所持人が振出人、引受人または裏書人に対し
その受けた利益の限度で償還の請求をなしうる権利(手形法85条)
=所持人が権利の消滅により発生した利得の償還を債務者に請求できる趣旨
→要件=1:手形上の権利が有効に存在し償還請求者が
その権利を有していたこと、2:手形上の権利が手続の欠缺または時効によって
消滅したこと、3:請求の相手方である手形債務者に利得が存在すること

○「除権判決」=権利と紙切れの結びつきを解いて有価証券を無効にすること
←公示催告手続を経たうえでなされる

○その白地を補充する権利=「補充権」の存否が
要件欠缺による無効手形と白地手形を分ける差(大判大正10.10.1)

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2000 9/19
法学、商法
まろまろヒット率3

弥永真生 『リーガルマインド会社法』 有斐閣 1999(第4版)

気がつけば自分もオリンピックが開催されていた、らぶナベっす。

さて、『リーガルマインド会社法』[第4版]弥永真生著(有斐閣)1999年第4版。
「この本の目的は会社法を素材にどうやって説得するかについて
イメージを持ってもらうこと」と最初に著者が断言しているだけあって
会社法的な視点や考え方についての理解に重点をおいた学術書。
会社法の視点としてそれぞれのポイントをカテゴライズし
それらの関係をあらわした図解を基本にしていて、
どんなに後半に進んでいってもその図解に書かれた視点に言及しているので
いまの議論が会社法全体の中でどういう位置を占める話なのかが
簡単に理解できるでとても使いやすい。素直に良いと言える一冊。

<はしがき>
☆法律は説得の学問であり、相手を納得させるためには
「結論への筋道」と「結論の妥当性」が必要
→一人一人の価値観が異なる以上、「説得力ある結論」は
必要性と許容性によって支えられているから

<「結論への筋道」入門>
☆文理解釈(条文にこう書いてある)が本来は普通の解釈だが
それでは妥当な結論が得られないとか直接規定した条文がない場合に
どのように処理するかが法律学を知っている者の腕のみせどころ
→法律の文言どおりに考える場合以外は立法趣旨をまず示すことが必要
→条文を文言どおり適用すると妥当な結論が得られない場合には
縮小解釈を使う、直接規定した条文がない場合には拡大解釈、
類推解釈、反対解釈を使うなど

<第1章 会社法の意義と目的>
○会社法の規定は原則として強行法規なので特に規定がない限り
強行法規や定款に違反した行為は無効
←会社の社員間や社員と経営者の間には利害の対立が生じやすく
一般の株主の利益を守るために法の後見的作用が必要になるから
(特に株式会社は関係者が多数にのぼるため)

○取引の安全と会社の利益が衝突する場合には「相対的無効」が構成される
(会社の対外的行為の効力を善意の第三者に対する関係では有効と考えるが
他の関係では無効と考える)

<第2章 営利社団法人としての会社>
○濫用、形骸化など形式的独立を貫くことが正義公平に反する場合には
会社の独立性を否定して会社(法人)とその背後にある社員(株主)とを
同一視する「法人格否認の法理」が適用されることがある
→契約の解釈によって解決できる場合が多いのであまり適用されない

<第3章 株式会社法の前提と視点>
☆表見代表取締役(262条)や表見支配人(42条)などの「外観主義」の要件は
外観の存在、外観への信頼、外観作出への帰責(予因)

<第4章 株式>
○株主平等の原則に反する会社の行為は取引の安全と衝突しないので無効

○株式譲渡の制限に違反した場合は会社の利益や株式会社制度の健全化の
観点からは無効とすべきだが取引の安全を図るため相対的無効と考えるべき
また、会社の利益を図ることのみが制限の目的の場合には対会社の関係で
無効にすれば足りるから当事者の利益を考慮して当事者間では有効とする

○「自己株式の取得禁止」(210条)とは発行会社の計算において
発行会社の株式を取得すること
・自己株式の無償取得は210条違反には当たらない
 →会社資産を減少させることも不当な投機に悪用されることもないから
・会社名義であっても他人の計算でなされれば210条違反には当たらない
 →株式取得から生じる損益は第三者に帰属し第三者が資金を出しているので
 資本維持の原則に悪影響を与えないから

<第5章 機関>
☆株式会社の機関の特色
=「機関資格と社員資格の分離」、「機関権限の分掌」

☆「株主総会の決議の瑕疵を争う訴え」には
決議の成立過程における手続や法令・定款に違反したか著しく不公平な場合、
決議の内容が定款に違反した場合、特別利害関係人が議決権を行使したため
著しく不当な決議がなされた場合などの「決議取消の訴え」(247条)と、
決議が存在しない場合または決議内容が法令に違反した場合の
「決議不存在・無効確認の訴え」(252条)がある

○「決議取消の訴え」は判決の確定があるまでは一応有効な決議を
その決議の時に遡って無効とすることを目的とする形成訴訟
→裁判所は取消の訴えが手続の瑕疵についてはその違反事実が重大でなく
かつ決議の結果に影響を及ぼさないと認められる時には
請求を棄却することができる=「裁量棄却」(251条)

