佐倉統 『進化論という考えかた』 講談社 2002

ありあわせで作ったオイルサーディンとキャベツのパスタは何気に美味しかった、
らぶナベ@健康にもめちゃイイ!・・・はず(^^;

さて、『進化論という考えかた』佐倉統著(講談社現代新書)2002年初版。
進化論の視点から「人間」と「情報」を捉えようとした一冊。
前から僕は『数学の秘かな愉しみ』(K・C・コール)などの
異分野の視点から光を当てる(自然科学→人文科学など)本に興味を持っていた。
愛読書の『坂の上の雲』(司馬遼太郎)も秋山真之が村上水軍の戦法にヒントを得て
日本海海戦の基本戦術を組み上げるところに見所のひとつを感じているくらいだ。
そんな僕だからこの本もワクワクして読みはじめると、
実際には進化論を中心とした研究者たちがいかに「人間」と「情報」を
捉えようとしたかについての科学史の再編的な色合いが強かった。
そういう点では以前読んだ『化学入門』(原光雄)に近い印象を受けた。

この本の中で一番興味深かったのは専門家と非専門家
(異分野の人々)の間をつなぐものは「物語」だとしている点だ。
僕も前々から一口に日本語といってもマクドでの中学生の会話、法廷での会話、
メーカーの研究部門での会話、IT企業でのシステム開発の会話
・・・同じ言語を使っていても通じないことが多いということを感じていた。
そういう場面に出会うたびに「もったいない」という気持ちを強く感じていたので
ときどき自分が異分野をつなげるメディアになっていることに喜びを感じたり
(出来事メモなど)、
「読書」という切り口と「まろまろ」というエッセンスをメディアにして
様々な分野の本を同じ土俵で扱おうとするこのHPの基本理念にも
つながっているので「物語性」を重視するこの視点にはとても共感した。
さらにこの本では物語の重要性を唱えながらも、
進化論が曲解して使われた経験から、物語性の暴走を防ぐために
「第三の文化」(多くの分野へのリンク)と
「センス・オブ・ワンダー」(謙虚さ)の重要性を述べている。
ただ、これは第二次大戦で政治への介入を控えるあまりに
ヒトラーの暴走を許したとされるドイツ参謀本部への評価と同じく、
結局は研究や理論の問題ではなく政治や教育などの
社会システム全体で語られるべきことなのだろう。
(説得力ある理論ほど無茶な使われ方するけどそれは理論のせいじゃない)

加えて、この本で著者は「ハンバーグのつなぎ」のように
異分野をつなげてひとつの料理にする素材として
進化論の可能性を述べているが(第4章)、
思えば『ブレードランナー』『2001年宇宙の旅』『ガルフォース』
『超時空要塞マクロス~愛おぼえていますか~』
『甲殻機動隊』とそれに影響を受けまくった『マトリックス』などなど
これまでも進化論の要素を取り入れた映画やアニメの名作は数多い。
ハンバーグのつなぎとしての機能は科学・研究分野だけでなく
コンテンツ分野ではすでにその機能を十分に発揮しているのだろう。
(それだけ強い物語性があるということかな?)

また、この本を読んで発見したことが
前に読んだ『狂骨の夢』(京極夏彦)の中で
「コペルニクスが人が宇宙の中心であることを奪い、
ダーウィンが人が神の子であることを奪い、
フロイトが人が自分自身を支配できるということさえ奪った」
という印象深い記述があったが
これはB・マズリッシュという人の言葉だとわかったのが少し嬉しかった。
(ただし『狂骨の夢』ではこれはフロイト自らの発言だと紹介されていたような)

ちなみに著者は来春から東大院・学際情報学府での僕の指導教官(予定)。
著者とは院試説明会でほんの数分しか話をしたことがなかったが、
知的守備範囲の広さや新しいことに積極的に取り組む姿勢に即座に感銘を受けた。
何よりも僕の問題意識やスタンスに関心を示してくれたのが嬉しかったが、
よく考えたらその寛容さは多様性を重要視する進化論の影響かもしれない。
彼のバックボーンを知って人となりに近づければと思って読んだ本でもある。

