司馬遼太郎 『草原の記』 文藝春秋 1995

らぶナベ@エニックス内定者HomePage・・・
http://home.interlink.or.jp/~d-ike/ENIX99.htm
・・・がモデルチェンジしたので良かったら見て下さいです。
やばいやつらだけどとってもいきいきした面々がいる上に
彼らにはこの読書会にも入ってもらおうと思っているので(^^)

さて、本題・・・
『草原の記』司馬遼太郎著(文春文庫)1995年初版を読んだです。
以前読んだ『モンゴル紀行~街道をゆく5~』(朝日文芸文庫)の
著者が17年後にもう一度モンゴルに行き、
その経験を元にモンゴルというものの全体像を掴もうとした作品。
彼特有の風景、情況から歴史的な視点に発展させるという
少しとりとめのない話の展開から(壮大感はあるんだけどね)
17年前『モンゴル紀行』でガイドをしてくれたツェベクマさんという
剛気な気質が印象的だった女性の半生を追っていく展開だった。
彼女の幼児期に強い影響を与えた日本人女性、満州国崩壊、
内モンゴル自治区独立運動、中ソ国交断絶、
文化大革命によるモンゴル人弾圧と夫との別れと亡命、
26年後に改革開放政策のために彼との再開という生涯三つの国と
四つの草原に住んだ彼女の半生をインタビューを通して紹介している。
また、基本的に馬には帰巣本能が無いと言われているが
モンゴル馬には古くから故郷に帰ってくる話が多い。
最近ではヴェトナム戦争時にハノイに軍事物資としておくられた
あるモンゴル馬が何年もかけてモンゴル高原まで歩いて帰っていったという
話が伝えられている。
この本はこのようなモンゴル馬の帰巣本能とツェベクマさんの半生を
対比させながら結んで終わっている。

本自体の分量も少なく、中身の方も『モンゴル紀行』の続編的な
ものだろうと思って読んだので東京から帰って来る新幹線の中で
この本を読み終えた時は不覚にも感動していた。
(前半と後半のテンションが違うので意外性もあった)
例えるなら『大地の子』みたいな感動を与えてくれたが、
これはさしずめ『草原の子』って感じだろう(^o^)

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1999 2/8
エッセイ、歴史
まろまろヒット率5

宮崎学 『突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年』 幻冬社 上下巻 1998

まず最初に、読書なんてものは個人の趣味や興味に依存しるもんなんだから
万人に薦められる本は無いと思いますが、この本は絶対読んだ方が良いです。
いや読むべきだ!(断言)
それぞれの社会事象に大きく関わっているのにも関わらず、
今まで様々な理由で報道されてこなかったり
理論書でも曖昧にしている日本の闇の部分がとても明確に書かれています。
それもこの本に登場する人名のほとんどが実名で
「いまこの人物はこんなことしている」と恐いモノ知らずに書いています。
(ヤクザ組長の息子だからここまでできる)だからとても分かりやすい!
ちょうど今まで社会現象を分析する時にうやむやにしていた部分、
パズルの欠けていたピースをはめてすべてが繋がる思いがします。
社会に出るにしても大学で研究するにしても
そして社会と向きな合う上でもぜひ一読に価する本です。
一つの視点を得る上では非常にすばらしい一冊です。

さてその本とは・・・
『突破者~戦後史の陰を駆け抜けた50年~』宮崎学著
(幻冬社アウトロー文庫)1998年初版
戦後報道されにくかったり研究から外されたりしていた
日本の闇の部分に深く関わってきた人間の自伝。
グリコ・森永事件におけるキツネ眼の男として最有力参考人として
疑われた人物でもある。
以前から様々なところで推薦されているのを耳にして読みたいと思っていたが
この度ようやく文庫化してくれたので購入して読んだ一冊。

1945年まさに新しい時代に京都伏見の土建屋兼ヤクザの組長の息子として
生まれ、そこで幼い時から最底辺の人間たちと接しながら育ち、
戦後混乱期にどのようにヤクザなどの闇勢力が一般の社会に
関わっていたのかということを既述することから始まっている。