○「決議不存在・無効確認の訴え」は当然に無効なので
いつでも誰でも主張でき、また必ずしも訴えによることを要せず
抗弁としてでも主張できる

☆「取締役会」←意思決定の権限、
「代表取締役」←執行自体と対外的代表の権限
・・・の両機関が並立的に株式会社の業務執行機関を構成している

○取締役がその取引によって取得した金銭その他の物を
会社に引き渡させる「介入権」(264条3項)を取締役会は持つ

○取締役が違法な行為をしようとしている時その行為をやめることを請求する
「違法行為差止請求権」を株主(272条)と監査役(275条の2)は持つ

<第6章 設立>
☆会社の設立の特色=「実体の形成」、「法人格の付与」

☆設立では資本充実(資本に見合う会社財産が会社に確保されていること)が
最重要

<第7章 株式会社の資金調達>
○「株式」←株主たる地位に基づく団体的性格、
「債権」←単に債権者としての地位に基づく個人的性格

○株主総会は法令・定款記載事項につき決議できる(230条の10)のに対し
社債権者集会の決議事項は法定され、それ以外の事項を決議するには
裁判所の許可を必要とする(319条)

○新株発行は会社の一部設立の面を持つ
→実質的には会社の人的・物的規模の拡大

<第8章 企業の基本的事項の変更>
○「合併比率」=合併の際、消滅会社の株主にその有する株式何株に対し
存続会社のいかなる新株を何株割り当て
または存続会社の株式を移転するかという割当比率
→合併による資本増加額は消滅会社の純資産額を超えてはいけない、
当事会社の財産状態からみて公平でなくてはいけないという原則がある

<第9章 株式会社の計算>
☆株式会社の計算に関する法規制の目的
=「配当可能利益の算定」、「会社の財務内容の開示」

○会社債権者が会社財産維持に重大な利害を有することを考えて、
違法配当が行われた際には会社債権者は違法配当額を会社に返還することを
株主に対しても求めることができる(290条2項)

○会社債権者が取締役に違法配当額の弁済を請求できる
266条1項1号は無過失責任

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2000 9/16
法学、商法
まろまろヒット率4

伊藤眞 『民事訴訟法』 有斐閣 2000(補訂)

サッカーオリンピック日本代表の要を担う中村俊輔は
何か確固たるポリシーのもとであの髪型をしているのか気になっている
らぶナベ@ずっと前からあのままだから・・・

さて、『民事訴訟法』[補訂版]伊藤眞著(有斐閣)2000年補訂第1版。
民事訴訟法研究の第一人者による体系書。
著者は同姓同名さらに同大学出身の予備校経営者とはまったくの別人。
民訴はこの著者の本と上田徹一郎の本とどちらにしようか
最後の最後まで悩んだが少し難解でも後々のためになるような気がする
こっちの本を購入・・・読み始めてちょっとだけ後悔(^^;
何しろバリバリの理論書なので他の本と比べても極端に事例紹介などの
具体例が少なく(刑訴の方が判例の紹介が多かった)
抽象的な表現を具体化するのに苦労した。
さらに入門者を想定していない高度な理論書らしく
ポイントや説明が一つの箇所にまとまっていないので
事前に民訴の入門書を3冊読んでいてもかなり要点をつかみむのに苦労した。
(この本を解説していたある人は「頭の良い人の文章とは大抵こういうもの」
ということを言っていたようだが確かに納得)
そして1冊単位で見れば僕が法律関係で読んだ本の中で
最も分量があったのでとにかく読むこと自体がかなり大変だった。
途中でこういう本は一通り流れをつかんで必要なら戻ってこようと開き直り、
読み進んだがチェック項目をまとめるのにもちょっと苦労した。
とにもかくこれで民訴、刑訴の両手続法は読み終えたことになる(^_^)

以下、チェック&要約・・・
<第1章 民事訴訟法への招待>
☆自力救済が許される範囲が極めて限られる理由はそこには
単に一方当事者の権利主張があるにすぎず何ら客観的根拠がないため
→ただし最近は事態の緊急性や手段の相当性などを考慮して
より拾い範囲で適法性を認めてゆく傾向にある(最判昭40.12.7)

☆解決内容の正当性を保障するための方策=中立的解決機関、正当な解決基準

○調停(民事調停・家事調停)における解決内容の正当性は
両当事者の自由意思に基づく合意→調停では解決基準に法を適用することは
要求されておらず条理に反しない限り法と異なった内容でも許される
→そのため効力には執行力は含まれるが既判力は含まれないとされる(民調16)

○調停と違って第三者である仲裁人の裁判に従う仲裁には
当事者が仲裁人の仲裁裁判に従う拘束力がある
→仲裁においてはあらかじめ仲裁契約の形で仲裁判断の拘束力について
当事者間の合意がなされているから(公催仲裁786)

○民事訴訟法は中立的紛争解決機関として裁判所が手続を主宰する、
紛争解決基準として実体法が適用される、
相手方である被告は応訴の意思に関わらず手続
=訴訟法関係に組み込まれるという点で調停・仲裁とは異なる

○非訟事件は権利義務の確定を目的としないので
要件事実認否の確定は必要ない
=そのため審理手続きを口頭弁論によって行う必要がないし
相対立する2当事者の存在も必要ない

☆非訟手続が憲法82条に反するかどうか→権利義務関係の存否そのものを
確定するためには訴訟手続によらなければならないが
権利義務が存在することを前提としてその具体的内容を形成することは
非訟手続でも許されるとされる(最大決昭35.7.6)

