神田祭 with まろまろフラッグ

神田明神を中心とした界隈の神田祭にまろまろフラッグを持って参加する。
東京商工会議所の安藤から誘われて小石川の自宅から東神田までフラッグを持って歩き、
そこで神輿を担いでいた面々と合流してから神田明神に行く。
神田明神では神田祭を生中継する東京ケーブルネットのトーク番組にもゲスト出演(15分間)した。
スタジオにまろまろフラッグを持ち込んだのでフラッグごとテレビに映されたが、
後から考えたらこれがまろまろフラッグの初メディア進出だった。
(ぷちぷちメディアミックス)
また、祭りの間中ずっとフラッグを掲げていたので「まろまろって何?」とよく質問された。
その度ごとにURLを書いた紙を渡しながらサイトの説明をしたが、
高齢な人でもけっこうネットを使えていることに驚いた。
メディアの複合性を考えるきっかけになった一日。

2003 5/10
出来事メモ、サイト運営

西垣通 『こころの情報学』 筑摩書房 1999

携帯電話のない80年代の青春をえがいた映画『LOVE SONG』(伊藤英明&仲間由紀恵)を
たまたまた深夜放送で観てちょっとせつなくなった、
らぶナベ@でも80年代が青春時代じゃないんですよねー(^^;

さて、『こころの情報学』西垣通著(ちくま新書)1999年初版。
研究者でもあり小説家でもある著者が提唱する基礎情報学の入門書。
内容は情報から心を眺めて情報化社会の心の問題をとらえようとしている。
そのために情報とは「生物にとって意味のあるパターン」(第1章)と定義して、
生物誕生から情報の意味をひも解いている。
著者自身が「知的乱暴さをもたないかぎり”情報化時代の心”という
巨大な疑問をまともに解くことは絶対に不可能」(あとがき)と書いているように、
情報に関わる各分野の理論を横断的に使いながら展開している新書だけど意欲作。

ちなみに著者がおこなっている講義(学際情報学概論)を受講しているけど、
朝が早いことをのぞけば笑いもあってけっこう楽しい。
そういう著者のシニカルな笑いの部分がこの本では見れなかったのは少し残念だった。
また、かなり古い話でも「周知のように」という意味の言葉がよく出てきたが、
いったいどういう年代の読者を想定しているのだろうかと疑問に思う点もあった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

☆「情報」の定義
・工学的な情報の定義=「(複数の場合のなかで)どれが起きたかを教えてくれるもの」
 →本来あくまで「意味内容」を無視した機械的なもの(機会情報)

・社会学的な情報の定義=「人間社会に関連する< 記号>」
 →< 認知>< 指令>< 評価>の三つの機能がある

・著者による情報の定義=「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」
 (a pattern by which a living thing generates patterns)
 →パターンの本質はその「差異」
<第1章 情報から心をみる>

☆生物とは、いわば歴史を抱え込んだ存在(中略)
 その歴史性すなわち時間的累積性こそが、< 情報>の本質的特長
<第1章 情報から心をみる>

○情報化社会とは、記号の意味作用の安定という条件の上に成立する社会
<第1章 情報から心をみる>

○「表象」(reprezentation)=
 1:非記号表象(漠然としたイメージ)、
 2:記号表象(明示的に書き下せる記号)
  →記号表象は非記号表象を抽象化し、単純化することによって、
   他人に伝達可能とし、体系化できるようにしたもの
<第2章 機械の心>

☆「オートポイエーシス・システム」=
 「構成要素を創り出すプロセスのネットワークであり、
 またその構成要素が自分自身を作ったネットワークを
 常に再生産し続けるようなシステム」(マトゥラ&ヴァレラ)
 →生物の認知的活動を理解するには、
  「内側」から歴史に沿って見なくてはならないというのがポイント
 →オートポイエーシス理論においては、社会とはヒトの集まりというより、
  「コミュニケーション」という構成要素を生みだし続ける
  オートポイエーシス・システムと定義される
<第2章 機械の心>