以下はチェックした箇所・・・

☆生物は、環境資源が許容するよりもたくさん産まれる。
したがって、同じ種の個体の間に生存と繁殖をめぐる競争関係が生じる。
その結果、より環境に適応したものが、
そうでないものより多くの子孫を残すことになる。
この差異の原因となる形質がいくばくか遺伝するものであれば、
この形質を所有している個体は、
世代を経るにしたがって個体数を増やしていくことになる
ーこれが自然選択理論の骨子である。
<自然選択理論>

☆造物主の作業の「誤差」と考えられていた個体差を、
それぞれが生物進化の原動力であると喝破したこと。
つまり、生物観を百八十度転倒させたこと。
これこそが、ダーウィンの進化思想の真髄のひとつ。
<ダーウィン亡き後の進化論>

○進化心理学のアイデンティティは、対象ではなくその視点と枠組みにある。
(略)進化心理学というのは、固有の分野というよりもアプローチの仕方、
あるいは研究プログラムとみなした方がいい。
<心と行動の進化学>

☆ディーコンは(略)人間が進化したことで言語を獲得したというよりは、
言語の方も人間の脳にあわせるように進化してきた、というのだ。(略)
文法構造は、言語が「人間の脳」という媒体に適応するために
進化してきた構造なのだという。(略)
脳と言語は相互に影響しあいながら共進化してきたのだ、と。
<脳と言語は共進化した?>

○人間が文化的な動物であるというのは
大昔から繰り返しいわれてきたことだけれども、
それが環境適応へのオプションのひとつであるということは、
人間を進化学的に見直してはじめて理解できることなのである。
人間の進化論的な研究は、文化の意味をも再定位する。
<「今の人間」を知るために>

☆コンピュータ自体は子孫をもうけませんー
しばらく使われたあとは、スクラップにされます。
でも、コンピュータを作るためのアイディアは、遺伝子のように繁殖できるのです。
(ドーキンスとバスとのインタビューより)
<ドーキンスの示したこと>

○生物の進化は、このでこぼこ地面のような適応度地形
(生物が利用できる環境のこと)の中を、
ころころと球が転がるのに似たプロセスとみなせる。
球は生物の比喩で、地形が急峻だとわずかな突然変異で急激な変化が生じるし、
なだらかな地形だとゆっくりとしか転がらないので、
突然変異の効果はわずかなものになる。
つまり、徳永とウェイドは、適応度地形も生物進化の段階によって
変わっていくということを主張したことになる。
<旅する円錐>

☆結局は、あれこれやってみるという変異と選択の二段階プロセスが、
環境に適応するためにはいちばん安全で確実な方法なのだ。
シーコは、人間の経済システムや社会システムなどにとっても、
事態は同じであると主張する。
それが普遍的選択理論である。
<「進化する能力」の進化>

☆ダーウィン・アルゴリズムの本質は、
変異の生成(突然変異)、
変異と複製率の間の相関(適応度)、
そして変異の遺伝(自己複製)の三点セットだ。
<ミームで何が説明できるか>

○進化とは、人間の、そして生命の壮大な歴史にほかならない。
だからこそ進化論は「取扱い注意」なのであり、
事実、過去に何度も破滅への道しるべとなったのだった。
<生物学哲学の正念場>

○(ダーウィン最後の著書『ミミズと土』は)
「目に見えない微細な変化が累積して、とてつもなく大きな結果を生み出す」
というダーウィンの自然観の集大成でもあった。
<『セルボーンの博物誌』とダーウィンのミミズ>

☆問題は、相手と価値観が共有できていないところにある。文化が異なるのだ。
価値観が異なるから、コミュニケーションがとれない。
一見、同じ問題について議論しているようでも、
実はそこで情報のほとんどは、ただ流されているだけである。
(略:それを解決するには)ぼくは、その鍵は科学の物語ではないかと思っている。
<非専門家に伝えるために>