○付随手続=強制執行手続、民事保全手続、倒産処理手続
特別手続=督促手続、手形・小切手訴訟、少額訴訟、人事訴訟、行政訴訟

☆訴訟法は訴訟という大量現象を公平に規律しなければならない役割を担って
いるのでその解釈も当事者の個別的事情のみにとらわれることはできないが
一方で権利義務をめぐる当事者間の紛争に解決を与える役割もあり
公益性の名の下に当事者の利益が無視されてはならない
→具体的問題に関する法解釈にあたってはこの二つの要請=
「公益性」vs「紛争解決性」をどのように調和させるかが重要な判断要素

☆当事者間の紛争が訴訟の形をとって裁判所に持ち込まれた場合に
最初になすべきことは当事者間において何が真の争いかを発見すること
が重要=「争点整理」→争点が圧縮されれば当事者の合意が成立しやすくなる

○「効力規定」=その規定に違反する訴訟行為の効力が否定されるもの
(任意規定と強行規定それぞれある)
「訓示規定」=その違反が訴訟行為の効力に影響をもたない規定

☆判決に?おいてある法的結論が示されていてもそれが当該事件の解決に
とってのみ意味を持つものか、一般通用性を持つものかを考える必要がある
=「判例の射程」問題

<第2章 受訴裁判所>
○外国国家は民事裁判権に服しない=「主権免除」
→ただし国家の私法的行為については主権免除を認めない制限免除主義が通説

○国際裁判管轄とは民事裁判の対物的制約を具体化したものとされる

○事物管轄は原則として当事者の意思で変更ができない専属管轄ではないので
当事者間の合意(11条)や被告の応訴(12条)によって変更されることがある

○管轄に関しては「原告は被告の法廷に従う」のがローマ法以来の原則だが
現行法では大きな機能を果たしてはいない

○財産上の訴えは義務履行地に(5条1項)、不法行為の訴えは不法行為地に
(5条9項)裁判籍が認められる
→加害者とされる側が原告となる損害賠償債務不存在確認訴訟でも
不法行為地の裁判籍が適用される(東京地判昭40.5.27)

○原告が管轄違いの裁判所に訴えても被告がこれに対して異議を唱えずに
応訴すれば当該裁判所に管轄権を認めてもよい(12条)

<第3章 当事者>
○自然人は死亡で法人は解散によってその当事者能力は消滅するが
解散法人も清算の目的範囲内では存続するものとみなされるから(民73条)
清算の結了までは当事者能力が残存する
(法人の機関には当事者能力は認められない)

○地方公共団体には当事者能力が認められる(自治21条)が
行政庁には民事訴訟での当事者能力は認められない
(ただし行政訴訟では当事者能力が認められる)

○「法人格なき社団」の要件=対内的独立性、財産的独立性、
対外的独立性、内部組織性(最判昭39.10.15)
→実体法上は民法の組合であっても訴訟法上は法人格なき社団として
当事者能力が認められる(大判昭10.5.28)

○当事者能力が認められる者は訴訟上の請求の主体or
その相手方になりうるが訴訟行為の結果によって
重大な利益・不利益を受けるので法はさらに「訴訟能力」を
一定の者に限って認めている→そのため当事者もしくは
補助参加人としての地位を持たない者は訴訟能力が要求されない(民102)

○未成年者と成年被後見人は訴訟無能力者なので
法定代理人によってのみ訴訟行為をすることが許される(31条)
被保佐人と被補助人は彼らの同意もしくは
これに代わる家庭裁判所の許可が必要(民12、16条)

○人事法律関係では本人の意思が尊重されることを考慮して
訴訟行為について能力制限を受けた者であっても
法定代理人や保佐人等の同意を得なくても訴訟行為が認められる(人訴3条)

○本人たる当事者のために訴訟代理人が複数存在する場合であっても
それぞれの代理人が単独で当事者を代理する権限を有するので
相手方や裁判所の訴訟行為も一人に対してなせば足りる
=「個別代理の原則」(56条)

<第4章 訴え>
☆訴え=裁判所に対する審判の要求=「訴訟行為」
審判の対象=被告に対する請求=「訴訟物」
→二つは相手方が異なる

○訴えの類型の中で「確認訴訟」がもっとも基本的な類型
(どの訴訟も確認判決的性質を内包しているため)

○「形式的形成の訴え」は権利関係の確定を目的としないので
その実質は非訟事件(最決昭43.2.22)
→法律関係の重要性などの政策的理由から訴訟手続になっている
→処分権主義&弁論主義は妥当しない=境界確定の訴えなど(大連判大12.6.2)

☆「訴訟要件」=訴訟行為の有効性、当事者の実存&当事者能力、
訴訟能力&訴訟代理権、裁判権&管轄権、訴訟費用の担保提供、
訴えの利益&当事者適格、不起訴の合意&仲裁契約の不存在、
二重起訴の不存在

☆訴えの利益=「権利保護の資格」&「権利保護の利益」

☆権利保護の資格=「法律上の争訟」
→判例が定める法律上の争訟=訴訟物が当事者間の具体的権利義務
または法律関係とみなされること(最大判昭27.10.8)、
訴訟物についての攻撃防御方法が法令の適用に適するもの(最判昭56.4.7)

