サー・ジェームズ・ジョージ・フレーザー&メアリー・ダグラス&サビーヌ・マコーマック、内田昭一郎・吉岡晶子訳 『図説 金枝篇』 東京書籍 1994

100年後くらいに今の占いやスピリチュアル、オーラなどのポピュラーさがどう評価されるのかちょっと興味がある、まろまろです。

さて、『図説 金枝篇』サー・ジェームズ・ジョージ・フレーザー著、メアリー・ダグラス監修、
サビーヌ・マコーマック編集、内田昭一郎・吉岡晶子訳(東京書籍)1994。

イタリアにあるネミの村には、森の王と呼ばれる祭司がいた。
その祭司の地位は、聖なる樹の枝(金枝)を折って現職の祭司を殺した逃亡奴隷だけが引き継ぐことができた。
なぜ聖なる樹の枝を折ることが必要だったのか?
なぜ祭司を殺すことが必要だったのか?

宿り木信仰や祭司殺し、王殺しの風習は世界中の”未開社会”(この本の用語)に共通して見られるものとして、
膨大な類似例を比較研究しながら人類に共通する思考パターンにアプローチする・・・

・・・人類学、民俗学、宗教学、神話学、魔術考察などの古典とされる本で、
原著”The Golden Bough”(1936)は全13巻、約1300000語にわたる超大作。
ただ、今となっては正確性に欠けるものや誤解のある部分も明らかになっているので、
そうしたものを省いて金枝編のエッセンスを抜き出してイラストや写真を加えて再編したものがこの本。
コンパクトに要約したといっても二段組みで約400ページもあったりする(^^;
去年の夏に一緒に仕事をした人からオススメされた本で、
フレーザーに対する批判とその反論も載せられているのでこの本の位置づけもわかるようになっているのが便利。

読んでみると、著者は「人間の思考法は呪術的→宗教的→科学的という変遷を経ている」と主張している。
そして「科学と呪術は、あらゆる事象の根底にある基本原則としての秩序を信じるという点で共通している」、
「呪術の根底にある秩序は、観念が生み出した秩序を、誤った類推で敷衍したものにすぎないが、
科学が自明の理とする秩序は、自然現象そのものを忍耐強く厳密に観察した結果」というスタンスで書かれている。

生々しい王殺しや生贄の風習の詳細な紹介と、その意味を解明しようとする内容は単純に読み物としておもしろい。
また、第6部で「身代わり」について詳しく書かれているのも興味深かった。
「自分の罪や苦悩を何かほかの存在に転化して代わりに背負ってもらえるというのは、未開人にとってはごくありふれた考え方」
という身代り思考は身代わりにされる方はたまったものじゃないし、
差別を生み出すものでもあるけれど、それは人間の自然な心理かもしれないと感じた。

また、フレーザーは19世紀の学者なので”未開社会”や”未開人”という言葉を頻繁使っているけれど、
占いや前世、霊やオーラ、スピリチュアルを信じる人の多い現代もそういう意味では”未開社会”ではあると感じた。
(それが人間の自然な観念かもしれない)

以下はその他でチェックした箇所(要約含む)・・・

○タブーを犯したら恐れていた厄災が必ず訪れるとすれば、そのタブーはもはやタブーではなく、道徳または常識の教えとなる
<第1部第3章 共感呪術>

☆共感呪術(共感の法則)-類感呪術(類似の法則)
           -感染呪術(接触の法則)
<第1部第3章 共感呪術>

☆呪術-理論的呪術(疑似科学としての呪術)
   -実践的呪術(疑似技術としての呪術)-肯定的呪術(魔法)
                    -否定的呪術(タブー)
<第1部第3章 共感呪術>

○厄除けの祭りの共通点
1:直接追放も間接追放も意図は同じ
2:決まった時期に行われる場合はたいてい間隔は1年
3:決まった時期に行われる場合はたいていその前後にハメをはずして騒ぐ時期がある
4:神格を持つ人間か動物を身代わりにする
<第6部第2章 身代わりについて>

○神が自然に死ぬのを待っていたら当然老いて衰弱していくので、その前に殺してしまうのは、
神の活力を若々しい力のみなぎったまま永遠にとどめようとする手段にすぎない
<第6部第4章 身代わりについて>

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2007 12/1
人類学、宗教
まろまろヒット率3

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