南禅寺 順正の「湯豆腐」(ゆどうふ)


龍安寺の西源院と共に京都を代表する湯豆腐のお店、南禅寺順正で湯豆腐をいただく。湯豆腐と言っても決して煮立たず、温めていただくスタイルになっている。食べてみると絹ごし豆腐とも木綿とも豆腐と違うお豆腐で確かにお出汁とよく合う。お話をお聞きすると一応、木綿豆腐らしいけれど、ちょうど木綿と絹ごしの中間のような味わい。
ちなみにこのお店は天保10年(1839年)に建築された順正書院を改築して使用していることでも知られている。
京都・南禅寺門前の「南禅寺 順正(なんぜんじ・じゅんせい)」にて。

『南禅寺』(名所旧跡)

京都の東山にある臨済宗南禅寺派の大本山
正式名称は山号は瑞龍山・太平興国南禅禅寺。
亀山天皇によって建立され、五山文化の中心的な役割を果たしたお寺。

建造物としての見所は方丈と琵琶湖の水を引いたローマ水道のような水路閣。
季節ものとしては紅葉が有名だけど、高台寺と同じく酸性雨と温暖化の影響があるのが残念なところ。

写真は三門(山門)から法道に続く参道を見たもの。

2007 11/25
もろもろ鑑賞、名所旧跡
まろまろヒット率3

『高台寺』(名所旧跡)

京都の八坂神社と清水寺との間(東山)にある臨済宗のお寺。
豊臣秀吉の妻、北政所(おね、ねね)が建立したお寺で、正式名称は鷲峰山・高台寿聖禅寺。

ちょうど北政所が重要な役割を果たす『関ヶ原』『豊臣家の人々』『城壁』など読んだところだったので、
彼女が大阪城の焼失を実際にその目で確かめたという時雨亭(茶室)は感慨深いものがあった。
(当時からの遺物としては枯れ井戸が残っている)

現在は紅葉とライトアップが有名なお寺だけど、酸性雨と温暖化の影響で真っ赤に染まることは少なくなりつつあるらしいのが残念。
写真は臥龍池から紅葉につつまれた開山堂を見たもの。

2007 11/25
もろもろ鑑賞、名所旧跡
まろまろヒット率3

『八坂神社』(名所旧跡)

京都の祇園にある素戔嗚尊(スサノオ)を祭る総本社の神社。
祇園祭りの主催でもあるので、祇園の象徴的な存在。
お参りしてみると都会の真ん中にあるということもあって、建物や敷地自体は感じるものは少なかった。
あくまでもお祭などのイベントの会場としての機能性に注目した神社。

2007 11/25
もろもろ鑑賞、名所旧跡
まろまろヒット率2

Salon de the Alcyon(サロン・ド・テ・アルション)の「アニス・ショコラ」

まろみあんの人が大阪にやってきたので、大阪でも屈指のケーキと紅茶のお店「アルション」に案内する。
こちらのケーキは総じて洋酒がピリっと利いた大人なケーキばかり。このチョコレートケーキのアニス・ショコラもアニスの風味はもちろん、リキュールのフレイバーがしっかりと利いている。チョコレート、アニス、リキュールの三連奏が上質な味わいをもたらす一品。
ちなみにこのお店はクレープ専門店も別にあるとのこと。
大阪・難波(なんば)、道頓堀の「Salon de the Alcyon(サロン・ド・テ・アルション)」法善寺店にて。

司馬遼太郎 『人間というもの』 PHP研究所 1998

まろまろ@ほとぼりがさめつつあるので(w石原さんとの対話記出来事メモにアップしました。

さて、『人間というもの』司馬遼太郎著(PHP研究所)1998。

司馬遼太郎の作品の中から名言、格言と思われるものをテーマにそって抜き出した名言集。
手に取ってみると昔読んだ作品でも忘れている一節もあったし、その一節のためにこれから読みたいと思うものもあった。

中でも心に響いたのが、「陰気な舞手は(略)たとえたくみに舞ってもひとびとはその巧みさよりもその欠点に目がゆく。
逆に陽気な舞手ならば、(略)少々下手に舞っても、観衆はその陽気にまどわされ、つい欠点に目がゆかず、長所にのみ目がゆく」
『新史 太閤記』
→これは以前、『新史 太閤記』を読んだ時にもメモをした一節。
確かに暗くやれば小さな欠点でも目立つけど、明るくやれば欠点も愛嬌になるというのは真実だとあらためて感じた。

そして、「わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである」
『菜の花の沖』
→今年はわけ知りの人たちと多く会う機会があったけど、確かにわけ知りの人が何か新しいものをつくったのを見たことがない。

また、「歴史上の人物で宣伝機関をもっていたひとが高名になる。
義経は『義経記』をもち、楠木正成は『太平記』をもち、豊臣秀吉は『太閤記』をもつことによって、後世のひとびとの口に膾炙した」
『坂の上の雲』
→著者の言う宣伝機関とは物語のことだけど、物語として後世に語られる人物が影響を残せるんだろう。

他にも、「人は、その才質や技能というほんのわずかな突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう」
『ある運命について』