○近年多発している宗教団体の内部紛争に関して
住職の地位確認を求める訴えはそれが宗教上の地位であり
具体的権利義務または法律関係にあたらないから権利保護の資格を欠くが
住職の地位を前提とする宗教法人の代表役員の地位の確認の訴えは
訴訟物が法律上の地位となるから認められるとされる(最判昭55.1.11)

☆権利保護の利益=訴えの提起の必要性&許容性

○将来の給付訴えの利益が認められる要件=
履行期が到来してもその履行が合理的に期待できない事情の存在、
もしくは給付の?性質から履行期の到来期において即時の給付がなされないと
債務の本旨に反する結果となるか原告が著しい損害を蒙る場合

○確認訴訟の対象となりうる訴訟物も権利関係に限られるのが原則だが
過去の事実関係であってもその確認が現在の法律関係をめぐる
紛争の抜本的解決に適切かつ不可欠である場合には確認の対象となる
→国籍訴訟など(最大判昭32.7.20)

○請求の内容が一般的に裁判所による審判に適するものかどうかが
権利保護の資格、
当事者と訴訟物との関係について裁判所が本案判決をなすべきかどうか
当事者適格

○訴訟物たる権利関係の主体に認められる当事者適格の例外が訴訟担当
→担当者自身が当事者となる点で訴訟代理とは違う
(職務上の当事者、選定当事者など)

☆給付訴訟の訴訟物に関して訴訟物論争がある=同一の社会生活関係から
占有権に基づく返還請求権と所有権に基づく返還請求権の二つが発生する場合
実体法上の請求権の個数に着目して二つの訴訟物が
成立するとするのが旧訴訟物理論(通説・判例)
→紛争の一回的解決という点からは新訴訟物理論が優れているように見えるが
裁判所の釈明権行使、信義則による遮断効の拡張、
二重起訴の範囲の拡張などを使用すれば旧訴訟物理論でも不利益はなく
民202条1項に新訴訟物理論は接触する

○処分権主義は私的自治をその根幹としているので私的自治が制限される
権利関係(人事訴訟、会社関係訴訟)では処分権主義も制限されることがある
また私人間の権利関係が訴訟物とならない形式的形成訴訟でも制限されうる

☆一部請求で後遺症の損害賠償が問題となることがあるが債権全額を前訴で
明らかにすることは不可能であるので一部請求の考えにはなじまない
→後遺症に基づく損害賠償請求権は同一不法行為に基づくものではあるが
別個の被侵害利益によるものとして実体法上別の権利であるから
むしろ前訴の訴訟物とは別の訴訟物となり何ら前訴判決による訴訟法上の
制限&結果を受けるべきではないと考えるべき(最判昭43.4.11)

<第5章 訴訟の審理>
☆訴訟指揮権=審理の進行に関する行為、審理の整序に関する行為、
期日における当事者の訴訟行為の整理に関する行為、
訴訟関係を明瞭にするための措置

☆口頭弁論の進行=訴訟物たる権利関係の存否の判断に
必要な事実を裁判所の判断資料とするための手続=「事実主張」
→これらの事実のうち裁判所の判断の対象となるべき事実を確定する手続
=「争点整理」・・・この二つを合わせて「弁論」
→争いとなる事実についての証拠申出&それについての証拠調べ
・・・現行法は「適時提出主義」&「証拠結合主義」の下に
三つの手続を段階的に区別せず一体のものとして進めることを原則としている

○準備的口頭弁論(164条)と違って弁論準備手続(168、169条)は
傍聴の可能性は認められているものの公開を要しない期日で行われる
→争点整理は弁論準備手続が原則だが社会的関心が高く
争点整理自体について広く一般の傍聴を認めることが合理的な事件の場合には
準備的口頭弁論による争点整理が適するとされる

☆適時提出主義が原則だが「時機に遅れた攻撃防御方法」は却下される
→その要件=時機に遅れて提出されたものであること、
それが当事者の故意または過失にもとづくものであること、
それについての審理によって訴訟の完結が遅延すること(157条)
→攻撃防御方法には事実主張、証拠申出だけでなく否認や自白の撤回など
それにもとづいて審理の必要を生じさせる当事者の訴訟行為も含む

☆「弁論主義」=訴訟物たる権利関係の基礎をなす事実の確定に必要な
裁判資料を当事者の権能と責任に委ねる原則(159条、179条)
第1:主要事実(権利関係を直接に基礎づける事実)については
当事者による主張がなされない限り裁判所はこれを判決の基礎にはできない
第2:主要事実について当事者の自白の拘束力が認められる
第3:事実認定の基礎となる証拠は当事者が申し出たものに限る
(職権証拠調べの禁止)
→ただし一定の事項については弁論主義と対立する概念である
「職権探知主義」&「職権調査主義」が適用される

○事実&証拠に関わるものが「弁論主義」、
審判の対象の定立&処分に関わるものが「処分権主義」

☆裁判所は訴訟関係を明瞭にするために事実上&法律上の事項に関して
当事者に問いを発しまたは立証を促すことができる=「釈明権」(149条1項)
→当事者は裁判所に対して釈明権の行使を求めることができる=
「求問権」(149条3項)上に裁判所が合理的な範囲で釈明権の行使を
怠った場合には釈明義務違反として上告理由が認められる