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2002 9/25
自然科学、進化論
まろまろヒット率4
最新 本

息吹は続く

時々、参加させてもらう会合が今回は京都で開催されたので久々に京都に行く。
例のごとくいろんな業種の人が参加して刺激的な集まりだったが、
思わず終電を逃したので大阪組は京都リサーチパーク(KRP)に入っている
あるヴェンチャー企業のオフィスに収容してもらうことになった。
(会合に出席した一人が社員だった)
深夜とはいえ数年ぶりのKRPだったので懐かしく感じていたら、
そのヴェンチャー企業は社長以下、主要面々が立命の政策科学部在籍者だった。
僕がインターンシップや産学協同事業でKRPを使っていた頃は
まだそういうことに対する風当たりの強さもあったけど
今はごく普通になってきていることが嬉しかった。
先人ぶる気はないけれどあの頃KRPで僕がやっていたことも
こういう文化形成の何十万分の一かには貢献できたのかもと思うと
ちょっとだけいい気分にさせてもらった。
東京やNewYorkに拠点を移すかもしれないけど、
息吹を残した関西は安心して後にできると感じた。

2002 9/22
出来事メモ

人生相談会

大阪に帰ってきたので長いこと会っていなかった合気道の先輩に話をしに行く。
高校の時から何かと相談に乗ってくれている人(建設営業)と合流した後に、
同じく長年僕を見てくれている人(元建設社長で現在はカイロドクター)や
飲み屋で親しくさせてもらっている彫師の師匠などと一年ぶりくらいに話をする。

報告をするとすかさず全員から進学を勧められたのが意外だった。
いい年してちゃんと働かないと自分は薄っぺらい人間になるんじゃないのかとか、
このまま逃げ人生と思われ続けるのはどうなんだろうか、
という僕の疑問には「程度の低い話をするな」と一喝されてしまった。
人にはそれぞれの役割ややり方があって中途半端な経験に胡坐をかく人間が
一番たちが悪い、それに引きずられるなと怒られてしまった。
本当に今日食べるものも苦労した経験のあるこの三人から言われると迫力がある。

帰りながら尊敬できて掛け値なしに相談できる人生の先輩がいる自分は、
もしかしたら本当に幸せな人間じゃないのだろうかと涙がでる思いった。
尊敬できる知人、友人を持つことの価値をあらためて感じた一日。

2002 9/19
出来事メモ

司馬遼太郎 『功名が辻』 文藝春秋 全四巻 1976

ひそかに”まいぽえむ”を更新している、らぶナベっす。

さて、『功名が辻』(全四巻)司馬遼太郎著(文春文庫)1976年初版。
ここ数ヶ月取り組んでいた事柄がひと段落したので(出来事メモ2002/9/6)、
次のことを考えるためにも一呼吸入れようと買った歴史小説。
武勇も知略も器量もない、凡庸な山内一豊を土佐24万石の国主に押し上げた
山内一豊の妻・千代を主人公にした物語。

戦国末期の激動の時代の中で出世を重ねてゆく話には単純に心が踊ってしまう。
やはり司馬さんはこういう明るく坂道を登るような人生をかくのがうまい。
ただ、久々の司馬作品なのに実際に読んでみるとつらく感じることも多かった。
この作品は千代が夫の自尊心を傷つけずに導いていく過程が
物語の根幹部分になっているのだけど(面白さの中心もここにある)
自分もこんな風にされたらイチコロだなと思わず納得してしまうことが多かった。
納得する度に「男ってなんて単純なだろう」と自分の薄っぺらさや小ささに
自己嫌悪しながら読書した不思議な作品(^^;

今まで司馬作品の中では、
『燃えよ剣』は男の教科書、
『坂の上の雲』は仕事の教科書、
『竜馬がゆく』は生きる教科書だと思っていたが、
この『功名が辻』は女の教科書といえるだろうか。

