篠原一 『ヨーロッパの政治―歴史政治学試論』 東京大学出版会 1986

[Dokusyo-Kai]”the Politics in Europe”
らぶナベ@交流会OB会ではひさびさに弾けれて面白かったっす(^^)
(牟田ちゃんホントにお疲れさま)

さて、『ヨーロッパの政治~歴史政治学試論~』篠原一著(東京大学出版会)
をちょうどいま読み終えました。
16世紀から第二次世界大戦勃発までのヨーロッパの通史を
各国、地域ごとに追いながら「政治学的にはここではこういう議論がある」
というふうに政治学の視点で歴史的事象を一つ一つ拾い上げているという
感じの本(本人は歴史政治学と呼んでいる)。
近世から現代という時期も長いがヨーロッパという地域も広いために、
全15章(48節!)の分厚い本になっている。
やたらと長く、ばりばりの理論書なのに
比較的読むのが苦痛にならなかったのは僕が歴史オタクだからだろう。
基本的に社会科学はみんなそうみたいだが政治学と社会学では
特に歴史的基礎知識が必要とされることに今さらながら感じさせられた。

具体的な内容としては・・・
・イギリスのロイド・ジョージ、イタリアのジョリッティ、
ドイツのシュトレーゼマンなどの個性的なリーダー研究
(これで高橋直樹著『政治学と歴史解釈』を読もうかなと思っている)
・戦争は破壊、テスト、参加、心理的側面の四つの視点で
ほぼ分析できるとするマーウィックの主張
・スウェーデンの自由党が数的にもっと弱小でありながら
重心的議会主義によって単独内閣を形成したこと
などが「へぇ!」と関心させられたが、疑問点として・・・
ヴァイマール共和国についての項で
「連合政権自体が不安定という考え方は、
最近の政治学的分析によって否定された、一種の政治神話にすぎない」と
著者自身が断言しているところがいまいち納得できない。
ちなみにあんまり重要では無い点だが、NEPをおこないながら
ボリシェビキの独裁を進めたソ連の革命第二時期を扱っている項で
「退却期間中は規律は百倍も必要」という
レーニンの言葉を紹介しているのには思わず笑えた。

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1998 8/30
歴史、政治
まろまろヒット率3

高坂正堯 『世界史の中から考える』 新潮社 1996

“think through world history”
らぶナベ@交流会が終わり、明日は交流会OB会(^^)

さて、『世界史の中から考える』高坂正堯著(新潮選書)
高坂正堯が死ぬ直前まで『FORESIGHT』に連載していた
歴史エッセイをまとめたもの。
前半はヨーロッパ史から現代と対比できるような
(対比とははっきり言わないでも参考になるような)
事例を出しつつ現代の課題を述べている。
例えばバブルとその崩壊はイギリス
(南海会社水泡事件←バブル経済の語源)、オランダチューリップ投機、
アメリカ大恐慌などが日本のバブルと経済背景的に似ている点に
注目したりしているという風に。(二流の国が一流を目指そうとしている時に
起こりやすい事象と判断している)
後半は太平洋戦争へいたる過程を綴って「なぜ日本は失敗したのか?」
というテーマについて政党運動や経済政策、軍事政策で述べた後に、
重要な要素として日本人の気質的欠点を述べている。
しかし気質とは本質的に欠点でもありはそのまま美点でもあるので、
そのことを見つめることの難しさを述べている。

全体的には一章3,4ページで書かれていて読みやすかったが
歴史的事象の説明と彼自身の解釈がよく出ていて興味深かった。
以下は上記以外で印象に残っている箇所・・・
「響きのよい抽象的な言葉は、力ある人がその気になれば
なんとでも解釈できる。しかし、具体的に散文的に書いていることは
ごまかしようがない。」(味気ないが歴史的意義の大きい権利章典を表して)
「休んでいるものを邪魔するな」(ウォルポールの言葉)
「弱国は冒険を避けなくてはならない。
何ら威信のない王朝の基礎を固めるには、ゆっくり時期を待つことが肝要だ」
(アンドレ・モロアの言葉)は進路を決める立場にある
僕のような個人にも適用できるのだろう。

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1998 8/28
エッセイ、歴史、政治学
まろまろヒット率4

