紀田順一郎 『翼のある言葉』 新潮社 2003

半ば強引に誘われて連れて行かれたサバイバル・ゲームは、
ニューエコノミーな人たちの社交場にもなっていたのが意外だった、
らぶナベ@ゴルフからサバゲーへ、社交スポーツの構造変革?

さて、『翼のある言葉』紀田順一郎編(新潮新書)2003年初版。

ここしばらく取り組んできたことがようやく一段落したので、
気持ちも落ち着けようと手に取った名言集。
(本郷真砂図書館内を放浪していて発見した一冊)
タイトルの「翼のある言葉」とは、ドイツ語の”Gefluegeltes Wort”の訳。
時と場を超えて胸に飛び込んでくる言葉という意味がある。
その言葉の通り、古今東西の小説や随筆、特に古典的作品から
編者の心に残った言葉を抽出して編集している。

編者が高齢のためか、中には後ろ向きに思えるほど
「昔は良かった」的な解釈を入れるところが気になったが、
編者と同じように書留めたくなる言葉がいくつもあった。

自分を振り返るのに歴史書と名言集は欠かせないような気がする。

以下は、チェックした箇所・・・

☆人生で最もむずかしいことは、自分の幸福にとって厳密に得になること、
 厳密に生き甲斐あることだけをする術を学ぶことだ。
<ヘンリー・ミラー『わが読書』>

☆心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん
<古歌>

☆思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。
 それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。
 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
<魯迅『故郷』>

☆私は あまり人の通っていない道を選んだのだ、
 それが 大きな相違をもらたすことになった。
<ロバート・フロスト『行かなかった道』>

○自分の中にある晴々した気分の源を清らかにして置けば、
 外界の事物も我々の心に沿って来る。
<プルタルコス『倫理論集』>

○私は自分の境遇の、暗い面よりも、明るい面に注意を向けて、
 私に不足しているものではなくて、私が持っているもののことをもっと考えるようになり、
 そのために私は言いようがないほどの慰安を感じることがあった。
<デフォー『ロビンソン漂流記』>

○わたしは引用というものを、疾走する三頭立ての中央の馬を
 左右から助ける副え馬だと理解している。
<エイゼンシュテイン『自伝のための回想録』>

○われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。
<セネカ『人生の短さについて』>

○天国において奴隷たるよりは、地獄の支配者たる方が、どれほどよいことか!
<ジョン・ミルトン『失楽園』>

○断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。
<ラ・ロシュフーコー『箴言集』>

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2005 3/3
名言集
まろまろヒット率3
スピリチュアル

スーパー銭湯 笑顔の湯の「サバの煮付け」(あなどりがたし)

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泥だらけになって戦った後はスーパー銭湯で汚れを落とす。天然温泉を引っ張ってくるなど充実した銭湯を楽しんだ後は、おなかヘリコプターになったので施設内で食事を取る。サバの煮付けを頼むとやたら遅い。不思議に思っていると注文があってから煮付けていることが判明。確かにやわらかジューシーで美味しかった。
スーパー銭湯の鯖の煮付け、あなどりがたし。
千葉のスーパー銭湯「笑顔の湯」にて。

サバイバル・ゲーム初体験

前々からサバゲー幹事をしている知り合いに誘われていたが、
ちょうど一段落したし気分転換したくなったので参加してみる。

早朝集合で車に乗せてもらって千葉の専門フィールド「SPLASH」に行くと、
前日の雨で泥道化していて車輪を取られる車が続出していた。
不安を感じながら風の強い寒空の中で着替える。
フィールド観察を終えてから参加者全員が二組に分かれた時、
はじめて連れて行かれたチーム名が「チーム・ドキュン」という
実に恥ずかしい名前であることを知らされる(>_< ) (結果的にIT企業の人や2ちゃんねるの人たちと同じチームだった) 実際にゲームを始めてみると、どこにいるかもわからない敵、 どんどん撃たれてアウトしていく味方、常に緊張の連続だった。 (寒かったのにゴーグルには汗が溜まった) 特に相手側のチームには射程が長く連発できる機銃(ミニミ)を保有していた上に、 無線を使って連携を緊密に取っていたこともあってこちら側は苦戦の連続だった。 火力と情報戦での優劣がとても重要なんだとあらためて実感。 ただ、森林戦と市街戦の両方があるフィールドだったので多彩な展開ができた。 印象深いのは最後の2ゲーム目で建物の壁に隠れて攻防戦をしていたときに、 泥に思わず膝上まではまってしまって身動きが取れなくなってしまったことだ。 なんとか泥からはい出ようと必死でもがいている間にも、 飛び出した味方がどんどん撃たれてアウトしていく・・・ ちょうどセーフティフィールドの真下だったので参加者の爆笑を買ってしまったが、 最後は僕に気づかずに側面に入ってきた敵を撃ってアウトさせることができた。 すると仕留めた相手にアウトさせられた人たちが駆け寄ってきて感謝されたりもした。 終わってみると共に戦った相手は知らない者同士でも仲間になった気分になった。 ゲーム中の没頭感に加えてそういう連帯感を味わえるのが、 ニューエコノミーな社交スポーツにもなっている理由なんだろう。 また、帰りに近くのスーパー銭湯で汗を流すと爽快感も味わえた。 ゴルフからサバイバル・ゲームに・・・社交スポーツも構造変革なのか。 そしてサバゲーの経験は、人はすぐに死ぬんだということを疑似体験することにもなった。 戦争ごっこを通じて嫌戦、反戦を感じる効果もあるんだろう。 2005 2/26 出来事メモ