ちなみにこの作品を読んでいる最中にたまたま立ち寄った
岐阜の郡上八幡はこの作品の主人公・千代が生まれた土地だった。
(詳細は西行法師プレイとしてアップ予定)
意外な縁を感じた一冊でもある。

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2002 9/18
小説、歴史
まろまろヒット率4

西行法師プレイ「郡上八幡を歩く」篇

中期にわたった東京滞在が終わったので(出来事メモ8/27~9/15)
故郷の大阪に帰る準備をせっせとしていたら、
岐阜の郡上(ぐじょう)八幡へ旅行するという知人たちから誘われた。
聞いたことない土地だし、名物の”郡上踊り”も時期的に終わっているらしかったので
あまり乗気はしなかったけど、どちらにせよ岐阜は通るので帰りがてら同行することに。
決めたはいいけれど三連休前日の金曜日だというのに
言いだしっぺが宿を確保していないことが直後に判明。
(だめじゃーん!)
仕方ないので僕が代わりにいそいで宿を予約することになった。
案の定すでに予約でいっぱいになっていた宿もあったので、
部屋の確保を最優先にとりあえず全員一緒の一部屋で予約を入れたら
あとで女性陣にマジギレされた(^^;
(なんでじゃーん!)
メンバー的に間違いが起こることはないし旅なんだから
別に気にすることないじゃないかと不審に思っていたら、
同行の女性たちは全員異性の兄弟がいないことに気がついた。
異性の兄弟がいるのか同性の兄弟なのかの差は
こういう時にも出てくるのかと少しおかしかった。
なんとか宿を確保したものの大阪から行く本隊と、
僕を含めた東京から行く分隊がどう合流すべきかわからなかったので
知人で鉄ちゃん(鉄道マニア)の安藤に聞くと、
待ち合わせ時間や乗換時間を計算に入れた完璧なタイムスケジュールを組んでくれた。
(すごいじゃーん)
車両や車輪などに熱を入れるハードウェア鉄ちゃんも遠くから見る分には面白いけど、
時刻表に熱をいれるソフトウェア鉄ちゃんは実益があるのだなぁっと感心。
そんなこんなで当日は東急目黒線西小山の友人邸から出発、
新横浜から崎陽軒のシュウマイ弁当を買って新幹線に乗り込み、
(崎陽軒っていうのがヒネリがないですな(^^;)
名古屋で東海道線に乗り換えて合流ポイントの岐阜駅に向かった。
岐阜駅で乗換え先の高山線の車中で大阪からの本隊と無事に合流。
久々の面々もいたのでおしゃべりしながら最終乗換えポイントの美濃太田に向かう。
美濃太田で長良川鉄道という聞いたこともない路線に乗り換えてみると・・・
なんと一両だけの電車で一時間に一本だった!(もちろん単線)
こんな電車に乗るのは生まれてから何度もないのでそれだけでワクワク。
一時間半ゆられてようやく郡上八幡に到着。
・・・はるかに遠い、郡上八幡(>_<)

郡上八幡は長良川と吉田川が交差する水の街としてしられている。
名水百選にも選ばれた宗祇ゆかりの宗祇水と郡上踊りが名物。
蕎麦の昼食を取った後に歩いてみると実にコンパクトな城下町という感じがした。
(江戸時代は青木氏五万石の城下町)
八幡城周辺を散歩しながらこれくらいの規模の内政って楽しいだろうなぁっと、
のんびりした土地なのに不穏なことを考えてしまった。
また水と踊りの他には食品サンプル生産日本一ということで、
食品サンプルの工房では体験やお土産があった。

