な々番(なな番)の「禅寺そば」


修善寺に立ち寄って昼ご飯を食べる。すごい行列だったけど番号札をもらって小一時間修善寺観光。
ようやくありつけた禅寺そばは、名物の生わさびととろろがついてる実に豪勢なものだった。
但書を読むとこのそばを食べると修行僧と同じ功徳があるといわれて参拝客の人気を集めたとか・・・
食べただけで都合良すぎるやろっと突っ込んでしまった。
ちなみにこの時僕は「曼陀羅の人」という空海を主役にした小説を読んでいたけど、修善寺は空海が開いたとされている。これも縁ですな。
伊豆修善寺の「元祖禅寺そば 禅風亭 な々番(なな番)」にて。

道の駅 天城越えの「わさびソフトクリーム」


伊豆下田から中伊豆を北上することになり、途中で天城の七湯温泉に入ってから、道の駅でわさびソフトクリームを食べる。食べ続けると少しぴりりっとするけど、あまりわさびの風味はしなかった。
ちなみに僕はこのときまで「天城越え」の天城はずっと北陸とか東北の方だと思ってた。松本清張の小説が暗いからそのイメージに引っ張られたんですな。勘違いとはこわいものです。
伊豆、道の駅「天城越え」にて。

下田名物;さかなやの「金目鯛の煮付け」


ひょんなことから新宿で合流した知り合いの車で0泊2日温泉めぐりの旅に出ることに・・・
前日に横須賀の温泉「のぼり雲」に入った後、ひたすら走り続けて伊豆下田に入る。ちょうど朝ご飯の時間だったので、下田市魚市場の向かいにあるお店に入ることにする。
「黒船定食」という実にベタベタな名前の定食を頼むと下田名物のキンメダイの煮付けがついてきた。
朝一に食べたということもあってとても美味しかった。
ベイ・ステージ下田内の「さかなや」にて。

yusoshi(ユソーシ)の「お抹茶ココア」


昔、東京出張の度によく行ってた渋谷の和カフェが新宿に出店したということで、新宿に立ち寄ったついでに行ってみる。ルミネに入っているからか、本店よりも明るい感じ。相変わらずお抹茶ココアは実にマイウー。
新宿ルミネ1の「和カフェ yusoshi(ユソーシ)」にて。

南インド料理 ダバ・インディアの「ミールス」


カレーマスターのたあぼうさんの案内で南インド料理のランチを食べにいく。
前々から食べたいと思っていた南インド料理だったので、料理の一つ一つが新鮮で楽しかった。
写真はランチプレートのミールス。北に比べてそれほど辛くはなく、素材の鮮度を活かした料理が多くて食べやすい。めちゃうま。
ところでお店はオフィス街の裏手にある上に、土曜だったのにお客さんは妙に多かった。
中にはインド系の人も多かったけど、二人だけでランチにピッチャーでビールを飲んでいる日本人熟年カップルは一体何があったんだ??
京橋(八重洲より)の「ダバ・インディア」にて。

二食で「二食丼」

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二食だから二食丼・・・実に安易なネーミングと実に簡単な具(焼肉&コロッケ)で知られる丼をはじめて頼む。B級好きな僕としてはちょっと好きかも。
東京大学本郷キャンパス第二食堂にて。

『アーキラボ:建築・都市・アートの新たな実験展 1950-2005』(美術館)

六本木ヒルズの森美術館が主催した『アーキラボ』に行く。
ちょうど最終日だったので滑り込みセーフという感じだった。
中でも”SECTION4:文脈化する都市”(The Contextualized City)は、僕が書いた論文とかぶる点も多くて楽しめた。
ただ、この『アーキラボ』よりも、下の階でやっていた上海・東京・NYのジオラマを展示した『都市の模型展』の方がおもしろく感じた。
デザインされた構造の骨組よりも、雑然とした進化の結果の方が生々しくて魅力的に感じたからだろう。

2005 3/13
もろもろ鑑賞、美術館
まろまろヒット率3

義江彰夫 『神仏習合』 岩波書店 1996

週末に大阪に帰ったら親がまろまろHPの存在を嗅ぎつけそうになっていて焦った、
らぶナベ@「親バレ」を避けるために隠蔽工作に必死です(>_< ) さて、『神仏習合』義江彰夫著(岩波書店)1996初版。 律令時代から始まった神仏習合の過程と、 その原動力となった社会構造の変化を紹介する一冊。 読んでみると、政治的、社会的な構造変化のもとで 仏教と神祗信仰が複雑に絡まっていく過程は、 ダイナミックな歴史読物として楽しめた。 さらにこの本はタイトル通り宗教を取り扱った歴史書だけど、 著者が「信仰は文化の特質が集約的に表現されている」と語っているように 日本文化形成論としても読むことができる。 加えて、普遍宗教(仏教)と基層信仰(神祗信仰)の重なり合わせは、 グローバリゼーションとローカリゼーションとの重なりという視点でも読むことができた。 読んでいて面白い上に、いろんな読み方ができるかなりの良書だと思う。 ちなみに僕は前々から空海に対して近親憎悪のようなものを感じていたけれど (『空海の風景』を読んでからそれは決定的になった)、
この本の中でも神仏習合過程で立ち回った
空海の姿を発見してちょっと複雑な気分になってしまった。

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○神仏習合=神祗信仰と仏教が複雑なかたちで結合し、独自な信仰の複合体を築いたもの
 →普遍宗教と基層信仰の結合の一形態
<序 巫女の託宣>

☆宗教には文化全般の特質が集約的に表現されているはずであり、
 社会構造との有機的関係をもっともダイナミックに把握できる通路
<序 巫女の託宣>

○律令国家は、祭祀のなかに支配の論理をすべりこませることを
 国家的規模で実現することで、はじめて存立しえた
<第2章 雑密から大乗密教へ>

○十世紀末に完成する日本型浄土信仰=論理化された神祗信仰の核をなす
 ケガレ忌避観念と浄土三部経との実質的な結合と複合体
<第4章 ケガレ忌避観念と浄土信仰>

☆キリスト教と仏教との決定的な違い
 =最初から呪術と奇跡を認め、人間しか救済されないとする点
<結 普遍宗教と基層信仰の関係をめぐって>

○仏教はキリスト教の三位一体論にあたるものを作り出すことなしに、
 可能なところから呪術と奇跡の背後にある普遍宗教の教理を打ち出し、
 その理解をすみやかに獲得していった
<結 普遍宗教と基層信仰の関係をめぐって>

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2005 3/9
歴史、宗教、文化論
まろまろヒット率4