北方謙三 『道誉なり』 中央公論社 上下巻 1999

南北朝の動乱期を生きた『ばさら』佐々木道誉の破天荒さを
まさに「ぶったぎった」とでも言うべき一冊。
けっこうな分量だったけどアッと言う間に読み終えた、
久々に夢中にさせてくれる本だった。

歴史小説につきものの年代の既述や歴史的事件の説明、時代考証は一切せずに
(そういう意味では司馬遼太郎などとはまったく違うやり方で)
大胆かつ狡猾な生き方を貫く佐々木道誉という男の生き方を中心に
戦いにはめっぽう強いが純粋すぎる夢を追って孤立する護良親王、
不器用な生き方を最後までしてしまう楠木正成、
気分のムラがありすぎて強い敵には異常に怯えるが
自分に恐怖を与えるだけの敵を求めてしまう足利尊氏などの
男たちの哀しさと芸に生きる者たちの逞しさを印象深く描いている。
痛快にかつもの悲しく書く手法のうまさは
ハードボイルド作家の本領発揮と言うべきか?

この小説に描かれる佐々木道誉のポリシーを実にうまく言い表していると
思われる一文がこの小説の最初の方にあった・・・
「この湖の水をわがものにすれば、近江を御することができる。
以前は、よくそう思っていたものだった。
いまでは、琵琶湖はただの大きな湖だった。
流れのない琵琶湖にこだわれば、時代の流れは見失う。」
・・・この文章こそこの時代に生きた彼の生き様を
著者がどのように捉えているのか言い切っていると思う。

またこの小説は印象深い箇所が多く、
「毀すことがばさら」と言う道誉に対して尊氏が出した
「なにを毀したい?」という問いには・・・
「自が生を。これまで生きてきた歳月を。」
・・・と道誉に語らせている。

彼が生涯強く保護し続けこの物語でも重要な芸能に関しては・・・
「人を救えるほどの者が、芸などはやりますまい。
また、それでは芸になりませぬ。」や・・・
「芸は、なにかを写す。多分、観る者の心の底にあるものを、写す。
優れた芸とはそういうものだ。」
・・・などを能楽芸者や足利尊氏に語らせている。

元々僕は価値観が大きく左右に揺れ動いて「悪党」や「ばさら」のような
うさんくさい連中がいきいきとした力を持って動き回った
南北朝という時代に何となく惹かれるものを感じていたんだけど、
ハードボイルド作家の彼がこの時代を舞台にした物語りを
取り付かれたように書いている理由がこの小説を読んで
確信的にわかったような気がする。
「小説は真面目なことを考えさせるためのものではなくて、
酒みたいなものだ・・・」と断言する彼には魅力あふれる時代なのだろう。
「つべこべ言わずに男の生き方に酔え」とこの小説は言っているようだ。

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1999 4/7
小説、歴史
まろまろヒット率4

松村劭 『戦争学』 文芸春秋 1998

スキンヘッドにした、らぶナベ@「変質者っぽい」と言われて
間違った方向にイメチェンしてしまったことに後悔中っす(T_T)

さて、『戦争学』松村劭著(文芸春秋)1998年初版を読み終えました。
著者は陸上自衛隊で作戦幕僚や総幹部防衛部長などを歴任した元陸将補。
(つまりホンマもん)
そのためか新書なのにこの本は戦争学というなじみの薄い内容を
有史以来から核戦争の時代まで戦略、戦術の変遷を
体系だって既述しようとしている珍しい一冊。
このような系統の入門書としてはなかなかの良書だろう。

内容の方は最初に戦略と戦術を・・・
「戦略は、戦場における勝利のためのリスクを最小限にするように
事前に準備し、また戦場における勝利の果実を最大限に活用する策略。」
「戦術は、戦場において最大のリスクに挑戦し、
最大の勝利を獲得するための術。」
・・・と著者なりに定義してから始めている。
また、冒頭部分で日本の平和論には
戦術研究が徹底的に欠けているとしている。
忌むべき病気を研究する医学のように忌むべき戦争を研究する戦争研究が
あまりにもおざなりなことを、こういう本の例にもれず嘆いている。

以下は気になったり印象に残っている点を列挙・・・
指揮官の決断力についての既述の中で、
元の状態の把握、微小変化の発見、何物かの認識、
敵か味方かの識別、真偽の判別、正確な報告の伝達のそれぞれが
80%の精度であると仮定して実際に頭脳に入ってくる情報について・・・
「指揮官は約25%の情報量で決断を求められている。」
・・・と断言しているのはちょっと言い過ぎのような気がしたが
完璧を踏まえてからしか動かない官僚思考型が多い日本の中では
強調したかった点なのだろう。僕も同感してしまう。

戦史の基本中の基本であるカンネーの戦いについては・・・
「この戦闘は戦術の極意をすべて含んでいる。
弱点を見せて敵を中央突破の攻撃に誘い込んで逆に敵に弱点を生じさせ、
歩兵陣の両翼の防御と、中央の歩兵陣の遅滞行動で敵を拘束し、
左翼の騎兵で機動打撃する攻撃。」と述べている箇所は
今まで僕が読んだこの戦いについての説明の中では
一番簡潔でかつ要点をまとめてくれていると感じた。

「戦時向きであり、平時向きであるような武将は、この世に存在しない。」
・・・とチンギス・ハーンが述べていると書いているが
どうもここらへんはうさんくさい。
リデル・ハートの著作あたりからの引用か?

