佐藤ゼミはじまる

僕にとってはこれから研究して行く上での多くのヒントがあったように思える。
特に終わってからさとまんの個研で話たときに出てきた
「研究者とは誰に何を言われようと、最後まで自分の意志を通す面が大事」
という言葉が印象に残っている。
それは何に対しても言えると思うが、「けっきょく自分は何がしたいのか?」
それが最後には一番重要になってくるように思える。
それを明確にすることが僕のこのゼミでの目標だ。

また、大きく前進した点としては・・・
1:意思決定(決める)と政策形成(決まる)とは違うということが確認できた
2:僕のやりたいことは「リーダーシップ」だということがわかった
3:院についての知識が深まった
4:来週までの仕事ができた(笑)
・・・というところが具体的な成果だと思う。
今日は合気道の道場でも「上に指導者がいるなら、怒られてなんぼや!」と
言われたところ(^^)これからも萎縮せずにやっていこう。

1997 4/10
出来事メモ

第6回政策・情報系大学交流会(チューターデビュー)とその前後の分科会活動

初日:服部の車で芳子ちゃん、あっちゃん、雄大と共に東京を目指す。
途中、雄大の家に寄ってから名古屋で味噌カツを夕食に食べた。
いろいろみちに迷ったので7時前後に南邸に着く予定が
早朝2時半に着いてしまった。
南さんと香織ちゃんと正直くんがいて、酒宴を開いてくれた。

二日目:昼頃起きて,中大に昼食を食べに行く。末武(T.K)さんが
慶応SFCの院に受かってなおかつ卒業できるということなので、
そこらへんにいた人と共にヒルトップ4階でお祝いする。
南邸に帰ってきてから正直くんが持ってきたエヴァを8話まで見る。
あっちゃん、末武さんとその彼女(エリカ)と琴子ちゃん、香織ちゃん、
南さんなどと「エヴァ大会」(1~8話まで)をする。
みんなはまりまくっていた(笑)
交流会用のパンフレットの製本もかなり手伝うことになったが、
それから「桃鉄」を朝までやった。

三日目:早朝にうっちーと森さんが南邸にやってきた。
1時くらいに起きて、横浜まで舞えぷーを迎えに行く。
せっかくなので横浜のラーメン博物館に行き、
昼御飯を食べてじゃんけんイベントに参加する。意外と面白かった。
南邸でタメ、向井地、うっちー、森さん、西村などによる
パネルディスカッションの話し合いがおこなわれたが、
気にせずプレ分科会のエヴァ上映と「ときメモ」をする。
エヴァを見ていると南さんが話し合いとは別に集中してしまうので(笑)、
ときメモを舞えぷーに体験させた。
彼女は早乙女優美狙いで、見事政策を達成した。
そうした中であっちゃんやしゅにに頼まれて、
交流会のパンフレットを完成まで製本する。

四日目:慶応SFC井関教授の基調講演(なぜ慶応SFCは設立したか?
その時代的背景)がおこなわれた。話し口調がとてもうさんくさかったが、
とても飲み込みやすい内容だった。つまり目新しいものは無かったが、
いままでの解釈の役に立つモノでは合った。
特に政策の方のプレ分科会としてはちょうど良いなものだが、
正直くんがそとで寝るなどその効用は疑わしい。
レセプションの時に各分科会チューターの挨拶があったが、
僕の分科会の説明が一番注目を受け、笑いを取れた。
夕食後に政策立案ゲームのレクリエーションがあり、香織ちゃんや
三上や昌也と同じ班で「おじいちゃんの心の支えである古い
エーデルワイスのオルゴールをいかにゆずってもらうか?」
という政策を考える。オルゴール以上の心の支えをおじいちゃんに
提供すれば必然的にオルゴールを手放すだろうからときメモを応用して
「ときめき・まさよ・メモリアル」というゲームをおじいちゃんに渡す
政策を考える。とても受けを取り、唯一と言ってもいいほどの政策を
全面に立てた班だったが二位だった。
最後の審査員の評価もいまいち納得できないモノだった。
深夜にエヴァ大会をおこなうが、参加者が多くてちょっとびっくりした。
レセプションといい、エヴァ大会といい、分科会は予想外に好評だった上に
政策立案ゲームでも盛り上がれたので思ったよりも面白い日になった。

