中間を考えた再開と出会い

三年以上音信不通だった知り合いがたまたまmaromaro.comで使っている
サーヴァ会社に勤務していたことが判明して会うことになった。
彼が顔を出しているヴェンチャーな人々の集まりに誘われて行ったが、
どうもこういう場は好きではなくちょっと気乗りしなかった。
(三年ぶりに会うというのでななければ行かなかった)

しかし、その場で老舗の酒卸業の若い三代目と話ができたのはよかった。
いま転換を迫られている業種であることもあって、問題意識が非常に強く共鳴する面も多かった。
卸など中間業の役割は代替可能で誰がやっても同じという話もあったが
歴史マニアの僕からすればかつての卸は個人の個性や独自のネットワークを基に
常に提案をしていたプロデューサー業だったと感じていた。
クリエイター(生産者)と消費者(ファン)を結ぶ単純な機能としてだけでなく
主体的提案能力があったのにそれがなくなってしまって単なる機能だけになったから
卸を飛ばしたり巨大卸業以外の必要性がなくなったのでは・・・
と、前から思っていることを話すとおじいさんの代の話と今の代との違いの話などが
聞けてこちらも勉強になることがとても多かった。

単なる機能だけならば中間は代替可能で「その人」がする必要性がなくなるときもくる。
しかし提案能力があればそれは「その人」でしかできないものになるだろう。
サッカーでもゲームメイカーといわれるMFが一番代替不可能性が高い。
いまは僕が業務で関わっている事もクリエイター自身が直接情報発信できる環境が整いつつある。
いまは花形のプロデューサー業も転換を迫られる時期はそう遠くないのではないだろうか。
こういう集まりのよさは思うことを気兼ねなく話しあえることだろうか、
いままで嫌煙していたがちょっと考えを改めた。

2002 7/12
出来事メモ、はしり書き

河合隼雄 『こころの処方箋』 新潮社 1998

らぶナベ@『姑獲鳥の夏』に続き今年二冊目のお勧め度サイコー本っす(^_-)

さて、その『こころの処方箋』河合隼雄著(新潮文庫)1998年初版。
いま日本でもっとも有名な心理学者・河合隼雄(現職は文化庁長官)の代表的著作。
臨床心理の現場にカウンセラーとして長年たずさわって来た経験をもとに、
人生の場面場面にふと出てくる気持ちに対して言葉の光を当てている。
心理学のバックボーンがある名言集といったところだろうか。

中でも面白いなぁっと思ったのは著者は初対面の人と接するときには、
「人の気持ちなんてわかるはずがない」と思って接するという点だ。
一見、当たり前のことのように思えるけど今まで自分は安易に
「この人は機嫌悪いな」とか「自分に良い感情を持っていないな」とか、
いろいろな判断(実は単なる先入観)を持って人と接したこともあったなと反省。

また、「己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、
人の役に立とうとするのは虫がよすぎる」という言葉にはとても共感した。
近頃、何人かそういう人と接したことがあったので
自分は恥をかきたがらずだからといって努力も少ないのに
イイ気になりたがる人間への痛烈な批判はある意味で爽快でもあった。
(さすがNo.1カウンセラー(^_-))。

こうしたことだけでなく親と子、教師と生徒、上司と部下など
導く人と導かれる人との関係についての事例も多かった。
(こういう人間関係が一番トラブルが多いからかな?)
たとえば「自分の権力や権威を否定する人ほど自分を安定させるために
気づかないところで権威を振りかざしたり権力にしがみつくこともある。
・・・自分がどれほどの権力と権威を持っているかしっかり自覚し、
自身を高めることによって内的権威(これは誰にも奪われない)を高めるべき」
などというのは様々な人を見て漠然と感じていたことに形を与えてくれた気がする。
この本はいろんな意味で教育や助言の仕事にたずさわる人間は必読書じゃないだろうか?

