南成瀬小学校でのワークショップの帰りに立ち寄ったファミレスでコーヒーゼリーぜんざいなるものを頼む。そんなB級な味が好き。
町田市のファミレス「和食 さと」にて。
うさぎやの元祖「どらやき」
副指導教官の研究室に参加したら、元祖のどらやきをもらってみんなで食べることに。まろまろしてますな。
上野の「うさぎや」本店にて購入とのこと。
河合隼雄・中村雄二郎 『トポスの知―箱庭療法の世界』 TBSブリタニカ 1993(新装)
奇しくもまろプチフラッグが端っこに撮影されていた、らぶナベです。
さて、『トポスの知~箱庭療法の世界~』河合隼雄・中村雄二郎著、
明石箱庭療法研究会協力(TBSブリタニカ)1993年新装初版。
『箱庭療法入門』に続いて読んだ箱庭療法関係本。
心理学者と哲学者の二人が箱庭療法の事例を通して、
場(トポス)の哲学的なパフォーマンスや科学論を議論している。
「自分で作ることが自分を治癒する」とか「言語化を急ぐと失敗する」という
箱庭療法の特徴は確かに魅力的な話題のネタなんだろう。
言語化を急ぐと失敗するというのは何かを作ろうとするときには共通したことだし、
自分で作って自分で癒すというのはHPを作る僕にとっても興味深かった。
まさに「自作自癒」(新まろまろ用語候補)。
以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・
○患者は自分自身による自己実現の力に頼ることによってみずから治ってゆくもの
(中略)患者の無意識内に存在する自己治癒の力に対して
畏敬の心を持つことが箱庭療法をはじめる出発点(河合)
<箱庭療法と< 私>>
☆イメージこそは、無意識から意識へのコミュニケーションのメディア
→イメージは常に多義性をもち、多くのことを集約的に表現している(河合)
<箱庭療法と<私>>
○ふつう視覚的なものは、触覚性を失って独走することが多いわけですけれど、
その二つが箱庭療法では非常にうまく結びついているために日本では成功した(中村)
<<自由に創ること>の楽しさ>
☆箱庭療法が成功した要因は、箱の大きさがちょうど一つの視野にパッと入ること
→一つのインテグレーションというのを考えて置くようにできている
(中略)置いて表現できて、だれか他人がわかるということは、
人間にとって結局はものすごいこと→わかるだけで何も言わなくたっていいんです(河合)
<豊かなイメージの世界>
☆まったくの自由というのは近代の一つの迷妄であって、
ある形が与えられている、基本的なものがあることによって、
かえって自由になれるんです(中村)
<豊かなイメージの世界>
☆早く言語化してしまうと流れが止まって大失敗する倍が多い(中略)
箱庭はわからないものに身を任してもいいような場を治療者が提供している
→治療者は水路付ける(canalization)役割をしている(河合)
<<癒やす>意味とその動き>
○箱庭のいいところは三次元だということ、それから砂があるということ(河合)
<隣接する領域とのかかわり>
☆箱庭はイメージ表現がはっきりした枠の中で一つの世界を形作っているのが大きな特徴
→箱庭療法の世界は盆栽的な箱庭よりもむしろ都市論の問題の方につながる(中略)
みんな自分の世界、自分の都市を置いているわけだから
単純にこれは何を象徴しているとか言うんじゃなくて、
その人の世界がそこにあるというふうに見ていけばそう簡単な置き換えはできない(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>
☆トポスでは、空間と時間が一体化している
→均質的な空間ではなくて独特の雰囲気のある歴史的空間=ゲニウス・ロキ(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>
○いつのまにか我々の社会の中ででき上がり物質化されているような
あれこれのイメージが用意されている
→箱庭はそれらを組み合わせで表現するというところに、
一見ありきたりなように見えながら、そういうことを通して
一番うまく自分たちの心の中の願望を引き出す仕掛けになっている(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>
○価値判断を括弧にいれて、見えるかぎりのことを記述する
→そこに表れているいろいろな意味をおのずと浮かび上がらせるようにする(略)
箱庭療法はそのような現象学の方法と非常に近い(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>
○個別性を組み込むとは、個の人間、時間、場所の要素が加わることによって、
選択可能ないくつもの意味のなかからどれかが選ばれること(中村)
<近代科学と新しい< 知>のあり方>
○コスモロジーとシンボリズムとパフォーマンスという三つの要素は、
別々ものもではなくて互いに結びついて「臨床の知」の原理をなしている(中村)
→シンボリズムで成り立っている世界は否応なしにリゾーム的
(シンボルの多義性=シンボル相互の結びつきに多様な可能性があること)
<近代科学と新しい<知>のあり方>
2003 12/5
心理学、臨床心理、箱庭療法、哲学、対談
まろまろヒット率4
盧家麺(ルージャーメン)の健康?「黒酢ラーメン」
渋谷近辺から帰る途中にでかでかと「黒酢ラーメン」の看板が!ラーメンで健康志向とはこれ如何にと思って突撃。食べてみると不思議な味だけどなかなかうまい。店員さんが妙に無愛想なのも不思議な雰囲気でした。
渋谷の「盧家麺(ルージャーメン)」にて。
とんかつ冨貴の重量級「日替わりサービス定食」
田中克彦 『ことばと国家』 岩波書店 1981
TBS系列の『新すぃ日本語』にまろまろと通じるものを感じる、らぶナベです。
さて、『ことばと国家』田中克彦著(岩波新書)1981初版。
佐倉助教授に薦められた言語学の本。
方言と別の言語との間の線引きは何をもってするのか、
純粋言語と雑種言語との違いは何なのかなどの疑問から、
ことばにまつわる社会性や歴史的背景を紹介している。
特にことばが政治的、歴史的に形成されてゆくことを紐解きながら、
(口語は文語が崩れたものだと思いがちだが実は口語の方が言葉の本質など)
ことばをめぐる常識の中に隠された様々な偏見を指摘している。
僕自身、日本語空間の中では大阪弁を話していることや
WEB空間の中では日本語でメディア活動をしていることもあって、
自分が使っている言語のマイノリティ性を感じることが多いので
(日本語自体が世界的に見て60分の1の市場規模)
この本の内容はけっこう考えさせられた。
ラジオ、テレビの普及で方言が消えていっているように、
WEBの進展で日本語はより少数派になっていくんだろうか?
