生月誠 『不安の心理学』 講談社 1996

日テレ系新ドラマ『ロマンス』のCMで雛形あきこが
ホモ役の男を押し倒して彼の手を自分の胸に押しつけて
「何も感じない?何も感じない!!」と迫っているシーンがあったけど
「そんなんされたらホモじゃなくても引くで」と突っ込んでしまった、
らぶナベ@ボーズにしてから僕もホモっぽいって言われているので(T_T)
このドラマはチェックするっす。

さて、『不安の心理学』生月誠著(講談社学術新書)1996年初版を読んだです。
古今東西の戦略書を読んでみると、どこかに必ずと言って良いほど
「敵を不安にさせる機動と攻撃が重要」や「相手の不安点をつけ」
などということが書かれている。
『孫子』の中には「兵は奇道なり」というのが出てきているし、
リデル・ハートも『戦略論』の中で直接的攻撃ではなくて
相手の不安をかきたてて判断を狂わせるような
「間接アプローチ」を提唱している。
・・・ではその「不安」とは実際には何なのかと考えると
そのメカニズムがいまいちよくわからないなと思っていた。
そういう時にたまたま本屋でこの本を見つけて読もうと思ったのがきっかけ。

この本の内容でもっとも中心的だと思われる箇所が、
「根源不安説」と「不安=甘え説」についての著者の既述だ。
不安についての考え方については二つの大きな流れがある。
その一つ根源不安説は元々人間は自分の存在や日常について
常に不安を感じている。それを普段は何かに打ち込むことによって
その不安から逃げているのだというのが一つの考え。
もう一つの不安=甘え説は人間は生きることに必死な時は不安など感じない。
不安を感じているのは単なる甘えの状態なのだという説。
特に前者の根源不安説はハイデガーが『存在と時間』の中でも
「不安は、日常慣れ親しんでいる非本来的な自分のあり方から、
本来的なあり方に自分を連れ戻そうとする。
不安によって、自分の本来的なあり方の開示が可能になる。」
と強く主張しているとして有名らしい。

実はこの有力な二つの説は不安というものに対して
ともに大きな見落としがあるとしているのが本書の主張。

まず、根源不安説に関しては・・・
「不安を感じるのと実際に存在することは同じ」という点と
「言語表現が思考の中心的な役割を担う」という点に注目して
「不安になったときに、偶然そうなったと考える場合と、
自分の根本的な欠陥によって不安になったと考える場合とでは、
不安に与える影響は大変違う。」として・・・
「不安は、自分の思考とは別に、独立して存在する不動の対象と考えて、
その本質を求めたのである。ところが、不安を現時点でどのように捉えるか、
その捉え方自体が不安を大きく変化させることを見落としていたのである。」
→「これは、不安に駆られて書物を読みあさる時に
陥りやすい落とし穴である。」
そして・・・
「根源不安説は、不安を、あたかも外部の対象であるかのように、
行動や思考とは独立した不動のものとして扱うが、
そこには大きな誤りがある。
不安のような内的な減少は、
行動や思考と離れて存在するものでは決してない。
また、根源的不安を前提に不安を理解しようとする思考の構え自体が、
実は不安を大きく規定する結果となっているのである。」

一方、不安=甘え説に関しては・・・
「完全なものを追求しようとする結果、自分を含めたすべての事柄について、
その完全でない部分、つまり欠点だけが、意識の中で目立ってくるのである。
マイナスの可能性だけを、選択的に非常に鋭く追求することが、
不安を引き起こすのである。
そうして不安は、さらにマイナスの可能性を目立たせ、
それがさらに不安を増大させるという悪循環が起きるのである。」とし、
「人間の意識はごく限られた範囲しか照らし出すことはできない。
意識の証明をマイナスの可能性のみに限定することこそ、
不安を増大する最大の原因である。」
・・・と主張している。

また、不安を悪用する例として相手に対して根源不安説を徹底的に強調し、
不安の深淵があたかも客観的に存在するかのように信じ込ませて
絶望状態に追い込んで相手が藁にもすがる思いにかられた時に
自分の偉大さを信じ込ませるという方法が見られるとして・・・
「根源不安仮説の検証の過程は、外見的に、
科学的な検証過程と酷似しているから、悪用される可能性が高い。」
「不安が、体験とは別に存在しているという考え自体が、
実は当人を不安にさせている。」としている。

