佐藤ゼミ発表

前回の発表ではあまり学術的な評価がされてなかったように感じたので
気合いを入れてレジュメ3枚、参考文献も4年間の集大成的なものにして臨む。
案の定突っ込みもあったが「丁稚の学問と安易に判定するのは危険」や
「文献研究にも主観と客観の問題は含んでいるのに文献研究だけ、
逆に参加研究だけだとその問題を認識することも少ない」と一撃は与えることができたか。
さとまんから「政策Mindの解釈はその通りだ」と言われたときに
「それは先生の解釈としてですね」と言うと「この言葉は私が創ったんだ。
根性にかえようかとも思っている」と言ってきた時は
我が意を得たりといった感じだった(^_^)

1998 11/25
出来事メモ

シンポジウム「インターンシップとコーオプ教育」パネリスト参加

絶望的に遅れそうだったので新幹線&タクシーを飛ばしてもらうという
荒技で何とか間に合わせて参加。
松下電器の人事部長も参加していたがおもしろくなく、
上辺の話だけしているなと思っていたら案の定、
吉本興業のMさんが直球勝負してくるので笑えた。
最後の方で企業側のメリットや学生として企業に「こういうことを貢献した」
という人があればということだったのでこれはここまで話振られていて
話さなくてはいけないなと思い少し長めにはっきりと話した。
まずインターンシップ中におこなった政策提言について「NGKでとて
もお世話になった人(浦上さん)に対して声優産業への進出について
文章で政策提言したが、彼は現在渋谷公園通り劇場の支配人になって
声優企画をおこなっている」、「吉本興業は僕たちの世代をターゲットに
したい。しかしどんなに若くても吉本興業社員は企画を考える最初から
枠にはまってしまっている、そこでターゲットである僕たち自身に
企画を考えさせてみて失敗しても良いからその姿、経緯を見ていく。
これに吉本としての価値がある」、「つい最近ようやく気づいたことだが
『この企画は社会性がありますよ!』とか『ニュースで取り上げられますよ!』
とかいう企画を学生は考えるがことごとく吉本に潰されている。
これは宣伝効果というならばテレビや雑誌などは吉本自身がスポンサー
として金を出しているのでわざわざニュースのネタになるような
宣伝は効果が薄い。宣伝効果というならば学術的書物やこのような
シンポジウムなどお堅いところに吉本興業の名前が出ることの方がはるかに
価値がある。特に吉本興業は教育産業に進出したがっている。
現在掘プロ、ジャニーズ、吉本が三大巨頭だがこと教育に関しては
吉本興業が圧倒的に優位に立っている」・・・そして最後に
「これらを考え合わせると100万円はいただいているが
それ以上の貢献は確実にしていると思います。」とはっきりと述べた。
後になって「もし万が一吉本側から『金を返せ!』と言われても逆に
『おつりはいらないです、取っておいて下さい』と言いますよ。」と
言っても良かったかなと思った。少々生意気だがMさんも
あれだけ本音で話したのでこれくらは許されただろう。
体調が優れなくあまりきっちり発言できたとは思えないが終わってからの
反応を見ているとやはり吉本興業インターンシップの独り舞台だったようだ。
個人的に嬉しかったことはこの一年で電子メールなどの文化に理解を示し、
ロンドンブーツが電子メールを使ってアジア進出することに決定したが
「海外でロンブーが成功すれば渡邊くんのおかげ」と言ってくれたことだ。
終わってからぼーちゃんと話したがMや僕の話に感銘を受けたようだった。
彼女は「好きなことをする」ということに懐疑的でプロジェクトに
社会性を見いだそうとしていたので考えることも多かったのだろう(^^)
こうしてみてみると僕自身の吉本興業インターンシップと
事業化プロジェクトに対する振り返りの良い機会になったように思える。
1998 10/22
出来事メモ、インターンシップ

