司馬遼太郎 『関ヶ原』 新潮社 上中下巻 1974(改版)

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さてさて、『関ヶ原』司馬遼太郎著(新潮社)上中下巻1974(改版)。

関ヶ原の戦いの主役である石田三成(豊臣方)と徳川家康(徳川方)の二人を中心にして、
天下分け目の戦いに関わるさまざまな群像劇をえがいた歴史小説。

読んでみると、石田三成と徳川家康のつばぜり合いの中で、後先考えない追随や日和見、および腰など、
確たる思想も政略もなく付和雷同する大名たちの悲喜劇こもごもが表現されている。

ただ、物語としては淡々としていて大きな盛り上がりに欠けるように思えた。
ひとつは関ヶ原の戦いは戦闘よりもそれに到るまでの政治劇の側面が強いということ、
そしてもう一つは司馬作品の中で重要な位置を占める「愛嬌」の要素が少ないからだろう。
石田三成も徳川家康も愛嬌のある人間ではないという風にえがかれているので、
著者が一番得意とする「愛嬌」の部分に注目する機会が少なかったのだろうと感じた。

そんな中でも、第三勢力を目指して九州で策動した黒田如水が印象深い。
特に物語の終盤で、彼が「義・不義は事をおこす名目にはなっても、世を動かす原理にはならない」と述懐するのが印象深かった。
この義の部分をモラルや夢、平等などに置き換えても通じるだろう。
綺麗な言葉は事をおこす名目になっても、世を動かす原理にはならないのかもしれない。

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2007 7/21
歴史小説
まろまろヒット率3