Archive for the ‘まろまろコラム’


エロい経験12.31.07

まろまろ@今日は大晦日、今年もいよいよ暮れていきますな。

思えば今年はいままでにない経験をした年でした。
でも、僕は経験という言葉が好きではありません。
そういう趣旨のことを発言すると「なぜまろまろさんが!」と意外に思われたり驚かれたりすることが多いので、
2007年最後の日は経験についての僕の考えをコラムにしてお送りします(^_-)

では、ここから・・・

自分の経験をことさら持ち出す人に尊敬できる人はほとんどいない。
かと言って別に経験至上主義を敵視している訳ではないし、経験すること自体を軽視しているわけではない。
狭い範囲の小さな経験しか無いのに、ことさらそれを口にする人はある意味で可愛げを感じてしまうほどだ。
そういう人は自分が経験したことはちょっとしか触れたことが無いものでも高言するのに、
新しい状況や分野には必要以上にビクビクする姿をよく見かける。
それは弱い相手には徹底的に強く、強い相手には徹底的に弱い小役人を観ているようで、
痛いものコレクターとしてはある意味で微笑ましい。

確かに、自分自身の経験がもたらすインパクトは、まず何にも増して強烈なものがある。
さらに思い出として美化されるので、甘美な味わいをもたらす。
経験は強烈で甘美、一言で言えばエロティックなものと言える。
取り立ててエロい経験である必要はない、経験とはすべてエロいものだ。

たとえば自分の経験はどういう状況なら当てはまるのかを精査せずに振りかざすことは、
シチュエーションも相手も違うのに自分の性癖を押し通すのと同じことだ。
そういう人は自分の経験のエロティックな感覚に酔ってしまって、相手もまわりも見えなくなってしまっている。

もちろん、経験の持つエロティックな感覚それ自体は悪いことではないし、一人でかみしめればいい。
ただ、エロティックな感覚に眼を曇らせて独りよがになってしまっては、その経験の持つ有効さを削ってしまうことになる。
もしその経験が有効なら、エロティックな感覚に引きずられずにその有効さを抽出しなければならない。
そうすれば、その経験は自分だけが愉しめるエロティックなおかずではなく、輝いたものになる。

ここで自分を振り返ってみれば、2007年は本当に良いことが無い年だった。
軽く列挙すると・・・
選挙に落ちる
・株で巨大な損切り
・父が左遷、母の勤務先が倒産、祖母が認知症になって要介護化という家族の動揺
・maromaro.comが一時期、閲覧不可能になる
・・・などなど。
苦い経験ほど、時間がたつにつれて甘く醸成されてゆく。
だからこうした経験は僕の中でこれからエロティックで甘美なものになってゆくのだろう。

そのエロティックな側面を愉しむことはあっても、快楽に眼を曇らせずに体験の有効さを抽出してゆきたい。
「いい経験だった」というセリフは、そのエロティックさを独りで愉しむだけではなく、
有効さを抽出した時にはじめて言えるセリフだから。

2007 12/31
まろまろコラム

Posted in まろまろコラムwith No Comments →

ノリシ論~ツナガリとノリシロ~07.19.06

今日でサイト開設5周年な、まろまろ@これもまろみあんの方々のご愛好のたまものです(^_^)v

振り返ると2001年7月19日のまろまろ記(当時はまろまろ読書日記)の開設当初から、
人的なネットワークやネットワーキングについての意見を求められることが増えました。
こういう話は生々しさや上から目線な感じが目立ってしまうことがあるので、
これまで自分から積極的に意見を表明することは避けてきました。
ただ、特にソーシャルネットワーキング・サーヴィス(SNS)やblogが台頭した
2004年くらいからは頻繁に意見を求められる機会が増えたので、
今回は5周年記念ということでネットワーキングについての考えをコラム化してみます。

では、ここから・・・

最初に好みの話をすると、そもそも僕は「人脈」や「ネットワーク」という言葉は好きじゃない。
そういう言葉をよく口に出している人たちとも、あまり仲良くなれないことがある。
こういう好みを言うと、「ネットワーキング名手のまろまろさんがなぜそんな風に思うんですか!?」と驚かれることが多い。
確かに「人生いつでも出会い系」(by西行法師プレイ)を標榜しているだけに、こういう趣向は不思議に思われても仕方ないかもしれない。
一見、矛盾しているように見えるこの好みの話は、実は僕のネットワークに対する考えから来ている。

ネットワークとは、日本語で平たく言えば「ツナガリ」だと思う。ネットワーキングは、「ツナガルコト」ですな。
ツナガルためには、まず第一に接着するためのノリシロが必要になる。
そのためのノリシロとは何かといえば、それは自分の中にあるものを外に出したものだ。
自分の中にある気持ち、経験、知識などを外部化させたもの、それがその人のノリシロになる。
自分のノリシロとは、別の言い方をすれば、自分の内にあるものを情報発信したものであり、
自分メディアということが言えるかもしれない。
(興味ある人は※)

だから「ネットワークづくりのために何をすればいいですか?」と聞かれれば、
僕はいつも「自分のノリシロを外に出すこと」だと応えている。
ノリシロのないツナガリはありえないから。
そして自分のノリシロを外に出していれば、自然とネットワークは広がっていく。