関学KSCグリーンゼミゲスト出席

あっちゃんから「月曜日は藤江の家に泊まるのでどう?」とお誘いがあったこと
もあって、ふと思い立ちひさびさに関学KSCに行った。
実に1年以上ぶりの三田だったがバス停が変わり、バス運賃も10円アップされ
ていて新三田駅前に大きな建物(駐輪場らしい)が建設中でキャンパスも知らな
い人が多く人も多かったのには時代の流れを少し感じた。
しばらく出会ったあっちゃんや生島、吉屋とだべっているとグリーンゼミの時間
になりあっちゃんに強力に(半ば強制?)でゲスト参加することになった。
さすがに名物ゼミだけにとても刺激的だった。すべてを英語でおこなうこともそ
うだがちゃんと参加者が宿題として自分の研究を書面化してきてそれにグリーン
が激しい突っ込みを入れるという姿に面白みを感じた。
(突っ込みも「stupid!」、「アホ!」などが連発)
やはりゼミナールとはある種の緊張感が無ければいけないなと感じた。

1998 10/19
出来事メモ

交流会OB会

一次会はひさびさに会った人間たちの進路報告や現役STAFFの自己紹介などだったが今回交流会首脳部へ若手STAFFから花束贈呈があったのは印象的だった。
今年の立命の一回生にはなかなかおもしろい人間が多くて「安心して卒業できるな」と思えた。
2次会に行く前に庄司と話して「(いろいろあったけど)また分科会やろうぜ」と確認し合う。
2次会には博報堂インターンシップに行っている吉屋が合流し、カラオケで安藤や藤堂らと上半身裸になって踊り狂う。
青池まで裸になったのには驚いたがこれも彼のポテンシャルの高さ故だろう。
カラオケが終わってから鴨川の河原で朝まで話すがコキネタを中心だったのが痛かった。
阪急電車で吉屋と帰るときにインターンシップについて話ができて楽しかった。
始めて交流会のメンバーと会ったときのようなすがすがしさがあったのが考え深い、ちょうどいま僕が転機に来ているからだろうか。

1998 8/29
出来事メモ、交流会

第9回政策・情報系学生交流会参加

本科会(事実上のビギナーズ)のチューターを高野に頼まれて参加する。忙しいので責任持った運営ができないと断ろうと思っていたが懇願されたのでお助けチューターとして参加することになる。

8/24
初日はちょうど98年度吉本興業インターンシップ第1期初日目にあたったのでそこで写真撮影&引継作業のために昼間は交流会に参加せずに夜から宿舎となっている本能寺会館に行く。
風呂に入った後で本科会全体の顔見せがあり、学部紹介の紙をくばって明日各大学ごとにプレゼンしてもらう旨がSから伝えられた。
その後各大学で誰が発表するかどれを発表するかの話し合いを部屋に分かれて少しすることとなった。
もともと高野がすべきことだったが彼は代表で忙しいようなのでたまたまいた日隈に来てもらって自己紹介→各自用紙に記入をしてもらう。見てみると「基礎演習」、「政策科学入門」、「現代の国際社会」の三つしか上がっていなかった。日隈の助言もあって基礎演習について話が盛り上がる。
小1時間かかって基礎演習についてのキーワードや状態を言い尽くしてから藤堂がメモした用紙を見てみるととんでも無い量になっていた。「これをだらだら個人で読んでもおもしろくないし、みんな聴かないだろう」という声が自然に上がってきた。
そこでスキットを通してこの基礎演習というものをみんなでプレゼンしようという流れになった。
たまたま入ってきた高野に確認したところ「問題ないっしょ」と言ってきた上にSが部屋に顔を出したときに聴くとオッケーをもらったのでこれで進める。
途中でみずかちゃんに呼ばれてAとSのところに行くと「個々の個人に発表してもらうのであって大学ごとではない」と批判をされた。まず第一にそういうこというのならその故を明確に彼ら一回生に伝えるべきところだし、何よりそんなシステムは結果として「大学の特徴を出す」というこの趣旨からすれば小さな矮小なことだ。
そのうえ現実問題としてでは今自主的にスキットを考えている彼らを止めるのかと反論すると「こちらがわで用意していたことと違う」とか「流れが変わる」などと言ってきた。
明らかに事前事項に硬直し交流会の本質を見失っている方針に思えたのでここは強く反論する。
特にSが「自分の言葉で語ってもらう」ということに固執していたが、立命館にとって「このままでは良く表現できない、だから何とかしよう」という意見が出てくるのはごく自然なことだと主張する。
よくよく聴くと彼にとって「自分の言葉」とか「下手くそでつまりながら語っていることでそれを最後にまとめるのがチューターの仕事」と言ってきた。
完全に自分の頭だけで自己完了し現実を省みていない意見でかつAもいっしょに仕事をした愛着からSの肩を持ったので僕もひさびさに感情的になったが(これは反省)みずかちゃん、特に高野が「こういう流れが立命じゃないっすか」といったんうち切ってくれたので妥協案である他の二つの科目も報告するということを伝えにスキットを考えている部屋に帰ってみると僕が言い出す前に「他の大学はこういう発表をしていないらしい・・・こういうことをすることこそ立命館の大学紹介だ」ということが上田からあがったのでうれしく思った。
2時頃スキットの練習が一通り終わってから「終わりました」ともう一度AやSのところに報告に行く、またぐちぐちと無益なことを言ってきたので最後にスキットをまとめる藤堂がたまたま横にいたので話を聴かせる。
すると僕が感じた違和感を同じように訴えた。するとA、Sの矛先もおさまってきた。「理屈をこねまわす人間には現場もしくは現場の声をつきつける」という鉄則が効いたようだ。部屋に帰って落ち着いてから藤堂の部屋をのぞいてみると「同じことをぐるぐる聴いてきますよね。適当にハイと了解して弾けます。」と言っていた。
「これはこいつに一本取られたな」と思って「思いっきり弾けてくれ!」と言って寝に入る。

