池上嘉彦 『記号論への招待』 岩波書店 1984

ニュース23の特集「Coccoが再び歌う」を観て感動した、らぶナベです。

さて、『記号論への招待』池上嘉彦著(岩波新書)2003年第37版。
記号論についてのコンパクトにまとまっている本を探していたら、
西垣通教授が講義(学際情報学概論)中でソシュールとパースの両方を
押さえているということでこの本を紹介していたので買って読んでみた。

読んでみると、断片的に耳にしていたこの分野のキーワードが
全体の流れの中でつながっていくのはパズルが完成するようで楽しかった。
また、もともと著者は言語学者なので、言語学で小耳に挟んだ理論が
記号論でどういう風に応用されているのかということも垣間見ることができた。

ただ、記号論の歴史的な経緯や発展についての説明がもっと欲しかったし、
内容面でも個々の概念的なことは納得できるけれど「そっから先が知りたいんや~」
っと感じることも多くて少しまどろっこしかったのが残念。
さらに記述のまわりくどさが読みづらさを助長させていたが、
こういうのは記号論自体の特徴だろうか?

以下はチェックした箇所(一部要約を含む)・・・

○人間の「意味づけ」する営みの仕組みと意義
ーその営みが人間の文化をいかに生み出し、維持し、そして組み変えていくか
ー現代の記号論はこういうことに関心をもっている
<1 ことば再発見>

○ことば(あるいは、一般に記号)による意味づけという営みを通じて、
人間は自らにとって未知のもの、関わりのなかったものを自らとの関連で捉え、
自らの文化の世界の中に組み込み、自らの世界をふくらませ続ける
<1 ことば再発見>

○直感すること、それはすなわち、表現することである(クローチェ『美学』1907)
<1 ことば再発見>

○言語は精神であり、精神は言語である
(フンボルト『人間言語の多様性と人間の精神的発達に対して及ぼすその影響について』1836)
<1 ことば再発見>

☆コミュニケーションとは(略)自分の頭に抱えている
< 抽象的>な広義の思考内容のコピーを相手の頭の中にも創り出す行為
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

☆コード=発信者がメッセージを作成し、受信者がメッセージを解読する際に参照すべき決まり
(コードとして重要なのは拘束する力)
→コードを超えようとする使用者と、使用者を拘束しようとするコード
→この対立する両者の間の緊張した関係が破綻に至らぬようとりもっているのがコンテクスト
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

○「コード依存型コミュニケーション」→解読がその特徴(発信者中心)
 「コンテクスト依存型コミュニケーション」→解釈がその特徴(受信者中心)
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

○仮説的推論の説明・・・
・「演繹」=from 事例 with 規則 to 帰結
・「帰納」=from 事例&帰結 to 規則
・「仮説的推論」=from 帰結 with 規則 to 事例
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

☆一般化した捉え方を定着させるのが記号(略)
指示物でなく意味を通例その記号内容とすることによって、
問題となる対象なり事例は特定の空間、時間の制約から解き放たれる
<3 創る意味と創られる意味>

○記号の分類・・・
・有契的で類似性に基づく記号→「イコン」(類像)
・有契的で近似性に基づく記号→「インデックス」(指標)
・無契的な記号→「シンボル」(象徴)
<3 創る意味と創られる意味>

☆記号内容の規定において、その記号と他の別な記号の記号内容の共通性ではなく、
差異を規定するものとして機能している特徴=「示差的特徴」
→共通性を踏まえての差異という「対立」の構造は、意味作用を生み出す母体
<3 創る意味と創られる意味>

○知識体系の表記・・・
・「フレーム」=問題となる事柄について、
関係する人々が平均的に有していると思われる知識を総覧的に示したもの
→スロット(その事柄についての特徴的な項目)+フィラー(項目に与えられる具体的な値)
・「スキーマ」=時間的ないし因果的な関係に基づいて継起する出来事から成るまとまり
<3 創る意味と創られる意味>

☆二つの特徴が共生する両義的な存在の役割=創造という価値
→「物語」では一方の世界から他方の世界への越境という出来事こそが重要
<4 記号論の拡がり>

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2003 9/9
記号論、言語学、コミュニケーション論
まろまろヒット率3

