司馬遼太郎 『箱根の坂』 講談社 上中下巻 1987

もういい年なのでいい加減そろそろ自立しようと思い立ち
妄想銀行大阪支店長の地位を捨てて「妄想証券取引所」(NABEDAQ)を
開設した、らぶナベ@ただいまさまざまな銘柄が上場中!
(現在、佐伯日菜子株が高値圏にあり)

さて、『箱根の坂』上・中・下巻 司馬遼太郎著(講談社文庫)1987年初版。
時々、なぜか無性に司馬遼太郎の本を読みたくなる事があるのだが
現在そういう時に読み返すはずの『龍馬がゆく』『燃えよ剣』
さらには心のベスト本『坂の上の雲』までもがことごとく人に貸していて
手元に無かったためこの機会に新しいのでも読んでみようと思い、
どうせ読むならスケールの大きなやつのが良いだろうと買って来た一冊。

内容の方は戦国大名の代表格とされる北条早雲を主役にした歴史小説。
以前、司馬遼太郎の『空海の風景』上・下巻(中央公論新社)1994年改版初版
というタイトルの本を読んだがこの作者の書く本はすべて
その登場人物が生きた「風景」をえがいているような気がする。
社会状況だけでなく地理的環境、風土までその人間たちの見た
「風景」をえがくのがこの作者の真骨頂だろうが
特にこの小説では北条早雲の生きた「風景」が強く感じられた。
そういう意味でとても司馬作品らしい小説。

北条早雲といえばギラギラした成り上がり者のイメージが強いが
その生涯を見てみると・・・
中央官僚を務める伊勢家の傍系のさらに傍系という厄介者の立場に生まれ
その状況に甘んじて次期将軍候補者に仕えるも政治に絶望し
応仁の乱の中でも鞍職人として人生の前半生を波風立てないよう生きるが
駿河の今川家に嫁いだ妹分の要請から主体的な役割を演じていき
10年以上かけてじっくりと今川家の内紛をおさめてゆき
50代になって始めて一城の主として自分なりの政治をおこない
60代になって戦国時代の幕を切る小田原攻めを指揮し、
70代になって10年以上防戦一方だった浦上氏を攻めてあげて
さらに80代になってからその浦上氏を滅ぼして
戦国大名北条氏の基礎を造りあげるという「お前はおじゃる丸か!」と
思うくらいに成り上がり者というイメージの割に鷹揚というか
時間を計るメモリが人より長い感じを受けてしまう。
応仁の乱で台頭してきた足軽や土豪、鉄製農具の普及で力を付けた
農民とその加工品を扱う商人たち(旧時代では数段下の人間たち)の
台頭と守護や将軍家の実質的な没落という時代を見つめる視点に
自信があったからこそこういう時間の使い方ができたのだろう。
単に混乱する状況を嘆く旧時代の既得権益者に過ぎなければ
(もし彼が伊勢家の本家の長男であれば)また違った人生を歩んだのだろう。
既得権益、既成権威が揺らぐことへの恐れは人を動揺させるが
その動揺をどう捉えるのかでその人の価値は決まってくるということだろう。

北条早雲の人から見れば別人のような人生の状況変化、
理解しにくいほどの極端な能力の使い方、
人生の前半生にみられた勘の鋭さを扱いかねるところなどには
何か親近感というか相通じるものを感じてしまう(^^)
ま、僕も焦らず地殻変動の進む現在をいきてゆこう。

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2000 1/25
小説、歴史
まろまろヒット率5

伊藤真 『伊藤真の刑事訴訟法入門』 日本評論社 1998

この本で『3時間でわかる』シリーズに続いて『伊藤真の入門』シリーズも
六法を通してすべて読み終えたことになる。
去年の11月から始めた法学もそろそろ初級編を越えたところだろうと感じる、
らぶナベ@約3ヶ月で基礎を固めるられたのは天佑だろう(^^)

さて、その『伊藤真の刑事訴訟法入門』伊藤真著(日本評論社)1998年初版。
刑事訴訟法は民事訴訟法と比べて構造も簡単だし流れも一本しかないので
あまり気合い入れて勉強するまでも無いし何より実際にもお堅い分野なので
僕自身あまり携わることは無いだろうと思っていたがこの本の中で著者が・・
「刑事訴訟の場は法益がもっとも鋭く対立する場なので
刑事訴訟に携わることは法律家としての真価が問われる」
・・・という風な書き方をしていたのに思わず反応してしまい、
「それなら一度は携わってみてやろうか?」と思ってしまった。
根が単純なので相変わらずこういう挑発に弱い(^_^)
内容の方は刑事訴訟法は「応用憲法」とも呼ばれるくらいのものなので
(概念もドイツ法を元にした刑法よりも英米法を元にした憲法に近い)
刑事訴訟法上の論議で解決できない時は常に憲法に戻るところが根幹だろう。
これは憲法31条(「適性手続の保障」)以下で国家の憲法としては例外的に
刑事手続きに関する条文が事細かく規定されいているのにも由来している。
憲法という抽象性の強いものを最も法益の対立が激しい場で実現させるという
この刑事訴訟法は「現実的な割り切りも必要」と著者も言っているように
どうやら携ってゆくだけの価値がありそうな感じだ(^^)

以下、チェック&まとめた箇所・・・
☆刑事訴訟法とは「刑法を実現するための手続」

☆「真実発見」と「人権保障」との調和が刑事訴訟法のテーマ
(人権保障=手続保障)

☆たった一人の無実の人のために多数の真犯人を逃がす考えは
憲法13条の「個人の尊重」という趣旨から来ている

○刑事訴訟法が実現しようとしている刑法は明治時代からのドイツ法体系を
ベースにしているが刑事訴訟法自体は戦後のアメリカ手続法の影響を
受けているのでそのギャップがどうしても出てくる

○刑事訴訟法と民事訴訟法の違い・・・
・「訴訟物」→刑訴の「訴因」(検察官の主張する過去の具体的事実)
      =民訴の「権利」(いま現在の関係)
・刑訴の「公判」=民訴の「口頭弁論」
・刑訴の「実体裁判」&「形式裁判」=民訴の「本案判決」&「訴訟判決」
・刑訴の「訴因の変更」=民訴の「訴えの変更」

<捜査>
○捜査=「被疑者の身柄確保」、「証拠の収集・保全」

○刑事訴訟法では警察官=「司法警察職員」
→警察官という言葉は出てこない

○警察官自体は「行政警察活動」と「司法警察活動」の二つの仕事がある

○検察官も司法警察職員も行政権に属する(司法権には属さない)

○捜査構造論・・・
「糾問的捜査観」VS「弾劾的捜査観」
(強制捜査は認められる)VS(強制捜査は認められない)

○もっとも捜査と人権との対立が生じるのが「職務質問」(警職法2条)
→職務質問は行政警察活動の一環にすぎないのであくまで任意

○「捜査の必要性」VS「人権侵害の危険の防止」の調整について判例&学説は
具体的な事件ごとに必要性と相当性を判断して適法性を判断するとしている

○職務質問でおこなわれる「所持品検査」の根拠は警職法2条1項

○自動車検問を正面から定めている法律はない

○強制捜査は例外的な場合で基本はあくまでも「任意捜査の原則」(197条)

○強制捜査に関しては・・・
立法権からの「強制処分法定主義」(197条1項但書)
司法権からの「令状主義」(憲法33条、35条)
・・・のふたつの歯止めがある

○強制捜査=
・「証拠の採取」=「捜索」、「押収」、「検証」、「鑑定」
・「被疑者の逃亡防止・罪証隠滅の防止」=「逮捕」、「勾留」

○「逮捕」=最大72時間身柄を拘束することができる短期の身柄拘束処分
・通常逮捕(199条)
・現行犯逮捕(212条)=令状主義の例外
・緊急逮捕(210条)=令状主義の例外

☆逮捕には被疑者を「取り調べるためという要件は含まれない」
→結果的に取調べが可能なだけであって取調べを目的にはできない

○逮捕が適法かどうかのチェック・・・
・逮捕の理由があること
・逮捕の必要性があること

○逮捕後「48時間以内」に検察官のほうに身柄を送る(203条)

○○警察段階で「48時間」(203条)、検察段階で「24時間」(205条)
最長「72時間」の間は逮捕で身柄拘束が可能

○勾留(208条)の期間・・・
「10日間」の身柄拘束が認められている(208条1項)
さらに「10日間」の延長が認められる(208条2項)
→全部で「20日間」