8/25
僕の寝た部屋のメンバーは昨日僕が入ったときにはすでに寝ていたのでこの日目覚めてから始めて挨拶する。
なかなか感じの良い面々だった。
朝食を取りバスで大学に向かったがひさびさに羽場榛名と話ができておもしろかった。
大学に着くと法学部ラウンジですでに立命のメンバーは今日のプレゼンの準備をしていた、そのにじみ出る熱さが立命だなとほくそ笑む。
10時から関学KSC企画のツアー企画立案ゲームをやったがそれほど手応えある面白さではなかった。
そして2時からいよいよ本科会がスタートした。
まず慶應SFC、中大、武蔵工業大学、小休止、関学KSCの大学紹介の後、立命のプレゼンが始まった。
停滞した空気に飲み込まれないように関学KSCのプレゼンの間に「君たちは君たちだから思いっきりやれ!」と書いた紙を順番に回した。
案の定これまで長い説明を聴いていた参加者はその多くが眠たそうにしていたが、立命のプレゼン中寝ている人間はいなかった。空気が変わるのが分かった。
藤堂が基礎演のプレゼンの最後に「これですよ!これが立命らしさですよ!!」とはじけてくれたので後が引き継ぎやすかった。
それから現代の国際社会と政策科学入門の説明が終わり、僕が全体の流れを説明した。
そこでまず一回生のプレゼンぷりを「まさに殻をやぶった(Sの口癖、これは大人げないと反省)プレゼンであとが説明しやすい」と述べた後で「自分たちで考え運営し選択するのが基礎演習、この過程こそが政策」、「一回生は基礎演、二回生は研究入門フォーラムでそれぞれ実地体験。その後に三回生からゼミで理論研究。これが立命でいうところの問題発見、解決型の意味。」
(実践が先でそのための道具としての理論)と言いながら「中大や慶應SFCの人と話していて僕が逆ギレする時に『抽象論こねてんと現実見ろ!』と言ってしまうのはこの学部の教育のせい」、「今年の大学パンフレットには交流会創設者の一人内山さんが載って来年は僕、みんなも写ることもあるので期待してね」など笑いを取りながら次の時間のグループディスカッションのネタ振りにとあえて「慶應SFCは問題発見、解決型と言っていたが僕らからすれば単純に理論研究(文献研究の域を出ていない)じゃないのか?と思います。」と言って絞める(これは皮肉すぎ反省)。
空気も一変しその後のグループディスカッションも盛り上がったので、どちらが一体適切だったのかということを身をもって証明できたのがうれしかった。
その後グループディスカッションをしたが僕の班のメンバーは春名を除きみんなまじめだったのでごくまっとうな話をして終わった。それから篠田の班と合流してご飯を食べて本能寺会館に帰る。
一息ついてから春名や藤堂や清水たちと祇園に繰り出す、一回りしてから帰りに一銭洋食食べて(実に3年ぶり!)帰る。帰りに春名から「一年前始めた会ったときは髪が短くて髭はやしていたのでとっても恐い人だと思った」と言われて意外だった。
帰ってから本科会会議が始まっていたので参加すると重たい雰囲気だった。どうやら明日やるワークショップが三つしかあがっておらず、その三つもどれもちゃんと準備されたものではなかった。