大学は早稲田の政経学部に入り、そこで当時の例にもれず
左翼運動関わり日本共産党系実行部隊(民青ゲバルト部隊)の指揮を執る。
早大紛争、東大紛争など当時主要な学生運動に実行部隊として関わり
その運動の経緯や社会的な変動を身を持って体験する。
ここがまた面白い!
当事者があまり口にしたがらない上に今の僕たちからはわかりにくい
当時左翼勢力がいかに行動し、抗争し、内部分裂していったのかを
克明に述べている。
東大安田講堂紛争のことも項を多くさき、抗争の経緯から実際の戦術まで
(どのように校舎占拠部隊と戦ったりデモ隊を潰すのかなど)
きっちり説明してくれている。
例えば左翼勢力の温床として各派の覇権争いがおこなわれていた
大学の寮長大会が乱闘になった時の実行部隊投入について・・・
「人の塊と塊がぶつかり合う場合は二派に分けた側が絶対に勝つ」、
「にらみ合った時は先に突っ込んだほうが勝つ。」
・・・と不良時代からの集団ケンカの理論を証明している。

卒業後週刊現代の記者になり大手新聞社にはできなかった
政治の裏側報道に従事する。
その後資金繰りが悪化する家業に戻り、土建業の社長として再建に奔走する。
ここでは日本経済の根幹部分である建築・土建業に対して
どのように政治家、官僚、ヤクザ、仕事師などの闇勢力が
関わっているのかということを明確にしている。
例えば談合というものが実際どういうもので
どのようなシステムになっているのか
どのようなメリット・デメリットがあるのかということを
当事者経験として語っている。
資金繰りが苦しくなると談合破りや取引踏み倒しペテンなどを通して
手形決算の自転車操業を重ねるが、
この時に資本家打倒を掲げ運動していた学生時代と中小企業の社長として
資金繰りに奔走している時代を比べて・・・
「命懸けの資本家に対して、左翼の方は命など懸けてやしない。
その一点で、端から勝負はついていたのだ。」
・・・と結論づけているのが興味深い。

その間に大手ゼネコン恐喝事件のとばっちりを受けて逮捕されて
拘留中に京都府警と対立した後に結局家業が倒産するが
そこで債権者の激しい追い込みを受け借金返済のためにバッタ屋の用心棒や
新宿愚連隊の伝説的人物を頼ったりして最底辺でうごめく。
その後ヤクザの大抗争(山口組、山一会抗争)の最中
グリコ・森永事件の最重要参考人としてこの事件に関わる。
京都の土地開発に関わった時にヒットマンに銃撃を受けたりする
こともあるなどバブル期に地上げ屋として関わるが、
この項のところでいかに金融がバブル期に闇の部分と関わっていったのか、
どうしてあそこまで不良債権がつもってしまったのかということを
当事者として非常に克明に既述している。
(ここらへんは報道されにくい上にぼやかされる部分なので必読だね)
また、最後の部分で今後の日本の闇勢力の展望をのべているが
これがとても興味深い。
現在おこっている犯罪の傾向が見事に彼の展望通りで説得力があるからだ。

この本は自伝で彼の人生を振り返っているのであって理論書ではないが
その分深く印象に残る箇所もあった。
例えば実家のヤクザ家業について抗争を取り上げた時に・・・
「この社会には必ずグレートマザー的な女性がいる。
その大いなる母が死んでいった男たちの死を癒し、
男たちの勲を語って伝説化・神話化していく。」
・・・としたところには感動的だった。

また、この本の結論だなと思われる箇所・・・
「男というのは土壇場で逃げる男と逃げない男の二種類しかないという
厳たる一面があって、土壇場で試されるのは唯一それなんだということが
よくわかった。これはヤクザも左翼も同じ、
市民だって同じだということを後でたっぷり思い知ることになる。」

この本の決論だと思われる箇所もう一つ・・・
「ヤクザの世界は、三つの言葉を知っていれば渡れる・・・
びびるな。相手の心にとどめを刺せ。自分を捨てろ。
これだけを実行していければ、ヤクザとして生きられる。
いや、これは、およそ自立して生きていこうとする人間に
共通する行動規範ではないのか。」