キャプテン・ドレイクの言葉として・・・
「イングランドの防衛線は国境や英国海峡にはない。
大陸側の港の背中にある。」
・・・としている言葉は海洋防衛の基本を示す言葉だろう。
ただこの純軍事的な考えが日本の朝鮮侵略につながっていったという
政治的事実も無視できないと思う。

そして、この本の中でもっとも面白かったのは
ナポレオン戦争以降盛んになった戦史研究についてだ。
一般的に戦闘開始以前の理論戦闘力が優位な側が勝つという考えが
当然のこととされている。(当たり前と言えば当たり前だね)
しかし、過去605の戦例から理論戦闘力の比
(「Force Raito」=「F.R」)を表にしてまとめてみると・・・
理論戦闘力が優勢側の勝利は辛うじて過半数を超える56%で
劣勢側の勝利は36%(残り引き分け)。
また、劣勢側が攻撃したケースが26%あり、
そのうち勝利もしくは引き分けが59%になっている。
事前に相手より三倍以上の兵力整えられれば勝利するなどのような
一般化されている常識は史実からは遊離していると述べている。

また、ソ連のチェモシェンコやドイツのグーデリアンなどに
強い影響を与えたとされるJ・F・フラーの
『機甲戦ー作戦原則第三部の解説ー』を紹介しているのだが
この中で戦いの原則を著者なりの注釈を加えて既述している。
特に・・・
「戦いにおいては、明確な目標を確立し、徹頭徹尾、追求せよ。
(注)当然の話であるが、これほど実行が難しいものはない。」
「敵の作戦計画を破壊するように、機動せよ。
機動の目的は、敵の精神の均衡を破壊することである。
(注)馬鹿な指揮官は、敵の物理的戦闘力を破壊しようとする。
優れた指揮官は、敵の思考力を破壊する。」
「集中の原則・・・(注)わが決勝点に戦闘力を集中しようとすれば、
敵も集中しようと努力する。
要点に対して相対的に優勢な戦闘力を集中するには、
適切な分散によって敵に分散を強要することが必要である。
集中のタイミングは、敵の反応が遅れた瞬間である。」
・・・などは様々な方面にも応用できるものだろうが
以前読んだリデル・ハートの理論そのままといった感じだった。

ロンメルの言葉として・・・
「大胆な作戦は、常に予備と代替の作戦計画を持っている。」
・・・これもリデル・ハートの『戦略論』などに添ったもの。

また、フラーはこの本の冒頭で研究を含めた戦前での準備について・・・
「戦争になって、新しい戦闘教義を創造することは、
よほどの天才でない限り不可能である。」と述べているが
これは戦争だけでなくすべての物事においても通じることだろう。

それとこの本を読むまで意外に理論として認識していなかったのが
航空戦力を砲兵の代わりとして使用するということだ。
ポーランド侵攻戦でグーデリアンを始めとするドイツ軍は
フリードリッヒやナポレオンが砲兵に騎兵を支援させたように
航空戦力に機甲部隊を支援させたとしている。
航空機はその維持費の高さ、防御力の脆弱さ、運用の難しさから
騎兵の後継者とした考えを僕はもっていたが砲兵の後継者としての
運用が現代戦でのデビューでもあったのだということが意外だった。

十七世紀の英国の海軍戦闘訓令の失敗から有事における法の原則を・・・
「決められないことは決めるな!」と言い切っているのは
ちょっと行きすぎだと思う(^^;

冷戦後の戦争作戦については連合作戦には戦闘力の要素を
相互に補完し合う方法(古代ローマ型)と
連合する国々がそれぞれ完全な軍事力の要素を持って連合する方法
(第二次大戦型)があるが、前者はかつて技術的に困難が多いことと
連合部隊内における主権の問題によって崩壊したことになっている。
そのため「戦闘力の要素を補完し合う連合作戦は過渡期の方法であろう。」
と述べているが最近のNATOによるユーゴ空爆などは
前者に位置するものだろうこれからどうなるか見きわめていきたい。

最後に・・・
「名将は、育てられるものではない。育つ環境を与えるだけである。」
・・・というのは軍事教育だけでなく教育すべてに通じる言葉だろう。

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1999 4/4
戦略論、歴史、政治学
まろまろヒット率3

エニックス内定者HP閉鎖

最後なのでこのようなものをアップする・・・
「さらば愛しきわくわく感よ」
らぶナベ@エニックス内定者辞退者
さあ、今日でこのHPも終わりです。
僕はエニックスの内定を辞退して春からは大学院に進むことになっています。
(モンゴルで羊飼いをするインターンシッププロジェクト立ち上げます)
今までこの掲示板にはエニックス内定者や志望者や社員の方からの
書き込みがありましたが最後なので内定を辞退した者の書き込みも
アップしてみます。
こういうことも前代未聞なんですが先駆的な試みのこのHPの最後らしく
これくらはやっておかないとね(^^)

