童門冬二 『小説 上杉鷹山』 学陽書房 上下巻 1983

僕は上杉鷹山というと・・・
・「なせばなる、なさねばならぬ何事も」と言った人
・かつてJ.K.ケネディが「最も尊敬する日本人」として引用した人
・江戸時代の殿様
・最近、企業家、トップマネイジメントが良く口に出す
・・・くらいしか知らなかったんです。(をいをい(^^;)
とにかく「名言を残して国内よりも海外で評価の高い人」という風くらいしか
認識していなかったので彼の人生や生き方にすっごく感動しましたよ!

九州の小さい大名家から15万石の米沢藩の藩主のところに養子に来たときに
鷹山を待っていたものは、藩のとてつもない借金と形骸化した官僚機構、
破綻した財政に農民の逃亡により荒廃した土地。
何より上杉鷹山が嘆いたのは、生きるということに肯定的ではなく
完全にやる気、精気を失った農村や町の人々。
子どもが生めなくて知恵遅れという当時としては致命的な
身体障害者の妻を持ち、養子と言うことで自分の支持基盤がほとんどなく
重役クラスの人間から事あるごとに強力に反発されるという
絶望的な状況の中で「燃え尽きた灰でも残り火で火は広げれる」、
「なせばなる、なさねばならぬ何事も」と言いながら
ねばり強く改革を進めていく様子は涙しますよ。(^^;
注目すべきは鷹山がお殿さまだからと言って、
自分に逆らう人間を安易に左遷や打ち首にしなかったということです。
しなかったというよりは、実は鷹山の支持基盤がとても弱かったので
そんなことは出来なかったんですが(笑)
じっくりとねばり強く、少しづつでも意識改革を進めていこうとしました。
「強制とは一時のものだ。本当に納得されなくては政策の実現は不可能」
とする鷹山の政策観には感銘を受けます。
いわば彼の改革のメインは農民から上級武士にいたるまでの
意識改革であったわけです。
意識改革を進めるときの彼のやり方、姿勢は「改革」というものには
何が重要かということを表していると思えます。

ただ、読み物としては後半文体の調子が変わったり
「おいおい、あいつはどうなってん?」と思うところがあったりしますが
リーダーとしての彼のすばらしいが伝わってきます。
実を言うと僕は彼の生き方にはとても感動しますが
彼のように生きたいとは思いません。(笑)
それでもやはり尊敬に値する政策決定者であることは変わりないと思います。
それゆえに多くの参考になるところがあるのではないでしょうか?
特に「いかにして反発する人に政策を認めさせるか?」ということを
研究している合意形成好きな人などには
すごく参考になるのではないでしょうか?
まあ、感動を受けるというだけでも読んで見る価値はあると思います(^^)

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1996 8/11
小説、歴史
まろまろヒット率5

中村彰彦 『名君 保科正之―歴史の群像』 文藝春秋 1996

「豊臣秀吉、徳川家康をめぐる人々」、「名君 保科正之とその末裔たち」、
「幕末、明治の群像」の三部構成。
人物ごとのショートストーリーで成り立っていて読みやすかったが
いまいち物足りなかった。

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1996 7/24
小説、歴史
まろまろヒット率2

宮本憲一 『環境政策の国際化』 実教出版 1995

講義「公共政策論」のテスト用のテキスト。
『環境と開発』とだいたい同じ内容だがこっちのほうがより具体的、専門的。
わかりやすく環境政策の有効性、問題点が解説されていてなかなか面白い。
「第6章:エコロジカル税制改革への道」、
「終章:維持可能な社会(Sustainable Society)をもとめて」が面白い。

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1996 7/23
環境学、政策学
まろまろヒット率3

佐藤卓己 『大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーへのメディア史』 弘文堂 1992

政策科学部講義「メディアと参加」テキスト。
ドイツのラサールの社会主義宣伝からヒトラーのファシズム宣伝までの
メディア史。
社会主義者のメディア戦術とファシストのメディア戦術は同じベクトルにあると書いている。
キーワードは活字中心の「市民的公共圏」に対して如何に「労働者的公共圏」(ラサール)、
「国民的公共圏」(ヒトラー)に移行していったかを書いている。
ううん、いまいち盛り上がりに書けるというか文章力が足りない気がする。