それとこれはどうでも良いことだが著者が
「社会全体が地表からうごめいた時代」として
1968年の左翼運動の盛り上がりと1988年のバブル絶頂期を
あげているがそれなら2008年は大きな変動期に入るのか?
また、1985年は阪神優勝、山一戦争、グリコ・森永事件と騒然とした年で
1995年は阪神大震災、オウム事件、大阪府・東京都各知事に
タレント当選とずいぶん話題があった年。
じゃあ2005年も騒がしい年になるのかな?(笑)

世の中いろんな視点で見た方が立体的にみえるっていうことを
あらためて実感させてくれる良書。
そして何より読んでいてとても面白い!
さあ、君も今日から突破者だ!(^o^)

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1999 2/3
ドキュメンタリー
まろまろヒット率5

山本七平 『「空気」の研究』 文藝春秋 1983

らぶナベ@「Something ELse」の次と次くらいの曲は
はたして大丈夫なんだろうかと他人事ながら気になっているっす。

さて、『「空気」の研究』山本七平著(文春文庫 1983年初版)
を読んだです。
以下は感想・・・
政策科学部の講義「政治経済システム論」にて日本的な特徴の一つとして
会議や集まりなどでその場の空気(雰囲気やムード)が
意思決定の重要な働きを果たすという話題が出たときに
担当の宮本太郎教授(太郎ちゃん)が
参考文献であげていたので興味を持った本。

確かに僕自身も論理性や合理性よりもその場の空気(雰囲気)を優先させた
議論の方向や決定に追随したりした経験が何度かある。
論理性や合理性を確認したり詰めたりする会議なのに
論理性や合理性などよりもこの空気を優先させることがある。
でもその場の空気っていったい何なんだろう?
と思うと明確な答えがみえてこない。
そんないい加減なものなのに集団的意思決定の場では
やたらと影響力を持ってくる。
そんなよくわからないものに影響される・・・
よく考えたら実はこれってかなり恐いことなのではないだろうか
と感じてしまった。
また、それだけでなくその空気というもののメカニズムを理解し
展開できる能力があれば会議に臨んでも安心して議論に加わることができるな
と思いこの本の存在を知ってすぐに探し歩いて買ったという経緯のある一冊。
(立命の図書館には無かった)

内容の方は「空気の研究」、「水=通常性の研究」、
「日本的根本主義について」の三部構成になっている。
実際に読んでみるとずいぶんとだらだらとした評論という感想を受けた。
具体例を中心に話を展開させていくのは良いのだが、
その具体例を理論化するという読者が最も欲してる点に関しては
少し消化不良の感がある。
例示と抽象論の間もかなり強引であるような感じを受けるものも多いので、
あまりうまい展開では無いと思った。

しかしやはり第一部の「空気の研究」を中心にペンが冴えているなと
思わしてくれるような展開が読んでいて心地よかった。
著者はこのような空気の具体例として太平洋戦争中の戦艦大和特攻の採否に
関する意思決定の場を選んでいる。
その会議に出席し採決した人々に戦後インタビューをすると
必ずと言っていいほど「あの時の空気ではああせざるを得なかった」
ということを異口同音に発するそうだ。
あげくのはては「当時の空気も知らなかった人間に何がわかるんだ!」
と逆ギレまでする人もいるらしい。
このことについて・・・
「彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてでなく、
『空気』に適合しているからである。採否は『空気』がきめる。
従って『空気だ』と言われて拒否された場合、
こちらにはもう反論の方法はない。」
として、また・・・
「『せざるを得なかった』とは、『強制された』であって
自らの意志ではない。
そして彼を強制したものが真実に『空気』であるなら、
空気の責任はだれも追求できないし、空気がどのような論理的過程をへて
その結論に達したかは、探求の方法がない。」としている。
このような空気の影響について結論的に・・・
「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である、
一種の『超能力』かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、
『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、
後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も
説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、
スプーンが曲がるの比ではない。」
と表現している箇所には思わず「うまいこと言うな」と笑ってしまった。

