「まろまろ読書日記」を『まろまろ記』に改名(3周年記念)

WEB開設3周年を記念してサイト名「まろまろ読書日記」を『まろまろ記』に改名。

有力候補「まろまろ堂」や「maromaro.com」などと最後まで迷ったので、
メルマガで募集した意見なども参考にしながら決めた。
(他にも「まろまろ喫茶店」、「まろまろ交差点」、「まろまろ御処」などが寄せられた)
決定要因は「読書日」を取っただけなので旧来のものと相関関係があるという点や、
古事記、風土記のように「記」(written, memo)という日本古来の言葉が軸となる点などだ。
(今後のWEBサイトは日本語で読まれることが少なくなる可能性もあるだけに、
日本的な表記を残していこうという気持ちも働いた)

ちなみに今回の改名は、運営者の意図を越えたWEBサイトの進化が原因している。
開設前の意図では読書日記ぐらいしか読まれないだろうと思っていたものが、
当初から他のコンテンツの反響が大きく、時が経つにつれて
タイトルに「読書日記」をかかげるには不釣合いなほど
他コンテンツの存在感が大きくなってきたので改名することとなった。
(期間限定でアップしたはずが人気のため外せなくなったコンテンツまである)

自分が作ったメディア=ブランドは常に意図を越えて進化している。
だから自分もこのメディアと共に意図を越えて進化してゆくのだろう。
(関連コラム『1人1メディア』)

2004 7/19
出来事メモ、サイト運営

千石自慢ラーメンの「もやしラーメン+味玉」

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夜中にラーメンのHPを見てしまい、自転車で行ける距離の名店を発見してしまったので思わず出かけてしまった。
ここは立ち食い専門だし夜中にも関わらず人が多かった。
こってり系なのでもやしラーメンにしてさらに味玉をトッピングして食べてみる。
味玉は別にいらなかったかも(^_^;
千石・白山通り沿い(東京都文京区本駒込6-5-4)の「千石自慢ラーメン」本店にて。

やき龍の「やき龍定食」

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中間発表が終わったので知り合いとリラックスモードでランチる。牛タンとトロロかけ麦飯を頼む。疲れ気味にはありがたい定食ですな。
本郷(東京都文京区本郷3-31-15)の「炭火串焼 やき龍」本郷三丁目店にて。

白山ラーメンの「卵入りラーメン」

弊社へ行く途中に大回りしてPM9時~AM4時までしか営業しない白山ラーメンに立ち寄る。店内に食べるスペースはないので路上で食する屋台スタイル。卵ラーメンにするとゆで卵がまるまる二つ入っていた。味の方は飲んだ後を想定してかかなり濃い目でした。
白山(東京都文京区白山4-37-26)の「白山ラーメン」にて。

西行法師プレイ「出会い系サイトを歩く」篇

前篇

<西行法師プレイin出会い系サイト開始のお知らせ>
みなさん出会い系サイトを利用したことがありますか?
僕は全く利用したことがありませんし知り合いに利用経験者もいません。
出会い系サイトってどんなものなんでしょうね?
もう廃れたんだとか、いやいや中高生の間では既に定着しているとか、
いろいろなことが言われていますよね。

なぜ? いまさら? よりによって出会い系サイトに興味を持ったかというと、
この前読んだ『個人ページのカリスマ』で出会い系サイトを立ち上げた人の苦労話があったんです。
いろいろな事件もありましたけどそれほど如何わしいものではなさそうですし、
「出会い」っていうもの自体がネットの本質のような気がします。
(人類永遠のテーマかも?)
そういう漠然とした感覚を受けたのですが、
何分、新しい分野・事象なので実体験がなければいまいち把握できない・・・

・・・っという訳で出会い系サイトに実際に登録してみまっす!
大抵の出会い系サイトでは趣味のところに「読書」っていう
選択項目があるらしいので「まろまろ読書日記」を宣伝しまっす。
実体験できて宣伝もできるなんて一石二鳥!
あわよくば読書友達つくっちゃいます!(^o^)
さらにあわよくばツンドラーのリスト脱会っす!!(T_T)

