レヴィ=ストロース、川田順造訳 『悲しき熱帯』 中央公論社 上下巻 2001(原著1955)

HPを立ち上げてから興味を持った分野の本をようやく読み終えた、
らぶナベ@引用も長いのでさっそく本題・・・

『悲しき熱帯』レヴィ=ストロース著&川田順造訳
(中公クラシックス上下巻)2001年初版(原著1955年初版)
文化人類学の古典。
1930年代当時まだ現存していた南米先住民の生活&風習の研究を通して
不条理にみえる神話や風習にも全体を貫く一定の構造があるのだ
と主張する構造主義を確立したとされる本。
(この視点は様々な分野に影響を与えたので読書カテゴリも豊富)

この本は僕にとっては初めて読む文化人類学本でもある。
HPを立ち上げて以来約9ヶ月の間、ネットビジネスやネットをめぐる
法的問題に触れたり考えたりする機会が必然的にめぐってきていたが
その度に「そもそも今の経済学、経営学や法学の理論や概念では
ネットという存在を捉えきれないのでは」という違和感を感じていた。
そんな中で民俗学や人類学を学ぶ知人の影響もあって
これらの分野の視点がネットを考えるヒントになるのでは
と思って購入することになった一冊。

僕は今まで馴染みのない分野に触れる時にはまず何冊か入門書を読んで
その分野の全体像を把握してから古典や専門書を読むという手法を取ってきたが
(法律関係カテゴリ参照)
この分野についてはいきなり古典から入った。
タイトルフェチの僕にとって非常にひかれるタイトルだったからだ。
この本は何よりもまずタイトルが良い。
学術書なのに「悲しき熱帯」(原題”Tristes Tropiques”)とは素敵すぎ。

学術書とは思えない読みやすそうなタイトルだが実際に読み始めると・・・
「これは学術書なんだ」と思わないとやってられないくらい読みにくかった(^^;
そもそも南米の先住民研究にはなかなか入らないし、
断片的な旅行談や詩や戯曲、はたまた新聞の広告やらがいきなり出てきたりする。
そういう構文上の問題に加えて著者の後向きな姿勢が読みにくさを助長した。
後向きな姿勢であってもそれが根拠に基づいているものであれば納得できるのだけど
訳者も前書で「明らかな飛躍や矛盾はある」とわざわざ断りを入れているほど
根拠がなかったり不必要だったりするものも多くて読んでいて疲れた。
特に当時の発展途上国の人々やイスラム教に対する不理解な偏見は
著者がまだ生きてるだけに訂正しても良いのではと余計な心配までしてしまった。
また著者は皮肉屋さんらしくブラックジョークらしきものがよく出てくるのだけど
21世紀の始めに生きる日本人の僕にはどこで笑っていいのかわからなかった。
やはり正確性を欠くマイナス思考っていうのは付き合いにくい。
この本は「20世紀を代表する本のひとつ」という触れ込みだったが
果たしてこの本が数世紀後も人類を代表する本のひとつ
と言われるのかどうかは疑問に思ったりもした。

構文的にも感性的にも読みにくさを感じていたがせっかく読み始めたのに
途中放棄するのはもったいないので諦めずに読み進めると
第五部「カデュヴェオ族」(上巻254P)からようやく面白くなった、
っというかこれからが本題。
一見、原始的で素朴に生きていると思える文明化されていない社会でも
そこには人間関係や生活様式を含めた厳格な社会システムが存在している。
社会的機能や構造が存在することは政府や法律などの
「高度な社会システム」があるとされる先進国の国家と変わらない。
・・・ということを先住民への調査を通して証明している。
特に着衣を一切せずに移動しながら生きるナンビクワラ族を調査している第七部では
このような考えられる限り一番原始的な社会生活を送っている人々の間でも
機能としての一夫多妻制を利用した社会システムや厳格な掟が存在してるとされる。

僕はこの本を実際に手に取る前から何が「悲しき」なのだろうかと思っていた。
ナチスによるユダヤ人迫害から逃れなくてはならなかった著者の気持ち、
破壊されつつある先住民社会への思いなど、いろいろな解釈があるだろうが
僕はこの第七部を読んで人間関係のわずらわしさというのは
人が誰かと関係を持って生きる限りどのような形の生活であっても生まれるという、
そういう悲哀のようなものが「悲しい」んだなと感じた。
振り返って20世紀初めの日本を見てみても、
無秩序で好き勝手にしているように見えるネット上の掲示板でも
煩わしい関係から逃れようとした人々の集まりでも
(宗教や田舎、海外や不良などの反社会集団に逃げたとしても)
やはり明文&暗黙に関わらず一定のルールや機能的関係が存在している。
そういう「悲しさ」があるのだということを感じる本だと解釈した。