さて、その空気がどうして重視されるのかということに関して
ここからが本番なのにいまいち展開が説得力のあるものではなかった。
僕なりに要約すれば著者は日本的文化には多神教的な臨在感的把握(
「イワシの頭も信心」ってやつね)があり、
対象に感情移入しやすい傾向にあるとしている。
一神教との対比として・・・
「『絶対』といえる対象は一神だけだから、
他のすべては徹底的に相対化され、
すべては、対立概念で把握しなければ罪なのである。(中略)
一方われわれの世界は、一言でいえばアニミズムの世界である。(中略)
この世界には原則的にいえば相対比はない。ただ絶対の対象が無数にあり、
従って、ある対象を臨在感に把握しても、
その対象が次から次へと変わりうるから、
絶対的対象が時間的経過によって相対化できる」としている。

「対象の相対性を排してこれを絶対化すると、
人間は逆にその対象に支配されてしまうので、
その対象を解決する自由を失ってしまう(中略)ものごとの解決は、
対象の相対化によって、対象から自己を自由にすることだ」としている。
そうは言うものの戦時中の戦艦大和特攻のような
今では完全にその正否がわかる例などではわかりやすいが、
いまだに対象の絶対化は根強く残っていてそれを知らず知らずのうちに
我々はやってしまっているという例として・・・
「正直者がバカを見ない世界であってほしい」
→「とんでもない、そんな世界が来たら、その世界ではバカを見た人間は
全部不正直だということになってしまう」
「社会主義社会とは、能力に応じて働き、
働きに応じて報酬が支払われる立派な社会で・・・」
→「とんでもない、もし本当にそんな社会があれば、
その社会で賃金の低い報酬の少ない者は、報酬が少ないという苦痛のほかに、
無能という烙印を押されることになる」という風に例示をしている。
少しひねくれが過ぎるなとは思うがけっきょく綺麗な言葉、
誰も思わずうなずいてしまう大儀名文への服従は
今でも僕らが気をつけていないと思わずしてしまっていることなんだろう。
また第一部の最後の方で補足的に多数決会議について
「正否の明言できること、たとえば論証とか証明とかは、
元来、多数決原理の対象ではなく、
多数決は相対化された命題の決定だけにつかえる方法」
としているのは興味深い。

第二部以降で著者は「水を差す」という時に使う「水」というものは
現実であるとしている。ここらへんからだらだらしてくるのだが、
それでも面白いなと思った箇所は・・・
「『当時の情況』という言葉は、現代を基準にして構成した一種の虚構の
情況であって、当時の情況とその情況下の意識を再現させて
それを把握できるわけではない。
(略)時間を超えて過去を計ろうとするなら、過去から現在まで共通する、
情況の変化に無関係な永遠的尺度で一つの基準をつくり、
その計量の差に、過去と現在との違いを求める以外にない。」
「日本は元来、メートル法的規制、人間への規制は非人間的基礎に
立脚せねば公平ではありえないという発想がなく、
まったく別の規範のもとに生きている。」
その場の空気を一瞬にして消し去る水(現実)について戦時中などでは
その水を差す人が弾圧を受けた理由について・・
「舞台の女形を指さして『男だ、男だ』と言うようなものだから、
劇場の外へ退席せざるを得ない。」

また著者の第三部の後ろのほうでこの本のまとめ的な箇所として・・・
「日本人は臨在感的に把握し、それによってその状況に
逆に支配されることによって動き、これが起こる以前にその情況の到来を
論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、
瞬間的に情況に対応できる点では天才的」という意見を別の論者の
表現(中根千枝)として紹介している。それは・・・
「熱いものにさわって、ジュッといって反射的にとびのくまでは、
それが熱いといくら説明しても受けつけない。
しかし、ジュッといったときの対応は実に巧みで、大けがはしない。」

psよく考えたらこういう文化的なことは中大の総合政策学部とかで
やってることなのかな?
こういうのに関連した授業とかがあったら教えて下さいです→けにー

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1999 1/28
文化論
まろまろヒット率5

司馬遼太郎 『モンゴル紀行―街道をゆく5』 朝日新聞出版 1978

さてさて、『モンゴル紀行~街道をゆく5~』司馬遼太郎著、
朝日文芸文庫(1978年初版)を読み終えたです、はい。
卒論とテスト勉強の合間に書店で見つけて思わず衝動買いしてしまった
旅行記『街道をゆく』シリーズのモンゴル紀行編。
元々このシリーズにはあまり興味がなかったのだが、
旅路がモンゴルだということで気晴らしにでも一度読んでみようと思った本。
来年度から立命の政策科学部でモンゴルに行って羊飼いをするという
インターンシッププロジェクトが始まるということも読む動機付けになった。