交流会OB会

一次会はひさびさに会った人間たちの進路報告や現役STAFFの自己紹介などだったが今回交流会首脳部へ若手STAFFから花束贈呈があったのは印象的だった。
今年の立命の一回生にはなかなかおもしろい人間が多くて「安心して卒業できるな」と思えた。
2次会に行く前に庄司と話して「(いろいろあったけど)また分科会やろうぜ」と確認し合う。
2次会には博報堂インターンシップに行っている吉屋が合流し、カラオケで安藤や藤堂らと上半身裸になって踊り狂う。
青池まで裸になったのには驚いたがこれも彼のポテンシャルの高さ故だろう。
カラオケが終わってから鴨川の河原で朝まで話すがコキネタを中心だったのが痛かった。
阪急電車で吉屋と帰るときにインターンシップについて話ができて楽しかった。
始めて交流会のメンバーと会ったときのようなすがすがしさがあったのが考え深い、ちょうどいま僕が転機に来ているからだろうか。

1998 8/29
出来事メモ、交流会

第9回政策・情報系学生交流会参加

本科会(事実上のビギナーズ)のチューターを高野に頼まれて参加する。忙しいので責任持った運営ができないと断ろうと思っていたが懇願されたのでお助けチューターとして参加することになる。

8/24
初日はちょうど98年度吉本興業インターンシップ第1期初日目にあたったのでそこで写真撮影&引継作業のために昼間は交流会に参加せずに夜から宿舎となっている本能寺会館に行く。
風呂に入った後で本科会全体の顔見せがあり、学部紹介の紙をくばって明日各大学ごとにプレゼンしてもらう旨がSから伝えられた。
その後各大学で誰が発表するかどれを発表するかの話し合いを部屋に分かれて少しすることとなった。
もともと高野がすべきことだったが彼は代表で忙しいようなのでたまたまいた日隈に来てもらって自己紹介→各自用紙に記入をしてもらう。見てみると「基礎演習」、「政策科学入門」、「現代の国際社会」の三つしか上がっていなかった。日隈の助言もあって基礎演習について話が盛り上がる。
小1時間かかって基礎演習についてのキーワードや状態を言い尽くしてから藤堂がメモした用紙を見てみるととんでも無い量になっていた。「これをだらだら個人で読んでもおもしろくないし、みんな聴かないだろう」という声が自然に上がってきた。
そこでスキットを通してこの基礎演習というものをみんなでプレゼンしようという流れになった。
たまたま入ってきた高野に確認したところ「問題ないっしょ」と言ってきた上にSが部屋に顔を出したときに聴くとオッケーをもらったのでこれで進める。
途中でみずかちゃんに呼ばれてAとSのところに行くと「個々の個人に発表してもらうのであって大学ごとではない」と批判をされた。まず第一にそういうこというのならその故を明確に彼ら一回生に伝えるべきところだし、何よりそんなシステムは結果として「大学の特徴を出す」というこの趣旨からすれば小さな矮小なことだ。
そのうえ現実問題としてでは今自主的にスキットを考えている彼らを止めるのかと反論すると「こちらがわで用意していたことと違う」とか「流れが変わる」などと言ってきた。
明らかに事前事項に硬直し交流会の本質を見失っている方針に思えたのでここは強く反論する。
特にSが「自分の言葉で語ってもらう」ということに固執していたが、立命館にとって「このままでは良く表現できない、だから何とかしよう」という意見が出てくるのはごく自然なことだと主張する。
よくよく聴くと彼にとって「自分の言葉」とか「下手くそでつまりながら語っていることでそれを最後にまとめるのがチューターの仕事」と言ってきた。
完全に自分の頭だけで自己完了し現実を省みていない意見でかつAもいっしょに仕事をした愛着からSの肩を持ったので僕もひさびさに感情的になったが(これは反省)みずかちゃん、特に高野が「こういう流れが立命じゃないっすか」といったんうち切ってくれたので妥協案である他の二つの科目も報告するということを伝えにスキットを考えている部屋に帰ってみると僕が言い出す前に「他の大学はこういう発表をしていないらしい・・・こういうことをすることこそ立命館の大学紹介だ」ということが上田からあがったのでうれしく思った。
2時頃スキットの練習が一通り終わってから「終わりました」ともう一度AやSのところに報告に行く、またぐちぐちと無益なことを言ってきたので最後にスキットをまとめる藤堂がたまたま横にいたので話を聴かせる。
すると僕が感じた違和感を同じように訴えた。するとA、Sの矛先もおさまってきた。「理屈をこねまわす人間には現場もしくは現場の声をつきつける」という鉄則が効いたようだ。部屋に帰って落ち着いてから藤堂の部屋をのぞいてみると「同じことをぐるぐる聴いてきますよね。適当にハイと了解して弾けます。」と言っていた。
「これはこいつに一本取られたな」と思って「思いっきり弾けてくれ!」と言って寝に入る。

