グラハム・ハンコック、大地舜訳 『神々の指紋』 翔泳社 1996

らぶらぶナベ@みなさんおひさしぶりです
最近全然KKKメールが来ないのでさみしかったですが
今日はもう、ぜひぜひぜひぜひお知らせしたいものがっ!!
実はグラハム・ハンコックの『神々の指紋』って本を読みました。
今、かなり売れていて近くの書店にも並んでいると思いますが
これがすごいっす!
単なる学術書的なドキュメンタリーじゃないっすよお!!

世界中に散らばっている神話や遺跡の共通点、類似性を科学的に
アプローチして今まであやしげな(笑)人たちでしか扱ってこなかったような
「神」と「終末説」の意味するものについての挑戦です。
天文学(これがまた衝撃的っす!)、地質学を使って今までの僕たちの常識を
いとも簡単にこなごなにしてくれます。
人類は決してまっすぐ進歩してきたのではないということを
証明してくれます。
・・・とここまではよくある考古学の古代ロマンかなあと思わせますが
マヤの遺跡、エジプトのピラミッド、インドの「マハーバーラタ」
(なつかしい(^^;)、西洋の古代神話、はては日本の神話までに出てくる
共通点を総合し、それに科学的な視点で「何を言いたいのか?」と
追求していくと一つの衝撃的な事実が判明します。
それも過去につての事実じゃなくて未来についての事実です。
道徳とか宗教とかじゃない事実として一つの未来が見えてきます。

それについてはまあ、本屋さんで立ち読みして楽しんでいただくとして(^^)
とにかく、この本はもしかしたらこれからの人類の指針を模索する上で
重要なきっかけを与えてくれているものになるかもしれません。
くやしいのがそれが明らかに科学的根拠に基づく「終末」だということです。
今、人類がおかれている状況というものが分かるような気がしますよ。
「いかにして生きるべきか」まで考えてしまいます。
この本の説がどうなるにせよ、どう解釈するにせよ、第一級のミステリー小説
にも劣らないほどの「謎解き」が楽しめるのでちょーおすすめっす!
夏休みのお供にどうでしょう?
一読の価値は充分すぎるほどあると思いますよ!!
<この本に影響を受けて感じたことの記録>
文明って何?
社会って何?
生きるって何?
・・・と煩悩多き中学生(笑)のように登場しました
らぶらぶナベ@KKKっす。
何か最近別の視点から急に「政策」にはまってしまっています。

さて、『神々の指紋』という本に衝撃を受けたということは
前にお伝えしましたが、まだショックを受けています。
そのせいで今読んでいるヴェーバーの『社会学の根本概念』という
本からも多くの感じることがあります。
この本はただ単に「これを読めば岩波から出ているヴェーバーの本は
すべて読んだことになる」というしょーもない理由で読み始めたんですが
(をいをい)やはり『神々の指紋』のことが頭から抜けず
それにそった読み方しか出来ません。
別にこの本のことをうのみにするつもりではないですが
この本が重要なのは以下のようなことを本当に真剣に考えさせられる
きっかけに利用しています。
「僕たちは思っていたよりも長生きできないんじゃないだろうか?」
「今の文明文化を破壊し、人類をもう一度原始に帰すほどの地殻変動が
あったとして、地震、天候変動、急速大陸移動に対して
人類はあまりに無力じゃないだろうか?」
一個人として・・・
「もし、生きれないとして次の時代の為に何が出来るのか?」
「生き残って原始と何ら変わらない時代になったとき何が出来るのか?」
・・・と考えてしまいます。
そう思うと、文系の人間はあまり役に立ちそうもないです(笑)
「生きるとしても死ぬとしても何が出来るのか?」
・・・そう考えるとやはり僕には「政策」しか無いことになります。
「政策形成」そのもの。
でも文学や社会学や法学などはもっと文明化された
高度な社会で必要なのでは?
社会科学一般はしょせん生きるということに困らない人間の偽善的活動では?
と、自分が「これはすばらし!」と思っていたものが
否定されるような気持ちになります。
それでも今、やはり僕が「何が出来る?」と言われれば「政策」というしかないです。
それが本当に必要とされるかものかとても暗い気分になります。
・・・と、思っていると一つの定義が思い出されました。
「『政策』とは未来を予測できるとの前提でなりたつ。
でもこの世で一番分からないものは未来だ。
それを努力によってある程度予測できる、
予測を挑戦することを前提とした最も楽観的な学問」と言う定義です。
「未来というもっとも予測できないものに(出来ないと諦めずに)挑戦する、
もっとも楽観的な思考」
「政策」とは未来の為にあり、未来が必ず今よりも「まし」に出来る選択肢が
必ずあるという前提で行われるものですよね。
決して未来に対して投げ遣りになっていはいけないもの、
それが「政策」であると思えます。
そう考えると社会や地球環境、状況がどんなに変わっても
「政策」とは人が生きていく限り必要なものだとようやく信じれます。
そう、政策personとは「もっともお気楽なやつ」であるんでしょう。
僕が度々引用してひんしゅくを買う(笑)『新世紀エヴァンゲリオン』では
絶望的な状況下でもミサトさんっていう作戦課長(現場の政策決定者)は
常にどこか「余裕」と楽観にもとれる「希望」を持っていました。
「大事なのは決して萎縮しないこと」という合気道の言葉も思い出されます。
まあ、「熱い心と冷たい頭脳」があれば何とかなりますよね?

この本をamazonで見ちゃう

1996 7/2  
歴史、考古学
まろまろヒット率★★★★

            ↑
このように読んだ当初はすごく衝撃を受けたものの、
数年たってからこの本の参考文献の引用や資料の使い方がめちゃくちゃで
さらに都合よく曲解している点が多いことが判明。
参考文献に当たることの重要性を改めて考えさせられた本にもなった。
ただ、読み物としてみれば非常に面白い空想科学読本であるこは確か。

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