大学院進学ということでほとんど感慨は無かったが一つの節目ということで既述する。
卒業パーティにはひさびさに会えた(実に3年ぶりくらいの)人間が何人かいて良かった。
1999 3/21
出来事メモ、進路関係
since July 19th, 2001
大学院進学ということでほとんど感慨は無かったが一つの節目ということで既述する。
卒業パーティにはひさびさに会えた(実に3年ぶりくらいの)人間が何人かいて良かった。
1999 3/21
出来事メモ、進路関係
メリルリンチ日本証券難波支店で内定辞退したエニックス株100株買いに行く。
寝坊したために月曜市場明けからの値段の急騰後に窓口に着くことになり、
おかげで金曜日の終値は4770円くらいだったのが5000円台を突破している状態だった。
早起きは三文の得というが早起きは三万円の得ってことだろう。
その上まだ上場してないために電話取引なので購入時に手間がかかり、
時間的なことや値下がりを見越し考えたがやはりすぐに買いたいという
思いと必ず5桁は行くだろうという願い、
6千円台は突破してくれるという予測の元で5070円で買う。
後は自分の視点がいかに正しいかを見きわめるだけだ。
以下は日記的にまとめるために読書会にアップした報告記・・・
らぶナベ@エニックスは別れても良い女だったから
僕も別れても良い男にならないといけないなと思っているっす。
さて、今日ついに僕も株を買いにいきました。
銘柄はもちろんエニックス!(^o^)
現在日本の代表的な企業の株価が・・・
伊藤忠商事→200円台
リクルート→300円台
NEC→1,364
東京三菱銀行→1,500円台
松下電器→2,200円台
トヨタ自動車→3,400円台
・・・という株式市場において4000円台後半のエニックス株価は
企業評価の高さを示しているっす。(やっぱすごい企業だ(^^;)
しかし同時に個人投資家にとってはここが実に痛いことでもあるっす(;_;)
大学4年間溜めつづけたバイト代&親からの借金を資金にして挑みました。
結局少しの紆余曲折があってた後に先週金曜日に家の近くにある
メリルリンチ日本証券難波支店で口座を開設しました。
僕の担当についた女の人は僕と同い年(1975年生まれ)で
金蘭短大→山一証券→メリルリンチでディーラーという
実にはい上がり人生な経歴を持っている人っす。
彼女のキャリア体験談はなかなかに面白く、
「仕事で使うディスプレイで、いま自分が勤務している会社が
額面割れする瞬間を見るのはかなりショックですよ。」
とかハードパンチャーなことをネタにして語ってくれます(笑)
さて、口座開設した金曜日はすでに市場終了後だったので
週明け月曜日にメリルリンチの窓口でディスプレイを見ながら
購入のタイミングをはかるってことになりました。
金曜日の終値は4700円台だったっすけど週明けには上昇するだろう
という予測を持ってその日は一旦終了して月曜日を待ちました。
月曜日は朝一でメリルリンチに行こうと思ったんだけど
定期収入源が断たれたために最近がんばっている懸賞応募に没頭してしまい、
少し寝坊してから窓口に株を買いに向かうと
今日は市場明けからずいぶん急な株価変動があったっす。
(NY市場のあおりを受けているらしい)
今日窓口に行った時はすでに5000円台で上下している真っ最中だったっす。
その上にまだ上場していないエニックス株は電話取引じゃないと買えないので
こちらから確実に買いたい場合は言い値を多めにしないとダメなんす。
しばらくすればある程度は反動で4000円台に戻ることは確実で
この場この日に買うことについてはかなり考えたんすけど・・・
1:僕自身またしばらく東京に行ってしばらく窓口には来れないこと
2:おそらく増益が見込まれるだろう決算報告が出た後は
株価がもっと高くなるだろうこと
3:現在株式市場が全体的に上向いていること
4:どうせ最低2年くらいは持っているのでそんなに差は無いだろうこと
・・・などの要因を総合してみて5070円(結局やたら高値だった(^^;)で
その場ですぐに買うことにしたっす。
早起きは三文の得っていうけど寝坊は三万円の損だったっす(;_;)
でも長期的に見れば絶対に得だと僕は予想しているんすけどね。
ちなみに株価変動が写し出される「QUICKディスプレイ」には
ニュース速報としていろいろな情報がヘッドラインとして流れるんだけど
その中で「MAXナナ、奈良で転落」という情報が流れていたっす。
・・・どうでもええやんかぁあ!って突っ込んだけど
彼女たちが所属している音楽会社(どこか失念)の株価に
影響を与えるらしいっす。
経済活動ってすごいんだねぇって思った一日でした。
ひとまず自分の日記がわりに簡単な報告まで。
そのうちこの読書会MLメンバーの中でも株買う人が出てくるだろうけど
その時は情報提供よろしくぅ!