・・・っと言ってもノリシロを外に出すことは、もちろんリスクがある。
ノリシロを外に出していたら、変なものがくっついてしまうリスクはあるし、
自分の底の浅さを笑われて恥をかくこともあるかもしれない。
(かく言う僕もよく恥をかく(^^;)
ノリシロを外に出すことは、時間もエネルギーもかかるし、
何よりも勇気が要るということは僕もよく実感していることだ。

でも、ノリシロを外に出しながら、変なものがくっつかないように模索することは、
自分の内にあるものと外の状況との関係を見つめる機会になる。
恥をかくことも、自分を見つめて成長する上で欠かせない要素だ。
思えばノリシロを出すことのリスクは、出会いには避けて通れないものだし、
自分の内と外との両方を見つめることに時間とエネルギーをかけている証拠にもなる。

最初に書いた好みの話はここにツナガル。
ノリシロを出さずに、つまりリスクを背負わず安全な場所に身を置きながら、
「ネットワークづくりが好き」や「人と人をツナゲルのが得意」と言っている人を見かけるとちょっと不信を感じてしまう。
(大人げなくてごめんちゃい(>_< ))

だから僕はネットワークについて助言を求められると「良いツナガリを求めるなら、まず良いノリシロをつくろう」といつも応えている。
そしてその後には決まってこう続ける、「“可愛い子には恥をかかせろ”ですよ(^_-)」(byはしり書き)と。

参考
「ソーシャルネットワーキングのコミュニケーションの多様性」(シンポジウム議事録)

『一人一メディア』(まろまろコラム)

※例えばこれまでのネットコミュニティやWebコミュニケーションと比較して、
SNSとblogがここまで注目される理由はこのツナガリとノリシロの関係にあると思う。
SNS上ではそれぞれがそれぞれのエリアで自分のノリシロを公開する。
そこに誰かがひっかかり、新しいツナガリに発展していくことで大きなツナガリがうねりとして生まれる。
(ツナガリのうねり=コミュニティ)
blogもこれまでのものと比べて、各記事ごとのコメントやトラックバック、RSSのおかげで、
ノリシロとツナガリの相乗効果が大きいシステムだと言える。

2006 7/19
まろまろコラム
(more…)

Posted in まろまろコラムwith No Comments →

時間と仲良くする方法12.31.05

さて、大晦日ですね。
今年1年もまろまろしたメモにおつきあいいただいてありがとうございます。
例年単なるメモでしかないものなのに、まろみあんの皆さんから意見をいただけて、
参考にさせてもらったり新しい発見を得られたりして感謝感謝です。

2005年は時間の接し方について考えさせられる機会が多かったので、
今年最後は時間に対して僕が考えていることのコラムをば・・・

いろんな人が集まる場に呼ばれていくと、妙に相手の年齢を聞き出そうとしてくる人と出会うことがある。
面白いなと思うのは、人の年齢を気にする人ほど自分の年齢にコンプレックスを持っているということだ。
観察してみると、そういう人はこれまで過ぎた時間に自信が持てず、これから過ぎる時間に不安を感じてしまっている。
一言で言えば、時間に対して劣等感を持っている、ということなんだろう。

確かに時間が過ぎていくことが、劣化して目減りしていくことだけとしか思えないなら、
時間がたてばたつほど、自分がジリ貧になっていくと感じても仕方ない。

でも、時間と喧嘩してもどうせ勝てないし、時間に劣等感を持っても始まらない。
時間は絶対で変わらないものだから、自分の方から時間と仲良くするしかない。
年齢や時間に劣等感を感じている人は、結局は時間と仲良くできていないのだと思う。

では、どうすれば時間と仲良くできるのか。
仲良くするにはその相手のキャラを認めてあげることからはじまる。
時間は途切れず「続いていく」というキャラを持っている。
だからこちらも「続けていく」ことが大切になってくる。

たとえば、進み続けるなら時間がたてばたつほど前進できるし、残し続けるなら時間がたてばたつほど増えていくことになる。
少なくとも目減りしないしジリ貧にはならないので、時間に対して劣等感を持つことは無くなる。
そして続ける内容、進むことや残すものは、たとえそれが未満や未完のものでもかまわない。
自分は0.01しか進まなくても、時間の方が100進んでくれれば”1″になるし、
0.01しか残せなくても、時間が100たてば自然と”1″になってくる。

ほんのちょっとづつでも進み、残していくこと。
それが時間と仲良くする方法だ。
自分が続けてさえいれば、時間はいつも味方になってくれる。

今年は読書日記をはじめて10周年をむかえる年になった。
この10年間、時間は僕にとって味方だった。
もしこれを続けるなら、次の10年も時間は僕の味方になってくれるだろう。
そんな読書日記10年の年最後のコラムでした(^_-)

2005 12/31
まろまろコラム

関連したエントリ:できる人の「特殊性」を強調して、「普通」の殻に閉じこもるのは成長できない人の特徴(はしり書き)
(more…)

Posted in まろまろコラムwith No Comments →





このサイトについて  サイトポリシー  連絡先  サイト来歴  メディア掲載  お願い


 
Web maromaro.com
まろまろと探しちゃう
Amazon.co.jp のロゴ




このサイトについて   サイトポリシー   連絡先   サイト来歴   メディア掲載   お願い