☆逮捕の「3日間」(72時間)+勾留の「20日間」で
合計「23日間は被疑者の身柄拘束ができる」
(起訴前の勾留に関して)
→起訴後の勾留は判決が出るまで続く

○「起訴後の勾留」(60条)でも取調べの必要性は要件ではない

○「保釈」(88条)=起訴後に勾留されている場合に
一時的に身柄を解放する手続
→起訴前の勾留には保釈はない(207条1項但書)

○「逮捕前置主義」(207条1項)=逮捕は必ず拘留より先
→勾留にも二度の司法審査が必要

○逮捕・勾留には「事件単位の原則」を適用(×「人単位の原則」)
→「逮捕・勾留の1回性の原則」を導きだしさらに・・・
・「一罪一逮捕・勾留の原則」(同時反復の禁止)
・「再逮捕・再勾留禁止の原則」(異時反復の禁止)

○「別件逮捕・勾留」は・・・
・逮捕・勾留を自白獲得のための手段にしている
・法定の拘束期間の逸脱
・令状主義に反する
・・・という三つの点から学説&判例でも違法と判断
→オウム事件でどういう判決が下るか注目

○「押収」=「差押」(強制)と「領置」(任意)

○「検証」=場所、物、人について強制的にその形状を五官の作用によって
認識する処分→「実況検分」は任意処分で検証は強制処分

○強制捜査の中で特に議論になっているのが「強制採尿」
→判例は要件を厳格に絞ったうえで認める

☆被疑者の取調べ「受忍義務」に関して判例は198条1項但書を
反対解釈して逮捕・勾留されているときは取調べ受忍義務があるとしている
→学説では否定、実務と学説とが真っ向から対立している場面
ただし被告人の取調べ受忍義務に関しては判例も学説も否定している

○不当な捜査に対する被疑者の防衛
・「被疑者の不当な捜査処分を積極的に争う権利」
・「弁護人の助力を得る権利」

○被疑者の不当な捜査処分を積極的に争う権利・・・
・「勾留理由開示請求」(207条1項、87条)
・「不当な勾留決定に対する準抗告の手続」(429条1項2号)
・「勾留の取消請求」(207条1項、87条1項)
・「不当な押収などに対する準抗告」(429条、430条)
・「押収物の還付請求」(123条2項)

○「準抗告」=勾留が60条の要件を満たしていないことへの不服申立

○「勾留理由開示請求」は被疑者を励ます場として弁護人が使うことが多い

○弁護人の助力を得る権利(憲法34条)・・・
・「弁護人選任権」(30条)
・「接見交通権」(39条)

○接見交通権(39条1項)を制限する「接見指定」(39条3項)の解釈については
「限定説」VS「非限定説」

○被疑者には被告人と違って国選弁護制度はない

<公訴の提起>
○日本は検察官が公訴をおこなう「国家起訴独占主義」(247条)
→イギリスは私人でも独自に起訴できる(シャーロック・ホームズの土壌)

○親告罪の代表は「強姦罪」(刑法177条)、「名誉毀損罪」(刑法230条)、
「器物破損罪」(刑法261条)

○日本は訴追裁量権を検察官が持っている「起訴便宜主義」(248条)

☆起訴便宜主義の定義・・・
「訴訟条件が具備し犯罪の嫌疑があるにも関わらず起訴猶予を認める法制」

○「不起訴処分」=
「嫌疑なし」と「起訴猶予」のまったく内容の違う二つがある

○強大な権限を持つ検察官に対する制限として・・・
検察官による不当な不起訴に対しては「通知制度」、「検察審査会制度」、
「準起訴手続」の三つの救済の制度があるが
検察官による不当な起訴処分に対しては条文上制限がない
→338条4項を解釈して「公訴権濫用論」で対応する

○「検察審査会」の意見に検察は従う義務はない(強制力も拘束力もなし)
→御巣鷹山の日航機墜落事故での不起訴処分に対する強制力のなさが有名

○「公訴権濫用論」を巡った判例としては「チッソ川本事件」が有名

○形式裁判の訴訟条件=
「管轄違い」(329条)、「免訴」(337条)、「公訴棄却」(338条)

○「免訴」の中で最も大切なのが「時効が完成したとき」(337条4号)
時効の具体的条文は250条、253条、254条

○「公訴棄却」(338条4号)の「公訴提起の手続がその規定に違反した」
というのは公訴提起の手続の法令違反のような場合

○「公訴棄却の決定」に関してはロッキード事件の時に田中角栄が死亡して
339条4号によって公訴棄却の決定がなされたのが有名

○「起訴状一本主義」の根拠は256条6項

○「訴因」=犯罪構成事実が特定、具体化された犯罪事実のこと
     =「公訴事実」←訴状では物語風に書く

○公訴事実の概念はドイツ刑法を元に、
訴因の概念はアメリカ刑法を元にしているため重複している

○訴因の機能=「告知機能」(被告人のため)、「識別機能」(裁判のため)

○「訴因特定の要請」VS「裁判官の予断排除」の場合は
弊害の大きさを比べて「裁判官の予断排除のほうを優先する」

<公判手続>
○公判手続の流れ
「冒頭手続」
・人定質問(規則196条)
・起訴状朗読(291条1項)
・黙秘権等告知(291条2項)
・罪状認否(291条2項後段)
   ↓
「証拠調べ手続」
・検察官の冒頭陳述(296条)
・証拠調べの請求(298条)
・証拠決定(297条)
・証拠調べの実施
・被告人質問(311条)
   ↓
「弁論手続」
・論告求刑(293条1項)
・最終弁論(293条1項)
・最終陳述(293条2項)
   ↓
「判決の宣告」(342条)

○検察官が「論告求刑」をして(293条1項)、
弁護側が「最終弁論」をする(293条2項)

○迅速な裁判を受ける権利(憲法37条1項)が
争点になった判例は「高田事件」が有名
→高田事件以来迅速な裁判に反するとして免訴された事件はない

○「審判の対象」は実際に社会で起こったことではなく
「検察官が主張した具体的な事実」
=裁判所は真相解明ではなく検察官が構成してきた事実を審議する
→「当事者主義」(×「職権主義」)
ただし例外として裁判所が命令を下すこともできる(312条2項)

○「訴因の変更」(312条)は「公訴事実の同一性を害しない程度」で認められる

○公訴事実の同一性とは「機能概念」でしかない(×実体概念)

○訴因の変更は「不告不理の原則違反」を防ぐためある
→「訴因変更の要否」の問題+「訴因変更の可否」の問題

○「証拠裁判主義」(317条)のため「厳格な証明」が求められる

○「厳格な証明」
=「証拠能力ある証拠を使え」&「適式な証拠調べを経ろ」

○「証拠能力」=証拠としての許容性
・「自然的関連性」
・「法律的関連性」
・「違法収拾証拠排除」

○また聞きは証拠能力が認められない=「伝聞法則」(320条1項)
→被疑者の「反対尋問権」(憲法37条2項)を実現するため
ただし例外として「相手方が同意した書面」は証拠能力がある(326条以下)

○強制・拷問などによる自白は証拠能力がない=「自白法則」(319条1項)

○自白だけでは有罪にはしない=「補強法則」(憲法38条3項)

○犯罪事実の存否や程度に関する事実(構成要件、違法性、有責、処罰条件)
については「厳格な証明」を適応、
それ以外の事実については「自由な証明」を適用

○戦後、被疑者に訴訟における主体的地位を与えて
「当事者主義的訴訟構造」が確立された

○「挙証責任」→検察官にある→「疑わしきは被告人の利益に」
ただし「同時傷害」(刑207条)、「名誉棄損の事実証明」(刑230条2項)は
被告人に挙証責任がある例外

○立証の程度は「合理的疑いを入れない程度」までしないといけない
(>「証明の優越」)
→弁護人の役割は別に無罪を主張しなくても良く
検察官が主張してきた証拠に疑いを持たせるようなことをおこなえば十分

○「証明力」=証拠の価値←「自由心証主義で裁判官が判断」(318条)
(×法定証拠主義)

○「自由心証主義における合理性の担保」
・判決文には証拠を挙げなくてはいけない(335条)
・証拠能力
・自白についての補強法則(319条2項)

