星亮一 『山口多聞』 PHP研究所 1998

就職部主催のシンポジウムにパネリスト出席したお礼の図書券で
『三国志6武将ファイル』を買いました、このゲーム持っていないのに
武将のファイルだけみて楽しめる、らぶナベ@人材オタクっす(^o^)

さてさて、『山口多聞』星亮一著(PHP文庫)を読みました。
この山口多聞という人物は、『失敗の本質』戸部良一、野中郁次郎など著
(中央公論新社)だけでなく、大戦中の日本海軍に焦点を当てた
学術書や戦略本には必ずといっていいほど出てくる人物。

戦艦を中心とした巨砲射撃による艦隊決戦ではなく、
空母を中心とした航空機攻撃による海戦を提唱し続け
最も機動部隊司令に適任であるとされていたが
海軍の年功序列人事のため十分にその力が発揮できなかった人で
太平洋戦争中も真珠湾攻撃の際にまだ無傷だった修理ドック、
石油貯蔵庫への第三次攻撃を主張したり
ミッドウェイ島の空港爆撃を強力に主張したりするものの
ことごとく上司である南雲中将(機動部隊司令)に
採用されずに苦杯をきっしていた人物。

大戦のターニングポイントになったミッドウェイ海戦においては
常に敵の奇襲を警告し続け、
敵空母発見直後に攻撃機を爆装(地上攻撃用装備)のまま
「ただちに発信の要ありとみとむ!」と空母赤城に乗船していた南雲中将に
指示、それが無視され一気に主力空母4艦中3艦が敵の奇襲で
戦闘不能に陥るや唯一戦闘可能な空母飛龍に搭乗していた山口多聞は
「我、これより航空戦の指揮をとる」と真っ先に宣言し
混乱する味方陣営を統率して反撃を開始。
これは越権行為で軍法違反でもあるが前線指揮官としての判断で指揮を断行、
生き残った航空部隊を再編成して米空母ヨークタウンを大破に追い込む。
しかしすでに彼が指揮を取った時は戦力が崩壊しつつある時で
(戦闘前の3/4以下)レーダーも無い状態では致し方なく
空母飛龍も攻撃を受けて大破、総員を脱出させた後に
度重なる誘いを無視して山口多聞は飛龍と共に留まり沈むこととなった。
(一説に指揮権を奪取し残った兵力を独断で使用した責任を取ったため)
・・・タイタニックよりも泣ける話だ(;_;)

おそらく日本の提督の中でもっとも評価の高い人物。
彼の家系は日銀総裁(父親)、日本初の工学博士(叔父)などの
学術系でありながら一人海軍の道に進み、
彼自身もプリンストン大学で学ぶ洋行派、
常に対英米開戦には反対であったのもうなずける。
合気柔術(合気道の前進)の達人であったという面でも親しみを感じる。
彼自身の生涯は男の生き方としては感動させられるが、
この本ではいまいち彼の人間的な側面と仕事人としての側面が
中途半端になっていて良い伝記本ではないなぁっといった感じだ。

ちなみに彼が戦死するミッドウェイ海戦はなかなか興味深い戦いで、
様々な分野の研究題材にもなっていたりします。
意思決定の分野では各司令官の意思決定の違いがどう帰結したかということが
、組織論の分野では不測事態に直面したときの
組織のあり方がそれぞれ研究されているっす。

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1998 12/8
歴史
まろまろヒット率4

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