さて、結論から言えばこんなわくわくぞくぞくするHPなんて
まず無かったです。(^o^)
いま、日本の就業というもの自体が大きく変わろうとしています。
そのあおりを末端である僕ら新卒就職活動者が受けているといった
ところです。数字的にも実質的にも今年も新卒就職活動は
かなり厳しいものになるでしょう、
僕が就職活動をもう一度することになる来年も確実に厳しいと思います。
その厳しい現実を前にして「萎縮」したり「嘆く」のではなく
その厳しい波を「楽しむ」ように立ち向かっていく
そういう人間たちが運営してそして集まってき人たちがいるHPだと思います。
氷河期になったからと言って嘆いているだけでは凍死するだけです、
嵐を見て悲観するだけでは嵐に壊されてしまうだけです。
その吹雪や嵐の中に何かを見いだして何かをやってみる、
それこそが「新しいことをする」覚悟だと思っています。

歩仁内さんも書かれていましたが当初内定者がこんなHPにすることに対して
内外から懸念を訴える声もありました。(今となってはありがたい助言です)
樋口@内定者などは常に矢面に立っていて「こいつなかなか根性あるな」
とみんなから思われたものです(涙声だったが(^^;)。
いまはもう笑い話なので書きますが、このHPへある種の圧力があった時に
樋口@内定者などは「事と次第によっては自分のキャリアを賭けてでも
このHPをやり抜いてやるぞ」と言い切っていました(涙目だったが(^^;)。
新しいことをするならばそれをやり抜くだけの覚悟がいります。
たぶんその人の能力とか才能とかコネとかはその後の問題であって
この腹のくくり方が結果としての「差」を創るものだと思います。

樋口@内定者も書いていましたが僕もこのことと就職活動も
同じだと思います。
初めて会う自分よりもずっと年上の人に自分のこと、
自分のやりたい事を限られた時間で率直に話す・・・
これは実はとても勇気のいることだと思います。
はっきりとしたことを言うというということは
聞く人の好き嫌いがハッキリと別れるということですから。
でも今までの人生で会った人すべてに好かれてきていて、
さらにこれからの人生でもすべての人に愛されていきたいという人で無い限り
抽象的な当たり障りのないことを言ってはたぶんアウトでしょう。
それに素直に自分のやりたいことを話して落ちても
それは自分自身納得できると思います。
「どういうことをしてきて、どうしていきたいか」
それを具体的に話すことはさらに恐怖を感じることです。
何だかんだ言っても自分のやってきたことやいま考えいるものは
実はしょうもないものなんじゃないのかつまらないものなんじゃないのか
そういう自分自身への恐怖があるからです。(そう、『山月記』のように(^^))
でも、具体化できない物事なんて動きません。
こんなことを人前でそれも短時間にすることは
とてもとても恥ずかしいし覚悟がいることだと思います。
でも創造的なことをしていきたいと思うからには
創造的なことをできる体力なり精神力なり能力なり、
何かがあるということをはっきりと証明することが必要になてきます。
新しいことをしたいなら新しいことをする覚悟、
スケールの大きいことをしたいならスケールの大きいことをする覚悟、
それが僕が思う就職活動者の中で結果の「差」がつく点です。

「さらば愛しきぞくぞく感よ」
・・・と、最後なのでさも偉そうに書きましたが
新しいことをすることをする「わくわくっ」感、
それに反比例するように来る恐怖に挑戦する「ぞくぞくっ」感、
はっきり言ってたまりません(^_^)
この快感に比べたら内定取るくらいの努力はしてみる価値ありますよ。
この楽しみのためだけでも就職活動はやりがいがあります。
もし僕が来年度(2年後)エニックスを受けることになれば
いま就職活動しているみなさんの後輩として活動することになります。
その時に99年度内定者以上の輝きを感じさせる内定者になっていてください。
なってないとモンゴルから騎馬隊を率いてきたり陰謀をめぐらしたりして
潰しちゃうよ(笑)(ただいま妄想銀行貯預金中)

最後に個人的なことを言えばエニックスは別れても抜群にいい女だったから
僕自身もエニックスにとって別れてもいい男にならなくてはいけないと
思っています。みなさんもこれからエニックスとどのような関係になっても
悔いのない活動をしてみてください。
氷河期、嵐の中、どうせ動かなくても潰れてしまうちっぽけな僕らです。
それなら思いっきり動いてみましょうよっ、
そこに「わくわくっ」感と「ぞくぞくっ」感が待っています。
そういう意味で就職活動を超える楽しみなんてそう無いですよ(^_^)

1999 3/31
出来事メモ、進路関係

松浦茂 『清の太祖ヌルハチ』 白帝社 1995

らぶナベ@『彼氏彼女の事情』の最終回らしくない最終回に
またまたGAINAXへブチキレ中っす(わかってたんだけどね(^^;)。

さて、本題・・・
『清の太祖ヌルハチ』松浦茂著(白帝社)1995年初版を読み終わりました。
以前、交流会のOB会に参加した時に京ちゃんに教えてもらった
紀伊国屋新宿店で見つけて松村劭著の『戦争学』と共に
思わず衝動買いした本(また偏った購入やな(^^;)。
中国最後の王朝「清」のおおもと(後金)を創った男として
名前は必ず世界史に出てくるが、いまいちどういう人物なのか
よくわからなかったので「読んでみたい!」無性に思わしてくれた本。

