NATHANIEL HAWTHORNE "The Scarlet Letter" Penguin Readers 2000 (orignal first published 1850)

I will write reading diary in English when I read English books,
LOVENABE@please tell me if you find some mistakes
or know more appropriate terms.

“The Scarlet Letter” written by NATHANIEL HAWTHORNE
Penguin Readers 2000(orignal first published 1850).
This book is one of the most famous american literatures
and known as “緋文字(HIMOJI)” in Japan.

“Hester Prynne” who is the heroine of this story
must put “A”, means “adulteress”, on her dress.
Because her daughter “Pearl”`s father nobady knows and Hester never say.
Who is her father?, this is a basis on the story.

I think this story says a woman who tried to live strongly and truthfully.
I remember that I was moved when I finished reading this book.
Last phrase in this book impressed me, “But not today”.

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2003 1/27
文学、洋書、English
まろまろヒット率4

annotation; this readingdiary was assisted by maropro.

ケンタロウ 『ケンタロウのおかずの王様―スーパーへ行こう! 』 主婦の友社 2000

らぶナベ@実はスーパーが何気に好きです。

さて、『ケンタロウのおかずの王様―スーパーへ行こう!』
ケンタロウ著(主婦の友社)2000年初版。
前に読んだ『ケンタロウのめし汁おかず』と同じタイプの本だけど、
こちらは素材ごとに料理がまとめられていて、
さらにその素材の栄養価や保存方法が載っているので格段に使いやすい。
鯖と青ねぎのパスタの隠し味にマヨネーズを使うことや、
豚のしょうが焼きにブロッコリーを加えるなどは簡単だけど美味しいかった。
でもやっぱり油ものがおおい(^^;

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2003 1/23
料理本
まろまろヒット率3

宮城谷昌光 『天空の舟 小説・伊尹伝』 文藝春秋 上下巻 1993

玄米は美味しいと思う、らぶナベです。

さて、『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光著(文春文庫上下巻)1993年初版。
夏王朝から商(殷)王朝へと変わる時代に料理人から宰相まで登りつめて、
歴史上重要な役割を果たした伊尹の小説。
同じ著者が書いた『太公望』も伝説に彩られた時代だったけれど、
この小説の舞台は『太公望』よりもさらに六百年ほど前の話になる。
文字(甲骨文字)さえ発明されていなかった時代なので、本当に伝説の時代だ。

未知の時代ということもあって期待して読んだけど、いまいちだった。
もうちょっと想像力が膨らむように時代背景を再現してくれれば
没頭できたのになぁっと思ってとちょっと残念。

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2003 1/23
小説、歴史
まろまろヒット率2

メモのメモ~憎いけど憎めない~

ときどきメモを取ることについての質問が寄せられるので今回はメモのコラム。
前に書いた「本の読み方」と同じようにこのテーマも100人いれば100通りの
やり方や捉え方があると思うのであくまで個人的なメモのメモとして・・・

岐路にたったり迷ったりしたとき、振り返ったり考えたりするときに、
自分自身についての一番重要で一番信頼ができるメディアがメモだと思う。
後で思い返して自分でも笑ってしまうことがあるけれど、
そのときは一生懸命考えているつもりで実は何も考えていなかったり、
気分だけで盛り上がったり盛り下がったりして消耗することってけっこう多い。
そんなときにかつて書き残したメモを読んでみる。
すると、「あれ?こんなに意識低かったかな」とか
「こういうことを見落としてたんだ」とか、
「こんなことしか考えてなかったのか」とかなど、
考える土台になる自分についての発見ができる。
人は内省的になると過小評価か過大評価しかできないものらしくて、
自分を見失って右往左往してしまうこともあるけれど、
メモを読み返すと自分という前提をもう一度地に足をつけてスタートすることができる。

もちろんメモを読み返すというのは録音した自分の声を聴く以上に恥ずかしいことだ。
かくいう自分も「なかったことにしたい」と思うメモはいくらでもある。
でも、恥ずかしいと思うということはそれだけ自分が変化している証でもある。
そういうメモを書き残したときと読みなおすときの「温度差」が、
成長だったり分析だったりするのだろう。
気分に左右されて書き残したメモをまた違う気分の時に読み返す。
その温度差を感じることができるなら、それはもう立派な「客観的メディア」だ。