そんなこんなで以下は注目してチェックした部分の引用(注目度順)・・・

☆人間があれば言葉があり、言葉があれば社会がある(略)
ポリネシアの人たちは社会を作って生きていたことにおいて我々以下ではなかった
<第九部「回帰」”一杯のラム”>

☆全裸で暮らしている民族も私たちが羞恥と呼んでいる感情を知らないわけではない。
ただ彼らは、その境界を違ったところに設定しているのだ(中略)
むしろ平静か興奮しているかのあいだにおかれている
<第七部「ナンビクワラ族」”家族生活”>

☆村を成しているのは土地でも小屋でもなく
すでに記述したような或る一つの構造であり、
その構造をすべての村が再現するのである
<第六部「ボロロ族」”生者と死者”>

☆一夫多妻婚とそれに付随する特別の資格は、
首長が責務を果たすために集団が彼に供与している便宜という意味をもっている。
首長一人きりだったならば他の人たち以上のことをするのは極めてむずかしい
<第七部「ナンビクワラ族」”男、女、首長”>

☆一夫多妻の特権がどれほど性的、情緒的、社会的に見て魅力あるものであろうと、
それだけでは首長の仕事を志望する十分な動機にはならない(略)
一夫多妻婚は、権力のむしろ技術的な条件である(中略)
人間は、みな同じようなものではない。
社会学者が何でもかんでも伝統によって圧し潰されたものとして描いて来た
未開社会においてさえこうした個人の差異は、
「個人主義的」と言われている私たちの文明におけるのと同じくらい
細かく見分けられ、同じように入念に利用されている
<第七部「ナンビクワラ族」”男、女、首長”>

☆一つの民族の習俗の総体は常に、或る様式を認めることができる。
すなわち習俗は幾つかの体系を形作っている(中略)
観察された、あるいは神話の中で夢想された習俗のすべて、
さらに子供や大人の遊びのうちに表されている習俗、
健康なまたは病気の人間の夢、精神病患者の行動、
それらすべての一覧表を作ることによって、
丁度元素の場合のように一種の周期律表を描くことが可能になる
<第五部「カデュヴェオ族」”先住民社会とその様式”>

☆人類の歴史の最も創造的な時期の一つは、農耕、動物の家畜化、
その他の技術を生んだ新石器時代の到来期(中略)
新石器時代には、人類は文字の助けなしに巨歩を進めたのである(中略)
文字の出現に忠実に付属していると思われる唯一の現象は、
都市と帝国の形成つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、
それら個人のカーストや階級への位付けである
<第七部「ナンビクワラ族」”文字の教訓”>

☆北米先住民の社会的警察機能について・・・
現地人の誰かが部族の掟に背くようなことがあれば、
彼はその全財産(略)を破壊することによって罰せられる。
しかし同時に(略)罰せられたために蒙った被害を共同で償うべく、
警察が音頭をとらなければならない。
この補償のために罪人は集団に恩を受けたことになり、
彼は贈り物によって集団に感謝の意を表さなければならないが、
この贈り物は警察自身も含む集団の全体が彼に力を貸して集めたものなので、
またもや関係が逆転することになる(略)
贈り物と返礼の長々しい遣り取りの果てに、
前の無秩序が消えて最初の秩序が回復されるまで続くのである
<第九部「回帰」”一杯のラム”>

○私は旅や探検家が嫌いだ
<第一部「旅の終わり」”出発”>

○問題は、真実と虚偽を見出すことにあるよりも、
むしろ人間がいかにして少しずつ矛盾を克服して来たかを理解することにあった
<第二部「旅の断章」”どのようにして人は民俗学者になるか”>

○或る皮肉屋がアメリカを定義して、野蛮から文明を経ないで退廃に移行した国だ、
と言った。この定義は新世界の都市にむしろ当て嵌まるかもしれない
<第三部「新世界」”サン・パウロ”>

○都市というものは自然と人口の合流点に位置しているのである。
(中略)都市は自然としては客体であり、同時に文化としての主体である
<第四部「土地と人間」”開拓地帯”>