父親と兄が同時に死亡するという振ってわいた跡継ぎからスタートして
数十人に満たない一族郎党と共に女真部をまとめ上げ、
次にマンジュ(満州)族の各部を統一、
最後は中国の明朝と朝鮮の李朝に対してイニシアティヴを
取れるまでになった一人の人間の一人生。
そう考えただけでどんな波瀾万丈の生き方なんだろうと思って
わくわくして読み始めたがどうもいまいちな本だった。
本の分量は結構分厚いがその三分の一をヌルハチ以前の
中国東北部の情勢や周辺民族の動きに割いている。
ヌルハチが飛躍した土壌がそこにあったんだと言いたいようだが、
流れ的につながりが薄く見えて説得力に欠ける。
あまり重要で無いような既述は多いが
(ヌルハチとは直接関係が薄い周辺民族の反乱)、
これは詳しく知りたいと思うような箇所は既述
(マンジュ族を統一する経緯など)はとても簡単で
読みながら怠さを感じつづけた。これは資料が少なかったからしか?
また、ヌルハチ自体の既述にしてもできるだけ客観的に書こうとする意図が
どうも空回りしているように感じた。
全体的に扁平で一本のしっかりした筋が見えてこなかった、
これは一人の人物の伝記としては痛い。
二流の歴史学者が書く人物伝なんてこんなものかなと思った、
あまり面白みがあるとは言えない一冊。

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1999 3/24
歴史
まろまろヒット率2

エニックス株買う

メリルリンチ日本証券難波支店で内定辞退したエニックス株100株買いに行く。
寝坊したために月曜市場明けからの値段の急騰後に窓口に着くことになり、
おかげで金曜日の終値は4770円くらいだったのが5000円台を突破している状態だった。
早起きは三文の得というが早起きは三万円の得ってことだろう。
その上まだ上場してないために電話取引なので購入時に手間がかかり、
時間的なことや値下がりを見越し考えたがやはりすぐに買いたいという
思いと必ず5桁は行くだろうという願い、
6千円台は突破してくれるという予測の元で5070円で買う。
後は自分の視点がいかに正しいかを見きわめるだけだ。
以下は日記的にまとめるために読書会にアップした報告記・・・
らぶナベ@エニックスは別れても良い女だったから
僕も別れても良い男にならないといけないなと思っているっす。

さて、今日ついに僕も株を買いにいきました。
銘柄はもちろんエニックス!(^o^)
現在日本の代表的な企業の株価が・・・
伊藤忠商事→200円台
リクルート→300円台
NEC→1,364
東京三菱銀行→1,500円台
松下電器→2,200円台
トヨタ自動車→3,400円台
・・・という株式市場において4000円台後半のエニックス株価は
企業評価の高さを示しているっす。(やっぱすごい企業だ(^^;)
しかし同時に個人投資家にとってはここが実に痛いことでもあるっす(;_;)
大学4年間溜めつづけたバイト代&親からの借金を資金にして挑みました。

結局少しの紆余曲折があってた後に先週金曜日に家の近くにある
メリルリンチ日本証券難波支店で口座を開設しました。
僕の担当についた女の人は僕と同い年(1975年生まれ)で
金蘭短大→山一証券→メリルリンチでディーラーという
実にはい上がり人生な経歴を持っている人っす。
彼女のキャリア体験談はなかなかに面白く、
「仕事で使うディスプレイで、いま自分が勤務している会社が
額面割れする瞬間を見るのはかなりショックですよ。」
とかハードパンチャーなことをネタにして語ってくれます(笑)

さて、口座開設した金曜日はすでに市場終了後だったので
週明け月曜日にメリルリンチの窓口でディスプレイを見ながら
購入のタイミングをはかるってことになりました。
金曜日の終値は4700円台だったっすけど週明けには上昇するだろう
という予測を持ってその日は一旦終了して月曜日を待ちました。
月曜日は朝一でメリルリンチに行こうと思ったんだけど
定期収入源が断たれたために最近がんばっている懸賞応募に没頭してしまい、
少し寝坊してから窓口に株を買いに向かうと
今日は市場明けからずいぶん急な株価変動があったっす。
(NY市場のあおりを受けているらしい)
今日窓口に行った時はすでに5000円台で上下している真っ最中だったっす。
その上にまだ上場していないエニックス株は電話取引じゃないと買えないので
こちらから確実に買いたい場合は言い値を多めにしないとダメなんす。

しばらくすればある程度は反動で4000円台に戻ることは確実で
この場この日に買うことについてはかなり考えたんすけど・・・
1:僕自身またしばらく東京に行ってしばらく窓口には来れないこと
2:おそらく増益が見込まれるだろう決算報告が出た後は
 株価がもっと高くなるだろうこと
3:現在株式市場が全体的に上向いていること
4:どうせ最低2年くらいは持っているのでそんなに差は無いだろうこと
・・・などの要因を総合してみて5070円(結局やたら高値だった(^^;)で
その場ですぐに買うことにしたっす。
早起きは三文の得っていうけど寝坊は三万円の損だったっす(;_;)
でも長期的に見れば絶対に得だと僕は予想しているんすけどね。

ちなみに株価変動が写し出される「QUICKディスプレイ」には
ニュース速報としていろいろな情報がヘッドラインとして流れるんだけど
その中で「MAXナナ、奈良で転落」という情報が流れていたっす。
・・・どうでもええやんかぁあ!って突っ込んだけど
彼女たちが所属している音楽会社(どこか失念)の株価に
影響を与えるらしいっす。
経済活動ってすごいんだねぇって思った一日でした。

ひとまず自分の日記がわりに簡単な報告まで。
そのうちこの読書会MLメンバーの中でも株買う人が出てくるだろうけど
その時は情報提供よろしくぅ!