さらに歩いていると山内一豊の妻ゆかりの地という標識を見つけた。
なんと!この時ちょうど読んでいた『功名が辻』(司馬遼太郎)の主役
山内一豊の妻”千代”の生地とのこと。
この作品では二人の結婚式からスタートするため、
彼女の生地についてはまったく認識していなかったので驚いてしまった。
郡上踊りも終わっているし何でわざわざ郡上八幡に?
見所ないじゃん?という気持ちを持ちつづけていたけど、
こういう思いがけない発見や出会いがあるから旅はやっぱり面白い。
縁は色々あるけれど本を読んでいるのも縁作りになるなとあらためて感心。
古い町並みや小川の小道を中心にある程度見てまわったので、
隣町のやまと温泉にいく。
この時乗らしてもらったタクシーの運転手さんは無類の釣り好きで
岐阜で勤めていた会社を辞めて郡上八幡に移り住んだという
筋金入りの釣りマニアだった。
タクシーの中では鮎釣りの話を延々と熱く語ってきた。。
驚いたことに次の日の朝に民宿を出るとこの運転手さんが通りかかって、
「どうせ行き道だから」ということでタダ乗せてもらうことになった。
街を歩いて最後に駅に向かうためにタクシー停留所をたずねたら
またまたこの運転手さんがいた(>_< ) 一昨年、広島県の尾道に旅したときは村上水軍の話を熱く語る運転手さんに 出会ったがどうやら僕はこういう人とめぐり会うことが多いようだ。 郡上八幡を後にしたものの予定よりも帰る時間が早かったので 長良川鉄道沿線の、みなみ子宝温泉駅(岐阜県美並村)に途中下車した。 この駅は駅のホームから温泉に入れるという駅で そのまろまろぶりが妙に気に入ってしまった。 何気に熱いぜ長良川鉄道! 郡上八幡だけでなくこの長良川鉄道沿線の雰囲気が気に入ってしまった。 同行した外資系コンサルタント会社勤務の人間が、 郡上八幡単体としてでなく長良川鉄道沿線を総合的に宣伝したらいいのに っと言っていたがまったく同感だった。 ここ数ヶ月、右に左に動いていただけにホッと一息つける貴重な旅だった。 ・・・というわけで一句・・・

ふりむけば

をっと偶然

お千代さん

見所あるよね

郡上八幡

2002 9/15~16
出来事メモ、西行法師プレイ

GLOCOM研究会参加

矢尾板から誘われて渋川や庄司などの知人が研究員を務める、
六本木の国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の
i-civil(情報文明論)研究会に参加する。
GLOCOM所長の公文俊平氏をはじめとして、司会は前田充浩氏(経済産業省)、
発表者は山崎秀夫氏(野村総研)、柴田祐作(名古屋外国語大学)と、
実に多様な人々が参加した興味深い研究会だった。

初めてのGLOCOM訪問&初めての研究会参加で右も左もわからなかったけど、
庄ちゃんが何かと教えてくれたのですぐに雰囲気にも溶け込めた。
議論の中でいまの若者の話が中心になったこともあったので、
庄ちゃんからの後押しもあって思わず議論に参加してしまった。
大きなプレゼンの後とはいえ、どうやらこういう場は基本的に嫌いではないようだ。

終了後の名刺交換ではいつものように名詞代わりのURL紙を配った。
こういうことからまた新しい広がりが生まれることもあるのだろう。
東京は僕にとってやはり魅力的なところだ。

帰りに一蘭ラーメンを食べた。

2002 9/11
出来事メモ

個人は戦闘機なら人的ネットワークは空母

『大空のサムライ』を読みながら大きなプレゼンを経験して(出来事メモより)、
個人は誰もが戦闘機乗りなんだなぁっと感じた。
いったん飛び立てば一人ですべてをやらなくてはいけないし、
ポイントポイントでは覚悟を持って望まなくてはいけない。
しかし、だからこそ人のつながり(人的ネットワーク)は
そんな戦闘機にとって最も大切な母艦なのだろう。
戦闘機と空母との関係が個人とネットワークとの関係に近いと感じる。