よく岐路にたつと「変わったほうがいいのか、変わらないほうがいいのか」
というテーマで迷うことがある。
でも、実は変わったようで変わっていないことや、
逆に変わっていないようで変わっているということがけっこうあるものだ。
自分のどこがどれだけ変わったのか、どこが変わっていないのかを
把握するメディアがあれば変わっても変わらなくても必要以上におそれることはない。

そういう風に使うメモだから実際にメモを書き残すときも、
断片的だろうが不十分だろうが関係ない。
気持ちや考えはしょせん言葉でも絵でも音でも映像でも100%は残せないんだから
そのときの自分のこころのひっかかりさえ残すことができるなら、
それは立派な自分自身のメディアだ。

メモ、これほど恥ずかしいものはなかなかないけれど、
これほど重要なメディアもなかなかない。
愛憎相半ばする人生の相棒かもしれない。

2003 1/22
まろまろコラム

一度に一つ

中途半端なスケベ心は破滅を招く、一度に一つだけできたならそれでいい。
すべてを一度にしようとすると何一つできないことが多い、
多様性はあくまで一つずつの積み重ねでしかない。
一日一つ、一週間で一つ、一月に一つ、一季節に一つ、一年で一つ、
そして一生に一つのことができればそれは成功なのだろう。

2003 1/20
はしり書き

井上隆二・山下富美代 『図解雑学 社会心理学』 ナツメ社 2001

10年ぶりに復活したドラマ『高校教師』では今回も京本政樹は変態役なのかと思う、
らぶナベ@ソニンがご無体なことされるのかな?

さて、『図解雑学 社会心理学』井上隆二&山下富美代著(ナツメ社)2001年初版。
院の準備のために社会心理学の入門書を探していたところ、
HPにときどき遊びに来てくれているよしぞおさんに紹介してもらった本。
彼女は専攻が社会心理学で専門が自殺論という実に熱いテーマを持っている人。
紹介してもらったこのナツメ社の図解雑学シリーズは雑学とかいいながら
内容はけっこう手堅いし図解があって理解しやすいので
僕も他分野で何度かお世話になっている。

内容は個人レベル、対人レベル、集団レベル、社会レベルの四つの段階ごとに
社会心理学の基本的な考え方を紹介しているが、
やはり社会レベルでのテーマ紹介が面白かった。
特に流行は「独自性への要求」と「同調性への要求」との緊張関係から
生まれるという考え方はおもしろいと思う。
(独自性への要求→同調性への要求→再び独自性への要求へと循環)
そうだとしたら流行を生み出す人はこの二つのジレンマに悩む人かもしれない。

この本は「社会心理学が扱うテーマについてざっと知ることができる」として
紹介してもらったけれど、あまりに網羅的でちょっと物足りなさを感じた。
もう一冊、体系的な教科書を紹介されたので
そちらも読んでから社会心理学の入門はひとまず一段落としよう。

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○社会心理学=人の社会行動が社会的な要因によってどのように影響されるか、
 その影響過程を明らかにすることを目的とする科学

○社会心理学での「集団」=
 1:メンバーが互いに影響を受け合う(社会心理学者は特に相互作用に注目)
 2:メンバーの関係が一定期間継続する
 3:メンバーは共通の目的がある
 4:メンバー間に地位や役割がはっきりしている
 5:メンバーが集団に属していることを自覚している
→「集団」と「群集」との違い=集合期間が定期か一時期か、
 役割が分化しているかしていないか、相互作用が強いか弱いか

○「集団極性化」=個人の時よりもよりも集団の時の決定がより極端になること
→他者の存在が自説の強化と確信になるため(J・ストーナー)

○群集心理の特徴=1:一体感、2:無責任性、3:無名性
→群集は「乱集(モップ)」と「聴集」に分かれる

☆流言
・流言の広まる度合い=事態の重要性×情報の曖昧さ

・流言の特徴=
 1:平準化→情報が要約されて平易化する
 2:強調→情報の中からある要素が飛び出して強調される
 3:同化→伝え手と聞き手がもっている知的、感情的な条件でゆがめられる
(G・オールボルトとL・ボストマン)

☆流行=「独自性への要求」と「同調性への要求」との拮抗から生まれる
→独自性への要求から新たなものが生み出され、それが広まり、
 同調性への要求から受け入れられ、再び独自性への要求が生まれる