つまり「不安は、感じることと存在することが全く同じ現象である」から
「不安は、それをどう考えるかによって、
その存在自体が影響を受ける現象である」という点を強調して・・・
「不安そのものに接近する際には、不安の周辺の現象を把握し、
その上で、不安に対する仮説や考え方によって不安が大きく影響されることを
十分に考慮しながら、不安の理解に取り組まなければならない。」
・・・というのが不安に対するこの本の結論的主張。

ここらへんの主張は説得力があったが、
この本の中のその他の主張や具体的事例の選び方などは
ちょっと都合が良すぎるなと思われるところもかなりあった。
しかし心理学の世界で最も信用のおける(本物な)精神医学でさせ
医学の世界では非常にうさんくさい領域であるのだから
文系的なこの本では(著者は行動療法研究家)しかたないなとも感じた。
心理学っていうのはかなりうさんくさいものだから。

以下はこの本で気になってチェックした箇所の列挙・・・
不安の定義については宮城音弥編『心理学小辞典』(岩波書店)
からの引用で・・・
「漠然とした恐れや危険が近づきそうだという感情、
あるいはそれらの感情に伴う警戒的態度や身体的感覚」

不安を解消する方法として・・・
「第一の方法は、その対象に積極的に働きかけて、
その働きかけに対する反応や結果を確認して、
これは、このような刺激に対して
こう反応するという法則を発見するやり方。」(能動的)
「第二の方法は、対象になるべく影響を与えずに、
ありのままを観察することによって、
その対象の本質を解明しようとするやり方」(受動的)

「能動的な方法で相手を把握しているつもりでいるのに、
実は、単なる受動的な観測になっているというのは、
教育やしつけなどでもよく見受けられる現象である。」

「不安の本質を追究しようとする場合、不安をそのまま、
あるがままに観測しようとする態度自体が、
不安に大きな影響を与えるということを、
まずはっきり知っておくべきだろう。」

「実は、対象なき不安というのは、日常的な状況自体が、
不安を喚起しているのである。」

「思考は、行動と同様に、繰り返すことによって、
自動化、つまり習慣化する。」

不安状態に陥る人々に共通して見られることの多い傾向として・・・
「(1)現時点で、実行不可能なことを確認する思考が多い。
(2)過去の経験のうち、失敗経験を想起する思考が多い。
(3)将来の可能性については、失敗する可能性を予期する思考が多い。
(4)失敗の原因を、どうにでもできない事柄(たとえば幼児期の環境、
過去のショッキングな体験、親のしつけ、遺伝など)や、
仮想的であるが、どうにもできないと思われる事柄(根源不安、前世、運命)
などに求めるような思考が多い。」

「思考は、論理的に、事実に基づいて進められるという面があるが、
自動的に働くという側面もまた大きいのである。」

「自然に関する法則は、仮説を立てることによって、
いささかも影響されることはない。」
→「不安などという現象は、仮説を立てて検証しようとすること自体が、
現象に大きく影響することを考える必要がある。」

また、「どんな場合でも、不安に冷静・沈着に接することは不可能であり、
したがって、不安の本質の解明はそれ自体不可能な課題である。」
・・・とする説も紹介している。

「重要なのは、自分で数分間リラックスできるようになれるか
どうかという点である。」

普通の対象が不安対象に変わる原理は・・・
不安は冷静になれば現れず、不安になれば冷静にはなれない、
それ故「不安な時に、ある特定の対象に接するということを繰り返すと、
その特定の対象は、不安対象に変わる。」

「対象の本質と不安はどのような関連があるのかをいくら追求しても、
満足できる解答は見いだせない。
つまり、今までに、不安な状態でその対象に接したこと自体が、
対象による不安喚起の原因なのである。」