内容の方は、著者自身が学生時代に大阪外国語大学モンゴル語学科に
在籍していたこともあって単なる旅行記と言っても
モンゴルの風土、歴史、気風についてかなり突っ込んだことを
現地の人と対話しているのが特徴的だ。

興味深く感じたのはモンゴルに入る経由地であるハバロフスクや
イルクーツクなどのソ連領(当時)での旅がいかに重苦しく
ストレスが溜まるものかということをつらつらと述べた後に
モンゴルのウランバートルに入るや否や自由で躍動感溢れる人々と
街の雰囲気を感じたということを強調しているところだ。
同じ社会主義国家で、かつ世界史では二番目に社会主義化した
モンゴルは(著者の表現を借りると「社会主義の老舗」)
ソ連と別の国家体系かと思うほどの違いがあったという感想を述べている。
その原因として考えられるモンゴル人特有の大らかさ、豪快さや
遠くから来た客を珍しがり自分の家に招きたがる気風があり、
これらのことはモンゴルの長らく続いた騎馬民族としての生活、風土、
それから発生する文化にすべてに共通することであると
この旅行記を通して語っているように感じられる。

また、モンゴル人の日本人への親近感というものもあげられていたが
意外であったのは同時に近代国家としては若いこのモンゴルで
国家的危機を生んだ原因が日本人であったという事実だ。
1939年のノモンハン事件(モンゴル側:ハルハ・ゴル戦争)が
如何にその後のモンゴルを疲弊させたかという歴史が
いまも初等教育で強く強調されているらしい。
(日本ではあまり知られていない歴史的事実)

しかしこれもまた意外であったのはモンゴルでは中国よりもはるかに
日本に対する親近感を持っていることもまた既述されている。
元々東アジアの歴史は騎馬民族(トルコ系、モンゴル系など)と
農耕民族(漢民族)とのシーソーゲームという側面もあり
長らく抗争し続けていたということもあるが、
近現代史でも清朝や中華民国時代の軍閥がモンゴルに対しておこなった抑圧の
反動がモンゴルをソ連に近づけ社会主義化したきっかけでもあるためだ。
それ故モンゴル人は中国人と同一視されることを非常に嫌う。
現にシナ・チベット語族である漢民族やツングース系民族である朝鮮人よりも
人類学的にはモンゴロイド・アルタイ語族として
モンゴル人と日本人は近い民族として知られているからだ。

また、日本人からすれば考えられないほど自分たちの故郷であるの
思いが強く、今も昔も盛んである詩や唄のほとんどがモンゴル高原や
ゴビ砂漠の自然のすばらしさを唱ったものが多いらしい。
このことは日本の詩歌が昔からそのほとんどが恋愛歌だったことを
対比させて、非常に興味深い点であると著者も述べている。
さらに「お前さんたち日本人は俺たちのご先祖さんから分かれたもんだろ?」
とモンゴル人に戯れに言われたことをきっかけに著者が
「その考えに則れば、なるほどモンゴルに住む人々は我々の先祖の中で
もっとも頑固に故郷を捨てなかった人々の末裔になる・・・故郷に対する
愛が強いのもまた遺伝学的にみて当然か。」と
彼らしい冗談で書いているのが印象深かった。

この本の最後近くである詩が紹介されていたが
それは現代詩人であるチミド作の「我はモンゴルの子」という作品だ・・・
アルガルの煙のたちのぼる
牧人の家に生まれし我
人の知らぬこの広野を
これぞ我が揺りかごと思う
・・・これこそがモンゴル人の心意気だなと感じられた。