1999 3/15
出来事メモ、進路関係
考えに考えた末、大学院進学に決定。
6日に政策・情報学生交流会OB会と本ちゃんの交流会のために東京入りした。
7日に交流会初日当日参加してエニックスの丸山邸に行く、
益田が来てくれたので三人で話す。
8日に樋口、丸山、八重畑とエニックスに挨拶に言って
エニックス人事課歩仁内さんと話をする。
一旦エニックスの面々とわかれて交流会会場の代々木オリンピックセンター
に顔を出し、藤堂から彼がチューターをする分科会のグループワークで
僕を取り上げることが正式決定したと連絡を受ける。
今まで考えに考えても結局結論が出ずに、期限としても迫っていただけでなく
僕の進路をネタにして下級生が進路や価値判断が入る政策学というものを
考えるきっかけにして欲しいと思ったことと、
自分自身を追いつめないといけないと思ったので了承する。
桜林に大学院側の意見を述べる役を頼み、それから樋口にエニックス側の
意見を述べる役を頼んだ。
9日に樋口、丸山、柄澤、八重畑でオリンピックセンター入りする。
そこでまず僕の自己紹介と進路について悩んでいること→大学院側の意見
→エニックス側の意見を述べてもらう。
参加学生にとっては内定者の意見は非常に感銘を受けたらしく
エニックス側の人間に質問が飛んだ。
それからグループに分かれてどちらか考えてもらい、
各グループで結論を出してからプレゼンを聴き(ここらへんから渋川が
ヴィデオ撮影をしている)、結論を出す段階になった。
ここで逃げてはいつまでたっても決まらないと思ったので一人で会場を出て
結論を考えてみる、樋口、丸山、八重畑が廊下にいたので話をしてみる。
八重畑がコイントスを蹴ってしてみると大学院だったが
これは考えないことにした。
それから彼らを先に会場に戻し、しばらくしてから僕も会場に戻って
教壇に再びたった。
「さあ、結論は・・・!?」と聞かれたときにそれでも一瞬一瞬で考えが
転換したが口から出たことは大学院進学だった、それからなぜか理由を
述べてたが最後に口に出たのが大学院だったので後付の
言い訳のようなものだったと思う。
最終的に大学院進学が逃げや甘えだと捉える傾向があったが
逆にこれに挑戦することにするという結論だと後で整理してみると思った。
それからまっさきにエニックス内定者と握手して
彼らが帰るというので見送った。
ちょうど2年前にここ代々木オリンピックセンターでおこなわれた
「オタクと政策」分科会チューターとして行動したと同じように
かなり参加学生に衝撃を与えたらしい。
しばらく躁鬱状態だったがもう開き直るしかないと思い、
一人で宿泊部屋に帰り内定たちへメールを送る。
その後に益田に電話を入れて報告して宮本にも電話しようと思ったが
電話番号がわからなかったので丸山に電話で聞くと、
「まだ参宮橋駅前のマクドにいるので来いよ」っと言ってきたので向かう。
途中混乱していたからか代々木オリンピックセンター内で出口が
どこか迷ってしまい、雨も降っていたのでへとへとになってたどり着く。
四人とも脱力感からか雰囲気が暗かったのでかなり
気まずくこころ苦しかった。
それから新宿に出るという話になったがかなり疲れていた上に
気まずいので辞退しようと思ったが今まで僕のために
マクドで待っててくれたことを考えるとつき合うことにした。
雨の中新宿の地下のパスタ屋に行って5人で飯を食った。
その最中に樋口から「内定辞退すること愚痴らしてくれよ!」と
真っ正面からの話をしてきた。何を言っても言い訳になるので
あまり内定辞退については話さないつもりだったが、
彼らしい行動だと思って話を受ける。直前に送ったメールとはうって
変わってどうもめりはりの無い言い訳しかできなかったように思える。
「なんで守りに入るんだ」とか「ゼロから創りあげようぜ」とかいうことに
対しては「大学院が守りであるとかレールであることへ挑戦するんだ」と
答えたが「一緒にやろうっていってそれは逃げだ」という問いには
さすがに明確には答えられなかった。
3時間ほど話して丸山の家に行こうかとも思ったが荷物をオリセンに
おいていることと今日は気持ちをおちつかせて明日のエニックス訪問に
