『世界の中心で、愛をさけぶ』(映画)

スパ・ラクーア(LaQua)内でノーカット放送を鑑賞。
内容は別にどうっていうことは無かったけど、これまで断片的に知っていたシーンがつながった。
僕はてっきり柴崎コウが死ぬんだと勘違いしていた・・・

内容はどうってことは無かったけど、思い出のシーンが平井堅の『瞳を閉じて』と共に流れるエンド・ロールには少しウルウル来た。
それは決して、僕の高校時代に、この映画に出てくる長澤まさみ(亜紀役)のような女の子からアプローチされたことが無いからではない(T_T)

どうでもいいけど僕の持っている『瞳を閉じて』音源の出だしにには「ごめんね、なんか予定より早くなっちゃったみたい・・・海いきたかったね」という、映画には無い台詞が入っているんだけどいったいこれは何Versionなんだろう?

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2005 9/29
もろもろ鑑賞、映画
まろまろヒット率3

山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦 麻子 『ウェブログの心理学』 NTT出版 2005

ネットは顔の見えないコミュニケーションだとする資料の中で、「上戸彩似だと聞いてたメル友に会ったら綾戸智絵に似てた」という事例を見つけた、
らぶナベ@響きが似てるだけにちょっと笑いました(^_^)

さて、『ウェブログの心理学』 山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦 麻子著(NTT出版)2005。

「人はなぜウェブログを書くのだろう?」、「なぜウェブログを続けるのだろう?」という疑問に社会心理学からアプローチした一冊。
社会心理学としての調査、考察だけでなく、インターネットの普及と共に始まったウェブ日記の歴史もちゃんと書かれてある。

内容はこれまで言われてきたことをまとめたという感じだけど、その分なるほどと思える要約もあった。
たとえば「ウェブログの本質はそのブロガーのライフストーリーとしての時間的な縦軸と、情報をつなげる横軸との組み合わせ」(第4章)というものや、
「ウェブログの持つ信頼性の根源は”継続性”にある」だからウェブログに必要なのは「継続する名前とそれに伴う存在感」(第5章)というものはすごく納得した。

本文に加えて附録もウェブログのススメ、ウェブログを中心にしたインターネットの歴史、ウェブログに関する論文・記事リストまであって充実している。
分量的にも読みやすいし、ネットでの情報発信に関わってる人や興味がある人には、かなり良い本ではないだろうか。

以下はチェックした箇所(重要と感じた順)・・・

☆ウェブログというコンテンツのもつ社会心理学的な意味を考えるときまずもって注目すべきは、
個人のもつ情報という横糸と、個人のなかで経過する時間という縦軸(ライフストーリー)が組み合わさることによってもたらされる絶妙の相乗作用
→2ちゃんねるなどの掲示板とウェブログの決定的な違いは、ウェブログが独立した空間だということ
<第4章 ウェブログの現在と未来>

☆ウェブログのもつ情報の信頼性の根幹=継続性
→ウェブログに必要なのは継続する名前とそれに伴う存在感(継続性があれば仮名で十分)
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

☆ウェブ日記の効用・・・
・自己に向かう効用=感情の表出、自己の明確化、社会的妥当性、
・関係に向かう効用=二者の発展、社会的コントロール、社会的妥当性
→日記そのものは自己表現で、それを契機としたコミュニケーションの可能性にかけるのがウェブ日記の本質
→コミュニケーション志向のより強いウェブログが登場しても不思議はない
<第3章 ウェブログの社会心理学>

☆ホームページをもつ動機=「情報の呈示動機」、「自己表現動機」、「コミュニケーション動機」(池田・柴内 2000)
→ホームページはコミュニケーション動機の強いユーザーにとっては使い勝手が悪いものだったが、
 ウェブログはトラックバック機能などで書き手同士のコミュニケーションを容易にした
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

☆これまでの書物が持っていた書き手の著社性とは別に、インターネットでは読み手の著者性が生まれた
→インターネットは読み手主体のメディアという見方もできる
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○メディア・コミュニケーションの二つの方向性=コミュニケーション行為を隠す方向と明らかにする方向
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○携帯電話も電子メールも、コミュニケーションしている状況を社会関係のなかから切り離すことができるようになって、会話内容も同時に大きく変化した
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○日記を含め、自分自身の日常を記録する行為は、自己フォーカスを刺激し、自覚状態を高める効果がある
<第3章 ウェブログの社会心理学>

