刈谷にあるまるやすで、鶏白湯つけ麺・特製をいただく。
コシのあるつけ麺に負けない濃厚な鶏白湯のつけ汁が特徴で、インパクトのある味わい。
炙りチャーシューはもう少しさっぱりしている方が好みだったけれど、ガッツリといただける一杯。
まろまろと今日ももぐもぐ。
愛知県刈谷市の「麺びより まるやす」にて。
since July 19th, 2001
刈谷にあるまるやすで、鶏白湯つけ麺・特製をいただく。
コシのあるつけ麺に負けない濃厚な鶏白湯のつけ汁が特徴で、インパクトのある味わい。
炙りチャーシューはもう少しさっぱりしている方が好みだったけれど、ガッツリといただける一杯。
まろまろと今日ももぐもぐ。
愛知県刈谷市の「麺びより まるやす」にて。
知立にある藤田屋で、大あんまきをいただく。
あんまきとは、あんこをどら焼きのようなカステラ生地で巻いた知立名物のお菓子のこと。
もともとは知立にあった東海道五十三次の一つ、池鯉鮒宿に行き交う旅人に出したところ評判になったのが定着したと言われている。
この藤田屋ではあんまきの中味は黒あん白あんだけでなく、カスタードや抹茶などの豊富な種類が用意されているのが特徴的。
オーソドックスな黒あんを食べてみると、あんこの甘さと生地の食感から、よりカステラのような味わいを感じた。
ドライブインでもいただける一品。
ちなみに、知立あんまき食べ比べでは、味の一体感と風情では小松屋本家、手軽さとあんこの種類では藤田屋がそれぞれ特徴があった。
まろまろと今日ももぐもぐ。
愛知県知立市の「藤田屋」本店にて。
知立にある小松屋本家で、あんまきをいただく。
あんまきとは、あんこをどら焼きのようなカステラ生地で巻いた知立名物。
もともとは知立にあった東海道五十三次の一つ、池鯉鮒宿に行き交う旅人に出したところ評判になったのが定着したと言われている。
そのあんまきの元祖のお店とされているのが、明治23年(1890年)創業のこの小松屋本家。
現在でも手焼きにこだわっていて、あんこの種類は黒と白の2種類のみ。
店内でいただいてみると、ほどよい甘さのあんこともっちりした生地との相性が良くて美味しい。
風情も感じさせられる一品。
ちなみに、知立あんまき食べ比べでは、味の一体感と風情では小松屋本家、手軽さとあんこの種類では藤田屋がそれぞれ特徴があった。
まろまろと今日ももぐもぐ。
愛知県知立市の「元祖あんまき 小松屋本家」にて。
常滑にあるとりとんで、メジロの干物をいただく。
こちらは、とりとり亭が展開するホルモン焼肉店。
オーナーが日間賀島の出身ということもあり、知多半島では一般的なメジロ(穴子)の干物があるのが特徴的。
メジロの干物はもともと味が凝縮されているけれど、炭火で焼いてみるとパリッとなって、より一層美味しくなる。
おつまみとしても気に入った一品。
まろまろと今日ももぐもぐ。
愛知県常滑市の「大衆焼肉 ホルモン酒場 とりとん」常滑店にて。
渡邊義弘@去年8月末にCostcoが徒歩圏にオープンして以来、ウォーキング途中によく立ち寄っています。
さて、中沢明子・古市憲寿 『遠足型消費の時代 なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』 朝日新聞出版 2011。
Costco(コストコ)やIKEA(イケア)には、何時間もかけて人が集まってくる。
なぜ時間と交通費を使ってまでスーパーや家具店に人が集まるのか。
そこには手軽なキラキラ感をもたらす「遠足型消費」があると提示する一冊。
読んでみると、「遠足型消費」について・・・
○遠足型消費=日常の延長として消費やレジャーを体験型で楽しむスタイル
→行く前の日はちょっと楽しみで、日常と少しだけ離れたキラキラした空間で、キラキラしたものを買い、キラキラした時間を過ごすこと
(キラキラ=非日常)
<はじめに>
○コストコのキラキラ・マジック→大切なのは「安心感」がありつつの、適度な「非日常感」
<第1章 「モノが売れない時代」に「女こども」が買っているモノ>
○遠足型消費=あくまでも日常とは地続きなのだけれども、ちょっとだけワクワクする感覚
<第2章 「海外旅行型消費」から「遠足型消費」の時代へ>
・・・と、その特徴をまとめている。
また・・・
○人が絶え間なく「差違」を求めてモノを買い求めるとするならば、「どこにでもあるもの」、「新しくないもの」に価値は無い
→時間的に「ここにしかない」(新しい)、空間的に「ここにしかない」(珍しい)時に、モノは輝く
<第5章 「新しさ」に惹かれる私たち>
○ささやかだけど、楽しく生きていくのに十分な幸せをもたらしてくれる「遠足型消費」
→もはや右肩上がりの経済成長を望めない社会で生き抜く知恵
<おわりに>
・・・と、この「遠足型消費」は現代社会の必然だとしている。
このことは決して新しい知見ではないけれど、「遠足型消費」という言葉でまとめたことと、CostcoとIKEAを事例に使ったことで格段に分かりやすくなっている。
イメージしやすい概念と事例が大切だということも感じさせられた本でもある。
以下は、その他にチェックした箇所(一部要約含む)・・・
○(ショッピングモールがグローバル資本主義による地域破壊だという批判に対して)
ショッピングモールが一方的に、均質な消費者を世界中に作りだしたのではなく、
