2002年は実績が見えずに、焦ったり不安になることが多い年だった。
そんな中で自分を見失いそうになったときに口ずさんだ言葉。
この年の最後に開催したOFF会でそのことをまた強く感じた。
(詳細は“まろじぇくとX”)
「ゆっくり成長する人間は限界がない」ということもどこかで聞いたことがある。
2002 12/24
はしり書き
since July 19th, 2001
2002年は実績が見えずに、焦ったり不安になることが多い年だった。
そんな中で自分を見失いそうになったときに口ずさんだ言葉。
この年の最後に開催したOFF会でそのことをまた強く感じた。
(詳細は“まろじぇくとX”)
「ゆっくり成長する人間は限界がない」ということもどこかで聞いたことがある。
2002 12/24
はしり書き
この本を読むきっかけを考えるとネットで公開するってすごいなぁっと思う、
らぶナベ@くわしくは以下のメモにて(^^)
さて、その『言語学が好きになる本』町田健著(研究社)1999年初版。
はじめて読んだ言語学関係の本。
言語学の入門書を探していたところまろまろ掲示板にも遊びに来てくれることがある
ちづさんがたまたまた大学院で言語学を研究していて(生成文法)
「読みやすいけど基本も押さえられてる」と薦めてくれた一冊。
ちなみにちづさんは研究科は違っても僕が入る学校と同じだったのでびっくり。
(こんなこともあるんすねぇ)
内容の方はQ&A方式で書かれているのでとても読みやすい。
言語学って、ものすごく難しかったり読みにくい先入観があったけれど
確かにこれなら僕でも慣れることができそうだ。
特に面白かったのは「Q6チンパンジーやイルカもコトバを使うの?」で、
人間の言葉と動物の言葉との決定的な違いを分節性に求めた点や
「Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?」で、
言語能力という動物学的には特異な能力を人間は本来的に持っているのかという議論、
そして「Q18英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?」で、
定冠詞と不定冠詞を聞き手が文脈の中で特定するのかどうか、
部分と全体という視点で説明している点だ。
特に定冠詞と不定冠詞は日本人なら誰でも一度は苦しめられたことがあるものなので
こういう風な説明をされると「なるほど!」っと素直に感動してしまった。
(掲示板での補足説明ももらいました→ここ)
また、巻末にはもう少し上のレベルでの入門書が紹介されてあるが、
それぞれの一長一短をちゃんと書いてくれてあった。
入門書は読んでからある程度時間がたたないとその良し悪しがわからないものだけど、
(本人がその分野をどう活用するかどうかにもよるし)
こういう基本的な丁寧さには好感が持てた。
以下は、チェックした箇所の抜粋&一部要約・・・
○ソシュールは言語の音の方を「能記」(シニフィアン)、
意味の方を「所記」(シニフィエ)と呼んだ
(ただし訳語は研究者の間ではあまり人気がないらしい)
<Q1世界一の言語学者はだれ?>
○記号の「体系性」=記号の意味や動きは他の記号との関係で決まる
とソシュールが主張
<Q1世界一の言語学者はだれ?>
○比較言語学の目的=複数の言語を比べてそれらのもとの言語(祖語)は
どうなっていたのかを推測すること
=言葉の歴史を研究する分野のひとつ
→もとの言語を復元する「祖語の再建」もおこなわれる
<Q2文字で書かれていない言語の歴史は分かるの?>
○「音韻変化の規則性」=ある言語で使われている音が時とともに変化すれば、
どんな場合でも一律に同じように変化をするという性質のこと
<Q2文字で書かれていない言語の歴史は分かるの?>
○イタリアの諺には「翻訳者は裏切り者」(traduttore,traditore)というのがある
<Q5完全なる自動翻訳機は実現する?>
☆人間の言葉と動物の言葉との一番の違いは、「分節性」があるかないか
「分節性」=文という記号がより下位の記号単位である単語から
構成されている性質(平たく言えば文が単語にわかれていること)
→分節をもたない言葉を使って作り出せる文は
最大でもたった三十個にしかならないという研究がある
注:ただし人間の言葉も動物の言葉もどちらも「記号」であり、
「恣意性」もある点では同じ
<Q6チンパンジーやイルカもコトバを使うの?>
○生成文法の目標=普遍文法を見つけ出すこと
「普遍文法」=人が生まれながらにして脳の中に組み込まれている言語の本質
(チョムスキーが存在すると主張)
→初めから文法規則の根本原理が頭の中に入っているから
少しぐらい間違った情報が混ざっていても
幼児は短期間のうちに正しい文法規則をおぼえていけると考える