2002 9/6
はしり書き

東京大学大学院 学際情報学府 修士課程合格

東京大学大学院 学際情報学府 学際情報学専攻 実践情報学コース修士課程に合格。
(変な名前だけどどうも僕は奇妙な名前や新しい分野に縁があるようだ)

某企業のアイドルプロジェクトに関わったことやHP運営を通して感じている
「感性の共鳴」という問題意識の主軸に、このHPを提出資料として院試に臨んだ。
(情報最大の価値はデータそのものじゃなく、そこから導き出される感性の共鳴という趣旨)
専門科目+英語の一次試験は解答用紙を取り間違えたかもしれないという
アクシデントにみまわれたのでだいぶん混乱したが何とか突破。
15人の教授の前で一人でおこなう二次試験(学術プレゼンテーション)は、
二度やりやって三度爆笑を取ったので「これで落ちたらもう仕方ない」と感じられた。
知り合いから事前に「突込みが半端じゃなく厳しい」とか、
「泣き出した人や怒って帰った人までいる」とか、
「全く違う専門分野からの質問が来るので本当に大変」とかとか
いろいろと聞かされていたのでかなり覚悟して挑んだが
実際にやってみると確かに厳しいものの相槌は打ってくれるし、
来てほしいと思ったところに突っ込んでくれるのでやりにくさは感じなかった。
面接やプレゼンという意味では吉本興業インターンシップ選定、
産学協同事業での木村常務へのプレゼンテーションや数社の就職面接を通して、
面接&プレゼン突破の名手と言われたこともあったが、
今回は学術分野でそれも15人という”当てに”いけない状況だったので
不安なことも多かったが何とか突破できた。
(HP運営の経験がキャリアとして認められたのがひそかに嬉しい)

思えば阿倍野高校に定員割れですべり込み、卒業の際にはトップレベル。
それでも立命館大学政策科学部へは一浪でやっと補欠合格、
卒業の際にはモデル学生として最高評価を受けた。
しかし大学院へは推薦ではなく一般入試でようやく合格、
そしていま東京大学大学院へ進学と、
僕の人生は常にギリギリで入ってトップで出るというのを繰り返している。
(吉本興業インターンシップもギリギリ通過だったとのこと)
ここまでくれば東大卒業の際にも一番いい結果を
生み出したいという気持ちが起こってくる。

一方で今回の反省点としては妙にバタバタしてしまったということだろうか。
OHP資料の作り方やスーツをめぐって24時間以内で大阪と東京を行き来したり、
直前までキンコーズでプリントアウトをしたりと落ち着かなかった。
ちょうど大河ドラマ『利家とまつ』が本能寺の変以後から
豊臣秀吉が天下を取るまでの間を放映していて、
『新史 太閤記』(司馬遼太郎)の中国大返しの項を思い出したので
あの場面の秀吉の起動力を考えると大阪~東京間の移動が苦痛にはならなかった。
そういう混乱の中の方が燃えるタイプだとはいえ、
いつもうまくいくとは限らないのでこれは今後の反省にしたい。

また、忘れてはいけないのが僕を助けてくれたまわりのサポートだ。
HPを資料として提出する際には掲示板のオフライン使用について
Jackと彼の後輩の助けを受けたし、推薦文はMさんに書いてもらった。
先輩になる牟田ちゃんや渋川にアドヴァイスを受けたことも大きいし、
AWAYの地である東京でのOHP資料作成やプリントアウト作業などの際には、
矢尾ちゃんやITOの協力や場所の提供があったからこそできたことだ。
ゼロ戦乗りの本『大空のサムライ』をこの試験の前後に読書していて、
自分はゼロ戦乗りのように戦うのだと思っていたが、
彼らの有機的な人的ネットワークはあたかも空母のように僕を支援してくれた。
「人生の半分は運で決まる」(マキアヴェリ)というが、
めぐまれた対人運にはつくづく感謝したい。

