Archive for the ‘読書日記’







『自治体Webサイトはなぜ使いにくいのか?―“ユニバーサルメニュー”による電子自治体・電子政府の新しい情報発信』 安井秀行著 時事通信出版局 200904.13.11


ご縁があって4月から松阪市情報政策担当官に就任した、まろまろです。

さて、『自治体Webサイトはなぜ使いにくいのか?―“ユニバーサルメニュー”による電子自治体・電子政府の新しい情報発信』安井秀行著(時事通信出版局)2009。

地方自治体のWebサイトは使いにくいものが多い。
その原因と課題を整理し、ユニバーサル・メニュー(UN)を提唱する解説書。

中でも前半部分に当たる自治体サイトの問題と課題の解説が分かりやすい。
直接的な問題とその背景にある根本的な課題に分けて・・・

○直接的な問題
・知りたい情報が探せない
 →1:そもそも情報がない、2:情報はあるが探しにくい
・情報が理解できない
 →1:過不足が激しく理解できない、2:読ませる努力がない、3:リンクがない

○根本的な課題
・セキュリティ、手続き中心のサイト作り
・情報発信・申請主義中心
・広報と担当部署の組織的課題
・編集能力の欠如
・アクセシビリティ偏重のサイト作り

・・・と、整理されているのは理解しやすかった。
<第4章 自治体サイトの課題概観>

また、問題整理の中で自治体の申請主義的性格に注目して・・・

○申請主義の自治体側と、分かりにくく使いにくいために申請すらできないサイト利用者側の間に
大きな溝ができてしまっているのが、現在の自治体サイトの問題の本質的な課題

・・・と指摘している点も印象に残った。
<第3章 なぜ使いにくい自治体サイトが生まれるのか?>

本書が提唱するユニバーサル・メニュー(UN)については、まだ検討すべきものがあるとは思うものの・・・

○サイトには、持ち主である組織の課題や変革の可能性が内包されているから、
サイトを分析、改善していくことが組織そのものの変革を加速化していく

○自治体サイトの使いにくさに関する改善活動を行うことが、自治体サイトの組織変革につながる

・・・という理念には強く共鳴した一冊。

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2011 3/13
ウェブ・ユーザビリティ、情報・メディア、デザイン論、HP・ブログ本、実用書
まろまろヒット率3

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『日本の歴史をよみなおす (全)』 網野善彦著 筑摩書房 200503.01.11


まろまろ@この「まろまろ記」のサーバをCORESERVER.JP(CORE-B)に引越しました。
これでサイト開設以来、実に5度目の移転ですが、許容負荷率が約4倍になったので安定度UPです☆

さて、『日本の歴史をよみなおす (全)』網野善彦著(筑摩書房)2005。

「日本は自給自足の農耕社会ではなく、交易を前提とした多様な社会だった」、
「百姓と呼ばれた人々には非農業民も多数含まれていた」という研究によって、
日本は均質的な農耕民族だったという常識に疑問を呈した歴史学者による解説書。

もともとは口述筆記を基本にした『日本の歴史をよみなおす』『続・日本の歴史をよみなおす』を合わせたものなので、
代表作の『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』より読みやすくなっているけれど、
内容はより幅広く日本社会全体の変遷をとらえたものになっている。

特に、『続・日本の歴史をよみなおす』の部分に当たる後半は、かつての日本社会がネットワーク化され、ダイナミックな生活基盤を持っていたことを証拠を示して解説しているので興味深い。
読みやすい中にも、これまでの常識を再考させられるほどの迫力を持った一冊。

ちなみに、著者の甥に当たる中沢新一さんとは講談社大阪取材のコーディネータとしてご一緒したことがある。
僕も著者が研究テーマとした家系なので、ある種の親近感を持って読むことのできた本でもある。

以下、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○(市場では)日常の世界、俗界から、モノも人も縁が切れるという状態ができて、はじめて商品の交換が可能だった
<貨幣と商業・金融>

○14世紀の社会の大きなt年間のなかで、かつてマジカルな古い神仏の権威に支えられていた商業、
交易あるいは金融の性格が変化してきたわけで、鎌倉仏教は、かつての神仏と異なり、
新しい考え方によって商業、金融などに聖なる意味を付加する方向で動きはじめていた
→贈与互酬を基本とする社会の中で、神仏との特異なつながりをもった場、あるいは手段によって行われていた商品交換や金融が、
一神教的な宗派の祖師とのかかわりで、行われるようになってきたと考えられる
<貨幣と商業・金融>