1999 3/15
出来事メモ、進路関係

内定辞退

考えに考えた末、大学院進学に決定。
6日に政策・情報学生交流会OB会と本ちゃんの交流会のために東京入りした。

7日に交流会初日当日参加してエニックスの丸山邸に行く、
益田が来てくれたので三人で話す。

8日に樋口、丸山、八重畑とエニックスに挨拶に言って
エニックス人事課歩仁内さんと話をする。
一旦エニックスの面々とわかれて交流会会場の代々木オリンピックセンター
に顔を出し、藤堂から彼がチューターをする分科会のグループワークで
僕を取り上げることが正式決定したと連絡を受ける。
今まで考えに考えても結局結論が出ずに、期限としても迫っていただけでなく
僕の進路をネタにして下級生が進路や価値判断が入る政策学というものを
考えるきっかけにして欲しいと思ったことと、
自分自身を追いつめないといけないと思ったので了承する。
桜林に大学院側の意見を述べる役を頼み、それから樋口にエニックス側の
意見を述べる役を頼んだ。

9日に樋口、丸山、柄澤、八重畑でオリンピックセンター入りする。
そこでまず僕の自己紹介と進路について悩んでいること→大学院側の意見
→エニックス側の意見を述べてもらう。
参加学生にとっては内定者の意見は非常に感銘を受けたらしく
エニックス側の人間に質問が飛んだ。
それからグループに分かれてどちらか考えてもらい、
各グループで結論を出してからプレゼンを聴き(ここらへんから渋川が
ヴィデオ撮影をしている)、結論を出す段階になった。
ここで逃げてはいつまでたっても決まらないと思ったので一人で会場を出て
結論を考えてみる、樋口、丸山、八重畑が廊下にいたので話をしてみる。
八重畑がコイントスを蹴ってしてみると大学院だったが
これは考えないことにした。
それから彼らを先に会場に戻し、しばらくしてから僕も会場に戻って
教壇に再びたった。
「さあ、結論は・・・!?」と聞かれたときにそれでも一瞬一瞬で考えが
転換したが口から出たことは大学院進学だった、それからなぜか理由を
述べてたが最後に口に出たのが大学院だったので後付の
言い訳のようなものだったと思う。
最終的に大学院進学が逃げや甘えだと捉える傾向があったが
逆にこれに挑戦することにするという結論だと後で整理してみると思った。
それからまっさきにエニックス内定者と握手して
彼らが帰るというので見送った。
ちょうど2年前にここ代々木オリンピックセンターでおこなわれた
「オタクと政策」分科会チューターとして行動したと同じように
かなり参加学生に衝撃を与えたらしい。
しばらく躁鬱状態だったがもう開き直るしかないと思い、
一人で宿泊部屋に帰り内定たちへメールを送る。
その後に益田に電話を入れて報告して宮本にも電話しようと思ったが
電話番号がわからなかったので丸山に電話で聞くと、
「まだ参宮橋駅前のマクドにいるので来いよ」っと言ってきたので向かう。
途中混乱していたからか代々木オリンピックセンター内で出口が
どこか迷ってしまい、雨も降っていたのでへとへとになってたどり着く。
四人とも脱力感からか雰囲気が暗かったのでかなり
気まずくこころ苦しかった。
それから新宿に出るという話になったがかなり疲れていた上に
気まずいので辞退しようと思ったが今まで僕のために
マクドで待っててくれたことを考えるとつき合うことにした。
雨の中新宿の地下のパスタ屋に行って5人で飯を食った。
その最中に樋口から「内定辞退すること愚痴らしてくれよ!」と
真っ正面からの話をしてきた。何を言っても言い訳になるので
あまり内定辞退については話さないつもりだったが、
彼らしい行動だと思って話を受ける。直前に送ったメールとはうって
変わってどうもめりはりの無い言い訳しかできなかったように思える。
「なんで守りに入るんだ」とか「ゼロから創りあげようぜ」とかいうことに
対しては「大学院が守りであるとかレールであることへ挑戦するんだ」と
答えたが「一緒にやろうっていってそれは逃げだ」という問いには
さすがに明確には答えられなかった。
3時間ほど話して丸山の家に行こうかとも思ったが荷物をオリセンに
おいていることと今日は気持ちをおちつかせて明日のエニックス訪問に
そなえたいということがあったので断ってオリセンに帰った。
丸山などからは「逃げだよ」と本気とも冗談ともつかないことを
またまた言ってきてちょっと苦しかった。
オリセンに帰ってきてから樋口からぶちキレしたメールが来たので
これも彼らしいと思ったので受けてたとうと思い逆キレメールを送る。
その後くらいに桜林から電話がかかってきて話をする。丸山などから
冗談とも本気ともつかない「もう関係ないから」というへこましネタは
やさしい証拠だとフォローされた。