☆< リアリティ>とは、行動の適合性から、さらには世界の「抵抗感」
 または「操作不能性」という観点から説明することができる
<第2章 機械の心>

☆「心的システム」=自己にもとづいて自己を再帰的に形成していく動的なプロセス
 →学習によって変化する可塑性こそが心的システムの真骨頂であり、
  常に自分を作り変えていくオートポイエーシス・システムの特長
<第3章 動物の心>

○具体的な現実状況から< 言葉>が切り離されたとき、
 はじめて言葉の< 文脈>なるものが新しく出現する
 →「言葉の意味は個々の運用の局面で定められる」(ヴィトゲンシュタイン)
<第3章 動物の心>

☆コンピュータの機械原語(機械の心)は統辞論があって意味論のない世界、
 原型原語(動物の心)は意味論があって統辞論がない世界
<第4章 ヒトの心>

○オートポイエーシス理論→動物の認知行動の時間的側面に着目
 アフォーダンス理論→動物の空間的側面に着目
 →二つの理論は補完しあう
<第4章 ヒトの心>

☆文字とは、いわば言葉を空間に釘づけにするテクノロジー(中略)
 文字が登場すると、個々の言葉はまるで< モノ>のように具体的な文脈から切り離され、
 < 概念>としてとらえられるようになってくる
 (ヒトの社会に抽象化と普遍化という方向性が鮮明にあらわれてくる)
<第4章 ヒトの心>

○近代社会の基盤には「言語の意味作用の規範化」が横たわっている
 →規範化を可能にしたのが活版印刷という情報テクノロジー
<第4章 ヒトの心>

○近代の「ヒトの心」=「機械の心をつくろうとする動物の心」
<第4章 ヒトの心>

○情報化社会の方向性=技術や経済の領域は形式論理化・抽象化にむかい、
 消費文化の領域では身体化・感性化・具体化にむかう
<第5章 サイバーな心>

☆神話とは、ひそかに深層でうごめいている意識の断片をまとめあげ、
 そこに明示的表現に耐える秩序をもたらす一種の説明体系
<第5章 サイバーの心>

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2003 5/1
基礎情報学、情報関連
まろまろヒット率3

坂村健 『痛快!コンピュータ学』 集英社 2002

真矢みきはあれだけ言って宝塚から怒られないのか心配になる、らぶナベです。

さて、『痛快!コンピュータ学』坂村健著(集英社)2002年初版。
組み込みOS「TRON」を開発した著者が書いたコンピュータ学の入門書。
コンピュータの原理的な仕組みと歴史について紹介している一冊。
中でも歴史の話が面白くて、コンピュータ誕生にまつわるゴタゴタ話では
フォン・ノイマンって嫌なやつだなと思ったりもした(笑)
ちなみに僕は著者が講師をつとめる「電脳建築学」という講義を受けていて、
この本はその講義のプレテキストに指定されているのだけど、
講義名物の著者の毒舌ぶりが本書の端々でも垣間見られてそれも楽しみだった。
特に語注では江戸っ子モード全開っといった感じで笑いながら読んでしまった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○コンピュータという道具は、水や空気のよに本質的に「無色透明」
 →いままでの道具は人間の肉体の能力を増強するものが多かったが、
  コンピュータは人間の脳の働きを増幅してくれるもの
<第1章 コンピュータ学へ、ようこそ>

○情報の単位「ビット」を考えたシャノンの功績は、
 数字だけでなく全ての情報をコード化できるとした点
<第2章 20世紀を変えた情報理論>

○アナログとデジタルの違い・・・
 ・アナログ情報=コード化されていない情報→連続性があり切れ目がない
 ・デジタル情報=コード化された情報→不連続で飛び飛び
<第2章 20世紀を変えた情報理論>

○電子式計算機(コンピュータ)が成功を収めた最大の原因
 =計算のベースを10進法ではなく2進法に置いたところ(プール代数のおかげ)
<第4章 0と1のマジック・プール代数>

○コンピュータ学をマスターするコツは
 「とりあえず分かった気になれば、それでいい」と考えること(略)
 その意味ではコンピュータ学は英語に似ている
<第4章 0と1のマジック・プール代数>