○非人たちのなかの少なくとも主だった人びとは、商工業者や芸能民、(略)一般の職能民と同様、
神人・寄人という地位を、明確に社会のなかであたえられている
→なぜ非人が神人・寄人になったかについては、ケガレがこの時代の社会ではまだ、畏怖感をもってとらえられていたこと、
非人たちはそれをキヨメることのできる特異な力を持っていたとみられていたことと、深い関係がある
→それゆえ非人は神人・寄人、神仏の直属民という社会的な位置づけをあたえられていた
→非人や河原者を社会外の社会、身分外の身分ととらえることはできない
<畏怖と賤視>

○まだ未開の要素を残し、女性の社会的地位も決して低くない社会に、文明的、家父長的な制度が接合したことによって生じた、
ある意味では稀有な条件が、このような女流文学の輩出という、おそらく世界でもまれに見る現象を生み出す結果になった
<女性をめぐって>

○現代は権力の性格というより、むしろ権威のあり方を否応なしに変化させるような転換期にはいりこんでいるように思える
<天皇と「日本」の国号>

○百姓は決して農民と同義ではなく、たくさんの非農業民ー農業以外の生業に主としてたずさわる人びとをふくんでおり、
そのことを考慮に入れてみると、これまでの常識とはまったく違った社会の実態が浮かび上がってくる
→頭振(水呑)の中には、土地と持てない人ではなくて、土地を持つ必要がのない人がたくさんいた
<日本の社会は農業社会か>

○日本列島の社会は当初は交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった、
厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよい
<海からみた日本列島>

○海にとりかこまれた島だから孤立しているのではなく、逆に、島は海を通じて広く四方と結びついており、
田畠が少ないから島は貧しいのではなく、それ以外の生業と交易で豊かになっていることも多い
<荘園・公領の世界>

○「明治維新」を推進した薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩は、辺境のおくれた大名などではなくて、
みな海を通じて貿易をやっていた藩
→江戸時代末までに日本社会に蓄積されてきた商工業・金融業などの力量、資本主義的な社会の成長度は決して過小評価できない
<続・日本の歴史をよみなおす>

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2011 3/1
日本史
まろまろヒット率4

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『哲学の謎』 野矢茂樹著 講談社 199602.05.11


最近、何かのCMのように”no reason”と”priceless”を使う機会がある、まろまろです。

さて、『哲学の謎』野矢茂樹著(講談社)1996。

「5分前に世界が創られた可能性を否定できるだろうか?」 (2:記憶と過去)
「時は本当に流れているのだろうか?」 (3:時の流れ)
「正常と異常との違いは何だろうか?」 (6:規範の生成)
・・・などの哲学の論点を取り上げた哲学書。

この本が面白いのは、タイトルにあるように哲学的な論点をあくまでも謎としている点だ。
そのために結論はなく、謎に対して二人の人間が対話をするスタイルになっている。
しかも、二人の人間というのは二人とも著者のことで、自分自身の心の中の対話を本にしている。

これは哲学を「考えることを考えること=thinking of thinking)」と捉えることが一番納得する僕の理解と合致する姿勢。
そして、こうした哲学的な姿勢について、本文の中で・・・
実生活には無関係かもしれない。
しかし、こんな懐疑に辿り着いてしまうというのも、きわめて人間的な現象だ。
そして、この懐疑に「何か気持ち悪い」と反応するのもまた、きわめて人間的な現象にほかならない。
だから、その気持ち悪さから目をそらさずにこの懐疑をもっと見つめてみることで、われわれ自身を知ることができるかもしれない。
実際、ここには哲学が問題にすべき何かがある。
この懐疑そのものはきっかけにすぎないかもしれないが、これをバネにして何か開けてくるかもしれない。
(4:私的体験)
・・・と意義づけていることが一番印象に残った。

