朝日新聞最終面接(事実上の就職活動スタート)

採用枠の少ない記者職ではなく採用枠の大きい営業職で受けた。
最終までいったけれど、最後は「本当に営業職がやりたいの?」っと質問された。
そのときはもちろん「やりやいですよ!」っと言ったが落ちていた。
とんでもない後悔だ。
どうせ駄目なら自分がやりたいと思う記者職で受けていればよかった。
なんとなく朝日新聞は大きい会社だからとか、
自分の実力では少数枠は駄目だろうとか勝手に決めつけていた。
これでは本末転倒で結局それで落ちたなら、
何が悪かったのかというフィードバックさえできない。
これからは間違っていても合っていても
自分が「こうだ」と思うことを堂々と話していこう。

幕末の新撰組は自分の得意技しか練習しなかった。
実戦では「この技が通用しないときは死ぬときだ」と思って戦ったという。
「これが通用しなければ駄目だな」と思えるものを持っていないと駄目なのだろう。
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このことが就職活動を見直すきっかけとなり、
結局は商社、銀行、コンテンツ会社の三つの内定を取ることになる。
後にその体験は就職エッセイとしてまとめる。

1998 4/24
出来事メモ、進路関係

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