アクティヴな引きこもり

  らぶナベは基本的に読書好きで内向的な性格だが、たまに活動的だと誤解されることがある。

  また、経験も豊富だと思われがちだが、単に妄想銀行で培った妄想経験(利息)だったりする。

  そうしたギャップから生まれたのがこの分裂的なにおいのする言葉である。

  「妄想は会議室でおこっているんじゃない!現場でおこっているんだ!」

  というのも逆ギレ風の異口同音として使われることがある。  
  
  おうち大好き&すみっこ大好きで、背中を押されたり誘われないと動き出さないことも多いので
  
  何かあれば気軽にお声をかえてちゃぶだい。  

  類似例:「顔の広い人見知り」、「明るいネクラ」、「社交的な一匹狼」、「ワーカホリック気味なニート」、”active homebird”など
  (GREEのコミュニティやMIXIのコミュニティで目下討議中)

ピュアピュアさん

  普段、クールを気取りたがったり、ダークを売りにする知り合いの、

  妙に純粋な一面や可愛い仕草を垣間見たときに呼びかけてあげる呼称。

  「ピュアピュア」と連語で、かつ「さん」付という点が、

  呼びかけた本人はもちろん、呼びかけられた相手にも恥ずかしさを与えてくれる。

  主に会話での呼びかけに使われるために記録には残りにくいものの、  
  
  まろまろ用語集を代表する用語の一つである。  

  用例:「小マシな飲み屋でいつもマリブミルクを頼むなんてピュアピュアさんだね」など

不思議ちゃん担当大臣

  らぶナベはツンドラーのリストの事務総長を務めている。

  しかし、なぜか不思議ちゃんにだけは気に入られることが多い。

  何かの集まりがあると必ずと言っていいほど不思議ちゃんの話し相手になり、

  不思議ちゃんをもてあまし気味のまわりからは、

  不思議ちゃん担当大臣と呼ばれてありがたがられている。  
  
  ただし、本人は決して不思議ちゃんが好きなわけではない。
  
  往々にして個人の趣向と特性・能力とは一致しないものである。

  また、こうした経験を積むことによって天然もののリアル不思議ちゃんと、

  養殖もののイミテイティヴ不思議ちゃんとの見分けもつくようになった。

  往々にして人は意図しないアビリティを進化的に身につけてゆくものである。
  

  用例:企画会議で「小倉優子は養殖ちゃんだよ」と無意味な看破をするなど

家族の再合併

20年近く前に離婚していた両親が再入籍したという報告が入った。
母親の方から携帯メールで他の連絡ついでの軽い感じだったので余計に衝撃(>_< ) 家族関係は人間関係の捉え方や人生観に少なからず影響を与えるものだけど、 成人になってからのこの出来事も自分の世界観に影響を与えることになるのだろう。 人生とは不思議だ。いや、不可思議か?(^^; 2003 9/8 出来事メモ

『Coccoが再び歌う』(TV番組)

Coccoの現在の活動を紹介したニュース23の特集を見る。
「ゴミゼロ大作戦vol.0」として沖縄の海のゴミを拾おうと自分の言葉で高校生たちに呼びかける姿や、歌を指導する姿、そして久々に見る彼女の歌う姿にすごく感動した。
アメラジアンを含めた子供たちと共に歌う映像には思わずウルウル。
自分の病気も含めて命を削るように歌うスタイルだっただけに(“Raining”は生涯何番目かに入る衝撃的な歌)こういう活動をしていることに感銘も受けた。
歌い終わって叫びながら飛び跳ねる彼女の姿に再びウルウル。

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cocco アルバム

2003 9/6
もろもろ鑑賞、TV番組
まろまろヒット率5

「Heaven’s hell」としてDVD化している。
まろまろ掲示板でも話題に→こちら

続くなら続く、続かないなら続かない

何かを始める前に悩んでみても、続くなら続くし、続かないなら続かない。
できるかどうかとか、ダメだったときの精神的ダメージを考えてもあまり意味がない。
かつて”Quitters never win and Winners never quit”という台詞を署名にしてたけど、
この言葉は意気込んで口ずさむんじゃなくて肩の力を抜いてつぶやく台詞なんだろう。
そんな不作為的な自然選択(natural selection)で僕たち生命は進化してきたのだから。

