司馬遼太郎 『最後の将軍』 文藝春秋 1997

『三菱総研戦略革新ノート』を読んでいるうちに、
その内容のあまりの味気なさ薄さを紛らわすために
併読しはじめた徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の本。
そもそも8月の交流会の晩に濃い話をしていたとき慶喜への評価が
話題にのぼったときから気になっていた。
読んだ感想としての彼の像は何でもそつなくこなしかつ理解力と鋭敏さは
非常に優れているが度胸や思いやりが決定的に欠けた人物というものだ。
将軍というよりもそれを支える軍師のほうが彼の性にはあっていたようだ。
来年の大河ドラマで彼を演じるのはもっくん・・・イメージにぴったりだ(^^)
司馬遼太郎自身が書いたあとがきでふれたれた
政治家を小説の主人公にすることの難しさについて・・・
「なぜならば政治家は政治的事象のなかでしか存在せず、
当然なことながら政治的事象の変転のなかでしかとらえられない。
政治的事象を数貢にわたってるるとのべ、そのあげくに、
ようやく数行だけその人物をえがくことがやっと可能である・・・」
という言葉は言い得て妙だと思う(^_^)

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1997 9/5
小説、歴史
まろまろヒット率3

三菱総研経営コンサルティング部・牧野昇 『三菱総研戦略革新ノート』 プレジデント社 1992

9月8日から本格的に始まる吉本興業インターンシップに関しての
何か参考になるかと思って読んだ本。
もともと大学の古本市で300円で買ったものだが、
これほど記述すべき点が少ないビジネス書もめずらしい。
主にCIを中心に政策提言をしているのだが、非常に具体性に欠け
イメージ先行の主張になっている。まるで広告代理店のような本。
この薄さは1992年出版という時期も影響しているのかなあ?

そこそこ面白いと思ったのは「何ができるのか?」という分析先行の
環境・資源適合型アプローチと「何をしたいのか?」という
意思先行のソフト・システム型アプローチの記述だけ。
でもこれも今さらこんな言い方しなくても良いのにと思う。

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1997 9/3
戦略論、経営学
まろまろヒット率1

吉本興業に見学に行く

インターンシップ開始までの時間がもったいないと思ったので、
プロデューサーのMさんにお願いして一日同行させてもらう。
本町の丸紅での会議に出席してランチミーティングに参加したり、
帰りにYES.FMを見学しに行ったりする。
1997 8/29
出来事メモ、インターンシップ

吉本興業インターンシップ初会合

関大高槻キャンパスの交流会最終日のプレゼンを抜け出して
淀屋橋のリエゾン大阪オフィスに向かう。
日曜日なのでビルが開いておらず、そこで立ち往生している
T教授とお茶を飲みに行く。
彼はマスコミ攻勢でへとへとしているらしい、
また「今回は君たちが創るインターンだ」とか
「来年からは君たちがこのインターン自体の運営をしてくれ」とか
「遠慮せずにどんどん素直な感性で取り組んで欲しい」などと言われた。
2時からオフィスで初会合、自販機をただにしてくれたのがうれしかった。
話されたこと・・・
「マスコミはおもしろがって取り上げるだけ、勘違いするな。
企画で最初だけ話題になって終わってからぽしゃるものほど
みじめなことはない。結果重視」
「教えてもらうといのではなく盗むためにメモをよくしよう」
「名刺は必要ないこの業界で名刺を出すことはすべて責任を負うということ」
・・・など。
それから吉本興業本社に向かう、電車だったのでちょっと意外だった。
入ると『恋いのから騒ぎ』のオーディションをやっていたので
インパクトがあった。
閑散後、吉本興業のMさん(担当者)と経営学部教授と
十人くらいでちかくでお茶をする。
そこで業界と吉本のきびしさ、企画を立てること説得することの
難しさを語ってくれる。
他にたとえがなかったのか、期待してくれているのか、
それともつぶそうとしているのかはわからないがやたらと
僕の声優企画を例にとって説明してくれた。
予想どおりあそこはかなり厳しいところみたいだ。
ただ、それは責任が明確でわかりやすいきびしさなので
僕としては「納得できる」きびしさのような気がする。
もちろんこのインターンが終わってから言うべき事なのだろうが・・・
それとある意味第二期というのはラッキーだと思う。
説明会やMさんと話した日の晩は興奮して眠れなかったので
ワンクッションおいて参加できることは、
それだけ冷静な目で企業体を見れる気がする。
1997 8/24
出来事メモ、インターンシップ

第7回交流会(関大高槻キャンパス)

愛、雄大をトピックチューターに置き自分はグランドチューターとして大山巌のようなリーダーシップの実験とした「学業としての政策~政策系学部のメリット、デメリット~」分科会を実現する交流会、妹とその友達の帝塚山大学法政策学部の女の子も参加した。