8/25
僕の寝た部屋のメンバーは昨日僕が入ったときにはすでに寝ていたのでこの日目覚めてから始めて挨拶する。
なかなか感じの良い面々だった。
朝食を取りバスで大学に向かったがひさびさに羽場榛名と話ができておもしろかった。
大学に着くと法学部ラウンジですでに立命のメンバーは今日のプレゼンの準備をしていた、そのにじみ出る熱さが立命だなとほくそ笑む。
10時から関学KSC企画のツアー企画立案ゲームをやったがそれほど手応えある面白さではなかった。
そして2時からいよいよ本科会がスタートした。
まず慶應SFC、中大、武蔵工業大学、小休止、関学KSCの大学紹介の後、立命のプレゼンが始まった。
停滞した空気に飲み込まれないように関学KSCのプレゼンの間に「君たちは君たちだから思いっきりやれ!」と書いた紙を順番に回した。
案の定これまで長い説明を聴いていた参加者はその多くが眠たそうにしていたが、立命のプレゼン中寝ている人間はいなかった。空気が変わるのが分かった。
藤堂が基礎演のプレゼンの最後に「これですよ!これが立命らしさですよ!!」とはじけてくれたので後が引き継ぎやすかった。
それから現代の国際社会と政策科学入門の説明が終わり、僕が全体の流れを説明した。
そこでまず一回生のプレゼンぷりを「まさに殻をやぶった(Sの口癖、これは大人げないと反省)プレゼンであとが説明しやすい」と述べた後で「自分たちで考え運営し選択するのが基礎演習、この過程こそが政策」、「一回生は基礎演、二回生は研究入門フォーラムでそれぞれ実地体験。その後に三回生からゼミで理論研究。これが立命でいうところの問題発見、解決型の意味。」
(実践が先でそのための道具としての理論)と言いながら「中大や慶應SFCの人と話していて僕が逆ギレする時に『抽象論こねてんと現実見ろ!』と言ってしまうのはこの学部の教育のせい」、「今年の大学パンフレットには交流会創設者の一人内山さんが載って来年は僕、みんなも写ることもあるので期待してね」など笑いを取りながら次の時間のグループディスカッションのネタ振りにとあえて「慶應SFCは問題発見、解決型と言っていたが僕らからすれば単純に理論研究(文献研究の域を出ていない)じゃないのか?と思います。」と言って絞める(これは皮肉すぎ反省)。
空気も一変しその後のグループディスカッションも盛り上がったので、どちらが一体適切だったのかということを身をもって証明できたのがうれしかった。
その後グループディスカッションをしたが僕の班のメンバーは春名を除きみんなまじめだったのでごくまっとうな話をして終わった。それから篠田の班と合流してご飯を食べて本能寺会館に帰る。
一息ついてから春名や藤堂や清水たちと祇園に繰り出す、一回りしてから帰りに一銭洋食食べて(実に3年ぶり!)帰る。帰りに春名から「一年前始めた会ったときは髪が短くて髭はやしていたのでとっても恐い人だと思った」と言われて意外だった。
帰ってから本科会会議が始まっていたので参加すると重たい雰囲気だった。どうやら明日やるワークショップが三つしかあがっておらず、その三つもどれもちゃんと準備されたものではなかった。