・・・こう書くと何か教条主義的な感じがするけど、
終始やわらかい言葉で語られている上に関西のおっちゃんらしい
「まぁええがな」的な視点には思わず笑ってしまうところもある。
本来はこういう話は宗教が担うべきものなんだろうけど、
日常と宗教が遠い存在になりがちな今の日本では必要な本なんだろう。
末尾で谷川俊太郎が「河合さんは海千山千」と愛を込めて表現していたのは
実はそういう意味もあったのかなと感じた。

ちなみにこの本は“西行法師プレイ~出会い系サイトを歩く編~”で知り合った
高校生から薦められたのが実際に読むきっかけになった。
奇しくも七夕に読み終える自分の痛さに笑ってしまった。
(痛いものコレクター)

以下は、チェックした箇所(あえて順不同、☆は特に共鳴したもの)・・・

☆「うそ」はあんがい「まこと」を引き出してくれる力をもっている(略)
その「うそ」のなかに、何らかの”真実味”がこもっていることが必要で、
それをどうやって見つけ出してゆくかがポイント
17「うそからまことが出てくる」

☆権力を行使してその場をごまかしてしまうよりは、
後で自分なりに調べたりする方が労力が必要である。
このような労力を惜しまないことによって得た権威は、
自分の”身についた”ものとして、他人に奪われることがない(略)
自分は権力などに関心がないとか、大嫌いという人があんがい多い(しかし)
不安を解消するために、急に妙なところで権威者ぶろうとしたり、
権力にひそかにしがみついたりしている人は実は多いのである。
そんな面倒くさいことはやめにして、人間は自分の存在を支えるもののひとつとして、
内的権威が必要であることを認め、それをいかにして磨いてゆくかを考えた方が、
効果的であるし、近所迷惑も少ない
45「権力を棄てることによって内的権威が磨かれる」

☆(生徒や部下と同等だと言いたがる教師や上司が多いことについて)
権力を否定することよりも、まず自分がどれだけの権力を持っているかをはっきりと意識し、
それに見合うだけの孤独に耐える強さを持っているかを考えてみる方が意味が深い
46「権力の座は孤独を必要とする」

☆簡単に判断を下さず人の心というものはどんな動きをするのかわかるなずない
という態度で他人に接する(略)それまで見えなかったものが見えてくるし
一般の人々が思いもよらなかったことが生じてくる
1「人の心などわかるはずがない」

☆「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、
なるほどうまく出来ている、と微笑することまでゆかなくとも、
苦笑くらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い
2「ふたつよいことさてないものよ」

☆己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、
人の役に立とうとするのは虫がよすぎる
3「100%正しい忠告はまず役に立たない」

☆自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって
自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。
自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくる(略)
自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、
自分がどれほど依存しているのかを自覚し、感謝していることではないだろうか
22「自立は依存によって裏づけられている」

☆人に遅れをとることの悔しさや、誰もができることをできない辛さを味わったことによって、
弱い人の気持ちがよくわかるし死について生についていろいろ考え悩んだことが意味をもってくる
40「道草によってこそ”道”の味がわかる」

☆早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまう(略)
ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、
それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い
53「”知る”ことによって二次災害を避ける」

☆私が大切にしているのは(略)「”私が”生きた」と言えるような人生をつくり出すこと
55「すべての人が創造性を持っている」

☆実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのなど、甘すぎる
20「人間理解は命がけの仕事である」

☆(会社でトラブルがあって疲れ切って帰って来ると息子が万引きで捕まったことが発覚)
いい加減に説教しても、少しぐらい怒ってみても、80点では駄目、98点でも駄目
12「100点以外はダメなときがある」

☆どちらにしろ、ひとつの考え方を維持するために支払わねばならぬ
努力の質と量についての自覚がないかぎり、うまくはいかない
6「言いはじめたのなら話合いを続けよう」

☆理想は人生の航路を照らす灯台ではあるが、それに至るべき到達点ではない
9「灯台に近づきすぎると難破する」

☆何か仕事をしながら、やっぱりあの好きなことをしておけばよかったとか、
いやだなとか思っているときは、心のなかに生じる摩擦のためにエネルギーを消耗するもの
14「やりたいことは、まずやってみる」

☆(更生と悪化が極端に変化し続けてゆくことについてその人は)
われわれが依然と変わらぬ態度で接していることに助けられ、
もう一度、自分の生き方にういての検討をはじめられることになる
15「一番生じやすいのは180度の変化である」