「ある不安対象に接しながら、何かで不安を一時的に打ち消すということを
繰り返すと、元の不安対象は、普通の対象に変わる。」

「不安が起きないようなパターンを確立するには、
不安を一時的に弱める手段を持ち合わせているかどうかが、鍵になる。」

「不安が課題達成を抑制する場合も、逆に促進する場合も、
当人は不安を軽くしようと試みている。」

「不安によって動機づけられる行動は、
その行動による不安軽減の予期によって促進され、
その行動による不安増大の予期によって抑制される。」

「行動は、課題の達成やその予期によって促進される。」

「行動であれ、思考であれ、自動化した場合には、
それを一時的に中断するということを繰り返せば、
その自動反応はやがて消失する。」

ヤーキーズ・ドッドソンの法則として・・・
「適度を越えた強い罰が加えられると、効果はマイナスになる。
学習が困難であればあるほど、弱い罰が有効なのである。」

「恐いから逃げるのではない。逃げるからこわいのだ。」
というジェームズ・ランゲ説には・・・
「自律神経系の反応は、運動神経系の反応よりも、
その活性化に時間がかかる」という点から・・・
「恐怖と逃避が繰り返されると、逃げるんから恐いという
因果関係が形成される可能性が大いにある。」と訂正している。

不安からの逃避と回避の違いについて・・・
「逃避とは回避の一種であり、不安を一時的に軽減させる行動や活動である。
しかし、不安対象の持つ不安喚起力は、
その行動や活動で弱まることはない。」

逃避についての定義を独自に・・・
「不安によって動機づけられた回避が、
一時的な不安軽減をもたらすにもかかわらず、その回避を反復しても、
不安対象の持つ不安喚起力が弱まらないのは、
不安対象への接近が不十分なまま回避しているからであり、
より高い不安階層への接近をしていないからである。
このような回避に限定して、本書ではそれを逃避と呼ぶことにする。」

「焦りは・・・不安によって動機づけられた反応であって、
不安軽減の予期や増大の予期によって、変化するのである。」

「焦ることによって引き起こされた行動であっても、
その行動がメリットをもたらすことが繰り返し経験されれば、
たとえ、不安や焦りが無くなっても、その行動は、しっかりと定着する」
→「不安は焦りを誘発する。焦りが、不安軽減の予期と結びつけば、
焦りは持続する。しかし焦ることによって、
不安が増大すれば、焦りは減少する。」

「不安がおさまった後に、不安だった時の行動を冷静に振り返るとか、
他者からの適切なアドバイスによって、焦ることで引き起こされる反応を、
不安の軽減に有効なものと無効なものとに弁別できるようになると、
不安になっても、焦ることはなくなる。」

「焦ることによって不安が増大するために、
抑制的になる絶望的なあきらめは、不安の軽減をもたらさず、
不安軽減の予期に基づいた開き直り的なあきらめは、
不安軽減をもたらすことが多い。」

「焦りを減少させるかどうかについては、
効果的な不安軽減の方法がどの程度明確になっているかが、
一つの重要なポイントである。また、焦ることによって、
不安が軽減すると予期するか、あかえって増大すると予期するかが、
もう一つの重要なポイントである。」

「不安の対象が明確な場合を恐怖症、対象がきわめて不明確な場合を
不安神経症と読んで区別することがある。」

「弱いが持続する不安については慢性不安と呼ぶ。」

「慢性不安は、何かに取り組んでいる時は軽くなり、
暇になると強く感じられる」→「対象なき慢性不安は、
何もすることがなくなった時に最も強く感じられる。」

「その対象と不安を感じる本人との今までの出会いの仕方に、
大きく依存している。」

「連鎖反応のどこかを断ち切れば、恐怖は起きなくなる。」

「人間の自由意志による選択が関与するような将来の予測については、
その予測を立てる人の社会的な信頼性が高ければ高いほど、
その人の予測によって結果が左右されることになる。」

不安を行動のみに限定するというワトソンが提唱する
「行動還元主義」に関しては・・・
「不安は、行動に完全に還元できる現象ではない。」と主張。

「気を紛らわすのには、いつもきまったやり方をするのがいい。」

「適度に体系化した手続きというのは、要するに、慣れに応じて、
気を紛らわす手続きを変えていくことである。」

「不安はその体験と存在が同じであること、不安をどのように考えるか、
その思考の内容自体が不安に大きく影響すること、
さらに、不安を軽減する決定的な要因は気を紛らわすことにあるというのが、
本書の結論。」

この本をamazonで見ちゃう

1999 4/8
心理学、教育学
まろまろヒット率5

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です