「人っておもしろいなぁ」といういきなりありふれた感想からはじめると、
理屈を嫌っている人ほど妙に理屈っぽかったり、
感情論を軽視して理論を重視する人ほど感情的だったりするのを垣間見ることがある。
その中の代表例は、もちろん自分だ(^^)
「そんな理屈で割り切れないのが気持ちや人間関係で・・・」
とか言っているときは変に理屈っぽくなっているし、
「その点を感情論に左右されずに冷静に見ると・・・」
とか言っているときは変に感情的になっていることが多い。
書き残したメモを後で読み返してみると、
一方を否定してもう一方を強調しておきながら、
実は否定している方に無自覚にはまっている自分に気づいて
かなり恥ずかしingな気持ちになることがよくある。
(“出来事メモ“)
面白いことに法律に少しでも関わってみると、
「それは理屈だ」と言って理論では割り切れない心情を重視する意見とよく出会う。
でも、判例を読んでみると感情もひとたび口に出したり考えたりすれば、
それはもう立派な理屈になるということに気づかされる。
(読書日記の”法律関係カテゴリ”)
考えたり話したりするときに理論と感情を分けてスタートすることが多いけど
ホントにそんなにちゃんと分かれるものなのだろうか?
かつては理論と感情の両方のバランスを取るという意味の、
「熱い心と冷たい頭脳」という標語が大好きだったこともある。
でも、心と呼ぼうが頭と呼ぼうが神経科学や認知科学の視点からいえば
そもそも理論も感情もどちらも脳で扱う同じものだ。
(『マインドー認知科学入門』)
もちろんこの二つを分けた方がわかりやすかったり話が早いということはあるだろう。
でも、この二つの差をあくまで「例え」程度にとらえて、
絶対視しないことはけっこう重要かもしれない。
大切なのは「それは理屈だ」と言って考えることから逃げ出さず、
「感情論だ」と言って重要な要素を無視しないことなのだろう。
理論と感情、頭と心、蓋を開ければどちらも同じ。
たとえ違う点はあったとしてもそれは”ちょこっと差異”だけなのかもしれない。
(プッチモニの“ちょこっとLOVE”より)
2002 12/4
まろまろコラム