☆その人が適切な感謝をする力があるかどうかは、相当に信頼できる尺度
35「強い者だけが感謝することができる」

☆われわれの人生は(略)「楽譜」を与えられているにしろ、
“演奏”の自由は各人にまかされており、演奏次第でその価値はまったく違ったものになる
30「同じ”運命”でも演奏次第で値段が違う」

三年も彼女にだまされていたなどと考えるのではなく、自分の心の中で活動し続けた
「優しく賢い女性」という絵姿は、自分にとって何を意味するのだろうと考えてみる
4「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」

理解ある親が悪いのではなく理解あるふりをしている親が子供にとってはたまらない存在となる
5「”理解ある親”をもつ子はたまらない」

子どものためと思ってやっている”開発事業”が、自然破壊につながってゆく(略)
それをキャッチすることが、大人にとって非常に大切
8「心のなかの自然破壊を防ごう」

イライラは自分の何かー多くの場合、何かの欠点にかかわることーを見出すのを防ぐために、
相手に対する攻撃として出てくることが多い
10「イライラは見とおしのなさを示す」

「己を殺す」と言っても(略)自分を殺しきることなど出来たものではない(略)
半殺しの存在やらが、本人の気づかぬところで、急に動き出すこともある
11「己を殺して他人を殺す」

マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、
相手の世界まで心を開いて対話してゆく余裕がない(略)
マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じる(略)
笑いと言うものは、常に「開く」ことに通じるもの
13「マジメも休み休み言え」

ともかく、勝負を焦ることはない
16「心のなかの勝負は51対49のことが多い」

(説教はする方の欲求不満の形を変えた表出であることが多いことについて受ける側は)
説教している人の精神衛生のために御協力しているのだと思ってもう少し暖かい気持ちできける(略)
説教をしたくなった場合、その背後にどのような欲求不満がそんざいしているかを考えてみる
18「説教の効果はその長さと反比例する」

今まで仲良くやっていた夫婦が中年になって(略)離婚などというとこまで出て来そうになるのは、
多くの場合、協力から理解へと至る谷間にさしかかっているとき
19「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」

心のエネルギーの出し惜しみは、結果的に損につながることが多い
23「心の新鉱脈を掘り当てよう」

ノイローゼさえなかったら、あれもするこれもすると言っている人は、
本当はそれを避けるためにノイローゼになって、
それを嘆くことによって安定を保っている(という説もある)
28「文句を言っているうちが華である」

「ここは逃げる」と決めたとき、うろうろしないことが肝心
33「逃げるときはもの惜しみしない」

「どっぷり」体験をしようとする人は、恐怖を乗り越える体験をする点でも意味がある
34「どっぷりつかったものがほんとうに離れられる」

「昔はよかった」という論議は、それでは今何をすべきか、今何ができるか、
という点で極めて無力なことが多い
39「”昔はよかった”とは進歩についてゆけぬ人の言葉である」

いざというときは、思わずその(生地)傾向がでてくるにしろ、
やはり鍛えられているものの方が役に立つ
41「危機の際には生地が出てくる」

親の個性にふさわしい心のエネルギーの消費によって、子どもは親の愛を感じる
44「物が豊かになると子育てが難しくなる」

「羨ましい」という感情は、どの「方向」に自分にとっての可能性が向かっているかという
一種の方向指示盤としての役割をもって出現してきている
48「羨ましかったら何かやってみる」

沢山ある心配のなかで、特にその心配が自分に与えられることになった。
それも大きく考えてみると、人生の楽しみのうち
49「心配も苦しみも楽しみのうち」

何か精神的なことを言いたくなったり、言ったりしたときは、
自分が「精神」ということからズレていたり、逃げようとしたり、
それについてはっきりとわからなかったりしているときだということ
52「精神的なものが精神を覆い隠す」

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2002 7/7
心理学、名言集、エッセイ、教育学
まろまろヒット率5