SやAがまたまた自分たちが今までやってきたことについてや愚痴的な反省が多かったのでいらいらする。高野は眠たそうにしていたので西村や新野さんや僕が意見を積極的に言うようにしてようやく話が前向きに進んできた。
特に「カスタマーが外にいているのに俺達だけでこんなことやっていていいのか」という新野さんの意見には強く同意し、「自分たちの頭で決めたことを実現させるのが目的じゃない、いまいろんな部屋に散って話をしている一回生たちを満足させるのが俺たちの目的だ」と主張する。
SやAには不本意だったようだが現実的な各チューターがそれぞれワークショップをうち立ててそれに人を募集するという決定がようやく2時頃になされて解散する。
高野が一人でディベートもしくはお堅いテーマでやるということだったので明日途中で少し抜けなくてはいけない僕はみずかちゃんと自分探し系をしようと決める。
その後、中大の高山(ケニーorジョンイルくん)のいる部屋に行って話をする。本科会には参加してないけどやたらと歴史のことが好きだったり『銀英伝』が好きだったりする人がいたので思わず趣味的な話で盛り上がる。
杏林大学で計量政治学をやっている人と話をしたりもしてその日はそこで眠る。

8/26
午前中は吉本プロジェクトの会議があり、かなり本質的な話まで及んだので抜け出せなかった。
しかしワークショップが始まるのは午後からなので何とか間に合った。
恒心館の本科会部屋に行ってみずかちゃんと「自分探しの雑貨屋さん」というテーマでワークショップをうち立てると思った以上に女性が来ずに立命館と関学KSCという偏りのあるメンバー構成でもあった(男4,女2)。
ちょっと引いてしまったが他の状況を見ていると西村がうち立てたワークショップは来た人が0でつぶれ、結局3人来た高野のお堅い政策系ワークショップに入っていたので場合によっては後で合流しようと心の中で模索する。
修学館440に行ってメンバーで話してみると思っていた以上にディープな話、自分の内面性を見つめるような哲学的な話になった。その流れをほぐしてくれると期待したみずかちゃんもかなり直球勝負な発言をしてくれたのでお気楽ワークショップというよりもまさに自分の内面と見つめ合う分科会になった。
そろそろいったん家に帰らなくてはいけない時間に来たので自分なりの「内面を見つめるときには活字として変換してみるとけっこう発見がある」という意見を述べ「内面を見つめるきっかけとなる材料を提供してくれるのが交流会」とまとめた後に高野&西村班に合流させて帰る。
いったん帰って明日行く予定の合気道用の胴着と着替えを入れ替えて親が創ったカレーライスを食べると思わず小一時間ほど眠ってしまった。
けっきょく四条河原町に着いたのが8時台だったがちょうど高野&僕&西村の班はSの班と合流してシェーキーズで飲みに入っていたので合流しやすかった。道には迷ったが高野に迎えに来てもらう。
二人で会場に向かう間に「この本科会の運営は一体どういうことや!」という話をする。
会場に到着するとずいぶんリラックスした雰囲気で僕や高野や春名も思わず下ネタで盛り上がる。春名がばんばんに乗ってくるので思わず盛り上がった、下ネタと言っても服部の話だったからというのもあるのだが。
家に帰ったときについでに持ってきた中大総合政策の一回生のタレントの載った雑誌を持ってくるとみんな興味を示した。
一番盛り上がったのは「だれが童貞か?」という話だった。
帰りにミニストップに寄ってから本能寺会館に帰り風呂に入って上がってくるとまえぷー&香織ちゃんが僕のモノマネを編み出したと目の前でやってくれたが「似ていない」と思った(でもみんな似ていると言う(^^;)
それからAのワークショップのメンバーを中心にノンアルコールの飲み会をすることになっていた。
それに知り合いを連れて参加すると中大名物の「純粋な」女性陣の質問責めにあう。マレーシアプロジェクトについて「みんなが自給自足の生活をすれば環境問題は解決する」という意見やプミプトラ政策への不知識はさすがに無視できないのでそれとなく指摘するとどうやら感情的になってきたようで(中大の女性に多い→ケニーや高野の感想でもあった)「ブルーワーカーと生活を共にしなくては本当の現場は見えてこない!」と批判してくる。「お利口さんな意見で来るな」と思い、反論してやろうかとも思ったが相手は一回生でかつ僕はチューターであるので「そうかもしれないね」と軽く議論を終わらせる。それから興味あることがケニーなどから持ちかけられたときにその女性は「いつの時代にもずるい人間はいてそういう人間のせいでしわよせを受けている人たちをどう救うかというのに興味がある」と言ってくる。
「君の話の流れじゃアイリン地区で生活した方が良いね」と思わず言ってしまったがこれは自分ではまっとうな正論とはいまでも思うが大人げなかったか?(笑)
それと「よくわからない悪者(この場合は「ずるいやつ」)」が出てきてそれとの二元論に集約されるのは中大の国際文化をやっている人たちの傾向でもあるなぁっとも実感する。
そうこうしているうちに西村や新野さんなどが部屋に入ってきて部屋の人間全員でバナナダンスを練習する。
一通り練習してから廊下で話しているグループをいきなりみんな(20人程度)で囲んで踊ったり部屋に乱入して踊るなどまるで踊り念仏のような集団行動をする。これは燃えたが案の定フロントから怒られたようでそそくさと部屋に戻る。
それから僕は抜けてSTAFFルームに行き、途中で抜けてできなかった心理テストを受ける、けっこう楽しかった。
最終日ということで交流会のいつもどおり明け方までプレゼンの準備をしたり語り合っている分科会が多く、ケニーの部屋にまた行き濃い話をする。
4時頃に自分の部屋に帰るとよくわからないが何か雰囲気ある人がいて清水とダイナブックをいじっていた。
「少しお話良いですか?」と言ってきたので僕も座って話をしてみる。するとまぁ話す話す(^^;
(彼は途中で参加したので学部紹介や僕がした話などは聴いていないそうだ)
怒濤のように慶應SFCの生い立ちや理念を話をしていく。なかなかおもしろいなぁっと思っていたら9月入学で入ってきた帰国子女でもうすぐ2回生にあがるそうだ(松永建)。土屋など共通の知人の話などでも話をしてみてなかなか僕も楽しかったので5時半まで話し込む。