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>
○単語の意味が抽象的=言葉の一番大切な性質のひとつ
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>
☆モノや事柄を個別的ではなく共通の特徴をもった集合としてとらえる能力こそが
人間に先天的に備わった言葉を覚えるための能力で、
文法的規則などは言葉を覚えていく段階で身につけていくものではないか
と著者は現在考えている
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>
☆言葉がいつどのように生まれたか=「言語起源論」
→言葉も一種の社会規範なので社会全体に広げるためには、
何らかの権威が関わったのだろうと著者は予想
<Q8コトバはいつどうやって生まれたの?>
○「ピジン」=異なった言語を話す人々が通商などの目的で
自分たちの母語ではない言語をもとにして、
自分たちの母語の単語などを入れてつくった言語
→ピジンが発展してその人たちの母語となったものは「クレオル」
<Q11日本語はどこから来たの?>
☆定冠詞と不定冠詞の違い
・「定」=文脈で与えられた範囲の中で、他のモノとは違う
どれか特定のモノを示すことが「聞き手」にも分かること
・「不定」=文脈で与えられた範囲の中で、名詞が指しているものが
「聞き手」にとってはどれでもよいこと
→重要なのは名詞の指すものを聞き手が具体的に知っているかどうかではなく、
聞き手がそれについて同じ名詞が指すことができる他のモノとは
質的に違うのだということを、文脈から判定することができるかどうか
また、定と不定という性質は文中の名詞の指すモノが、
ある範囲のモノの中の「全体」なのか「部分」なのかを表すものでもある
<Q18英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?>
○言語学は本質的にいい加減な「言葉」という対象の中にある規則性を、
できる限り客観的な方法を用いて発見していこうとする学問
<本格的に言語学に挑戦したい人のために>
2002 12/21
言語学
まろまろヒット率3
歴史上の人物の評価を見ていて、いつからかはわからないけど、
自分でも口にするようになった言葉。
インターンシップと産学協同事業の頃によく口にしていたが、
今年もやっぱり口にしている。
肩の力を抜いていえるようになったらめっけものか(^^)
2002 12/15
はしり書き
「お腹が減った」の意味。
空腹とヘリコプターとの間に類似性や相関関係があるわけではまったくなく、
単に口にしたときの響きだけで構成されている言葉。
普段らぶナベはダジャレを好まないが、この言葉だけは語感の良さから口にしている。
コツは恥ずかしがらず気負いもせず、ごく自然につぶやくとである。
照れや躊躇が少しでもあるときには決して口にしてはいけない、
ある意味で心の強さが求められる言葉である。
類似例:「おなか水天宮(前)」、「おなかグゥ太郎」、「おなかグゥ左衛門」など
歴史に名を残した人に共通するやり方のような気がする。
三国志の曹操のやり方が特にそういう感じを持つ。
振り返ってこのまろまろ読書日記も総容量わずか3.6Mしかない。
(持ち歩いてるUSBメモリー128M、サーバ容量250Mdだから余りまくり(^^;)
このコンパクトなHPを仕事にも勉強にも、進路にも使っている。
これからもダイナミックに、大きくなったら逆にコンパクトに使ってみよう。
2002 12/8
はしり書き
「人っておもしろいなぁ」といういきなりありふれた感想からはじめると、
理屈を嫌っている人ほど妙に理屈っぽかったり、
感情論を軽視して理論を重視する人ほど感情的だったりするのを垣間見ることがある。
その中の代表例は、もちろん自分だ(^^)
「そんな理屈で割り切れないのが気持ちや人間関係で・・・」
とか言っているときは変に理屈っぽくなっているし、
「その点を感情論に左右されずに冷静に見ると・・・」
とか言っているときは変に感情的になっていることが多い。
書き残したメモを後で読み返してみると、
一方を否定してもう一方を強調しておきながら、
実は否定している方に無自覚にはまっている自分に気づいて
かなり恥ずかしingな気持ちになることがよくある。
(“出来事メモ“)
面白いことに法律に少しでも関わってみると、
「それは理屈だ」と言って理論では割り切れない心情を重視する意見とよく出会う。
でも、判例を読んでみると感情もひとたび口に出したり考えたりすれば、
それはもう立派な理屈になるということに気づかされる。
(読書日記の”法律関係カテゴリ”)
考えたり話したりするときに理論と感情を分けてスタートすることが多いけど
ホントにそんなにちゃんと分かれるものなのだろうか?
