シュテファン・ツヴァイク、高橋禎二・秋山英夫訳 『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像』 岩波書店 1979

らぶナベ@最近忙しくて同じ系統の本しか読めていないんだけど、
「まあ、いざというときは新しい何かじゃなくて
今までやってきたモノが活きてくるもんだろう」と開き直っています(^^;

さてさて、そこで『ジョゼフ・フーシェ~ある政治的人間の肖像~』
シュテファン・ツヴァイク著(高橋禎二、秋山英夫訳)岩波書店を
読んだです。
この本は政治家の伝記小説においては古典的な一冊っす。
司馬遼太郎が「ツヴァイクのように運命の一瞬をとらえる小説家になりたい」
と言っていたり、ヨーロッパの歴史小説家の書いたモノに引用としてよく
出てくるツヴァイクの代表作で僕がけっこう好きな
『小説吉田学校』などの中でも「小説として政治を取り上げるのは難しい。
唯一成功したのはツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』だ・・」
という記述があったりもするという前々から興味をそそられた本っす。
ちょうどさとまんが「やっぱり政治家っていうのはフーシェやで」と
言っていたので彼から借りて読んでみたです。

読んでみると・・・おもろい!!めちゃめちゃ読ませるっすよ!
彼はわりとマイナー系の歴史人物なのでまず説明をすると、
フランス革命初期から国民公会選出の政治家として
ジャコバン派による恐怖政治、反動政治、総裁政治、ナポレオンによる帝政、
その失脚による王政復古時代とめまぐるしく価値観や状況が変わっていく中で
裏切りと転換、策謀を持って権力の中を泳ぎ切り、
強大な警察機構を握ってどんな支配者に対しても
一定の発言力と影響力を持ち続けた人物っす。
主義主張はあくまで生きていく上の方便と割り切っている人間で
リヨンで王政派を虐殺し教会をぶっつぶしたと思えば王政時代には徹底して
教会を保護、逆に革命派をその警察権で大弾圧したりもしているっす。

典型的な暗躍型の政治家なのでわかりやすい見せ場とかは少なくて
紹介しずらいんだけど、基本的に人前にあまり出ることはなく
この時代特有の華々しい演説や前線指揮などはほとんどしなくて
いっつも自室でたんたんと事務処理をしながら情報を集めて相手の弱みを握り
少しずつ権力を握っていくといういわばいやらしい人間っす。
何度か失脚も経験しているし命の危機にもさらされているんすよ。
特にロベスピエールを中心にして人を殺しまくった
ジャコバン恐怖政治時代にはあと一歩で彼自身も
ギロチンにかけられるところだったんだけど
フーシェは逃げに逃げて、いろんなところに隠れながら画策し
逆にクーデターでロベスピエールをギロチンにかけるんす。
これが世界史でお馴染みのテルミドールの反動(懐かしいねぇ)。
それから一時失脚してすっごい貧乏を経験するんだけど
バラー(総裁時代をリードした政治家)に汚れ役の下っ端として使われつつ
富を蓄え、最後はバラーをナポレオンと共に追放してオトラント公爵の
称号を得るだけでなくフランスで二番目の資産家にまで登りつめるっす。
またナポレオン帝政時代も警務大臣として絶大な権力を握るんだけど
またもご主人であるナポレオンを裏切ってけ落とすんです。
ここまで徹底していやらしく生きているのを見ると
ある種すがすがしいものを感じてしまったっすよ(^^)
ちなみに僕としては彼と同時代、同じような政治的スタンスを
持ちながらもユーモアと明るさを持ち続けたタレーランの方が
個人としては好きなタイプです。
タレーランについての小説とかは無いのかな?