<裁判>
○法律用語としての裁判=裁判所または裁判官の
公権的な判断を内容とする意思表示
EX:裁判所による「判決」、裁判所による「決定」、裁判官による「命令」

○裁判の種類=
・「実体裁判」→「有罪判決」、「無罪判決」、
・「形式裁判」→「管轄違いの裁判」、「免訴判決」、「公訴棄却判決・決定」

○「一事不再理効」=確定判決によって生じる再訴を遮断する効力
=まとめて有罪にできた範囲については1回しか裁判は許されない
←憲法39条の「二重の危険禁止の法理」から

○「再審」と「非常上告」=
上訴とは別の制度で確定判決に対する非常救済手段
・「再審」(435条以下)=判決の確定後事実認定の誤りが
 発見されたことを理由にしておこなう
・「非常上告」(454条)判決の確定後審判が法令に
 反したことを理由にしておおなう

○裁判の執行は検察官が指揮しておこなう
→死刑には法務大臣の執行命令が必要

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2000 1/22
法学、刑事訴訟法
まろまろヒット率3

伊藤真 『伊藤真の刑法入門』 日本評論社 1997

ようやく去年のうちに蒔いた「策」が実ってきてモンゴルにタダで
行けることになりそうな、らぶナベ@でもこの時期に行くって超極寒やん(^^;

さて、『伊藤真の刑法入門』伊藤真著(日本評論社)1997年初版。
日本の刑法は参考に使ったドイツ刑法の単語をそのまま直訳した
専門用語が多くてパッと見はかなり難しそうな感じがするけど
内容や構造自体は民法よりもずっと単純なので
単語さえ丁寧に押さえればかなり楽な法律。
ただ、六法の中では一番学説が鋭く対立していて
いろんな学説が出てくるのでちょっとうざったい所もある。
これはやっぱり刑法が人を殺せる法律だからだろう。
(刑法学者にも必要以上に攻撃的な人間が多いのはこのためか(^^;)
しかしこの本の著者も「いちばん最初にマスターできるのは刑法」
と書いているように誰かの学説の立場に立って研究するとか
資格試験用に勉強するとかではないなら(単にまんべんなく学ぶだけなら)
あまり学ぶ価値が見出せない法律だなぁっと感じた。
戦うなら刑法よりもやっぱり民法だ(^o^)
それとこの本を読んでみて国自体に対する罪がまだ残っていることを知った。
最近、社会的権威を破壊するというような意図を持って子供やお年寄りを
殺している事件が目立っているけどどうせ権威に楯突く犯罪をするなら
刑法第77条の内乱罪に該当するような楯突きかたをして欲しいもんだ。
でかいことを言って弱い立場の人ををちまちま攻撃する姿は
見ていてなさけなさを感じてしまう。
悪いことは完全に小さくやるか完全に希有壮大にやるか二つに一つだ(^_^)

以下、そんなこんなでその他にチェックした箇所・・・
<刑法総論>
○刑法は「法益保護機能」(処罰の範囲を広げるべき)と
「自由保障機能」(処罰の範囲を限定すべき)の二つの調整がテーマ

○イギリスでは取り調べの状況を全てテープで録音している

<犯罪の定義>
☆『犯罪とは「構成要件」に該当する「違法」で「有責」な行為』
・「構成要件」とは一般的、類型的な形式的判断
 →手術も傷害罪の構成要件に該当する
・「違法性」とは個別具体的な事情
 →手術は構成要件に該当するが違法性はないので犯罪は阻却
・「責任」とは思いとどまらなかったことを非難できること
 →責任主義(責任なくして刑罰なし)

<構成要件>
○「構成要件要素」=
・「客観的構成要件要素」(その事実の外面性)
 →実行行為、結果、因果関係を検討
・「主観的構成要件要素」(その行為者の内面性)
 →故意かどうかを検討
・・・の二つから成る
→まず客観から入って主観にうつるのが特徴

<客観的成立要件>
○客観的構成要件要素=「実行行為」、「結果」、「因果関係」の三つ
→結果が発生したときだけ因果関係を検討するこの順番が重要

○「実行行為」の定義・・・
「法益侵害の現実的危険という実質を有し、
構成要件に形式的にも実質的にも該当すると認められる行為」
→法益侵害の危険性を持っているかどうかが
実行行為の有無の判断するポイント(このため呪いは犯罪ではない)

○「不作為犯」=何もしないこと自体が実行行為にあたること
EX:溺れている「自分の」子供を助けなかったことなど
→「作為義務」の有無が不作為犯の成立要件!

○「間接正犯」=
他人を「道具のように」利用して間接的に犯罪をおこなうこと
→「道具理論」のため道具のように使われた人には責任が無いとされる
(間接正犯の成立要件は主観的要素と客観的要素から成る)

○犯罪の分類
・「正犯」=「直接正犯」&「間接正犯」
・「狭義の共犯」=「教唆犯」&「幇助犯」
・「結果犯」=結果の発生を要求する
・「挙動犯」=結果の発生を必要とせず一定の行動をするだけで犯罪になる

○因果関係には・・・
・「条件関係」=「あれなければこれなし」
・「相当因果関係」=「社会通念上相当であること」
・・・の二つが必要とされるのが通説→「折衷的相当因果関係説」

<主観的構成要件>
○主観的構成要件=「構成要件的故意」
「故意」とは「客観的構成要件要素(犯罪事実)に該当している事実を
認識、認容していること」

☆刑法では故意犯が原則!(38条1項)
過失を処罰する規定が例外的に明記されていなければ裁けない
→「窃盗罪」(第235条)は故意犯なので過失で人の物を盗めば処罰されない

○「構成要件的錯誤」があるときは構成要件的故意が阻却されるかどうかが
論点となる→「具体的符合説」VS「法定的符合説」(通説)

<違法性>
○構成要件に該当すれば原則として違法だが
例外的に違法性が阻却される場合がある→「違法性の阻却」

☆何をもって「違法」と言うのか?
「法益侵害説」VS「法規範違反説」が刑法の根本!
→通説は「法規範違反説」

○二つの説の違い・・・
・「法益侵害説」=結果無価値論(結果が悪い)だけ
 →故意犯と過失犯の違いはない
・「法規範違反説」=行為無価値論(行為が悪い)+結果無価値論
 →故意犯と過失犯は違う

○「違法性阻却事由」=
・「正当行為」←「法令行為」・「正当業務行為」・「一般的正当行為」(35条)
・「緊急行為」←「正当防衛」(36条)・「緊急避難」(37条)・「自救行為」

○被害者の承諾があれば一般正当行為として違法性が阻却される場合がある
→尊厳死の問題に出てくるか?

○「正当防衛」と「緊急避難」の違い・・・
「正当防衛」=相手が不正=正対不正
「緊急避難」=相手が正=正対正

○過剰防衛は「任意的減免」(36条2項)になる

<責任>
○行為者を非難する(=責任を負わせる)ためには・・・
・「責任能力」
・「責任的故意、責任的過失が無い」
・「期待可能性」
・・・の一つでも欠けてはいけない

○「責任能力」=「是非弁別能力」+「行動制御能力」

○「刑の減軽」は有期ならば半分になるのが普通

○責任無能力は原則無罪だが「原因において自由な行為」理論によって
修正されることがある

☆故意・・・
・「構成要件的故意」
・「責任故意」=「違法性阻却事由を基礎づける事実の不認識」
 +「違法性の意識の可能性」

○「違法性阻却を基礎づける事実の不認識」
「誤想防衛」などの場合は故意責任は向けられないこと=勘違いは許される
→ルイジアナ州で起こった服部君射殺事件で被疑者に無罪判決が出たのもこれ

○「違法性の意識の可能性」には「制限故意説」が通説

○「期待可能性」は実際の事件で認められることはない→最後の安全弁

     ☆☆故意犯の成立要件☆☆
○構成要件
・「客観的構成要件」=実行行為→因果関係→結果
・「主観的構成要件」=構成要件的故意
         ↓
      <構成要件に該当>
         ↓
○違法性阻却事由はないか?
・「正当行為」=法令行為・正当業務行為・一般的正当行為
・「緊急行為」=正当防衛・緊急非難・自救行為
         ↓
      <違法性阻却なし>
         ↓
○責任要素
・「責任能力」=是非弁別能力+行動制御能力
・「責任故意」=違法性阻却事由を基礎づける事実の不認識
 +違法性の意識の可能性
・「期待可能性」
         ↓
       <責任あり>          
         ↓ 
       <故意犯成立>

