T2の菓子工房の「ティラミスとチョコレートケーキのプレート」


津にあるT2の菓子工房で、ティラミスととチョコレートケーキのプレートをいただく。

チョコレートが売りのお店だけあってチョコレートケーキは濃厚で、ティラミスの上にかかったココア・パウダーもしっかりとした味わい。
店内限定&期間限定の一皿。
まろまろと今日ももぐもぐ。

三重県津市の「T2の菓子工房」にて。

相可高校の「石巻産ホタテ貝のグラタン」


三重中京大学大学祭に出店した、相可高校の石巻産ホタテ貝のグラタンをいただく。

この石巻産ホタテ貝は、去年、東北行脚した時に石巻市勝町で漁業再開のお手伝いしたご縁のある石巻市雄勝町桑浜のホタテ貝。
(当時の様子→Facebookの投稿)
今回、その石巻産ホタテ貝と、「高校生レストラン」で知られる三重県立相可高校食物調理科とのコラボレーションが実現。

食べてみると、肉厚のある石巻産ホタテ貝とクリーミーなベシャメルソースとの相性の良さが感じられて美味しい。
復興に向けて手を取り合う石巻と松阪とのかけ橋になる一品。
まろまろと今日ももぐもぐ。

三重県松阪市の三重中京大学大学祭(学園祭)、相可高校出店ブースにて購入。

新宿つな八の「大あさりの香り揚げ」


新宿にあるつな八で、大あさりの香り揚げをいただく。

殻ごと揚げているので豪快な見た目だけど、身は丁寧に処理されているので食べやすい。
大正13年(1924年)創業の老舗でありながら創意工夫を続ける意欲が伝わってくる一品。
まろまろと今日ももぐもぐ。

新宿の「天ぷら 新宿つな八」総本店にて。

bills(ビルズ)の「リコッタパンケーキw / フレッシュバナナ、ハニーコームバター」


鎌倉の七里ヶ浜にあるbillsで、リコッタパンケーキw / フレッシュバナナ、ハニーコームバターをいただく。

自家製リコッタチーズを使ったパンケーキは見た目の通りふわふわ。
味の方は見た目よりも甘さ控えめなので、朝食の人気メニューというのもうなずける一品。

ちなみに、こちらのお店はシドニーに本店があり、この七里ヶ浜店が海外初進出店。
スクランブルエッグなども有名で、”The New York Times”の世界一の朝食に選ばれたこともあることで知られている。
世界一かどうかは分からないけれど、湘南海岸を眺められる雰囲気も良いお店。
まろまろと今日ももぐもぐ。

神奈川県鎌倉市の「bills(ビルズ)」七里ヶ浜店にて。

NIKKI CAFE(ニッキカフェ)の「テニスボールケーキ」


本郷にあるNIKKI CAFEで、テニスボールケーキをいただく。

名前の通りテニスボールと見紛うほど完成度の高い外見で、中身はシトロンのムースとチョコレートのムースが組み合わさっている。
特にシトロンのムースの部分に美味しさを感じた一品。

ちなみに、このNIKKI CAFEは元アルルカンがあった場所にある。
本郷の街の移り変わりを感じさせられたお店でもある。
まろまろと今日ももぐもぐ。

本郷(東京都文京区本郷4-1-5)の「NIKKI CAFE(ニッキカフェ)の」にて。

マイケル・サンデル、鬼澤忍訳 『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』 早川書房 2010

講義や議事進行のスタイルからマロマロ・サンデルと呼ばれることもある、渡邊義弘です。

さて、『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳(早川書房)2010。

『ハーバード白熱教室』(NHK教育テレビ)で有名になった哲学講義を基にした哲学書。
原題は、“Justice: What’s the Right Thing to Do?” (2010)

内容は、実際の社会問題を通して、正義に対する功利主義(utilitarianism)、自由意志主義(libertarianism)、
共同体主義(communitarianism)の三つの立場を解説し、それぞれの哲学理論を比較している。