○フォン・ノイマン型コンピュータの最大の特徴は、
 一度に一つのことしかできない点=逐次処理
<第5章 プログラム コンピュータとの会話術>

○アルゴリズムを勉強することはプログラミング言語の勉強をするよりずっと重要
 (プログラムを書くことはプロットを重視する小説を書くことに似ているから)
<第5章 プログラム コンピュータとの会話術>

○メイン・フレーム市場で圧倒的な強さを持っていたIBMが
 パソコン市場で覇権を失ったのは、
 CPU(インテル)とOS(マイクロソフト)の自社開発をせずに囲い込み戦略が失敗したため
<第6章 世界を変えた小さな「石」>

○「モデム」の語源=Modulation(変調)+DE-Modulation(復調)を合わせたもの
<第8章 インターネットのは「信頼の輪」>

○コンピュータが誕生してからこの半世紀の流れ
 =「集中(メインフレーム)から分散(パーソナルコンピュータ)へ」
  →「孤立(スタンドアロン)から共同(オンライン)へ」
<第8章 インターネットのは「信頼の輪」>

○ボーダレスな時代だからこそ、それぞれの国民性や文化が大切になってくる(略)
 世界中が金太郎飴のように同じでは、わざわざネットにつなぐ必要性はない
<第8章 インターネットのは「信頼の輪」>

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2003 4/23
コンピュータアーキテクチャ、情報関連
まろまろヒット率3

フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳 『歴史入門』 太田出版 2002(第3版)

アレンジものが流行っているからといってUAが歌う『もりのくまさん』はやりすぎだと思う、
らぶナベ@”NHKみんなのうた”で聴けます(^^)

さて、『歴史入門』フェルナン・ブローデル著、金塚貞文訳(太田出版)2002年3版。
原題は『資本主義の活力』(“LA DYANAMIQUE DU CAPITALISME”)で、
著者はアナール派として有名な歴史学者兼思想家。
この本は彼の代表作『物質文明・経済・資本主義』を著者自身が要約して紹介している。
実はこの『物質文明・経済・資本主義』は「共依存的生滅の論理の探求」という
何だかよくわからないけど熱い名前の講義(学際情報学特殊講義)のテキストになっている本。
面白そうな本だけど分厚いのが六巻もある大著なので、
全体像を把握するためにまずはダイジェスト版のこちらを手に取った。
(親本の方はどうしても飛ばし読みして読書メモを残せないからという意味もある)
この『歴史入門』は親本とまったく同じ章立てから構成されている上に、
いま読んでいる場所が親本ではどこなのかという注釈までついているという
僕のような読者にとっては完璧なダイジェスト版。

著者は緻密で膨大な資料の上に当時の社会のうねりを再現させることに定評があるけど、
この本でもその片鱗は十分に感じられてダイジェスト版にありがちな安物臭さはなかった。
文中で「食べ物や暮らしの話だって、有名な事件や人物の話と同じくらい重要じゃん」
っと述べているところは(ナベ語訳from第1章:物質生活と経済生活の再考ー2:物質生活)、
彼の本領発揮というところだろうか(^^)

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○歴史的事象の時間性
 ・「短期持続」=一回限りの歴史的事実「事件」
 ・「中期持続」=時々刻々動きながらも一定の周期を示す「複合状況」
 ・「長期持続」=事件や複合状況の深部にあって、ほとんど動かない「構造」
<第1章:物質生活と経済生活の再考ー1:歴史の深層>

○私が出発したのは日常性であった(中略)
 こうした行為=慣習的行動(la routine)を行なわしめる刺激、衝動、模範、様式、
 あるいは義務は、われわれが思っている以上に多くの場合、
 人類史の起源にまで遡るのである。
<第1章:物質生活と経済生活の再考ー1:歴史の深層>

☆物質生活とは、長い歴史を背負った人類が、まさに内臓の中に吸収するように、
 彼自身の生に深く合体させているものであり、
 そこではあれこれの過去の経験なり興奮なりが、
 日常生活の必要性、凡庸性となっているのだ。
 そうであるが故に、誰もそれに注意をはらおうとはしない。
<第1章:物質生活と経済生活の再考ー1:歴史の深層>

