赤瀬川原平 『超芸術トマソン』 筑摩書房 1987

今年(2005年)は4月に読書日記10周年を迎える、
らぶナベ@これを期にWEBネームも「まろまろ堂」に統一しようかな?

さて、そんな2005年最初に読んだ『超芸術トマソン』赤瀬川原平著(ちくま文庫)1987年初版。

芸術家で作家(ペンネームは尾辻克彦)の赤瀬川原平による超芸術(活動)トマソンの本。
かつてプロ野球巨人軍にトマソンという名前の使えない助っ人外国人選手がいたことにひっかっけて、
街中にある何の役に立つの分からないような物件や構造物を発見していく活動をまとめた一冊。
(たとえばトマソン第1号は入り口がない階段で、「純粋階段」と名付けられている)

僕がこの著者とトマソンの存在を知ったのは、去年受けた表象文化論(田中純助教授)の講義で
取り上げられて興味を持ったのがきっかけだった。
まわりの知り合いに尋ねてみると「何で知らないだ!」、「まろまろと近いじゃないか!」と、
異口同音にぷちギレされちゃったので、自分なりに調べはじめたという経緯がある。

この本を読んでみると、確かにノリでやっちゃうB級感が漂いながら、
思想的な背景が見え隠れするっていうのが実に魅力的。
(僕の大好きな「一流のB級」ですな)
ただ、著者が後半で何度も書いているように、
少しおなかいっぱいにはなってしまうのが気になったりもする(^^;

以下、チェックした箇所(一部要約)・・・

○芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、
 超芸術家が、超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るもの。
→だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない、ただそこに超芸術を発見する者だけがいる。
<町の超芸術を探せ!>

○(超芸術は)単なるゴミ、単なる装飾、単なる芸術、そういった単なる当然世界に属するはずのところを、
 ほんのわずかのところでいずれにも属さず、きわどいところで存在している。
<空飛ぶ御婦人>

○トマソンとは人工空間に発生する歪みのようなものであり、都市の不動産の活断層に沿ってあらわれる、
 したがってトマソンは都市の中でこそ発見されるもの。
<トマソン、大自然に沈む>

○トマソンといっても、都市の中の一瞬のズレを見ていたのであった。
→ズレた光はつぎの一瞬にはもう都市の各部に沈み込む。
 都市はその内側に積み重なるズレたトマソンを含みながら、
 いずれはその全体が大自然の中に、ずぶずぶと沈み込んでいく。
 都市という物件は、大自然に発生した人類による一時的な現象であり、
 いずれは崩壊してまた大自然の中に埋もれていくのであった。
<もう何が何だかわからない>

○面から点を見たものをまた後方の面のひろがりに向かって報告するのが発見。
→点の住民はつねに発見という出来事の外側におかれる。
→この原理をもって世の中での発見をめぐる面と点との関係は、
 その互いの位置を動揺させながら、位置の転換を引き起こしてもいる。
<ベンチの背後霊>

この本をamazonで見ちゃう

2005 1/15
超芸術
まろまろヒット率3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です