2003 9/6
はしり書き

佐倉統 『進化論の挑戦』 角川書店 2003

「まろまろ図書」をメルマガ読者限定ではじめた、らぶナベです。
(根拠条文は著作権法第38条4項)

さて、『進化論の挑戦』佐倉統著(角川ソフィア文庫)2003年初版。
もともとは角川選書(1997年)から出た本の文庫版。
研究室にたくさんあったので物欲しそうに見ていたら著者からもえらえた(^_-)

内容は進化論が生まれた経緯と他分野への広がりの歴史を紹介しながら、
進化論が異分野をつなげる接着剤になる可能性を述べている。
前に読んだ『進化論という考えかた』よりもこちらの方がおもしろい。
各章末にある人物紹介は面白いし、表現も言い切りが多いのでリズムよく読める。
文庫版あとがきで著者も述べていたが、これくらい著者のスタンスを明確に示してもらった方が
(ちょっと問題があっても)こういう本としては勢いがあって読みやすい。

以下はチェックした箇所(一部要約を含む)・・・

○進化=生物の歴史、進化学=歴史をあつかう自然科学
<汝自身を知るためにーまえがき>

☆進化の定義=遺伝する形質の変化→進化過程では変化が累積していくことが重要
→進歩と違って進化は無方向な変化(“進化”よりも”変化”の方が意味が近い)
<第1章 進化と進化論の歴史>

☆古来多くの賢人が取り組んで未だに論じ尽くされていない問題は、
問の立て方か解決へのアプローチの仕方が間違っていると考えられる
・「なぜ人は道徳的でなければならないのか?」という普遍的な問題は、
 →「なぜ人は道徳的ではなければならないと<思う>のか?」と問えば
  倫理学の問題から心理学の領域へ変換できる
 →「なぜ人は道徳的でなければならないと思うように<できている>のか?」と問えば
  さらに自然科学で扱える問題となる
<第4章 人はなぜ道徳的に振舞うのか、また、なぜそうでなければならないのか?>

○脳の守備範囲は遺伝的には誤差範囲(略)遺伝的に大事なところは遺伝子が担当
→脳は遺伝子ではきめ細かな対応ができない時空間尺度、個体の見渡せる範囲や
 生涯で実感できる時間に感受性が高くなるように進化してきた
<第4章 人はなぜ道徳的に振舞うのか、また、なぜそうでなければならないのか?>

○まわりの事態が変えられない場合には
自分の意思決定は正しかったのだと思った方がストレスが少ない
→人の心理傾向は自己正当化するように進化してきた
(ロバート・トリヴァース)
<第5章 ダーウィンとフェミニズム>

○人類社会、特に近代産業革命以降の工業化時代における変化は、
共同体の解体とその役割の個人への委譲とまとめることができる
<第5章 ダーウィンとフェミニズム>

○自分の情報を複製することのできる自己複製子の系統が続けば、
そこにダーウィン的な進化が起こる
(大事なのはどんなものが複製されるかではなく、情報が複製されること)
→この情報一元論的生命観がドーキンス理論の根本
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

☆自律的に適応する能力を持ったシステムならば、
生命や人間の知識だけでなく、あらゆるシステムが選択過程に頼っているはず
→選択過程=無方向の変異生成とあとに続く選択
(ゲイリー・シーコウ)
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

☆ダーウィンが自然選択を着想したときにマルサスの経済学がヒントになり
(略)現代は進化経済学が注目されている
→進化論と経済学はもともと相性がいい
→生命も経済もどちらも自律的に適応する複雑系だから
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

○生命の進化はひとつの認識システムの進化であり、
知識を含む人間の認識システムもまた、ひとつの「生命」と考えることができる
(略)生命は40億年の旅路の果てに、人間の知識・文化という、
もうひとつの「生命系」を誕生させたということなのだろうか?
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

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2003 9/4
進化論、自然科学
まろまろヒット率4

焼肉・蛮の「ざる蕎麦」

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高熱は下がったけど肝臓障害が見られるので、高たんぱく&高カロリーの食べ物を求めて知り合いと焼き肉に行く。なぜかこの店は石臼ざるそばがあった。可もなく不可もなくという味だけど、このメニューだけは不思議なり。もちろん頼みました。
神田駅前の「蛮」にて。