○ブランド品に代表される「威光効果」=持つことで優越感を感じる暗示
→暗示のかかりやすさ=「被影響性」
→被影響性が高い人=1:自主性に欠ける人、2:権威に影響されやすい人

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2003 1/20
社会心理学
まろまろヒット率3

ケンタロウ 『ケンタロウのめし汁おかず』 主婦の友社 1999

今回からは料理本も通読すれば読書日記をつけようと思う、
らぶナベ@一人暮らしはじめる準備も兼ねてます(^^)

さて、『ケンタロウのめし汁おかず』ケンタロウ著(主婦の友社)1999年初版。
家にあったので通読してみた料理本。
著者は料理研究家・小林カツ代の息子。
(最近は親子でテレビとかにも出ていますね)
ありあわせの材料で手軽にぱぱっとできる料理を中心に紹介している。
実際に何品か作ってみると確かに便利さを感じたけれど
紹介されている料理がどれも油っこいのがちょっと気になった。

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2003 1/18
料理本
まろまろヒット率2

宮城谷昌光 『王家の風日』 文藝春秋 1994

近頃TIPNESSに出没する、らぶナベ@見かけたら声かけてくださいな(^^)

さて、『王家の風日』宮城谷昌光著(文春文庫)1994年初版。
商(殷)から周に王朝が変わる紀元前11世紀の古代中国を舞台にした小説。
商を支えようとした箕子を中心に商王朝の滅亡をえがいている。
前に読んだ同じ著者の『太公望』が商を倒す周側の視点だったので、
この『王家の風日』と『太公望』はちょうど舞台の裏表の関係になる。
(こちらの方が先に出版されている)
この本の主役的な存在である箕子は太公望にもっとも警戒された人物なので、
太公望の頭脳戦がもっと読みたいと思った僕は思わず手にとってしまった。
何しろこの本の主役的な存在である箕子は、
太公望にもっとも警戒された人物だからだ。
期待して読んでみると太公望の出番自体はそれほど多くないけれど、
冷酷非情なまでの合理主義は存在感抜群だった。
できれば『太公望』ではも彼のそういう非情な面も織り込んでほしかった。

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2003 1/15
小説、歴史
まろまろヒット率2

佐々木正人 『アフォーダンス―新しい認知の理論』 岩波書店 1994

セブンイレブンで売っている「牛乳シャーベット」は
何気に美味しいと思う、らぶナベです。

さて、『アフォーダンス-新しい認知の理論』佐々木正人著
(岩波科学ライブラリー12)1994年初版。
初めて読んだアフォーダンス(生態心理学の基本概念)の本。
情報は環境から受ける刺激を脳で処理して意味のあるものへと作られるのではなく、
情報はその人をとりまく環境そのものの中にあるという考えを提唱した
ギブソンの研究過程を追いながらアフォーダンスの考え方を紹介している。
この本では視覚と触覚についての記述がメインになっているが、
著者も後半で述べているようにアフォーダンスは
言語や芸術などの他の分野へも応用されるものなので興味深かった。

特に知覚について「五感」のように個々の感覚器官に注目するのではなく
複数の知覚システムの束とみなす考えは新鮮だった。
確かにこれだと盲目の人が自由に歩けることが不思議じゃない。

また、変化の中にある不変を知覚することを重視する考え方(不変項)も面白かった。
なんだかよくわからない非現実的な芸術作品を観て、
なんだかうまく説明できないけどそこに現実的なものを感じたとき、
その作品の中に不変項があるのだという視点はちょっと楽しい(^^)
この不変項という考え方は前に読んだ『日本人と日本文化』
ドナルド・キーンが「矛盾を見ればその人が何を考えているのかわかる」と
言っていたことと何か通じるような気がする。

さらにこれは前提として述べられたことだけど、
「人は記憶を語るときに記憶と過去を表現するメディア(映像や文字)と混同しがち。
思い出されることはビデオに映っているような文字通りの過去じゃないし、
会話は文字に書き写された言葉とは違う」
という趣旨のことがエピローグに書かれてあった。
これは僕自身ときどき完全に忘れていることなのでハッとさせられた。