実はこの哲学書は、こうした姿勢と接するために読んでみた本でもある。
去年は松阪などで社会的な役割を果たす機会に恵まれたけれど、その中で自分には結論をいそぐ傾向があることを自覚させられることが何度かあった。
普段は即断即決することが多くても、時には結論を焦らず、本文にあるようにじっくり「気持ち悪い問い」と向き合う必要性を感じさせられた。
そこで、同じく去年に開催したまろまろ茶話会2010の本の交換会でまろみあんの方が紹介されていたこの哲学書を、今回ひもとくことになった。
本は書かれた内容だけでなく、書かれた姿勢と接するために読むものだということをあらためて感じさせられた一冊。

ちなみに、この本と出会えたのも、結論がないこのまろまろ記を通じたご縁があったからこそ。
いま読書日記を読んでいるまろみあんの方も、結論をいそがずお付き合いいだけると嬉しい☆

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2011 2/5
哲学書
まろまろヒット率4

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『半分の月がのぼる空』 橋本紡著、山本ケイジイラスト アスキー・メディアワークス 200301.30.11


松阪市民講座の「地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師をつとめた、まろまろです。

さて、『半分の月がのぼる空』橋本紡著、山本ケイジイラスト(アスキー・メディアワークス)2003。

急性肝炎で入院した僕は、長期入院中の里香と出会う。
気が強くてわがままな里香だけど、時々思いつめたように外を見つめることがある。
里香が見つめる先には砲台山と呼ばれる山があった・・・

伊勢市を舞台に、病院で出会った高校生の二人の交流をえがくライトノベル。
ライトノベルと言ってもよくある荒唐無稽な話ではなく、入院中の人物を題材とする、いわゆるサナトリウム文学の流れをくんでいる。
内容も、すたれゆく伊勢市の町並みと里香の病気が重なりあって、漠然とした不安と哀愁を感じさせられるものとなっている。
中でも、第三話「砲台山へ至る道」の第一節の最後にある・・・
「そうして、僕たちは走りだした。たぶんー。終わりのある永遠に向かって。」
・・・という一文が印象的。

ちなみに、僕にとってはこの本が生まれて初めて通読したライトノベルとなる。
たまたま伊勢のまんぷく食堂をおとずれた時にこの本の存在を知り、今回読んでみることになった。

現代版サナトリウム文学としても、ご当地小説としても読むことができる一冊。

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2011 1/30
小説、ライトノベル
まろまろヒット率3

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『本居宣長』 城福勇著 吉川弘文館 198812.08.10


松阪星座占いでは本居宣長タイプの、まろまろです。

さて、『本居宣長』城福勇著(吉川弘文館)1988。

江戸中期に国学を大成した本居宣長の伝記。
『古事記伝』『玉くしげ』などで知られる本居宣長の人生を、彼の研究と思想の過程を詳細に追いながら実証的に解説している。
最近、ご縁があって松阪にご奉公する機会を得たので、これまで断片的な知識だった本居宣長のことを一通り知ろうと手に取った一冊。
(本居宣長は松阪を代表する歴史的人物)

読んでいて特に興味を持ったのは、本居宣長の思想の本質である「物のあはれ」について解説しているところだ。
たとえば・・・

○「物のあはれ」は「物」と「あはれ」の複合語であるから、それは物の心、事の心をわきまえ知るという、むしろ知性的な働きと、
あはれという感歎・感動が総合統一されたものであり、知性と感性が見事に調和されて、
知ることが同時に感じることであるような、ある種の境地がひらけてくるといえよう。
<第3章 文学説確立期>

○人は、「物のあはれ」に堪えぬときは、言うまいとしても言わずにおれない。
これはやむにやまれぬ人情の自然というもので、歌・物語とは結局そのような人の心の本然に基づいて詠み出され、語り出されたものであり、
したがってこれを詠み、聞き、書くことに何の利、何の益があるかなどと問うのは、もとより間違っている。
こう考えて宣長は、「物のあはれ」を知ることを以て『源氏物語』の本意と考え、
やがて和歌を含めて、広く文芸の本質は「物のあはれ」を知ることにあるとして文芸本質論を展開したのである。
<第3章 文学説確立期>

○文芸本質論としての「物のあはれ」説が、宣長の歌学者としての知的反省なら、「雅」の論は詠歌の、歌人としての体験の漂白であるといえよう。
彼の歌・物語に対する見解には、この二つのものが常に交錯してあらわれているがゆえに、案外わかりにくいところがある。
<第3章 文学説確立期>