SやAがまたまた自分たちが今までやってきたことについてや愚痴的な反省が多かったのでいらいらする。高野は眠たそうにしていたので西村や新野さんや僕が意見を積極的に言うようにしてようやく話が前向きに進んできた。
特に「カスタマーが外にいているのに俺達だけでこんなことやっていていいのか」という新野さんの意見には強く同意し、「自分たちの頭で決めたことを実現させるのが目的じゃない、いまいろんな部屋に散って話をしている一回生たちを満足させるのが俺たちの目的だ」と主張する。
SやAには不本意だったようだが現実的な各チューターがそれぞれワークショップをうち立ててそれに人を募集するという決定がようやく2時頃になされて解散する。
高野が一人でディベートもしくはお堅いテーマでやるということだったので明日途中で少し抜けなくてはいけない僕はみずかちゃんと自分探し系をしようと決める。
その後、中大の高山(ケニーorジョンイルくん)のいる部屋に行って話をする。本科会には参加してないけどやたらと歴史のことが好きだったり『銀英伝』が好きだったりする人がいたので思わず趣味的な話で盛り上がる。
杏林大学で計量政治学をやっている人と話をしたりもしてその日はそこで眠る。

8/26
午前中は吉本プロジェクトの会議があり、かなり本質的な話まで及んだので抜け出せなかった。
しかしワークショップが始まるのは午後からなので何とか間に合った。
恒心館の本科会部屋に行ってみずかちゃんと「自分探しの雑貨屋さん」というテーマでワークショップをうち立てると思った以上に女性が来ずに立命館と関学KSCという偏りのあるメンバー構成でもあった(男4,女2)。
ちょっと引いてしまったが他の状況を見ていると西村がうち立てたワークショップは来た人が0でつぶれ、結局3人来た高野のお堅い政策系ワークショップに入っていたので場合によっては後で合流しようと心の中で模索する。
修学館440に行ってメンバーで話してみると思っていた以上にディープな話、自分の内面性を見つめるような哲学的な話になった。その流れをほぐしてくれると期待したみずかちゃんもかなり直球勝負な発言をしてくれたのでお気楽ワークショップというよりもまさに自分の内面と見つめ合う分科会になった。
そろそろいったん家に帰らなくてはいけない時間に来たので自分なりの「内面を見つめるときには活字として変換してみるとけっこう発見がある」という意見を述べ「内面を見つめるきっかけとなる材料を提供してくれるのが交流会」とまとめた後に高野&西村班に合流させて帰る。
いったん帰って明日行く予定の合気道用の胴着と着替えを入れ替えて親が創ったカレーライスを食べると思わず小一時間ほど眠ってしまった。
けっきょく四条河原町に着いたのが8時台だったがちょうど高野&僕&西村の班はSの班と合流してシェーキーズで飲みに入っていたので合流しやすかった。道には迷ったが高野に迎えに来てもらう。
二人で会場に向かう間に「この本科会の運営は一体どういうことや!」という話をする。
会場に到着するとずいぶんリラックスした雰囲気で僕や高野や春名も思わず下ネタで盛り上がる。春名がばんばんに乗ってくるので思わず盛り上がった、下ネタと言っても服部の話だったからというのもあるのだが。
家に帰ったときについでに持ってきた中大総合政策の一回生のタレントの載った雑誌を持ってくるとみんな興味を示した。
一番盛り上がったのは「だれが童貞か?」という話だった。
帰りにミニストップに寄ってから本能寺会館に帰り風呂に入って上がってくるとまえぷー&香織ちゃんが僕のモノマネを編み出したと目の前でやってくれたが「似ていない」と思った(でもみんな似ていると言う(^^;)
それからAのワークショップのメンバーを中心にノンアルコールの飲み会をすることになっていた。
それに知り合いを連れて参加すると中大名物の「純粋な」女性陣の質問責めにあう。マレーシアプロジェクトについて「みんなが自給自足の生活をすれば環境問題は解決する」という意見やプミプトラ政策への不知識はさすがに無視できないのでそれとなく指摘するとどうやら感情的になってきたようで(中大の女性に多い→ケニーや高野の感想でもあった)「ブルーワーカーと生活を共にしなくては本当の現場は見えてこない!」と批判してくる。「お利口さんな意見で来るな」と思い、反論してやろうかとも思ったが相手は一回生でかつ僕はチューターであるので「そうかもしれないね」と軽く議論を終わらせる。それから興味あることがケニーなどから持ちかけられたときにその女性は「いつの時代にもずるい人間はいてそういう人間のせいでしわよせを受けている人たちをどう救うかというのに興味がある」と言ってくる。
「君の話の流れじゃアイリン地区で生活した方が良いね」と思わず言ってしまったがこれは自分ではまっとうな正論とはいまでも思うが大人げなかったか?(笑)
それと「よくわからない悪者(この場合は「ずるいやつ」)」が出てきてそれとの二元論に集約されるのは中大の国際文化をやっている人たちの傾向でもあるなぁっとも実感する。
そうこうしているうちに西村や新野さんなどが部屋に入ってきて部屋の人間全員でバナナダンスを練習する。
一通り練習してから廊下で話しているグループをいきなりみんな(20人程度)で囲んで踊ったり部屋に乱入して踊るなどまるで踊り念仏のような集団行動をする。これは燃えたが案の定フロントから怒られたようでそそくさと部屋に戻る。
それから僕は抜けてSTAFFルームに行き、途中で抜けてできなかった心理テストを受ける、けっこう楽しかった。
最終日ということで交流会のいつもどおり明け方までプレゼンの準備をしたり語り合っている分科会が多く、ケニーの部屋にまた行き濃い話をする。
4時頃に自分の部屋に帰るとよくわからないが何か雰囲気ある人がいて清水とダイナブックをいじっていた。
「少しお話良いですか?」と言ってきたので僕も座って話をしてみる。するとまぁ話す話す(^^;
(彼は途中で参加したので学部紹介や僕がした話などは聴いていないそうだ)
怒濤のように慶應SFCの生い立ちや理念を話をしていく。なかなかおもしろいなぁっと思っていたら9月入学で入ってきた帰国子女でもうすぐ2回生にあがるそうだ(松永建)。土屋など共通の知人の話などでも話をしてみてなかなか僕も楽しかったので5時半まで話し込む。