しかしこの旅行記が書かれたのは今から二十年以上も前の話で
今では当時と比べてソ連の崩壊、改革開放と状況が大きく変わっている。
その中でモンゴル人がいまではどのような気風を持っているのか
一度実際に行って見てみたいと感じてしまった。

・・・やっぱり大学院行ってモンゴルインターンシップに参加して
「政策騎馬隊」とか創ってやろうかな?(^_^)

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1999 1/16
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

有明にてコミケ初体験

南さん、けにーらの交流会組と共に新宿まで出てそこで丸山、
八重畑のエニックス組と合流して浜松町から水上バスで有明に向かう。
途中の道があまりにもすいていたので想像していたものとは
違うのかと思ったが中に入ってみると想像以上のはげしさだった。
途中自由行動ということでエニックス志望者のなるちゃんと会って
写真を撮る、コスプレしていてかわいかったがちょっとキレぎみだった。
それから遅れてきた石原、はせのエニックス志望者組と
コスプレ広場に行きエニックス組だけで帰りのとにつく。
いままでまったく参加経験が無く、いつかは行きたいと思っていたがそれが
大学生活最後になるであろうこの時期に参加できたことは何か思い深い。

1998 12/30
出来事メモ

『明け方のカラス』

カラスがコンビニ袋をあさってた


横を通り過ぎても飛び立つそぶりもしやしない


俺もやつをからかう気もしない


俺もやつをからかう気もしない


明け方の新宿、バカ騒ぎの後


気がつけば寒い朝だった


< 内定先企業忘年会後の笹塚にて>

1998/12/29

M・V・クレヴェルト、佐藤佐三郎訳 『補給戦―ナポレオンからパットン将軍まで』 原書房 1980

らぶナベ@98年ももうすぐ終わりっすね、
たぶんこの本が今年の読み納めの本になるんでしょう。

今年の僕は吉本プロジェクトの運営と自身の就職活動と大学院入試準備など、
間違いなく今までの人生の中で一番忙しい年だったので
(こんなに新幹線、飛行機使ったのも始めて)
なかなか一冊の本をちゃんと読むことができなかったんだけど
この本を読み終えて一年に読んだ本を数えてみると、
1998年は35冊の本を読み終えたことになるっす。
95年(1回生時)に読んだ総数17冊は問題外として
(遊びまくっていたから)
何とか96年(2回生時)の総数31冊を辛うじて越えている程度。
97年(3回生時)の総数68冊には遠く及ばない。
・・・まだ低回生のみんな、いまのうちに少々無理してでも
読めるだけ本は読んでおきなさい。
じゃないと責任を担うポジションについてホントに時間が取れなくなった時に
はまったく本が読めなくなってダメダメ人間になっちゃうよ(;_;)

さて、『補給戦―ナポレオンからパットン将軍まで』マーチン・ヴァン・クレヴェルト(クレフェルト)著、佐藤佐三郎訳(原書房)をば。
戦史において戦略、戦術などの目立つ面ではなく補給という
地味だが結果に対して決定的要因を与えるものに注目した本。
将軍や司令官やひとたび命令を下せば思い通りその軍団が動き、
トップの戦略や決断だけが勝敗を分かつ要因だと思いがちになる
この分野に一石を投じている非常に興味深い一冊。

リデル・ハートによるシュリーフェン計画の考察はドイツ軍の旋回運動にしか
注目せずその補給システムを無視しているという批判に始まり
「ナポレオンを『戦争の神様』と呼び、ナポレオンの制度の本質と
見なしていたものを表現するために、『絶対的戦争』という言葉を
発明したのは、クラウゼヴィッツであった。」と、
クラウゼヴィッツがナポレオンを讃えるあまり
その活動に決定的な影響を与えた補給体制を無視したと論述を展開している。
特にこの本の後半部分、第6章「ロンメルは名将だったか」、
第7章「主計兵による戦争」(第二次大戦中の連合国の補給に注目した章)は
普通、物量と一言で単に言い切ってしまう補給というものが
いかに多様な要素をはらむかということを述べている。
この本の結論的部分と言うべき最終章のタイトルが
「知性だけがすべてではない」という名前なのが
この本を一番言い表しているように思える。