・・・とするところは、これまで自分の中では断片的だった本居宣長の思想が立体的に把握できたように感じられた。

また、本居宣長の性格は基本的に穏健中正だったけれど・・・

○自己の信念に忠実な余り多少「狂信的な神経」を出してしまうところもある。
<第8章 風貌・性格など、および死>

・・・と評価されるところや、本居宣長の死の前年に詠まれたとされる・・・

○「わがよはひのこりすくなしいくかへりよめどもあかぬ書(ふみ)はおほきに」
<むすび>

・・・という歌などを知ると、確かに松阪星座占いの結果もあながち外れてはいないと思えるほどの親近感を覚えた(w

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2010 12/7
歴史、国学、思想、文化論
まろまろヒット率3

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『新ウェブ・ユーザビリティ』 ヤコブ・ニールセン&ホア・ロレンジャー著、斉藤栄一郎訳 エムディエヌコーポレーション 200612.06.10


松阪市民講座として「”まろまろ流”市民による情報発信のすすめ」という公開講座をすることになった、まろまろです。

さて、『新ウェブ・ユーザビリティ』ヤコブ・ニールセン&ホア・ロレンジャー著、斉藤栄一郎訳(エムディエヌコーポレーション)2006。

ウェブ・ユーザビリティの重鎮として知られるヤコブ・ニールセン(Jakob Nielsen)によるウェブ・ユーザビリティ本。
ウェブ・ユーザビリティの基本を様々な事例を紹介しながら解説している。
原題は“Prioritizing Web Usability” (2006)。

読んでいて一番印象に残ったのは・・・
「筆者は13年にわたってウェブのユーザー行動を見てきた。
その経験からいえば、ユーザーは実にわがままな生き物で、未来や過去ではなく今が大切なのだ。
だからウェブで成功するためには、今のニーズに的確に応えるしかない」
・・・と明言しているところだ。
作り手の思いと受け手の思いのバランスについて、受け手に大きく比重が置かれたWebの特徴を端的に言い当てているように感じられた。

そうした点は考えさせられたけれど、解説本としては疑問を感じるところもあった。
たとえば、文中に多くあるWebサイトの画像は白黒なので分かりにくかったり、
囲み記事が散漫で読みづらかったりと、ウェブ・ユーザビリティの前に本書自体のユーザビリティが気になった。
試しに原著をひも解いてみると、いくつかの大きな省略も発見した。
できれば原著を中心にして、副読本として読むことがオススメの一冊。

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2010 12/6
ウェブ・ユーザビリティ、情報・メディア、デザイン論、HP・ブログ本、実用書
まろまろヒット率2

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『影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか』 ロバート・B・チャルディーニ著、社会行動研究会訳 誠信書房 200711.01.10


特命係長プレイがきっかけでツイ飲み(Twitter 飲み会)に参加させていただいたので、
ようやくTwitterの使い方が分かりつつある、まろまろです。

さて、『影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか』ロバート・B・チャルディーニ著、社会行動研究会訳(誠信書房)2007。

人間が無意識のうちに影響されてしまう心理メカニズムについて、
社会心理学の実証実験や事例研究から科学的にアプローチする一冊。
原題は、“Influence: Science and Practice. 4th Ed.”(2001)。

内容は、人間には自動的に承諾する心理メカニズムがあることを「影響力の武器」(第1章)で述べた後に、
承諾を導く影響力の典型として。「返報性」(第2章)、「コミットメントと一貫性」(第3章)、
「社会的証明」(第4章)、「好意」(第5章)、「権威」(第6章)、「希少性」(第7章)の6つを詳細に解説。
そして、このような自動的な影響力は情報化社会においてはますます重要になってくることを、
「手っとり早い影響力」(第8章)でまとめる、という構成になっている。

読んでいて印象的だったのは、様々な心理実験の結果を通じて共通しているのは、
人間は自分が影響力を受けていることを過小評価する傾向があるという点だ。
だからこそ、この本で解説されている6つの影響力の武器は強力なものであり、
気をつけなくてはいけないものであるということが説得力を持って伝わってくる。

もちろん、こうした影響力の武器はそれ自体は決して不当なものではない。
ただし、それをねつ造したり、過剰に振りかざされたりすることが問題であり、
不当な承諾や集団の悲劇はこれらの影響力の武器の乱用にあることが強調されている。
それだけに、それぞれの項目の後に「防衛法」と「まとめ」があるのは読んでいて少しホッとした。

