スティーブン・ジョンソン、山形浩生訳 『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』 ソフトバンクパブリッシング 2004

どんな場面でも関西弁で押し通す友人に日本の中の反グローバリゼーションを見る、らぶナベです。

さて、『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』
スティーブン・ジョンソン著、山形浩生訳(ソフトバンクパブリッシング)2004年初版。

個々が部分的に相互作用を繰り返すことによって、自然に全体的な秩序が生まれ、
その秩序が個々に影響を及ぼす「創発(Emergence)」について書かれた本。
去年のソーシャルネットワーキングをめぐる話題でもよく出てきたキーワードだったので
興味を持っていたら研究室で発見して読んだ一冊。

読んでみると創発現象を支える「フィードバック」についての書かれている4章が一番面白かった。
「荒らし」や「ROM」が横行するインターネットの現状を
フィードバック回路で説明しているのも面白かったし、
個別の結果を非難するよりも自分の価値観を奨励するフィードバック回路を
生み出す仕組を考えることを提唱しているのも興味深かった。

ただ、訳注で訳者が突っ込みを入れているようにちょっと強引すぎて「?」と思うところもあったり、
事例の紹介だけでなくもっと仕組を知りたいと思うところもあった。

そんな本だけど、1章でシムシティなどの事例にあげながら
「創発行動はもはや、研究対象にとどまらない。自分で作れるものだ」
と述べているのが一番印象深かった。
創発は自分で生み出せる。
この「まろまろ」もEmergenceしているんだ(^^)

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

☆地面レベルから学習するよう設計されたシステムの5原則
1:多いことは違うことだ
2:無知は役に立つ
3:ランダムな出会いを奨励しよう
4:記号の中のパターンを探せ
5:ご近所に注意を払え
<第2章 街路レベル>

○時間がたつ中で全体が維持されることが複雑系を定義づける特徴の一つ
<第2章 街路レベル>

☆都市生活は、個人の行動を変える、見知らぬ者同士の偶然の相互作用に依存している
→歩道生活における情報ネットワークは(高速道路と違って)十分に肌理の細かいもので、
 高次学習が創発することを可能にする
<第2章 街路レベル>

☆学習=変化するパターンを認識して反応すること
<第3章 パターンマッチング>

○自己組織システムはフィードバックを使って自分をもっと秩序立った構造へと引き上げるが、
WEBのフィードバックを容認しない単方向リンクではネットワークが学習しつつ成長する手段がない
→だからこそ検索エンジンがあてにされる
<第3章 パターンマッチング>

☆負のフィードバック=予測のつかない変動する外的条件の中で均衡点に達する手段
 正のフィードバック=他のシステムを一層推進することになる手段
<第4章 フィードバックを聴く>

☆グループでの会話は一種の回路基盤
=主要な入力は公式な発言者から、二次的な入力は観客や他の発言者の反応から来る
(主要な入力は、自分の信号をグループフィードバックからの二次的な入力に基づいて調整する)
→イカレポンチ(ネット上の荒らし)の横行は、
 情報フローが単方向で観客がいるのに見えないシステムから来る
<第4章 フィードバックを聴く>

○フィードバックの利用自体を非難してもしょうがない
→手元のシステムの個別規則を調べて、フィードバックルーチンが自分の奨励したい価値観を
 奨励するようにするにはどうしたらいいかを考えること
<第4章 フィードバックを聴く>

☆ゲームの面白さはルールが定義づける可能性の空間を探求するときに起こる
→創発システムもまた低次のルールから生まれたルールが律している
<第5章 コントロールのアーティスト>

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2005 2/13
創発、科学書、情報・メディア
まろまろヒット率3

あかかぶの「イカスミの塩辛と生湯葉のお茶漬け」

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寝不足でようやく口頭試問を終えたものの、興奮して寝れなかったら同じく今日口頭試問を終えた友達から連絡があって一杯やることになった。
もう一人加わって三人で研究フィードバック大会。立場は違えど同じ問題意識を持っている人間同士で語り合うのはストレス解消になりますな。
写真はそんな反省会の締めに頼んだイカスミの塩辛と生湯葉のお茶漬け・・・味はいまいち・・
本郷(東京都文京区本郷2-40-18)の「美食空間 あかかぶ」にて。

ま論:『コンテクスト・デザインとしてのWEB表現~オンラインとオフラインのコミュニケーション創造~』(修士論文)

はじめに 1

1 理論研究1 2
1-1 研究の発端 2
1-2 研究の背景 6
1-3 概念の設定 9
1-3-1 コンテクスト 9
1-3-2 先行研究 10
1-3-3 この論文での定義 13
1-4 仮説モデルの構築 15

2 研究意義 17

3 表現実践 20
3-1 実践方法 20
3-2 まろまろフラッグ (プロトタイプ) 20
3-3 まろプチフラッグ (量産型) 25
3-4 まろまろフラッグ放浪記 (コンテンツへの回帰・同化) 27

4 理論研究2 38
4-1 まとめ 38
4-2 展望 40

参考文献、資料 43

謝辞 47

論文(本文)

口頭試問版プレゼン資料(要旨)

キッチン南海の「クリームコロッケとしょうが焼き」


知り合いが行ったことが無いというので神保町名物洋食屋のキッチン南海に行く。
クリームコロッケとしょうが焼きの定食をいただくと実にマイウー!
この後、なぜか男二人だけでカラオケすることに。大塚愛の「さくらんぼ」を歌ったりする濃いカラオケでした・・・
神田神保町の「キッチン南海」にて。

