松村劭 『戦争学』 文芸春秋 1998

スキンヘッドにした、らぶナベ@「変質者っぽい」と言われて
間違った方向にイメチェンしてしまったことに後悔中っす(T_T)

さて、『戦争学』松村劭著(文芸春秋)1998年初版を読み終えました。
著者は陸上自衛隊で作戦幕僚や総幹部防衛部長などを歴任した元陸将補。
(つまりホンマもん)
そのためか新書なのにこの本は戦争学というなじみの薄い内容を
有史以来から核戦争の時代まで戦略、戦術の変遷を
体系だって既述しようとしている珍しい一冊。
このような系統の入門書としてはなかなかの良書だろう。

内容の方は最初に戦略と戦術を・・・
「戦略は、戦場における勝利のためのリスクを最小限にするように
事前に準備し、また戦場における勝利の果実を最大限に活用する策略。」
「戦術は、戦場において最大のリスクに挑戦し、
最大の勝利を獲得するための術。」
・・・と著者なりに定義してから始めている。
また、冒頭部分で日本の平和論には
戦術研究が徹底的に欠けているとしている。
忌むべき病気を研究する医学のように忌むべき戦争を研究する戦争研究が
あまりにもおざなりなことを、こういう本の例にもれず嘆いている。

以下は気になったり印象に残っている点を列挙・・・
指揮官の決断力についての既述の中で、
元の状態の把握、微小変化の発見、何物かの認識、
敵か味方かの識別、真偽の判別、正確な報告の伝達のそれぞれが
80%の精度であると仮定して実際に頭脳に入ってくる情報について・・・
「指揮官は約25%の情報量で決断を求められている。」
・・・と断言しているのはちょっと言い過ぎのような気がしたが
完璧を踏まえてからしか動かない官僚思考型が多い日本の中では
強調したかった点なのだろう。僕も同感してしまう。

戦史の基本中の基本であるカンネーの戦いについては・・・
「この戦闘は戦術の極意をすべて含んでいる。
弱点を見せて敵を中央突破の攻撃に誘い込んで逆に敵に弱点を生じさせ、
歩兵陣の両翼の防御と、中央の歩兵陣の遅滞行動で敵を拘束し、
左翼の騎兵で機動打撃する攻撃。」と述べている箇所は
今まで僕が読んだこの戦いについての説明の中では
一番簡潔でかつ要点をまとめてくれていると感じた。

「戦時向きであり、平時向きであるような武将は、この世に存在しない。」
・・・とチンギス・ハーンが述べていると書いているが
どうもここらへんはうさんくさい。
リデル・ハートの著作あたりからの引用か?

キャプテン・ドレイクの言葉として・・・
「イングランドの防衛線は国境や英国海峡にはない。
大陸側の港の背中にある。」
・・・としている言葉は海洋防衛の基本を示す言葉だろう。
ただこの純軍事的な考えが日本の朝鮮侵略につながっていったという
政治的事実も無視できないと思う。

そして、この本の中でもっとも面白かったのは
ナポレオン戦争以降盛んになった戦史研究についてだ。
一般的に戦闘開始以前の理論戦闘力が優位な側が勝つという考えが
当然のこととされている。(当たり前と言えば当たり前だね)
しかし、過去605の戦例から理論戦闘力の比
(「Force Raito」=「F.R」)を表にしてまとめてみると・・・
理論戦闘力が優勢側の勝利は辛うじて過半数を超える56%で
劣勢側の勝利は36%(残り引き分け)。
また、劣勢側が攻撃したケースが26%あり、
そのうち勝利もしくは引き分けが59%になっている。
事前に相手より三倍以上の兵力整えられれば勝利するなどのような
一般化されている常識は史実からは遊離していると述べている。

また、ソ連のチェモシェンコやドイツのグーデリアンなどに
強い影響を与えたとされるJ・F・フラーの
『機甲戦ー作戦原則第三部の解説ー』を紹介しているのだが
この中で戦いの原則を著者なりの注釈を加えて既述している。
特に・・・
「戦いにおいては、明確な目標を確立し、徹頭徹尾、追求せよ。
(注)当然の話であるが、これほど実行が難しいものはない。」
「敵の作戦計画を破壊するように、機動せよ。
機動の目的は、敵の精神の均衡を破壊することである。
(注)馬鹿な指揮官は、敵の物理的戦闘力を破壊しようとする。
優れた指揮官は、敵の思考力を破壊する。」
「集中の原則・・・(注)わが決勝点に戦闘力を集中しようとすれば、
敵も集中しようと努力する。
要点に対して相対的に優勢な戦闘力を集中するには、
適切な分散によって敵に分散を強要することが必要である。
集中のタイミングは、敵の反応が遅れた瞬間である。」
・・・などは様々な方面にも応用できるものだろうが
以前読んだリデル・ハートの理論そのままといった感じだった。

ロンメルの言葉として・・・
「大胆な作戦は、常に予備と代替の作戦計画を持っている。」
・・・これもリデル・ハートの『戦略論』などに添ったもの。

また、フラーはこの本の冒頭で研究を含めた戦前での準備について・・・
「戦争になって、新しい戦闘教義を創造することは、
よほどの天才でない限り不可能である。」と述べているが
これは戦争だけでなくすべての物事においても通じることだろう。

それとこの本を読むまで意外に理論として認識していなかったのが
航空戦力を砲兵の代わりとして使用するということだ。
ポーランド侵攻戦でグーデリアンを始めとするドイツ軍は
フリードリッヒやナポレオンが砲兵に騎兵を支援させたように
航空戦力に機甲部隊を支援させたとしている。
航空機はその維持費の高さ、防御力の脆弱さ、運用の難しさから
騎兵の後継者とした考えを僕はもっていたが砲兵の後継者としての
運用が現代戦でのデビューでもあったのだということが意外だった。

十七世紀の英国の海軍戦闘訓令の失敗から有事における法の原則を・・・
「決められないことは決めるな!」と言い切っているのは
ちょっと行きすぎだと思う(^^;

冷戦後の戦争作戦については連合作戦には戦闘力の要素を
相互に補完し合う方法(古代ローマ型)と
連合する国々がそれぞれ完全な軍事力の要素を持って連合する方法
(第二次大戦型)があるが、前者はかつて技術的に困難が多いことと
連合部隊内における主権の問題によって崩壊したことになっている。
そのため「戦闘力の要素を補完し合う連合作戦は過渡期の方法であろう。」
と述べているが最近のNATOによるユーゴ空爆などは
前者に位置するものだろうこれからどうなるか見きわめていきたい。

最後に・・・
「名将は、育てられるものではない。育つ環境を与えるだけである。」
・・・というのは軍事教育だけでなく教育すべてに通じる言葉だろう。

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1999 4/4
戦略論、歴史、政治学
まろまろヒット率3

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