8/27
朝は遅めに起きて帰る準備をして下に降りる。部屋の鍵を返すときに高野やでっきー(関学KSC)に昨日の中大の女の子のことを話すと「うちみたい(でっきー)」と評価したのには笑った。
途中松永と話をしながらえっちらと大学に向かって午前中の部の本科会を始めると「昨日したことの報告」ということだったのでメンバーで集まってまとめる。これは時間も5分ということだった上にみずかちゃんはもう帰ったので僕がかなり主導して必然的に平が発表することになる。僕らの班の発表はそれほど特徴があったわけではなかったが自分の内面を見つめるという結果としての方向が印象深かったようで良かった。他の発表には特に渋&篠の「はったり」ワークショップの発表がおもしろかった。Aの厳しい質問にこれまた厳しく返していく立命の二人の女の子が頼もしかった。
それからご飯を食べて交流会全体のプレゼンが始まった。吉本プロジェクトの会議があったので抜けて修学館440で会議に出る。修学旅行の分科会のプレゼンは見たかったので藤堂にお願いしてお知らせしてもらうようにする。
お知らせが入ったので途中で抜けて修学旅行のプレゼンを見るとけっこう寒かった。
終わってから香織ちゃん&まえぷーが外で「急に順番変えられて準備できなかったしあれだけ練習した踊りも舞台上に機材などが氾濫していて踊れなかった!!もう最悪!!」とマジギレしていた。
各プレゼンの間にやっている名刺交換ビンゴゲームはとても簡潔でかつ効果的だったのでいとーや奈央ちゃんやりゅーちゃんを呼ぶ。
それから研究室に帰ってまとめてから4時半頃にまたプレゼン会場に行くともう終わりだった。
(南さんが来ていたので藤堂などを紹介する)
合気道に行く予定だったがかなり寝不足でつらかったので大人しく懇親会に出るようにする。
なんだかんだで藤堂、春名、春名友達(中大)そして僕でタクシー乗って向かうことにする。
春名友達が八つ橋買いたいと言い出したので本家まで向かってもらってから三条木屋町に向かう。
運転手さんがなかなか面白い人で京都の歴史にも詳しい人だったので途中いろいろ話をする、特に歴史だけじゃなく恋愛の話などなかなか説得力ある人だったので興味深く思う。
飲み屋に到着して荷物を置くとまだ時間があったので同じくらいに到着した松永&慶應SFCの女の子と僕らのメンバーでお土産探しを手伝う。飲み屋に帰るともう始まっていた。飲み会では特に立命一回生の女の子たちと話ができたのが印象深い。女の子の中には僕が学部紹介の直前に回した「君たちは君たちだから思いっきりやれ!」と書いた紙を手帳に切り張りしていたのを見てちょっとうれしかった。僕にはめずらしく飲み会で積極的に前に出たりしてひさびさに酔って帰る。
ひさびさに印象深い、出会いの多い交流会だった。