ちなみに著者とは院の説明会と二次試験の口頭試問
少しだけ言葉を交わしたことがある。(単に試験官だっただけだけどラッキー)
そのときは個性的だけど温和な印象を受けて好感が持てたのを覚えている。
この本の最後で「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
お前が発見するのをいつまでも待っている」(あとがき)という
著者自身に向けられた言葉を発見したときに会った時の印象が思い返された。
これも不変項か?(^^)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○「フレーム問題」=ある行為に関連することとしないことを
 効率的に見分けるにはどのようにすればよいのかという問題(主にAI領域)
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○デカルトの「こころ」とは、感覚刺激を統合し、判断し、推論し、
 意味をつくりだすメカニズム(略)いわゆる「中枢」
 →環境からの入力が「点運動」のようなものであるという仮定が、
  知覚理論への「有能なこころ」の概念の導入を招いた
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○「ゲシュタルト」=「感覚要素の総和以上のもの、総和とはことなったもの」
 (エーレンフェルス)
<1 ギブソンの歩み>

☆知覚者が対象の変化から見ているのは「形(form)」ではなく、
 対象そのもの、それのリアルな「姿(shape)」
 →姿は、形からではなく、それ自体は形をもたない「変形」から知覚される(略)
  知覚ににとっては「変化という次元」こそが問題
  (「変化」のなかに埋め込まれている「不変」の知覚)
<1 ギブソンの歩み>

☆ギブソンが捜し求めた「知覚の刺激」の本質=環境の中で、動き回って、
 何かを見ようとしている観察者がその全身の動きとともに発見するもの
<1 ギブソンの歩み>

☆「生態光学(エコロジカル・オプティックス)」=環境に充満している光=包囲光
 (ambient light)を視覚の基礎にすべきであるという考え
 →包囲光の「異質性」=「包囲光配列(ambient array)」」
<2 情報は光の中にある>

☆「不変項(インバリアント)」=変形から明らかになる不変なもの
 →見るということで観察者が行っていることは、
  包囲光配列から不変項をピックアップすることである
<2 情報は光の中にある>

○不変項=
 1:構造不変項→恒常的に保たれている性質を知覚すること
 2:変形不変項→生じている変化がどのような変化であるか特定すること
 →動くものが何であるか特定するのが構造不変項、
  その動きがどういうものであるのか特定するのが変形不変項
<2 情報は光の中にある>

☆環境に満ちているのは、「持続と変化」である
 →生態光学はそこが「情報に満ちた海」であることを示した
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える
 →私たちが認識のためにしていることは、
  自身を包囲している環境に情報を「探索」すること
<3 エコロジカル・リアリズム>

○「生態学的測定法(エコ・メトリクス)」=物理的絶対値ではなく
 生き物を基準にして表した値
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆アフォーダンス=「動物との関係として定義される環境の性質」(ギブソン)
 =環境が動物に提供する「価値」
 =物理的な性質ではなく「動物にとっての環境の性質」
  →アフォーダンスが環境の中に実存することを強調するギブソンの理論
  =「エコロジカル・リアリズム(生態学的実存論)」
<3 エコロジカル・リアリズム>

○感覚器官をもとにした古典的分類「五感」は多様な知覚体験を説明できない(略)
 五は感覚器官の種類の数ではなく「環境への注意のモード」の種類と考えるべき
 =「基礎的定位づけシステム」「聴くシステム」、「触るシステム」、
  「味わいー嗅ぐシステム」、「視るシステム」
<4 知覚するシステム>

☆知覚システムの特徴
1:”複数の知覚システムの獲得する情報は
 「等価」であるので「冗長」であることが多い”
  →盲目の人が自由に移動できるのは神秘的なことではなく
  「視るシステム」以外でもピックアップ可能な情報を知覚しているから
2:”動きが固定されていない”
  →知覚システムの動作を洗練し、分化していくことが学習
  →「わざ」を可能にするのは知覚システムの束
<4 知覚するシステム>

☆ギブソニアン(ギブソンの後継者たち)の主張
 =「運動研究の単位を変えよう」
 →関節などの要素でなくマクロな「結合」を単位に
<5 共鳴・同調の原理>

○運動系は、身体の内部に閉じて組織化しているのではなく、
 環境の中の情報とも協応の関係を結び、
 知覚情報をもそのシステムの一部としている
<5 共鳴・同調の原理>