公文俊平 『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』 NTT出版 2004

「まろまろ」で商標登録が取れた、らぶナベ@商標登録第4827132号だす。

さて、『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』公文俊平著(NTT出版)2004年初版。
情報化による社会の変化を文明史的にとらえて、
著者が提唱する「情報社会・学」へつなげようとしている一冊。
「智民」、「智業」、「智場」などの著者独自の概念も盛り込まれていて、
これまでの著者の本のダイジェスト版とも言える。
『新ネットワーク思考』(バラバシ)と『スマートモブス』(ラインゴールド)に影響されたと
あとがきで書いているように、情報社会に関する基礎的な本のレビューとしてもまとまっている。

ただ、最後で付記されていた「情報社会の運営原則」がすごく面白いのに、
単なる箇条書きで深めてくれていなかったのは残念だった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○三つの文化の構成要素(文化子)
・宗教文化=1:正統主義、2:目的主義、3:戒律主義
・近代文化=1:進歩主義、2:手段主義、3:自由主義
・智識文化=1:反進歩主義(存続志向)、2:反手段主義(目的重視)、3:反自由主義(規制重視)
<第二章 社会変化を捉える眼>

○情報化の駆動因=
1:エージェント化→個々の核主体が自分の頭脳の代りに演算力や判断力を持つ
エージェントを使って交流や共働の効率化を達成
2:共識化→各人が生み出す智識や情報を通識として通有したり、
不特定多数にも公開することが最初から予定し効率化をさらに達成する
<第二章 社会変化を捉える眼>

○公でも私でもない、共の原理に必要なもの=
1:協力の技術(評判、監視、制裁)の開発と活用を通じて共のシステムの円滑な運用
2:参加者相互間とシステムに対する信頼を確保する
<第四章 共の原理と領域>

○新しい時代の科学の曙といえる理論
60年代のCybernetics
70年代のCatastroph
80年代のChaos
90年代のComplexity
・・・は”C”で始まる
<第五章 情報社会の新しい秩序>

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2005 1/26
情報社会・学、情報・メディア、社会学
まろまろヒット率3

エチオピアの「エビカリー」 (辛さ1倍)

研究室の同僚がいったことがないというのでカレーのエチオピアに行く。ここは実にスパイシーで美味しいが、今日は海老のカレーを頼んでみる。おこちゃま舌なので辛さオーダーはいつもの1倍で。食べてみるとシーフードなだけに、塩の風味がしてこれまたマイウー。
神保町(駿河台)の「エチオピア」お茶の水本店にて。

相変わらずズーリナブルな、とんかつ まんてんの「ロースかつ定食」


神保町に用事があったので気に入っているとんかつ屋さんに入る。これまでこのお店ではかきフライ、特上とんかつと挑戦してきたが、今日はロースかつ定食を頼む。
目の前で揚げてくれる上にこれだけボリュームがあって650円!実にマイウーですな。
神田神保町の「とんかつ まんてん」にて。

追記:残念ながら閉店されたとのこと。

赤瀬川原平 『超芸術トマソン』 筑摩書房 1987

今年(2005年)は4月に読書日記10周年を迎える、
らぶナベ@これを期にWEBネームも「まろまろ堂」に統一しようかな?

さて、そんな2005年最初に読んだ『超芸術トマソン』赤瀬川原平著(ちくま文庫)1987年初版。

芸術家で作家(ペンネームは尾辻克彦)の赤瀬川原平による超芸術(活動)トマソンの本。
かつてプロ野球巨人軍にトマソンという名前の使えない助っ人外国人選手がいたことにひっかっけて、
街中にある何の役に立つの分からないような物件や構造物を発見していく活動をまとめた一冊。
(たとえばトマソン第1号は入り口がない階段で、「純粋階段」と名付けられている)

僕がこの著者とトマソンの存在を知ったのは、去年受けた表象文化論(田中純助教授)の講義で
取り上げられて興味を持ったのがきっかけだった。
まわりの知り合いに尋ねてみると「何で知らないだ!」、「まろまろと近いじゃないか!」と、
異口同音にぷちギレされちゃったので、自分なりに調べはじめたという経緯がある。

この本を読んでみると、確かにノリでやっちゃうB級感が漂いながら、
思想的な背景が見え隠れするっていうのが実に魅力的。
(僕の大好きな「一流のB級」ですな)
ただ、著者が後半で何度も書いているように、
少しおなかいっぱいにはなってしまうのが気になったりもする(^^;

以下、チェックした箇所(一部要約)・・・

○芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、
 超芸術家が、超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るもの。
→だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない、ただそこに超芸術を発見する者だけがいる。
<町の超芸術を探せ!>

○(超芸術は)単なるゴミ、単なる装飾、単なる芸術、そういった単なる当然世界に属するはずのところを、
 ほんのわずかのところでいずれにも属さず、きわどいところで存在している。
<空飛ぶ御婦人>

○トマソンとは人工空間に発生する歪みのようなものであり、都市の不動産の活断層に沿ってあらわれる、
 したがってトマソンは都市の中でこそ発見されるもの。
<トマソン、大自然に沈む>

○トマソンといっても、都市の中の一瞬のズレを見ていたのであった。
→ズレた光はつぎの一瞬にはもう都市の各部に沈み込む。
 都市はその内側に積み重なるズレたトマソンを含みながら、
 いずれはその全体が大自然の中に、ずぶずぶと沈み込んでいく。
 都市という物件は、大自然に発生した人類による一時的な現象であり、
 いずれは崩壊してまた大自然の中に埋もれていくのであった。
<もう何が何だかわからない>

○面から点を見たものをまた後方の面のひろがりに向かって報告するのが発見。
→点の住民はつねに発見という出来事の外側におかれる。
→この原理をもって世の中での発見をめぐる面と点との関係は、
 その互いの位置を動揺させながら、位置の転換を引き起こしてもいる。
<ベンチの背後霊>

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2005 1/15
超芸術
まろまろヒット率3