○修正された構成要件
・時間的修正→「未遂」、「予備」
・人的修正(共犯)→「共同正犯」(60条)、「教唆犯」(61条)、
 「幇助犯」(62条)、「共謀共同正犯」(条文無いが判例では認められている)

○「未遂」が処罰されるのは各本条で定められている場合だけ!(例外的)

○未遂・・・
・「中止未遂」=自己の意思により中止
 →刑罰は必ず減軽もしくは免除の「必要的減免」(43条但書)
・「傷害未遂」=たまたま中止
 →刑罰の減軽は裁判官が判断する「任意的減軽」(43条本文)

○「免除」とは有罪と判断するが刑を執行しないで免除するという意味

○「未遂犯」と「不能犯」を分ける「実行行為としての危険性」は
科学的見地からではなく一般人の見地から判断する

○「実行の着手の意義」では「実質的客観説」が通説

○「共同正犯」には個人責任の原則を修正した「一部実行全部責任」を適用

○共同正犯の成立要件・・・
・主観的要件=共同実行の意思が存在すること
・客観的要件=共同実行の事実が認められること

○教唆犯の犯罪性に関しては「共犯従属性説」VS「共犯独立性説」
・・・共犯従属性説が通説で特にその中の「制限従属性説」が有力

○幇助犯の成立要件=「幇助行為」&「被幇助者の実行」
→幇助犯の刑は「正犯の刑を減軽する」

○幇助の物理的方法による場合を「有形的従犯」、
精神的方法による場合を「無形的従犯」

<罪数>
○二個以上の犯罪の場合はまとめて数罪と呼ぶ

○一罪か数罪かは「包括的一罪」と「法条的競合」がある

○数罪の場合の処罰方法は
・「科刑上一罪」=観念的競合(54条1項前段)と牽連犯(54条1項後段)
・「併合罪」=確定裁判を経ない数罪

<刑法各論>
○最近は各論の重要性が見直されている

☆刑法各論を学ぶ時は常に「保護法益」から見ていくのがとても重要!

○保護法益には「個人的法益」、「社会的法益」、「国家的法益」がある

○胎児などの何をもって「人」になるのかは「一部露出説」が通説

○「傷害罪」(204条)=人の生理的機能を害すること
「暴行罪」(208条)=人の身体に向けられた有形力の行使のこと

○「業務上過失致傷罪」(211条)の「業務上」とは
「仕事の上で」という意味ではない!

○「脅迫罪」(222条)は本人かその人の親族に害を与えると
告知しなければ該当しない→友達や知り合いでは該当しない

○「強要罪」(223条)=義務のないことを行わせること

○「名誉毀損罪」VS「表現の自由」との調整を図る目的で
戦後になって「230条の2」が生まれた
→「公共の利害」、「公益目的」、「真実の証明」の
三つの要件の下では違法性が阻却される(230条の2の1項)
・違法性がたとえ阻却されなくてもそれが真実だと信じていたときは
「違法性の錯誤」として違法性が阻却される場合がある(誤想防衛と同じ)

○「名誉毀損罪」(230条)と「侮辱罪」(231条)との違いは
事実を摘示するのかしないのかの差

○刑法での「信用」とは経済的信用に限る

<財産罪>
☆財産罪の分類方法には「占有」に注目する!
・占有が移転するか、移転しないか
・被害者の意思に反しての移転か、瑕疵ある意思に基づく移転か

☆「財物」の意義に関しては「有体性説」VS「管理可能性説」
通説は管理可能性説の中の「物理的管理可能性説」
→単なる情報のようなものは財物とは認められない!

☆財産罪の保護法益は「占有説」が通説
→判例占有説ではひったくり犯人からバッグを取り戻すのは
窃盗罪の構成要件に該当するが自救行為として違法性は阻却

☆「窃盗罪」(235条)の客体は「財物」しかなく「財産上の利益」は
客体にはならないので財産上の利益を盗んでも窃盗罪には該当しない!
→最初から意図しないで無銭飲食すれば刑法では無罪になる場合がある
・「財産上の利益」も客体になるのは「強盗罪」(236条)、
「詐欺罪」(246条)、「恐喝罪」(249条)、「背任罪」(247条)だけ
 →これらは「2項犯罪」と呼ぶこともある

☆財産罪総論では「保護法益」と「不法領得の意思」が論点になる

○窃盗罪の成立のために必要な「不法領得の意思」・・・
・「所有権者として振る舞う意思」(不可罰的な使用窃盗と区別するため)
・「物の経済的用法に従って使用、処分する意思」(毀棄罪と区別するため)
→黙って友達の消しゴム使った&チャリ乗ったは窃盗罪にはあたらない

○死者に占有は無いので死者からの窃盗というのはありえないが
判例では被害者を殺害した者自らが殺害直後に財物を奪取した場合には
窃盗罪が成立すると考えられている
(死者が生前有していた占有を侵害したという説明)

○「強盗罪」(236条)は暴行、脅迫を手段とするところが特徴
→殴った後で物を取る意思が生じた場合は強盗罪ではなく暴行罪&窃盗罪
反抗を抑圧する状態になった後に物でも取ってやろうと思って取った場合は
強盗罪にはならない→刑の重さが違うので裁判で争われる争点になるだろう

○「強盗致死傷害罪」(240条)で被害者を死亡させた時は
「死刑又は無期懲役」の日本の刑法では珍しくとても重たい刑罰

○単に人を騙す罪というのは日本にはない!
→財産上の利益を侵害しない限り無罪

○「横領罪」(252条)の保護法益=「委託信任関係」
→信頼を裏切る場合は刑罰が重い
・種類は「単純横領」、「業務上横領」、「占有離脱物横領」

○「社会的法益に対する罪」の代表・・・
「放火罪」(108条以下)、「偽造罪」(148条)

☆「公共の危険」=「不特定または多数人の生命、身体、財産に対する危険」
→放火罪は社会的法益に対する罪なので
現住建造物放火罪の場合は殺人罪よりも重たい

○放火罪をいつ既遂とするかは「独立燃焼説」が通説

○「偽造罪」(148条)の保護法益=「文書の公共的信用、社会的信用」
→成立には「行使の目的」が必要

○日本の偽造罪では「形式主義」(作成名義の真実性を確保する)を原則にして
例外的に「真実主義」(内容の真実性を確保する)を取り入れている

○国家的法益に対する罪の代表は「内乱罪」(77条)

○「偽証罪」(169条)は「法律で宣誓した証人」だけがその対象になる

○「賄賂罪」(197条)の保護法益=「公務員の職務に対する信頼」
→成立には不正なことをやる必要はない

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2000 1/18
法学、刑法
まろまろヒット率3

伊藤真 『伊藤真の憲法入門』 日本評論社 1999(第2版)

最近複数の友人から指摘されていることによると僕という人間は
マニュアル車で例えるとトップギアとローギアしかなくて
どうやら2速や3速というものが無いみたいっす。
僕のことをけっこう知っている女性によれば僕を見ていると
「かなりカッコ良い時」か「かなりキモイ時」の二つに一つしかなくて
いわゆる「普通の時」というものが無いらしい。
何かを運営していたり決断したり大局で物事を考えていたりする時は
トップにギアが入ってるけどその他の時は見事にダメダメ人間らしいっす。
ローの時の僕の姿しか知らない人や逆にトップの時の姿しか知らない人には
(知り合いの半数以上がその分類に入るだろう)僕という人間が
かなり誤解されているだろうから「普通の時もおぼえろ」と言われている、
らぶナベ@よく考えたらそれって余計なお世話やん(^^;っす

さて、本題の『伊藤真の憲法入門』伊藤真著(日本評論社)1999年第2版。
この本を読んでみて感じたことは憲法は六法の中で一番馴染み深いが
その分やたらと深いところもあるように思える。
どうしても議論が抽象的になってしまうから憲法と向き合う時には
自分自身の価値判断を決断して接していくことが必要になってくるだろう。
また、憲法のもっとも重要な点としては憲法が国民にではなく
国家を制約しているという点とその存在理由の第一を
人権(≒自由)においている点だろう、統治はその手段でしかない。
そしてその第一の存在理由を規制することになる
公共の福祉の適用が議論の中心になってくる。
そういう意味で議論の的は簡単に絞れるが抽象的議論になってしまうので
けっこうやっかいなものだろう、憲法学者ってやっかいな人間が多いし(^^;
そしてこの憲法自体がかなりさくさくっと作られたものなので
条文解釈にあまりこだわり過ぎるとちょっと間違うような気もする。
(不思議なポジションにある第97条のエピソードが有名)
第9条の解釈に関しては特にこのことを強く感じた。