○トラックバックとリンクは情報をつなぐ点では共通だがその方向性は逆・・・
リンク:自分のウェブログの読み手に、情報源を伝える
トラックバック:情報源となってるウェブログの書き手と読み手に、自分が言及していることを伝える
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

○ソーシャル・ネットワークは基本的に個人駆動型のつながりを強めるもの
→社会的強者=実名を出すことがメリットになり、すでに強固なネットワークを持つ人々が
さらにそれを拡大するためには利便性が高いが、そうでない人々にとってはメリットを感じにくいかもしれない
<第4章 ウェブログの現在と未来>

○ソーシャル・ネットワークはアクセス・コントロールの容易なウェブログに対する潜在的ニーズに応えたサービス
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

○読者からのフィードバックはブロガーの心理的過程に大きな影響をおよぼしており、
それらを容易にコンテンツに組み込むことを可能にしたウェブログの仕様は、
ブロガーたちに読者の目を明確に意識さえ、書き続けようとする意思を力強くサポートする
<第4章 ウェブログの現在と未来>

○WBC(Web-Based Communication)=発信主体、ABC(Article-Based Communication)=メッセージ主体
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

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2005 9/29
情報・メディア、HP・ブログ本、社会心理学
まろまろヒット率4

アンヌ・モレリ、永田千奈訳 『戦争プロパガンダ 10の法則』 草思社 2002

北斗の拳占いでは「雲のジュウザ」になった、らぶナベ@「我が拳は我流、我流は無型、無型ゆえに誰にも読めぬ」です。
(再放送で学習したので台詞ちゃんと覚えてます(^_^)v)

さて、『戦争プロパガンダ 10の法則』アンヌ・モレリ著、永田千奈訳(草思社)2002。

第一次世界大戦の経験を基にしてアーサー・ポンソンビーが『戦時の嘘』で明らかにした、
戦時プロパガンダ10の法則というものがある・・・

1:われわれは戦争をしたくはない
2:しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3:敵の指導者は悪魔のような人間だ
4:われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
5:われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6:敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7:われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8:芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9:われわれの大義は神聖なものである
10:この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

この本は、歴史学者の著者が一つの法則につき一章を使って、
第一次世界大戦からコソボ紛争、アフガン戦争などの最近の事例までを当てはめ、
この10の法則が現代にも通じるものだと主張している。

法則として書き出してみるとバカみたいに単純な言い訳になるだけに、
なぜいつもこの法則(というより口上)にだまされるのか、
それについて突っ込んだ考察がなされてなかったのが残念に思った。

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2005 9/28
プロパガンダ、情報・メディア、歴史、政治
まろまろヒット率2

ダン・ギルモア、平和博訳 『ブログ 世界を変える個人メディア』 朝日新聞社 2005

大阪にいた頃からの念願かなって日比谷松本楼の10円チャリティカレーを食べることができた
らぶナベ@協力してくれたみなさんに大感謝です(^^)

さて、『ブログ 世界を変える個人メディア』ダン・ギルモア著、平和博訳(朝日新聞社)2005。

長年ジャーナリストを続けてきた著者が、ブログの出現と普及によって急激に変化している
アメリカのメディア状況を取材してまとめた一冊。

内容は、読者を「元読者」と表現するなどのスタンスからわかるように、
ジャーナリズムの抱える問題点を照らし合わせながらメディアの変化をレポートしている。

中でも思わず笑ってしまったのは、情報発信には信頼の階層構造が必要だと述べている
第9章「荒らし、情報誘導、そして信頼の境界」の中で、古株編集者が駆け出し記者に語るという・・・
「かあちゃんから『お前のことが何より大事なんだよ』って言われてもな、まず裏を取って来い」
・・・という忠告を紹介しているのは思わず笑ってしまった。