かつては理論と感情の両方のバランスを取るという意味の、
「熱い心と冷たい頭脳」という標語が大好きだったこともある。
でも、心と呼ぼうが頭と呼ぼうが神経科学や認知科学の視点からいえば
そもそも理論も感情もどちらも脳で扱う同じものだ。
(『マインドー認知科学入門』)
もちろんこの二つを分けた方がわかりやすかったり話が早いということはあるだろう。
でも、この二つの差をあくまで「例え」程度にとらえて、
絶対視しないことはけっこう重要かもしれない。
大切なのは「それは理屈だ」と言って考えることから逃げ出さず、
「感情論だ」と言って重要な要素を無視しないことなのだろう。
理論と感情、頭と心、蓋を開ければどちらも同じ。
たとえ違う点はあったとしてもそれは”ちょこっと差異”だけなのかもしれない。
(プッチモニの“ちょこっとLOVE”より)
2002 12/4
まろまろコラム
内定辞退したときにエニックス株を買って以来(出来事メモ1999/3/15)、
株主総会に出席したり株の本を読むきっかけにしたりといろいろ活用させてもらったが、
今回はスクウェアとの合併が発表になった。(新会社名「スクウェア・エニックス」)
スクウェア株も欲しい欲しいと思っていたので買う手間と費用がはぶけた。
思えば買った当時は店頭公開だったのが東証一部上場、
保有株も最低単位株100株から分割を続けて現在は337株になっている。
ITバブルの頃に評価額3倍近くになった時に売るという選択肢もあったが
やっぱり株は10年、20年くらいのスパンで持ち続けるものだなぁっと感銘。
ウォーレンバフェット・プレイだ(^^)
なんだかその企業と一緒に成長しているような気がする。
2002 11/26
出来事メモ
新しい分野の本を読む時はいつも最初は戸惑うけど読み終えると嬉しい、
らぶナベ@旅行をしたときに近い感じです(^^)
さて、その『マインド-認知科学入門』Paul Thagard著&松原仁監訳(共立出版)1999年初版。
初めて読み終えた認知科学本。
院進学を決めたので入学前のこの準備期間(~2003年4月)に今まで触れたことがなかった
認知科学、言語学、社会心理学などの基本入門書を読むことにした。
まずは認知科学の入門書を読もうと思っていたところ、
東大院情報学環の植田一博助教授が入学パンフレットで
この本を薦めていたので買って読んでみた。
内容は「思考は、心の表象とその構造を操作する計算手続きによって最も良く理解される」
っという現在の認知科学の中心的仮説を
「CRUM(Computational-Representational Understanding of Mind)
=心の計算-表象的理解」と名付けて、
この考えを軸に認知科学の代表的なアプローチ=「論理」、「ルール」、
「概念」、「類推」、「イメージ」、「コネクション」を検証する第1部と、
他の分野から寄せられた認知科学への疑問に反論して、
さらにCRUM自体も修正(補足&拡張)する第2部から構成されている。
この本の中で一番興味深かったのは、
一般的に感情と思考は別のものと考えられていて、
感情は冷静な思考にとっては邪魔なものだとする考えについて・・・
そもそも「人間の問題解決はかなり複雑であり、
急速に変化する環境、および多くの社会相互作用の中で、
互いに矛盾する多数の目標を達成しなければならない」
だから「感情はこうした問題解決場面に手短に”評価”(appraisal)を下し、
その後の思考に対して二つの重要な貢献をなす」
「”焦点化”(focus)させ、あなたの限られた認知リソースをその事柄に集中させる」
そして「”行動”(action)の準備となるものを与える」
つまり「感情は人間の思考にとって、単なる付随的で迷惑なものであるわけではなく、
評価や焦点化や行動にかかわる認知的機能を持つものである」
<第9章:感情と意識-CRUMの拡張>
・・・っと批判している点だ。
ただ、読んでみてあらためて感じたことは、
認知科学はまだ生まれたばかりの領域なので
統一的見解が少なくて入門者にとっては少し煩雑な感じがする。