1998 8/24~27
出来事メモ、交流会

高坂正堯 『国際政治―恐怖と希望』 中央公論新社 1966

この前、津に住んでいるH部くんのところに遊びに行ったら
セガ・サターンと『同級生2』『下級生』
「持って帰れ!」と無理矢理渡されたっす。
・・・あんだけバカにしていたくせに攻略本まで買って
おもいっきり研究しとるやんけ!って思ったんだけど
僕もハマりそうでちょっと恐い(^^;

さてさて、『国際政治』高坂正堯著(中公新書)を読んだです。
著者は佐藤栄作政権で沖縄返還などの外交政策のブレーンとして
活躍した日本ではめずらしい行動派の学者。
この前死んでしまったんだけどたいてい京大法学部出身の人は
この人の授業を一度は受けたことがあるらしい。
内容の方は「これでもか!」というくらいリアリズムに徹して
国際政治を述べている。
具体的には「国際的相互依存が進めば国際関係は良くなる」という考えが
如何に表層的で現実として問題が多いかということを説明することと
「国際機構を強化すれば(≒統一国家を創れば)国際関係は良くなる」
という考えを現実的事象によって否定することに
ほとんどすべての項を割いている。
つまり安易な国際主義がどれだけ意味のないものかということを
徹底して書いている一冊。
「相互依存」と「国際機構」という魅力ある言葉を
ここまで体系的に問題視した本は僕は他には知らない。
今後僕にとってこれらの耳障りの良い言葉を使う人が
この本に書かれているような国際政治の現実を知った上で
話しているのかどうかがその人を見る判断の目安になるだろう。

特に面白かったのが単純なロマンティズムが昔からどくれくらい
多かったかということを説明するために引用した
中江兆民著『三酔人経論問答』の中では非武装を主張する洋学紳士くんと
諸列強に対抗する軍備を持ち弱小国を支配することを主張する豪傑くんの
意見を聞いた後で南海先生が「紳士くんの主張はヨーロッパの学者が
その頭の中で発酵させ、言葉や文字では発表したが、
まだ世の中に実現されていないところの、
眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの。
豪傑くんの主張はすぐれた傑人が、百年、千年に一度、
じっさいに事業におこなって功名をかち得たことはあるが、
今日ではもはや実行しえない政治的手品です。
瑞雲は、未来への吉兆だが、はるかに眺めて楽しむばかり。
手品は、過去のめずらしいみものだが、ふり返って痛快がるばかり。
どちらも現在の役に立つはずがありません。」という風に
言わしているのが印象に残っている。
そしてこの本の最後に「現実主義は絶望から出た権力政治のすすめではなく、
問題の困難さの上に立った謙虚な叡知なのである。」と述べた後で
チェーホフ著『往診中の一事件』を引用して治療しえない病気にかかっている
娘に医師は自分の無力を感じながらもなお彼女を診断し語りかける姿に
国際政治に対するあるべき姿を見いだしている。
(ジョージ・ケナンもこの本が好きらしい(^^))

その他印象に残った一文・・・
「熱情を持って始められた戦争はやめることが難しい」
「権威とはハンナ・アレントが述べているように、
実力の行使でもなければ説得による同意でもない。
その中間のなにものかである。」

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1998 8/18
政治学、歴史
まろまろヒット率5

カール・J・フリードリッヒ、安世舟ほか訳 『政治学入門―ハーバード大学12講』 学陽書房 1977

総監督:富野由悠季(ガンダムなど)
メインデザイン:永野護(エルガイムファイブスター物語など)
&いのまたむつみ(宇宙皇子の挿し絵など(^^;)
音楽:菅野よう子(エスカフローネが良かった)
・・・という超豪華STAFF(と、言っても最盛期は80年代か?)が
制作に関わっているWOWOWアニメ『BRAINPOWERED』を見たんだけど
まだ第2話しか見れていなくてよく分からない。
話のテンポがのろのろしているのが気になるが期待してみたいと思っている
らぶナベ@意味もなく裸のおねえちゃんがくるくる回るOPだけでも
見る価値あると思うっすよ~。