とってもe本プロジェクト 『万有縁力―ネットの向こうに人が見える』 プレジデント社 2001

ブラジル代表のロナウドの新しい髪型はさすがに違うだろうと思った、らぶナベっす。

さて、『万有縁力~ネットの向こうに人が見える~』とってもe本プロジェクト編
(プレジデント社)2001年初版。
前に読んだ『個人ホームページのカリスマ』がけっこう面白かったので買った本。
物質が引き合う「引力」と同じように人が引き合う「縁力」があるという視点で、
企業運営や文化活動など様々な分野で情報発信する人々へインタビューしている。
タイトルフェチなのでこういうタイトルにはすごくひかれてしまう(^^;
自分もまろまろHPを運営しているので情報発信に取り組む人たちの姿や考えを知るのは
すごく刺激になるし見つめなおす機会にもなる。

特にほぼ日刊イトイ新聞(http://www.1101.com/index0.html)を運営する、
糸井重里さんへのインタビューで出た話・・・
「お金にはお金そのもののハードマネーと、信用や魅力などのソフトマネーがある」
・・・は言葉としてはありがちだけど、
彼のネット活動を見てみると本当に実践しているんだなぁっと関心した。
大阪人がいうところの「人の金持ちになれ」のネット版だろうか(^^)
紹介されているのは総じて興味深い人物、事例ばかりだったけど惜しむらくは
「万有縁力」というからにはそれぞれの「縁」についてもっと光を当ててほしかった。
(特に後半は単なるビジネスモデル話が多くて縁力じゃないじゃんと思ってしまった)

以下、チェックした箇所・・・
☆情報というのは、発信した人のところに集まってくるものなんです
池内ひろ美
http://www.ikeuchi.com/rikon/

☆表現ってのは、自分のDNAをばらまきたいわけですよね。
 そして、「あ、同じ」と言い合いたいわけです
糸井重里
http://www.1101.com/index0.html

☆インターネットは(中略)きれいなものを見て感動するというよりも、
 生きている間に溜まってしまった汚物を一緒に見て「私も同じだよ」と言い合える場です。
 (中略)肥やしになる汚物を書きたい
村山らむね
http://www.lamune.com/
(この人の「自分自身に情報発信」というのも納得してしまった)

○欠点を詳しく説明して理解して商品を買われたお客さんは、納得ずくで購入してくれる。
 逆に、悪い部分を書かないと評価がおちることにもつながる
佐野吾郎
http://jizake.com/

○リアルな世界よりネットのお客様のほうが偉いじゃないですか。
 情報受信の選択や権限がお客様側にあります。
宮井芳行
http://www.japannetbank.co.jp/

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2002 6/24
情報関連、メディア論
まろまろヒット率3

MSNメッセンジャーアドレス公開開始

まろまろメルマガでMSNメッセンジャー用のアドレスを公開。
気に入った人はlovenabe@hotmail.comをお仲間登録してもらうように求める。
『個人ホームページのカリスマ』(情報関連・メディア論)を読んで、
「ネットの価値は玉石混合を恐れない公開にある」のだと改めて感じたので公開する。
どういうことになるのか心配もあるがこういうどきどき感があるってやっぱり楽しい(^^)

2002 6/16
出来事メモ、サイト運営

金田善裕 『個人ホームページのカリスマ』 講談社 2002

ブランド戦略論とネット社会論をお勉強しようかとも思っている、、
らぶナベ@お勧めの本知っている人は教えてください(^^)

さて、『個人ホームページのカリスマ』金田善裕著(講談社)2002年初版。
個人でありながらテレビや新聞、雑誌などの巨大メディアに匹敵するHPを作った
14人のHP作成者へのインタビューを通してその方針や人となりを紹介している。
最近、路上ライヴでもミニ演劇でも研究論文の発表でも「発信」行為なら何であっても
全て「ブランドの形成→確立」という視点が重要ではないかと思い始めてきた。
そういう視点でみるとHP作成はブランド戦略そのもののように感じたので購入した一冊。
まだ発展途上のメディアで今後どうなるかはわからないとはいえ、
ここに紹介されている人々は現時点で自らのブランド戦略に成功した人々だ。
そういう視点で読むととても面白かった。
ただ、惜しむらくは「カリスマ」として紹介するからには、
カリスマに必要とされる拭い去れないトラウマを紹介したり(笑)
なぜこの14人を選んだかその選考基準を明確にしてほしかった。