五日目:いよいよ分科会初日。この日のために去年の11月からMLを中心に
シンポジウムなどを通じてこころをくだいてきた。
MLの総数は交流会以前ですでに210通を突破していた。
次に多いタメ&しのプレゼンツでさえ、140通に満たないことを考えれば
我ながらよくやったと思いながら分科会当日を迎えた。
朝食後、後楽園の理工学部キャンパスに向かうが中大の正直くん
琴子ちゃんとも道をよく知らず、着いたのが10時半。
関学KSCグリーン教授のリーダーシップ法を元に各自の動機、
獲得目標などをはじめに明確にしてもらった。その後各自の中のオタクの
イメージ、定義などを黒板を使って語ってもらった。
面白いのはこの分科会に来ている人間でさえ、いざ自分の中のオタクの
イメージ、定義について語るときにつまるということだ。
つまり自分でわかっているつもりでいるが、結局ちゃんと振り返って
考えたことのないトピックスだということが明らかになったのが良かった。
そろそろ昼御飯かなというときにアキラくんがようやく登場した。
彼の参加目的、オタク像などを語ってもらううちにお腹が空いたので
理工学部の地下にある学食に昼食をとりに行く。
その豪華さと安さに感動、ステーキ定食が600円だった。
午後からのフィールドワークの意見を求めて、渋谷の「まんだらけ」に行く。
いきなり2階の受け付けにショコラのコスプレをした姉ちゃんがいたのに
笑かしてもらった。いろいろ店内を歩いてフィールドワークしたが、
特に3階のエヴァトレーディングカードのところには人だかりが出来ていた。
琴子ちゃんとアキラくんが夢中にお気に入りのカードを探していた。
全体的な感想といては店内の客層もごくごく一般的な人が多く、
可愛いおしゃれな女の子も多かった。
その後、コスプレグッツ販売専門店に行き、その足であこがれの(笑)
アンナミラーズに行く。
数分上の階段で順番をウェイトレスさんを見ながら待った後、アキラくん、
琴子ちゃんと同じ席に座り、チェリーパイにアイスクリームが
かかったのを食べた。
オリセンに帰り、風呂に入った後にディベート大会を見に行くが
中止になっていたのでバレーを観賞した。
そこでカイに誘われてもう一度風呂に入る。風呂では服部もいたので
下ネタ芸で盛り上がった(^^)
AM2時55分にみんなを起こして深夜にエヴァの再放送を見る。
前日よりも人が増え、二つある談話室の両方を使って見ていた。
ちゃぷれんなどによれば、そこらじゅうでエヴァが面白いという話
を耳にするとのことだ。
分科会メンバーのミニマムライン突破を目的としたエヴァ大会だったが、
予想をはるかに越えた反応があってうれしかった。
エヴァが終わる頃に、3分間の報告会をプレゼンにして欲しいとの
立命STAFFの決定が耳に届いた。
まったく分科会の現状を無視した勝手な決定なので不服であったが、
つっちーや服部になだめられて受諾する。
その政策変更のために次の日に予定していたフィールドワークを中止し、
一日話し合いに使うことを決定して2時間だけ眠った。

