岡倉覚三(天心) 『茶の本』 岩波書店 1961

The Book of Tea”として出版されたものの日本語翻訳版。
茶道や華道の本質的精神とは何かということを海外に紹介した作品。
そのため、まったく茶道や華道、日本美術に造詣がない僕にとってもとて
もわかりやすく日本文化に存在している特徴、精神を書いている。
多くの参考になる言い回しがある、

例えば・・・
「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基ずく一種の儀式」

「茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある」

「いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようというやさしい企てであるから」

「おのれに存する偉大なるものの小を感じることのできない人は、
他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである」

「茶道は美を見いださんがために美を隠す実であり、
現すことをはばかるようなものをほのめかす術である」

「この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑う
気高い奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑みである」

「物のつりあいを保って、おのれの地歩を失わずに他人に譲ることが
浮世芝居の成功の秘訣である」(合気道だ!)

「四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行う
ーこういうのがすなわち茶の湯の目的であった」(合気道だ!)

「茶道は道教の仮の姿であった」

「真の美はただ『不完全』を心の中に完成する人によってのみ見いだされる」

「何ゆえに死を生のごとく喜び迎えないのであるか。
この二者はただお互いに相対しているものであって、
梵(ブラフマン)の昼と夜である」

「われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、
水平線上に浮かぶ雲にことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、
永遠に向かって押し寄せる波涛のうねりの中に、喜びと美しさが存している。
何ゆえにその心をくまないのであるか、また列子のごとく風そのものに
御しないのであるか」

「美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる」
など、また面白い例として丹霞和尚がとても寒い日に仏像を焼いて
寒さをしのごうとして「わしは仏様を焼いて、お前さんたちの
ありがたがっているお舎利を取るのだ。」、「木仏の頭から
お舎利なんて出てたまるものですか。」「もし、お舎利のでない仏様なら、
何ももったいないことはないではないか。」

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1996 7/9
文化論、文学、哲学、美学
まろまろヒット率5

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