○別の事実が独立に法律効果の変動につながるかどうかが
「抗弁」と「否認」との違い

☆複数の主張の順序に当事者が条件を付ける場合には
それが訴訟手続の安定を害する不合理なものでない限り
いずれも訴訟資料として扱われる=「仮定的主張」、「仮定的抗弁」
(原告がその所有権の取得原因として売買契約の存在を主張して
これが認められないときには取得時効の完成を主張するのが仮定的主張、
賃金返還請求訴訟で被告が第1に金銭受領事実を否認し
予備的に弁済を主張するのが仮定的抗弁)

○私法行為には信義則(民1条2項)、権利濫用禁止原則(民1条3項)が適用される
→当事者の訴訟行為についても信義誠実訴訟追行義務を課したのが2条
(最判昭34.3.26、最判昭41.7.14など)=訴訟上の禁反言、訴訟上の権能の失効

○取調べの対象となる有形物が「証拠方法」、
取調べの結果として得られるのが「判断資料」、
証拠資料の中で裁判官の心証形成の原因となるものが「証拠原因」

☆因果関係の証明について判例の判断=「特定の事実が特定の結果発生を
招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、
その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を
持ちうるものであることを必要としかつそれで足りる」(最判昭50.10.24)

○自白の撤回が認められる場合=第1に相手方の同意がある場合、
第2に自白が相手方または第三者による刑事上罰すべき行為によって
おこなわれた場合、第3に上記のいずれの要件に合致しない場合であっても
自白が錯誤に基づいてなされた場合→錯誤を主張するためにはその前提として
自白事実が真実に反することの証明が要求される
(自白当事者は本来自己が証明責任を負担していなかった事実について
錯誤の内容として証明責任を負担せざるを得ない)
さらに過失の有無は問題とならない(最判昭41.12.6)

☆肯認的争点決定主義に基づく「擬制自白」(159条)の対象となるのは
自白の対象と同じく弁論主義に服する主要事実に限定される
→ただし権利自白についても自白と同じく
その中に含まれる事実に関する擬制自白が成立しうる

☆民訴は刑訴と違って伝聞証言と違法収集証拠に対しての制限が緩やか
=反社会的手段を用いて採集された証拠については証拠能力が
否定されることを前提としながらその程度に至らないとして
無断録音テープの証拠能力を肯定した判例がある(東京高判52.7.15)

☆損害賠償請求の証明責任は損害賠償請求権を主張する当事者が負うが
証明度の特例として確信に達していない時であっても
相当な損害額を裁判所が認定できる(248条)=「証明度軽減法理」
→自由心証主義の例外(特許法105条の3など)

○保全事由(証拠保全の要件)=第1に証拠方法の客観的性質から
将来における証拠調べが困難となる事情、
第2に証拠方法の支配者の行為という主観的事情によって
得られるべき証拠資料の取得が不可能になる場合(234条)
→どの程度の具体性が要求されるかについて医師のカルテなどで議論がある

<第6章 訴訟の終了>
○訴えの取下げによって訴えの提起に基づく訴訟関係や訴訟行為は
遡及的に消滅する(262条1項)

○本案の終局判決言渡し後に訴えを取り下げた者は
同一の訴えであれば再訴が禁止される(262条2項)
→ただし訴えの取下げ時と比較して後訴の提起時に訴えの提起を必要とする
合理的事情が存在すれば同一の訴えとはみなされない(最判昭52.7.19)

☆訴訟上の和解のメリット=原告か被告かの一刀両断的判断ではなく
「条理・実情にかなった解決」が与えられる
→条理・実情にかなった解決とは事実関係について証明責任による判断を
避けるという意味でも、法的基準を条理によって
修正するという意味でも用いられる

☆数個の請求について一個の判決がなされ一部の請求についてのみ
不服申立てがなされた時でも確定遮断効は判決全体について生じる
=「上訴不可分の原則」(大判昭6.3.31)

○定期金賠償を命じた確定判決について後遺症の程度など口頭弁論終結時に
損害額の算定の基礎となった事情に著しい変更が生じたことを理由として
当事者が確定判決の変更を求める訴えを提起することができる(117条)

○既判力の目的は紛争解決基準の安定、当事者に対する手続保障(114条)
→既判力の時的限界または基準時は事実審の口頭弁論終結時

○取消の主張は既判力によって遮断される(最判昭36.12.12)、
解除権も基準時前にいつでも解除権行使が期待できた以上
解除の効果を主張することは既判力によって遮断される

○確定判決?中の判断のうち主文に包含されるもののみが既判力を有するのが
原則(114条1項)→特定された訴訟物は実体法上の権利関係であるから
実体法上の属性=法的性質も既判力によって確定される
→これに対して判決理由中の判断そのものには
114条2項が規定する相殺の抗弁の場合を除いて既判力が認められない

○「仮執行宣言」の要件=請求が財産上のものであり
その必要性が認められる場合(259条)

○仮執行宣言はその宣言を変更する判決または本案判決自体が
変更されることによってその限度で効力を失う(260条)
→仮執行宣言の効力が消滅すれば仮執行宣言によって
被告が給付したものの返還やそれによって被告が受けた損害の賠償を
裁判所が原告に命じなければならない
(損害賠償責任については判例&通説は無過失責任説を採用)

○155条2項によって弁護士の付添いが命じられた場合の他は
弁護士費用は当事者費用には含まれない(民訴費2条)
→その根拠は弁護士強制主義が採用されていないためだが議論が続いている