○聖と俗の二者を対置させることは(略)
絶対的なものでも持続的なものでもないのである
<第五部「カデュヴェオ族」”ナリーケ”>

○或る社会が生者と死者のあいだの関係について自らのために作る表象は、
結局のところ生者のあいだで優勢な規定の諸関係を宗教的思考の面で隠蔽し、
美化し、正当化する努力に他ならない
<第六部「ボロロ族」”生者と死者”>

○組織化の弱い社会では(略)傾向も暗幕の了解のうちに留まっているので、
背後に意味を含んだここの行動を総合してかんがえなければならない
<第七部「ナンビクワラ族」”家族生活”>

○気前の良さは大部分の未開民族において(略)権力に本来付随したものである
<第七部「ナンビクワラ族」”男、女、首長”>

○「契約」と「同意」は社会生活を構成する原料
<第七部「ナンビクワラ族」”男、女、首長”>

○人間はその枠の中で位置を変えながら、
彼がすでに占めたことのあるすべての位置と、
彼が占めるであろうすべての位置を自分と共に持ち運ぶ。
人間は同時に至る所にある。
人間は諸段階の全体を絶えず要約して繰り返しながら一列になって進む群れである
<第九部「回帰」”チャウンを訪ねて”>

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2002 4/17
文化人類学、社会学、哲学、文化論、組織論、情報関連、歴史、文学、宗教学
まろまろヒット率4

独自ドメイン"maromaro.com"でのHP運用開始

立ち上げ以来約8ヵ月借りていた”geocities”から自主ドメイン”maromaro.com”に引越。
引越を急いだ理由はサイト内解析や検索機能を付けるためというのもあったが
何よりも”まろまろ”という言葉を大切にするためだ。
『Eureka! 哲学がわかった!』で著者が「情報化社会では誰もが哲学者=言葉の創出者になれる」
と書いていたようにせっかく”まろまろ”という言葉が一人歩きし始めているのに
普及によって権利関係のトラブルに巻き込まれる可能性も出てきた。
知的所有権は総じて早いもの勝ちの洗願主義なので
予防的な意味合いもあっていまのうちに確保しておいた。
これによって生まれて初めて知的所有権を有することになった。
これで安心してブランド展開ができる(^^)

2002 3/29
出来事メモ、サイト運営

京極夏彦 『絡新婦の理』 講談社 1996

気がつけば今年に入ってから読んだ本はすべて京極堂シリーズ・・・
彼は”憑物”の手法を読者に使っているのかとも思う、らぶナベっす(^^;

さて、『絡新婦の理』京極夏彦著(講談社ノベルス)1996年初版。
京極堂シリーズ第5段。
このシリーズはいつも文庫版の方を買って読んでいたけど
文庫版が出るのを待ちきれずにノベルス版を購入してしまった。
(ノベルス版と文庫版とでは中身もちょっと変えているとのこと)

『姑獲鳥の夏』をのぞけば今まで読んだ中ではこの本が一番印象深い。
タイトルが好きというものあるけどまず本の構図がすごく綺麗。
最後のページと最初のページをリンクさせるのはごくありふれたことだけど
それがすごく滑らかにつながっているのに魅了された。
展開も犯人像が近くなったり遠くなったりしながら推移していき、
そんなことを忘れるほどのインパクトある展開の後に
突然のようにまたふと顕れる手法にも「うまいなぁ」と思えた。
「どこまでが恣意でどこまでが偶然なんだ?」と、
それぞれ独自に動く因子を蜘蛛の糸に絡めるように操る犯人の残像を
追いかけながら読んでいたので思わず没頭してしまった(^^;

ちなみにこの作品はタイトルからも連想できるように
フェミニズム(今風にいえばジェンダー論)を素材に使っている。
うーん、ホントに挑戦的だ(^^)

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2002 3/25
小説、文学
まろまろヒット率5

無機質を有機質に変えるのがネット(つながり)

修士課程修了式『就職!!インターンシップ』(学生援護会)
HPアドレスを貼ってくばりながらあらためて感じたこと。
普通は2年も3年も前のメモなんて見直さないが、それが誰かにとって必要かもしれない。
そのメモを直接、間接に使ってもらってそのことをまた教えてもらうことになれば
それは単なる埋もれたメモでしかなかったものがメモ以上の意味合いを持ってくる。
その無機質が有機質に変わる効果こそがネット(つながり)の価値なのではないだろうか。
情報は使ってもらってこそ磨かれて洗練されてゆく。