10日にエニックスに向かう。
朝起きてから洗濯などの出発準備をして朝食を食べてから新宿に出る。
前日の樋口たちとの話の中でも「今まで待ってくれたエニックスの好意を
蹴ることは事実だから、それに対してはきっちり話をするように」と
しつこいほど言ってきたので歩仁内さんとの話し合いは気が重かった。
しかしこれをしないことには何も進まないので腹をくくろうと思った。
以前からの想定どおりエニックス株を買ってから臨もうと思ったが
僕の口座への銀行振込もまだであったし、入金されてからも
新宿のメリルリンチで「大阪に住んでいるなら大阪で口座を開いて下さい」
と断られたのでこれは最後のカードも効かないと
余計腹をくくらないといけないと思って電話してエニックスに向かう。
いつものように11階の役員室で歩仁内さんとテーブル奥の席にすわり、
内定書と契約書をそえて「内定辞退させていただきます」と宣言した。
今まで待ってくれた好意を裏切ることになるので土下座して謝る。
歩仁内さんの業務による中断はあったものの彼の反応は予想よりも
はるかに落ち着いて穏和で友好的だった。
卒業できなかった内定者、池の件で落ち込んだ話などを彼から
直接聞いていたり、前日も内定者の4人から「ホントに歩仁内さん
ストッパーはずれるぞ」とびびらされていたので、どなられたり
なぐられたりなじられたりすることを覚悟していたので意外だった。
彼が「以前から待つというのが約束であったから裏切りとかそんなものでは
ない」、「君の人生決定は君自身が決めることだからそれで良いじゃないか、
それで良いことにしようよ」と言ってくれた時は驚きもあった。
そして一番驚いて同時に嬉しかったことが、エニックス内定を
辞退しているのに企画を持ち込もうとしている益田の友達の例を出したり、
「内定辞退したからといってそれで関係を切れるということはイヤだ。
君が来ないのはさみしいが出会って良かったと思える良い友達ができたと
本当に思っているので何かあれば、何かなくても東京に来ることがあれば
ちょくちょく寄れよ。」と強く薦めてくれたのはとても感動した。
予想外の答えに調子にのって「僕が言えた柄ではないですが、
他の内定者をよろしくおねがいします」と述べた。
最後に「蹴ったからには歩仁内さんや内定者から笑われないように
がんばりたい」と言った時は力強くうなずいてくれた。
エニックスから出るときに内定者祝賀会でハッパをかけてくれた
長谷川さんが通ったので彼にも報告して後にした。
終わってからまだ飲み会まで時間があったので一旦オリセンに帰った。
途中樋口から「胸はっていけ!」という趣旨のメールを受け取る。
やはり彼は彼だ、うれしくなった(^_^)
交流会のプレゼンを聞いた後にいつもの歌舞伎町「カチカチ山」に向かう。
すでに池などが飲んでいた。(益田は遅れてきた)
卒業できなかった池はかなり落ち込んでいるという話だったので
ちょっと意気込んだが、会ってみると実に弾けていて自分の
自虐的なネタもばんばんに話していた。
彼によると「5日もすれば立ち直る」らしい、なるほど説得力ある言葉だ(^o^)
僕自身かなり壊れていたらしくちょっと恥ずかしい。
それからカラオケにいって丸山に家にみんなで押しかけた、
そこにあった『神聖モテモテ王国』に大爆笑してしまったが
その後一段落ついて安心したからか10時間も眠ってしまった。
次の日に東京駅で安藤やてっしーと飲んで藤堂と共に最終ののぞみで帰る。

1999 3/6~10
出来事メモ、進路関係

沢木耕太郎 『敗れざる者たち』 文藝春秋 1979

らぶナベ@思わず大学院受かっちゃったのでさっそく東京入りしますです、
いろいろ相談したり調整したりしないといけないので。
(それ自体もまた楽しみの一つだ(^^))

さて、そんな中『敗れざる者たち』沢木耕太郎著(文春文庫)
1979年初版を読み終えました。
普段あまり強い調子の言葉を使わない益田@エニックス内定者が
「ぜひ!」と薦めていたので試しに買って読んだ本。
スポーツの世界に「何か」を求め「何か」が足りなかったために
敗れていった者たちをルポしたドキュメンタリー。
ここにえがかれている人物たちは『あしたのジョー』の矢吹ジョーの様に
一瞬の場にすべてを賭けて戦い燃えつきて敗れていった者たちだけでは無く、
「いつか」燃え尽きたいと思いながらも
その「いつか」を見いだせないまま終わってゆく者たちも取り上げている。
そしてそこにこの本の最大のテーマがあるのではないだろうか
という思いが読んでいて強く感じた。
カシアス内藤という何か物足りないボクサーを取り上げた
第一章「クレイになれなかった男」の最後を・・・
「・・・人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、
いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、しかし”いつか”はやってこない。
内藤にも、あいつにも、あいつにも、そしてこの俺にも・・・」
・・・という風に結んでいるが、これこそが著者が
最もこの本の中で言いたかったことなんだろうと思った。
燃えたくても燃えきれない歯がゆさ、憤り、
カタルシスの無い本当の意味での敗者たちの話を読んでいく中で
僕自身もある種の焦燥感を感じた。
まだドラマでしか見たことがないが彼の代表作である
『深夜特急』にも共通している、この現代の焦燥感とも言うべきものこそが
著者の特徴なのかなと感じた。