この本は、人間の心理はいかに生々しいものであるかについて科学的に解説した本なので、
読んでいて『カリスマ―出会いのエロティシズム』と同じようなインパクトを感じた。
読み物としての迫力は『カリスマ―出会いのエロティシズム』の方があるけれど、
こちらはその分、日常の中にある無意識な人間心理の原理に気付かせてくれる。

自分が不当な影響力を受けないため、そして自分も不当な影響力を与えないため、
という実用性の面でも一読の価値がある本。

以下はチェックした個所・・・
(一部要約含む、「→」はまろまろコメント)

○実際、人間の行動の多くは自動的、紋切り型のものです。
なぜなら、たいていの場合、それが最も効率的な行動の形態であり、
また、場合によってはそうすることが必要でさえあるからです。
<第1章:影響力の武器>

○返報性のルールの本質を構成するのはお返しをする義務ですが、
このルールを自分の利益のために利用することを容易にしているのは、受け取る義務の方です。
この義務があるために、私たちは恩義を感じる相手を必ずしも自分で選ぶことができませんし、
そのルールの力を他者に委ねることにもなります。
<第2章:返報性>

○心のなかの不快感と恥をかくかもしれないという危険性、この二つが組み合わされると、
とても大きな心理的負担が産み出されます。
こうした負担という観点から考えれば、返報性の名のもとに、
受け取ったもの以上ののものを私たちが返そうとするのも、さほど不思議なことではありません。
<第2章:返報性>

☆返報性のルールを使って私たちの承諾を得ようとする人に対する最善の防衛法は、
他者の最初の申し出を常に拒否してしまうことではない。
むしろ、最初の行為や譲歩は誠意をもって受け入れ、後でトリックだとわかった時点で、
それをトリックと再定義できるようにしておくことである。
<第2章:返報性>
→気をつけたいところ。

☆実際、私たちは皆、自分の行為や決定と一貫した思考や信念を持ち続けようとして、
自分自身をだますことがしばしばあります。(中略)
一貫していたい(一貫していると見てもらいたい)というこの欲求は、
しばしば自分の本当の利益とは明らかに反するような行動に私たちを駆り立てます。
したがって、これは社会的影響力のとても強力な武器として使えるものなのです。
<第3章:コミットメントと一貫性>
→現状維持の言い訳と足踏みの自己肯定は飲み屋でよく目撃する。

○自分自身の信念や価値や態度についての主要な情報源は自分の行動なのです。
<第3章:コミットメントと一貫性>

☆行動を含むコミットメントをしてしまうと、自己イメージには二つの麺から一貫性圧力がかかります。
中からは、自己イメージを行動に合わせようとする圧力がかかります。
そして外からは、もっとも秘かな圧力ー他者が自分に対して抱いているイメージに、
自己イメージを合わせようとする傾向ーがかかるのです。
<第3章:コミットメントと一貫性>

○パブリック・コメント方略は、プライドが高い人、あるいては公的自意識が高い人に特に有効なようである。
ex.シャルル・ド・ゴールの禁煙のセリフ、「ド・ゴールは自分の言葉を裏切ることができないのだ」
<第3章:コミットメントと一貫性>

☆多くの場合、人は自分がしたコミットメントについて、それが正しいということを示す新しい理由や正当化を付け加えるのである。
その結果、コミットメインとを生み出した状況が変化したずっと後でも、そのコミットメントの効力が持続することになる。
(ローボール・テクニック)
<第3章:コミットメントと一貫性>

○(一貫性圧力に対しての防御法は)「今知っていることはそのままにして時間を遡ることができたら、
同じコミットメントをするだろうか」という厄介な質問を自分自身に問いかけなくてはならない。
そのとき、焼くにたつ答えをもたらしてくれるのは、最初に沸き上がってきた感情である。
<第3章:コミットメントと一貫性>
→気をつけたいところ。

○(人類滅亡などの終末の予言がはずれた教団がより強固なものになることがある理由について)
それを正しいと思う人が多ければ多いほど、人はその考えを正しいと見ることになるのです。(中略)
物理的証拠は変えられなかったので、社会的証拠を変えねばならかったから。
<第4章:社会的証明>