世界中に均質な欲望を持つ消費者が増えたから、ショッピングモールが受けている
<第2章 「海外旅行型消費」から「遠足型消費」の時代へ>
○終わりなき日常に折り合いをつけて、キラキラとした消費を楽しんでいる場所=埼玉県
→モノがない訳でもないし、ありすぎもしない&誰かを押しのけてまでトップを目指したくはないけれど、惰眠を貪る訳でもない
○「共感の共同体」は、論理ではなく感情をベースにしているので、長続きしない
<第6章 キラキラ消費の未来>
2014 5/10
マーケティング、消費者行動、社会学
まろまろヒット率3
常滑にあるCostcoのフードコートで、ホットチキン&プロボロン・サンドイッチをいただく。
プロボロン(Provolone)とは、イタリアのナポリ発祥のチーズのことで、イタリア語読みすると「プロヴォローネ」の発音の方がより近い。
そのプロボロンを、チキン(胸肉)、トマト、レッドオニオン、バジル入りのガーリックバターと一緒に、Costcoで販売しているトルタ・サンドイッチ・ロール挟んでトーストしたのが、このホットサンド。
食べてみると、淡泊な鶏の胸肉とよく伸びるプロボロンとの相性の良さが感じられる。
さっぱりした素材を使っているけれど、Costcoだけあってボリュームもある。
Costcoのフードコートでは、ホットドッグやプルコギベイクなどがあるけれど、このホットチキン&プロボロン・サンドイッチが現時点でのお気に入り。
まろまろと今日ももぐもぐ。
愛知県常滑市の「Costco(コストコ)」中部空港倉庫店にて購入。
泉質:ナトリウム鉄(II)-塩化物炭酸塩化物泉
常滑市の坂井海岸にある日帰り入浴可能な温泉ホテル。
茶褐色のお湯が特徴的で、冷泉ということもあり、ゆっくりと浸かることができる。
(加熱はしているとのこと)
坂井海岸の対岸にある中部国際空港を遠目に眺められる展望も特徴の一つ。
2014 5/6
ぷかぷかお風呂日記
まろまろヒット率3
渡邊義弘@常滑警察署で開催されたソーシャルメディア講座の講師をつとめました。
(2014年4月26日 『中日新聞』朝刊・第23面 「情報発信の仕方 常滑署員が学ぶ」)
さて、ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰翻訳 『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』 日本経済新聞出版社 2013。
600万年の人類史の中で、農耕社会が始まったのは1万1000年前、文字や国家が生まれたのは5400年前。
人類史の視点に立てば、現代社会の習慣や制度は「今日」起こったことにすぎない。
では、その前の「昨日」までの社会はどのようなものだったのか。
パプア・ニューギニアやアフリカに残った伝統社会と現代社会を対比させながら、それぞれの特徴を明らかにして、人類が取り組む課題に対して考察する。
『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』に続いて人類史を一本の道筋で描こうとする第3弾。
原題は、“The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?”。
読んでみると、よくある現代社会への批判のために伝統社会を取り上げる論調ではなく、
弱者切り捨てなどの伝統社会の様相が克明に記載されているので、現代社会のありがたさを痛感することも多かった。
また、外部との関係、心理的な緊張については日本は伝統社会が持つ要素を色濃く残しているのが分かる。
(著者の結婚相手は日系人)
人類の歴史に真っ向から取り組む点では、『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』の方が迫力があるけれど、人類史を通して自分の生活を振り返る参考になる一冊。
以下は、チェックした箇所(一部要約含む)・・・
○伝統的社会(小規模社会)=人口が疎密で、数十人から数千人の小集団で構成される、狩猟採集や農耕や牧畜を生業とする古今の社会で、
なおかつ西洋化された大規模な工業化社会との接触による変化が限定的にしか現れていない社会
<プロローグ 空港にて>
☆伝統社会では取引を「創出」し、それを集団間に介在させることで、社会的・政治的な目標を実現する手助けになると考えられている
→伝統的社会にとって最も重要な目標は同盟関係の絆の強化
<第1章 友人、敵、見知らぬ他人、そして商人>
☆ニューギニアの伝統的な賠償方法は以前の関係の回復に主眼を置く
→損なわれた人間関係を回復する上で、ニューギニア人にとって何より重要な要素は、
相手側に経緯を払い、相手側が精神的および感情的な被害をこうむった事実を認めること
<第2章 子どもの死に対する賠償>
☆国家社会と小規模社会の間にみられる、戦争の悪循環が繰り返される社会であるのか、
繰り返されない社会であるのかの違いこそが、仮にも国家が存在するにいたった主たる理由
<第4章 多くの戦争についての長い話>
○小規模社会では、子どもの養育に、親以外の人々が関与し、子育ての責任を社会で広く分担している
<第5章 子育て>
2014 5/1
歴史、自然科学、人類学
まろまろヒット率3