8/27
朝は遅めに起きて帰る準備をして下に降りる。部屋の鍵を返すときに高野やでっきー(関学KSC)に昨日の中大の女の子のことを話すと「うちみたい(でっきー)」と評価したのには笑った。
途中松永と話をしながらえっちらと大学に向かって午前中の部の本科会を始めると「昨日したことの報告」ということだったのでメンバーで集まってまとめる。これは時間も5分ということだった上にみずかちゃんはもう帰ったので僕がかなり主導して必然的に平が発表することになる。僕らの班の発表はそれほど特徴があったわけではなかったが自分の内面を見つめるという結果としての方向が印象深かったようで良かった。他の発表には特に渋&篠の「はったり」ワークショップの発表がおもしろかった。Aの厳しい質問にこれまた厳しく返していく立命の二人の女の子が頼もしかった。
それからご飯を食べて交流会全体のプレゼンが始まった。吉本プロジェクトの会議があったので抜けて修学館440で会議に出る。修学旅行の分科会のプレゼンは見たかったので藤堂にお願いしてお知らせしてもらうようにする。
お知らせが入ったので途中で抜けて修学旅行のプレゼンを見るとけっこう寒かった。
終わってから香織ちゃん&まえぷーが外で「急に順番変えられて準備できなかったしあれだけ練習した踊りも舞台上に機材などが氾濫していて踊れなかった!!もう最悪!!」とマジギレしていた。
各プレゼンの間にやっている名刺交換ビンゴゲームはとても簡潔でかつ効果的だったのでいとーや奈央ちゃんやりゅーちゃんを呼ぶ。
それから研究室に帰ってまとめてから4時半頃にまたプレゼン会場に行くともう終わりだった。
(南さんが来ていたので藤堂などを紹介する)
合気道に行く予定だったがかなり寝不足でつらかったので大人しく懇親会に出るようにする。
なんだかんだで藤堂、春名、春名友達(中大)そして僕でタクシー乗って向かうことにする。
春名友達が八つ橋買いたいと言い出したので本家まで向かってもらってから三条木屋町に向かう。
運転手さんがなかなか面白い人で京都の歴史にも詳しい人だったので途中いろいろ話をする、特に歴史だけじゃなく恋愛の話などなかなか説得力ある人だったので興味深く思う。
飲み屋に到着して荷物を置くとまだ時間があったので同じくらいに到着した松永&慶應SFCの女の子と僕らのメンバーでお土産探しを手伝う。飲み屋に帰るともう始まっていた。飲み会では特に立命一回生の女の子たちと話ができたのが印象深い。女の子の中には僕が学部紹介の直前に回した「君たちは君たちだから思いっきりやれ!」と書いた紙を手帳に切り張りしていたのを見てちょっとうれしかった。僕にはめずらしく飲み会で積極的に前に出たりしてひさびさに酔って帰る。
ひさびさに印象深い、出会いの多い交流会だった。

