司馬遼太郎 『モンゴル紀行―街道をゆく5』 朝日新聞出版 1978

さてさて、『モンゴル紀行~街道をゆく5~』司馬遼太郎著、
朝日文芸文庫(1978年初版)を読み終えたです、はい。
卒論とテスト勉強の合間に書店で見つけて思わず衝動買いしてしまった
旅行記『街道をゆく』シリーズのモンゴル紀行編。
元々このシリーズにはあまり興味がなかったのだが、
旅路がモンゴルだということで気晴らしにでも一度読んでみようと思った本。
来年度から立命の政策科学部でモンゴルに行って羊飼いをするという
インターンシッププロジェクトが始まるということも読む動機付けになった。

内容の方は、著者自身が学生時代に大阪外国語大学モンゴル語学科に
在籍していたこともあって単なる旅行記と言っても
モンゴルの風土、歴史、気風についてかなり突っ込んだことを
現地の人と対話しているのが特徴的だ。

興味深く感じたのはモンゴルに入る経由地であるハバロフスクや
イルクーツクなどのソ連領(当時)での旅がいかに重苦しく
ストレスが溜まるものかということをつらつらと述べた後に
モンゴルのウランバートルに入るや否や自由で躍動感溢れる人々と
街の雰囲気を感じたということを強調しているところだ。
同じ社会主義国家で、かつ世界史では二番目に社会主義化した
モンゴルは(著者の表現を借りると「社会主義の老舗」)
ソ連と別の国家体系かと思うほどの違いがあったという感想を述べている。
その原因として考えられるモンゴル人特有の大らかさ、豪快さや
遠くから来た客を珍しがり自分の家に招きたがる気風があり、
これらのことはモンゴルの長らく続いた騎馬民族としての生活、風土、
それから発生する文化にすべてに共通することであると
この旅行記を通して語っているように感じられる。

また、モンゴル人の日本人への親近感というものもあげられていたが
意外であったのは同時に近代国家としては若いこのモンゴルで
国家的危機を生んだ原因が日本人であったという事実だ。
1939年のノモンハン事件(モンゴル側:ハルハ・ゴル戦争)が
如何にその後のモンゴルを疲弊させたかという歴史が
いまも初等教育で強く強調されているらしい。
(日本ではあまり知られていない歴史的事実)

しかしこれもまた意外であったのはモンゴルでは中国よりもはるかに
日本に対する親近感を持っていることもまた既述されている。
元々東アジアの歴史は騎馬民族(トルコ系、モンゴル系など)と
農耕民族(漢民族)とのシーソーゲームという側面もあり
長らく抗争し続けていたということもあるが、
近現代史でも清朝や中華民国時代の軍閥がモンゴルに対しておこなった抑圧の
反動がモンゴルをソ連に近づけ社会主義化したきっかけでもあるためだ。
それ故モンゴル人は中国人と同一視されることを非常に嫌う。
現にシナ・チベット語族である漢民族やツングース系民族である朝鮮人よりも
人類学的にはモンゴロイド・アルタイ語族として
モンゴル人と日本人は近い民族として知られているからだ。

また、日本人からすれば考えられないほど自分たちの故郷であるの
思いが強く、今も昔も盛んである詩や唄のほとんどがモンゴル高原や
ゴビ砂漠の自然のすばらしさを唱ったものが多いらしい。
このことは日本の詩歌が昔からそのほとんどが恋愛歌だったことを
対比させて、非常に興味深い点であると著者も述べている。
さらに「お前さんたち日本人は俺たちのご先祖さんから分かれたもんだろ?」
とモンゴル人に戯れに言われたことをきっかけに著者が
「その考えに則れば、なるほどモンゴルに住む人々は我々の先祖の中で
もっとも頑固に故郷を捨てなかった人々の末裔になる・・・故郷に対する
愛が強いのもまた遺伝学的にみて当然か。」と
彼らしい冗談で書いているのが印象深かった。

この本の最後近くである詩が紹介されていたが
それは現代詩人であるチミド作の「我はモンゴルの子」という作品だ・・・
アルガルの煙のたちのぼる
牧人の家に生まれし我
人の知らぬこの広野を
これぞ我が揺りかごと思う
・・・これこそがモンゴル人の心意気だなと感じられた。

しかしこの旅行記が書かれたのは今から二十年以上も前の話で
今では当時と比べてソ連の崩壊、改革開放と状況が大きく変わっている。
その中でモンゴル人がいまではどのような気風を持っているのか
一度実際に行って見てみたいと感じてしまった。

・・・やっぱり大学院行ってモンゴルインターンシップに参加して
「政策騎馬隊」とか創ってやろうかな?(^_^)

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1999 1/16
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

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