以下、チェックした点・・・
☆人権と統治の関係は目的と手段の関係(第13条)
→政治は自己目的ではない
≒自由主義と民主主義も目的と手段の関係にある。

○人権の概念・・・
「固有性」、「不可侵性」、「普遍性」

○ある個人の人権を制限するものは他の個人の人権でしかありえない。
→対立する人権を調整するための実質的公平の原理が「公共の福祉」

☆公共の福祉の種類・・・
・「自由国家的公共の福祉」→人権が生まれながらにもっている制約
・「社会国家的公共の福祉」→経済的自由についてのみ認められる制約

☆公共の福祉の審査方法・・・
「違憲審査基準」に関しては「二重の基準理論(double standard)」を使う。
・経済的自由権に制限をしている法律には緩やかな審査基準を適用する。
・精神的自由権を制限している法律には厳しめな審査基準を適用する。
→政治部門と司法部門の役割分担の発想!
精神的自由のような民主制の過程の下で自己回復が難しい問題には
司法は積極的に関与するが経済的自由のような高度に政治的判断が
必要な問題には司法は消極的にしか関与しない。

○厳しい審査基準の種類・・・
・「事前抑制禁止の理論」
・「明確性の理論」←「萎縮効果」を防ぐため
・「明白かつ現在の危険の基準」
・「より制限的でない他の選びうる手段の基準」
=☆「LRA(Less Restrictive Alternative)の基準」→もっとも重要!

○穏やかな審査基準・・・
・「明白性の原則」
→誰が見ても明白に違憲だとする時にのみ違憲判断を下す

○公共の福祉の種類の性格・・・
・自由国家的公共の福祉=「消極的内在的制約」(厳格な合理性の基準で判断)
・社会国家的公共の福祉=「積極的政策的制約」(明白性の原則で判断)

○公共の福祉による規制を審査する基準の厳しさの段階・・・
「精神的自由権に対する制約」の基準が一番厳しく、
 →「LRAの基準」
「経済的自由権に対する消極的な制約」が次に厳しく、
 →「厳格な合理性の基準」
「経済的自由権に対する積極的な制約」の基準がもっとも穏やか。
 →「明白性の原則」

☆違憲審査の違い・・・
・「付随的違憲審査制」←私権保障型(日本、アメリカなど)
・「抽象的違憲審査制」←憲法保障型(ドイツ、イタリアなど)

○人権問題を考える上での視点・・・
・そもそも誰の人権が問題になっているのか?
・どのような人権が問題になっているのか?
・誰によって制約されているのか?
・その制約は許されるのか?←もっとも重要な点!
・どこで救済されるのか?(政治部門か司法部門か)

☆法=社会規範=一定の価値観
その法律がどんな価値観に基づいて作られたのかが重要、
同時に自分自身の価値判断も必要になる。

○民事訴訟法は公法(裁判の手続を定めているため)

○憲法は国家権力の側を規制するもの(第99条)、
国民に憲法を守れとは憲法には一言も書いていない。
→ドイツ憲法では国民にも憲法を守ること(憲法忠誠)を強制している。

☆憲法の特質・・・
「自由の基礎法」(大目標)
「制限規範性」(手段)
「最高法規制」(手段)

○「法の支配」(現在の日米)VS「形式的法治主義」(戦前の独仏)
=「正しい法に従う」VS「法にはすべて従う」

○表現の自由(第21条)を支える価値・・・
「自己実現」、「自己統治」

○人身の自由の中で最も重要な条文が第31条(適性手続の保障)。

○生存権は第25条に規定されている。

○「法律上の争訟」であっても裁判所で適性な判断を下せないと
思われる問題は「統治行為」の理論によって受け付けないことがある。
→政治部門と司法部門の役割分担!

☆地方自治は第92条で「制度的保障」を受けている。

○地方自治の本旨・・・
「住民自治」、「団体自治」

○憲法に条文が無くても(超憲法的)国民による「抵抗権」と
国家による「国家緊急権」は認められているとするのが通説。

○第9条は2項の「前項の目的を達するために」の意味の
取り方によって解釈が違ってくる。

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2000 1/10
法学、憲法
まろまろヒット率3

辻原登 『翔べ麒麟』 読売新聞社 1998

昨日のNHKラジオ「やさしいビジネス英会話」のVocabulary Buildingに
出てきた”hero sandwich”って一体どんなサンドイッチなのか
かなり気になっている、らぶナベ@そんなにメジャーなのかなぁ?

さて、記念すべき2000年第一冊目に読み終えた本をば・・・
『翔べ麒麟』辻原登著(読売新聞社)1998年初版。
タイトルフェチの僕がこの題名に惹かれて一昨年くらいから
何となく読んでみたいなと感じていた小説。
古今和歌集に載っている阿倍仲麻呂の和歌・・・
あまのはら ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも
・・・は遣唐使として中国に渡りそこで皇帝に気に入られて出世したものの
日本に帰りたくても帰られなかった望郷を詠った悲歌として知られているが
果たしてこの歌は本当に悲歌なのだろうか?という疑問と
正倉院に収められている宝物の中で唯一出所の分からない七絃琴
(金銀平文琴)を物語の基点として書かれたちょっと珍しい歴史小説。

8世紀半ばの東アジアを舞台に唐政府の中枢を担う行政官、
阿倍仲麻呂(唐名:朝衡)と広嗣の乱の首謀者の息子として
汚名を受けながら遣唐使に参加した藤原真幸の二人を主役にして
日本と新羅の激しい外交対立、国際色豊かな長安の文化、
活力を失い楊貴妃に溺れる玄宗皇帝、中国社会の構造変化、
楊貴妃の従兄である宰相の楊国忠と阿倍仲麻呂の宮廷闘争、
李白や杜甫などの官僚出身の詩人たちの姿をえがいている。

『村の名前』で芥川賞を受けた著者と読売新聞連載ということから
読む前にはかなりお堅いものをイメージしていたが
唐代末期に起こった安史の乱の影で重要な役割を果たしたのが
実は阿倍仲麻呂と藤原真幸だという大胆な視点で書かれていた
思いきりの良さに思わず驚いてしまった。
阿倍仲麻呂をしたたかな政治家と捉えること自体には異論は無いが
ちょっとノリが軽すぎるかなと戸惑うようなところもあった。
ただスケールの大きな物語としてはさすがに読ませてくれたし
それなりに内容に深さもあった。
分量が多いしハードカバーしかまだ出ていないのであまり薦めしにくい本だが
こういうのが好きならちょっと毛色の違う歴史小説としてお薦めできる。

最後に読んだ感想を一言・・・
「俺もいつか麒麟のように翔べるだろう」

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2000 1/5
小説、歴史
まろまろヒット率3

伊藤真 『伊藤真の商法入門』 日本評論社 1997

今晩から来年までスキーに行くのでこれが今年最後に読んだ本になる。
読書録を振り返って見てみると今年は一冊きっちりと読んだ本が52冊だった。
吉本プロジェクトや就職活動などで忙しかった去年よりもずっと読めたので
来年はきっと良いことがあるだろうと思いこんでいる、
らぶナベ@さぁ読書も終わったので、いざ妄想銀行白馬支店設立へ!?
(ゲレンデ妄想ファンドを創ってやろう(^^))

さて、本題の『伊藤真の商法入門』伊藤真著(日本評論社)1997年初版をば。
「どんなに馴染みが無くても3冊読めば理解は飛躍的にアップする」という
僕の勝手な読書理論の方針に添って読み終えた商法関連3冊目の本。
この本の前に民法と民事訴訟法はすでに3冊読み終えていたので
商法の入門は何の問題もなく読み通せた。
民法を基本にして取引の活性化と流通を重視するために
保護の色合いを薄めたのが商法だからだ。
そういう意味でおそらく六法の中ではもっとも危険な法律なんだろう。
法学部の人が見たら怒る表現だろうけどどちらかを重視したら
どっちかが軽視されるのが現実なんだから仕方ない(^^;)

読み終わって一番感じたことは結局は法律なんてものは
どんなに公平、厳格を建前にして強調したとしても
「どっちを優先させるのか?」に落ちつくという点だ。
原則と修正という柔軟性はあってもしょせんはルールでしかない。
最後は限りなく二者択一的な戦略的勝敗に集約される。
そういう視点で見ればどんなにややこしかったり
むつかしそうに見える法学理論や判例も楽に理解できる。
現実社会の物事を実際に扱うんだから対立する利害を
完璧に問題なく公平に裁くなんてこと自体が最初から無理。
もちろんそうなって当たり前なんだがこのことを理解せずに
奇麗な語句で飾られた建前論を頭から信じ込んで法学に接すると
かなりやばい事になるんだろうなっとあらためて感じた。
それは僕が法学のずっと前に政治学と歴史学に接していたから
そう感じるんだろうけど。(混じりっけ無しの理想家こそ実践で弊害を生む)

以下、チェックした箇所・・・
☆「合理化」(アクセル)と「適性化」(ブレーキ)の調和が
商法のテーマ→対立ベクトルの調整が法律全体のテーマ

☆倒産という言葉は法律上存在しない。
→倒産と破産とはまったく別の概念!