そなえたいということがあったので断ってオリセンに帰った。
丸山などからは「逃げだよ」と本気とも冗談ともつかないことを
またまた言ってきてちょっと苦しかった。
オリセンに帰ってきてから樋口からぶちキレしたメールが来たので
これも彼らしいと思ったので受けてたとうと思い逆キレメールを送る。
その後くらいに桜林から電話がかかってきて話をする。丸山などから
冗談とも本気ともつかない「もう関係ないから」というへこましネタは
やさしい証拠だとフォローされた。
10日にエニックスに向かう。
朝起きてから洗濯などの出発準備をして朝食を食べてから新宿に出る。
前日の樋口たちとの話の中でも「今まで待ってくれたエニックスの好意を
蹴ることは事実だから、それに対してはきっちり話をするように」と
しつこいほど言ってきたので歩仁内さんとの話し合いは気が重かった。
しかしこれをしないことには何も進まないので腹をくくろうと思った。
以前からの想定どおりエニックス株を買ってから臨もうと思ったが
僕の口座への銀行振込もまだであったし、入金されてからも
新宿のメリルリンチで「大阪に住んでいるなら大阪で口座を開いて下さい」
と断られたのでこれは最後のカードも効かないと
余計腹をくくらないといけないと思って電話してエニックスに向かう。
いつものように11階の役員室で歩仁内さんとテーブル奥の席にすわり、
内定書と契約書をそえて「内定辞退させていただきます」と宣言した。
今まで待ってくれた好意を裏切ることになるので土下座して謝る。
歩仁内さんの業務による中断はあったものの彼の反応は予想よりも
はるかに落ち着いて穏和で友好的だった。
卒業できなかった内定者、池の件で落ち込んだ話などを彼から
直接聞いていたり、前日も内定者の4人から「ホントに歩仁内さん
ストッパーはずれるぞ」とびびらされていたので、どなられたり
なぐられたりなじられたりすることを覚悟していたので意外だった。
彼が「以前から待つというのが約束であったから裏切りとかそんなものでは
ない」、「君の人生決定は君自身が決めることだからそれで良いじゃないか、
それで良いことにしようよ」と言ってくれた時は驚きもあった。
そして一番驚いて同時に嬉しかったことが、エニックス内定を
辞退しているのに企画を持ち込もうとしている益田の友達の例を出したり、
「内定辞退したからといってそれで関係を切れるということはイヤだ。
君が来ないのはさみしいが出会って良かったと思える良い友達ができたと
本当に思っているので何かあれば、何かなくても東京に来ることがあれば
ちょくちょく寄れよ。」と強く薦めてくれたのはとても感動した。
予想外の答えに調子にのって「僕が言えた柄ではないですが、
他の内定者をよろしくおねがいします」と述べた。
最後に「蹴ったからには歩仁内さんや内定者から笑われないように
がんばりたい」と言った時は力強くうなずいてくれた。
エニックスから出るときに内定者祝賀会でハッパをかけてくれた
長谷川さんが通ったので彼にも報告して後にした。
終わってからまだ飲み会まで時間があったので一旦オリセンに帰った。
途中樋口から「胸はっていけ!」という趣旨のメールを受け取る。
やはり彼は彼だ、うれしくなった(^_^)
交流会のプレゼンを聞いた後にいつもの歌舞伎町「カチカチ山」に向かう。
すでに池などが飲んでいた。(益田は遅れてきた)
卒業できなかった池はかなり落ち込んでいるという話だったので
ちょっと意気込んだが、会ってみると実に弾けていて自分の
自虐的なネタもばんばんに話していた。
彼によると「5日もすれば立ち直る」らしい、なるほど説得力ある言葉だ(^o^)
僕自身かなり壊れていたらしくちょっと恥ずかしい。
それからカラオケにいって丸山に家にみんなで押しかけた、
そこにあった『神聖モテモテ王国』に大爆笑してしまったが
その後一段落ついて安心したからか10時間も眠ってしまった。
次の日に東京駅で安藤やてっしーと飲んで藤堂と共に最終ののぞみで帰る。
1999 3/6~10
出来事メモ、進路関係
南さん、けにーらの交流会組と共に新宿まで出てそこで丸山、
八重畑のエニックス組と合流して浜松町から水上バスで有明に向かう。