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1996 7/22 
情報関連、歴史、社会学、メディア論
まろまろヒット率3

岡倉覚三(天心) 『茶の本』 岩波書店 1961

The Book of Tea”として出版されたものの日本語翻訳版。
茶道や華道の本質的精神とは何かということを海外に紹介した作品。
そのため、まったく茶道や華道、日本美術に造詣がない僕にとってもとて
もわかりやすく日本文化に存在している特徴、精神を書いている。
多くの参考になる言い回しがある、

例えば・・・
「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基ずく一種の儀式」

「茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある」

「いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようというやさしい企てであるから」

「おのれに存する偉大なるものの小を感じることのできない人は、
他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである」

「茶道は美を見いださんがために美を隠す実であり、
現すことをはばかるようなものをほのめかす術である」

「この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑う
気高い奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑みである」

「物のつりあいを保って、おのれの地歩を失わずに他人に譲ることが
浮世芝居の成功の秘訣である」(合気道だ!)

「四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行う
ーこういうのがすなわち茶の湯の目的であった」(合気道だ!)

「茶道は道教の仮の姿であった」

「真の美はただ『不完全』を心の中に完成する人によってのみ見いだされる」

「何ゆえに死を生のごとく喜び迎えないのであるか。
この二者はただお互いに相対しているものであって、
梵(ブラフマン)の昼と夜である」

「われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、
水平線上に浮かぶ雲にことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、
永遠に向かって押し寄せる波涛のうねりの中に、喜びと美しさが存している。
何ゆえにその心をくまないのであるか、また列子のごとく風そのものに
御しないのであるか」

「美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる」
など、また面白い例として丹霞和尚がとても寒い日に仏像を焼いて
寒さをしのごうとして「わしは仏様を焼いて、お前さんたちの
ありがたがっているお舎利を取るのだ。」、「木仏の頭から
お舎利なんて出てたまるものですか。」「もし、お舎利のでない仏様なら、
何ももったいないことはないではないか。」

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1996 7/9
文化論、文学、哲学、美学
まろまろヒット率5

グラハム・ハンコック、大地舜訳 『神々の指紋』 翔泳社 1996

らぶらぶナベ@みなさんおひさしぶりです
最近全然KKKメールが来ないのでさみしかったですが
今日はもう、ぜひぜひぜひぜひお知らせしたいものがっ!!
実はグラハム・ハンコックの『神々の指紋』って本を読みました。
今、かなり売れていて近くの書店にも並んでいると思いますが
これがすごいっす!
単なる学術書的なドキュメンタリーじゃないっすよお!!

世界中に散らばっている神話や遺跡の共通点、類似性を科学的に
アプローチして今まであやしげな(笑)人たちでしか扱ってこなかったような
「神」と「終末説」の意味するものについての挑戦です。
天文学(これがまた衝撃的っす!)、地質学を使って今までの僕たちの常識を
いとも簡単にこなごなにしてくれます。
人類は決してまっすぐ進歩してきたのではないということを
証明してくれます。
・・・とここまではよくある考古学の古代ロマンかなあと思わせますが
マヤの遺跡、エジプトのピラミッド、インドの「マハーバーラタ」
(なつかしい(^^;)、西洋の古代神話、はては日本の神話までに出てくる
共通点を総合し、それに科学的な視点で「何を言いたいのか?」と
追求していくと一つの衝撃的な事実が判明します。
それも過去につての事実じゃなくて未来についての事実です。
道徳とか宗教とかじゃない事実として一つの未来が見えてきます。

それについてはまあ、本屋さんで立ち読みして楽しんでいただくとして(^^)
とにかく、この本はもしかしたらこれからの人類の指針を模索する上で
重要なきっかけを与えてくれているものになるかもしれません。
くやしいのがそれが明らかに科学的根拠に基づく「終末」だということです。
今、人類がおかれている状況というものが分かるような気がしますよ。
「いかにして生きるべきか」まで考えてしまいます。
この本の説がどうなるにせよ、どう解釈するにせよ、第一級のミステリー小説
にも劣らないほどの「謎解き」が楽しめるのでちょーおすすめっす!
夏休みのお供にどうでしょう?
一読の価値は充分すぎるほどあると思いますよ!!
<この本に影響を受けて感じたことの記録>
文明って何?
社会って何?
生きるって何?
・・・と煩悩多き中学生(笑)のように登場しました
らぶらぶナベ@KKKっす。
何か最近別の視点から急に「政策」にはまってしまっています。