さてさて、本題本題(^^)
『政治学入門~ハーバード大学12講~』カール・J・フリードリッヒ著
安世舟など訳(学陽書房)を読んだです。
必ずしも政治学を研究分野とするとは限らないので
いまのうちにまともな政治理論をつけるために(政治学は学ぶ機会が少ない)
ゼミの担当教員(さとまん)から借りた本の一つ。
元々ハーバード大学での著者の講義風景を元にして
話し口調で書かれているのでやたらと脱線が多かったり
学生受けするようなギャグを言っている姿が読んでいてほほえましい。
しかし内容の方は入門と銘打っておきながらプラトン、アリストテレス、
マキャベリ、ホッブズ、マルクス、ルソー、カントなどに
それぞれ一章づつ割いて記述していてなかなかに読み応えのあった。
(ニーチェ、トマス・アクィナスなどは引用としてよく使われていたが
章として独立しては記述されていなかった)。
政治学の入門書というよりも政治・哲学的教養の入門書というべき本だろう。
(これが学問の根幹なのだろうが)
著者自身も複雑な背景を持っている政治学者のためか
(ナチスの迫害を逃れてアメリカ移住)「革命と社会正義」や
「ルソーは果たして全体主義を擁護したことになるか?」などの
とても深い題材を扱っている。
やわらかい書き口で堅い内容を扱いきれているまさに良書、
これはお薦めしますよ(^^)
ちなみにローマ法の古い原則「ultra posse nemo obligatur」
(何人もその力以上に義務を負わず)はいろんな意味で深い言葉だろう。
本文とはあんまり関係なかったんだけど何となく忘れられない言葉だった。

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1998 8/13
政治学
まろまろヒット率3

入江昭 『日本の外交』 中央公論新社 1966

就職&大学院関係で東京に行ったついでに南さんたちと
もはやデートスポットとなっている目黒の寄生虫博物館に行ってきました。
規模も小さく標本とか写真とかもその場では
そんなに気持ち悪く感じなかったんだけど後からじわじわと
おぞましさがボディブローのようにせまってきているっす(^^;
でも来館帳なども見ていて楽しいのでかなりお薦めの場所っすよ!
入館料もただなのでみなさんもぜひチャレンジしてみてください。
ちなみに帰り道に『天下一品ラーメン』がご丁寧にあります(_ _;

さて本題、『日本の外交』入江昭著(中公新書)を読みました。
政治系大学院試験では日本政治外交史、政治史、国際政治学で
受けようと思っている僕にとって必要にかられて読んだ一冊。
日本の外交史研究を語る上で欠かすことのできない本という割には
新書ということで気軽に手に取って(悪い癖)読んだ。
これが読んでみるとまた面白い!!
もともとここらへんの歴史は興味深かったが異常に楽しく読めた(^^)

内容は明治以来日本の近代外交がどのようなイデオロギーの下で
おこなわれてきたか、またイデオロギーが外交政策に果たした影響とは
どういうものであったのかという視点で外交史を見ている。
この人の主張は明治から一貫して明確なイデオロギーが外交に
影響を与えたという事例は例外的で、日本外交は常に実利的、
現実の状況に即した対応というかたちで外交をおこなってきた。
イデオロギーは個々の事象の理由付け(言い訳)の域を出ることはなかった
という意見で統一されている。
一貫した強力なイデオロギーが外交を指導したという例が少ない理由として、
日本の外交イデオロギーと言われる東西対抗観、融和論やアジア公益論などは
すべて明確な拠を持っておらず
(ホントは多様なのに一口に西洋などと語ってまとめた気になるなど
「気分」の域を出なかった)けっきょくは唯一明確な拠を持ち
強力に答えを出したのが軍部による英米直接対決だったという流れで
見ているのが面白かった。

日本人が戦後も長い間、思想や政治を語る上で必要以上に感情的になって
しまったりする傾向は、このただ一回イデオロギー主導による国策が
太平洋戦争だったという不幸にも
かなり原因があるのかなと読んでいて感じた。

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1998 8/6
政治学、歴史
まろまろヒット率3