六日目:朝食から香織ちゃんがT&Tから抜け出して参加してくれた。
午前中で舞えぷーが帰ってしまうので「オタクと政策」分科会会議室
&たまり場と化してしまっている(^^)男部屋で話し合いを進める。
香織ちゃんに動機、獲得目標を言ってもらった。途中、泉が乱入してきて
言いたいことを言ってから自分の分科会に帰っていった。
そこからようやく僕がこの分科会で言いたかったこと、オタクというものが
台頭する社会的背景、性質そのものが政策学と類似している点、
二つは同じような条件下で顕在化してきたものだということを言った。
メンバーにとってはかなり衝撃的だったらしく、
何かしらの感動を覚えてくれたようだ。
この段階で「ちゃんと参考文献を読んでいれば・・」という参加者から
(アキラくんなど)のセリフがようやく聞けた。
ことあるごとにアップし、どれか一回は見るように読むようにと奨めていた
資料を見なければ議論が幼稚なレベルになるのは当然だということを
理解してくれたようでちょっと嬉しかった。
12時くらいに舞えぷーが帰かえってから、メンバーの集中力が
散漫になってきたので2時間だけお昼寝タイムをもうける。
3時半まで寝てしまった。唯一香織ちゃんだけが起きていた。
みんなが起きてからオタクというテーマについてある程度まとめる。
そこから次の日の3分間プレゼンにそなえてレジュメ制作にかかる。
アキラくんを記述者としてみんなでアイデアを出し合う。結果的に
このレジュメ作成をすることで分科会の議論をまとめる作業となった。
夕食を食べてからレジュメ作成の続きをみんなで意見を出し合ってする。
書記をアキラくんにまかせてどんどん書いていく。
レジュメは11時のチューター会議に間に合わすように提出ということだ
ったのでチューター会議にもアキラくんに来てもらって作成を口答で続ける。
会議でレジュメ提出は1時半まで延長になったので部屋に帰ってみんなに
最終確認してもらう。それからSTAFF詰め所にフロッピーを持っていった。
プリントアウトの時に服部にはかなり気を使ってもらった。
Windows用に変換したにも関わらず、何とプリントアウト用の
Windows機では認識できずに苦労した。
いろいろ試したが最終的に部屋でカイのWindows機と僕のMacを並べて
三條くん、アキラくんの二人に手書きで移し変えてもらった。
作業中にカイと抜け出して二人にコーラを持っていってあげる。
この時はカイにおごってもらった(^^)。
何とかレジュメをプリントアウトして提出した後、
コンビニに夜食を買いに行く。
帰ってきてしばらく他の人が寝ていたが、エヴァの再放送時間になったので
起こすとすたすた見に行った。二つ談話室があったが二つともエヴァを
観賞する人で埋め尽くされていた。話は「運命の選択を」や
「男の戦い」などだったため、初めて見る人にはかなり衝撃的だったようだ。
二つの談話室にいた知り合い、あっちゃんと南さんに終わってからの
後かたづけを頼んで一人部屋で仕事をする。
部屋の前には「分科会以外の人にもサービス、サービスぅ!」という
張り紙を張っていたのでつっちーが入ってきていろいろ話をする。
その後、アキラくんに書記を頼んでプレゼンのアイデアを出し合いながら
みんな眠りにつく。しかし寝付けなかった。

七日目:朝起きて部屋を大掃除し、本部に報告して分科会で朝食を取り、
閉会式会場に向かう。午前中と午後に分科会プレゼンがあり、
その後に分科会報告会として我が分科会の発表がある。
実はこのときまでほとんどプレゼン準備をしていなかったので
(出来るわけない)他の班のプレゼンを聞かずに違う館のヴィデオを見れる
談話室に行ってプレゼンを考える。プレゼンの最初にエヴァのOPを使うか
映画の予告を使うかなどということから、セリフ台本までを話し続けたが、
強烈な眠気が襲ったので思わず椅子で寝てしまった。
起きたのは昼でその間に香織ちゃん、アキラくんが中心になって
プレゼンの概略、台本を完成させてくれていた。
とりあえず会場のプレゼンもいったん昼休みに入ったようなので
昼御飯を食べに行く。食欲が無くほとんど何も食べなかったが、
分科会の人に頼んでSTAFFに3分間プレゼンに必要な機材などの
交渉しにいってもらったり南さんに出演依頼したりした。
やはり3分プレゼンで監督件主演のアキラくんがBGMを使いたいということで
正直くんに新宿までエヴァのCDを借りてきてもらう。
その間にプレゼン会場のはしっこで台本をプリントアウトしてもらう、
セリフ合わせをおこなったが最終的には外に出て廊下で読み合わせを続けた。
だいぶ混乱もあり、役回りも直前で変更したが時間もないので
プレゼン準備を切り上げスタンバイする。
分科会プレゼンは思った以上に受け、笑いを取れた上に「オタクと政策」
というものの理解も深まったようだ。
安藤をはじめ多くの人が終わってから握手を求めてきて絶賛してくれた。
このプレゼンで一気にその場の空気、「オタクと政策」分科会のイメージを
良い方向に転換できたと思う。
それから閉会式も無事終了して、みんなで新宿の打ち上げ会場に向かう。
打ち上げは例のごとく内輪で盛り上がっていたので一次会であっちゃん、
近藤と共に抜けてオリセンに荷物を取りに行き、南邸に帰った。
帰りに近藤とはぐれて、眠って特急を乗り過ごし遠回りをしたが
無事八王子に到着し、南邸に到着し近くのコンビニで近藤とも再開して
帰った。電話で南さん達はこの日はオリセンに泊まるということで、
ひさびさにのんびり洗濯、熟睡が出来た。
それから3/14まで秋葉原に二度も行ったり『エヴァ』のラストまで
上映したり中大のヒルトップ食べ歩きをしたり『銀英伝』大会をしたり
『ときメモ』を多くの人にはめさせたり、うっちーさんや安藤と
だいぶ話しこんだり、中大の情報関係のもめごとに自分なりの評価を下したり
二進法を南さんから教えてもらったりと多くのことを体験して大阪に帰る。