さて、『神々の指紋』という本に衝撃を受けたということは
前にお伝えしましたが、まだショックを受けています。
そのせいで今読んでいるヴェーバーの『社会学の根本概念』という
本からも多くの感じることがあります。
この本はただ単に「これを読めば岩波から出ているヴェーバーの本は
すべて読んだことになる」というしょーもない理由で読み始めたんですが
(をいをい)やはり『神々の指紋』のことが頭から抜けず
それにそった読み方しか出来ません。
別にこの本のことをうのみにするつもりではないですが
この本が重要なのは以下のようなことを本当に真剣に考えさせられる
きっかけに利用しています。
「僕たちは思っていたよりも長生きできないんじゃないだろうか?」
「今の文明文化を破壊し、人類をもう一度原始に帰すほどの地殻変動が
あったとして、地震、天候変動、急速大陸移動に対して
人類はあまりに無力じゃないだろうか?」
一個人として・・・
「もし、生きれないとして次の時代の為に何が出来るのか?」
「生き残って原始と何ら変わらない時代になったとき何が出来るのか?」
・・・と考えてしまいます。
そう思うと、文系の人間はあまり役に立ちそうもないです(笑)
「生きるとしても死ぬとしても何が出来るのか?」
・・・そう考えるとやはり僕には「政策」しか無いことになります。
「政策形成」そのもの。
でも文学や社会学や法学などはもっと文明化された
高度な社会で必要なのでは?
社会科学一般はしょせん生きるということに困らない人間の偽善的活動では?
と、自分が「これはすばらし!」と思っていたものが
否定されるような気持ちになります。
それでも今、やはり僕が「何が出来る?」と言われれば「政策」というしかないです。
それが本当に必要とされるかものかとても暗い気分になります。
・・・と、思っていると一つの定義が思い出されました。
「『政策』とは未来を予測できるとの前提でなりたつ。
でもこの世で一番分からないものは未来だ。
それを努力によってある程度予測できる、
予測を挑戦することを前提とした最も楽観的な学問」と言う定義です。
「未来というもっとも予測できないものに(出来ないと諦めずに)挑戦する、
もっとも楽観的な思考」
「政策」とは未来の為にあり、未来が必ず今よりも「まし」に出来る選択肢が
必ずあるという前提で行われるものですよね。
決して未来に対して投げ遣りになっていはいけないもの、
それが「政策」であると思えます。
そう考えると社会や地球環境、状況がどんなに変わっても
「政策」とは人が生きていく限り必要なものだとようやく信じれます。
そう、政策personとは「もっともお気楽なやつ」であるんでしょう。
僕が度々引用してひんしゅくを買う(笑)『新世紀エヴァンゲリオン』では
絶望的な状況下でもミサトさんっていう作戦課長(現場の政策決定者)は
常にどこか「余裕」と楽観にもとれる「希望」を持っていました。
「大事なのは決して萎縮しないこと」という合気道の言葉も思い出されます。
まあ、「熱い心と冷たい頭脳」があれば何とかなりますよね?

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1996 7/2  
歴史、考古学
まろまろヒット率★★★★

            ↑
このように読んだ当初はすごく衝撃を受けたものの、
数年たってからこの本の参考文献の引用や資料の使い方がめちゃくちゃで
さらに都合よく曲解している点が多いことが判明。
参考文献に当たることの重要性を改めて考えさせられた本にもなった。
ただ、読み物としてみれば非常に面白い空想科学読本であるこは確か。

足立幸男 『公共政策学入門―民主主義と政策』 有斐閣 1994

一度は読んでみたいと思っていた一冊。 とても体系的ではあると思う。
特に面白かったのは第1章の3「不確実性の存在」での不確実性に対処するための様々な方法
(感度分析、デルファイ法、 ラプラスの原理、ハーヴィッツの原理、
ミニマックス・リグレット原理など)が新鮮だった。

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1996 5/27
政策学
まろまろヒット率3