☆「ヤオハン・ジャパン」倒産の直接原因・・・
大量に発行した「転換社債」が不況のために株式に転換されずに
社債として償還されてしまい決定的な資本割れをおこしたため。
→株式には払込金の返還義務はないが社債は債務なので返還義務がある

☆資本制度の大原則・・・
「資本充実の原則」、「資本維持の原則」、「資本不変の原則」

☆手形における法律関係には手形関係(手形法)と原因関係(民法)の
「二本立ての法律関係」がある。

☆民法と商法との違い・・・
<法的利率>
民法→5%、商法→6%
<債権時効>
民法→10年、商法→5年(手形法→3年)
<支払免責>
民法→善意無過失、商法→善意無重過失

☆民法第93条から96条までの意思表示瑕疵に関する規定が
手形行為に適用されるかどうかの争いがある。
→取引の安全を図るために民法の原則を修正する

○商法ではまずどんな利益が対立しているかを理解することが最も重要。
→条文の趣旨を読みとること!

○範囲が広い商法の中で特に重点的なポイント・・・
<会社法>
株式会社→「資本制度」、「設立」、「株式」、「機関」
<有価証券法>
約束手形→「有価証券理論」、「振出」、「裏書」、「支払」
<商法総則・商行為>
商法総則→「商人」、「商号」、「商業使用人」、「商業登記」

○「資本金」とその会社が実際に持っている「財産」とは基本的に無関係。

○株式会社の出資者(社員)は「間接有限責任」しか負わないので
その会社の債権者を保護するために会社財産の確保が必要→「資本制度」

○「資本」は枠組み、「財産」は中身。

○純粋持ち株会社は独占禁止法改正で解禁された。

○商法上株式の払い戻しのことを「退社」と呼ぶ。
→「資本維持の原則」からこれは認められない。

○「株式譲渡自由の原則」の存在理由・・・
・会社にとって株主の個性は問題にはならないという「許容性」
・投資家にとって投下資本回収の唯一の方法だという「必要性」

○取締役は商法上の「忠実義務」の他に民法上の「善管注意義務」を負う。
→これは株主共同訴訟などで重要になる点

○取締役は「競合避止義務」、「利益相反取引規制」、「報酬決定の制限」
を受ける。(前の二つは取締役会の承認あれば可)

○会社の役職を現す社長、専務、常務などの言葉は商法上には無い。
法律上での役職は「取締役」、「代表取締役」、「監査役」しかない。
→日常用語とはまったく別の概念

○商法第254条2項が所有と経営の分離を表している。

○「変態設立事項」とは会社設立に関して定款に定めないと
効力が認められない「相対的記載事項」の一部。
→「現物出資」、「財産引受」、「設立費用」など

○商法で言う「信用の授受」とはお金の貸借りのこと。

○手形は信用授受の手段、小切手は単なる支払の手段。
→手形は振出した本人が支払う、小切手は支払を委託するだけ

○手形の裏書人の人数が増えれば増えるほど保証人=人的担保が増えるので
手形が流通していく上で支払がより確実になっいき理論上は
「流通促進の法技術」となる→ただし実務では「回り手形」として警戒される

○手形の債務がどの時点で発生するのかという「手形理論」では
「交付契約理論」と「創造理論」が対立している。
→手形事件の時には大きな焦点に、ただしどちらも「善意無重過失」で
取得した手形所持人は保護されるという結論は同じ

○手形関係と原因関係との文言・・・
・原因関係と併存するつもりで手形を振出せば「支払のために」
・そのうちどちらを先に行使してもいいならば「担保のために」
・原因関係上の権利を消滅させて振出すならば「支払に代えて」