総合評価:チューターとしてのデビューだけでなく初めて組織を運営した上に
この分科会のためにシンポジウムに出席したりプレ分科会として
交流会当日だけでなく関東に滞在出来ることとなった。
多くの不測の事態、不利な状況に陥ったが多くの人に評価され
何とかやり通せたと思う。
またMLを含めた分科会運営では、今まで知識として仕入れた多くの組織論、
リーダーシップ法などを実験できた。
非常に、非常に多くのモノを得れた体験だった。

1997 2/25~3/14
出来事メモ、政策・情報学生交流会

シンポジウム「メディアが創ったオタク」パネリスト参加

関西大学高槻キャンパスにて・・・
パネリスト:
宮台真司(都立大助教授)
岡田斗司夫(東大講師)
平康俊紀(関大生)
倉元秀一郎(関大ジャーナリズム研究会)
自分(立命政策科学部、PSおたっきぃーず総司令)
司会:
岡井崇之
人見陽子(総合司会)

開始直前の打ち合わせの時点で宮台、岡田両氏と「政策学」をめぐって
火花を散らしたので「これは面白くなりそうだ」と思ったがその通りになった(^^)
はじめはそれぞれのオタクに対するイメージを語るところからはじめたが、
ジャーナリズム研究会からのデータ解析のところがうまくいかなかった。
僕は社会構造の変化がオタク的なものを台頭させたと思うと語ったが、
岡田氏にはいまいち納得されなかった。
一部の途中、議論を静観することもあったが
「突っ走って行こう」ということだったので、素直な意見を言った。
休憩中に宮台氏に「いい味を出しているよ!」とかはげまされたりした。
後半は企画を変更してフロアからの意見を求めることをした。
これに対しては両雄の話にのっかかる感じで発言、
「えるぱるショップのH同人誌売場らへんにいる人が熱く眼が輝いている」
と一般から起こりつつあるオタクに対するあこがれを実体験に基づいた
発言をし、教育の話で有害コミックを買い続けたエピソードを語る。
意外と受けたのがうれしかった(^_^)
4時に終わるはずが1時間ほど延長して終了した。
その後、控え室で6時くらいまで宮台氏と岡田氏と
関西の特性や関東的なもの、
それこそ「ナディア」のようなオタク的なものについて話した。
「エネルギー率が高い」と宮台に言われた。
僕自身、説明不足なところなどがあったがとても楽しく
また有意義であったと思う。
ちなみに僕の『オタク学入門』は岡田氏と宮台氏のサインが入っているという
非常にレアなものになっている(^_^)

1996 12/14
出来事メモ、シンポジウム

アイドル声優・桜井智のイベント参加

「もっとTOMOだち in 立命館」参加 『オタク学入門』を読んだ勢いで参加してしまったイベント。
(こういうイベント行くのは初めてっす(^^)) 意外だったのは女性の数が予想より多い!
制服姿の女子高生(コスプレにあらず(^^;)とかもいて 客層もバラエティーに富んでいました(^^)
途中、来年でるドラマヴィデオ用に観客まで演出させられる場面もあったので
イベント会場は最初ちょっとだれ気味(^^;でしたが、
いやあ、しかし彼女はサービス精神が結構あって良かったですよ。
僕は別に彼女がとりわけ好きなわけではなかったですが、
とっても素敵な人だったんでちょっと好きになったっす(^_^)
ちなみに今年の「ゆく年くる年」の司会に抜てきされたそうで (本当っす!)
がんばって欲しいっす!
はたして立命館大学は来年は誰を呼ぶのでしょうか??
僕はみやむー、三石琴乃あたりを期待していますが(^^)