☆改宗者を求めたいという気持ち(社会的証明)に火についたのは、自分たちの確信がぐらついたときでした。
一般に、自分自身に確信が持てないとき、状況の意味が不明確あるいは曖昧なとき、
そして不確かさが蔓延しているときに、私たちは他者の行動を正しいものと期待し、またそれを、受容する。
<第4章:社会的証明>
→「みんな」という言葉が好きな日本人は、この社会的証明に影響される傾向が強いように感じる。

☆人が集団になると援助をしなくなるのは、彼らが不親切だからではなく、確信がもてないからだということを認識することです。
<第4章:社会的証明>

☆一般的に言って、緊急援助が必要な場合の最善の方略は、あなたの状況と、周囲の人たちの責任に関する不確かさを低減することです。
助けが必要であることを、できるだけ正確に言いましょう。傍観者が、一人で結論を出すようにさせてはいけません。
特に群衆のなかでは、社会的証明の原理とそこから生じる集団的無知の効果によって、
あなたのおかれている状況が緊急事態ではないと見られてしまうかもしれないからです。
<第4章:社会的証明>
→気をつけたいところ。

☆最も影響力のあるリーダーというのは、社会的証明の原理が自分に有利に働くようにするためには
集団の状況をどう整えればよいのかを知っている人なのです。
<第4章:社会的証明>
→その通りだから、よい結果を導かなくてはいけない。リーダーは結果責任を問われる。

○(アシモフの言葉)人は自分と同じ性別、同じ文化、同じ地方の人を応援する・・・
その人が証明したいと思っているのは、自分が他の人より優っているということなのである。
応援する相手が誰であれ、その相手は自分の代理にになる。
そして、その人が勝つということは自分が勝つことと同じなのである。
<第5章:好意>
→確かに阪神タイガースや浦和レッズ、バルセロナなどの熱狂的ファンはコンプレックスが原動力になっているように感じる。

☆栄光の反映に浴したいとする気持ち(栄光浴)が強い人たちの特徴は、
背後にパーソナリティの脆弱さが隠されている人たちです。
つまり、否定的な自己概念をもっている人びとなのです。
こころの深層に、自分は価値が低い人間だという気持ちがあるため、
自分自身の業績を高めて名声を得るのではなく、
他者の業績との結びつきを形成し、それを強めることによって名声を得ようとしているのです。
<第5章:好意>
→○○と知り合い自慢がみすぼらしいのは、言っている本人の痛々しさが伝わってくるから。
痛いものコレクターなので嫌いというわけではないけれど(w

○ある状況で要請者に尋常でない好意を感じたら、その社会的相互作用から一歩退き、
要請者とその申し出の内容を心のなかで区別し、申し出のメリットだけを考えて決定を下さなければならない。
<第5章:好意>
→気をつけたいところ。

○「この権威者は本当に専門家なのか」、「この専門家はどの程度誠実だとかんがえられるか」。
この二つの質問を発することによって、権威者の影響力による有害な効果から自分自身を守ることができる。
<第6章:権威>
→気をつけたいところ。

○希少性の喜びは希少な品を体験することにあるのではなく、それを所有することにあるのです。
この二つを混同しないことが大切なのです。
希少性が高いものが、なかなか手に入りにくいという理由だけで美味しくなったり、感じが良くなったり、
音がよくなったり、乗り心地がよくなったり、よく動くようになったりすることはないのだ、
ということを決して忘れてはいけません。
<第7章:希少性>
→気をつけたいところ。

○希少性の原理は、二つの最適条件のもとで最もよく適応できると思われる。
第一にそれが新たに希少なものとなったときに一層高まる。
第二に、他人と競い合っているときに、希少性の高い物に最も引きつけられる。
<第7章:希少性>

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2010 11/1
社会心理学、心理学、社会学、コミュニケーション論、実用書
まろまろヒット率5

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『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201010.11.10


『文明が衰亡するとき』を読み直したくなった、まろまろです。

さて、『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』塩野七生著(新潮社)上中下巻2010。

大帝と呼ばれたコンスタンティヌス帝の死後の混乱から、コンスタンティウス帝による統治、
背教者と呼ばれたユリアヌス帝によるキリスト教化への抵抗と、テオドシウス帝のキリスト教国教化までをえがいた、
『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』に続くシリーズ第14段。