「世の中が変化すれば、変化したそのときを境にそれ以前を昔というのだ。歳月ではない」
『城塞』

「人間、思いあがらずになにができましょうか。
美人はわが身が美しいと思いあがっておればこそ、より美しくみえ、また美しさを増すものでござりまする。
才ある者は思いあがってこそ、十の力を十二にも発揮することができ、
膂力ある者はわが力優れりと思えばこそ、肚の底から力がわきあがってくるものでございます」
『国盗り物語』

・・・などが胸に響いた。

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2007 11/21
名言集
まろまろヒット率3

自分の悪いところばかり似ると言う人は指導者として失格

「自分の悪いところばかり似る」と言う人は指導者として失格だ。
それは悪いところしか表に出ていないということだし、もしかしたら良いところなど無いのかもしれない。

何よりも自分が態度や行動で伝えられない指導力の低さを、下の人間のせいにするという姿勢にこそ問題がある。
このセリフを口にする人は誰かを導くことはできないだろう。

2007 11/21
はしり書き

国際通貨研究所 『外国為替の知識 』 日本経済新聞出版社 2007

まろまろ@趣味は健康と長寿なので126歳まで生きようと思っています(^_-)

さて、そんな『外国為替の知識 < 第2版>』国際通貨研究所編(日本経済新聞出版社)2007。

日経文庫シリーズの外国為替の基本的な解説書。
為替の知識は普段から市況や経済ニュースで触れているものだけど、漏れや誤解があるといけないし、
前に読んだ『為替がわかれば世界がわかる』が中立的では無かったので、
教科書的な手堅い本を読んで自分の知識を体系化させようと手に取った一冊。
ちょうど今年、大幅に改版したという鮮度も選んだ理由の一つになった。

内容は知識の体系化のために読んだこともあって、特に目新しいと思うことは無かった。
ただ、購買力平価説は単純過ぎる欠点はあっても長期的な分析では欠かせないことや、
チャート分析は相場が新しい展開をする時はあまり意味がないというのは、
忘れがちになりやすいけれど重要な点だとあらめて思った。

また、世界最大の外国為替市場は今もぶっちぎりでロンドン市場だけど、その理由の一つにロンドン市場の取引時間が・・・
・アジア・中近東の金融市場の遅い時間
・ヨーロッパの金融市場と同じ時間
・ニューヨーク市場の早い時間
・・・とそれぞれ重なっているという地理的な要因を指摘しているのは面白かった。

他にも、COFFEE BREAK(コラム)で紹介されていた”A trend is a friend.”という格言は語呂が良くて気に入った。
本当にそうなれれば理想だけど(^^;

読んでみてあらためて思ったのは、外国為替はとにかく複雑な取引や計算が多い。
グローバル化が進む現在の世界経済の結晶が為替市場と言えるけど、
そもそもEUROのように統一通貨があればそんな面倒なことはしなくていい。
歴史的な視点に立てば、20世紀初頭の現在は世界の市場が統合に向かって緊密化する過渡期であるとも言える。
僕は126歳まで生きるつもりだけど、生きている間に世界統一通貨&市場を見ることになるのか、それとも別のシナリオを見るのか。
また長生きの楽しみが一つできた(^_-)

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2007 11/20
経済、投資
まろまろヒット率3

Boulangerie IENA(ブーランジェリー・イエナ)の「クリームパン」

谷六にあるパンが美味しいと評判のお店をおとずれる。谷町筋の大通り沿いにあるのに小さなお店で思わず見落としてしまった(^^;
でも、入ってみるとお客さんがいっぱい。名物というクリームパンをいただいてみると、クリームがぎっしり。「くずれやすいのでヘラでお取りください」と注意書きにあるように、トングではなくヘラを使う必要があるほどクリームがパンのギリギリまで詰め込まれる。味も濃厚で、まさにスイーツな一品。
大阪・谷町六丁目の「Boulangerie IENA(ブーランジェリー・イエナ)」にて購入。

司馬遼太郎 『城塞』 新潮社 1994(新装改訂版)

まろまろ@堂島ロール初体験です。

さて、『城塞』司馬遼太郎著(新潮社)1994(新装改訂版)。

関ヶ原の戦い後、天下を取った徳川家康は大阪城に残る淀君と豊臣秀頼の排除を目論む。
外交と謀略を使って大阪城方を追い込んでいくのだが・・・

大阪冬の陣と夏の陣をクライマックスに、それまでの政略過程も詳細にえがく長編歴史小説。
この本は1971年初版の全三巻を、上下二段組み861ページの一冊に新装改訂したもの。

『関ヶ原』の続編的な位置を占める作品なので読んでみたけれど、まず繰り返しの記述が多いことが気になった。
繰り返しは司馬作品の特徴で、それが魅力の一つだけど、この作品に関しては枚数かせぎかと思うほどくどく感じられた。

そう感じが原因の一つには徳川家康が徹底的に悪役としてえがかれていて、その政治性の高さに陰険な印象を受けるからだろう。
でも、だからといって徳川方と対する大阪城方も迷走するばかりで、どちらも感情移入できずもやもやしたものが残った。

思うに、この作品から感じるこうしたもやもや感や割り切れない感覚こそが、大阪の陣の表現でもあるのだろう。
戦国時代から続いた動乱の時代が正式に終わったことは、自立した英雄たちよりも小物タイプが生き残る時代でもある。
そういう時代がはじまったんだという著者なりの歴史の視点が折り込まれていると感じた作品。

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2007 11/17
歴史小説
まろまろヒット率3