基となった哲学講義と同じく、常に「問いかけ」をおこないながら・・・

☆新たな状況に出会って、自分の判断と原則との間を行きつ戻りつし、互いを参照しつつ判断や原則を修正する
→この心の動き、つまり行動の世界から理性の領域へ移り、そしてまた戻る動きの中にこそ道徳についての考察が存在する
<第1章 正しいことをする>

・・・として、葛藤や揺らぎの心の動きを重視している。
また、著者自身の立場も明らかにしていて・・・

☆達成不能な中立性を装いつつ重要な公的問題を決めるのは、反動と反感をわざわざ作り出すようなもの
<第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ>

○共通善の必要性
・功利主義的な考え方の欠点
 1:正義と権利を原理ではなく計算の対象としている
 2:人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準に当てはめ、平らにならして、個々の違いを考慮しない
・自由意志主義の欠点
 1は解決するが2は解決しない
→公正な社会は、ただ効用を最大化したり、選択の自由を保証するだけでは、達成できない
=善良な生活の意味を我々が共に考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化を作り出さなくてはいけない
<第10章 正義と共通善>

・・・として共同体主義を選択している。

普段は正義にまつわる話は避けがちだけど、邦題の副題にあるように「いまを生き延びる」ためには避けては通れない。
その正義について真正面から考えるきっかけを与えてくれたという点で、とても参考になった一冊。

以下は、チェックした箇所(一部要約含む)・・・

○正義をめぐる古代の理論は美徳から出発し、近現代の理論は自由から出発する
<第1章 正しいことをする>

○カントの対比=
道徳:義務 対 傾向性
自由:自律 対 他律
理性:定言命法 対 仮言命法
観点:英知界 対 感性界
<第5章 重要なのは動機―イマヌエル・カント>

○ロールズの公平論=社会で、自分の才能から利益を得る権利を与えられているからと言って、
自分の得意分野が評価してもらえる社会にいることを当然と思うのは誤りであり、うぬぼれでもある
<平等をめぐる議論―ジョン・ロールズ>

○現代では生物学と物理学に関するアリストテレスの著作を読み、内容を真に受ける科学者はいないが、
倫理学と政治学の研究者はあいかわらずアリストテレスの道徳・政治哲学について読み、考察しているのは「目的論的思考」を捨てるのは容易でないから
<第8章 誰が何に値するか?―アリストテレス>

○マッキンタイアの物語る存在としての人間論=人生を生きるのは、ある程度のまとまりと首尾一貫性を指向する探求の物語を演じること
<第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ>

○家族や同胞の行動に誇りや恥を感じる能力は、集団の責任を感じる能力と関連がある
→位置ある自己とは、自ら選んだのではない道徳的絆に縛られ、道徳的行為者としてのアイデンティティを形作る物語に関わりを持つ自己のこと
<第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ>

○正義と権利の議論を善良な生活の議論から切り離すのが間違っている理由=
1:本質的な道徳的問題を解決せずに正義と権利の問題に答えを出すのは常に可能だとは限らない
2:たとえそれが可能な時でも望ましくないかもしれない
<第10章 正義と共通善>

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2012 10/25
政治哲学、正義論
まろまろヒット率5

ブランカの「シェル・レーヌ」


鳥羽名物として知られるブランカのシェル・レーヌをいただく。

シェル・レーヌ(Shell Leines)とは、三重県特産の真珠の内層光沢部分から作られたパールシェルカルシウムを練り込んだマドレーヌのこと。
真珠貝(アコヤガイ、学名:”Pinctada fucata martensii”)を模った見た目も特徴の一つで、鳥羽地方では有名なお菓子。
食べてみると、しっかりしたバターの風味と共にマドレーヌ生地に食べ応えがあるので、力強い味わいになっている。
お話によると、真珠貝だけでなく、小麦粉も三重県産のアヤヒカリを使っているとのこと。
三重県産の素材の力強さが感じられる一品。