○裏書きの効力・・・
・「権利移転的効力」
・「担保的効力」
・「資格授与的効力」

○「権利外観理論」とは善意の手形取得人を保護すべきとした
条文には書かれていない学説上の理論。

○振出人が支払を拒む事由には・・・
「物的抗弁」→すべての人に主張できる
「人的抗弁」→特定の人にだけ主張できる
・・・の二つある。

○手形取得人を保護する制度は「人的抗弁の制限」と「善意所得」の二つ。

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1999 12/27
法学、商法
まろまろヒット率3

就職エッセイ

フジテレビ系列で昔放送していたドラマに『ロングバケーション』というものがあったが、
その中で木村拓也が山口智子に「もういい年なんだからさぁ、
結婚しただけで幸せにしてもらおうって考えやめたら?」
みたいなことを言うシーンがあったように記憶している。
就職活動もそれと同じだろう。
「もういい年なんだからさぁ、どっかに入っただけで幸せにしてもらおうという
考えやめたら?」ということだ。
僕がそんな風にカッコつけて言ってもモテないのでちょっとむなしいが。
その会社に入ることで幸せにしてもらおうなんて
ちょっと虫の良すぎるすぎる話だろう、もう二十歳もとっくに過ぎているんだから
そういう他力本願は通じないことに気がつかないと
どんなに意気込んで就職活動しても結局は独りよがりに終わるだろう。
戦後高度成長期からバブル期まではそれで良かったんだろうが
社会構造は大きく変わりつつある。
これまで生きてきた人たちならいざ知らずこれから先を生きる僕たちの世代が
その変動を受けとめずに社会の最前線である企業で働くなんてかなり無謀だ。
これは就職活動だけでなく新卒採用者三分の一が
辞めてしまうことにも通じるのだろうが。
実際、僕自身の就職活動を振り返ってみてもその企業に入ること自体が
目的になってしまっているような人たちはことごとく落ちている。
例えば内定をもらった企業の役員さんから
「うちも取りたいと思ってるから面接するんだけど、
選考の選択肢にも入らない学生が多いんだよ」ということを聞いたことがある。
興味があるので話をよくよく聞いてみると「御社はすばらしいですね!」とか
「入ってからがんばります!」ということを強調したがる人間がやたらと多すぎる
ということらしい。いくら面接で「入ってからめちゃくちゃがんばります」
ということを言ってみてもその人間が実際にがんばることができるのか
どうかなど判断できるはずがない。
まず最初に『自分は今までどのようなことをしてきて』、
『どのようなことを感じてきて』、『これからどのようなことをしたいか』
ということを話してみてその人間がその企業に合っているのかどうかを
判断する材料が始めて揃う。
それから本格的な採否判断がおこなわれるというのに
頭ごなしに熱意を見せようと空回りしてしまって
やたらと一人で盛り上がったりする人間がいたりするらしい。
僕自身もそういう人たちと何度か同席したことがあるが
確かに彼らはものの見事に落ちていた。
結局は『採用されるのは自分自身でそれを判断するのは企業自身の仕事』
なんだからその企業への安易な分析やどうしたら
その企業の人に気に入られるんだろうという
せせこましい気づかいはかえって逆効果だ。
自分のいままでのこと、いま感じていること、
これからやりたいことを話してみてその企業と合うか合わないかを模索するのが
就職活動だ。そうでなければたとえその企業に入ったとしても続けられないだろう。
就職活動中もそのような方向性で企業側も採用活動をおこなっているのだと
確信することが何度かあった。
例えば僕が内定したエニックスという企業の部長面接では
5人の学生が一度に呼ばれて質疑応答するという形式だったが
企業側からの質問に「うちの悪口を右から順に言ってみてください」
というものがあった。
学生が言い終わった後にすかさず「悪いところを知ってなおかつ
この場に来ているんだから何か対策案を持っているはずだ。
今度は逆の順でその対策案を述べてください」と求められたことがある。
その時に今まで理路整然とした発言を続けていて
まさに準備万端で面接に臨んできたことが伝わってくる学生が
一気にしどろもどろになってしまった姿を見たことがある。
「確かに彼は優秀かもしれないが悪いところが眼について
その対策案を持てないようなら彼自身がこの企業に入ることは不幸なんだろうな」
と同じ学生である僕でさえ感じられたことがある。
その企業が何を求めているかどのような人材を欲しているのかが
一瞬にして伝わってきたことがある。
もちろん大学入試の延長と同じ方針を持って入ることを第一目的に捉えるという
考えもあるだろうし、中にはまだそのような方向で
新卒採用活動を実施している企業もあるのもまた事実だ。
だからその企業に気に入られるための戦略を考え抜いて
それに徹して臨むという就職ポリシーも十分に有効だと言えるだろう。
しかし、そのポリシーを採って就職活動するならば
その精度を徹底して上げなくてはいけない。
数週間やそこらでちょっと準備したくらいでは通用しないのが現実だ。
わずか4年しか所属しない大学入試でさえ2年前か
最低でも1年前から準備するものなのだから、
もしパーフェクトで勤め上げるなら35年以上は所属することになる就職では
せめて入試に匹敵できるくらいの期間と労力は必要だろう。
そしてこの就職ポリシーはNo.1の人間しか生き残れないという厳しさもある。
最後は抜群に武器になる資格を持っているとか学歴が決定的に良いとか
スポーツで日本一に近い位置につけたとかいう外面的な点で決まってしまうからだ。
どちらにしても『自分は「No.1」で行くのか
それとも「Only one」でいくのか』を明確化しなといけないだろう。
確かに就職活動は厳しい。厳しい状況下では特に方針に
迷いがあってはいけないというのが戦略の鉄則だ。
自分の学歴や持っている資格、そして経験と人格のすべてに
よっぽどの自信を持っているなら話は別だが、
それほど恵まれたものをそろえていないと感じるならば
持っている資源を最大利用する道を選ばないと続かないだろう。
よく就職活動の始まったばかりの時はやたらと勢いがいいのに
ゴールデンウィーク当たりから息切れしてきて肝心の内定が出る頃には
完全にダウンしている人を見かけるが僕の知りうる限り
そういう人たちはことごとく「No.1もOnly oneも」目指している人たちだ。
なぜそうなるのかと言えば自分自身の中ではなく
まわりに自分が拠って立つべきものを見出しているからそうなってしまうのだ。
例えば企業を評価する場所の一つである証券市場を取ってみてみよう、
統計を見れば市場では圧倒的多数が失敗者で成功者は圧倒的少数だ。
だから「まわり」に合わせていれば必ず負ける。
これは就職活動も同じで内定獲得者は圧倒的少数で圧倒的多数が不採用者になる。
自らどこで勝負するのか決めていない人間はやたらと「まわり」に合わせてしまい、
それを絶対視する傾向にある。例えば面接で落ちた人間から
「まわりはそんなこと言う雰囲気じゃなかった」とか
「まわりにそんな人間になかった」という発言を聞くことが多いが、
その「まわり」とはしょせん多くても10人前後の集まりでしかない上に
どれも落ちている人間たちのことだった。
つまり不採用者に合わせれば不採用になるのは当然のことだ。
どうしても大学で普通に生活しているだけでは
仲良しグループで集まってすごすことが多くなり、
そこでできた小さな「まわり」の常識や感覚に自分の基準をおいてしまう。
そしてその「まわり」がたとえ違っていても気づかないこともある。
僕はこのことを吉本興業にインターンシップに行って始めて気がついた。
アルバイトでもヴォランティアでもなくインターンシップという状況で
企業に研修に行ってみるといかに自分の「まわり」での常識や感覚が
実際の社会とは違うのかということが痛いほど感じられた。
多くの人はこのことを就職活動でもしくは入社後に感じるのだろうが
インターンシップで感じられた僕はこの点で極めて幸せだった。
資格も学歴もスポーツも経験も人格も武器にはならない僕のような人間が
数社から内定をもらえたのもこのことに気づいていたからだと確信できている。

「まわり」と違うことをおそれないこと。
そのためには自らが拠って立つべき方針が必要だ。
特に僕の場合はやりたいことが明確になっていなかったし
勝負できるような資格も学歴もなかったので
仕事や企業を選ぶ上での基準を自分で作るしかなかった。
まず『厳しいと言えばどこも厳しい、しかしその厳しさには種類があるはずだ』
という意識を持つことからスタートした。
就職活動中は「~は厳しいらしい」、「うち厳しいよ」という話を
耳にタコどころか大王イカができるほど聞くことになるし、
それに惑わされることも多い。
実際に厳しいのだから余計にそれは説得力を持って重くのしかかってくる。
しかし厳しいと一言で言いきる前にどういう風に厳しいのかを
見つめてみるべきだと感じた。
そこで僕は厳しさを・・・
『普段自分の好きなことができず上司には黙って従わないといけないが、
いざという時は責任がある程度分散できる厳しさ』
『普段ある程度自分の好きなことができて上司にも思うことを述べることができるが、
いざという時は自分自身が責任を被らなくてはいけないきびしさ』
・・・という二つに分けて見るようにした。もちろんどちらもとても厳しい。
厳しいからこそ『どの厳しさの下なら自分は続けられるのだろうか?』
という考えを持って就職活動に臨んでみた。
僕の場合は前者の厳しさは気持ち的に続かないだろうなと感じていたので
漠然とだが後者を選ぼうと思っていた。
企業に関するさまざまな事件報道を見たり積み立て年金の問題や
規制緩和の話を聞く度に「いざという時は守ってもらうという安心感を
頼りにして厳しさに耐える前者であっても
結局これからその保障はなくなっていくやん」と思わざるを得なかった
とういうこともあったからだ。
このような視点を持てるようになったのはインターンシップでの経験から来たものだ。
そういう意味で僕にとってはインターンシップは留学以上に役に立つものだった。
また、ちょうど新卒採用者の三分の一は辞めていくという情報が
入って来始めた時期でもあったことは
この視点を持つ必要性を感じたきっかけの一つだった。
こういう方針をもっていたので就職活動で迷うことは少なかった。
就職活動中はたぶん前者は公務員、金融、商社などの総合職で
後者はエンターテイメント、ゲーム業界などの企画職だろうという仮説を持って、
それを確かめようというささやかな野心を持っていたので
採用担当者の方々と話をしても面接を受けているというよりも
こちらから探りを入れて相手の本音を聞きだそうという意識の方が強かった。
おかげでいわゆる就職マニュアルは必要なかったし本音で話し合えることができた。
言いたいことを言い、聞きたいことを聞き出したのでやっていて充実感もあった。
たとえそれで落ちても「ああ、ここには合わなかったんだ。
入らない方が良かったんだろうな。」と自然に思えた。
自分の悪いところも見せて「採っても良い」と思ってくれる企業なんて
そういくつもないだろうと最初からタカをくくっていたからだ。
そう考えてみると就職活動で行くすべての企業から気に入られて
内定をもらおうなんてもしかしたらとんでもなくおこがましいように感じる。
そんなにすごい人間ってそんなにいないしましてや自分が
そんな人間であるはずがないんだから。
また、こう考えていたからこそ採用担当者の方とは
お互い一人の人間として話ができたように思える。
逆にもし「この企業に合うように」という方針を持って就職活動に臨めば
どこが悪かったのかわからずに自分を見失っていただろう。
曖昧な焦燥感に潰されていたかもしれない。
自分なりの方針を持てなければどうなっただろうかと思うとちょっとぞっとする。
そしてその方針を信じられるか信じられないかで
就職活動の正否は決まってくるだろう。