1996 11/28
出来事メモ

マレーシア・プロジェクト

大学二回生最大のイベントの一つ研究入門フォーラムマレーシアプロジェクト実施。
このプロジェクトにすると決めてからこの時をめざして今まで生活してきた。
そして生まれて初めての海外渡航にもあたる。
最初に訪れたクアラルンプールではマラヤ大学で経済学と環境学の教授の講義を受けた。
学部長クラスが引率役のモンテ・カセム教授に挨拶に来るのには驚いた。
やはりこの人ただものではないと思っていたら「わたしここで教えてました」とのこと。
安心して彼についていくと同じところを二度ほどぐるぐる回る。
「どうたんですか?」と聞くと「場所わからないです」とのこと。
やはり別の意味でただものではない。(そういうとこめっちゃ好き)
マラッカではかつての貿易国をしのばせる遺跡と味のある町並みを見ることができた。
最大の目的地であるボルネオ島に渡ってからは、
コタキナバルで大学院を休学して現地の研究所で働く日本人と会って刺激を受けたり、
水辺のスカウで見たこともない生物を多く見たし、
オランウータンを野生に還すためのオランウータンリハビリセンターにも行けた。
サバ研究所では床一面ゴキブリがうごめく洞窟に行くことにもなった。
歩いている途中に滑ってゴキブリ大集合な地面に転びそうになった時は
人生で二番目くらいにヒヤッとした。
他にもジャングルで襲ってくるヒルたちなど強烈なインパクトを受けた。
さらに東南アジア最高峰のキナバル山に苦しみながらも二日かけて登った
(ロッジでは体調を崩して眠れなかった)ことなど忘れられないものばかりだ。
あ、それと帰国後にマラリアの疑いがあるとして緊急入院したことも(笑)

様々なことを学んだが一番の収穫の一つはカセム教授の30年にわたる
蓄積の片鱗を見れたことだ、例えば15日のサンダカン空港での
レクチャーでは「インタビュー、ヒアリングをする時にはそれについて
『どんな資料があるのか』必ず聞く」
また、興味ある土地に行ったときのテクニックとして・・・
「まず、一番大事な地理的要因をつかむ」
「人が住んでいるところを見つける」
「人が集まるところはどこかを見つける」
「商業地はどこに位置しているかを見つける」
以上を意識して歩けば後々はっきりしたイメージとして
浮かび資料を調べたときも吸収が早いとのことだった。
1996 9/2~21
出来事メモ、海外体験記

(キナバル山山頂付近にて)

オリターおつかれ様会

コンパ 三条土下座前で待ち合わせの後、いろはかるたで教授を交えて飲む。
色紙をもらってうれしかったがこれでオリターも終わったと実感できた。
(オリター→1回生のクラスに入るチューター、権限も責任も大きい)
ちょっとした達成感とちょっとした寂しさを感じた。

1996 7/25
出来事メモ

道場をはしご

土曜日に洗心館で5:30まで練習した後、先輩の事務所に集まってから正泉寺に行った。
9:30まで稽古したが嶋本師範が技の説明の中で「同」と「和」について 語ったのが興味深く、
また終わってから梅田で飲んだときに 先輩からそのことについて「宮大工」の話しでフォローしていた。

1996 5/25
出来事メモ

熊谷組の人との飲み会

道場でとてもお世話になっている宮島さんの紹介で
立命衣笠作業所所長川内学さん、太田さん、吉川さん(震災プロジェクト特別研究員)と
大学近くの寿司屋で飲むことになった。
とても快く受け入れてくれて好意的であってくれたのでうれしかった。
普段は知ることがない現場のことを様々語ってくれた。
いままで知らなかったことも多かったのでかなり印象深い。

1996 5/21
出来事メモ

関西圏政策系大学交流会(3回目の参加)