ちなみに記述の方ではフーシェのしたたかさや駆け引きの描き方は
特徴あるなあって気がしていたんだけど、
後書きでツヴァイクはロマン・ロランの影響を受けているという
記述を見て納得したっす。
いやらしい駆け引き、したたかな生き方、どろどろした世界を
泳ぎ切る人物が見たい人にはお勧めの一冊っす(^^)

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1998 6/30
小説、歴史、政治
まろまろヒット率5

司馬遼太郎 『花神』 新潮社 上中下巻 1976

倒幕軍総司令官で日本陸軍の基礎を創った大村益次郎(ちなみに海軍の父と
呼ばれているのは『坂の上の雲』で過大評価されていると噂の山本権兵衛)
の生涯を書いた一冊。
面白いのは元々彼は軍事の専門家ではなく村の医者だということ。
生涯の半分以上を(暗殺されるんで短い人生なんだけど)村医者、
蘭学者として平凡にすごし、急に一躍して歴史の表舞台に立つんだけど
熱い意気込みとか思想とか気負いとかいうものが
ほとんど無かったのが興味深い。
彼の周りや状況はまさに激動そのものなんだけど
彼自身は本当に淡々として生き続けていた。
司馬遼太郎はこの本の中で「激動の時代の技術者」をえがこうとしたらしいが
まさに大村益次郎はその技術者そのもの。
医師、蘭学者、軍人という一見何の関連性も無い職業も大村が持っていた
西洋技術(外人大嫌いだったが)にとっては一貫性のあったもので
騒ぎ立てるような転身とは自分自身思っていなかった。

しかしこの小説は以前大河ドラマになったらしいけど
主演は誰だったのだろうか?
演じるにはとても難しい役どころだろうと思う。

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1998 6/10
小説、歴史
まろまろヒット率4

アンリ・トロワイヤ、工藤庸子訳 『大帝ピョートル』 中央公論新社 1981

そんなこんなの合間に『大帝ピョートル』アンリ・トロワイヤ著、
工藤庸子訳(中央公論新社)を読んだです(何か選書が暇人みたいやな(^^;)
古本屋で見つけたピョートル1世モノ(みんな世界史覚えているかい?)。
昔から僕はピョートル大帝に好感を持っていて、
特にのピョートルの人生を取り上げたロシア・アメリカ合作大河ドラマが
好きだったので思わず購入した一冊。
著者は『女帝エカテリーナ』で有名な人。
読んでみると、服装や食事風景、女関係などピョートルの
日常生活での悪い面、がさつな面ばかりを強調して
肝心の政治的先見性、軍事的指導力に対する記述がすごく少なかった。
特に残念だったのが彼のライバルであるスウェーデン王カール12世
(カッコ良いんだこれがまた)との北方戦争での対決場面も
あまり詳しくは書かれていなかった。
ううんっ!ここは彼自身が身分を隠して留学したヨーロッパ使節団と同じく
彼の人生の中で一番の見せ場の一つなのにぃい!
全体的に著者の視点がゴシップ的で表層的なことを感じだ。
これは著者が女で『女帝エカテリーナ』でゴシップ的な記述で成功したから?

ちなみに現在の世界史ではエカテリーナじゃなくてロシア現地語風に
エカチェリーナって表記されているっす。
・・・こっちの方が何か響きが良いよね?
確か高校の時にロシア史の中で「やったりーなエカチェリーナ」と
覚える事象があったんだけど今思い出せない(^^;

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1998 5/26
歴史
まろまろヒット率3

エニックス内定

エニックス社プロデューサー職に内定決定。
内定が300倍以上の難関とはうれしいものだ。
実はエニックスの筆記試験(東京)は産学協同事業のプレゼン(京都)と
微妙に被ってしまったので途中退席している。
(代表者がプレゼンの場にいないなんて無理)
退席の事情は説明したものの、たぶん落ちただろうと思っていたのに、
面接に進めるなんて理解ある企業だと思っていたのでそういう意味でも嬉しい。

これで産学協同事業体の主力4回生はすべてどこかしらから
内定をもらっていることになっている。
前々から僕や担当教官が言い続けてきた就職活動と
このインターンシップ 産学協同事業化プロジェクトは
同じカテゴリーにあるものだという認識に対して強い後押しになる。
そこまでは一亥に言えなくても、就職活動を理由に辞めていった人間も多い中で
「吉本興業インターンシッププロジェクトと就職活動は両立できる」ということの証明にはなった(^^)
それがなによりうれしい。(詳しくは『就職戦線日記』参照)