○「タウ(τ)」=行為の制御に利用されている視覚情報
 =「衝突・接触」のアフォーダンス
<5 共鳴・同調の原理>

○知覚と行為の協応を、ギブソニアンは「知覚と行為のカップリング」と呼ぶ
<5 共鳴・同調の原理>

☆画家が遠近法で描いた絵も、抽象画も、もしそれが私たちに
 何らかのリアリティーを伝えることができるならば、
 そこには知覚された不変項が記録されていると考えるべき
<エピローグ リアリティーのデザイン>

○「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
 お前が発見するのをいつまでも待っている」
 (略)研究だって知覚行為の一種なんだから
<あとがき>

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2003 1/12
アフォーダンス、心理学、認知科学、情報関連
まろまろヒット率4

司馬遼太郎・ドナルド・キーン 『日本人と日本文化』 中央公論新社 1984

“まろじぇくとX”の参加者からの声が掲示板にアップされた(ここ)、
らぶナベ@二人きりでも楽しんでもらったようでちょっと嬉しいっす(^^)

さて、『日本人と日本文化』司馬遼太郎&ドナルド・キーン談(中央公論新社)1984年初版。
司馬遼太郎(小説家)とドナルド・キーン(日本文化研究家)との日本文化談義の本。
出身地の影響もあってか(司馬=大阪、キーン=ニューヨーク)、
どちらも教養を明るさや洒落っ気で包む人なので、、
日本文化を語るときについてまわりがちな陰険さがなく
楽しそうな対談の様子が文章に落とし込んでも現れている。
「それは言い過ぎやろ」と突っ込んでしまうところもあるけれど、
キーン氏が”あとがき”で書いていたように
面白いおっちゃんの会話を横で立ち聞きするような気分にさせてくれた。

特に「第5章:日本人のモラル」、「第7章:続日本人のモラル」では
日本がどれだけ儒教の影響を受けたのかということについて、
二人の相違点が明確に出てきてその対立が面白かった。
また、最後には「日本的なものとしてがんばりすぎると、
変なものになってしまう(もっと自然でいこう)」
・・・っと同意して終わるのも二人の対談らしくて思わず笑ってしまった。
手軽だけど侮れない本。

ちなみにWEBサイト英語化プロジェクト(まろぷろ)で何かとお世話になっている、
ニューヨーク在住の市川文緒さんはキーン氏のお弟子さん。
そんな遠い人とお話できるなんてネットってすごい(いまさら(^^;)。

以下は、チェックした箇所(気になった順)・・・

・人間というのは、矛盾があればあるほどおもしろいですね。
 矛盾があれば、その人間が何かを考えているということがわかります(キーン)

・徳川時代は鎖国だったから、当時の日本人がみんないっしょに
 秘密を言い合って楽しんでいたというような気がします(略)
 江戸文学には普遍性がなかったと言えます(キーン)
→2ちゃんねるで盛り上がるスレッドもそんな感じだ(ナベ感想)

・日本の歴史を眺めておりますと、あらゆる面に外国文化に対する愛と憎、
 受容と抵抗の関係があるように思われます(キーン)

・日本人は原理というものには鈍感(司馬)

・もしも日本的な趣味を一つだけに絞ろうと思ったら、
 私は東山時代の文化じゃないかと思います(キーン)←司馬も同意

・南宋の文化は、日本にいちばん影響を与えたと思います。
 そのあたりの詩歌は、日本人の趣味にぴったり合っていた。
 感情的であって、あまり雄大なテーマはとり上げない(キーン)

・古い伝統を作るには、十年くらいかかる(略)
 逆に言えば、十年ぐらいかけると伝統を創りだすことができる(キーン)

・日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する(略)
 意識して特徴を出そうと思ったら、むしろ本居宣長のような、
 なにか不自然なものになるんじゃないか(キーン)
→大賛成です(略)あまり日本的なものとしてがんばりすぎると、
 いやらしいものになる(司馬)

・恥ずかしいことはできないということだけで社会の安寧秩序が保てる。
 その程度のことだけで保てる社会というのは、不思議な国で、
 ぼくがいつも日本を不思議だと思うのは、この点なんです(司馬)

・日本はひじょうに不思議な国になります。英雄のいない国です(キーン)

・政治というものはひじょうに男性的なものですけれども、
 ぼくら日本人というのは、
 政治を男性的にとらえにくい感覚をもっているのじゃないか(司馬)

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2003 1/10
文化論、対談
まろまろヒット率4