2002 3/21
はしり書き

政策科学研究科修士課程修了式

3年間にわたる修士課程の終了式。
就職状況が超氷河期の中で内定を辞退してまで来た大学院だがこの3年間は常に
「就職した時と比べて自分は成長しているのだろうか」という思いがついてまわった。
目に見える成果としての事々を振り返ってみると・・・
・ずっと読みたい&読むべきと思っていた本たちを読んだ。
・吉本興業インターンシッププロジェクトを最後まで見取った。
・公費でのモンゴルプロジェクトを実現させた。
・ある企業とある企業の初会合を運営することができた。
・ホームページを立ち上げて自らのメディアを持てた。
・進路を明確化させてそれと矛盾するかもしれない修士論文を書き上げた。
・・・など意外に充実していたかもしれない。
プライベートでも今までそれほど気づかなかった
自分の感情を否が応でも自覚することができた。

一時は研究の面も学内行動の面も対外的活動の面も私生活の面も、
何もかもが暗雲立ち込めて自分を見失うような時期が何度かあったが
何とかマイナス面をせめてトントンに、
できればプラスに転換させようと意識し続けたのが
つぶれずつぶされずやり抜けた原因の一つだろうか。

ちなみに式典や卒業パーティは7年間にわたる立命館大学生活の終わりでもあるので
『就職!!インターンシップ』(学生援護会)を大量購入して
自分のホームページのアドレスを貼ってから学内の各組織に渡した。
埃がかぶりつつある自分のインターン体験と誰かのインターン体験が共鳴することで
単なるメモがメモ以上の機能と価値を発揮するということを感じ始めている。

2002 3/21
出来事メモ、はしり書き

アイドルイベント現場へいく

吉本興業が売り出しているアイドルユニット”Soul Tiger”のイベントに行く。
京橋MIDシアターにて女性限定のライブだったが
スタッフでもあるし吉本興業の安田さんに呼ばれてMO-Rinaと共に参加する。
久々のアイドルイベントの現場ということもあるが何かを作ろうとする
熱さを感じられる場所って長らく遠ざかっていたのですごく刺激的だった。
イベント終了後に喫茶店で(株)ネイキッドの木村社長とお話をさせてもらう。
(日本的な雇用賞与制度の再評価の動きやネット論についての話題)
その後、バトラクションの現場関係者打ち上げがあるとのことで辞そうと思ったが
愛称命名者とシステム自体の助言者として呼ばれて参加する。
(そういえば採用されていた)
ネイキッドの新社員の人が僕のことを知っていたのに驚いたが
どうも会社に僕の4年間が紹介されている1999年の大学パンフレットがあったらしい。
すっかりそんなことは忘れていたがメディアというのは
自分の意識とはまた違った動きをするものだとあらためて感じた。
吉本興業での役職も兼務しながらFM会社の代表取締役に就任した
Mプロデューサーとも久々に話をする。
自分にとっては僕が間を取り持った彼とある企業人との会合話を聞くのが何よりも嬉しい。
Mさんとある企業人との会合話を聞いて感じたこと・・・
「共通の問題意識のある人間と対話することが最大のストレス解消」

いろいろと思うことがあっただけに良い一日だった。

2002 3/17
出来事メモ、はしり書き

ハワイアン日記

ひょんなことから男3人でハワイに行くことになってしまった(4泊6日)。
「なぜーに男3人?」、「なぜーにハワイ?」という気もしなくもなかったが
痛いものコレクターとして新しいコレクションにもなるかなと思って同意した旅。