1998 5/25
出来事メモ、進路関係

故事ことわざ研究会 『名言名文句辞典』 アロー出版社 1979

まえぷーの家に泊まったときに発見し、題名に惹かれて借りて読んだ本。
読んでみると引用する人物が偏っている(欧米、日本、中国がほとんど)
上に解説にやすっぽい教条主義的センスが感じられた。
また、女性蔑視的な記述も多かった。これは教授の「政策マン」という記述、
発言をあえて「政策パーソン」と置き換えるフェミニストな僕としては気になった(^_^)
また、名言の選出自体も「なんやそれ?」というものがあった。
例えば恋愛についての項でヴィクトル・ユゴーの名言
「恋愛とは、その二人が一体となることであり、一人の男と一人の女とが
一人の天使となって融け合うことである。それは天国である。」
・・・何言うとんねん。

○天才とは勤勉の結果のみ(ハミルトン)

○習慣は第二の天性となり、天性に十倍する力を有する(エリントン)

○天才とは異常なる忍耐者をいう(トルストイ)

○天才ってのは、自分を信じることなんだ(ゴーリキー)

○恐怖の魅力に酔いうる者は強者のみ(ボードレール)

○真の勇気とは全世界を前にしてなおなし得ることを、
目撃者なしにやってのけることにほかならぬ(ラ・ロシュフーコー)

○思慮分別は最上の勇気である(フレッチャー)

○勇断なき人は事を為すこと能はず(島津斉彬)

○其の人を識らざれば其の友を視よ(司馬遷)

○恋は結婚よりもおもしろい。小説は歴史よりもおもしろいからだ(カーライル)

○絶望とは愚者の結論である(ディズレーリ)

○酒と女を愛さぬものは、一生の間ばかのまま(ルター)

○われ三日、書を読まざれば、まつげ暗し(王安石)

○鎖につながれて正しく歩くよりも、自由のうちに誤って歩むほうが人間にとってはましである(ハックスリー)

1998 5/5
名言集
まろまろヒット率3

司馬遼太郎 『新史 太閤記』 新潮社 上下巻 1973

らぶナベ@陽子の陽は太陽の陽(誰も知らないかな?(^^))

『新史 太閤記』を読んだです。
もともと僕は豊臣秀吉のことが嫌いではないんだけど、
(後半の失敗が無ければなおのこと良い)
彼自身の政治的、軍事的活動についてあんまり詳しくは知らないので
史実に基づいた信頼の置ける記述を一度読んでみたいと前から思っていたので
就職活動の合間に思わず読んだ一冊。

内容の方は秀吉の商人的感性、思考法に注目して彼の人生をえがいている。
仕事上で実績をあげること、信頼を勝ち得ること、俸禄をもらうこと
これらのすべてをあくまで投機の「もとで」とみなし、
1を10に20を40にどんどん肥大させていく姿勢はまさに商人そのもの。
(この意味で家康は土着農民と例えているがまさにその通りだと思う)
そのヴェンチャー精神が彼自身を明るく華やかな存在にし、
彼の人生はこの投機精神に満ちあふれていた。
そう記述しながらこの本は徳川家康との外交に勝利して
家康が上洛するところで終わっている。
その投機感覚によって実行し破綻した朝鮮侵略についての記述が
書かれて無かったのがかなりがっかりした。
登場人物を愛するあまり彼自身の良い側面ばかりを取り上げたがるのは
司馬遼太郎の良さでもあるがこの場合僕にとっては不十分の感はあった。
彼の投機的人生の結末を最後までえがいて欲しかった。
ちなみに豊臣政権が続いていれば日本はいまごろになって
自由化、流動化くらいでいちいち騒ぐことにはならなかったのでは
と思ったりもした。
最後のところで彼の辞世の句が書かれていた・・・
「露と置き露と消えぬるわが身かな
        浪華のことは夢のまた夢」
・・・ホントに彼らしい詩だなあと感じる(^^)