個々のHP作成者へのインタビューはそれぞれ興味深かったが
特に興味を感じたのは普段から普通に見ている「2ちゃんねる」(http://www.2ch.net/)の
玉石混合を恐れずに認容する姿勢(これがおそらくネットで一番必要な姿勢)と、
高校生が作成する「いるこみゅ」(http://www.iruka.ne.jp/commu/)の若々しさだ。
一説には10代のネット利用率は8割を超えているらしい。
当たり前だけどに彼ら自身が作成したり積極的に参加するHPが急速に増えてきている。
10代の頃にネットのような発信可能性の高いメディアがあったらどうなるか・・・
これからの情報化社会を想像してワクワクしたと同時に、
自分が10代だった頃を思い出して今の10代をちょっとうらやましくなった(^^;

以下、チェックしたポイントを興味深かった順で記載・・・
☆(玉石混合について)玉の部分をつかまえる能力さえあれば、石は増えてもいいんです
 2ちゃんねる(http://www.2ch.net/)

☆目指していたのは2ちゃんねるを嫌いな人にも2ちゃんねるを使ってもらおうということ。
 2ちゃんねるを好きな人しか参加できないと、そこでフィルターがかかっちゃう
 2ちゃんねる(http://www.2ch.net/)

☆(HP作成者が一番気にする叩かれる点について)騒がれなくなったらおしまいです
 日記猿人(http://www.iijnet.or.jp/bowwow/)

☆未成熟のジャンルで先駆者がいない。だから前例なんか気にせずに、
 自分でやってしまえばいい。そういった新しいジャンルを作る面白さがある。
 佐野祭(http://www2d.biglobe.ne.jp/~inva/)

☆シンボライズしたものは絶対必要
 ーそれがなければ形のないホームページになってしまう
 日記猿人(http://www.iijnet.or.jp/bowwow/)

○個人サイトの強みは自分の判断で自分のメディアを使って
 自分のメッセージを自由に発信できるところ
 侍魂(http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/)

○(匿名性について)肩書きや自分の状況を考えずに意見が出せる場所があると、
 人がそういう場所でどういう意見を出すかがわかる
 2ちゃんねる(http://www.2ch.net/)

○あっさり読める文字量にするのが第一条件、第二条件がスパッスパッと歯切れよく落とす間
 侍魂(http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/)

○無理をせずにできるものを作るのがコツ
 ReadMe! JAPAN(http://readmej.com/)

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2002 6/14
情報関連、メディア論
まろまろヒット率3

弥永真生 『法律学習マニュアル』 有斐閣 2001

カルボナーラの意味は「炭焼き職人風」、ペスカトーレは「漁師風」など
イタリア料理は職業名をつけたものが多いけど
プッタネスカの意味が「娼婦風」と知って驚いた、
らぶナベ@そんなおおらかさがイタリアンですな(^^)

さて、『法律学習マニュアル』弥永真生著(有斐閣)2001年初版。
以前この著者が書いた商法リーガルマインドシリーズを読んで、
法学者らしからぬ柔軟な記述と広い視点に好感を持ったので購入した学習本。
この本もわかりやすいなぁっと思っていたら著者はもともと経済学部の出身らしい。
学士入学の著者自身が経験したつまずきや戸惑いなどを参考にして
一般の判例から研究論文、海外文献の調べ方(各段階ごとに詳細に書かれている)、
さらにはゼミへの参加の仕方や小論文、答案の書き方まで記載している。
こういう本では躊躇しがちなWEBサイト上の資料記載も積極的におこなっているのも注目。
法学に限らず学問一般の学習に使える箇所も多くて、
今後も何かとお世話になりそうな予感がする一冊。

以下、チェックした箇所・・・
・抽象的な議論をする際には必ず具体的なイメージを描くことが大切
 同時に具体的な事案にぶつかったときに抽象化することも必要
 →極めて抽象的な条文と極めて具体的な事案をなめらかに結び付けるのが腕の見せ所
 (1-2:具体的なイメージを)

