初就職活動

お台場のフジテレビにて初めてのセミナーと面接。
それほど入りたい企業では無いのだが、日時が早かったことと
難関であるということ、そして本社社屋それも東京でやるということで
緊張感も高いものとして良い練習にもなるので、
このフジテレビを初戦の相手に選んだ。
反省点としては20分の志望理由書記入時間に漢字間違いをしたこと。
5分間の面接で「殺傷事件を起こす少年達には何が足らないと思うか?」と
聞かれたときに「熱くなれる場所がない」と答えたのは、
「現代の若者は決して閉塞しているのではない」という僕の前の発言と
矛盾してしまったこと。一言「だからフジテレビがその場所を提供すべきだ」
のようにつなげられれば良かった。
もしくは「認められる場所を提供すべきだ」と言うべきであった。
しかしながら初めての体験としては意外に面白く、
かつ今後このセミナー&面接を経験したことは利用できると思う。

1998 2/26
出来事メモ、進路関係

ガーディアンエンジェルス一日体験

TM.Coの木曜日の会議でプロジェクト「KYO」を開催する時は
学生によるパトロールをおこなうべきだという話になり、
ガーディアンエンジェルスの話が出た。
そこでガーディアンエンジェルスに話を聞こうということになったが、
僕個人は組織的性格がわからないので乗り気ではなかった。
しかし常に部下には「動いて、調べてから批判、批評しろ」と偉そうに
言っているのでここは社長自ら行動で示そう思いGAを調べる役を引き受け、
HomePageを調べてメールを送る。それが金曜日の午前中。
午後になると交流会のSTAFFが夜から車で東京に行くとのことを聞く。
一瞬悩んだがその場で即決してのっけていってもらうことにする。
その場でGA東京支部に電話をして「土曜日にでも見学させてくれ!」と
連絡を入れて、TM.Co田邊副社長についでに電話して後のことをゆだねる。
いったん家に用意を取りに帰り西院のゆーだい邸から車に乗る。
まだGAの情報もほとんどなく、どういう風に僕を迎え入れるのか
まったくわからない状態で我ながら無茶なことをすると思ったが
これは司馬遼太郎の『峠』を読んでいる最中だったということと
無関係ではないだろう(笑)
土曜日の5時頃に赤坂にあるGA東京支部事務所に行く。
日本代表の小田さんは北海道で講演があるのでいなかったが、
そこで東京支部長の栗林さんに親切にして頂く。
渋谷と新大久保のパトロールに動向させてもらったが
いきなり質問に来た人間に対しても寛容な対応に好感を持つ。

1997 12/6
出来事メモ、インターンシップ

吉本本社で木村常務への企画プレゼンテーション

TMコーポレーション代表取締役社長として始めての舞台。
ライバル班は背広を着ていたので最初圧倒されそうだった。
小野の班のプレゼンの終わりくらいに企画部長の田邊が来たのでホッとした。
プレゼンが終わるとさまざまな質問、感想などが来たが
そのほとんどが僕らの班に対するものだった。
やはり笑いを取れたのは僕の会社だけだったというのが印象に残ったようだ。
木村常務から「キャラクターの違いもあるだろうけど、
こちらのリーダー(僕)の方がはるかに説得力があった」や
「コンセプトは後から付いてくる」など僕らを養護してくれるような
発言が寄されれたのうれしかった。
そして僕が事業の危険性について常務に質問すると「夢を追って良い」と
明言した、これは重要なことだろう。
また、終わってから千房で晩ご飯を食べているとT教授から
「渡邊のリーダーシップは俺から言わせたら羊飼いのリーダーシップや」
と言われた、ミシェイル・フーコーからの言及らしい。
このプレゼンはターニングポイントになったと思う、
「おもろいことをやる」、「理屈じゃないやるんだ」という
僕らの企画の方針が完全に吉本内で認められたからだ。
もちろん、結果を残さないとこうしたことの意味もないが。
1997 11/11
出来事メモ、インターンシップ