5/18
前日の深夜にクマから電話がかかってきて相談に乗ったので寝ていなかった。
直接関学KSCに行く。
キャンパスにつくとちょうど昼食時であっちゃん(嶋田:関学KSC2回)、ミユキ(福田)、遠藤くんがいる10班がテラスでご飯を食べていた。
ユカ(岩室)、クマ(日隈)、西村(関学KSC2回)、服部(関学KSC2回)、カイ(清水:関学KSC1回)、内藤の1班なども外で食べていた。
その後各大学紹介が行われた。終わってからユカ、クマ、サエが「大学紹介聞いたけど立命でよかった」(笑)と言っていた。
ミユキと代わってもらって10班に入る。教室に乗り込み各大学のカリキュラムなどの特徴を確かめ合う。今回は新入生が主体とのことで(あっちゃん、俺以外は新入生)様々な驚き、意外性に新鮮に感じる政策系の学生を珍しく(^^)見れた。
そこでボス(山崎由昌くん高等部出身で関学KSCのやっさんがS.Aしている長峰ゼミ一回生)、政策一回の吉本(昌代)と知り合った。
「フィールドワーク」という建て前の下(^^)ワシントン村に行こうとのことであっちゃんがミユキ班(6班)を呼びに行くことになったので俺が代わりに先導することになった。関学KSCの学生でも行くことはめったにないらしいが4月30日に探検したので立命の俺の方が良く知っていた。
池の前であっちゃんを待っている間にマックを立ちあげてマックの特徴を見せる。
6班(サエがいる班)と合流した後はうだうだとワシントン村を探索した後、先刈セミナーハウス行きのバスを待つ。
そこで関学KSC2回の倉辺、中大の南さんと初めて話す。(戦略について)セミナーに着いて夕食を9班、10班合同テーブルで食べる。相変わらず関学KSCの飲みはパクリ(慶応SFCのすこやかさん)だった。
ユカがハイになってしまったが「大好き、尊敬してます」と言ってくれたのでうれしかった。とくとくと倉辺と入浴しに行った帰りによっしー(吉崎:関学KSC2回)と泉(関学KSC2回)が必死にセーラームーンを見ていたのでマックを立ちあげてエヴァ話で盛り上がる。
大本営(運営本部名称)に行ったり和室で話したりユカの様子を見に行ったりした後にレクリエーション会場に行く、レク用の班があったが表に自分の名前がなかったのでクマの班に勝手に入り銀行ゲームをした。後の講評でうちの班は発展途上国の設定らしい。
それが終われば第3位くらいになったのでシンガポールくらいには発展しただろう。
レクの後その場で次の日のワークショップの抽選会をすることになった。そこでくぼっち(久保田洋子、関学KSC1回)と会う。あっちゃんも含めて話しをすると、とても興味を持ったらしく「続き、続き」と言ってきた。彼女は自治会設立について森さんとはなしがあるらしく途中で抜けざるおえなかった。
それであっちゃんと飲み会が予定されている和室に行って柔道と合気道の技の違いを披露し合った。小柴(関学KSC2回)さんも合気道を始めたらしく興味を持って入ってきた。そうして飲み会していくうちにボス、くぼっちが来たので立命と関学KSCの違い、社会変動の現状、政策が求められるわけなどなどかなり多くのことを話した。途中くぼっちが眠たそうにしていたので「寝たら?」と言っても「話が聞きたい」と起きていた。
その後、政策に懐疑的な平松くん(関学KSC1回生)が入ってきて大いに盛り上がる。
かなりつっこんだ話しが出来た。それから寝る体制にみんなで入ったので抜け出して2階でカイややっさん(大坂:関学KSC2回)やあっちゃんと話しをして下に降りて寝る。

5/19
19日のワークショップには服部の「ヴェンチャービジネスとエコビジネス」と
R.Tグリーン(MITの人工知能の専門家)の「リーダーシップの方法:ミーティングの運営法」に参加。
まず服部の「ヴェンチャービジネスとエコビジネス」では服部と僕の二人だけが2回生で後は一回生という、抽選の割には偏った(^^)メンバーだった。
最初服部が抜けてコピーしにいったので僕が進行を代理してメモをとった、それは以下のようなもの・・・