・法律学の勉強では批判的態度が大切=自ら考えることがリーガルマインドの前提
 →理論の世界には疑ふことの許されない権威はない
 (1-3:リーガル・マインドとは何か)

・法律学は説得の技術=「結論の妥当性」+「結論への道筋」が大切
 →結論の妥当性とは一人一人の価値観が異なることを意識した上での結論
 (1-5:条文がスタートライン)

・論文は料理に似ている→「テーマ=材料」&「文献=調味料」
 (6-2:テーマの探し方)

・注や参考文献を見ただけである程度その論文の出来栄えを判断できる
 (6-4:引用と注)

・報告原稿に4箇所くらい目標時間を書き込んでおいて、
 もし遅れたら飛ばしてよいところをあらかじめきめておく
 (7-2:ゼミでの報告)

・自分も条文から考察を進めていくのだという心がけが
 法律の勉強を苦痛の暗記科目から楽しい科目に変える秘訣
 (8-1:学年末試験への立ち向かい方)

・答案の書き方・・・
 1:条文を徹底的に引用
 2:条文を正確に活用
 3:自分なりのまとめ&位置付けを示す
 4:積極的な理由付けを示す
 5:各論点のプライオリティを意識
 6:思うよりもう少し具体的に
 7:総論を活用
 (8-3:実際にやってみよう)

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2002 6/13
法律関係、総論(その他)、学問一般
まろまろヒット率4
法務 キャリア

京極夏彦 『今昔続百鬼-雲』 講談社 2001

最近「ナベッカム」と名乗ると5人に1人くらいからはぷちギレされることに
W杯の盛り上がりを肌身で感じるナベッカム@前は知らないって人も多かったし
リアクションもあまりなかったのにW杯が一般に浸透しているしている証拠ですね。

さて、『今昔続百鬼-雲』京極夏彦著(講談社ノベルス)2001年初版。
「多々良先生行状記」という副題のついた妖怪探索コメディ(?)中篇集。
現在出版されている京極堂シリーズはすべて読んでしまったので、
シリーズ外伝的な側面もあるこの本を思わず買ってしまった。
(「黒衣の男も友情出演」という裏表紙にやられてしまった)

内容は妖怪好きの凸凹コンビが不可抗力的に事件を解決してゆくのが微笑ましいが、
最初はコメディだとはわからなかったので軽い記述の連発に少し戸惑ってしまった。
笑うツボにもハマらなかったこともあって早く京極堂シリーズの主役
黒衣の男が登場しないかと期待して読む破目に・・・
どうやら『魍魎の匣』などに代表されるDark&Deepな世界観にだいぶんやられているようだ(^^;

ちなみに以前、京極堂シリーズ好きな知り合いから「らぶナベって多々良先生みたい」
と言われたことがあった・・・僕ってこんなのだろうか?(T_T)
ナベッカムという別名の是非と共に反省する今日この頃。

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2002 6/12
小説、文学
まろまろヒット率3

宮崎正勝 『意外・案外・予想外!ウラ読み世界史』 日本実業出版社 2002

ソート機能をつけたいので読書録をExcelなどでデータベース化しようと思っている、
らぶナベ@いまいちやり方がわからないので知ってる人いたら教えてください“(- -)”

さて『意外・案外・予想外!ウラ読み世界史』宮崎正勝著(日本実業出版社)2002年初版。
高校の頃よく読んでいた歴史雑学系本をふと読みたくなったのと、
初版年が新しいので新事実がわかるかなと思って購入した一冊。
地名や食べ物から歴史を紹介している姿勢に雑学書らしいさを期待したけど
タイトルのわりには真面目な内容でちょっと中途半端な感じを受けた。

それでも・・・
○「リスク」という言葉は「地図のない航海」を意味するスペイン、ポルトガル語が語源
 (アンソニー・ギデンス)

○地名は過去の社会のあり方を現在に伝える重要な情報源という意味で「歴史の化石」
・・・などの記述は興味深かった。

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2002 5/14
歴史
まろまろヒット率2

京極夏彦 『塗仏の宴-宴の始末』 講談社 1998

まろまろ掲示板で寄せられた情報をもとにポップ系展覧会に行って来た
らぶナベ@コメントついでに近くの美味しいお菓子屋さん情報ものっけてます(^^)