注:これ以降の吉本興業インターンシップ記録は産学協同事業社長日記として移行。
  ただしイヤンな内容が多すぎるのでメモのほとんどは非公開。

マスコミ初登場

7時半からKBS京都ラジオ『はりきりフライデー』に北脇と共に出演。
思ったよりも緊張しなかったがもうすこし深い話もできたのではと
反省している、次からはちゃんとアウトラインだけは書いていこう。
この日の朝日新聞の朝刊第26面京都版にインタビューが載る。
インタビューだけ抽出すると「吉本でのインターンシップほど
充実感を感じたことがない。これだけで学生生活は成功したと思う」、
「売れている芸人は車の中でも本を読んでいる。今の時代を読みとって、
生き残ろうとしている。才能では十年は続かない。生き残るのは努力です。
運不運でやっていけるほど、人生は甘くない。」
・・・記者には「まとめかたわるいで」と思った(笑)
1997 10/3
出来事メモ、インターンシップ

吉本興業に見学に行く

インターンシップ開始までの時間がもったいないと思ったので、
プロデューサーのMさんにお願いして一日同行させてもらう。
本町の丸紅での会議に出席してランチミーティングに参加したり、
帰りにYES.FMを見学しに行ったりする。
1997 8/29
出来事メモ、インターンシップ

吉本興業インターンシップ初会合

関大高槻キャンパスの交流会最終日のプレゼンを抜け出して
淀屋橋のリエゾン大阪オフィスに向かう。
日曜日なのでビルが開いておらず、そこで立ち往生している
T教授とお茶を飲みに行く。
彼はマスコミ攻勢でへとへとしているらしい、
また「今回は君たちが創るインターンだ」とか
「来年からは君たちがこのインターン自体の運営をしてくれ」とか
「遠慮せずにどんどん素直な感性で取り組んで欲しい」などと言われた。
2時からオフィスで初会合、自販機をただにしてくれたのがうれしかった。
話されたこと・・・
「マスコミはおもしろがって取り上げるだけ、勘違いするな。
企画で最初だけ話題になって終わってからぽしゃるものほど
みじめなことはない。結果重視」
「教えてもらうといのではなく盗むためにメモをよくしよう」
「名刺は必要ないこの業界で名刺を出すことはすべて責任を負うということ」
・・・など。
それから吉本興業本社に向かう、電車だったのでちょっと意外だった。
入ると『恋いのから騒ぎ』のオーディションをやっていたので
インパクトがあった。
閑散後、吉本興業のMさん(担当者)と経営学部教授と
十人くらいでちかくでお茶をする。
そこで業界と吉本のきびしさ、企画を立てること説得することの
難しさを語ってくれる。
他にたとえがなかったのか、期待してくれているのか、
それともつぶそうとしているのかはわからないがやたらと
僕の声優企画を例にとって説明してくれた。
予想どおりあそこはかなり厳しいところみたいだ。
ただ、それは責任が明確でわかりやすいきびしさなので
僕としては「納得できる」きびしさのような気がする。
もちろんこのインターンが終わってから言うべき事なのだろうが・・・
それとある意味第二期というのはラッキーだと思う。
説明会やMさんと話した日の晩は興奮して眠れなかったので
ワンクッションおいて参加できることは、
それだけ冷静な目で企業体を見れる気がする。
1997 8/24
出来事メモ、インターンシップ

第7回交流会(関大高槻キャンパス)

愛、雄大をトピックチューターに置き自分はグランドチューターとして大山巌のようなリーダーシップの実験とした「学業としての政策~政策系学部のメリット、デメリット~」分科会を実現する交流会、妹とその友達の帝塚山大学法政策学部の女の子も参加した。

21日は早めに高槻に着くと安藤や佐久屋などの慶応SFC組などとばったり会う、バス停では南さん、香織ちゃんなどと遭遇して関大に向かう。開会式の後にT&Tのチューターをさせられるので、いつものように出来るだけ参加者がのびのびとできるように気をつけて運営する。夜には政策立案ゲームをするが、今回はチューターということで一歩引いて参加するが高い評価を受けたのでうれしかった。
ちなみにこの日はうちの分科会に入っていて来るはずだった慶応SFCの二人が連絡無しにビギナーズに行ってなおかつ片一方が当日も一言のことわりもせずにもせずに出ていったのにはかなりむかついた。