早乙女くん(立命):やりたいようにやれるから、鶏口となるも牛後となるなかれ。
有名になりたい。官僚タイプにはれなれい。
前川さん(関大):会社造りたいから。女の子は社会に出ても活躍できないだろうだし、
人の下で働きたくない。
福井くん(立命):既存の組織にやりたいことができるのがないかもしれないし、
それに入れるかどうかわからない
近藤くん(立命):金かせぎたい。会社つくるのが一番早い。最終的には学校つくりたい。
学生でヴェンチャー団体(情報交換の場)をつくりかけている。責任の所在が不確かなところがいや。
久保田さん(関学KSC):企業つとめにピンと来ない。草の根的な団体に興味ある。
3日くらいからヴェンチャーを最近知り。じぶんの思ってきたものが「ヴェンチャービジネス」のようだと思った。
根木(関学KSC):今のサラリーマンをみていると
自分がそうだと悲しくなるだろうなあと感じていた。いずれ一般企業に勤めてもヴェンチャーの知識はいかせるのではないだろうか?
「定年」がイヤ。
清水(関学KSC):普通の企業に就職したくないと思っている。
二つのコップを並べたときにすきまができるがそれをうめるのがヴェンチャーではないだろうか。
大きな組織を作り必要はない、自分の能力だけで勝負できるだろうから。
西川(関学KSC):エコビジネスに興味あり。
ビジネスをとおして環境とかかわっていけるものがあると新聞で読んだので。
自分の思うようになりたいと思っているから。
らぶらぶナベ(立命2回):政策の応用ができやすそう。現代企業論に興味を持ち。
服部(関学KSC2回):独立がキーワードとしてある。
自分のしていることを社会に還元できるのではないだろうか。

自己責任と他者依存の相反する言葉がキーワード
自己管理能力
ストック型ができないのは18歳人口が減ったから。
論理的能力を高めるための能力だと思っている。
・・・などがキーワードだった。
前夜に続きまた独走してしまった、反省(笑)
終わってからR.Tグリーンの「リーダーシップの方法:ミーティングの運営法」に参加しようと移動すると、一回目に参加した遠藤くんが「グリーン先生最高ですよ!もう、交流会参加した費用のもととった!」と言っていたので期待していく。
講義にはヤナ(一柳)とよっしーがいた。
R.Tグリーンがわかりやすい英語と片言日本語で講義して奥さんが日本語に訳するというかたちで進められた。
もう、すばらしく感動した!!「眼から鱗」とはこのことか!!
終わってから関学KSCのやっさんや西村にも言ったがぜひこのMeeting運営法を関学KSCの売りにして欲しい。
昼食の時に大東流合気柔術初段のRitsの若さんクラスの一回生さよ(岡田)と知り合いになる。住吉大社の道場で稽古しているらしい。
その後、ヴェンチャービジネスの講演会が開かれた。
途中まで聞いていたが眠たくなったので2階に移った大本営に遊びに行く。
そこで関学KSCの主要メンバーと南さんがいた。
泉、よっしーはもちろん他の関学KSCの面々ともアニメ、声優、アイドルネタで盛り上がる。
それでせっかくなので僕が総司令(主催)でメーリングリスト「psおたっきーず」を結成した。
講演会が終わってからカニくん(関学KSC1回)に声をかけられたりしながら帰宅準備をした。
バスに乗って窓際でみんなとなごりを惜しんで三田駅に向かう。バスの中で内藤君や他の人とと話しているうちに手帳をセミナーハウスに置いたままだということに気づき三田駅に着いた後あわててセミナーハウスに電話を入れる。
そこで帰る予定だったが急遽交流会スタッフ打ち上げに参加することにして迎えを待つ。
そうしているとバスの第二段が到着してそこに乗っていた泉と一緒に待つ。
いつまで待っても来ないのでガスト三田店に向かい、そこで車組と合流しビックボーイに行く。
店内で性懲りもなくマックに関学KSCの面々が歌やセリフを入れて楽しむ。
二次会にも誘われたが泉と一緒に帰ることにした。
帰る途中にまたまた濃い話し(^^)をしながら帰った。
    ↑
前々回(慶応SFC)と前回(Rits)と比べて(Ritsの後、中大でもあったがオリターの仕事のため不参加)交流会そのものの内容的にはそれほど良かったとは言えないが関学KSCの新入生、濃い(^^)やつらと知り合いに慣れたのがとてもプラスになった。
無理してでも参加したかいは十分にあったと言える。

1996 5/18~19
出来事メモ、交流会