これはあたかも見知らぬ土地への「旅」です。
ネカマさん(ネットでのオカマさん:大抵は冷やかして楽しむのが目的らしい)に引っかかって
まろまろ掲示板が荒らされるかもしれないんすけど(^^;
そのときは暖かい眼で見守ってあげてください。
不法行為(民法709条)の要件&効果をもう一度おさらいしなくちゃ(笑)

そんなこんなで出会い系サイトの情報&体験を持っている方、よろしければ連絡ください。
例のごとく報告は後ほどこのメルマガにていたします・・・
2002 6/19

中篇

「西行法師プレイ~出会い系サイトを歩く~」は着々と進行中です。
出会い系サイトのプロフィールを眺めてみると・・・
「団鬼六さんが好きな中1の女の子です」
・・・素敵な感性だよ、と思っちゃうようなものとか・・・
「輪廻転生について興味があります。仕事帰りに軽くお食事でもしながらお話しませんか」
・・・軽く話されへんやろ、とかいうものまで実に多種多です。
知り合った人の中にはさっそくまろまろ掲示板への書き込みをしてくれている人もいます。

でも、これが出会い系サイト・・・だけに限らずネットの特性なんすよね。
実生活では肩書きや見た目が邪魔をして趣味趣向や感性が伝わりにくい時があるっす。
実生活と比べてよりダイレクトに趣味趣向の話ができるのがネットの良さなんすね。
まろまろ読書日記を立ち上げてからすごくそういうことを感じます。

例えば去年の夏にこんなことがありました・・・
新宿から目黒に向かって山手線に乗っていると、
いかにも浜崎あゆみ好きのギャルギャルした女の子が乗ってきたんすね。
マイクロミニにチューブブラ、もちろんアクセサリつけまくりのその女の子が
僕の隣に座ってそそくさと取り出した本が・・・
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』!!(>o< ) なぜーに司馬遼太郎? その上『翔ぶが如く』って! 『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』と違って考察長くて小説っぽくないじゃーん!
普段、ギャルギャルした女の子には決して声をかけない僕が思わず声をかけました。
お互い降りる駅も違ってろくに話もせずに別れたのですが、
別れ際にまろまろ読書日記を紹介しました。
お互い話が要領を得ず(当たり前か)、不可解な人っていう風な印象を持たれたかなと思っていたら
一週間くらいたってその彼女からメールが来たんですね。
なんでも好きな先生がいてその先生が好きな本らしいから読んでいるとのこと。
・・・ええ話や(T_T)
さらに彼女はもともと歴史小説が好きらしくて、
まろまろ読書日記が面白かったのでメールくれたとのことです。

道で歩いている人やすれ違う人は一見して「私○○好きです」とはわからないっす。
ギャルでも歴史小説好きな人もいれば、おじさんでも嫌いな人がいる、
所属とか肩書きとか年齢とかそういうものだけで趣味趣向は決まらないんすね。
当たり前のことなんすけど実際の日常生活では外面からの印象が強くて
そういうことを忘れてしまいがちなんすね。
たとえば山手線で知り合った女の子と僕が事前情報なしに会ってお茶したとしても
歴史小説が好きかどうかまで話ができるかどうか疑問です。
先入観が邪魔をしてぎじゅしゃくした会話に終始する可能性だってあります。
出会い系サイトに代表されるネットでの出会いっていうのは、
そういう実生活では時に感性共鳴の邪魔をする見た目や肩書きを気にせずに
知り合って話ができるという特性があるなぁって思っています。
2002 7/4