1998 8/24~27
出来事メモ、交流会

エニックス内定

エニックス社プロデューサー職に内定決定。
内定が300倍以上の難関とはうれしいものだ。
実はエニックスの筆記試験(東京)は産学協同事業のプレゼン(京都)と
微妙に被ってしまったので途中退席している。
(代表者がプレゼンの場にいないなんて無理)
退席の事情は説明したものの、たぶん落ちただろうと思っていたのに、
面接に進めるなんて理解ある企業だと思っていたのでそういう意味でも嬉しい。

これで産学協同事業体の主力4回生はすべてどこかしらから
内定をもらっていることになっている。
前々から僕や担当教官が言い続けてきた就職活動と
このインターンシップ 産学協同事業化プロジェクトは
同じカテゴリーにあるものだという認識に対して強い後押しになる。
そこまでは一亥に言えなくても、就職活動を理由に辞めていった人間も多い中で
「吉本興業インターンシッププロジェクトと就職活動は両立できる」ということの証明にはなった(^^)
それがなによりうれしい。(詳しくは『就職戦線日記』参照)

1998 5/25
出来事メモ、進路関係

朝日新聞最終面接(事実上の就職活動スタート)

採用枠の少ない記者職ではなく採用枠の大きい営業職で受けた。
最終までいったけれど、最後は「本当に営業職がやりたいの?」っと質問された。
そのときはもちろん「やりやいですよ!」っと言ったが落ちていた。
とんでもない後悔だ。
どうせ駄目なら自分がやりたいと思う記者職で受けていればよかった。
なんとなく朝日新聞は大きい会社だからとか、
自分の実力では少数枠は駄目だろうとか勝手に決めつけていた。
これでは本末転倒で結局それで落ちたなら、
何が悪かったのかというフィードバックさえできない。
これからは間違っていても合っていても
自分が「こうだ」と思うことを堂々と話していこう。

幕末の新撰組は自分の得意技しか練習しなかった。
実戦では「この技が通用しないときは死ぬときだ」と思って戦ったという。
「これが通用しなければ駄目だな」と思えるものを持っていないと駄目なのだろう。
  ↑
このことが就職活動を見直すきっかけとなり、
結局は商社、銀行、コンテンツ会社の三つの内定を取ることになる。
後にその体験は就職エッセイとしてまとめる。

1998 4/24
出来事メモ、進路関係

大学で始めての講師を勤める

一回生、編入生必修の政策科学入門でのインターンシップについての 講師を勤める。
基本的に入ってまだ2週間の新入生に対して 「政策科学部生にとってインターンシップの意義」を語るのは (T教授の要請)かなりしんどかった(^^;
その上に角田ゼミ、渡ゼミによるプレゼンをすると
きにMacからの 出力の調子が悪く、僕が急に一番最初になってしまったこともあり、
かなり脈絡無いことも言ってしまったかなと反省。
しかし後から問い合わせや質問が来て、T教授からもオッケーサインをもらったのでまずまずの結果としよう。

1998 4/17
出来事メモ

第一種普通免許取得

97年7月後半から実に8ヶ月精神的、時間的に拘束していた教習からも解放された!
一時期は取得もあやぶまれたが、けっきょく試験という試験は不敗だった。
これが勝負強さというものか?(^o^)

1998 3/27
出来事メモ