○訴訟費用に関する担保提供の方法や手続は他の法令によって
訴えの提起について立てるべき担保に準用される(81条)
→株主総会決議取消の訴え(商249条)、株主代表訴訟(商267条)など

○経済的余裕の無い当事者には裁判費用などの支払いを猶予し
その者が勝訴した時には訴訟費用の負担を命じられた敗訴当事者から
国が費用を取り立てる制度=「訴訟救助」は法人も対象となる

<第8章 多数当事者訴訟>
○現在の判例&学説は特別な補助参加人の地位について
「共同訴訟的補助参加」という特例を承認している
→共同訴訟的補助参加人の地位=当事者の訴訟行為と接触しても
補助参加人の訴訟行為が主たる当事者に
有利なものであるときはその効力が認められ、
補助参加人の上訴期間が主たる当事者とは独立に計算される
EX.破産管財人を当事者とする訴訟に参加する破産者、
債権者代位訴訟に参加する債務者など(この地位の特例以外の補助参加の利益、
補助参加の手続、裁判の効力などはすべて通常の補助参加の場合と共通)

○当事者が補助参加の利益を持つ者に訴訟係属の事実を通知する
「訴訟告知」は被告知者が告知側に補助参加しなかった場合に
被告知者は参加できた時に参加しなかったものとみなされ
参加的効力によって拘束される機能がある(53条)

<第9章 上訴>
○上訴制度の歴史は手続保障の視点から上訴の機会を保障するものと
正義の迅速な実現の視点から上訴を制限するものとの衝突によって動かされた
→手形・小切手訴訟や少額訴訟では不服申立てが異議に限られ
控訴が認められていないこと(356条)、最高裁が上告審となるときは
法令違反が絶対的上告理由とはならないこと(312条)などは
この二つの対立を考慮したもの

○仮執行に基づく執行力は上訴による確定遮断効の影響は受けないが
抗告に関しては即時抗告についてのみ執行停止の効力が認められる(334条)

○控訴審=事実認定の不当or法令適用の違背→「事実審」
上告審=法令適用の違背に限られる→「法律審」

○控訴による不服は訴えについての第一審判決の判断を対象とするものだから
第一審判決の理由が不当であってもその結論において正当である時には
控訴棄却の判決がなされる(302条1項)

☆最高裁への上告理由は憲法違反or絶対的上告理由に限られるが
その他に上告受理申立理由も定められている(318条1項)
→日本は英米と違って判例の一般的拘束力は認められていないので
下級審が上級審の判例に示された法例解釈と異なった判断を
示すこともありうるので下級審判決に対して判例の解釈を
維持すべきか変更すべきかを判断する必要があるため
(判例違反が法令解釈に関する重要な事項を含むのはそのため)
→判例違反がない場合でも最高裁として判断を示す必要があれば
上告受理申立理由が認められる

<第10章 再審>
○民訴でも確定終局判決に対して10の事由を定めて再審

この本をamazonで見ちゃう

2000 8/29
法学、民事訴訟法
まろまろヒット率3

白取祐司 『刑事訴訟法』 日本評論社 1999

最近、僕の人生の半分は勘違いと妄想で構成されていたことに気がついたけど
後戻りができないことにも気がついてしまってコマッチングならぶナベっす。

さてさて、『刑事訴訟法』白取祐司著(日本評論社)1999年初版。
以前、法学の基本書を紹介するHomePageで絶賛されていたので
思わず購入して読んでみることにした一冊(少年の様に影響されやすい体質)。
確かに法学の本としてはかなり読みやすい文章だし視点も明確だ。
だいたい訴訟法の本は読んでいて退屈だったりするけれど
この本は突っ込んだり関心したりできたのでなかなかに楽しめた。
例えば「被告人に自分は真犯人だと打ち明けられても弁護人が
無罪主張することは許される」と断言している部分には違和感を感じた。
その理由は当事者主義的訴訟構造の下では真実とはあくまで擬制だから
ということらしいが(詳しくは以下のチェック項目で)ちょっと説得力が無い。
でも『評決のとき』のような真実と事実がぶつかる時には
こういう議論が鮮明化してくるのだろう。
また、DNA鑑定に対して司法が妙に慎重な態度を取っている理由は
最高裁で死刑が確定されたが再審で一転無罪になったという
とんでもない事件の争点が当時それほど信頼性が無かった
血液型鑑定に頼っていたという実にこわい事例があるかららしい。

以下、チェックした部分・・・
<はしがき>
☆刑事訴訟法学の魅力は個々の問題に内在する対抗軸、
すなわち手続主体間の利害・緊張関係が生み出すダイナミズムにある
・・・いわゆる論点と言われるものもその大半は
真実発見(犯人必罰)と適正手続との緊張関係を凝縮・反映したもの

<序章>
☆訴訟法的な考察方法に従う限り「真犯人」なるものはいない
(いるのは犯人らしき「被疑者」、「被告人」にすぎないし
「無実の者」も観念的なものにすぎない)
→刑事手続の目的は真犯人の発見ではなく無実の者を処罰しないところにある

☆刑事訴訟法は刑法と比べて手続法としての独特な思考方式に立って
問題を解決しようとする点に特徴がある
→実体法が二次元的な発想だとしたら
訴訟法は三次元、四次元の発想が要求される

☆刑事訴訟法は他の法分野と比べて理論(学説)と実務の距離が
大きい分野だと言われているが実務と言った場合に
何を持って実務と言っているのかに注意する必要がある
→実務と判例は常に一致するわけではない

<第1章 総説>
○自然人は死亡によって法人は解散によって当事者能力を欠く(339条1項4号)
→ただし死後の再審は可能

☆弁護人が真犯人だと打ち明けられた被告人のために
証拠不十分を突いて無罪主張することは許される
→当事者主義の訴訟構造では当事者が証拠によって
合理的疑いを超える証明を果たした事実のみが「真実」(擬制)であり、
客観的真実なるものは訴訟では始めから放棄しているから
←どうも説得力が無いぞ!