読んでみると、ローマ帝国のキリスト教化という大きな時代の流れの中で、
多神教である本来のローマに戻そうと抵抗するユリアヌス帝の苦闘と挫折が印象的。

多神教だったローマが一神教であるキリスト教に飲みこまれていく中で、著者は・・・
「ローマには建国の初めから専業の祭司階級が存在しなかったが、
それは、多神教徒であるローマ人の精神に忠実であったまでなのだ。
そしてこれこそが、ローマ人の文明の真髄なのである」
・・・として、ローマ文明の本質部分が変化したのだと断定している。

そして・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・として、この物語の第1段、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』』のはじまりで投げかけた、
「なぜローマが滅んだのか?」という問いに対して、一応の答えをつけている。

それれだけに、ローマ文明のキリスト教化に最後に抵抗したユリアヌス帝と、知識人のシンマクスのもの哀しさが読後感として残った。
そして、ローマ人の物語も残りあと一つ。

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2010 10/11
歴史、政治、宗教
まろまろヒット率3

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『ラ・ロシュフコー箴言集』 ラ・ロシュフコー著、二宮フサ訳 岩波書店 198910.04.10


趣味は人間観察の、まろまろです。

さて、『ラ・ロシュフコー箴言集』ラ・ロシュフコー著、二宮フサ訳(岩波書店)1989。

17世紀フランスに生きた、ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世による名言集。
原題は“Réflexions ou sentences et maximes morales”(1664)=『人間考察もしくは処世訓と箴言』。

名言集と言っても、原題にあるように人間考察に軸を置ているので、よくある口当たりの良いものではない。
最初に・・・
「われわれが美徳と思いこんでいるものは、往々にして、さまざまな行為とさまざまな欲の寄せ集めに過ぎない」
・・・という言葉から初めているように、特に自己愛による偽善について鋭く切り込んだものが多い。

たとえば、相手のことを思う行為や正直さを愛する姿などの一般的に美徳とされていることのほとんどは、
結局は自己愛と支配欲の延長線上にあるものだと指摘する言葉が散りばめられている。
また、怠惰と惰性の力をハッキリと指摘している言葉も複数見受けられる。

この名言集は人間への幻想や希望を打ち砕くほどの痛烈さを持っている上に、
さらにそれらの指摘が無視できない説得力を持っていることから、
フランス・モラリスト文学の最高峰との評価をされてきた。
決して心地よくは無いけれど、原題の通り人間考察の参考になる一冊。

ちなみに、この名言集は刊行当時から現代にいたるまで物議を醸し続けているので、
何かと注釈を入れられることが多いことでも知られている。
(同時代に生きたスウェーデンのクリスティーナ女王による注釈が有名)

僕もこれにならってチェックした言葉に「→」でコメントを入れてみたのが以下(☆は特に心に残ったもの)・・・

1:われわれが美徳と思いこんでいるものは、往々にして、さまざまな行為とさまざまな欲の寄せ集めに過ぎない。
→そういう時もあるというのが正確だが、確かにそういう時の方が多いかもしれない。

18:栄達を極めた人びとの慎ましさは、その栄位をものともしないほど偉い人間に見せようとする欲望なのである。
→そんな人も多いというのが正確だが、これもそんな人の方が多いかもしれない。

22:哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は哲学を克服する。
→哲学の現実。

30:われわれの持っている力は意志よりも大きい。だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。
→めずらしく前向きで印象的。

☆37:過ちを犯した人びとに向かってわれわれがする説教には、善意よりも傲慢の方が多分に働いている。
そしてわれわれは、彼らの過ちを正そうというつもりはそれほどなしに、
むしろ、自分がそんな過ちとは無縁であることを彼らにわからせるために、叱るのである。
→自尊心を満足するための説教は確かに醜い。

47:運命によってわれわれに起きるすべてのことに、われわれの気質が値段をつける。
→騎士っぽい表現で気に入った。

54:富の蔑視は、哲人たちにあっては、自分の価値に正しく報いない運命の不当さに、仕返しをしたいという密かな欲望であった。
→捻くれた見方だけど、その見方も無視できない哲人は確かに多い。

