沢木耕太郎 『敗れざる者たち』 文藝春秋 1979

らぶナベ@思わず大学院受かっちゃったのでさっそく東京入りしますです、
いろいろ相談したり調整したりしないといけないので。
(それ自体もまた楽しみの一つだ(^^))

さて、そんな中『敗れざる者たち』沢木耕太郎著(文春文庫)
1979年初版を読み終えました。
普段あまり強い調子の言葉を使わない益田@エニックス内定者が
「ぜひ!」と薦めていたので試しに買って読んだ本。
スポーツの世界に「何か」を求め「何か」が足りなかったために
敗れていった者たちをルポしたドキュメンタリー。
ここにえがかれている人物たちは『あしたのジョー』の矢吹ジョーの様に
一瞬の場にすべてを賭けて戦い燃えつきて敗れていった者たちだけでは無く、
「いつか」燃え尽きたいと思いながらも
その「いつか」を見いだせないまま終わってゆく者たちも取り上げている。
そしてそこにこの本の最大のテーマがあるのではないだろうか
という思いが読んでいて強く感じた。
カシアス内藤という何か物足りないボクサーを取り上げた
第一章「クレイになれなかった男」の最後を・・・
「・・・人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、
いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、しかし”いつか”はやってこない。
内藤にも、あいつにも、あいつにも、そしてこの俺にも・・・」
・・・という風に結んでいるが、これこそが著者が
最もこの本の中で言いたかったことなんだろうと思った。
燃えたくても燃えきれない歯がゆさ、憤り、
カタルシスの無い本当の意味での敗者たちの話を読んでいく中で
僕自身もある種の焦燥感を感じた。
まだドラマでしか見たことがないが彼の代表作である
『深夜特急』にも共通している、この現代の焦燥感とも言うべきものこそが
著者の特徴なのかなと感じた。

特にその思いは最終章である「ドランカー<酔いどれ>」を
読み終えて確信的になった。
すでにピークを過ぎてしまっているこのボクサー輪島功一が
すべてを賭けて燃えつきる場所として挑んだ王座奪還戦を取り上げている。
一度負けた相手から王座を取り返すことが不可能に近いという
ボクシングの常識、この挑戦自体がプロモーション上の犠牲として
仕組まれたものだという経緯、そのような様々な言い訳ができる
この王座奪還戦に輪島はすべてを賭けて燃えつきた。
そして彼は見事に勝者となった。
彼には「栄光への枯渇感」がありありとあった、
今までこの本を読み通して受けていた焦燥感が
この最終章で見事に昇華されたように感じた。
しかしやはりこの章でも真の主役はこの試合をリングサイドで見ていた
著者とこの試合のチケットを送り招待しても最後まで来なかった
第一章で取り上げたカシアス内藤の二人、
つまり燃えつきたいと望みつづける男たちだったように思える。

エンターテイメント業界にせよ教育機関にせよ、
不安定であっても「燃えつきるほどまでに自分を賭けるられる場所がある」
僕はずいぶん幸せなのかもしれないとこの本を読み終えて感じた。

さあ、僕も燃えつきる場所を選びに東京へ旅立とう(^^)

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1999 3/4
ドキュメンタリー
まろまろヒット率5

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