途中の道があまりにもすいていたので想像していたものとは
違うのかと思ったが中に入ってみると想像以上のはげしさだった。
途中自由行動ということでエニックス志望者のなるちゃんと会って
写真を撮る、コスプレしていてかわいかったがちょっとキレぎみだった。
それから遅れてきた石原、はせのエニックス志望者組と
コスプレ広場に行きエニックス組だけで帰りのとにつく。
いままでまったく参加経験が無く、いつかは行きたいと思っていたがそれが
大学生活最後になるであろうこの時期に参加できたことは何か思い深い。
1998 12/30
出来事メモ
最終QUATERで逆転勝ちでうち破り優勝、西宮での関西リーグ最終戦(対関学戦)と二回目の観戦だったが今回も逆転で勝ってくれた。
僕が大学に入る前に優勝して以来ずっと遠ざかっていたので卒業前には
結果を残して欲しいと思っていたがホントにやってくれたのでうれしい。
卒業を前にして良いものを見せてくれた(^^)
1998 12/20
出来事メモ
エニックス忘年会に参加。
その後の帰り丸山邸への帰り道にて(笹塚)感じたことを詩にしたためる。
「夜明けのカラス」
カラスがコンビニ袋をあさってた
横を通り過ぎても飛び立つそぶりもしやしない
俺もやつをからかう気もしない
明け方、新宿、バカ騒ぎの後
気がつけば寒い朝だった
1998 12/29
出来事メモ、進路関係
見開き2ページにわたって僕の四年間が政策科学部生のモデルとして紹介される。
4年間の学部MVPに選ばれたようなものであらためていままで活動が無ではなかったと感慨にふける。
1998 12/11
出来事メモ、進路関係
就職部主催のシンポジウムにパネリスト出席したお礼の図書券で
『三国志6武将ファイル』を買いました、このゲーム持っていないのに
武将のファイルだけみて楽しめる、らぶナベ@人材オタクっす(^o^)
さてさて、『山口多聞』星亮一著(PHP文庫)を読みました。
この山口多聞という人物は、『失敗の本質』戸部良一、野中郁次郎など著
(中央公論新社)だけでなく、大戦中の日本海軍に焦点を当てた
学術書や戦略本には必ずといっていいほど出てくる人物。
戦艦を中心とした巨砲射撃による艦隊決戦ではなく、
空母を中心とした航空機攻撃による海戦を提唱し続け
最も機動部隊司令に適任であるとされていたが
海軍の年功序列人事のため十分にその力が発揮できなかった人で
太平洋戦争中も真珠湾攻撃の際にまだ無傷だった修理ドック、
石油貯蔵庫への第三次攻撃を主張したり
ミッドウェイ島の空港爆撃を強力に主張したりするものの
ことごとく上司である南雲中将(機動部隊司令)に
採用されずに苦杯をきっしていた人物。
大戦のターニングポイントになったミッドウェイ海戦においては
常に敵の奇襲を警告し続け、
敵空母発見直後に攻撃機を爆装(地上攻撃用装備)のまま
「ただちに発信の要ありとみとむ!」と空母赤城に乗船していた南雲中将に
指示、それが無視され一気に主力空母4艦中3艦が敵の奇襲で
戦闘不能に陥るや唯一戦闘可能な空母飛龍に搭乗していた山口多聞は
「我、これより航空戦の指揮をとる」と真っ先に宣言し
混乱する味方陣営を統率して反撃を開始。
これは越権行為で軍法違反でもあるが前線指揮官としての判断で指揮を断行、
生き残った航空部隊を再編成して米空母ヨークタウンを大破に追い込む。
しかしすでに彼が指揮を取った時は戦力が崩壊しつつある時で
(戦闘前の3/4以下)レーダーも無い状態では致し方なく
空母飛龍も攻撃を受けて大破、総員を脱出させた後に
度重なる誘いを無視して山口多聞は飛龍と共に留まり沈むこととなった。
(一説に指揮権を奪取し残った兵力を独断で使用した責任を取ったため)
・・・タイタニックよりも泣ける話だ(;_;)
おそらく日本の提督の中でもっとも評価の高い人物。
彼の家系は日銀総裁(父親)、日本初の工学博士(叔父)などの
学術系でありながら一人海軍の道に進み、
彼自身もプリンストン大学で学ぶ洋行派、
常に対英米開戦には反対であったのもうなずける。
合気柔術(合気道の前進)の達人であったという面でも親しみを感じる。
彼自身の生涯は男の生き方としては感動させられるが、
この本ではいまいち彼の人間的な側面と仕事人としての側面が
