田中克彦 『ことばと国家』 岩波書店 1981

TBS系列の『新すぃ日本語』にまろまろと通じるものを感じる、らぶナベです。

さて、『ことばと国家』田中克彦著(岩波新書)1981初版。
佐倉助教授に薦められた言語学の本。
方言と別の言語との間の線引きは何をもってするのか、
純粋言語と雑種言語との違いは何なのかなどの疑問から、
ことばにまつわる社会性や歴史的背景を紹介している。
特にことばが政治的、歴史的に形成されてゆくことを紐解きながら、
(口語は文語が崩れたものだと思いがちだが実は口語の方が言葉の本質など)
ことばをめぐる常識の中に隠された様々な偏見を指摘している。

僕自身、日本語空間の中では大阪弁を話していることや
WEB空間の中では日本語でメディア活動をしていることもあって、
自分が使っている言語のマイノリティ性を感じることが多いので
(日本語自体が世界的に見て60分の1の市場規模)
この本の内容はけっこう考えさせられた。
ラジオ、テレビの普及で方言が消えていっているように、
WEBの進展で日本語はより少数派になっていくんだろうか?

以下はチェックした箇所・・・

○言語学というのは、本来実用性を動機としていることばの研究に、
それを無視してアプローチするという矛盾した姿をさらけ出している
<一 「一つのことば」とは何か>

☆あることばが独立の言語であるのか、それともある言語に従属し、
その下位単位をなす方言であるのかという議論は、
そのことばの話し手の置かれた政治状況と展望とによって決定されるのであって、
決して動植物の分類のように自然科学的客観主義によって
一義的に決められるわけではない
<一 「一つのことば」とは何か>

○ことばがくずれていくのは、それが生きている証拠である(略)
死んだことばは決してくずれず、乱れることがない
<二 母語の発見>

○文法はその本性において、ことばの外に立ってことばを支配する道具である(略)
ことばは現実であるのに対して文法は観念であり規範である
<三 俗語が文法を所有する>

☆学説をおぼえておいて、おうむ返しにくり返すことは、
それは科学とは何の関係もない、神秘の教義にしてしまう
→こういう場合はなるべく素朴に、しろうとっぽく具体的に考えてみたほうがよい
<七 純粋言語と雑種言語>

○ことばは、だれもが誤りをおそれず、権威におびえず、自由に使うからこそ、
さまざまな表現がうまれて発展していくのである
<八 国家をこえるイディシュ語>

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2003 11/19
言語学、歴史
まろまろヒット率3

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