以下はこの本のテーマである「補給」についての著者の結論的見解として
考えられるウエーベルの言葉の抜粋・・・
「諸君が軍隊をどこへ、いつ移動させたいと思っているかを知るには、
熱錬も想像力もほとんど必要としない。
だが、諸君がどこに軍隊を位置させることができるか、
また諸君がそこに軍隊を維持させることができるかどうかを知るには、
たくさんの知識と刻苦勉励がとが必要である。
補給と移動の要素について本当に知ることが、
統率者のすべての計画の根底とならなければならない。
そうなって始めて統率者は、これらの要素について危険を冒す方法と時期とを
知ることができるし、戦闘は危険を冒すことによって
始めて勝利が得られる。」

また、以下の箇所は著者の意見が結論的に述べられていると
思われるところの抜粋・・・・
「歴史上の偉大な軍人は、計画立案の時間的長さには限界があることを
悟っていた。これを悟らなかった軍人は、必ずしも成功を収めなかった。
過去に存在したおびただしい数の司令官たちは、
政治的運命の変遷や戦術的条件の変化によって、
理想的だと考えていた数量と種類に近い資源を使って、
戦争をすることができなかったであろう。
このことは、司令官にはある種の個人的資質が必要だということを意味した。
例えば適応性、機略縦横、即製能力、そしてなかんずく決断力である。
これらの資質を欠いていたら、
いかに分析的頭脳を持ち洞察力に富んだ司令官でも、機械より劣るであろう。
だが司令官がそうした資質を発揮するためには、柔軟性のある幕僚と、
過度の組織化によってこちこちになっていない指揮機構が必要だ。」

以下はそれ以外の興味深かった箇所・・・

「一般的に兵站の歴史とは、軍隊が現地挑発への依存から
しだいに脱却することである。」

「オーバーロード作戦の立案者たちは、ヒンデンブルクの金言、
すなわち戦争で単純さのみが勝つということわざに、
明らかに違反していたのである。」
ナポレオンの言葉として「戦争とは残酷なものだ、
そこでは決定的な場所に最大の兵力を集中することを知っている者がかつ。」

・・・この本は抜群に面白い本だが読んでいて改めて思うのは、
補給というのは難しいなということだ。
それはいわば勝敗を決する必要条件ではあるが絶対条件ではないからだ。
歴史上十分な補給システムを維持していた軍隊が
補給がまったく崩壊していた軍隊に負けてしまった例も多い。
(どちらかというと戦史ではこちらの方が注目される)
決戦兵力よりも補給ばかりに力を入れて負けた国もある。
まさにディレンマの連続、やっぱり戦争なんてするもんじゃないな。

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1998 12/23
戦略論、マネイジメント、歴史
まろまろヒット率4

甲子園ボウルで立命館大学パンサーズ優勝

最終QUATERで逆転勝ちでうち破り優勝、西宮での関西リーグ最終戦(対関学戦)と二回目の観戦だったが今回も逆転で勝ってくれた。
僕が大学に入る前に優勝して以来ずっと遠ざかっていたので卒業前には
結果を残して欲しいと思っていたがホントにやってくれたのでうれしい。
卒業を前にして良いものを見せてくれた(^^)

1998 12/20
出来事メモ

エニックス忘年会参加

エニックス忘年会に参加。
その後の帰り丸山邸への帰り道にて(笹塚)感じたことを詩にしたためる。

「夜明けのカラス」

カラスがコンビニ袋をあさってた

横を通り過ぎても飛び立つそぶりもしやしない

俺もやつをからかう気もしない

明け方、新宿、バカ騒ぎの後

気がつけば寒い朝だった

1998 12/29
出来事メモ、進路関係

内田義彦 『読書と社会科学』 岩波書店 1985

らぶナベ@「そこそこ」の本だけどこの時期に読むにはとても良い本をば(^^)