☆62:ふつう見られる率直は、他人の信頼をひきつけるための巧妙な隠れ蓑に過ぎない。
→信頼を得るには率直さが必要だけど、それを媚びとして使う人もいるのは確か。

☆63:嘘に対する反発は、自分の証言に箔をつけ、自分の言葉に宗教的な畏敬の耳を貸させたいという、それと気づかぬ野心であることが多い。
→よく見かける偽善。

☆116:助言の求め方与え方ほど率直でないものはない。
助言を求める側は、友の意見に神妙な敬意を抱いているように見えるが、実は相手に自分の意見を認めさせ、彼を自分の行動の保証人にすることしか考えていない。
そして助言する側は、自分に示された信頼に、熱のこもった無欲な真剣さで報いるが、実はほとんどの場合、与える助言の中に、自分自身の利益か名声しか求めていないのである。
→ある意味で納得。ただし、それによって良い結果が出る場合もあるのも確か。

☆143:われわれが他人の美点を誉めそやすのは、その人の偉さに対する敬意よりも、むしろ自分自身の見識に対する得意からである。
→「前から分かっていたよ」というのはよく耳にするセリフ。僕はそれに対してその人がどう賭けたかで判断する。

☆165:われわれの真価は選良の尊敬を引きつけ、われわれの幸運の星は大衆の尊敬を引きつける。
→選挙。

☆237:何人も悪人になる強さを持たない限り善良さを称えられるに値しない。
それ以外のあらゆる善良さは、おおむね、惰性か意志の無力に過ぎない。
→その通り。そして惰性と意志の無力で善良になるなら結果的には良いことだと思う。

☆294:われわれに感嘆する人びとを、われわれは必ず愛する。
そしてわれわれが感嘆する人びとを、われわれは必ずしも愛さない。
→選挙。カリスマと呼ばれる人はこの点を勘違いしてはいけない。

306:他人に恩恵をほどこすことができる立場にある限り、人はめったに恩知らずに会わないものである。
→その通り。

322:軽蔑すべき人間に限って軽蔑されることを恐れる。
→よく見かける。

375:凡人は、概して、自分の能力を超えることをすべて断罪する。
→特にモンスター系な人に多い。

☆414:気違いと馬鹿は気分でしか物を見ない。
→気分を判断純にする人に対する、これほど痛烈な批判は読んだことがない。

436:人間一般を知ることは、一人の人間を知ることよりもたやすい。
→医学、社会学、すべての科学。

469:人は理性でしか望まないものは、決して熱烈には望まない。
→理解できる。

☆479:毅いところのある人だけが真の優しさを持つことができる。
優しそうに見える人は、たいてい弱さしか持たず、その弱さは容易にとげとげしさに変じてしまうのである。
→確かに弱い人はすぐに攻撃性を持つ。

MS61:自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である。
エピクロスの哲学と同じ趣旨で納得。

MS74:自分の過ちを告白する力がある時は、その過ちについてくよくよしてはならない。
→反省。

MP39:賢者を幸福にするにはほとんど何も要らないが、愚者を満足させることは何を以てしてもできない。
ほとんどすべての人間がみじめなのはそのためである。
→やや辛辣すぎる言い方だけど、納得する。

MP44:何かを強く欲する前に、現にそれを所有する人がどれだけ幸福かを確かめておく必要がある。
→確かに気を付けないといけないところ。

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2010 10/4
名言集
まろまろヒット率4

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『城のある町にて』 梶井基次郎著 筑摩書房『梶井基次郎全集』より 198608.31.10


松阪市ホームページ検討委員会の委員長に就任した、まろまろです。

さて、『城のある町にて』梶井基次郎著(筑摩書房『梶井基次郎全集』より)1986。

主人公は、結核の療養のため、城のある町に滞在する。
そこで暮らす日々の中で、幼くして亡くした妹のことや自分の病気に思いを馳せながら、
城のある町に生きる人々と交流を持って行く・・・

・・・大正14年(1925年)発表の梶井基次郎の短編小説。
著者自身が前年に松阪に滞在した体験を題材にしている。
(城とは松阪城址のこと)

『檸檬』などに代表されるように、梶井基次郎と言えば淡々とした文体の中にある陰鬱さが特徴的だけど、
読んでみると、この作品では淡々とした文体の中にも明るさが感じられた。
特に・・・
「今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた」
・・・という箇所での、城のある町(松阪)の風景描写が活き活きとしていたのが印象的。

今回、僕はご縁があって松阪に貢献する機会を得たけれど、
自分の社会貢献もこの短編のような明るさがあるものであってほしいと思って読み終えた一冊。

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2010 8/31
小説
まろまろヒット率3

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