特にその思いは最終章である「ドランカー<酔いどれ>」を
読み終えて確信的になった。
すでにピークを過ぎてしまっているこのボクサー輪島功一が
すべてを賭けて燃えつきる場所として挑んだ王座奪還戦を取り上げている。
一度負けた相手から王座を取り返すことが不可能に近いという
ボクシングの常識、この挑戦自体がプロモーション上の犠牲として
仕組まれたものだという経緯、そのような様々な言い訳ができる
この王座奪還戦に輪島はすべてを賭けて燃えつきた。
そして彼は見事に勝者となった。
彼には「栄光への枯渇感」がありありとあった、
今までこの本を読み通して受けていた焦燥感が
この最終章で見事に昇華されたように感じた。
しかしやはりこの章でも真の主役はこの試合をリングサイドで見ていた
著者とこの試合のチケットを送り招待しても最後まで来なかった
第一章で取り上げたカシアス内藤の二人、
つまり燃えつきたいと望みつづける男たちだったように思える。

エンターテイメント業界にせよ教育機関にせよ、
不安定であっても「燃えつきるほどまでに自分を賭けるられる場所がある」
僕はずいぶん幸せなのかもしれないとこの本を読み終えて感じた。

さあ、僕も燃えつきる場所を選びに東京へ旅立とう(^^)

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1999 3/4
ドキュメンタリー
まろまろヒット率5

司馬遼太郎 『空海の風景』 文藝春秋 上下巻 1994改版

らぶナベ@最近車を運転することの喜びに再び目覚めてしまい、
車買えるくらい働いてから大学院行っても良いなと
(エニックスで一本プロデュースしたものを出せば買えるかな?)
またまたいい加減なモティヴェーションがわき上がっているです。

さて、『空海の風景』(上下巻)司馬遼太郎著(中央公論新社)1994年改版初版
を読み終わったです、ちょい難しかった(^^;

この本は僕が通っていた阿倍野高校で日本史の教師が
授業中に薦めていた本として印象に残っていた。
しかし当時(高校2年生、若かった(^^;)すでに世界史で受験しようと
決めていたほどの世界史マニアだった僕にとっては「今さら空海なんて」と、
この本はそれほど興味あるものではなかった。
それから6年たったつい最近丸山の四国八十八カ所巡りの締めに
つき合わされて高野山を訪れたのをきっかけに
ふと一度読んでみようと思った一冊。

もはや遠い時代の人間となり伝説に包まれた空海という人物を
できるかぎり眼に見えるかたちで捉えようとするテーマ性を持った本。
当時の東アジア全体を含めた時代背景、環境や情勢など
「彼の生きた風景」から空海という今となっては
不思議な人物を捉え直そうとした野心的な作品。
その死に方に代表される彼の謎の部分までもいつものように
文句付けようのないほどの資料調べと実際の調査から小説化している。

これは司馬作品すべてに共通した視点だが、この空海についても
「弘法大師さまっ!」という全面肯定でもなく
「この裏切り者っ!」という全面否定でもなく、
「お前友達なんかい!」っと思わず突っ込んでしまうほどに
身近な人物として描こうとしている。
(他人の家に土足で入り込むような大阪人らしいふてぶてしさ(^^;)

いきすぎた伝説的な部分といきすぎた否定的な部分をのぞいて
一人の人間空海という人物を見てみるとこれがまた親しみを感じてしまう。
律令国家や天皇を道具として利用しきった日本史上数少ない人物として
描いているこの空海像は最高のペテン師って感じだ。
普遍なるものを求め、自らも抽象化する密教を中国で極めた空海にとっては
小さな日本の小さな律令国家などは取るに足らない存在として
認識せざるおえないものだった。
だからといって彼は老荘のように世を捨てることはせずに
徹底的に俗世を利用した狡猾な姿に痛快感を感じる。
例えば様々な伝説が付け加えられた四国の灌漑工事についても
彼が指揮を取った場所は実は彼の実家である佐伯氏の支配地であり
律令国家の下で私有を認める唯一の抜け道である墾田を開くためである上に
その工事への助力もわざわざ勅命を出してもらってからからようやく
動きだし、わざと通り道してあたかも自分に霊験があるかのように
「演出」する姿には、彼の人生を通すその痛快さん臭さが
端的にかいま見える事例だと著者自身が書いている。
彼が二十代のころ戯曲を書いているように(現存『三教指帰』)
演出家としての側面がもっともその個性の中で強かったように見える。

この時代における密教の役割、奈良六宗系仏教との教義論などは
かなり難解で僕みたいにお経の意味もわからないような人間に取っては
読みづらい箇所も多かったが彼のこの強烈な個性に貫かれた人生が
中心であったので退屈せずに読み通せた。