後篇

これまでの体験から出会い系サイトは見た目や肩書きの印象にとらわれずに、
ダイレクトに趣味趣向の話ができて出会うことができるというメリットがあると感じました。
でもその一方で、だからこその怖さや怪しさもあると思います。
エキサイトフレンズ、Yahooパーソナルズ、acchanなどの代表的な出会い系サイトを中心に
2年やってみた印象では世間でいうよりもずっと健全だと思ったんですが、
リスクとどう折り合いをつけるのかに興味を感じて後半は旅を続けてみました。
(特に女性の方が出会い系のリスクは高いはず)

メル友になってくれた人や実際にお茶をした人に、
「どうして自分とメル友になろうと思ったのか?」、「怖くはなかったのか?」、
「選んだきっかけは何か?」となどと聞いてみると、
その答えの圧倒的多数が「まろまろHPを見たから」というものでした。
特に多かったのが・・・
・まろまろ掲示板などで他の人とのやり取りが見れてキャラがつかめた
・関係する他のサイトを見て安心した
・読書以外の接点をサイトで見つけたから
・・・という答えでした。

確かに最初のメールや登録情報だけでは書ききれない情報や、
意図しなかった接点などもHPにアクセスすれば載っています。
普通、初対面の人と会ったときはお互いの引っかかりを模索することから始めるものですが、
HPがあれば相手が勝手に自分との接点を探して引っかかってくれてから話が始められます。
そういう意味でメール=平面的な情報、HP=立体的な情報、ということも言えるかもしれません。
確かにこの旅を続けている間に出来た現在の彼女も元々はまろみあんでした。

・・・よく考えたら、自分のメディアがあれば別に出会い系サイトやらなくて良いじゃん。
そう思っていたタイミングで時代は出会い系から知り合い系のソーシャルネットワーキングへ。
(orkut、GREE、MIXI、kinugasaなどにいます)
出会い系サイトの旅もここで終えたいと思います。
これを見ている貴方も僕と出会っているのだから(^_-)
(掲示板での話題は→こちら)

最後に一句・・・

青い鳥

探すよりも

育てよう

人生いつでも

出会い系

2002 6/19~2004 7/4
出来事メモ、西行法師プレイ

佐々木健一 『美学への招待』 中央公論新社 2004

まろまろマスコットキャラクターとして「まろうさ」が誕生した、
らぶナベ@まろまろWEBのそこら中に出没してますのでよろしくです(^_-)

さて、『美学への招待』佐々木健一著(中公新書)2004年初版。
美学の第一人者が書いた美学の入門書。
「誰もが経験する事実からスタートしてそこに潜む美学を指摘する」(第1章)という
スタンスで書かれているので、美学特有の取っつきにくさを感じずに読める。
社会的要求から誕生した美学の歴史的変遷について語っている点(第1章)や、
「綺麗」と違って「美しい」には「すごい」という意味があるとする点(第9章)は、
すごく分かりやすかったし納得もいくものだった。

ただ、これまでの美学の歴史や位置づけを書いた前半(特に第1章)に比べて、
後半部分になるに従ってよく分からない話が多くなっていく。
それは同時に分かりやすい芸術から分かりにくい芸術への変遷とかぶっていて興味深い。

ちなみに「近代美学が機能不全に陥っているのは、
その理論がすべての現象に当てはまるとする普遍主義的な考え方にある」
(第7章)といっている箇所には自分(まろまろ堂)との対比で面白かった。
美学のような伝統ある研究は過度の普遍主義で機能不全に陥っていると言われる、
一方で僕のやっているようなことは「事例特有で普遍性がない」と言われたりもする。
・・・隣の芝生は青いような感じがして思わず笑ってしまった。

巻末には各章ごとの参考文献だけでなく、他の入門書の解説も丁寧に紹介されているので
こういう分野にも興味がある人には一読の価値がある一冊。

以下、チェックした箇所・・・

○創造性は何で測られるか→注目されたのが感性(ペトラルカ、パスカルなど)
<第1章 美学とは何だったのか>

☆A.G.バウムガルテンが”Aestherica”(感性学=美学)を著して美学を哲学的学科として創造
→「芸術」&「美」&「感性」の同心円的構造を打ち立てる
<第1章 美学とは何だったのか>