クリントン・V・ブラック、増田義郎訳 『カリブ海の海賊たち』 新潮社 1990

海賊旗(Jolly Roger)を身につけることもある、らぶナベです。

さて、『カリブ海の海賊たち』クリントン・V・ブラック著、増田義郎訳(新潮選書)1990年初版。

カリブ海(西インド諸島)での海賊行為がピークに達した1710-20年代に活躍した、
ヘンリ・モーガンやエドワード・ティーチ(黒ひげ)、女海賊などの
代表的な海賊船船長12人を取り上げている歴史書。

読んでみると、もってまわった書き方やまわりくどい表現に読みづらさを感じた。
(古い史料からの引用が多いためか、それとも英国風の文章のためか・・・)
ただ、それを差し引いても大国間のパワーバランスの中で、
度胸と機転を武器にちょこまかと暴れ回る海賊たちの生々しい姿が伝わってくる。
思うに巨人たちががっつり四つに組み合って身動きが取れない間に、
小さな規模で活躍する海賊的な存在はいつの時代もいるのかもしれない。

そんな僕もこの本を読み終えた日に博士課程合格を確認。
“Pirates of MAROMIAN”としての活動はまだ続きそうだ(^_-)

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2005 2/22
歴史、海賊もの
まろまろヒット率3

東京大学大学院 学際情報学府 博士課程合格

東京大学大学院 学際情報学府 学際情報学専攻 文化・人間情報学コース博士課程に合格。

2/5
博士課程入試を兼ねた修士論文口頭試問を受ける。
(『コンテクスト・デザインとしてのWEB表現-オンラインとオフラインのコミュニケーション表現-』)
当然ながらまろまろフラッグを設置して、まろプチフラッグも卓上に置いてプレゼンする。
審査員は、佐倉統助教授(指導教員)、武邑光裕助教授(副指導教員)、
原島博教授(前学環長)、花田達郎教授(現学環長)
・・・っと正副指導教員に加えて新旧学環長という実に豪華ラインナップだった。

反省点としては、発表時間(20分)ギリギリ使ったプレゼンを作ってしまったので、
アップアップしたままの流れで質疑応答(20分)に入っていってしまった。
おかげで一呼吸考えてから応えるべきところを反射的やってしまい、
説明不足だったり不用意な言い切りをすることがあった。
自分のリズムを獲得することの大切さをあらためて痛感した。
教訓=余裕を持ったスライド・時間が大切

2/22
合格発表を見に行くと受かっていた。
教授から「旗を掲げて博士課程に進む人間は東大史上初」と言われた。

思えば東京に出てくる前は「いまさら・・・」という気もどこかでしていた。
ある意味で思い切りが必要な決断だったけど、
それがこういうかたちでちゃんと結果につながったのは素直に嬉しい。
前にいた立命館では「博士課程進学は絶対に無理」と教授達から言われていた。
それがここでは最低年限の2年で博士に進むことができた。
(何年かかっても進めないことも多いのに)
このことは自分に合う場所を見つけるまで続けることの大切さを
あらためて感じることとなった。
人生には三つの「さか」があるという。
登り坂、下り坂、まさか。
まさかの坂を思わず転げ落ちることもあるし、
逆に気づけばころげ上がっていることもあるんだろう。