☆貨幣は、それを交換を促す手段のすべてを指定するものと解すれば、
 非常に古い発明である。そして交換のないところには、社会も存在しない。
<第1章:物質生活と経済生活の再考ー2:物質生活>

☆つねに再審をせまられる、過去/現在、現在/過去の弁証法こそが、
 まさしく、歴史そのものの核心、その存在理由なのかもしれない。
<第2章:市場経済と資本主義ー2:資本主義という用語>

○資本主義、それは(略)普通ほとんど利他的なものではない目的のために行われる、
 資本投入という絶えざる賭けのあり様そのものに他ならない。
<第2章:市場経済と資本主義ー3:資本主義の発展>

○交換のタイプ
 1:次元の低い、透明であるがゆえに競争原理の働くもの
 2:高度で洗練され支配的なもの
 →この二つはまったく別のメカニズム&経済単位(資本主義の領分があるのは2の方)
<第2章:市場経済と資本主義ー3:資本主義の発展>

○ヨゼフ・シュンペーターが、企業家をデウス・エクス・マキナ(救いの神)とみなすのは間違いである。
 決定的なものは全体としての働きであり、あらゆる資本主義は、
 何よりも、その下の経済に見合ったものでしかない。
<第2章:市場経済と資本主義ー3:資本主義の発展>

○16世紀末の、地中海から北海への中心の移動は(略)
 新興地域の旧勢力に対する勝利を意味するだけである。
 (略)マックス・ウェーバーの誤りとは、そもそも資本主義の役割を、
 近代世界の推進力として過大評価してしまったことに根本的に起因するように思われる。
<第2章:市場経済と資本主義ー4:資本主義発展の社会条件ー国家、宗教、階層>

○資本主義は優れて、頂点における、あるいは、頂点を目指した、
 経済活動から生まれるものに他ならないということである。
 それゆえ、この高空飛行(大規模)の資本主義は、物質生活と、
 まとまりのある市場経済という二重の層の上を飛翔し、
 それは高利潤の層をなしているのである。
<第3章:世界時間ー4:産業革命>

○すべての客観科学の前には、つねに、発見されるべきアメリカ大陸が横たわっているのだ。
<第3章:世界時間ー4:産業革命>

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2003 4/20
歴史学、経済史
まろまろヒット率3

R.H.フランク、山岸俊男監訳 『オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情』 サイエンス社 1995

最近は屋号(?)で「まろまろさん」と呼ばれたりもする、らぶナベです。

さて、『オデッセウスの鎖ー適応プログラムとしての感情ー』
(原題”Passions within Reason-The Strategic Role of the Emotions-“)
R.H.フランク著、山岸俊男監訳(サイエンス社)1995年初版。
前に読んだ『マインドー認知科学入門』の中で「合理的思考プロセスでも感情は重要だ」
と述べられているところが一番面白かったと言うと佐倉助教授が貸してくれた一冊。

この本では自己利益追求(感情は合理的判断の邪魔)という経済学の前提条件を
感情の重要さに注目しながら修正しようとしている。
合理的自然人という考え方や利潤追求モデルは前々から批判を受けているけれど、
経済学者が経済学的アプローチから感情の重要性を考察している点が面白い。
(著者は経済学者だけど訳者は社会心理学者という点もユニーク)
だから自己利益追求モデルを否定しているわけではなく、
利益追求の意味と過程をもう一段階広くとらえようとしている。
読んでいるとちょっと無理っぽい展開だと感じる箇所もいくつかあるけれど
「その理論に反するデータを示されただけでは重要な理論は変わらない」から、
「事実により良く合致する代替理論が提出される必要がある」として
この本を書いている著者の姿勢はすごく好感が持てた。

以下はチェックした箇所の抜粋(一部要約)・・・

☆私は(略)感情が自己利益追求にうまく役立つと考えている。
 ただしその理由は、感情に駆られた行為が隠された利益を生み出すからではなく、
 合理的行動によっては解決できない重要な問題が存在しているからである。
 そういった問題の特徴は、自分に不利益な状況になっても行動を変えられないように、
 自分の行動をあらかじめ自分で縛りつけておかなくては解決できない点にある。
 →オデッセウスの故事に
<1章 自己利益を越えて>