さて、この本を読み終わって考えたこと・・・
小さなハッタリ野郎やホラ吹きは世間には多いけど
見えもしない実感さえ無いものをさもあるかのように言う宗教家なんて
(イエスにせよガウタマ・シッダールタにせよムハンマドにせよ)
とんでもないホラ吹きでハッタリ野郎だ。
それに比べたらたいていのペテン師はかわいいもんだなと感じる。
・・・ってこんなこと書いたら信心深い人に怒られそうだけど(笑)

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1999 3/2
小説、歴史、宗教
まろまろヒット率4

ドロシー・カーネギー、神島康訳 『カーネギー名言集』 創元社 1972

このメールがちょうど僕が大学入ってから11111通目の送信メール、
1並びを読書感想で迎えられるのは小さな幸せ(^o^)

『カーネギー名言集』ドロシー・カーネギー編、神島康訳(創元社)
1972年初版を読み終わりました。
たぶん宗教系以外では世界で一番有名な名言、訓辞集の編集家として有名な
デール・カーネギーの死後に奥さんが彼のメモを元に編集した名言集。
原題も”Dale Carnegie`s Scrapbook”となっている。
カーネギーシリーズは服部や藤江などの関学KSC組によく薦められて
以前何冊か読んだが(『人を動かす』、『人生論』など)
けっこうきれいごとばかりで食傷気味な感じを受けたので
それからしばらく遠ざけていたがふと本棚を整理していると
まだ読んでいないこの本が出てきたので気分転換に読んでみた。

この本の中で一番印象に残っている言葉・・・

・大きな悲しみには勇気をもって立ち向かい、
小さな悲しみには忍耐をもって立ち向かえ。
一日の仕事を終えたら安らかに眠れ。あとは神が守って下さる。
→ヴィクトル・ユゴー

それとこの言葉も・・・
・人生で最も大切なことは利益を温存することではない。
それなら馬鹿にだってできる。
真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ。
このためには明晰な頭脳が必要となる、
そして、ここが分別ある人と馬鹿者との分かれ道になる。
→ウィリアム・ボリソー

以下、僕がこの本を読みながらチェックした名言・・・

・危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。
かえって危険が二倍になる。
しかし決然として立ち向かえば、危険は半分に減る。
→ウィンストン・チャーチル

・成功者になるために一番大切なものは、
「自分にもできる」という信念である。
思い切って事に当たらない限り、決して名声も成功も得られない。
→ジェームズ・ギポンズ枢機卿

・人間のできることなら何だってできるという気になれば、
たとえどんな困難にあっても、いつかは必ず目標を達成できる。
これと反対に、ごく単純な事柄さえ、自分にはとても無理だと思いこめば、
たかだかモグラの積み上げた土くれに過ぎぬものが、
目もくらむような高山に見える。
→エミール・クーエ

・次の心得を守れば、十中八九成功するー
自信を持つこと、そして仕事に全力を尽くすこと。
→トーマス・E・ウィルソン

・恐怖の数の方が危険の数より常に多い。
→セネカ

・単に数知れぬ障害を克服する決心をするだけでは駄目だ。
数知れぬ拒絶と敗北に出会っても、障害を克服してみせる決心が必要である。
→セオドア・ローズヴェルト

・最大の名誉は決して倒れないことではない。
倒れるたびに起き上がることである。
→孔子

・大事のためには、いつ何時でも自分の肉体、安寧、
生命さえも投げうつ心がまえのない者は、三文の値打ちもない人間だ。
→セオドア・ローズヴェルト

・本来世の中が不完全なのに、完成ばかり目ざすのは危険である。
最上の方法は、迷わず目前の仕事に着手することだ。
・・・もし本当に最善を尽くしていれば、
失敗を気にかけるひまなどなくなる。
→ロバート・ヒリヤー

・年をとれば額にしわが寄るのは仕方ないが、
心にまでしわを作ってはならない。
→ジェームズ・ガーフィールド

・一度に一つずつ事を行え。
あたかも自分の生死がそれにかかっているかのような気持ちで。
→ユージェニー・グレース

・私は災難の起こるたびに、これをよい機会に変えようと努力し続けてきた。
→ジョン・D・ロックフェラー

・どうすれば物事に熱中できるだろうか。
まず自分の手がけている事柄のどんな所が好きか自分に言い聞かせて、
嫌いな部分は捨てて、さっさと好きな部分へ移ることだ、
それから夢中になって行動する。
→デール・カーネギー

・困難とは作業衣を着た好機会にすぎない。
→ヘンリー・J・カイザー

・困難に会って倒れるようでは、なんじの力はまだ弱い。
→旧約聖書

・人間の偉大さは、不運に対してどのように耐えるかによって、決まるものだ。
→プルターク

・どんな不幸からでも、利口者は何らかの利益を得る。
一方、どんな幸福な人生からでも、愚か者は心を傷つけられる。
→ラ・ロシュフーコー

・今ここで楽しめない人生は、永久に楽しめない。
・・・過去はもはや存在せず、未来は誰にも分からないのだから。
→デーヴィッド・グレーソン

・私が仲よくせねばならぬ人物が二人ある。神とこの私ガーフィールドだ。
この世では私はガーフィールドと共に暮らさなければならない。
あの世では神と共に生きる。
→ジェームズ・ガーフィールド

・報復以上の仕事をしない者は、仕事並みの報酬しか得られない。
→エルバート・ハバード

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1999 2/14
名言集
まろまろヒット率5