そんな風に書いてしまうとやっぱり就職活動ってとんでもなく厳しいものだ
と感じる人もいるかもしれない、
現に統計的な数字だけを見ればそう思うのも当然だろう。
しかし、就職活動は旅行をする以上にいろいろなものを見聞きしできるし、
旅行とはまた違った新鮮な出会いや感動がある。
その上そうした体験を通して自分自身を見つめ直す機会にもなる。
今までにない感覚を味わえてなおかつ就職先が見つかるなんて虫が良いくらいに
お得な機会だ。例えるなら旅行をして逆にお金がもらえるようなものだ。
世知辛い世の中だと言われるがまんざらでもないなと思えてしまう。
就職活動をすると普段、何気なく通り過ぎていたビルの一つ一つにも
それぞれの小宇宙のような世界があったんだということを教えてくれる。
いつもは何気に使っていた製品やサーヴィスにもそのすべてに
小説何冊分にもなるドラマがあるんだと気づかせてくれる。
いつもの場所、いつもの日常を送っていても
まるで世界が広がったような感覚を持つようになる。
知らない場所に行くことも新鮮だが普段知っていたと思っていた場所や
ものの中にドラマを発見することもかなりエキサイティングなことだ。
例えば上の方で証券市場の話をしたがこれは内定を辞退したものの
あまりのもエニックスという企業がすばらしいので
最小単位株を東京在住するための敷金+礼金を投資して購入したからだ。
もし就職活動をしなければ一生株なんて始めなかっただろう。
また、就職活動で出会った学生や企業の人たちとも今でも親好がある。
時には辞退した企業から仕事に関する話が振られてきたりすることだってあった。
それはその企業に合わせるための就職活動をしたのではなく
自分自身の考えを話す就職活動をしたからこそ入社に関わらず
関係が続けられるのだと感じている。
このような出会いは旅行でさえなかなかできないものだろう。

沢木耕太郎の小説のように自分発見の旅がしたいなら
まずお金のかからない就職活動をすることをお薦めしたい。
もちろん『ロンバケ』を見直して。


『スーツの中身』の原稿。
精神的にいっぱいいっぱいだった時期に書いたので
ちょっといやんな感じもあるけどメモなのでこのままアップ。

1999 12/20
まろまろコラム

伊藤真 『伊藤真の民事訴訟法入門』 日本評論社  1998

らぶナベ@進路決めたので気分は爽快、蒼天に航路はあるって感じっす(^^)

さて、『伊藤真の民事訴訟法入門』伊藤真著(日本評論社)1998年初版。
民法入門に続いて読んだ伊藤真シリーズ。
読んで感じた最大のことは民事訴訟法、刑事訴訟法のいわゆる手続法は
攻防戦をするシステムなので判決はその戦いの結果にすぎないということだ。
「どちらがどう勝った?」、「どのような攻防があったのか?」という
視点で見るとどんな難解な部分も十分理解できることに改めて気がついた。
『大戦略』『信長の野望』を持ち出して考えれば余裕、余裕(^^)

以下、理解に苦労したり記録の価値があると思った箇所・・・
☆民事訴訟法の定義とは「私的紛争の公権的解決」。
→私的vs公的のせめぎあいという視点が重要。

☆民事訴訟法の判決根拠プロセス・・・
・「その権利が過去に発生したか?」→「現在まで消滅していないか?」
・・・の二つをクリアした時に「権利がある」と結論づける一種のパズル。
・訴訟物の有無←権利の有無←要件事実の有無←証拠の有無。

☆「訴訟上の請求」=「訴訟物」。

☆「訴訟要件」を満たす上で特に重要なもの二つ・・・
「訴えの利益」と「当事者適格」。

☆民事訴訟での「訴え」とは裁判所に対して要求するもの。
→権利の存在を裁判所に認めてもらうだけで被告に要求するものではない!

○民訴の目的はある権利がいま存在しているかどうかを明らかにする、
刑訴は権利があることだけでなく犯罪事実があるかどうかを明らかにする。
→民事訴訟法の「訴訟物」は「権利」、刑事訴訟法の「訴訟物」は「事実」。

○民事訴訟法の大目的二つ・・・
・「紛争解決」→事実関係は曖昧でもよい。
・「手続保障」→少数者保護と既判力維持のため。

○当事者とは判決の宛名人になる者。

○「時効の中断」とは振り出しに戻ること。(単に止まる訳ではない)

○訴訟の主体の違い・・・
・「当事者能力」=そもそも当事者になれるのかという一般的な資格。
・「訴訟能力」=民法上の権利の主体にはなれるが一人では
訴訟行為ができない人のための制度(未成年者や禁治産者など)。

○訴え自体が不適当として却下する判決が「訴訟判決」、
適当となれば「本案判決」に入る。
(ここまでは手続法での判断)
本案判決にはその是非を下す「認容判決」、「棄却判決」がある。
(これは実体法での判断)

○既判力は判決の当事者にしか効力を生じないのが原則だが
例外として「対世効」がある。(形成の訴えなど)

○当事者能力は一般的能力だが「当事者適格」は訴訟物ごとの個別能力。

○「弁論主義」三つのテーゼ・・・
・第一テーゼ
「裁判所は当事者の主張しない事実を資料として採用してはいけない」
 →あくまでも当事者が主導権を握るのが原則。
・第二テーゼ
「裁判所と当事者間に争いがない事実は
そのまま判決の資料として採用しなければならない」
 →必ずしも真実でなくてよい、形式的真実主義。
・第三テーゼ
「当事者間に争いのある事実を証拠によって認定する際には
必ず当事者の申し出た証拠によらなければならない」
 →第二テーゼとの違いは主張レベルと立証レベルとの差。

○「口頭弁論」は必ず書面で準備しなくてはいけない。
→実際の裁判ではにはものの一分もかからないで終わってしまう。

○口頭弁論の中でその事実に対して一つ一つ認めるのが「自白」、
訴訟物レベルで認めるのが「請求の認諾」。
→刑訴の自白とはまったく意味が違う!

○「挙証責任」=「それを証明することによって利益を受ける人が負う」。

○既判力の標準時になるのは「事実審(一審と二審)の口頭弁論終結時」。

○「既判力の遮断効」の修正の判例判断・・・
・取消権の主張→X
・相殺権の主張→○
・建物収去土地明渡請求訴訟で負けた賃借人による建物買取請求権の主張→○

○訴訟客体の複数・・・
・「単純併合」
 →各請求を単に同列にして審判を求めること。
・「選択的併合」
 →各請求のどれか一つが認容されれば他を解除条件に審判を求めること。
例:所有権に基づく返還請求と占有権に基づく返還請求の同時審理など。
(旧訴訟物理論のため)
・「予備的併合」
 →各請求に優先順位をつけて審判を求めること。
例:目的物引渡権が認められなければ代金支払請求権を求めるなど。

☆共同訴訟の違い・・・
・「通常共同訴訟」→判決が当事者ごとバラバラの判断になっても良い。
・「必要的共同訴訟」→判決を統一しなくてはいけない。

○必要的共同訴訟の中で全員で訴えなくてはいけないのが
「固有必要的共同訴訟」(土地の複数遺産分割確認の訴えなど)、
一人でも訴えられれば「類似必要的共同訴訟」(会社設立無効の訴えなど)。

○「独立当事者参加訴訟(三当事者訴訟)」は三つ巴で争うこと。
→改正でその中の「片面的独立当事者参加」も認められるようになった。

○訴訟中に実体法上の変更があるのが「訴訟の承継」。
→任意的な当事者変更の場合には実体法上の権利関係は変更しない。

○「上訴」は判決が確定する前の話、「再審」は判決が確定した後の話。
「抗告」は判決の決定と命令に対する簡単な抗議。

この本をamazonで見ちゃう

1999 12/18
法学、民事訴訟法
まろまろヒット率3

進路の方向性確定

2004年まで司法試験の勉強をして弁護士になる方向性が内外で確定化。
親以外では12日に吉本興業のMさんに話したのをきっかけに
弁護士になるということを気持ちの上では確定していたが
それを周りにも宣言して道を固める作業をする必要があった。
その最大のものは大学院で佐藤教授とT教授にも伝えて
修士論文をどのような内容にするかという大きな問題があった、
そこでいままでの今日分野での修論構想と法学での修論構想両方
創っていって提示して相談したが今までの興味分野の修論との
両立ができるという話だったのでこの方向で進むことになる。
指導教員を変更することまで視野に入っていたが(T教授案)
佐藤教授の「山本さんとこだけは絶対にやめとけ」との意向で
枠組み自体はシフトしないことになった。
弁護士の進路については反対されるかなとも思っていたが
意外にあっさり通った(佐藤教授からは「博士に進むというなら
止めただろう」と言われたが)。
20代で挑戦できる環境にあることは幸せだと思うので思いっきり
挑戦しよう、大学入学から経験してきた読書を法学にシフトすれば
必ず受かる確信もある。通れば10年ごとに大きなステップを
踏むことにもなる。ためらわず進むだけだ(^_^)

1999 12/15
出来事メモ、進路関係