議論の中身も脳神経科学の発展によってかなり変わってくるんじゃないのだろうか。
著者も「認知科学はロックンロールとほぼ同じ年齢である。
両者とも1950年代中頃からいろいろな場所で起こり始めた」
そのために「現時点では認知科学はまだ初期段階にあり、
理論的な多様性は欠点というよりむしろ望まれる特徴である」
だから「統合的で、分野をまたぐ努力が
心の特徴を理解するうえで本質的であり続ける」と述べている。
<第8章:総論と評価-認知科学の功績>
また、科学書だから仕方ないとはいえ、ベタベタな直訳が多いのもどうかと思った。
読み終えてから学部生の頃、認知科学が好きな後輩がいたのを思い出した。
当時はコンピュータオタクっぽくて嫌煙していたが、
こんなことならちゃんと話を聞いて本を紹介してもらうんだった(^^;
以下、その他にチェックした箇所の抽出&要約・・・
○多くの認知科学者は、心における知識は心的表象
(mental representation)を形成していることに同意する。
<第1章:表象と計算-あなたは何を知っている?>
○認知科学では、人間が思考し行動するのに心的表象を操作するための
心的手続き(mental procedure)を持っていると考える.
<第1章:表象と計算-あなたは何を知っている?>
○プラトンはもっとも重要な知識は感覚経験とは関係ない
人間の生まれ持った徳(virtue)のような概念からくると考えた。
デカルトやライプニッツといった他の哲学者は、
知識はただ考え推論(reasoning)することによって得られるとする
合理主義(rationalism)の立場をとった。
これに対してアリストテレスは「すべての人は死すべき運命にある」
(All human are mortal)といった経験から学ばれるルールによって知識を議論し、
ロックやヒュームが支持して経験主義(empiricism)の立場ができた。
カントは人間の知識は感覚経験と心の生得的能力の両方に依存するとして、
合理主義と経験主義両者の統合を試みた。
<第1章:表象と計算-はじまり>
○実験なしの理論は無であるが、理論なしの実験は盲目である。
<第1章:表象と計算-認知科学の方法>
☆認知科学のモデルを理解するためには、理論、モデル、プログラム、
プラットフォームの役割を理解する必要がある。
・認知的「理論」=表象構造の集合とそれらの構造を操作する手続き集合
・計算「モデル」=理論の構造とプロセスをデータ構造とアルゴリズムで構成される
コンピュータプログラムの類推として解釈することで具体的にしたもの
・ソフトウェア「プログラム」=このモデルをテストするためのもの
・ハードウェア「プラットフォーム」=プログラムを走らせる土台
<第1章:表象と計算-理論、モデル、プログラム>
○命題論理と述語論理は、真であるか偽であるかを記述する
表明(assertion)を扱う場合はうまくいが不確実性は扱えない。
<第2章:論理-表象能力>
○確率を扱う計算機システムの開発は難しい。
なぜなら、確率の利用は計算論的な爆発
(モデルの変数や命題の数が増えるにつれて必要とする確率の数が
指数関数的に増加すること)を引き起こすからである。
<第2章:論理-計算能力>
☆論理に基づくシステムにおいては、思考の基本的操作は論理的演繹であるが、
ルールに基づくシステムでは、思考の基本的操作は探索(search)である。
<第3章:ルール-計算能力>
○概念に基づくシステムにおいて非常に効果的に適用できるプロセスは、
継承(inheritance)である
<第4章:概念-計算能力>
☆初心者と熟練者の違いは熟練者がルールを持っているという点にあるが、
教育研究によれば、熟練者は概念やスキーマとして
記述可能な高度に組織化された知識を持っているとされる。
<第4章:概念-応用可能性>
○潜在的に認知科学の教育に対する関係は生物学と医学との関係と同じである。
つまり実際的な治療のための理論的バイアスである。
<第8章:総論と評価-比較評価>