ちなみにこの本の原題は”We the Media”。
合衆国憲法前文の出だし”We the People”をもじっていることともあって、
訳題よりも原題のままの方がよかった気がする。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○ブログが民主主義的な形式のジャーナリズムである理由・・・
1:今日のジャーナリズムは市場経済に由来するが、ブログは贈与経済に由来
2:ジャーナリズムはプロの領域でたまにアマチュアが迎えられるが、ブログはアマチュアの領域でプロが迎えられる
3:ジャーナリズムの参入障壁は19世紀半ば以来ずっと高かったが、ブログがその障壁を引き下げた
(ジェイ・ローゼンの「プレスシンク」より)
<第2章 読み・書きウェブ>

○ブログに対する典型的な批判は、ほとんどが自己完結でくだらないというもの
→その通りだがだからと言ってこのジャンルを否定したり、人々が互いに語り合うことの価値を損なうことにはならない
<第7章 元読者がパーティに参加する>

☆書いた記事をそのまま残す唯一の方法は、正反対の立場の人間でも納得するようなものを書くということ
(ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズへのインタビューより)
<第7章 元読者がパーティに参加する>

○荒らしとは、時間泥棒 (ワード・カニンガムによる定義)
<第9章 荒らし、情報誘導、そして信頼の境界>

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2005 9/25
情報・メディア、HP・ブログ本
まろまろヒット率3

stone(ストーン)のハイカラな「ホットチョコレート」

カフェキングのOchiさんに連れられて実にハイカラなカフェーに入る。
たあぼうさんと、USHIZOのさん、という風に、全員サイト運営者なのでそれぞれの情報交換、意見交換をする。
みなさんそれぞれのスタンスで運営しているのがわかってとても参考になった。
そんな話をしながら飲んだホットチョコレートは懐かしい味がした。
(ホットココアとホットチョコレートが別々のメニューとしてあるのも好感度アップ)
有楽町ビルヂング「ストーン」にて。

松本楼の「チャリティー10円カレー」


松本楼チャリティー10円カレーなるものが年に一度開催される。
大阪にいた頃から気になっていたこの「10円カレー」に、カレーマスターのたあぼうさんの呼びかけで参加できることになった。
悪天候が予想される中、並んでみると、近くで倒れる人は出るわ(ただの貧血でよかった)、ダフ屋は出るわで食べる前から大騒ぎ。
すったもんだの後でカレーを食べてみたら、確かにハイカラな味。少し濃厚で辛くて大正ロマンなフレイバーがした。
ちなみに先着1500名に入ったのでカルピスやぶどうのお土産までもらったという。実に楽しいアトラクションだった。

食後は別々に並んでいたという「カレー☆ブ」のあきよさんとそのお友達、「WorldWideCafe」のOchiさん、さらには「CURRY DIARY」のUSHIZOさんとお知り合いになってまろまろとお茶をする。
日比谷公園内の「松本楼」にて。

『電車男』(TV番組)

映画に引き続いて観たドラマシリーズ。

2時間におさまる話を12回シリーズにするというのに一抹の不安を感じて観始めたが、毎回のようにスレの住人にスポットを当てる演出は、原作の良さが強調されいて面白かった。
ただ、二人の邪魔をする恋敵が出てくる後半は、スレ住人へのスポットが減って残念だった。
原作にない演出だっただけに外しちゃった感が大きかった。

また、原作を読んでいた人間からするとエルメスタン=中谷美紀似という先入観があったので、テレビ版のエルメス役=伊東美咲というのは、始まる前から少し違和感があった。
でも、だんだんと伊東美咲もエルメスに見えてきた僕はうまく演出に乗っかれたんだろう。
(ちなみに伊東美咲と僕は誕生日が同じ)
観終わってみると、ごく真っ当なラブコメディだったという印象が強い。

やはりこのドラマは内容よりも、その進化形態の方が印象深かった。
2ちゃんねるから生まれた話が本になり、映画になり、さらにテレビドラマになり、それも高視聴率だったということは、ある種のターニングポイントになったかもしれない。
この流れは時間の問題だったとはいえ、これまでタブー視されることが多かったネット掲示板を広く一般化させる促進剤になったことも含めて、歴史に残る作品ではあることは確かだろう。

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2005 9/22
もろもろ鑑賞、テレビドラマ
まろまろヒット率4