○一人の検察官が行った事務は独立の官庁が行ったことと同じ効果がある
=「検察官同一体の原則」

○裁判官への忌避申立(21条1項)はまず認容される可能性はない
←チッソ川本事件(最決昭48.10.8)

☆被害者の意思を手続に反映させるなど被害者保護の気運が高まっているが
被告人は「被害者」に対比される「加害者」ではなく、
加害者か否かを確認される判決が下るまでは
あくまで「無罪の推定」を受けることに注意が必要

○裁判所自ら訴訟を開始する原理=「糾問主義」=「職権主義」、
裁判所以外の者が訴訟を開始する原理=「弾劾主義」=「当事者主義」

○適正手続の保障(憲31条)で最も重要なものは「違法収集証拠排除法則」
(最判昭53.9.7)

<第2章 捜査>
○捜査の原則=任意捜査の原則、強制処分法定主義、捜査比例の原則
(以上197条)、関係者名誉保護の原則(196条)、物証中心主義

○任意捜査と強制捜査の区別に関するリーディングケース「最決昭51.3.16」
=任意捜査と強制捜査の間に「強制処分の程度にいたらない有形力の行使」
という範疇を認めて、必要性、緊急性、具体的状況のもとでの相当性
の要件をみたせば認容されると判示した
(「個人の意思の制圧」と「身体等の制約」があることが強制処分の要件)

○逮捕・勾留中の被疑者が余罪の取調中に自白しても
自首に当たらないとするのが判例(東高判昭55.12.8)

○4夜に渡る任意の身体的拘束を利用した取調べを任意捜査として認めたのが
「グリーンマンション事件」上告審判決(最判昭59.2.29)

○カメラの隠し撮りを任意捜査として認めたのが
「京都府学連事件」最高裁大法廷判決(最大判昭44.12.24)

○おとり捜査の違法性に関しては「犯意誘発型」、「機会提供型」
に分けて判断する(最決平8.10.18)

○コントロールド・デリバリー(controled delivery)は麻薬特例法3条、
4条によって新設された新しい捜査方法で「泳がせ捜査」を認める

○現行法は「検証について準抗告を認めていない」が、
この押収と検証の伝統的な区別は情報に対する重要性が高まってきている
現代の状況に合致しなくなってきている(逮捕にも認められていない)

○捜査・差押時における被疑者・弁護人の立ち会い権は認められていない
(222条1項は113条を不準用)

○専門家に鑑定の嘱託を行う「嘱託鑑定」(223条1項)は
あくまでも任意捜査なので直接強制はできない

○逮捕の現場で差押え、捜査、検証することができると定めた
220条1項の解釈をめぐっては合理説(相当説)が判例(最大判昭36.6.7)
→憲35条との整合性で批判を浴びている

☆強制採尿問題(最決昭55.10.23)に関して判例の法形成機能を
肯定的に評価する向きもあるが強制処分法定主義の性格を考えると、
立法の予想しない人権侵害を伴う強制処分を判例で創造することは問題
→ここらへんが民事訴訟法との大きな違い!

○逮捕の「相当な」理由(199条1項)とは被告人を有罪にするだけの嫌疑より
低くても良いが捜査・差押えの要件としてよりは高い嫌疑だとされる

○ロッキード事件の際に捜査段階で「刑事免責(Immunity)」が用いられたが
最高裁は刑事免責の適法性を否定(最大判平7.2.22)

<第3章 公訴・公判>
○国家訴追主義+起訴独占主義=「検察官起訴専権主義」
(比較法的にも珍しい制度)

○検察側の証拠開示を事前に弁護側が求める条件として
「証拠調べの段階であること、具体的必要性があること、
防御のために特に重要であること、罪証隠滅・証人威迫のおそれがないこと」
を判示した「最決昭44.4.25」以降は証拠の事前全面開示について
判例は沈黙している

○訴因変更については訴因の事実的側面を重視して
重要な点で事実に変化があれば構成要件が同一でも訴因の同一性はなく、
訴因変更が必要になるとする「事実記載説」が判例・通説(×法律構成説)

☆公訴提起による「時効の停止効」は公訴事実の同一性に及ぶとするのが
判例・通説

○当事者主義+直接主義+口頭主義=「口頭弁論主義」

<第4章 証拠>
○自由心証主義→適正な事実認定の原則→訴因について確信にいたらなければ
端的に無罪を言い渡す→灰色無罪は問題とならない

☆「心証の程度」は「疑わしきは被告人の利益に」の原則が貫かれるので
有罪判決の際には「反対事実の存在の可能性を残さないほどの確実性を
志向した上での”犯罪の証明は十分”であるとの確信的な判断に
基づくものでなければならない」とされる(最判昭48.12.13)
→大陸法と英米法の折衷的な表現