☆「自己利益追求モデル」=人が常に効率良く自己利益を追求しようとする視点
 「コミットメント・モデル」=一見非合理な行動がコミットメント問題の解決に役立つ
               感情傾向だとする視点
<1章 自己利益を越えて>

○コミットメント問題は、後で自分の行動を変えられなくするよう、
 自分の行動をあらかじめ一定の方向に縛りつけておくと得になる場合に生じる。
 →誤魔化し、抑止、結婚など
<3章 道徳感情の理論>

☆道徳感情は報酬のメカニズムを微調整し、特定の状況で将来の報酬やペナルティに
 もっと敏感にさせるための荒削りな試みとして考えることができる。
<4章 評判>

○さまざまな不快感情を避けたいという欲求が、道徳行動を引き起こす主要な要因。
 (ケーガン)
<8章 道徳を身につける>

○愛について思慮深い人は、愛することができない。(ダグラス・イェーツ)
<10章 愛>

○判別フィルターがなければ、環境からもたらされる刺激はわれわれを圧倒してしまうだろう。
 脳は実際に意識されているよりもずっと多くの情報にアクセスしている、
 それらの情報の多くは意識されていないけれども、だからといって、
 感情や行動に何の影響も与えないわけではない。
<10章 愛>

○感情にもとづく行動はコストをともなっているように見えるが、
 そういった行動が必ずしも物質的に不利になるとは限らない。
<11章 人間の品位>

○全盛をきわめている理論は、その理論に反するデータを示されただけでは変わらない。
 事実により良く合致する代替理論が提出されてはじめて、
 既存の理論は本当の挑戦を受けることになる。(トーマス・クーン)
<12章 まとめ>

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2003 4/17
進化心理学、経済学、社会心理学
まろまろヒット率3

栗原はるみ 『ごちそうさまが、ききたくて。―家族の好きないつものごはん140選』 文化出版局 1992

ぷち隠し日記を実験的に導入した、らぶナベ@場所はまだ秘密です(^^)

さて、『ごちそうさまが、ききたくて。―家族の好きないつものごはん140選』栗原はるみ著(文化出版局)1992年初版。

最近、僕が料理本(レシピ集)を読んでいるのを知った友達から薦められた一冊。
タイトルから想像できるように実際に著者が家族のために作っている料理を紹介している。
紹介されているレシピはどれも素朴な素材を使っていてあっさりした味付けのものばかりだけど、
「健康にこだわりすぎて楽しさを失わないこと」と言っているところや、
市販のたれなども使っているところから肩の力が抜けた著者の料理への姿勢を感じた。

中でも特に材料が少ないときやボリュームがほしいときに、
とにかく大きく丸く焼いた玉子焼きを上にのせる「帽子のっけ」が
格段に豪華&美味しそうに見えるのでかなり愛用させてもらっている。

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2003 4/15
料理本
まろまろヒット率3

「色彩の遺伝子」ゲット

デジタルアーカイブを専門とする武邑光裕助教授(東京大学大学院新領域創成科学研究科)から
日本の古代色を復元したデジタルデータ集「色彩の遺伝子」をゆずってもらう。
たまたま彼の講演(情報学環講話会)を聴きに行った際に、
現在の関心が個人のアーカイヴに移ってきているという話や
「コンテンツよりもコンテキストが重要」という話が出たので
これは共鳴できそうだとこちらの自己紹介をしてみるとあれよあれよという間に
「色彩の遺伝子」のデータを「まろまろ読書日記」に使わせてもらえることになった。

また、データ受け取りの機会にWEBサイトを運営して感じたことについて話をさせてもらうと
同じような視点、問題意識を持たれていたので立場は違えどかなりの意見交換ができた。
(複数のジャンルにまたがるものの視覚的表現の模索、個人による情報発信の重要性など)
このデータ集をもらえたことだけでも、もう今年一年の授業料のもとは取れたと思う(^^)

2003 4/15
出来事メモ