○美的体験と美的範疇が19世紀的美学の主要構成要素
<第1章 美学とは何だったのか>

☆芸術の本質は美の表現→美は体験を通して現実化
→美学はまずその体験と相関的な美の特質の解明に努める(美学の核心)
+美的範疇で多様性の解明
<第1章 美学とは何だったのか>

○現代の美学に標準的な目次はない
→美と芸術と感性について哲学的な考察ということで十分
→どのような側面に注目するかが重要
<第1章 美学とは何だったのか>

○センスはもともと肉体的な能力としての感覚だが、そのメタファー的な使用の次元が問題
<第2章 センスの話>

☆感性のモデルとなっている感覚の働き方の三つの特徴
=1:直感性、2:反応もしくは判断が即刻、3:即刻の判断の示す総合性
<第2章 センスの話>

○美学を云々する場面での傾向=
感性への集中→感覚的に捉えられた刺激が人格の内奥へと反響していく
<第2章 センスの話>

○仏語でデザイン(design)は”dessin”(デッサン)、”dessein”(意図)に分けられる
→デザインにはデッサンが基礎になり意図という意味を持っていることは重要
<第3章 カタカナのなかの美学>

○カタカナ語特有の曖昧さは異分野をクロスオーヴァーさせる力がある
<第3章 カタカナのなかの美学>

☆「artとは何か?」ではなく「いつartか?」(ネルソン・グッドマン)
<第3章 カタカナのなかの美学>

○かつて芸術は公共性を形成する役割があったが
複製の体験は個人化し、体験の様式は自閉的になる
<第4章 コピーの芸術>

☆リズムとは身体の呼吸のようなもの(略)
遠近法に代表される近代の美術が身体感覚を知らず、
近代の美学がリズムの真実を捉えられなかったのは、
身体を単なる物体と見るような哲学と相関している
<第6章 全身を耳にする>

○近代美学が機能不全に陥っているところがあるとすれば、
最大の問題は(略)その理論がすべての現象にあてはまるとする考え方にある
<第7章 しなやかな応答>

○きわものとは、既に起こった大事件を参照することによって、
人々のその事件への関心を刺激して、自らのために利用しようとする作品
<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○ダントーのテーゼ「何が芸術であるかはアートワールドが決める」
<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○古典的な芸術の定義=「自然模倣」
=背後に精神的な次元を隠し持ち、それを開示することを真の目的とする活動
→主役が作品から作者へと移る

<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○「綺麗」と違って「美しい」には「すごい」という意味合いがある
<第9章 近未来の美学>

この本をamazonで見ちゃう

2004 6/28
美学、哲学
まろまろヒット率3

まろまろマスコットキャラ『まろうさ』誕生

まろまろマスコットキャラとして『まろうさ』(まろまろうさぎ)が完成する。
事あるごとに「自分メディア=自分ブランド」だと主張しているので、
象徴的なマスコットキャラの必要性を感じていた。
そういう意味も込めて僕の顔の特徴や癖の動きを取り入れたキャラになっている。
「まろまろ」という言葉と同じくこのまろうさも、
まるで生き物のようにひとり歩きしてくれたら嬉しい。(非生命体進化論の実現)
掲示板での話題は→こちら
ごはん一回分で協力してくれたAYUKOちゃんに感謝。

また、この日は僕がひょんなことから立ち上げ人の1人になった
某携帯キャリア会社との共同研究プロジェクト初会合の日でもあった。
(と言っても大層な正規軍じゃなくてぷちぷちゲリラ的)
動かないときは押しても動かないけれど、動くときは何もしなくても動いていく、
あせらずまろまろやっていこうと思った日でもある。

2004 6/23
出来事メモ、サイト運営