以下、メモを修正した日記・・・
2月28日:成田発なのでわざわざ新幹線に乗って東京まで向かう。
いったん途中下車して市ヶ谷の研究室で東京での仕事をさせてもらう。
市ヶ谷で服部(同行者その1)と合流した後に新宿からNEXで成田へ。
初めて乗った成田エクスプレスは外見はヨーロッパ風だったが中身は噂どおり貧弱だった。
ここらへんが日本的でちょっと笑ってしまった(^^)
成田で藤江(同行者その2)と合流して飛行機に乗り込み、
美味しくない機内食を食べてから眠ろうとしたら隣でカタカタという音が・・・
不思議に思ってふと見てみると藤江も服部もMy電卓を持ってきて簿記の勉強をしていた(@_@)
こう文字で書くと何かYoung Excective的な匂いが漂うが、
ハワイ航路それもエコノミークラスでやるとは同行者ながら侮りがたし。
現地に到着後に格安ツアー名物マルチ商法セミナーもどきの説明会がおこなわれる。
商品リストにあえて×や△をつけさせて発言に信憑性を持たせ、
○をつけたものを値下げするという実に典型的なマルチ商法ぶりに思わず笑みがこぼれた。
それ系の訓練を何度も受けたであろう司会の女性が
自分の母親と同い年くらいということに一つ人生をかいまみる(^^)
とりあえず現地は物価が高い(1ドル=137.5円)上に男3人ショッピングも興味がないので
「ハワイならでは」でなおかつ「日本よりもお得」なものを探す。
ダイビングライセンス(PADI)はこの二つの要求に応えられるだろうということになった。
一度取れば世界中どこでも潜れるようになるし日本で取るよりもずっと安いので3人とも納得。
二日かけて単独でも潜ることができる”Open Water Diver”ライセンスを取ることに決めた。
英語で交渉する2人がなかなかカッコ良かったので、
自分もあれくらい英語ができるようにならなくてはと感じる。
ホテルのチェックインまでちょっと時間が空いたので近くで実弾射撃体験をする。
(22口径拳銃とライフル)ちょっとカルチャーショックだった。
あんなもので人が殺せるのかと銃に対する考えが少し変わった。
それから4泊することになる”Ohana Waikiki Hobron”という
安ホテルに荷物を置いてから近くの浜に日焼けしに行く。
2人とも爆睡したが僕は眠れなかったので海で泳ごうとしたものの
あまりの冷たさに断念、おとなしく日焼けする。
夕食は豪華にしようということで”HAWAIAN ALL STAR”というお店に食べに行く。
藤江はサーロインステーキ、服部はポークソテーという無難なものを頼んだが、
せっかくハワイに来たので”ポリネシア風蒸し豚”を頼む。
出てきた料理を見たら「ビーフジャーキーの大盛り」のようだった。
ジューシーな隣人の食事をかいま見ながら歯ごたえのあるポリネシア料理を食べる。
“traditional food”という説明書きはある意味で正しかったのか・・・(T_T)
ポリネシアあなどりがたし。
ダイビングをはじめる次の日は早いのでこの日はおとなしくホテルに帰って寝る。

3月1日:6時起きでダイブショップ”Green Dolphine”の車に乗せてもらってショップに向かう。
スタッフも日本人ばかりで海の家的なノリがかえって新鮮、
大学生や関西人もいて話やすかったのが嬉しかった。
ショップで説明を受けてから”MAGIC ISLAND”というダイビングスポットに行って講習を受ける。
当たり前だけど海の中で呼吸ができるってそれだけで何だか感動!
当たり前だけど海の中では自分の動きや反応が遅いけどそれに戸惑った。
当たり前だけど機材をつけて陸を歩くのって大変。
結局、休憩を挟んで2本合計48分潜ってショップに戻る。
“HAWAIAN ROLE”なるお寿司(ポテトサラダを挟んでる!)を食べて午後の学科を受ける。
予定では最終日の一日が空いていたのでせっかくということもあり、
最終日もFUN DIVE(純粋にダイビングを愉しむ)としてダイビングしようと決める。
たまたまショップに隣接するネットカフェにいた女の子にHPを営業。
学科終了後にいったんホテルに荷物をおいて昨日行った浜で再び日焼けする。
この時、自分と服部はホテルで仮眠していた藤江とはぐれてしまったが
浜に面する”HILTON HOTEL”のBARで言葉が話せないメキシコ人と知り合う。
筆談とジェスチャーでコミュニケーションを取っていたら妙に盛り上がった。
なにか気に入られたらしく飲み代はすべておごってくれた。
同行者の二人に比べて自分の国際的コミュニケーション力に疑問を感じていたので
この経験は自信につながった、次の日の単独行動のきっかけにもなる。
ホテルに戻っても藤江はいないので書置きをして浜に戻るとすごい人だかりだった。
HILTONの前で演じられているポリネシアンショーを
横目で捜索を続けていると花火大会が始まった。(人だかりの原因はこれだった)
この時期のそれもハワイで花火が観れるとは思わなかったのでかなり得した気分になった。
花火大会終了後にようやく藤江と合流できた、書置きが功をそうしたようだ。
その場で知り合った女の子二人にHPの営業をする。
お腹が空いたので”Sam Choy’s Diamond Head”というちょっと高級店にいく。
前日にポリネシアン料理で失敗したもののここはやはり挑戦しなくてはと思い、
“Hawaian Bouillabaisse”というものを頼む。
Bouillabaisseというのは何かわからなくてかなり不安だったが来たものを見てみると、
魚介類のごった煮だった。そう、そうそれはブイヤベースだったのだ。
Bouillabaisseとはブイヤベースのことだとは三人ともわからんかった(仏語力なし)。
タロイモやマヒマヒ(ハワイのお魚)が入っている点が
ハワイアンということみたいだったがとても美味しいものだった。
付け合せのおにぎりをぶち込んでリゾット風にして食べてもまたうまかった。
二人が頼んだ料理はいまいちだったようで昨日の失敗分は帳消になった気がした。
ハワイの女神は僕に微笑んでくれたのだと思った(^o^)
この日も明日が早いのでおとなしく寝る。
リゾートというより合宿のflavorがしてきた二日目の夜。