21日は早めに高槻に着くと安藤や佐久屋などの慶応SFC組などとばったり会う、バス停では南さん、香織ちゃんなどと遭遇して関大に向かう。開会式の後にT&Tのチューターをさせられるので、いつものように出来るだけ参加者がのびのびとできるように気をつけて運営する。夜には政策立案ゲームをするが、今回はチューターということで一歩引いて参加するが高い評価を受けたのでうれしかった。
ちなみにこの日はうちの分科会に入っていて来るはずだった慶応SFCの二人が連絡無しにビギナーズに行ってなおかつ片一方が当日も一言のことわりもせずにもせずに出ていったのにはかなりむかついた。

22日は分科会で集まって少し意見交換した後に中津の河合塾に雄大の車で向かう。行きはかなり時間がかかったが何とか10分遅れくらいで河合塾に着く。進路指導部の人との会合で現在の受験生の動向や予備校の現状などを話してもらう、ちゃんと準備されていたのには驚きだったが出されたコーヒーを思わず「まずっ!」と言ってしまったのは反省だ(^^;
終わってからファミレスでご飯を食べて帰る。風呂場でつっちーや西村と会い「帝塚山組が輪にとけ込めていない」と聞く、案の上と言った感じだ。どう受けとめるかは彼女たち次第だろう。
その日はレクの卓球大会が終わってから沙夜がチューターとして分科会運営に対して悩んでいたので渋先生や織田くんとともに相談にのる。なんとか解消できたようだった。
それから入り口近くで服部、高野、はっちーらといつものように濃い話で盛り上がる。
3時半すぎてから寝ようと洗面所に行くとはっちーとばったり会い、そこで「経営学的視点、政治学的視点」と「学問のとらえ方」について大声で話し合う。終わってから部屋に寝ようとしたが(だいたい5時くらい)藤江と雄大が女のことで盛り上がっていたのでなかなか寝れなかった。

23日は朝から雄大の車でフェスティバルゲートと通天閣とスパワールドに行く、STAFF用の紙を買ってからバーベキューに間に合うように高槻キャンパスにもどる。バーベキューでは古今東西ゲームをテーブルでかってにするなどしてけっこう楽しかった。
帰りに渋先生が締めをしたいとのことでひとっぱしりして愛子を呼びに行く。
次の日は吉本インターンの初会合があるので9時ごろ仮眠を取ると、起きたのは12時過ぎでチューター会議が終わっていた。代わりに雄大が出てくれていたとのことだった、感謝しながらまた眠りにつく。
1997 8/21~24
出来事メモ、交流会

田岡信夫 『ランチェスター販売戦略』 サンマーク出版 1992

マーケティング戦略の基本中の基本であるランチェスター戦略に
関して書かれた定番本。
古い本であるので、例えや実例研究などがかなり古い感はあるが
(問屋の戦略など)これくらいは知っておかなくてはいけないと
いけないだろうと思わせる記述が多かった。

特に占拠率(シェア)が41.7%ならば安全圏73.88%ならば独占
たとえ一位であっても26.12%以下ではその地位に値しないという
数値は暗記すべき。

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1997 8/17
戦略論、経営学、マーケティング
まろまろヒット率3

上原学 『こうすれば中小企業診断士になれる』 中央経済社 1995(第3版)

大学の古本市で仕入れた定番ハウトゥ本。
前半の経営コンサルタントについての記述は抽象的で
あまり参考にはならなかったが、体験者の談がおもしろかった。
中小企業診断士は商業部門、工鉱業部門、情報部門にわかれているが
僕は情報部門で受けるつもりなのだが、問題を見るとシスアドの試験と
かなり通じるところが多いので10月のにシスアドを受けてから
勉強を初めることにする。

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1997 8/10
資格関係
まろまろヒット率2

青木雄二 『ナニワ金融道』 講談社(全19巻) 1991

前々から機会があれ読みたいと思っていたので
たまたま所有していた友人から借りた漫画。
今まで自分がいかに手形、賃貸などの契約一般について無知か
痛感させられた。ひじょうにためになる一冊!!
これをきっかけにもう少し商法を学ばねば!

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1997 8/10
経営学、哲学、商法、マンガ
まろまろヒット率4

大島直政 『ケマル・パシャ伝』 新潮社 1984

大学の古本市でたまたま手に入れた本。まえまえから
ケマル・パシャについてはかなり興味があったので迷わず購入した。
20世紀はじめに英仏伊そしてギリシアによるトルコ領土分割に
新政府を設立して戦い、その領土を回復しただけでなく帝政を倒し、
かつイスラム諸国では希有な政教分離をおこない、
完全女性参政権を認めただけでなくトルコ語のアルファベット表記、
義務教育の普及などの軍事、政治、文化革命をその一代でなしとげた
20世紀でも有数のリーダーの伝記。
いくら伝記とはいえ、著者少しケマル・パシャを買いかぶりすぎている感は
あるが、リーダーの最も重要な要素である「結果を残す」という点では
ケマルの右に出るリーダーはごく少ないだろう。
ちなみに現地ではケマル・アタトュルク(トルコの父)と呼ばれている。

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1997 8/4
歴史
まろまろヒット率3