『読書と社会科学』内田義彦著(岩波新書)を読み終えました。
立命の古本市でタイトルがなかなか興味深かったのでシャレ半分で購入した本。
社会科学というテーマの元での読書や読書会というものへの
著者自身の考えを公演風に述べられている。
話し言葉で書かれているので読みやすいが、
逆にちょっとしたことを述べるのにも長々しい言い回しをしていたり、
くどかったりする感じを受けることもけっこう多かったように思える本。
しかしフォーラム論、ゼミ論、卒論など論文を書かなくてはいけない
この時期にはどう読書を社会科学の研究につなげていくのかという
テーマを持ったこの本の読書はとても知的好奇心を刺激されるものだった。
(チェックしまくりぃ)

この本で彼がもっとも言いたかったことは・・・
・「本をではなくて、本で『モノ』を読む」と、
・「本を読むことは大事ですが、自分を捨ててよりかかるべき
結論を求めて本を読んじゃいけない。
本を読むことで、認識の手段としての概念装置を獲得する。」
・・・と著者自身が述べているところに凝縮されているんだろう。
また、本流とはあんまり関係ないことだけど意外だったのは
経済学者のケネーはもともと外科医だったということ。
彼は60歳を過ぎてから経済研究をおこなったが
それまでの外科医としての概念装置が経済研究に活かされていたというのが
興味深い。明治維新の倒幕軍総司令官であり日本陸軍の基礎を造った
大村益次郎も内科医であるということを思い出した。
(ここらへんは司馬遼太郎著『花神』新潮文庫に詳しい)

以下、興味をおぼえた箇所の摘出・・・
・「本は読むべし読まれるべからず」

・「(読書)会運営の要は、他人の言をいかに聴くかにあり、
そして、その聴き上手には、本を大事に読むという仕事ー大事に取り扱って
『聴き取る』風習と技術ですねーを深めてゆくことにとってなれる、
もともと本とはほんらいそう読むべきもの」

・「5より4は小さいみたいな、誰が見ても同じ判断をひき出せる
ー判断力を要しないで判断できるーものだけが、
学問的に正確で頼りになるという考え方自体、
理性のあり方として問題とすべき」

・「正確な理解というと個性的な理解を排除し、何か根拠をもって
判断しなきゃならないというと、『主観性』をさけて、
4よりも5が大きいというような、誰がみても同じ判断が可能というか、
そもそも判断力の行使の必要のないところへもっていって
『判定』する風習がある」

・「概念装置という、ものを見るための装置を脳髄のなかに組み立てるために
読む仕事が含まれており、とくに社会科学の場合には、
これ(概念装置)を獲得するための読書が特徴的に大きくなっていて、
問題を複雑にしています。」

・「私は、少なくとも社会科学の領域では、
化学と思想は切り離せないと考えておりますので、文学上の古典にも通じ、
そこで特徴的に現れるような問題を含めての『古典として』の読みの習熟を、
概念装置の獲得のためにも不可欠と考えております。」

・「信じて疑え」

・「まともにぶつかってゆくことに危惧を感じる。
曖昧模糊としたままに置くことによって保たれねばならないような
『信頼』関係。それは信頼関係とはいえますまい。」

・「理路整然と他人に理解可能なかたちでの感想文を、みだりに、
早急に書くことは特別に要注意です。早急な理路整然化の危険と、
他人の同意を安直に求める危険の二つを含んでいますから。」

・「書け、而して書くな」

・「本当の批判力とは、俗眼には見えない宝をー未だ宝と見られていない
宝を、宝としてー発見する能力です。ポジティブにものを見る眼ですね。」

・「経験は最良の学校である。しかしその授業料はきわめて高い。」

・「要するに学問の研究(勉強)とは、何かでき上がった学問を
研究するのではなくて、学問によってこの眼の働きー一般に五感の
ー不十分さ、至らなさのほどを自覚し反省して、
その(この眼の)機能を高めながら、対象であるもの、
あるいは事象を研究する。それが学問のあり方、方法でもあり、
効用でもあります。」

・「社会科学の勉強では、そういうものとしての概念装置を脳中に
組み立てることがかなめになります。歴史的にみても、
人文学の流れのなかから経験科学としての社会諸科学が生まれ
さまざまに発展してきたのも、先学が、
ものを有効にみとどけるために苦労して概念装置をつくり上げる
努力をかさねたその営為の結果です。」

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1998 12/15
エッセイ、読書法、学問一般
まろまろヒット率4