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1998 5/3
歴史、小説
まろまろヒット率3

朝日新聞最終面接(事実上の就職活動スタート)

採用枠の少ない記者職ではなく採用枠の大きい営業職で受けた。
最終までいったけれど、最後は「本当に営業職がやりたいの?」っと質問された。
そのときはもちろん「やりやいですよ!」っと言ったが落ちていた。
とんでもない後悔だ。
どうせ駄目なら自分がやりたいと思う記者職で受けていればよかった。
なんとなく朝日新聞は大きい会社だからとか、
自分の実力では少数枠は駄目だろうとか勝手に決めつけていた。
これでは本末転倒で結局それで落ちたなら、
何が悪かったのかというフィードバックさえできない。
これからは間違っていても合っていても
自分が「こうだ」と思うことを堂々と話していこう。

幕末の新撰組は自分の得意技しか練習しなかった。
実戦では「この技が通用しないときは死ぬときだ」と思って戦ったという。
「これが通用しなければ駄目だな」と思えるものを持っていないと駄目なのだろう。
  ↑
このことが就職活動を見直すきっかけとなり、
結局は商社、銀行、コンテンツ会社の三つの内定を取ることになる。
後にその体験は就職エッセイとしてまとめる。

1998 4/24
出来事メモ、進路関係

大学で始めての講師を勤める

一回生、編入生必修の政策科学入門でのインターンシップについての 講師を勤める。
基本的に入ってまだ2週間の新入生に対して 「政策科学部生にとってインターンシップの意義」を語るのは (T教授の要請)かなりしんどかった(^^;
その上に角田ゼミ、渡ゼミによるプレゼンをすると
きにMacからの 出力の調子が悪く、僕が急に一番最初になってしまったこともあり、
かなり脈絡無いことも言ってしまったかなと反省。
しかし後から問い合わせや質問が来て、T教授からもオッケーサインをもらったのでまずまずの結果としよう。

1998 4/17
出来事メモ

第一種普通免許取得

97年7月後半から実に8ヶ月精神的、時間的に拘束していた教習からも解放された!
一時期は取得もあやぶまれたが、けっきょく試験という試験は不敗だった。
これが勝負強さというものか?(^o^)

1998 3/27
出来事メモ

佐々淳行 『完本 危機管理のノウハウ』 文藝春秋 1991

去年の12月に藤江から「結構おもろいでぇ~」ということで借りた本。
この著者については時々雑誌とかでもコメントが載ってたりするので
知っていたのだが、彼の著作を読むのは始めて。
(だって表層的なイメージがあるもん(^^))
もともと3冊分の本を一冊にまとめたのものなので分量自体は多いのだが、
一項一項は短く構成されている。
だいたい一日につき一項、三ヶ月以上かけて少しづつ読み終えた。
それだけ長いこと読み続けたものだが、もっとも印象に残っているのは
ごく最初の方に述べられていた「危機管理は損な仕事」というところだ。
危機管理とは何も無くて当たり前、害は0にして当然で、
もし万が一何かあれば囂々たる非難を受ける仕事だからだ。
これは危機管理が「一利を出すことよりも一害を取り除くことが仕事」
(大久保利通の口癖)と言われる政治の領域に属しているんだということを
強く感じさせられることだ。
だいぶ飛躍するようだがゴールキーパーのつらさに似ている
・・・でもかっこいいぞ川口!(笑)
事例として香港暴動をちょっと多用し過ぎた点とあまりに自己の体験を
事例として使い過ぎていて「ほんまにそうなんかい!」と思えた面が
少し気にはなった。
しかし僕がよく知らなかった歴史的事例、特に1960年代の事件を
事例として詳しく述べているのは新鮮だった。
またフィンランド戦争時のマンネルハイム元帥の指導の下に展開された
フィンランドの戦術的、戦略的勇戦は僕が今後戦史の研究をする上での
チェックリストに入れる価値があるのだろう。

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1998 3/22
危機管理、問題対処
まろまろヒット率3