ちなみに、このシュークリームは宇気郷ソーシャルメディア講座の第8回目のティーブレイクでいただいたもの。
毎回、情報倫理やコミュニケーション論、情報リテラシーについて白熱した議論が展開されているけれど、合間にはこうした三重県の名産の情報交換と情報発信も行われているところが講座の特徴の一つでもある☆
(当日の様子)
まろまろと今日ももぐもぐ。

三重県伊勢市の「Blanca sweets garden(ブランカ・スイーツガーデン)」にて購入されたとのこと。

和みキッチン星の「オムライスのドリア~松阪豚ベーコンのせ~」


松阪にある和みキッチン星で、オムライスのドリア~松阪豚ベーコンのせ~をいただく。

松阪豚とは、三元交雑豚(LWD種)を通常よりも20日長く飼育した豚のことで、きめ細かな肉質と甘みのある脂身が特徴。
その松阪豚を使ったベーコンは、しっかりとした味わいでとても美味しい。
たっぷりかかったチーズとベシャメルソースに負けない松阪豚ベーコンのインパクトある味が印象的な一皿。
まろまろと今日ももぐもぐ。

三重県松阪市の「和みキッチン星(☆)」にて。

中沢新一 『大阪アースダイバー』 講談社 2012

渡邊義弘@略字だと渡辺です。

さて、『大阪アースダイバー』中沢新一著(講談社)2012。

アースダイバー(earth diver)のタイトル通り、その土地を深く掘り下げ、文化や風土の源泉に触れようとするシリーズの大阪編。
約6年前に大阪取材チームのコーディネイターをつとめて以来、何かと関わらせていただいた企画が単行本になったものなので、手にした時は感慨深いものがあった。
(当時の出来事メモ→講談社大阪取材チーム・コーディネイターをつとめる)

内容も、第四部「大阪の地主神」がまるまる僕の出身である渡邊村(渡辺村)と渡邊一族(渡辺一族)の歴史が取り上げられている。
中世は渡邊綱に代表される海運を握った武士団だった渡邊一族が、近世にいたって被差別部落にされながらも力強く生き抜いてきた過程が活き活きと記述されている。

全体を通して様々な角度から大阪の深層に触れようとする意欲的な試みがなされている本だけど、あえてごく主観的な立場で書けば、
この本は自分自身のバックボーンと、それに少なからず影響されているアイデンティティを見つめ直す機会を与えてくれた企画の結晶でもある。
(謝辞には僕と再合併した父も登場している)

以下は、チェックした箇所(一部要約含む)・・・

○現実世界に関わる南北の軸を「実数(現実の数)」とし、生と死を一体に思考する人々の生きる、生駒山麓の世界に向かう東西の軸を「虚数(想像の数i)」とすると、
原大阪の心性は、X+Yiという複素数であらわされることになる。
→垂直に交わるもの同士は、おたがいを否定することなく、一つの世界の座標軸となることができる。
<複素数都市>

○敗者や弱者を排除しないで、自分の中に組み入れる度量をもった政治をおこなうこと。
そういう世界を作り出すことが、「聖徳太子」という名前を使って表現された、日本人がめざしていた政治の理想なのだった。
<大阪スピリットの古層>

○都市の魅惑は、その奥にひそんでいる無縁の原理が、かもしだしているものだ。
しかし、無縁の原理は、ほうっておけば、人の社会をバラバラに解体してしまう。
そこで最初の都市住民たる商人たちは、無縁の原理の上に立って、さらにそれを乗り越えて、人の絆を生み出すことのできる、超無縁の組織をつくりあげてきた。
「無縁社会の悲劇」などを嘆いている暇があったら、私たちは、都市というものをつくったはじまりの商人たちの精神に、もう一度問い直してみるほうがいのではないか。
<無縁社会を超える>

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2012 10/16
大阪、歴史、文化論、文化人類学
まろまろヒット率5