中途半端になっていて良い伝記本ではないなぁっといった感じだ。
ちなみに彼が戦死するミッドウェイ海戦はなかなか興味深い戦いで、
様々な分野の研究題材にもなっていたりします。
意思決定の分野では各司令官の意思決定の違いがどう帰結したかということが
、組織論の分野では不測事態に直面したときの
組織のあり方がそれぞれ研究されているっす。
1998 12/8
歴史
まろまろヒット率4
この前々日に思い立って東京に向かい、
当日はエニックスの歩仁内さんのおごりで内定者の祝杯をあげた。
言い出しっぺの一人&交渉役の一人としては期限どおりスタートしたこともうれしいが、
反応が思った以上に良いのが特にうれしい (適性検査も好評だ)。
このHomePageは小さいが99年度入社メンバーがエニックスに与える政治的効果、
エニックスとしての宣伝効果だけでなく、
変わろうとしている日本の就職体系に一石を投じるだけの
影響力を与えることができるだろう。
1998 12/1
出来事メモ、進路関係
宇治高校側の段取りが悪く、3年生へのプレゼンだと思っていたのに
2年生だったことや全体へのプレゼンだと思っていたのに
個々の分科会に分かれているなどの予想外のことがあった。
政策科学部分科会には24名ほどいたが女の子の方が多かったのには
ちょっと意外だった。細々としたことよりも「気概」や「政策Mind」について
の話を多くした「何でも良いので好きなことを徹底的にやれ、
それを誰の前でも誇れるならそれがポリシーだ」ということを強調した。
参考文献として学部のおかれている社会的位置や雰囲気をしれるということと、
どうせ入試無しで入ってくるのでスケールの大きい人間に来て
欲しいということもあって小説『竜馬がゆく』と漫画として
『蒼天航路』を推薦した。意外なことに本を読むのがすきという
女の子もいた上にアンケート結果もこちらの思惑にあったものになったようで
かなりの満足感があった。
2年後彼らがどのような人材として政策科学部に入ってくるのか
見れないのは少し残念に思えた。
同時に宇治高校へのプレゼンアンケート結果が返ってきた
4年間の学部MVPに選ばれたようなものであらためていままで活動が無ではなかったと感慨にふける。
以下はアンケート結果・・・
> 講師の先生の話で印象に残ったこと
> 何か1つ自分のしたいことを見つけることが大切。(ポリシーは持つべき)
> 何か自分が自信を持って言えることをやっておくこと。
> 勉強するならする、遊ぶなら遊ぶ、中途半端は駄目。
> 「竜馬がゆく」の時代とこの学部の雰囲気が似ている。
> 情報の即戦力がつく。
> 指示待ちではやっていけない。
> 「最低限何かをする」という基準がないこと。
> 何か目的を持って自分から学ぼうとすることが大切。
> 本当にやりたいことがあれば、政策科学部に行けばよい。
> 講義の内容がディベートが多いということ。
> 自主性に任されているということ。
> 様々な単位がある。(マレーシアに飛ばされたり、モンゴルで羊を飼ったり)
> 教授と学生が対等であること。
> 学生主体の事が多い。
> 変わりものが多いということ。
> 答えのないものを自分で探すということ。
> 大学院に進めばもっと道が開ける。
><感想>
> とにかく興味が湧きました。勉強というものを学ぶのではなく、行動力などを学んで、
> 色々なことにうまくつなげていきたいです。
>
> 学部の雰囲気がすごく開放的で自主的な感じだと思った。
>
> 思ったことをズバズバ言うのでおもしろかったです。政策科学部のイメージができま
> した。
>
> ショックが大きすぎて頭がボーッとしている。いっきに走り抜けて行ったという感じ。
> 話しというよりあなた(渡辺講師)に印象を持った。政策科学部がとてもよく分かっ
> た気がする。
>
> 最初は職業のことが気になっていたが、今日、話しを聞いて、まったく職業のこと
>なんか気にならなくなった。なぜなら本当に就職のために大学に行くのではないということが
> 分かったからです。自分の学びたいことを学ぶために行くのだと言うことを思い知った。
1998 11/28
出来事メモ