○カオスシステム(chaotic system)では多くの変数における
非常に小さな変化に依存して急激な変化(相転移)を示すため、
系の振る舞いを予測することが大変困難である。
天気を、2、3日より前に予測するのが困難な理由は、
気象学者が2、3日後の天気に影響を及ぼす全ての変数の小さな変化を
すべて観測することができないからである
<第11章:ダイナミックシステムと数学的知識-ダイナミックシステムからの挑戦>
ちなみに著者のHPはこちら→http://cogsci.uwaterloo.ca/
2002 11/21
認知科学
まろまろヒット率3
そろそろ読書日記をDateBase管理&HP更新できるようにしたい、らぶナベです(T_T)
さて、『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』井上真花著(ソシム)2002年初版。
人気HomePageの運営者に対するインタビュー本。
ネットというメディアを考える上で、また一人のHP運営者として、
いろいろと考えるきっかけになるのでこの手の本は最近いくつか読んでるけど、
レイアウトも含めてこの本が一番読みやすいと思う。
各インタビューごとにそのHPの開設時期や維持費が紹介されているのも興味深い。
どうせなら「アクセス数が急に伸びたきっかけ」や、
「HPが軌道に乗ったと思った時期」なんて項目も入れてほしかった。
中でも驚いたのが東京トップレスの運営者へのインタビューだ。
実は僕がインターネットをはじめた時期、1995年に、
大学から買わされたモノクロノートパソコン(PowerBook520)で
テレホーダイになる11時過ぎに14Kbps(遅っ!)で
一生懸命見ていたHPがこの東京トップレスだったからだ(^^;
もう長いこと訪れていなかったのでまだあったんだということもびっくりしたが、
今でも無料で続けているというのにかなり驚いた。
「ここで有料サイトにしたらただの商品になってしまう。
これだけのメディアをただの商品にまで格下げするのは、あまりにもったいない」
・・・っという運営者の言葉にはある意味で清清しい姿勢さえ覚えた。
この本に限らずHP運営者へのインタビュー本はどれも
インターネットというメディアを考える上で格好の素材だとあらためて感じた。
「メディアとしてのインターネット」については
さまざまな場所でさまざまな角度から議論がなされているけど、
その議論の説得性はこうした当事者の生の声を
いかに把握&昇華できるかで決まるような気がする。
以下は、チェックした箇所・・・
○(モデルに風俗嬢が多いことについて)
雑誌はお店にスポットをあてて記事にするけど(略)
お店の女の子として紹介されたって、
あんまり彼女たちにメリットないんですね。
東京トップレス(http://tokyotopless.com/)
○メールマガジンを発行する人は、人を集められる人だと思ったんです。
そういう人を集めれば、人の集まるサイトになるのではないかと。
ゴザンス(http://www.gozans.com/)
○なにを集めるか、そのアンテナこそが、自己表現になっているのだと思います。
TECHSIDE(http://www.iris.dti.ne.jp/~spec/news2/bbsf.html)
○しょせん、クラスの中で2人か3人が「おもしろい」と思うようなものしか、
やっていないんです。でも、クラスの中の2人って場合をインターネットで考えると、
それなりにかなりの人数に、なってしまう訳です。
Webやぎの目(http://www.kt.rim.or.jp/~yhayashi/)
2002 11/19
情報関連、メディア論
まろまろヒット率4
モデルは大切だけど、答えだけじゃなく選択肢さえも最後は自分の中にしかない。
最初から夢や目標が自分の外にあるわけじゃない、自分が夢や目標になるんだ。
眼に見えるルートを選ぶんじゃない、自分の選択がルートになるんだ。
<院進学を選択したときに>
2002 11/11
はしり書き