広井良典 『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来』 筑摩書房 2009

渡邊義弘@IWRIS2012で”A Workshop `TEKUTEKU`”を発表しました。

さて、『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来』広井良典著(筑摩書房)2009。

様々な面から「コミュニティ」と呼ばれるものを問い直そうとする一冊。
特に興味深かったのは・・・

○コミュニティのひとまずの定義=人間が、それに対してなんらかの帰属意識をもち、
かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団
<プロローグ コミュニティへの問い>

・・・というコミュニティの特徴として・・・

☆「重層社会における中間的な集団」こそがすなわち「コミュニティ」というものの本質的な意味
集団の内部的な関係性(=農村型コミュニティ)と、その外部との関係性(=都市型コミュニティ)の両方を持つ点に核心があり、
その互いに異質な両者が人間にとって本質的な重要性をもっている
<第1章 都市・城壁・市民>

・・・と、その二重性に注目している点だ。
そのようなコミュニティの視点で日本の現状を振り返ると・・・

○戦後の日本社会は、都市の中に「カイシャ」と「(核)家族」というムラ社会を作り、農村的な関係性を都市に持込むことを行いながらある時期まで一定の好循環を産み出していたが、
人々の需要が飽和し、経済が成熟して従来のようなパイの拡大という状況がなくなったいま、「ウチーソト」を明確に区分し、集団の内部では過剰な気遣いが求められる反面、
集団を一歩離れると何のつながりや”救い手”もないような関係性のあり方が、かえって人々の孤立や拘束感・不安を強め、また様々な”生きづらさ”の源になっている
<第1章 都市・城壁・市民>

・・・と指摘しているところは実感としても理解できた。
そして、個人が自律した中でのコミュニティをこれから作っていく上で重要な点を・・・

○都市型コミュニティ作りのポイント
1:ごく日常的なレベルでの、挨拶などを含む「見知らぬ者」どうしのコミュニケーションや行動様式
2:各地域でのNPO、協同組合、社会的起業その他の「新しいコミュニティ」づくりに向けた多様な活動
3:普遍的な価値原理の構築
<第7章 独我論を超えて>

・・・と整理して、「普遍的な価値原理の構築」の必要性を唱えている。
そして、紀元前5世紀前後に世界各地で同時多発的に普遍的な価値原理(精神革命・歴史宗教)が発生したことについて・・・

○精神革命・歴史宗教誕生の背景
・水平的な要因=異質なコミュニティの接触→普遍性への志向
・垂直的な要因=文明の成熟化・定常化→内的深化や規範原理への志向
<終章 地球倫理の可能性>

○異なるコミュニティが共存していくための原理として、すわなちそれら複数のコミュニティを「つなぐ」原理として生成
→それらの思想がいずれも「普遍的」な志向、つまり特定のコミュニティや「集団」を超えた中立性ないし不遍不党性を持つ
<終章 地球倫理の可能性>

・・・と、現代に共通する点に注目して・・・

○これからの普遍的な思想や価値は、「有限性」と「多様性」が重視されであろう
<終章 地球倫理の可能性>

・・・と結んでいる。
展開やまとめ方については、力技を感じるところはあるけれど、コミュニティの問題を様々な視点で問い直し、
さらに人類の思想史の中で位置づけようとする試みには共感が持てた一冊。

以下は、その他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○人口統計の推移=子どもと高齢者は地域への土着性が高い
→戦後から高度成長期をへて最近までの時代とは、一貫して「地域」との関わりが薄い人々が増え続けた時代であり、
それが現在は、逆に「地域」との関わりが強い人々が一貫した増加期に入る、その入り口の時期
<プロローグ コミュニティへの問い>

○農村型コミュニティが「水平的な排他性」をもつとすれば、都市型コミュニティは「垂直的な排他性」をもつ
<第1章 都市・城壁・市民>

○都市政策や街づくりの中に「福祉」的な視点を、また逆に福祉政策の中に「都市」あるいは「空間」的な視点を、導入することがぜひとも必要
<第5章 ストックをめぐる社会保障>

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2012 10/15
コミュニティ論、社会学、文明論、思想
まろまろヒット率4