☆証拠の「関連性」(relevancy)とは要衝事実の存否を推認しうる
蓋然性(probability)のこと→これを欠くと証拠能力が否定される

☆司法がDNA鑑定に未だ慎重な理由は十分な関連性(証明力)を持たない
血液型鑑定によって少なくない誤判(再審無罪)が生まれたため
(これが自然的関連性のない科学的証拠の許容性=証拠能力を否定する根拠)

☆違法収集証拠排除法則(Exclusionary Rule)が適用されるには
まず「重大な違法」があり証拠を認容することが「相当でない場合」
という非常に限定された条件下のもとでのみ可能=「最決昭53.9.7」
(捜査官が主観的に令状主義潜脱の意図を持って始めて違法と言えるなど)

○自白の証明力の注意則(判断基準)=客観的証拠との一致、
秘密の暴露、臨場感体験供述の有無、自白内容の矛盾・変転
→この注意則はかえって間違った判断を導く可能性があるので注意が必要

☆共犯者の自白にも補強証拠が必要かについては憲38条3項の
「本人の自白」に共犯者の自白も含まれるのかという問題になる
→含めずに補強証拠を不要とする「消極説」が判例
=「練馬事件」大法廷判決(最大決昭33.5.28)

☆伝聞法則の理想(320条)は現実によって大きく裏切られている
→現行法自体が伝聞法則の例外を多く認めているため(321条以下)
→特に検面調書という捜査書類を伝聞の例外としたので
結果として公判の形骸化の要因となっているとされる

☆伝聞法則の例外を認める要件=
反対尋問に代わる客観的担保がある場合に限られなければならない
「信用性の情況的保障」(特信情況)、
一定の伝聞証拠を使用する特別の必要性がなければならない「必要性」
→この2つの原理が厳格に求められる

☆相手方の同意を得た「同意書面」(326条)を伝聞証拠の例外と認めるのは
特信情況、必要性の2つの原理では説明できない例外であり、
これに当てはまるときは他の例外事由に当たるかの吟味も省略できるという
伝聞法則不適用の一種

☆伝聞証拠であっても被告人・証人等の供述の証明力を争う
「弾劾証拠」として用いる場合には例外として証拠能力が認められる(328条)
→ただし自己矛盾の供述(同一人の不一致供述)に限る限定説が通説

<第5章 裁判と救済手続>
☆A事実とB事実のいずれかの事実が存在することについては
合理的疑いを超える確信が持てるものの、
そのどちらかについての確信が持てない時=「択一的認定」の問題
→二つのうち少なくとも軽い事実であることは確かなのだから
そのうち軽い方の事実で有罪判定を下す(最決昭33.7.22)
→ただし無罪の推定の原則に接触することでもあるので無罪判定もある

○一事不再理効の及ぶ範囲=被告人と裁判を言い渡した国家の間のみ生じる
主観的範囲(別の公判で共犯者に矛盾した判決が言い渡されることもある)と、
公訴事実の同一性(312条1項)の客観的範囲で再訴は禁止される

○上訴をするためには「上訴の利益」が必要とされる(最決昭37.9.18)

☆原審の死刑判決に対して控訴したがその後に自ら取り下げたために
死刑が確定してしまった事例で、この取り下げが有効か否かについて
「死刑判決宣告の衝撃及び公判審理の重圧に伴う精神的苦痛」によって
個別的訴訟能力を欠いていたとして本人の上訴取り下げは無効と判示した
「最決平7.6.28」は死刑確定から被告人を救済したユニークな事例

○上訴審の破棄判決の下級審への拘束力は原判決に対する消極的否定的判断
(原判決認定の事実は存在しないなどの破棄の直接理由)についてのみ
生じるのであって積極的肯定的判断(その判断を裏付けるアリバイの存在など)
は拘束しない(最判昭43.10.25)

☆控訴審が職権調査の上で直接に攻防対象になっていない部分を
有罪判定することは許されない=「攻防対象論」(最大判昭46.3.24)
→当事者主義のためと不利益変更禁止のため

☆絶対的控訴理由(377条、378条)と相対的控訴理由(379条)との違いは
手続違反が判決に影響を及ぼしたことの立証を要するかどうかの差

○上告審の機能=違憲審査機能、法令解釈統一機能、具体的救済機能

○「二俣事件」(最判昭28.11.27)以降、「事実誤認の疑い」が
上告理由として認められた(411条の職権破棄)

○再審請求人のクリアすべき基準で
「確定判決における事実認定につき合理的疑いを生じしめれば足りる」
として再審の道を開いたのが「白鳥決定」(最決昭50.5.20)

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2000 8/22
法学、刑事訴訟法
まろまろヒット率4

取り巻く状況や接する関係が複雑になればなるほど、 自分自身は単純でなくてはいけない

っていうこと、とても大切な気がする。
それはある意味でとても難しいことだろう、
バカになってバカに徹しないといけないから。
でも柔軟な思考やテクニカルな行動はシンプルなポリシーの元から発さないと
自分というものが消えて無くなってしまうだろう。
もちろん無色透明に徹するというのも一つの戦略だけど、
それもまたバカにならないといけない。
シンプルさって簡単なようでいざ求めようとすれば一番難しいものかも。

2000 8/20
はしり書き