3月2日:3時40分に目が覚めてしまって体力的な不安を感じながらショップに向かう。
今回は車で40分ほど走ったダイビングスポット”MAKAI PIER”で講習を受けることになった。
珊瑚礁も多くて天気も良いので前日とはくらべものにならないほど綺麗なスポットだった。
そのためか中性浮力の取り方などの実技はとても楽しくできた。
(魚にパンもあげることができた)
この日は2本合計60分潜ってお昼ご飯を買って戻る。
一緒に潜った学生さん二人にHPの営業をする。
前日からの合意では次の日は愉しむだけのFUN DIVEつもりだったが、
次のクラス”Advanced Diver”の認定を受けるために必要な科目を持ち越せる上に、
FUN DIVEと大して変わらないということで”Adventure Diver”の講習を申し込んだ。
酔うという噂のBOAT DIVE(船からのダイビング)、
さらに一日のうちに3本潜ることになるので体力面でちょっと不安に感じた。
二人がダイビング用具を買っている間に敷地が隣接しているホテルでプールサイドで焼く。
(この時分からすでに焼きすぎの感が(^^;)
その後に3人で浜に出てからナンパしに行くという二人とは別行動を取ることにする。
二人は英語が堪能で一緒にいるのはすごく楽だが、その分、英語の勉強にはならない。
これが初めての英語圏への旅行なのに自分の英語力の程度を知れないというのは
実にもったいないので単独行動を取ることにする。
ただ、彼らの微笑ましい(?)リビドーも無駄にしたくないので
「知り合った人に渡して」とHPのアドレスを書いた紙を渡す。
確率論的にナンパは失敗の方が断然多いが、たとえ失敗しても
その目的とはまた別の広がりを生むネット戦略のせこさに我ながら感心する。
一人でホテルに荷物を置きに帰ってフロントで両替してもらい、
コインランドリーに洗濯しに行くだけでも何だか冒険気分だ。
ランドリーを回している間にホテルのジャグジーで砂を落とす。
貸しきり状態だったのだが10歳くらいの現地の女の子(アングロサクソン系)が
入ってきて「コンニチハ!」と言ってきた。
「ここはアメリカ・・・これが噂に聞く人身売買か!」と一瞬考えたが、
日本語の挨拶を覚えたので一見して日本人とわかる僕に使いたかっただけのようだ。
良い機会なのでこの少女相手に英語の練習をさせてもらう。
家族で来ているらしく他の家族も入ってきて取り止めも無い会話をする。
それから部屋で着替えて、さぁ外にいこうとすると、
約束の時間よりもずっと早いのにも関わらず二人が帰ってきた。
数々の(痛い)伝説を生んだ名うての二人のことだからてっきり僕の分まで余計に
女の子をピックアップしてくるだろうと思ったら二人だけで不機嫌そうに帰ってきた。
特に藤江は凹んでいるようだった。
聞いてみるとことごとく不作なので日本では絶対に声をかけないような女の子に声をかけたら
「迷惑ですっ!」と正面から言われたのがかなりショックだったようだ(笑)
あまりに凹んでいるのでとりあえず夕食を食べに行こうということになった。
この日はダイビングのインソラクター、ケンタロウくんお勧めの”Chart House”に行く。
このお店の料理は魚介類も肉類もすごく美味しかった!(^_^)
(the Ala Wai Yacht Harborに面しているお店、お勧め)
ハワイ滞在3日目にして3人全員が納得するお店と出会えた、ケンタロウくんあなどりがたし。
ステーキを頼んだが想像以上にサイズが大きかったので
自分も藤江も食べきれなくなって服部にあずける。
服部はすべてたいらげた、服部あなどりがたし。
ホテルに戻ってランドリーに洗濯物を取りに行くと日本人の女の子二人が迷っていた。
エレベーターに乗るときに「ロビーは下ですよ」と日本語で言って
とっとと部屋に戻ろうとするとかけよってきた。
「ここはアメリカ・・・これが噂に聞く日本旅行者への詐欺の始まりか!」とも思ったが
何でもクレジットカードで日本に電話したいのにやり方がわからず困っているそうだ。
前日に藤江が同じやり方で電話をかけていたのを覚えていたので彼を連れてくる。
ナンパに失敗した二人を尻目に何気に女の子と知り合いになった自分の運の良さにまた感心。
しかし次の日に3本のダイビングがひかえているのでHPを営業してからとっとと部屋に戻る。
もしかしたらこれは本当に合宿かもしれないと思いながら眠った三日目。