2002 9/6
出来事メモ、はしり書き、まいぽえむ

『よこぎったハト』

地下鉄の連絡口 ハトがよこぎった


あのハトはどこから入ったのだろう


あのハトはどこに抜けるのだろう


もしいま


迷路の中にいたとしても


俺も飛びきってみせよう


この時代を

< 院試後の東京駅~大手町連絡口にて>

2002/9/6

坂井三郎 『大空のサムライ』 光人社 2000新装

久々に大きなプレゼンをやった、らぶナベ@詳細は出来事メモにてにて(^^)

さて、『大空のサムライ』坂井三郎著(光人社NF文庫)2000年新装初版。
太平洋戦争中、ゼロ戦パイロットとして撃墜王になり、
戦後も生き延びた著者によるドキュメンタリー回顧録。
(戦記モノでもあるので歴史カテゴリにも記録)
この著者の名前は以前から時々眼にすることがあり、関心を持っていた。
実はゼロ戦は第二次大戦中の戦闘機の中でも特に装甲が薄くて、
さらにパイロット保護のための装備もほとんどないという、
防御を捨てて攻撃に特化したことで有名な戦闘機だ。
これはできるだけ機体を軽くして運動性能を上げるという直接的な理由と、
過度に精神論依存する旧日本軍の戦闘思想から来ているもので、
(この点は中央公論新社の『失敗の本質』に詳しい)
一撃必殺の居合い道のような潔さと迫力はあるけれど
その分、長期戦ではパイロット生存率が極端に低下する欠点がある。
著者はこのゼロ戦に乗って各戦場で戦って生き残ったというだけでもすごいが、
自分と一緒に行動する僚機を一機も墜落させていないというのがすごい。
(ゼロ戦は最低三機一体で行動した)
そういうことから前々から興味を感じていたところ、
一次試験(筆記)の結果発表を見に行く前に立ち寄った
市ヶ谷の文教堂書店で見かけたので思わず衝動買いしてしまった。
厳しいことでしられる二次試験(学術プレゼンテーション)に進むことになれば、
戦場に向かう心構えなどのヒントがこの本から得られるかなと思ったからだ。

読んでみるとさすがに戦争記録であるので、
気持ち悪くなったり苦しくなって読みにくい箇所も多々あった。
そんな中でもいったん飛び立てば既に自分は死んでるのだと思って戦う、
戦闘機乗りの壮観さを感じてしまった。
特に興味深かったエピソードは・・・
ガダルカナルで致命的な負傷をして出血多量で意識が朦朧、
墜落は時間の問題となった際に「どうせ死ぬなら敵艦に体当たりして死のう」
っと方向を変えて敵艦を探していると意識がはっきりしてくる。
これなら帰れると思って方向を変えるとまた急に眠たくなる。
そこで今度こそ敵艦に突入しようと方向を変えるとまた意識がはっきりしてくる
・・・っということを5、6回繰り返した時に、
人間死のうと思えば「生きよう」とする本能が働いて眼がさえる、
それならば「自分は死にに帰るんだ」という錯覚を起こさせて
ガダルカナル→ラバウル間(約東京→屋久島間の距離)を帰ったという話だ。
欺瞞でも命をかけた自己欺瞞には迫力があるのだろう(^^)
また、「危機に直面した際には三回深呼吸する、
その時間がなければ一度深呼吸する」とか、
「人間は同時に二つのことを考えられないが、
0.何秒かずつずらしていけばいくつものことを同時に考えることができる」
などは当たり前のことだけどいざということにこれができるかどうかが
生死をわける戦闘機乗りの言葉としての重たさを感じた。

プレゼンに臨む際にもこの本を読んで気持ちを高めていたが、
人は誰もが戦闘機乗りかもしれない。
いざというときはたった一人ですべて戦わなくてはいけない
だからこそ自分を支えてくれる母艦を大切にしなくてはいけないのだろう。
一つの岐路に立ったときに読んだ本として印象深い一冊。

この本をamazonで見ちゃう

2002 9/5
ドキュメンタリー、歴史
まろまろヒット率4