22日は分科会で集まって少し意見交換した後に中津の河合塾に雄大の車で向かう。行きはかなり時間がかかったが何とか10分遅れくらいで河合塾に着く。進路指導部の人との会合で現在の受験生の動向や予備校の現状などを話してもらう、ちゃんと準備されていたのには驚きだったが出されたコーヒーを思わず「まずっ!」と言ってしまったのは反省だ(^^;
終わってからファミレスでご飯を食べて帰る。風呂場でつっちーや西村と会い「帝塚山組が輪にとけ込めていない」と聞く、案の上と言った感じだ。どう受けとめるかは彼女たち次第だろう。
その日はレクの卓球大会が終わってから沙夜がチューターとして分科会運営に対して悩んでいたので渋先生や織田くんとともに相談にのる。なんとか解消できたようだった。
それから入り口近くで服部、高野、はっちーらといつものように濃い話で盛り上がる。
3時半すぎてから寝ようと洗面所に行くとはっちーとばったり会い、そこで「経営学的視点、政治学的視点」と「学問のとらえ方」について大声で話し合う。終わってから部屋に寝ようとしたが(だいたい5時くらい)藤江と雄大が女のことで盛り上がっていたのでなかなか寝れなかった。

23日は朝から雄大の車でフェスティバルゲートと通天閣とスパワールドに行く、STAFF用の紙を買ってからバーベキューに間に合うように高槻キャンパスにもどる。バーベキューでは古今東西ゲームをテーブルでかってにするなどしてけっこう楽しかった。
帰りに渋先生が締めをしたいとのことでひとっぱしりして愛子を呼びに行く。
次の日は吉本インターンの初会合があるので9時ごろ仮眠を取ると、起きたのは12時過ぎでチューター会議が終わっていた。代わりに雄大が出てくれていたとのことだった、感謝しながらまた眠りにつく。
1997 8/21~24
出来事メモ、交流会

グローバルシュミレーションに参加

国関・政策の合同企画である国際政治をシュミレートする
グローバルシュミレーションに参加した。
シンガポールを担当し、僕:首相、高野:外相、平岩:通産相、
段田:国連大使、島田:外交官のメンバーで前日から衣セミで合宿、
作戦会議をおこなった。
概略は・・・
シンガポールは再び監禁されたアウンサンスーチー女史の
生命を守るためにヴェトナムの特殊部隊に情報、資金を提供して
ミャンマーに侵入し、救出作戦をけっこう!
しかし膠着状態にいたるりメディアから「軍事侵攻」と報道され
ASEAN諸国の反感を買うも、巧みな外交交渉によって
ASEAN諸国の承認を得て、
さらにタイ、インドネシア、アメリカを加えた派遣軍からなる
「スーチー女史解放軍」を設立、アメリカ第七艦隊による
ミャンマー軍事政権への空爆と空挺部隊投入を決定しました。
(そこでシュミレーションは終わったの(^^;)
実はこの背景には事前にアウンサンスーチー女史から
政権獲得後には「1:シンガポールの最恵国待遇」
「2:ミャンマーにおける情報インフラ整備の完全独占」
「3:ミャンマー鉄道(略ミャン鉄)の株価1/3の取得」
という裏取引があった。
また、経済面ではドリアン会議なる企業、海外資本にたいした
説明会をおこない、ポスト香港をめざすため大々的に資本を誘致。
・・・という感じ。
反省点としてはいくらスーチー女史がいきなり監禁状態にされたとはいえ、
もう少しミャンマー軍事政権と対話を持っても良かったかな?とも思う。
ただ、極秘裏に作戦を決行し成功すれば内政干渉という批判を
無意味なモノにできたのでこれでも良かったのかな?
とも思う(どっちやねん!)
僕自身はかなり楽しめたし、今後リーダーシップの勉強材料に
使えるので有益だった(^^)

1997 6/21
出来事メモ