3月3日:朝5時に起床。ダイブショップにいったん行った後にヨットハーバーから船に乗り込む。
「酔う」とか「大変だ」とか色々と聞かされていたが風もなく晴れたので快適だった。
当初は午前中に2本BOAT DIVEして午後にBEACH DIVEを1本するという話だったが
午前のうちに3本することになった。(1度水面に上がれば1本とカウントできるらしい)
そちらの方が楽なので自分としても嬉しかった。
“SEA TIGER”というダイビングスポットで30mのDEEP DIVEに挑戦する。
漁礁となっている浮沈船に向かうのだがテレビでよくみる一場面を
実際に体験することになろうとは思っていなかった。
浮沈船の甲板の上に立ったり側面を泳いだり、それだけで感動的だった。
360度見渡してもすべてが陸にいるときとはまったく違う別世界だからだ。
海ガメとも出会えてすごく楽しいダイブだった(^o^)
30分潜ってから船に戻って休憩する。
船上で食べたピーナッツバターを挟んだビスケットの美味しさが印象的だった。
今は快適だけど最悪の条件下でダイブする”NAVY SEALS”(アメリカ海軍特殊部隊)って
本当に大変な仕事なんだろうなと変なことについて思いを馳せる。
その後、海底に巨大なパイプがある”KEWALO PIPE”というダイビングスポットに向かう。
昔、ハワイでは生活廃水を海にたれ流していたらしく(駄目じゃん!)
そのときに使っていたパイプがいまでも残っているらしい。
巨大なパイプ以外は海底の地平線が広がっている場所だったので
このダイビングは特に水中を泳ぐ喜びを感じられた。
浮き上がるわけでもなく沈むわけでもなく中性浮力を使って
水中の真中を漂うことってとても楽しい(^^)
いったん水面に上がってからまた潜り2本合計47分水中の中にいたが
水面ではなく水中を泳ぐことの快感を感じたので疲労は感じられなかった。
結局、この日は3本合計77分潜ったことになる。
環境面でも自身の体力的にももっとハードだと思っていたが
ぜんぜん楽ちんだったので得した気分になった。
ショップに帰ってから学科を受け無事に”Adventure Diver”のライセンス取得(^_-)
良くしてくれたインストラクターさんたちにお礼を行ってショップを後にする。
ハワイで最後の昼間自由時間ができたので3人で”WAIKIKI BEACH”に向かう。
シュノーケリングするという服部と分かれて藤江と二人でハワイB級グルメ”ロコモコ”を探す。
なかなか無いのでWAIKIKIから”ALAMOANA Shopping Center”まで
30分ほどまろまろ歩いてフードサーヴィスでロコモコを食べる。
ALAMOANA Shopping Centerはまさに日本人のために作られたという感じだった。
ブランドショップが入っている上階に行くほど「ここはハワイですよ」と、
優しく諭したくなるような格好の日本人女性がいっぱいいたのが
痛いものコレクター的には楽しかった。(まさに異世界)
バスでWAIKIKIまで戻ってお土産を買ってから服部と合流し、
この日もホテルの近くの”Chart House”にご飯を食べにいく。
お店は混んでいたのでBARカウンターで食事を取ることになった。
目の前のバーテンダーのおっちゃんは見てて惚れ惚れするほど良い仕事をしていた。
食事の用意も素早いし、カクテル作るのも早くて正確、
ほとんど手を休ませないでいるのに他のお客さんと談笑もする。
思わず帰りに”You do good job”と言うと握手をしてくれた。
ホテルに戻って藤江と服部が夜の街に繰り出そうとしたその時に前日の女の子二人がやってきた。
何でも部屋を取り違えた日本人のおばさんがパニックになっているのに
ホテルには日本語話せるスタッフがいないので混乱が助長されているらしい。
すぐに出る用意ができていた藤江と服部がまず向かい、僕は着替えてから向かう。
フロントにいくと二人だけでなくもう一人の女の子がいた。
彼女が前日いなかったのは友達が困っていたときにも関わらず爆睡していたかららしい(^^;
自分がフロントに到着した時分にはトラブルは普通に解決していて、
そのおばさんがお茶をおごってくれるということでホテルのBARに全員で向かう。
混乱が続いているのかおばさんはダイビング用語でいうところの”PANIC DIVER”状態で
何を話しても通じないほど自分の話をマシンガンのように話しつづけていた。
おばさんが帰ってからまろまろとお茶を飲んでおしゃべりする。
普通の飲み会状態になったがハワイの夜は冷えるので着替えのために部屋に戻る。
部屋から見える夜景を見ると詩感がわいたので試作する。
(そのうち公開するかも)
飲み会終了後に部屋に帰ると服部の説教が始まった。
このホテルは安ホテルだけにやたら水漏れしているなぁと思っていたが
どうやら僕がユニットバスのカーテンを外に出してシャワーをあびていたのが原因らしい。
普通に服部にマジギレされた。
服部がシャワーをあびている間に藤江とまろまろと話をしていたらもよおしたので
気づかれないように音を立てないようにガスを出したら気づかれた。
普通に藤江にマジギレされた。
そんな最終日の夜。