そして次のステップを踏もう。

2005 2/5、2/22
出来事メモ、進路関係

早川洋行 『流言の社会学―形式社会学からの接近』 青弓社 2002

民話や都市伝説の裏読みをするのが好きな、らぶナベ@妄想銀行社会部です。

さて、『流言の社会学―形式社会学からの接近』早川洋行著(青弓社ライブラリー)2002年初版。

各分野で研究されてきた流言を横断的に検証して、そのメカニズムの解明を試みる本。
流言や噂は情報化社会で重要になるキーワードだと感じることが多く、
前々からまとまったものを読んでみたいと思っていたので手に取った一冊。

読んでみると先行研究の参照も丁寧で手堅い概要書と言った感じだけど、
所々に著者の見解やキャラが垣間見れて楽しかったりもする。
構成の面でも各章の最後にまとめを入れる点や、この本の「種明かし」として
自分の方法論(主にジンメル社会学)を述べている点なども読みやすさを助けてくれた。
内容でも構成でも良書といえる一冊。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○流言は人びとの生活世界の範囲を顕在化させる指標

☆流言の定義=コミュニケーションの連鎖のなかで短期間に発生した、ほぼ同一内容の言説
→噂との違いはその波及規模(噂の氾濫が流言)

☆解決流言=当為命題含む、解釈流言=当為命題含まず
・自我包絡性&信用性&顕在性&真偽の確認可能性→解決流言>解釈流言
・発生しやすさ→解決流言<解釈流言

○流言=情報の流れにかかわる、流行=影響の流れにかかわる

○信言&違言&偽言=科学知、戯言=物語知
→流通の点で違言は流言になりにくい

☆流言の聞き手は「状況の真理性」(伝達内容)、「態度の誠実性」(発話者)、
「権威の正当性」(発話者&内容上の発話者)から真実を検証

☆流言の流通理由=「ニュース性」、「検証」、「同意欲求」、
         「自己解放」、「娯楽性」、「関係維持」、「作為」
→虚言は娯楽性&作為、正言or虚言は検証&自己解放&関係維持から生まれる

☆不安=対自的、飽き=即自的
→主体に緊張を強いるという点では同じ=流言の発生原因となる

☆「カタルシス原理」=民衆がみずから対自的に虚構の苦難を作り出すことでおこなう感情の浄化
→流言とは観客が同時に演者になることで感情浄化を果たす現象

☆流言の発生が、田舎<都市、大人<10代、に広まりやす理由
=「不安と飽きの心理」、「権威の弱体化」、「客観的世界の拡大」
→流言はさまよう心にとりつく

○他者否定型の解釈流言は話手と聞手の間でイン・グループを確認し相互の紐帯を強める

○情報化社会の流言は、収斂的に終息するより拡散的に終息する

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2005 2/21
流言・うわさ研究、情報・メディア、社会学
まろまろヒット率4

陳舜臣 『旋風に告げよ』 講談社 上下巻 1982

まろまろコラム『WEBと海』に補足を追加した、らぶナベ@ウィナーさん話入れました。

さて、『旋風に告げよ』(上下巻)陳舜臣著(講談社文庫1982年初版)。
明末から清初にかけての時代に、中国人の父と日本人の母を持ち(7歳まで日本育ち)、
明朝復興を目指して戦い、最後はオランダ支配の台湾を奪取した
鄭成功(国姓爺)の人生をえがいた歴史小説。
前から日本と台湾の両方で英雄とされている鄭成功の本を読んでみたいと思っていたのと、
海を舞台にした物語を読んでみたかったので(鄭家は半分海賊)手に取った一冊。

読んでみると、鄭成功が一番活躍するはずの
台湾からオランダを追い出す後半部分は駆け足すぎだし、
最後も不自然なほどあっけない終わり方をして不十分な気がした。
(フィクションとして出てきた登場人物も不自然さしか感じなかった)
ちなみに主役の鄭成功よりも、事実上明を滅ぼして満州族による中国支配を確立させた
清の摂政王ドルゴンのドライな合理主義者ぶりの方が魅力的に感じた。
登場回数は少なくても迫力と魅力が自然と感じられる、
歴史の主役と脇役との差がこんなところにもあるような気がしてしまった。

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2005 2/16
小説&文学、歴史
まろまろヒット率2

Ampresso(アンプレッソ)のドルチェの「ティラミス」

前から噂を聞いていた近所の穴場的お店に連れて行ってもらって文京区ランチMtgをする。味と雰囲気を確認して文京区OFF会会場に決定!
写真は自慢のティラミス。ドルチェも美味しい、マスターのコダワリあふれる良いお店です。
春日・後楽園(東京都文京区春日1-11-14)の「Ampresso (アンプレッソ) 」にて。