さてさて、『塗仏の宴-宴の始末-』京極夏彦著(講談社ノベルス)1998年初版をば。

読んだ感想→「終わるのかよ!」(三村マサカズ風に)

実質上下巻の終わりにしてはあっけな過ぎて何だかすっきりとしなかった。
もともと京極堂シリーズは登場人物が持つこだわりや盲執を
紐解くことによって得られるすっきり感(=憑物落とし)が売りなので
あっけなく終わること自体は別に違和感なく受けとめられるのだけど、
妙に次につなげすぎだなぁっという感覚を持ってしまった。

特にこのシリーズは登場人物の盲執をえがきながら、
あの手この手で読者にも読むことへの盲執を持たせて
物語に引き込む手法を取っているだけに結末に違和感を感じると
その印象だけが強くなってしまうのでちょっと残念。

ちなみに『宴の支度』を読んだときにはこの物語のテーマは自我なのだろうか、
とも思ったけど『宴の始末』を読むと結局は家族論だったようにも思えた。
「もしかしたらー伝説の要らぬ時代には家族もまた要らなくなるかもしれない。
それでも、伝説なき時代にも、やがて新しい伝説を持った家族が生まれるかもしれない」
・・・という鳥口の思いがなんとなくこの本の本質のような気がしたからだ。

また、怪異の最終形態が妖怪だという京極堂の主張・・・
「不可知なモノ、理解不能なモノを読み解き、
統御できぬモノを統御しようと云う知の体系の、
その端末に妖怪は居るのです。
捉えどころのない不安や畏怖や嫌悪や焦燥や
ーそうした得体の知れないモノに理屈をつけ体系化し、
置換圧縮変換を繰り返し意味のレヴェルまで引き摺り下ろしー
記号化に成功した時に妖怪は完成するのです」
・・・はこのシリーズに一貫した個性だなぁっと思ってかなり納得。

とにもかくにも現在出ている京極堂シリーズはこれで全部読んでしまったことになる。
外伝をのぞけば今年中に発売されるという新作まで待たなくてはいけない。
この文字でできた盲執を体験できないのはちょっと残念(^^;

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2002 5/10
小説、文学
まろまろヒット率3

京極夏彦 『塗仏の宴-宴の支度』 講談社 1998

出来事メモ“カテゴリや”まろまろサーチ”のヒット率などを密かに更新してる、
らぶナベ@恥ずかしがりやさんなので静かにがんばってます(^^;

さてさて、『塗仏の宴-宴の支度-』京極夏彦著(講談社)1998年初版をば。

読んだ感想→「続くのかよ!」(三村マサカズ風に)
上下巻とかにしないのは著者のこだわりなのだろうけど、
本が分厚いだけにちょっと面食らった京極堂シリーズ第6段。

結末に触れていないので物語としての評価はまだ下せないけど、
「自己への揺らぎ」がこの本のテーマのような感じがする。
催眠や洗脳など、確かにそういう話はちょっと怖い。
そもそも人格なんていう概念自体がある意味で詭弁でしかなく、
人格という確固とした統一性ある”固体”があるわけじゃい。
それなのに人格の破壊や改造というものに対して恐怖を感じる。
それはやはり自己愛の顕れなのだろうか。
この本を読んでいる時にたまたまHPで知り合った人と、
『山月記』(中島敦)の話をする機会があり
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という言葉を
思い出したから特にそう感じたのかもしれない。
そんな「自己への揺らぎ」の恐怖を感じた『宴の支度』だった。

物語としての感想が書けないので小説などの物語本ではあまり書き残さない
チェック箇所を記録・・・
「底の知れた神秘より、巧妙な詐欺の方がより効果的だ」
by関口巽

「来ると思ったところに来ないのが闘いの基本じゃないか。
来ると思ったところに来るのはお笑いの基本だ!」
by榎木津礼二郎

「非経験的なる観念を、先天的な真理と見做すことは幸運の獲得にはつながらない」
by織作茜

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2002 4/28
小説、文学
まろまろヒット率3