3月4日:4日間毎朝通いつめたマクドナルドの朝食を惜しみつつ
(日本にはないクッキー生地のマフィンなどがあった)空港に向かう。
テロの影響がまだまだ続いていてうんざりするぐらいに搭乗手続に時間かかった。
空港内でトイレに行こうとしたけど場所がわからなかったので
ぽつんと立っていた自動小銃を抱えた軍人さんに
“Where`s toilet?”と尋ねると「ああ、この道を真っ直ぐ20メートルくらいいって左ね」と
妙にfriendlyな日本語で教えてくれたのにはちょっと驚いた。
それもフィートじゃなくてメートルで教えてくれるとは(@_@)
ハワイは観光産業の比重が高いのにテロの影響で日本人旅行客が減ったので
州から警備についても観光客には十分な配慮をというお達しでも出ていたのだろうか。
そんなことを思いながら帰路に着く。

振り返ってみると全く目的をもたずにリゾート気分でまろまろするはずの旅だったが
強い円安やそれほど陸上の観光資源にひかれなかったこともあって
全日程をダイビングライセンスに費やしたことになった。
本当にリゾートというよりは合宿な日々だった。
これは意外にラッキーだったように思う。
事前に「ダイビング旅行」と言われていたら絶対に来てなかっただろう。
期せずに一生残る自分へのお土産を持って帰れたような気がする。
世界中の海にダイビングスポットはあり、行動範囲が広くなったようですごく嬉しい。
なんかPADIの戦略に見事に乗せられている気がするが、
とにもかくにも新しい趣味を得た旅だった(^^)
2002 2/28~3/5
出来事メモ、海外体験記

らぶりんぴっく

  恋愛の別名。

  らぶナベがたまたまオリンピック開催中に恋に落ちたことから名付けられた。

  4年間の積み上げを一瞬に賭けるような集中力の高まりと、

  忘れた頃にやってくる点などが似ているのでなにかと使われている用語。

  時として不可解な判定をめぐって恋愛仲裁裁判所のような

  第三者機関に救済を求めたくなることもある。

  また時としてオリンピック開催期間よりも早く終了したりもする。

  用例:告白する前に勘付かれてそれとなく拒絶されたという友人に対して・・・
    「君のラブリンピックは聖火ランナーが点火する前に終わったんだね」となぐさめるなど

京極夏彦 『鉄鼠の檻』  講談社 2001

友人から「ナベを二言で言うなら”自作自演自画自賛”だよね」と言われて、
こいつなかなかうまい表現をするなと納得しながら凹んだらぶナベっす(^^)

さて、『鉄鼠の檻』京極夏彦(講談社文庫)2001年初版。
京極堂シリーズ第4段、半端じゃなく分厚い文庫本(^^;
宗教教義をミステリー小説のネタにする挑戦的な姿勢には脱帽。
それも難解な禅の教義を使うなんて西田幾多郎もびっくりだろう(笑)
解説にも書いてあったがまさに日本の『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)だ。
こうして『薔薇の名前』と比べてみるとややスケールダウンは感じちゃうし、
ラストに向けての緻密な積み上げという京極堂シリーズらしさも
ちょっと欠けてる気もするけれどやはりすごい作品だろう。
面白い小説でありながら禅にも触れることができるお得な一冊。

この本をamazonで見ちゃう

2002 2/18
小説、文学
まろまろヒット率4