以下はチェックした箇所・・・
○言語学というのは、本来実用性を動機としていることばの研究に、
それを無視してアプローチするという矛盾した姿をさらけ出している
<一 「一つのことば」とは何か>
☆あることばが独立の言語であるのか、それともある言語に従属し、
その下位単位をなす方言であるのかという議論は、
そのことばの話し手の置かれた政治状況と展望とによって決定されるのであって、
決して動植物の分類のように自然科学的客観主義によって
一義的に決められるわけではない
<一 「一つのことば」とは何か>
○ことばがくずれていくのは、それが生きている証拠である(略)
死んだことばは決してくずれず、乱れることがない
<二 母語の発見>
○文法はその本性において、ことばの外に立ってことばを支配する道具である(略)
ことばは現実であるのに対して文法は観念であり規範である
<三 俗語が文法を所有する>
☆学説をおぼえておいて、おうむ返しにくり返すことは、
それは科学とは何の関係もない、神秘の教義にしてしまう
→こういう場合はなるべく素朴に、しろうとっぽく具体的に考えてみたほうがよい
<七 純粋言語と雑種言語>
○ことばは、だれもが誤りをおそれず、権威におびえず、自由に使うからこそ、
さまざまな表現がうまれて発展していくのである
<八 国家をこえるイディシュ語>
2003 11/19
言語学、歴史
まろまろヒット率3
加藤鷹 『究極奥義』 KKロングセラーズ 2001
トップページにある「乞うご期待」を箱庭マスターの気まぐれコンテンツとして
期間限定&予告なしのコンテンツ公開場所にしようと思う、らぶナベです。
さて、『究極奥義』加藤鷹著(KKロングセラーズ)2001年初版。
我が家(まろまろハウス)に泊まりに来た知り合いがおいていった本。
男の間ではカリスマ的な人気を誇る著者による夜の指南書。
ナニゲに眺めていたら最後まで通読しちゃったので読書メモに記録。
「ピッチャーではなくキャッチャーになれ」などの記述にはちょっと笑ってしまった。
読み終えて、こういう本が売れるのは現代的な特性かなとも思ったけど
よく考えたら昔もこういう本はあったのでそうでもないかも。
思わず笑ってしまいそうになるけどけっこう深いテーマだすな。
2003 11/18
ムック本
まろまろヒット率2
定食屋さんの「カツカレー」(かんだ食堂)
今日は秋葉原で打ち合わせ。前から気になっていたデープな外観の定食屋さんに入る。これぞ定食屋のカツカレー。
秋葉原の「かんだ食堂(神田食堂)」にて。
印度支那(インドシナ)の「ベトナム風チキンご飯」
仕事が区切りがついた友達とヴェトナム料理屋さんに入る。料理の締めをフォーにしようかチャーハンにしようか悩んだ末にベトナム・チキンライスを頼む。(シンガポール・チキンライスが好きだし興味優先)
白米の上にトマトで煮込んだ鶏肉がどかんとのってでてきた、ヴェトナム料理らしからぬ豪快さ。
茗荷谷(東京都文京区小石川5-3-3)のベトナムアジア酒家「インドシナ (印度支那)」にて。
スヰート・ポーヅの「餃子(ギョーザ)」
数年来気になっていた神保町すすらん通りにある老舗餃子屋さんに行ってみる。皮が美味しいとのことで大陸の人には怒られる餃子ライスで食べる。だってお好み焼き定食を食べるネイティブ・ナニワニアンだから。
神保町の「スヰート(スイート)・ポーヅ」にて。
神保町 お店