研究開始段階で「その問題意識はコミュニケーション論とは違うのか?」という指摘を受けた。コミュニケーション論に対して違和感を感じていた私は、自身のコミュニケーション論に対する違和感とは何か、その解明から研究活動をスタートさせた。半年間の先行研究のリビューで既存のコミュニケーション論に対する自身の違和感、不満点の明確化させた。
1:受信者中心で情報生産・発信者への視点が少ない。
2:送受信者間に形成されるダイナミズムが垣間見れない。
3:結果、WEB表現者として満足できない。
参考文献
末田清子・福田浩子著 『コミュニケーション学ーその展望と視点ー』 松柏社 2003年初版
船津衛著 『コミュニケーション・入門~心の中からインターネットまで~』 有斐閣アルマ 2002年第9版
竹内郁郎・児島和人・橋元良明著 『メディア・コミュニケーション論』 北樹出版 2000年第3版
ヴィレム・フルッサー著、村山淳一訳 『テクノコードの誕生ーコミュニケーション学序説』 東京大学出版会 1997年初版
吉見俊哉・水越伸共著 『メディア論』 放送大学教育振興会 2001年改訂
ジブタニ著、広井脩訳 『流言と社会』 東京創元社 1985年初版
池上嘉彦著 『記号論への招待』 岩波新書 2003年第37版
後藤将之著 『コミュニケーション論』 中公新書 1999年初版
コミュニケーション論にコミュニケーション行為本来のダイナミズムを感じられなかったものの、先行研究のレビューを通して発見があった。
送り手、受け手の二元論でないダイナミズムがあるものとして「思想家によるコミュニケーションの位置づけ」、「うわさ」、「雰囲気」。表現行為への説明として「ミーム」、「箱庭」である。
・思想家によるコミュニケーションの位置づけ
「人は必ず死ぬ」だから「人間は、コミュニケーションによって世界と生に意味を与え、孤独と死に対抗する」そして「世界に意味を与えるコード化された人為的世界は、他者と共存の世界になり」、「人間自身は、他の人間によって不死になる」(フルッサー, 1997)
・うわさ
「曖昧な状況の中で状況を把握するために必要なものとしてうわさは発生する」、「人々がうわさに基づいて行動するのはそのうわさを信じているからではなく、それが必要だから」、「結果的に情報が多すぎても発生する」(ジブタニ, 1985)
・雰囲気
「雰囲気は個々の形象の中に圧縮されている霧のような原素材である。それはさまざまな形態の共通の基体でありすべての芸術の最終的なリアリティである。この雰囲気がひとたび存在すると、個々の形態が十全でなくともそれが本質的なものを損なうものとはならない」、「この特別なものの雰囲気が< どこからくるか>を問うことは、すべての芸術の源泉を問うことである」、「雰囲気はたしかにすべての芸術の魂である。それは空気であり香気である」(バラージュ, 1975)
・ミーム
「われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ」(ドーキンス, 1991)
「情報は淘汰を受ける自己複製子=進化的なアルゴリズムが実行され、それがデザインを作り出す」、「デザインは全面的に進化的アルゴリズム遂行の結果」(ブラックモア, 2000)
・箱庭
「イメージこそは、無意識から意識へのコミュニケーションのメディア(中略)、イメージは常に多義性をもち、多くのことを集約的に表現している」(河合, 2002)
「箱庭とはトポス(略)トポスでは、空間と時間が一体化している」、「均質的な空間ではなくて独特の雰囲気のある歴史的空間(ゲニウス・ロキ)」(河合・中村, 1993)
参考文献
ヴィレム・フルッサー著、村山淳一訳 『テクノコードの誕生ーコミュニケーション学序説』 東京大学出版会 1997年初版
ベラ・バラージュ著、佐々木基一・高村宏訳 『視覚的人間ー映画のドラマツルギー』 創樹社 1975年初版(原本1924年初版)
ジョン・バージャー著、伊藤俊治訳 『イメージーWays of Seeing 視覚とメディア』 PARCO出版 1986年初版
ヴァルター・ベンヤミン著、高木久雄・高原宏平訳 『複製技術時代の芸術~ベンヤミン著作集2~』 晶文社 1996年第26版
ジブタニ著、広井脩訳 『流言と社会』 東京創元社 1985年初版
リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳 『利己的な遺伝子』 紀伊国屋書店 1991年第2版
スーザン・ブラックモア著、垂水雄二訳 『ミーム・マシーンとしての私』 草思社 2000年初版
佐倉統著 『遺伝子vsミームー教育・環境・民族対立』 廣済堂ライブラリー 2001年初版
河合隼雄著 『箱庭療法入門』 誠信書房 2002年第31版
河合隼雄・中村雄二郎著 『トポスの知~箱庭療法の世界~』 明石箱庭療法研究会協力 TBSブリタニカ 1993年新装初版
思想家によるコミュニケーションの位置づけ、うわさ、雰囲気、ミームはどれもどれもコミュニケーションのダイナミズムの側面を捉えたものであると考えられるが、それ故実証がたいへん難しい。分析に耐えうるほどの確定性がなく、近づくほどに曖昧模糊となってしまう。
それは情報の特徴である状況依存性と文脈依存性が高いからである(背景)。
ここで問題意識の発祥となった表現活動に立ち戻り、研究活動の成果を表現として組み込み再構築する。
「なぜWEB表現は不確定要素が多いのか?」という問い(疑問)に対しては、「WEBサイトとはそれ自体が生けるコミュニティとして多重的に重なり、複雑なつながりを生んでいくとらえがたい人の流れの基点であるからである」、との解答を仮説的に出す。
そしてWEB表現の根幹は単にオンライン上でのコンテンツの制作にとどまらず、それを見に来てその場で交流する人々の流れに対して水路付け(canalization)するコミュニケーション・デザインであるとの方向付けをし、表現として実現させる。